第四章 「コーラム島沖会戦」
戦隊は二本の鏃となって雲海を進んでいた。闇夜の中、星明りの連なりが、彼らの行くずっと先の、幾重もの雲の連なりをかすかに照らし出していた。照らし出された雲は、上空の支配者宜しく吹きすさぶ風によって、あたかも一群の巨大な生き物のように蠢き、真上の乗艦からその光景を見下ろす当直の空兵の目には、先行きを覆い隠すようなそうした風景は近い未来自らに降りかかってくるであろう試練に対する不安と重なっていくのだった。
先頭を進んでいた二隻のスタントバロ級航空巡洋艦に、本拠地への帰投命令が降りたのは四時間前のことだ。「戦力温存」というもっともらしい理由を付けて、艦隊司令部は救出部隊から貴重な巡洋艦を取り上げ、二隻の巡洋艦もまた、一度命令を受けるや今まで出したことのないような快速で部隊から離脱していった。残された七隻の駆逐艦と三隻の輸送船の乗員にしてみれば憤懣やるかたない状況だが、もし帰投命令を受けたのが自分たちならば、嬉々としてそれに従ったかもしれない。
航天暦一八六七年六月三日、ラジアネス航空軍、大空洋艦隊司令部はレムリア軍の包囲下にあるコーラム島に展開し、守備任務にあたっていた第32空兵連隊1756名を救出するために三隻の輸送船をコーラム湾内に突入させる作戦を決定した。言ってしまえば簡単な作戦だが、行うとなると現下の状況ではこれほど困難な作戦はないのだった。
コーラム島は、西大空洋に位置する。総面積10キロ平方メートルほどの、この空域ならどこにでも見られるような小島の一つである。空洋だけをみれば数百万個のうちの一つに過ぎないようなこの島にラジアネス空兵隊の一個連隊が上陸し、観測基地を設営したのはあの忌まわしい「アレディカ戦役」が終結した翌月のことであった。その目的はもちろん、レムリア軍の動向監視である。だが、この動きを察知したレムリア軍はコーラム島から30キロ離れた小島リッセ島に快速攻撃艇の基地を設営し、さらにはその強力な航空戦力を一帯の空域に展開させて補給路遮断と定期的な空爆の二段構えによってコーラム島の空兵隊に間断ない消耗を強いた。占領空域における敵勢力の排除と完全な制空権の確保という観点からそれは当然の措置であった。いままでを暗闇にまぎれての輸送機による物資投下や物資を満載した輸送船の強行突入で半年以上も持たせてきたのは奇跡であり、また限界でもあった。
現にすでに七隻の輸送船と護衛艦艇、そして十数機の輸送用航空機がコーラム島への補給作戦の途上でレムリアの快速攻撃艇及び攻撃機に捕捉された結果失われている。六月五日に最前線の艦隊根拠地であるアールブイ島を出港した戦隊に課せられた任務は、現在劣勢にあるラジアネス軍にとってコーラム島を巡る一連の艱難辛苦の締めくくりでもあったわけである。
だが、この島は、ここで流された友軍将兵の血に味を占めてしまったのかもしれない。だからきっと、最後の場面でこの島は我々に最大の流血を強いることになるだろう。レムリア人共は、ことあるを察知して、厳重な警戒網を島の周囲に張り巡らせ、我々を待ち構えていることだろう……各艦の士官から下士官兵に至るまで、多くの者がそう噂しあい、まだ見ぬ敵への恐怖に震えた。陰鬱な雰囲気はやがて彼らの乗艦にまで伝播し、夜間の戦隊の航行を一層暗く寂しいものとしているかのようでもあった。
「まるで葬式行列だな」
と、先頭を行く第一小隊三隻のうち一隻。ブファリス級駆逐艦「アラガス」艦長 ウォーレン‐W‐ダーク中佐は、灯火管制下の艦橋で余裕に満ちた笑みを浮かべながら後続の艦艇を見つめていた。その分厚い胸板からかすかに漏れるアルコールの匂いが、傍らにいる当直士官の嗅覚を刺激し続けていた。
「レムリアンの奴ら、そこかしこに快速攻撃艇をばら撒いてやがるから……連中、相当ブルってんですよ」
副長のフォレス大尉が、でっぷりした体格に毛むくじゃらの太い腕を組みながらニヤニヤ笑っている。髭もじゃの赤ら顔から除く白い歯が、暗い艦橋の中はっきりと映えていた。一兵士から叩き上げた男だが、士官学校出身のダークとは不思議と気が合った。
ウォーレン‐W‐ダークは士官学校を卒業して以来、一貫して掃空挺や駆逐艦などの小艦艇を渡り歩いてきた。卒業時の成績順位がどん尻に近く、そのため戦艦などの主力艦艇や司令部のような中央での勤務に就けなかったという事情もあるが、何より彼自身、自ら進んでこうした「どさ周り」勤務を選んできたと言った方が正しい。豪放磊落な性格の持ち主であるダークにとって、主力艦や陸上の指揮所のような勤務に一定以上の格式を強いる職場は栄達への近道ではなく敬遠すべき対象であったのだ。
そして事実、彼はこの方面で水準以上の才幹を発揮し、天性の飾らない性格で部下将兵の信頼をも勝ち得ている。「アラガス」の前に艦長として勤務していた駆逐艦で、彼は部下の将兵から「“50ノット”ダーク」と親しみを込めて呼ばれた。それは訓練時にカタログ上は最大35航空ノット/時しか出ない駆逐艦の艦上で、常々「最大戦速50航空ノット!」と号令を発していたことに由来する。敬意の込められたこの別称は後に彼が「アラガス」に着任してからも受け継がれていた。そして後にこの「“50ノット”ダーク」の名は敵手たるレムリア軍の間にまで広く知られることになる……文字通り「勇名」として。
そのダークが、言った。
「アンクル‐ジムの奴、前に出て先頭を走りゃあいいんだ。あいつがびびってるから皆進めねえ」
自分より士官学校の卒業年次が七期上で、かつ一階級上の指揮官をダークは毒付いた。今回の救出部隊の指揮官である「アンクル‐ジム」ことジム‐E‐スデス大佐の座乗する最新鋭のレギュリアス級駆逐艦「リムロペス」は、ダークの属する戦隊のはるか後方に位置し、コーラム島守備隊を収容するために動員された輸送船三隻を直掩する四隻の駆逐艦から成る第二小隊の最後尾を進んでいる。
