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第三章  「荘厳なる緑」

 ――白銀に煌めく翼の交錯、それが始まりの合図だった。


 教導機を示す赤い線の標識をつけた複葉戦闘機の上昇と、それを追う同型の複葉機。先導する教導機の急激な左旋回に追従するタイミングを失した追撃機が、右旋回で逃れたところを教導機は見逃さなかった。左旋回の態勢から一転、急降下に転じた教導機は気速を生かして追撃機の尾部に食い付く。教導機はそのまま左旋回に切り替えた追撃機を頭上から追い抜き、前方に占位する。同じ性能の機体である筈なのに、この差は何だ? と、地上の人々は驚愕あるいは感嘆と共に蒼空の輪舞を見上げたことだろう。

 

 二機の複葉機は編隊を組みつつ飛行場を周回する、その最中に通信回線を容赦ない叱責が占め始める。


『――馬鹿もんが、このざまではハエも墜とせんぞ! 貴様戦闘機に乗って何年になる!?』

「三年であります!」

『――三年だあ!? 嘘付け! 三日の間違いじゃないのか? よし、もう一回!』


 無線を通じたやり取りの間にも、すでに四回目の旋回が終わろうとしている。そして五旋回目に突入しようとしたとき、先頭を行く教導機がいきなり機首を上げ、鋭い宙返りで追撃機の後方に占位した。正確に言えば宙返りの頂点で失速、だが降下に転じた教導機は姿勢を回復し、回避機動に入り掛ける追撃機を後下方から追い上げる態勢を取る――

「貴様こんな腕でレムリア人(レムリアン)と戦うつもりか!? 殺されに行くようなもんだぞ!」

 再び追尾を続ける間、自分の乗る教導機を覗き込んだ追撃機のパイロットが苦笑交じりに、申し訳なさそうに頭を掻いている。それにため息と舌打ちを以てしか応えることが出来ないところに、教導機のパイロット、カレル‐T‐“レックス”‐バートラント少佐の苦労があった。一向に変わらぬ二機の態勢、その内左右にぶれ始めた追撃機の姿勢が、此方を覗き込む操縦者の青い顔も相まって教育の対象が疲労の極に達していることを悟らせた。これ以上はもう駄目だろう――部下の乗る追撃機に、先に飛行場に着陸するように命じたところで、バートラントは思う。これからも、同様の苦労が続くのだろうか……と。


 “レックス”‐バートラントが「ハンティントン臨時教習飛行隊」戦闘機隊隊長に任命され、ここモック‐アルベシオ艦隊航空隊基地に着任してからまだ一週間も過ぎていなかった。そして、その間に費やされた時間が、彼に現状に対する幻滅と将来に対する失望を提示するのにも、それほどの困難を必要としなかったのである。

 創設当初から現在の飛行要員はバートラントを入れて七名。いずれも飛行時間五〇〇以上の中堅クラスだが、元来からの戦闘機乗りは二名。あとの二名は他機種からの転科組で、彼らのいずれも肝心の空戦技量となるとこれが極めて心もとない。ただ飛ばすだけなら経験も技術もある飛行機乗りは政府軍にはまだまだいるが、あいにく戦闘機乗りというものはそれだけでは困るのである。つまりその任務上味方の艦隊や攻撃機隊を攻撃してくる敵機の排除が戦闘機の任務であるから、そのための技術――空戦技術に熟達しなければならない。その上艦隊で働けるようになるには着艦や特殊航法など専門的かつ必要な技量、知識の習得が欠かせないが、逼迫した戦況がそれに必要な時間を融通してくれるとは、バートラントには到底思えなかった。


 バートラントは二〇年近くのキャリアを誇る艦隊の戦闘機パイロットだ。普段は目元口元にしわの混じり始めた顔と、薄くなりかけた頭を深々と被った軍帽に隠した、線の細い中年男性の印象を受ける。もともと軍内で希少価値の高い彼ほどのキャリアと技量の持ち主は、そのほとんどが先のアレディカ戦役で失われてしまっており、着任前は艦隊士官学校(アカデミー)で教官を勤めていた彼が、こうして訓練機の操縦桿を握る様になるまでには様々な紆余曲折があった。


「最後のご奉公って奴さ」

 着任を打診されたとき、戦線の不穏なるが故に翻意を勧めるアカデミーの同僚にバートラントはそう言った。たとえ困難でも、これは誰かがやらなければならない仕事だ。そして彼自身の年齢を考えれば、この仕事が彼にとって最初にして最後の実戦任務の機会になることをバートランドは知っていた。入隊以来二〇年に及ぶ飛行隊勤務で、彼が実戦を経験したことは五本の指を出る位でしかない。その何れも辺境空域に跳梁する空賊の制圧作戦や辺境自治区の政情不安に備えた警備任務ぐらいで、彼の軍人としての使命感はより困難で、達成感のある仕事を求めていた。ただし彼自身、飛行隊を将来の戦闘に適応し得る戦力に育て上げるのに必要な経験も知識も、未だ発展途上の段階にある。創造には新たな実践と教訓が必要であった。