『可及的速やかにコーラム島沿岸部に達し、守備隊員を収容、現空域から離脱せよ』
その実効性の有無は別として、艦隊司令部の命令は明快だった。命令されたからには途上で待ち構えているであろうレムリアのT‐ボートや攻撃機の妨害をかいくぐりながら任務を果たさねばならない。
その快速攻撃艇――T‐ボートはかの「アレディカ戦役」でも活躍し、ラジアネス軍を恐怖のどん底に叩き落した兵器の一つだ。ラジアネス軍の連絡艇並みのコンパクトな船体に強力な発動機と空雷発射管八門を主軸とする重武装を組み合わせ、最大五十航空ノットもの快速を生かした一撃離脱戦法を用い、数多くのラジアネス軍艦艇を葬り去ってきたのである。
当時少佐で巡洋艦「クレス」の副長だったダークもまた、かの「アレディカ戦役」に参加し、T‐ボートの威力を間近に見てきた経験を持っている。T‐ボートならずとも、レムリア軍の保有する艦艇が個艦の性能や乗員の練度の面でラジアネス軍のそれよりもずっと優秀なのはラジアネス艦隊指導部の間では手痛い教訓を伴った共通の認識となっていた。性能において優れているのみならず、大は戦艦から小は駆逐艦に至るまでレムリア艦は戦闘、攻撃用航空機の搭載、運用能力を持ち、こうした機能も考慮に加えれば個艦間の格差はさらに広がるであろう。もしこれらの一線級艦艇がコーラム島近辺に展開し、救出作戦の妨害に加わるようなことがあれば状況は一層厄介だ。
現在の速力十五航空ノット。進路は第一、第二小隊とも一直線にコーラム島を目指している。近辺の航空路を記した空図は、戦隊がやがてコーラム島に連なる最初の小島の周辺に差し掛かることを示していた。
「……俺がレムリアンの指揮官ならここに監視所を置いとくんだがなあ」
空図室の、薄明るい赤色灯の下に照らされた空図をタバコ片手に眺め、小島を指差しながら、ダークは言った。
「では、もう感づかれてますかね?」
「その可能性大だな」
そう言って、ダークはインカムを取り上げると、射撃指揮装置に陣取る砲術長ラップ中尉を呼んだ。
『――御用は何でしょう?』
「総員を戦闘配置へ。見張りも厳重にな」
『――アイ、サー!』
間を置いて、戦闘配置を知らせるブザー音が、「アラガス」の狭い、華奢な船体に響き渡った。それだけで、決して広いとは言えない駆逐艦の艦上が静から動へと一変する。従兵より渡された脱出用パラシュートと一つなぎの救命ベストを着込み艦橋に上がろうとするダークを従兵が呼び止めた。
「艦長、ヘルメットをどうぞ」
「いらん」
真っ白い、だが芯の抜けた軍帽を被りなおして、ダークは笑いかけた。漆黒に満たされた艦橋の、艦長用シートにその筋肉質の体を横たえると、シートを通じて艦内全体の醸し出す緊張感が一気に彼一人の体に充填されてくるような気がする。
「アラガス」は、ブファリス級の四番艦として建造され、就役してすでに二十年が経つラジアネス航空艦隊の古株だ。過去数回の改装で現下の戦況にも十分対応できることになっているが、強力なレムリア艦を向こうに廻しては劣勢を免れないであろう。もう二,三年前から同級艦の中には退役艦も出始めている。その後継たるレギュリアスはブファリス級より重兵装で抗坦性、機動力において勝っているがまだ全体の数が少なく、それとてレムリア駆逐艦とかろうじて五分と言えるかどうかだ。
ブファリス級の主要兵装は単装速射砲六基、三連装空雷発射管二基。レギュリアス級の場合は単装速射砲八基、四連装空雷発射管ニ基。両型共に爆雷投射機一基と対空戦闘用の機銃を幾つか積み、一部の艦には近年開発されたばかりのレーダー――電波探知機――が試験的に搭載されている。ちなみに、今の段階ではラジアネス、レムリア双方とも電波探知機の本格的な実用化に至っていない。
「『スダレム』及び『コーデン』の様子はどうか?」
共に第一小隊を構成する僚艦の名を、ダークは出した。「アラガス」の前方に「スダレム」が位置し、後方に「コーデン」が位置している。いずれも「アラガス」と同じブファリス級だが、艦長及び乗員の実戦経験はこちらと比して圧倒的に乏しい。
「『スダレム』針路変わらず」
「『コーデン』変化なし」
「発光信号出せ、警戒を厳にせよ、と」無線通信では傍受される恐れがある。
そのとき前方を行く「スダレム」の艦長ムースカット中佐の貧相な顔が、ダークの脳裏に浮かんだ。もともと駆逐艦乗りではなく後方で事務机を操船しているような男で、この種の人物によく見られる官僚的な男だ。士官学校の四期先輩でもありそのことで出撃前日に「いかなる事情であれ、先任者たる私の指示に従ってもらう」とわざわざ言いに来て「アラガス」の面々を失笑させたことだけでもその杓子定規ぶりがわかるというものである。
「『スダレム』の艦長、相当怒るかもしれませんなあ」
ダークの気持ちを察したように、フォレス副長が言った。
「ほっとけ、あんな奴」
そのとき――
『――四時方向より発動機音!! 航空機と思われます!』
見張りの空兵の声が、一気に場の緊張を引き締めた。
『――機種を確認できるか?』
オープンにした艦内回線の中で、ラップ砲術長が聞く声がした。
『――機種不明!』
「確認するまでもないな……」ダークは航空機の方向に向き直った。前方を行く「スダレム」が発砲したのはそのときだった。閃光と轟音が付近を圧し、艦橋のガラスがびりびりと震えた。
「あの馬鹿野郎!!」
フォレス副長が叫んだ。「見つかるだろ……!」
ダークは舌打ちした。ただ彼が口に出したのは「針路そのまま』」の一言だけである。
同時に航法長ダレス中尉が叫んだ。「艦長、まもなくコーラム島沿岸に到達します!」
「了解した。総員砲雷戦準備! 付近の小島に注意せよ! ただしこちらから先に撃つな」
暗闇と島影に潜み、機を狙って襲撃してくるのはT‐ボートの常套手段だ。ダークはアレディカ戦役を含む一連の戦闘経験でそのことを十分にわきまえている。だが、他の艦長はどうか?
『――二時方向より敵影!! 急速に接近してきます!』
「照明弾』がくるぞ!」
艦橋の誰かが、重苦しい声で呻いた。夜襲の事前に航空機で目標の頭上にランタン (照明弾の俗称)を落とし、視認を容易くするのである。
暗闇の中、「アラガス」の艦橋を高速でどす黒い飛行機の陰が突っ切った。その腹から何か光るものが吐き出され、その光は闇を切り裂くようにさらに広がって、「アラガス」の艦橋と言わず船体と言わず、さらには「アラガス」の進む一帯をまばゆく照らし出した。照明弾が落とされたのだ。
『――二時方向よりT‐ボート三隻接近!!』
「奴の進行方向は!?」
『――「スダレム」前方に交差する模様!』
いったん目標の前に出てやり過ごし、急旋回して戦隊に喰らい付くつもりなのだ。
「取り舵二〇度』、奴らを引き付けろ!」
「艦長、『スダレム』が面舵を取ります!」
「馬鹿! 島から離れるな!」ダークは叫んだ。取り舵を取る「アラガス」の船体が大きく左に傾き、ダークはシートの手掛けをぐっと掴んで支えた。艦橋から臨む遥か先で、鮮やかなターンを終えたT‐ボートと対応の遅れた「アラガス」が向かい合わせに交差した。その数四隻。中り所によっては一発で大型艦すら沈めてしまう空雷で武装した空の狼だ。
「艦長、九時方向を!」
フォレスが言った。後続部隊がいるはずのその方向が照明弾で鮮やかに照らされている。向こうでも敵の襲撃が始まったのだ。雲の中での断続的な煌きは、第二小隊の駆逐艦が発する砲撃であろう。
三隻のT‐ボートが狙ったのは離脱を図った「スダレム」だった。彼らは四十航空ノットの快速で「スダレム」の艦尾に迫り各艇一発ずつ魚雷を発射した。見る者に感嘆のため息を催すような鮮やかな手際の良さであった。
島陰、あるいは雲中に潜んで獲物たる大型艦や輸送船の挙動を窺い、機を見て全速で接近して必殺の空雷をぶち込む――ただこれだけに用途を限るのならば、T‐ボートは最良の形状と構造を有している。丁度草原で獲物を追い、牙と爪、そして膂力を以て息の根を止めるのに特化した獅子宜しく、あるいは縄張りへの侵入者に躍りかかり、毒針を突き立てる雀蜂宜しく、敵と認識した飛行船を叩き沈めることのみに、T‐ボートは特化していると言ってもいい。
ラジアネスで言えば戦艦搭載の司令部用連絡艇程度の大きさでしかない艇体に、航空機用エンジンを流用し、二基の空雷発射管をも内蔵した推進機関をX字状に四つも繋げた、およそ正気の沙汰とは思えない形状のフネ。当然、T‐ボートが主兵装として抱え得る空雷の上限は2×4の合計八基となるわけで、T‐ボートが一度に投射し得る空雷の本数だけでブファリス級一隻のそれに匹敵する。
しかもこの空雷は射程、威力ともラジアネス軍のそれよりはるかに高性能だった。それはラジアネス軍の魚雷が駆動源としてフラゴノウム炉、推進器ともにバッテリーを使用していることに比してレムリア軍のそれはバッテリーよりも燃焼効率に優れたケロシンを使用していたからだ。要するに酸素空雷である。この方式は昔ラジアネス軍でも一時期使用されていたことがあったが、不安定な液体酸素の取り扱いには細心の注意が必要であり、以前この難点が元で悲劇的な事故を引き起こして以来全面的な採用は見送られていた。世に言う「第二艦隊事件」がそれである。
航天暦1864年、この段階では性能、安全性共に問題なしとの結論の下採用が内定した酸素空雷は翌一八六五年初旬に至って最初の実戦部隊に指名された第二艦隊の主要艦船五四隻における配備を完了した。そして新空雷の性能試験をかねた定期訓練のため艦隊基地を出撃し、訓練空域たる南エディルタ空域に到達したとき事件は起こったのである。
その日、折から発生した南方特有の低気圧によって空域一帯は風速七十以上の暴風が吹き荒れるという近年まれに見る過酷な訓練状況にあった。まさにこのとき一隻に端を発した酸素空雷の爆発が連鎖的な素早さで第五艦隊の各艦に広がり、訓練に参加した五四隻の内実に過半数以上の二七隻が「轟墜」、もしくは大破損傷し死者、行方不明者二〇三七名を出すという大惨事に発展し、第五艦隊は戦闘集団としての機能を喪失すると同時に当時の第五艦隊司令官ウィード中将、艦政本部長ティ‐ポン大将を始めとする一線級将官計七名が引責辞職するという騒ぎにまで発展した。後にラジアネスがレムリアと戦端を開くにあたって、この大事故の原因を艦隊に潜伏したレムリアの破壊工作員の仕業と見る向きも現れたがその真偽のほどはさておき、第五艦隊は半減した戦力回復の必要性から戦役初期の戦局に関与する途を閉ざされることになった。
話を戻す。
放たれた空雷は三本、その形状からラジアネス軍が「白い殺人者」と呼んで恐れるそれは六十航空ノット/時の猛スピードで一直線に一本目が「スダレム」の右舷推進器を抉り取り、二本目は第二煙突に接触、そこで爆発して付近の甲板を煙突もろとも吹き飛ばした。そしてとどめの三本目が右舷を貫き、華奢なフォルムの「スダレム」を中央から真っ二つにへし折り、そこで「スダレム」は爆発した。