 しかし、それは彼ならずとも、アレディカ戦役より遡る三〇年間をごく平穏に過ごした艦隊将兵の大部分に共通したことであったかも知れない。「全天空、地上世界を統べる唯一の統一政体」たるラジアネス。遡ること三〇年以上前に彼らに突如反旗を翻した強大な宗教勢力エルグリムとの間に戦われた「エルグリム戦争」において、当時の艦隊戦力の三分の一を失うほどの大損害を負いながらも、「第二次コルロン会戦」におけるパーフェクトゲームで勝利を手にした栄光の時代は、もはや遥かな昔のものとなっていた。それ以来、約三〇年の長きにわたって政府軍は実戦らしい実戦を何一つ経験せずにレムリアとの戦争を、三〇年以来全く不変の戦略、戦術を以て迎えていたのである。


 教導機――バートラントの駆るウレスティアン‐タマゴ艦上戦闘機が、その卵のようにずんぐりとした機体を着陸態勢に持っていこうとしたとき、期せずして眼下に広がる光景に、バートラントはスロットルを落としながらも眼を奪われていた。それは、埃を立てながら基地正門に差掛る軍用トラックの列――この光景が意味するものを、バートラントは知っていた。

「……これから、忙しくなるな」

 思わず出たこの一言は、ベテランとしての純粋な感想だった。

 


 

 軽快な爆音が空を行くその下で、軍用車の往来もまた盛んになっている。


 ジュラルミン地肌の眩しい銀色の太い胴体と、そこから申し訳程度に延びた主翼と尾翼とを染める黄色の取り合わせは、地上世界の南半球に位置するモック‐アルベジオの開放的な空気によく合っていた。少なくとも移動中の軍用地上車から着陸態勢に入る二機のウレスティアン‐タマゴ艦上戦闘機の様子を仰ぐエルゼアル‐デュカキス上等兵にはそう見えた。オープントップ、一切の快適性を度外視した、地上を走るのに必要最低限の機能しか付いていない軍用四輪駆動車。しかしアスファルトの敷き詰められた基地の交通路を走るのに、車の性能ではそれ程不快さを感じさせることは無かった。むしろ天井が無い分、豊かな風量を車上の全身に愉しむ事が出来た。


「――あれは、格闘戦訓練かな?」

 後席から声が掛かり、それがデュカキス上等兵に、見通しのいい直線道に入って以来踏みっぱなしだったアクセルを緩めさせた。柔らかい、耳に障らない青年の声。およそ軍人の声ではないとデュカキス上等兵は思った。

「ここんとこ一週間ぶっ通しでやってますねぇ。最初は珍しいからみんな夢中で見ていたんですけどね、今じゃ五月蠅くて業務の邪魔としか思ってませんよ」

「ふむ……」

 相槌を打つのにも知性が感じられ、それがデュカキス上等兵には心地良く感じられた。うちの基地には司令クラスですら、その語感にすら知性の所在を漂わせることの出来る「風流人」は一人としていない。大学へ行く奨学金目当てに入隊した彼としては後席の客こそが、彼の任期終了後の人生設計の理想像であるように思われた。速度こそ落ちたが車の行き足は傍目から見ても十分に速く、運転手とその乗客を流れる様に広大なアスファルトの大地へと運んでしまう――警戒の厳しめな区画を後席の主の有する許可証の威力で優々と通過するや、デュカキスの運転する軍用地上車はドラムブレーキの軋み音とともに格納庫の並ぶ一角で止まる。乗客の一言が、運転手にブレーキを踏ませた。

「ここでいい」

 車を止めた声に軍人らしい威圧感は無く、だがそれ故にデュカキスが従順たるのに違和感は覚えなかった。荷台も兼ねた後席が上下に揺れ、次には後席より降り立った人影が気配となってデュカキスの傍らに進み出る。確かこの辺りは――


 ついさっきまで後席の客だった彼は、略帽からシャツ、ネクタイ、そしてスラックスに至るまでカーキ色の政府軍艦隊の略装を着ていて、デュカキスが声をかけるまでも無く格納庫の入口へ向かい歩いている。背は決して高い方ではなく、だが背中から見て取れる、細く引き締まった背筋と長い脚とが、飛行士としても、そして戦士としても恵まれた彼の体型を誰の眼にも感じさせるだろう。


 略帽の下で撫で付けられた銀色の髪、だが生来のものと思しき前髪を彩るウェーブは隠しようが無く、略帽からはみ出たそれは柳を思わせる細い眉の片方に掛かっている。顔立ちはそういう年齢ではないのに少年と形容したくなる程に若々しく、女性的な清新さすらその外面から漂わせていた。形のいい片方の耳に嵌められた微小なピアスが、人間としての彼を形成する些細なアクセントの介在を思わせる……微風が、躊躇いがちに彼の後を追うデュカキスの鼻に、香水の匂いを運んで来た。

「あのう……少佐どの」

 格納庫の奥へと歩を進める男を追いつつ、デュカキスは呼び掛けた。格納庫に入り歩を進めつつも、何時しか彼の意識もまた左右に佇む大小の機影に惹かれている。それでも――ある機は胴体から先が無く、またある機は片翼の中央から翼端に至る先が何処かへ千切れ飛んでいた。さらにある機は、床を踏締めるべき脚すらなく、ただ胴体だけの姿を達磨のように晒している……それらの例外なく、各所に弾痕の穿たれた様に、デュカキスは未だ見ぬ戦場の空気を思い、背筋を震わせた。戦線の端々で回収した、かつては「侵入者」の機体であった何かを集めた専用の「安置所」――その端で制服姿の青年の足は止まる。そこで佇む一機の前に向き直り、青年は機影を仰ぐ。明灰色の円らな瞳も相まって、万人に知恵を授ける天使の彫刻を思わせる。形のいい横顔だった。


「キラ‐ノルズ」

「え……?」

「レムリア人はそう呼んでいるのだよ。こいつを」

 声が弾んでいる、とデュカキスは思った。思うと同時に彼の顔も機体へと向く。推進式配置の液冷エンジンと六枚羽根プロペラ、前翼式の主翼及び昇降舵配置、コックピット上面を覆う一本の支柱すらない泡沫型キャノピー、機体を支える前輪と一対の後輪、それらの配置が赤く流麗な機体構造の中で絶妙な均衡……というより美的感覚の中で為されている。そして既存のラジアネス軍戦闘機にこのような異形は無い。異形のタイヤは何れも空気が抜け、脚の一本はあらぬ方向にねじ曲がっている。従って胴には整備用の支柱が嵌められてそれが直に機を支えている。キャノピーに至っては幾つかの箇所に亘り痛々しい罅が走っているのが見える。そして機体を覆う赤は所々が剥げ、外板すら箇所によってはへこみ、あるいはねじ曲がるか、とっくに何処かへと脱落してしまっていた。そうして空いた穴から、床に醜く垂れ落ちた配線の切れ端と黒い潤滑油――それでもこの異形は此処にある他の機と違いあるべき場所に翼を持ち、あるべき処に鉄の心臓を宿している……つまりは、飛行機としての原型をしっかりと保っているのが、デュカキスの様なこの手の素人にも判った。

「従軍記念に部品を勝手に取って持って行く不心得者もいますからね。こうして一箇所に集めて警備しとけば大丈夫って肚なんですよ」

 と、デュカキスは言った。それは事実であった。ラジアネスの兵士の多く――特に、近年増えつつある大規模採用/急速練成組――は、軍に入るという経験を彼自身の人生の、危険を伴わない冒険的な断章の一つとみなす傾向が強い。自身が何時生命の火を消されるか判らぬ前線に在る、あるいはいずれ前線に向かわされるという観念と切迫感に乏しいのだ。ここ数十年に亘りこれといった大戦争の経験の無い軍隊、というより社会の宿疴のようなものだった。

「君もそのくちか?」

「まさか……」

 不意の問い掛けに、デュカキスは口元を皮肉っぽく歪めて見せた。まるでそのような行いに手を染める輩と同一視されるのが、心から不本意だと言わんばかりの表情だった。制服姿の青年は微かに笑い、だがキラ‐ノルズという名の前進翼機からさらに数機の残骸を置いた機体を目にしたところで彼の表情が消える。キラ‐ノルズと同じく全体に亘って外見を保っている一機。銀髪の青年が怪訝な顔を隠さなかったのは、その機体の各所を覆う黒いシートのせいだけではなかった。

「あれは……?」

「『荘厳なる(マジェスティック)(‐グリーン)』ですよ。此処の皆はそう呼んでます」

「『荘厳なる(マジェスティック)(‐グリーン)』……だと?」

 名を呟きつつ、青年の足は機の脚元へと向かう。だいぶ空気の抜けたタイヤ、機首から滴るオイルが床に小さな池を作っているのは、キラ‐ノルズの状況と大して変わらない。その機首――――下からそれを仰いだ青年は、明灰色の瞳を曇らせる……空冷エンジンの持主であることはすぐに判った。機首を覆っていた筈の緑色の塗装は醜く剥げ、円錐状のスピナーから延びた幅の広いプロペラが四枚。だが……

「……これは、知らないな」

「先月のことでしたかね。郊外の山奥で見つかったんですよ。麓の町に住む悪ガキどもが冒険ごっこの最中に見つけちゃいましてね。その後がもう大騒ぎで……自分も警備で現地に行かされましたよ。小銃担いでね。此処の半分は駆り出されたんじゃないですかね」

「ラジアネスの飛行機じゃない?」

「全然ですね……形状こそ同じ飛行機なんですが、肝心の中身が違う様で、計器盤の目盛りから部品の規格まで何もかも違うって話ですよ。うちの技官も頭を抱えているみたいだ……宇宙人が作ったんじゃないかって言い出す者もいる位で」

「汚い飛行機だな……作った人間の心根が透けて見えるようだ」

 デュカキスの言葉も聞いていなければ、眼前の機体に対する冷静な見方すら、青年は何処かへと追い遣っているかのように見えた。未知のものに対する隔意、言い換えれば自分の理解出来ぬものを極端に厭う感情――デュカキスからすれば、青年の態度はそれを過分なまでに含んでいるように思われた。それも強い隔意、頑なさだ。