炎で朱に染まった爆風とともに吹き上がる装甲、燃料、フラゴノウム、空兵の影――空高く吹き上がったそれらの破片は夜空の冷気に包まれ、蒸気の衣に包まれてゆっくりと落ちてゆく……それはさながら、闇夜の一点に咲いた一輪の花火だった。そして時間にすればわずか一分もない出来事――
「『スダレム』、轟墜しました!」
「面舵一杯!! 奴らを引き付けろ!」ダークの命令に、「アラガス」が大きく右に傾いた。あたかも、艦そのものが良く調教された馬のようにダークの命令に反応したかのようだった。矢継ぎ早の命令が、「アラガス」を苛烈な戦闘へと駆り立てていく――
「機関全速! 五十ノットまで出してみろ!!」
『――アイアイサー!!』機関室から弾んだ声が応じた。そら来た、という感じでフォレス副長とラップ砲術長はにんまりとして顔を見合わせる。
「敵艦との距離を報告せよ!」
『――アイ艦長! 現在T‐ボートは北西へ離脱中! まもなく目視困難な距離へ達します!』
「追跡中止、第二小隊を援護する! 第二波を警戒せよ!」
「『コーデン』はどこへ行った!?」フォレスが叫んだ。
「『コーデン』、北方へ進行中」
「何しに!?」と叫んだのはラップだ。
同時に、備え付けの艦内電話がけたたましく鳴り響いた。電話を採ったダークの耳に、通信員の報告が上がってきた。
『――艦長、『コーデン』より入電、ワレ『スダレム』轟墜地点ヲ確認セントス。とのことです!』
「『コーデン』に打電せよ! すぐに反転して第二小隊へ合流せよ、と」
こんなときに何考えてやがる。との思いを押し殺して、ダークが反転命令を発しようとしたそのとき、見張員から絶叫に近い報告が入ってきた。
『――二時方向よりT‐ボート! 三〇航空ノットで北西へ向かう模様! 数三隻!!』
自艦の位置と奴らの進行方向から察するに、第二小隊を襲った連中に間違いない。このまま行けば「アラガス」はその鼻先に連中をかすめることになる。
ダークは意を決した。
「針路そのまま、全砲門開け! 奴らを逃がすな!!」
それに応えるラップの弾んだ声――「目標を確認し次第撃ちまくれ!!」
途端に、単装砲が轟音とともに小気味良く砲弾を送り出した。断続的に吐き出される曳光弾が幾何学的な軌道を闇夜に幾条も描き出し、はるか前方を横切るT‐ボート編隊に迫った。その中の改心の一弾がT‐ボートの一隻を貫き、一瞬にして闇夜を突っ切る火の玉と化したT‐ボートはそのまましばらく全速で進んだかと思うと、炎の豪腕によって胴体を引き千切られスピンしながら駆逐艦戦隊からはるか下の空域で爆発した。
『―― 一隻撃沈!!』
歓声が艦橋を圧した。ダークはそうした雰囲気に動かされたような雰囲気を見せずに叫んだ。
「面舵六十! 第二小隊を援護に向かうぞ!!」
「アイ‐サー! 面舵六十!!」
「アラガス」が面舵を切り始めたとき、三時方向が一瞬煌いた。何事かと一同が眼を向けるのと見張り員の報告が上がってくるのと同時だった。
『――敵空雷、『コーデン』に命中!』
「敵の新手か!?」
『――いいえ、先ほどの敵編隊とかち合ったようです!』
「コーデン」艦長ホーグ少佐は若く経験も浅い。ここで働かせるにはまだ無理があったのかもしれない――艦首から炎に包まれつつ急速に速度を落としてゆく「コーデン」の姿を遠方に見やりながら、ダークはいまさらながらそのことに思い当たった。さっきのT‐ボートもすでに遠くへ行ってしまった。「コーデン」はそろそろ潮時かもしれない――「コーデン」に後退を勧めようとダークが通信室へ通じる艦内通話機に手を伸ばすと、命令を伝えるより早く通信員の声がダークの耳に入ってきた。
『――艦長、「コーデン」より入電、ワレ艦首ヲ損傷、コレヨリ離脱ヲ図ラントス。以上です』
「了解した、とだけ言っておけ」
もはや「コーデン」には構っていられない。それより問題は第二小隊に護衛された輸送船だ。艦艇はともかく輸送船が使えなければこの作戦は成立しない。
「南東に針路を取れ。第二小隊に合流する」
「針路南東!」フォレスが復唱した。
進路を変えた左手にはコーラム島の沿岸部が夜空に包まれてうっすらと浮かんでいるのが眺められた。その光景はダークに一層の焦燥感を募らせた――待っていてくれよ、必ず拾いにいくからな――ダークには考えうるあらゆる苦難に耐えコーラム島で頑張っている空兵隊の連中の顔が眼に浮かぶようだった。見張り員より更なる報告が入ったのはそのときだった。
『―― 一時の方角より船影! 軍艦ではありません!!』
「艦長、輸送船では?」
「接近してみろ」
見る見る船影が近づいてくる。それが日頃見慣れた民間徴用の大型輸送船の形となって艦橋に浮かび上がってくるのに三分も掛からなかった。全長だけをとっても優に「アラガス」の二倍半はある大型船だ。あれなら一隻でも無理をすればコーラム島にいる空兵の連中を全員収容してやれるかもしれない。
「あれはハルゲント式の34年型ですね」フォレスが言った。その船体の一点が、ちかちかと点滅するのを彼は見逃さなかった。艦橋の数名が双眼鏡を取り出してその方向へ向けた。
「発光信号です。読みます……ワレ輸送船アリサーシャ。ワレコレヨリ、コーラム島沿岸二接岸セントス。貴艦二援護ヲ要請ス……以上です」