「そうでしょうか……?」

 それには答えず、銀髪の青年は踵を返し地上車の方へと歩き出した。それは本部へ戻るという無言の意思表示だった。当然運転手たるデュカキスも慌てて後を追う。後を追いつつも、青年の挙動が急過ぎることについて思考を巡らせるうち、デュカキスは新たな言葉を聞く。

「この場に置くに、相応しい機体ではないな」

 口調が、軍人らしい硬質なそれに変わっているのに気付いたのは、車に戻ってからのことであった。



「あいつは?」

 と、戦闘機を降りて格納庫へ向かう道すがら、バートランドは隣席で軍用地上車のハンドルを握る部下、ジャック‐“ラムジー”‐キニー大尉に聞いた。距離を置いて行き合い、やがて角を曲がって離れていく車上の銀髪の士官に、バートランドは見覚えが無かった。

「今さっき着任して来たばかりの、民間企業のテストパイロットですよ。名は確か……」

 少し記憶の糸を手繰る様な顔をして、キニー大尉は続けた。

「……マックス‐クレア少佐といったかな」

「少佐……?」

「ええ……それに準じた待遇をするようにと、基地司令部のお達しです」

「元軍人か?」

「みたいですね。エルマー基地で攻撃機に乗っていたとか」

「見たこと無い顔だな」

「え……?」

 バートランドの顔を見ようともせず、運転に専念しつつキニーは怪訝な顔をした。

「おれも去年エルマーにいたんだよ。顔合わせぐらいはしている筈なんだが」

「勤務期間が微妙に擦れ違っただけと違いますか?」

「そうかなあ……」

 釈然としない顔をそのままに、やがてバートランドは車の向かう格納庫へと向き直る。車はそのまま哨所を抜けて格納庫の入口に入り、そこに居並ぶかつては「侵入者(レムリアン)」の航空機だった何かの居並ぶ中を、格納庫の末端まで走った。ドラムブレーキと板バネの軋みも重々しく車は止まり、完全に止まる寸前でバートランドは助手席から飛び降りた。

「こいつか?……『荘厳なる緑マジェスティック・グリーン』ってのは」

「そのようですな」

 直後、空でも地上でも余裕のあるバートランドの表情から、血の気が引く様にそれが消えた。傷付いた機体の全体を占める塗装の剥げ掛かった緑……それが、バートランドが印象付けられた全てであった。一見すれば何処かの数寄者が道楽の延長線上で作ったとしか思えない醜い塗装の、薄汚れた飛行機……いやこれは――

「――戦闘機か? これは……」

「一見すると武器や照準器も付いているみたいですし……その積りで作ったのでしょうね」

「作った?……誰が?」

「そこまでは……」

 処置なし、とばかりに肩を竦めるキニーを他所に、バートランドは『荘厳なる緑マジェスティック・グリーン』の脚元に歩み寄った。剥げた塗装、根元の汚れた排気管、ガラスの砕けたままの単座の操縦席……同じく主翼の中心から突き出す機銃の銃身と思しき筒先にバートランドは指を延ばし、そして煤塗れの指先を凝視した。

「……本物の機銃だ……模造じゃない。ちゃんと撃っている。それに……」

 独白しつつ、バートランドの険しさを増した眼差しが『荘厳なる緑マジェスティック・グリーン』の胴体に延びる。寸詰まり気味だが、荒野を巡る隼を思わせる精悍な胴体、その数か所を抉る傷痕に再び彼の手が延び、そこでバートランドの愁眉が開いた。

「……銃痕だな」

「銃痕ですって?……てぇことはつまり……」

「隠されていたんじゃねえよ……空中戦をやって散々撃たれた揚句に、向こうの山奥の、とっくに放置された飛行場に滑り込んだというのが正解みたいだぜ?」

「待って下さいよ少佐、あなたの推測が正しければ、こいつの持ち主はまさか……」

 バートランドの眦に、再び険しさが宿った。

「……この辺の何処かにまだいるってことさ」




 ――トラックに揺られたのは、確か三時間ほどだったはずだ。

 窓のない荷台から伺える周囲の雰囲気は限られたものだった。それでもカズマには、自分たちを輸送する軍隊のトラックが市街地から離れた、いわゆる郊外へ進みつつあることが感じられた。

 カズマが割り当てられたトラックには、カズマを含め二〇名の志願者が詰め込まれていた。カズマとさして年齢の変わらなさそうな青年から、もうすでに中年に片足を突っ込んでいそうな壮年もいた。彼らのお互いが当初沈黙に任せるまま、時折視線を交し合った時間は三〇分ほどで過ぎ去り、新兵選抜試験の行われるモック‐アルベシオ基地に到着する頃にはほぼ全員が、お互いの、軍に志願する理由ぐらいは知っている状況が生まれていた。


 そんな中、カズマの隣に座っていた背の高い、痩せぎすの男がカズマに話しかけてきた。

「あなたは、どうして軍なんかに志願したんですか?」

「…………」

 話しかけて来た青年を、カズマは無言のまま暫く凝視する……凡そ今後の軍隊生活に耐えることはおろか、選抜試験に通ることすら叶いそうもない芯の細い男。カズマの生きた世界の言葉を使えば、差し詰め「丙種合格」といったところだろうか……しかも、丁寧な口調の端々に、気の弱さをカズマは感じた。気が付けば、青年以外にもカズマの回答を注視している者がいる……未来の展開によっては、同じ兵舎で寝起きし同じ飯を食うことになるかもしれぬ同乗者だけに、他者の外見からは伺えぬ内面の品定めの必要を抱いているのであろう……狭い車内で流れている居心地の悪い雰囲気の正体を、カズマは今になって漠然と把握しつつあった。

「おれ?」

「あ、いや……言いたくないなら……いいです……」

 男の様子が、急にしどろもどろとしたものになった。それを取り繕う必要をカズマは感じた。

「おれは……何といったらいいか……楽をして国の役に立ちたいからさ」

「へ……!?」

「だって、戦争にいくなら重い銃を担いで地上を駆けずり回るより、空を飛ぶほうがはるかにいいだろ?」

「……そうですよね、実は、僕もそうなんです」

 青年の口調が弾んでいた。カズマの目にも、青年の顔色が明るくなっているのがわかった。青年はそのまま続けた。

「僕、故郷では市役所に勤めていたんです。戦争が起こった時、僕も祖国の役に立ちたいと思いました。でも、見ての通りこの身体でしょう? こんなんで艦隊や空兵隊なんかでまともに働けるとは思えないし、それに僕、ペンより重いものなんて……持ったことないし……」

「だから、飛行機に乗ろうと思ったの?」

「……はい、志願しようかどうか迷っていた時、軍が艦隊の航空機操縦士を募集していることをポスターで見たとき、これだって思ったんですよ」

「じゃあ、君はこれから操縦訓練を受けるつもりなんだ……」

「……その前に、適性訓練に受かるかどうかですけどね」

 青年は力なく笑った。その点に関しては、不安があるのだろう。

「ところで、あなたも操縦訓練を?」男が、聞いた。

「いや、おれは……」カズマが言いかけたとき、後ろから男を罵る声がした。

「オマエが飛行機乗りになるだと!? レムリアンのカモにされるのが落ちだぜ」

 後に続く下卑た笑い。この連中が、先ほどまで聞こえよがしに自分たちの腕を自慢していたことを、カズマは知っていた。その話からして連中は、ここに来る以前は曲技飛行士をしていたようだった。

「だいだいおめえ、そんなパスタみてえな手で飛行機の操縦桿を握れるのか!?」

「バーカ、その前に選抜試験の心配をしろや。兄ちゃん!」

 気圧され、車内で居心地悪そうに俯く青年の一方で、カズマは男達を不機嫌そうに睨みつける。口調の端々から出る自己の技量に対する過信と、他者への優越感がカズマの癇に障ったし、何より飛行機乗りにしては知性の欠片も感じられない男たちの態度にも腹が立つ。だが、それは嘲弄の矛先をカズマ自身にも向けることでしかなかった。

「坊やも飛行機志望か? やめとけ、かわいい顔に傷がつくぜ」

「遊園地のおもちゃに乗るのとはわけが違うんだぜ? わかってんのか」

 むっとしたカズマが言い返そうとしたとき、トラックの荷台は突如上空から降りかかった軽妙なプロペラ音に満たされた。驚いた数名が我先に外を覗こうとトラックの後尾に移動し、さらに数名がそれに続いた。そのままトラックが後ろへとひっくり返るのではないかと思える程の勢いであった。

「ワオ! 凄えや。艦隊の戦闘機だぜ!」

 一人が、思わず歓声を上げた。それに続いて場が一層ざわめきだした。戦闘機見たさのあまり、その方向に一気に人間が殺到し、トラックが横転するかと思われるほどだった。

 トラックの上で起こった人だかりを押しのけるようにカズマは上空を見上げた。その先に、二機のずんぐりとしたフォルムの複葉機が互いにもつれ合い、追いつ追われつの飛行を続けていた。自分たちの遥か頭上で行われているそれが何を意味するかを、この場の全員がすぐに気付いたのだった。

格闘戦(ドッグファイト)だ!」

 眼前で繰り広げられている緩急自在の機動に、その場の全員が眼を見張り、酔った。特に彼らを驚かせたのは、練達した技量でペアを追い回す赤い標識を付けた教導機の、鮮やかな手際のよさだった。