「艦長!」ラップが叫んだ。手に艦内通話器を握っている。
「『リムロペス』より入電! 任務を中断し引き返せ。とのことです!」
「……どうします。艦長?」いつの間にか艦橋にいる全員がダークを注視している。ここが艦長としての決断のしどころというやつだろう。
ダークは微笑んだ。
「……そうだな、無線が壊れたということにでもしておこうか。ま、無事還れたらの話だがな」
「では艦長?」
「アリサーシャに速度を併せ、同航せよ。本艦はこれよりアリサーシャを援護する」
「アイアイサー!!」
応じるフォレスの声は、弾んでいた。この場の全員もとより生還など期していない。艦橋は急速に困難な任務に臨む高揚感に包まれていった。
「戦闘が始まったぞ!」
永遠に続くと思われる静寂と暗闇の中、誰かが叫んだ。生い茂るルーシの木の隙間から臨む空のかなたが断続的な砲火のちらつきに照らされ、一時遅れて轟く砲声が、息を潜める空兵たちの耳と心臓を震わせた。
コーラム島守備隊司令コーベル空兵隊大佐は、水平線のかなたをはるか下に望む、丘の中腹に設営された司令部テントからその戦闘の様子を見つめていた。
空兵隊とは艦隊に随伴し、艦隊の行う地上や浮遊大陸に対する制圧作戦全
般を担当する部隊のことだ。その成立当初の主任務は「ラジアネス政府の行政権の及ばない地域に居住するラジアネス市民の生命、財産の保護」であり、航天暦一四九八年の設立当初約二千名程度だったその総兵力も数々の戦役や海賊掃討戦などの戦歴を経て現在では十個空兵師団、総数約二十万人の戦力を保持するまでに至っている。入隊は難しい上にその訓練と規律は厳しいことで知られ、それ故に空兵隊は有事の際には先頭きって投入される精鋭部隊として人々に認知されている。
「頼む、来てくれよ……!」
大佐の傍らでは連隊副官メリル大尉が苦渋と不安の入り混じった表情に脂汗を浮かべて戦闘状況を見つめていた。そんな彼の様子とは対照的に、大佐の表情は落ち着き払っているように見える。
「来ないなら来ないで最後まで戦うまでだ。行きは御免だからなあ」
連隊本部付き士官のスコローツ中尉がにやりと笑って、サブマシンガンのコックを引いた。一兵士から累進した男で、戦闘意欲旺盛な「ホンモノの空兵」だ。ちなみにレムリア‐ハルトンとはラジアネスで最も有名な高級ホテル‐チェーンになぞらえたレムリア軍捕虜収容所の俗称である。
「俺はやだね。早く国に帰りてえ。あと三日で除隊なんだぜ」
と、同じく連隊本部付きのラム‐テス上級曹長が混ぜ返す。彼の声にメリル大尉のような緊張感など微塵も含まれていなかった。しかしそんなものを彼らのような“真の空兵”に要求したところで無理な相談といえるかもしれない。一切の恐れとは無縁の勇猛無比な戦闘集団たるところに空兵隊の存在意義があった。現時点のラジアネス軍のなかで唯一レムリア軍より長じている分野があるとすれば、十分な兵站能力の他に、空兵隊のような陸戦戦力の充実ぶりであろう。開戦以来、植民地たる浮遊島を舞台にしたレムリアとの攻防戦においてラジアネス軍総体では負け越しが続いているが、こと空兵隊の参加した陸戦に関しては――特に、損害の絶対数に於いて――彼らの勝ち越しで締め括られている。
「メリル大尉!」コーベル空兵隊大佐が言った。
「撤退準備は出来ているか?」
「いつでも脱出できます!」
「よろしい、傷病兵から桟橋に集合させたまえ」
「はっ、すぐにやります!」
すかさず、連隊本部のコリドー少佐が怒鳴った。
「第一、第二大隊に対空警戒を厳にするよう言え! レムリアンの攻撃機がやってくるぞ!」
連中は連日西から飛来し、銃爆撃を加えていく。いままでは決まった時刻に飛んで来たものだが、今回ばかりはいつやって来てもおかしくない。
「司令、駆逐艦が港湾に入りました!」
「輸送船は!?」
「駆逐艦の後方! 一隻のみです!」
コーベル大佐は舌打ちした。島にいる全将兵を収容するには輸送船一隻だけでは手余りだ。後方に居座っている艦隊の連中はこの期に及んでフネの出し惜しみをしたのか? それとも――
「――他の船は逃げたのか?」大佐の傍にいた衛生兵がぽつりと言った。島から臨むはるかかなたの暗闇で、つい今しがたまで繰り広げられていた戦闘が、相当の激闘であったことぐらい察しが着く。それから考えれば十分ありえることだった。
司令部の置かれた丘からは、昼間になると小島には不似合いな広い、すばらしい全容を誇る環礁を臨むことができる。そこに設営された急造の桟橋はいまごろ命令を受けて集合した空兵達でごった返しているはずだった。そして、暗い中を桟橋付近に蠢く多数の人影がそんな大佐たちの想像を物語っていた。二隻と陸上との間でやり取りされる発光信号の後、ゆっくりとその重厚な、太い腹を桟橋に横付けしてくる輸送船の影を大佐たちは緊張した面持ちで眺めた。
「司令、輸送船より通信が入っておりますが?」
通信兵が無線通信機の受話器を差し出した。大佐がそれを受け取ると、はたして船長らしき若い男の声が聞こえてきた。
『――連隊長ですか?』