「ありゃあ相当なベテランだぜ」

「すげえな、軍にはまだあんな凄腕が生きてたのか」

「俺も腕が鳴るぜぇ!」

 と、口々に言い合っているのは先ほどの曲技飛行士の連中だ。それ以外の連中も、感嘆の眼差しと言葉を、惜しげも無く空の上で繰り広げられる鮮やかな輪舞に注いでいた。

「たいしたもんだ。あんな名人がまだ残っているんならラジアネスもまだまだやれるな」

「ああ! 俺も早くああいうふうになりたいぜ」

「あいつのどこが上手いんだよ……」

 突然の一言に、周囲が凍った。全員の視線が言葉の主を探ろうとして交錯した。やがて全員の視線が一人の若者――――カズマを捉えたとき、起こったのは再び嘲弄の声だった。

「気は確かかい? 坊や」

「よほど腕に自身がおありのようだな、漫画の読み過ぎと違うかね?」

「ど素人に何が判るってんだ」

「下手だといったら下手なんだよ」

 カズマは言い返した。その態度に何人かが血相を書いて詰め寄った。

「何だお前その態度は、ああ!?」

「お前こそなんだ!」

 カズマが言い返そうとしたとき、誰かが叫んだ。

「基地だ! 基地に着いたぞ」

 疾走から減速の体感が、荷台の志願者たちにトラックが基地の敷地内に入ったことを悟らせる。それが皆の敵意をカズマから逸らす効果をもたらすこととなった。志願者たちの人生の旅は新たな段階に差し掛かり、全員がまた我先に外を覗き込むようにした。外に広がる光景が、トラックからそれを目にした者から中にいる者の聴覚に広がっていく。

「憲兵がいるぜ」

「車に機関銃を積んでやがる……」

「まるで俺ら囚人扱いだな」

 彼らの言うことはもっともだった。走り続けるトラックの後尾から過ぎ去っていく基地の全容を臨めば、基地の交通路に沿って、腰に拳銃と警棒とを提げた軽武装の憲兵が並んでいた。さらに眼を凝らすと、敷地の所々には土嚢を積んだ対空機関銃の銃座が、黒光りとともに天を睨んでいた。しかし別の意味では、艦隊が実質的に壊滅状態にある現在では、本来後方に区分されるこの基地ももはや安住の地ではないという現実を、志願者達に知らしめるのに十分であったのかもしれなかった。

 そのとき、誰かが奇声を上げた。

「おい見ろ、女がいるぜ!」

「ほんとだ、女性兵士(ウェーブ)だ!」

 トラックの全員が色めき立つのを、カズマは感じた。

「ウェーブ……? ウェーブって何だよ?」

 カズマは隣の青年に聞いた。そのとき、カズマの目が外の光景を捉えた。

 先に停止したトラックに歩み寄る軍服の女性の一群を、カズマは認めた。

『女の兵隊がいるのか……』

 カズマはふと、そう思った……純粋な感想として。


「はーい、降りてくださーい」

 トラックを降り、モック‐アルベシオ艦隊航空隊基地に第一歩を記した志願者達を待っていたのは、「誘導員」の腕章を付けた女性兵士達のメゾソプラノだった。志願者の中には、彼女達の誘導に気を引かれるよりも、スカイブルーの上着に蝶ネクタイを着け、後方勤務要員用のスカートを着用した彼女らのスタイルの良さに目を引かれた者の方が多かったかもしれない。彼女達は洗練された外見に劣らず、志願者達の想像もつかないほどきびきびと活動し、基地に一歩を踏み出したばかりで右も左も知らない男どもを手際よく誘導していった。これまでの軍隊生活で、一度として見たことのない「女性の兵士」というものに、カズマは号令に応じつつ見惚れた。


「二列に並んでー、整列してくださーい」

 カズマの組の担当は、中尉の階級章を付けた金髪、青い眼の女性だった。控えめな微笑を振りまきながら志願者達を整列させる手際の鮮やかさに、カズマは純粋な敬意を覚えた。

「あなた達の班を担当する。ハーミス中尉です。これからしばらくの間、よろしくお願いします」

 暖かい木漏れ日を思わせる明るい声で、女性士官は自己紹介した。そのあとにちらりと漏れた微笑に心を動かされなかった男は、少なくともこの列の中には皆無であったかも知れない。

そのとき、曲技飛行士連中の一人が言った。

「オウ、お姉ちゃん、電話番号教えてくれねえか?」

「え……!?」

「判ってねえなあ、基礎訓練が終わったら、遊びに行かないかって事だぜ」

 そのあとに続く下品な笑いに、彼女は明らかに動じた様子だった。彼女が返す言葉に詰まったのは誰の眼にも明らかだった。

「いや……それは……あのー……」

「どうなんだよ? 姉ちゃん」

 彼女本人の意思は別として、これは脈ありと中尉に詰め寄る男達を、カズマは怒鳴りつけた。

「お前らいい加減にしろ! 嫌がってるだろ!」

「るせぇ! ガキは黙ってろ!」

「てめえさっきから何のつもりだ!?」

 血相を欠いた男達が、カズマを取り囲むようにした。彼らの眼に、明らかな敵意のぎらつきをカズマは見た。だが不思議と怖いとは思わない。ただし芯から血を灼く感情の高ぶりを、カズマは平静を装う内心に抱きつつある。それを相手に対してどうぶつけてよいかも、カズマは心得ていた。

 こいつらは……大したことない。

「ちょっと、やめましょうよ……!」

「…………?」

 隣席の青年が両者に割って入るようにした。その反面、彼の顔は明らかに怯えていた。

「ここは軍隊だ、女を漁るところじゃねえ。女漁りなら他所でやれよ……!」

「このチビ! ガキだと遠慮すりゃあいい気になりやがって!」

 男が殴りかかった。カズマは男を睨みつける。振り上げられた男の拳が、カズマの頬を捉えようとしたそのとき――

「…………!?」


 男の体が、後ろ襟からいきなり宙に浮く。その次の瞬間には、男は頭からはるか後方に弾き飛ばされていた。おそらく本人には自分の身に何が起こったのか判らなかったに違いない。そして、カズマを含めその場に居合わせた全員にも男の身に何が起きたのか判らなかった。それ程男を投げ飛ばした力の発露は一瞬で、そして力は凄まじい。