「そうだ」
『――「アリサーシャ」号船長のクルス‐フォルツォーラです。任務ご苦労様でした。すぐにでも兵士を収容したいのですが』
「ところで船長、輸送船はあんたの船だけか?」
『――そうです、他の船は損傷につき、任務より離脱いたしました』
「離脱?」
『――はい、他にご用件がなければすぐに収容に取り掛かりますが』
「ああ、始めてくれ。それと船長……」
『――はい?』
「……ありがとう」
『――どういたしまして、連隊長』
通信が切れた。大佐は幕僚達の方へ向き直った
「さあ、我々も撤収だ。急げ!」
『――ただいまより君達の収容を行う! 身の回りの品以外は全部置いていけ!』
メガホンから響き渡る甲板長の言葉が終わらないうちに「アリサーシャ」の船腹から幾条ものはしけ、あるいは網梯子が降ろされ、桟橋に繋がれる。同時に待ち構えていた空兵達が我先にはしけに取り付き、一斉に駆け登り始める。甲板まで昇り切った彼らを、甲板員達が手や肩を掴んでは船内に引きずり上げ、黙々と誘導していった。乗せる、というよりは詰め込むという表現が近い。しかし生死が掛かった現下の状況では扱いがどうのこうのと言っていられないだろう。
「始まったみたいですね」
その光景を「アラガス」の艦橋から双眼鏡で眺めていたフォレス副長が言った。
「警戒を厳にせよ、俺がレムリアンならあんな光景放っておかん」
と言うダークも自ら双眼鏡を構えて外を覗いている。
「敵さん、どこから来ますかね?」
「そうだな……コーラム島の真下ってとこか」
「確かに、そこから来られてはきついですな」
「当面の問題は全員を船に収容できるかどうかだ」ダークが言った。
「もし出来なかったらどうします? 艦長」
「そうだな……」ダークはその角張った、逞しいあごを撫でた。
「その時はその時さ」
「艦長!」双眼鏡を覗いていたラップ砲術長が言った。
「『アリサーシャ』より発光信号。読みます……“本船ノ収容能力限界ニ近ヅキツツアリ。イカガスベキヤ”以上です」
「わかった、あと何人残っているか聞いてくれんか?」
「はっ、すぐに」
しばしのやり取りの後、報告するラップの顔は緊張していた。
「あと三百名ほどのようです」
「千四百人詰め込んだのか……あのクラスにしては相当無理をしやがったな」
「ハルゲントの収容能力は確か七百人程じゃあ……」と、フォレスの表情も曇っている。
ダークは言った。
「……では、我々も無理をするとしようか」
形のいい笑みは、決意の表れだった。
「アリサーシャ」号はすでに一四六〇名の空兵を収容していた。船室は言うに及ばず、通路までもほとんどの装備を島に置き捨てて身ひとつで乗り込んだ空兵たちで溢れ、秩序だった混迷の中に、異様な感触の熱気を発生させている。
「アリサーシャ」号は、就航してとうに三六年が経つ大型輸送船だ。その建造目的は二百年近くの伝統を持つ浮遊大陸開発事業推進のために大量の移民及び物資を輸送する必要からのもので、三十年前の「エルグリム戦争」時も含め戦前までその主要業務を他の輸送船と同じく何の卒なく果たしてきた。
就航して三十年以上が過ぎた「大空洋戦争」開戦時、「アリサーシャ」は老朽化ゆえその輸送船としての任を解かれ地上の大型ドッグの上で解体を待つ身であった。この時点ですでに「アリサーシャ」を含め総数六四隻が建造された同型船の内十隻が遭難事故で失われ、さらに三一隻がすでに「アリサーシャ」と似た事情でスクラップ処分され、一二隻が「アリサーシャ」と同じく解体処分を待つ身となっていた。
だが、開戦に伴う輸送力確保への急速な需要の拡大が「アリサーシャ」の命を救った。「アリサーシャ」は現役に復帰しさらに何度目かの改装で機関部を石炭専燃缶から重油、石炭混成缶へと変換して軍の指揮下で様々な輸送業務に当たることとなったのである。
定員七百名の「アリサーシャ」にその二倍の千四百名以上の人間が詰め込まれているという事実は、船長を始め乗員達に二つの配慮を必要とした。第一に収容スペースの問題である。そこで乗員側では乗り込んだ空兵達の応援を得て広大な食料庫と飲料水貯蔵庫を空にすることで三百名分の収容スペースを確保した。空にする、ということは捨てる、ということである。したがって島からは続々と乗り込んでくる空兵たちを収容していく一方で船尾や船腹から下界へ向かって乗員総出で荷物を投棄していく様子や、まるで水漏れのように大量の生活用水が船腹から滴り落ちていく様子が見受けられた。そうした処置が取れるのも最も近い艦隊基地のネミルまで一五航空ノットでわずか一日半の行程であるからこそで、食料の心配はそんなにしなくともいいはずなのだが、空兵に消耗を強いる行為は避けたいのが本心だ。
第二の問題は、浮力の確保である。主な飛行動力源たるフラゴノウム反応炉とて万能ではない。特に規定を超えた重量を抱え込んで飛ぶとなるとたちどころに問題に直面する。過積載のまま通常通りの浮力を確保しようとすればその分だけ機関出力を増やして抱熱浮遊反応を拡大せねばならず機関部や反応炉に過度の負担を強いることになるし、燃料消費も大きい。この辺のところは飛行源をフラゴノウムに依存しない飛行機とさして変わらない。だから余計な物品の積載はなるべく避けねばならないのである。