「でっけー……」

 目の前に立ちはだかる長身の軍服をカズマは見上げた。おそらく自分より頭三つ分の余裕はある背の高さであろう。カズマにはそう思われた……そして片方で男を跳ね飛ばした太い腕、カズマの眼前に突き出た巨大な胸の膨らみと、意志の強さを円らな茶色の瞳に替わって代弁するかのようにギラつく丸眼鏡……カーキ色の軍服に覆われた胸の膨らみと腰の括れ具合は、引率の女性士官に勝るとも劣らないぐらいに見応えがあった。しかし、見上げるカズマの眼と、眼鏡越しに見下ろす彼女の茶色の瞳が交錯したとき、さすがにカズマは絶句する。

「…………」

 感情の籠らない、じっとりとした光を湛えたその眼に、カズマは一種の狂気を見た――あの太平洋上の戦いで、愛機と共に敵の大編隊に斬り込んでいく時にも似た――いや違う。未だ物心付くか付かぬかの頃、母と共に身を寄せた帝都東京は上野、そこに広がっていた貧民窟の住人に特有の、暴力に馴れ世の中の闇を達観したかのような空虚な光だ……ある意味で懐かしさを感じ、それに我を奪われたカズマの眼と、それを訝しがる女性士官の眼が再び合い、士官はそれを露骨に疎む様な顔をした。

「ど、どうも……」

「はやく列に戻れ。このスカポンタン」

 呆然としながらも、カズマは艦隊のそれとは明らかに違う彼女の制服と徽章を見逃していなかった。艦隊のブルーの抑制された威厳とはまた趣の異なる、カーキ色の威圧感漂わせる軍服、大鷲をかたどった航空隊のそれと大きく異なる交差した長剣をかたどった徽章――後でわかったが、それらは空兵隊……つまり、陸戦部隊所属を表す徽章だった。その大柄の女性はカズマに目もくれず後ろを振り向くと、騒ぎに気付いて駆けつけた憲兵を大声で怒鳴りつけた。

「てめえ等何やってんだ! この役立たずどもがぁっ!!」

「申し訳ありません、少尉殿」

「ごめんねマリノ、助かったわ」

 衛兵が低頭し、ハーミス中尉がその場をとりなすように話しかけた。マリノと呼ばれた少尉は再びカズマたちの列の方を向くと、押し殺したような声で言った。

「あんた達、今度さっきみたいな馬鹿やったらただじゃすまないからね……!」

 声は大きく無かったが、正対する隊列全体に響く明瞭さがあった。同時に右から左へ一巡した冷たい眼光が一同を撫でた。端正な、だが険しめの容貌と引き締まった長身が放つ圧倒的な威圧感に周囲の男どもが気圧される中、列に戻りただ一人泰然としているカズマと彼女の視線が再び交錯し、合わさる。

「…………?」

「フゥ……」

 列に戻りつつ、カズマは考える……今日の昼は、何が食えるのかな?……と。



 ――その日の昼、モック‐アルベシオ基地を構成する敷地内に三区画存在する士官食堂のうち一区画は、新年を迎える直前にも似た異常な盛り上がりを見せていた。

 周囲にいくつもの中小の都市を抱えるこの基地は、やがて進空し、進編政府軍航空艦隊の一翼を担う新型空母に搭載する新しい飛行隊の編成基地としての役割とともに、選抜試験を行い、その結果ある程度まで絞り込まれた一般からの志願者を第一線の航空要員として教育し前線へ送り出す練成基地としての役割も負っていた。それらの訓練を修了した要員を乗せて初めて、新型空母は今度新しく編成される艦隊の主力として実戦配備に就く。この方式には、いわば損失の穴埋めという側面が色濃く残されていた。その損失の大本とは、やはり「アレディカ戦役」である。


 「アレディカ戦役」における敗北はまた、政府軍艦隊航空隊に限って言えば、従来の戦力養成システムの崩壊を意味していた。要するに、艦艇の乗員やパイロットの損失に補充が追いつかない。特に、元来少数精鋭主義を採ってきたパイロットの、従来の教育カリキュラムでは戦力の早急な補充が出来ないばかりか戦線の拡大に対処ができなかった。従って、ラジアネス連邦国防省(USLDM)はパイロットの養成システムに関し一八〇度の大転換を余儀なくされた。少数精鋭主義から大量養成方式への転換である。

 民間のパイロットを徴収し、軍のパイロットとして教育を施す。当初この方針のみ提示されたのは当然のこととして、やがて具体策として民間人の志願者に一から操縦教育を施すという方針まで提示されるにいたっては、これ以上の門戸開放は艦隊航空隊の質を落とすとする反対派と、急速な戦力回復を推進する賛成派との間で相当の激論が交わされたが、結局両案とも採用され、各地の教育航空隊で実行されるに至ったのであった。