しかし、それでも限界というものは存在する。
「船長、駄目です。もう入りきれません」
古めかしい伝声管から伝わってくる乗員の声を、「アリサーシャ」船長クルス‐フォルツォーラはその無表情な顔を微動だにせず聞いていた。それにしても若い。まだ三十にもなっていないだろう。その無表情が冷静さの故かそれとも緊張感によって生まれたものであるのかこの時点で判別できる者は船橋にいる航空士達の中には皆無であった。だが、この場にいる誰もがこの歴代で最も若くしてこの船の長となった男の船長としての能力を疑ってはいなかった。
船の収容能力が限界に近づいていること自体、船橋へ通じる通路までも収容された空兵達で埋め尽くされているという事実を目の当たりにすれば判る。そのいずれもが着の身着のままで一言も発せず、虚ろな眼で一点を見つめているように思えるのは気のせいであろうか? 本来船橋まで赴いて指示を諮るところ、伝声管を通じて行うあたり、船内の混雑を如実に物語っていた。
「『アラガス』に連絡したか?」フォルツォーラが言った。まだ少年の面影を残す、若々しい声だった。
「連絡しました!」運用長のイルク‐レイナスが応じた。左ほほに傷のある、船長より一回り背が高く、年上に見える青年である。事実、彼は彼の直属の上司より七年ほど年長だった。
船橋から空兵たちの様子を眺めながら、フォルツォーラはぐっと拳を握った。何か重大な決断を下すときに行う彼の癖が、それだった。美形の顔を無表情に保ったまま、しばし複数の思考を内面で交錯させた後で、彼は決断した。
「収容中止。島を出て帰途に就く旨、『アラガス』に伝えてくれ。島には私自ら連絡する。島に繋いでくれないか?」
「船長! あれを!」
と、イルクが指差した先には「アラガス」の華奢な船体が船橋のガラス越しに映っていた。夜に溶け込んだ真っ黒な船体の一点から点滅する光が、闇に慣れた男たちの網膜を焼いた。発光信号だ。
「ワレコレヨリ接岸ス」信号の内容を読み取ったフォルツォーラの眼は、湧き上がってくる驚きを隠さなかった。
「艦隊さん、やる気だ!」イルクが感嘆の言葉を漏らした。すかさずフォルツォーラが言った。普段と変わらない、平静な口調だった。
「桟橋を離れるぞ。準備急げ!」
「駆逐艦が接岸してくるぞ!」
驚愕の叫びはやがて歓喜の声に取って代わられた。輸送船にこれ以上自分たちをこの島から救う余力を残していないことを多くの空兵が気付いていた。そして駆逐艦の突然の接岸に即興性と勇気の発露を見て取った者も少なくなかったのであった。
そんな光景は丘の司令部を引き払い、桟橋まで降りてきたコーベル大佐の目にも入っていた。幕僚達は何度も早く輸送船に乗るよう進言したのだが、大佐はそれを容れなかったのだ。
巨大な輸送船と違って、小さな駆逐艦が接岸してくるのは容易だった。鮮やかな操艦で接岸を終えると、艦長らしき恰幅のいい壮年の士官が桟橋に降りて来た。収容を待つ並みいる空兵達の中から一人の士官――それはスコローツ中尉だった――を見つけると、つかつかと歩み寄り、言った。
「この島の責任者はどちらかね?」
「コーベル大佐なら、こちらにおられます」
遠巻きに二人のやり取りを聞いていたコーベル大佐がつかつかと士官の方へ歩み寄って来た。
「三二連隊のコーベルだ。君は?」
士官は大佐に向き直り、そして敬礼する。
「『アラガス』艦長のダーク中佐です」
コーベルは辺りを見回す様にして言った。
「見てのとおり全将兵の収容は出来ないようだ……どうするね?」
ダークの笑みが、大佐の眼には眩しかった。
「いいえ御心配なく、運んで見せますよ。全将兵残らずね」
「では、やはりあれに?」大佐は「アラガス」を指差した。表情が心なしか納得しているように見えた。「アラガス」の後甲板には数名の乗員の影が蠢いて前方から手渡される荷物や備品を投げ捨てていた。その動作が何を意味するか大佐は一瞬で理解できた。
「狭苦しいところですが、良ければ……」
「お世話になるよ、中佐」大佐はニヤリと笑う。そして振り向きざまに叫んだ。
「残りの者は駆逐艦に移乗! さっさとこの糞むかつく島からおさらばするんだ。急げ!」
三百名余り、それも余剰人員を想定していない船に多くの人間を収容するのにはさらに三十分間の時間とそれに伴う労力を要した。輸送船にあぶれた残った空兵全員の収容を見届けた後で、コーベル大佐は幕僚とともに「アラガス」のタラップを駆け上った。案内の乗員に導かれるまま、甲板や通路上にあぶれる空兵達を巧みに避けながら大佐が艦橋に上ったときには、「アラガス」はすでにその船体を桟橋からかなりの距離を置いて離れていた。
「ようこそ『アラガス』へ、大佐」
「君の配慮に感謝する」
ともにがっちりとした握手を交わした後で、最初に口を開いたのはダークだった。
「実は大佐、『アリサーシャ』を含め本官のとった行動は命令違反でしてね。よろしければ司令部まで感謝の意をお伝え願いたいのですが」
「そんなことだろうと思ったよ。艦長」笑顔とともに、眼では「了解」とコーベル大佐は言っている。「だが、我々は助けられた」
大佐は背後を振り返った。その視線の先には雲と夜の中、星明りに照らされたコーラム島の全容がうっすらと広がっていた。半年にわたって部下達と苦楽を共にした島を、大佐はしばしの間黙って見つめていた。
「ところで中佐」
「はい?」
「今年のスーパーボールの対戦チームはどことどこかね?」
ダークの顔がほころんだ。
「キセノンズとホーカーズです」
「やはりそうか、で、どっちが勝った?」
「自分は途中までしか見ませんでしたが、確か30対24でホーカーズの勝ちでした」
「なんてこった、私は前に女房にキセノンズに三百スカイドル掛けるよう言っておいたんだ。大損だったな」
艦橋は爆笑に包まれた。
ダークが言った。
「そう言えば大佐、ノーマ‐マグリットがとうとう離婚しましたよ」
ノーマ‐マグリットとはラジアネスの有名なセクシー女優の名である。
「そうなのか!? これだから孤島暮らしは堪える。外界と遮断されちまうからなぁ……」
「同感です、とくに負け戦の最中ではね……」
『――艦長!』場にそぐわぬ和やかな雰囲気を破ったのは、敵の接近を告げる声だった。
『――五時上方より敵、T‐ボートと思われます!』
「『アリサーシャ』はどうか?」
『――本艦前方五百、回避行動中、下げ舵を取っています!』
「二五ノットまで出せ。警戒怠るな!」
『――九時方向よりT‐ボート! 接近して来ます』
「総員、衝撃対応体勢を取れ! 命令を徹底させろ!」
『――九時方向より空雷! 三基!』
『――上方より空雷二基接近中! 距離二百!!』
「下げ舵二十度」
「アイ・サー! 下げ舵二十度!」
艦首が下がった。ブファリス級の反応は良好だ。同時に加速が付き、速力がどんどん上昇していく。
『――速力三十を突破しました!』機関室から報告が上がってきた。
「機関長、反応炉出力を二十パーセント落とせ!」
『――なんですって!?』
「浮力を落として加速を付ける! 五分でやれ!!」
『――アイアイサー!!』
「四十を突破したら知らせろ!」
そう怒鳴ったダークのいる艦橋の鼻先を、一本の空雷が猛スピードで通過していった。それに続くかのように二本目が「アラガス」の艦橋後方を通過し、三本目が下げ舵で跳ね上がった状態の艦尾スレスレをさっと通り抜けていった。
『――九時方向よりの空雷、全基回避!』
『――艦長、四十ノットに達しました!』機関室から報告が上がってきた。
「機関全速、上げ舵準備! 機関室、そのまま速力をカウントしろ!」
『――四二……四五……四六、四七……艦長! 速力五十に達しました!!』
「上げ舵三十度!!」
『――五時上方百より空雷二基! 突っ込んで来ます!』
「取り舵一杯! 上げ舵そのまま!」ダークは近くの取っ手をぐっと握った。
一瞬の沈黙、間をおいて魚雷と「アラガス」は交差した。一基は「アラガス」の右舷をかすめ、そのまま姿勢を崩して錐揉みの姿勢のまま下方の闇へ吸い込まれるようにして消えた。もう一基は左舷昇降舵の一つを突き破って一直線に下方へ突っ込んで行った。
『――空雷回避、成功しました!』
「ハイスクールの物理で習わなかったか? 運動エネルギーってやつさ」とダークは傍らのフォレス副長に笑いかけた。
「寿命が縮みましたよ。まるでジェットコースターだ」フォレスは苦笑するばかりだ。
『――T‐ボートの追跡、確認できません』
「警戒を継続せよ。それと各区被害状況を報告せよ」
「ところで輸送船は?」とコーベル大佐が言うが早いが、見張り員の報告がすべての不安を打ち消した。
『――三時下方より輸送船! アリサーシャと思われます』
「雲の中か……うまく隠れたな」コーベル大佐の感嘆の声は、心底からのものであった。
海面に顔を出す巨鯨よろしく、眼下に広がる雲を突き上げるように上昇してくる「アリサーシャ」号の船首。その威容に「アラガス」の一同は心から見とれたのだった。そのとき、ラップが言った。
「艦長、夜が明けます」彼が指差したはるか東、無数の千切れ雲に覆われた地平線の彼方が、うっすらと朱に染まっていた。一同の目が、そこに注がれた。二隻はすでに安全圏へ達していた。
艦橋にいる誰もが、多分乗り組みの空兵達も、アリサーシャの連中も、そこに希望と平安を見たことだろう……
――こうして、コーラム島撤収作戦は終了した。
ラジアネス軍の損害は駆逐艦一隻轟墜。一隻小破。輸送船一隻轟墜、一隻中破。
守備隊救出という本来の目的は達成されたが、救出部隊指揮官スデス大佐はその作戦指揮の不備と消極性を問われ更迭された。当作戦において重要な役割を果たした駆逐艦「アラガス」艦長ダークは司令部の命令無視を問題にされながらも中佐から大佐への昇進を以って報われ、輸送船「アリサーシャ」船長フォルツォーラはそのクルーともども勲章と一時休暇を与えられた。同じく無事帰還を果たしたコーベル大佐率いる空兵守備隊は、当分後方において部隊の休養と再編成に専念することとなった。
そして、当作戦はラジアネス軍の六月における唯一の艦隊作戦となったのである。