『こりゃ疲れるわぁ……』

 会話の絶えない配膳に並ぶ列の中で、マヌエラ‐シュナ‐ハーミス中尉は列の入口から空っぽの(トレイ)を取りつつ肩を叩いた。これほど疲れたのは、初めて艦隊士官学校(アカデミー)の門を潜って迎えた「囚人兵舎」――正式名称 入学準備訓練期間――初日以来かもしれない。しかし疲れにも心地よいそれとそうでないそれがある。今マヌエラが感じているのは後者の方だった。


 それにしても――マヌエラは苦笑を禁じえない。一体全体うちはどうしてあんな連中を抱え込むことになったのだろうか? あの連中は最悪だ。デリカシーというものがまるでない。電話番号を聞いてきたり、いきなり喧嘩をしてみたりと、少なくともここでは考えられないことを平気でする。少なくとも愛国心や義務感で軍に志願してきたとは、到底思えない。他の班を担当した同僚に聞いてみても似たり寄ったりの話が返ってくるのだから、総じてそういう連中なのだろう。

 サラダ類など、出来るだけ腹に溜まらないものばかりを選り分けて席に着いたとき、自分が先程いた配膳区画にある人影を認めて、マヌエラは微笑んだ。

「スクランブルエッグ大盛りね」

 のっそりと配膳員の前に立ちはだかった長身の女性に、屈強な体躯の配膳員ですら圧倒されるのが一見して判った。弾んだ口調が、マヌエラには彼女が先刻あれ程男どもを怯ませた眼光の持主とは思えない程だ。青みがかった黒髪の、天辺で束ねられた部分は金色に染まり、長身の上に聳える形のいい頭に鮮やかなコントラストを生み出している。たとえ美形であっても男どもが彼女に気を惹かれない、あるいは気を惹かれるのを躊躇うのは、女性らしい「おしとやか」さに乏しい過度なまでの長身と、生来の陽気さと苛烈さとの入り混じった性格のためであろう。

 やがて彼女が大盛りのトレイを抱えて配膳区画から戻ってきたとき、マヌエラは手を上げて彼女を呼んだ。

「マリノ、こっち!」

 マヌエラの手招きに気付いた彼女――マリノ‐カート‐マディステール少尉は、席に着くのをやめ、そのまま一直線にマヌエラの席へ向かって来た。歩幅が広く、しかも早足のせいで瞬間移動という単語すらマヌエラに連想させた。

「マヌエラ、いたんだ」

「聞いたわよ、また志願者を殴り倒したって……」

 マリノは微笑んだ。微笑というよりは、勝ち誇った者特有の嫌味な笑いに近かった。

「ここに来る奴は馬鹿ばっかり……馬鹿は殴らなきゃわかんないからね」

 そう言って、マリノは肩をすくめた。微笑から漏れる白い歯が、健康的な美しさを感じさせた。

「とはいっても彼らまだ正規の兵士じゃないんだから、お手柔らかにね?」

「本当はもっとやれと思ってるくせに……」

 マリノの言葉に、マヌエラは舌を出して見せた。マリノからすれば、このアカデミーの先輩の考えていることぐらい、すぐにわかる。

 艦隊士官学校(アカデミー)を卒業して以来、一期先輩のマヌエラは艦隊に、後輩のマリノは空兵隊へと違う進路を歩んだ。さらに言えばマヌエラは後方勤務、マリノは航空機整備と、兵科も違う。そして二人は新編成の飛行隊編成にあたって、共に教育要員としてここモック‐アルベシオ基地へと配属されて来た。異動という意味では、彼女たち自身も予期せぬ早期の合流であった。

 さりげなく、マヌエラは話題を転じた。

「どう? 今日入ってきた連中の中に有望株はいる?」

「あんな馬鹿どもから見つけ出すこと自体、まず不可能よ。ゼロならまだしもあいつらは数としてはマイナスなんだから……」

「どういうこと?」

「いくら足したところで、お荷物にしかならない」

 辛辣さに磨きが掛かっている――しかし彼女の言い草が一面では真理を突いていることを、マヌエラは認めざるを得ない。

「でも、あなた教育係でしょう?」

「うん、だから基礎訓練で徹底的にしごいてやるだけ。反吐が出るまで、ね」

 マリノは笑った。はにかみがちな笑みだが、十分な根拠に裏打ちされた笑顔だとマヌエラは思う。

「あんたの体力は尋常じゃないからねぇ……連中が付いて来られるかどうか」

「いまどきのオトコ共がだらしないだけよ。だからレムリアンなんかに負けるのよ」

 そう言って、マリノはフォークに絡ませたパスタの山を一息で口に詰め込んだ。口をもぐもぐさせ詰め込んだパスタに頬を膨らませる顔が、どことなく愛らしい。マヌエラはマリノのそんなところが好きだった。

「基礎訓練か……そういえばアカデミーの地上練成訓練はきつかったなあ」

「ああ、『地獄週間』でしょう? 入校一年目の」パスタを飲み込んで、マリノは続けた。

「あれに比べれば、これからやる基礎訓練なんて小学校の体育とおんなじよ。もっとも、『地獄週間』より空兵隊の『新兵歓迎行軍』の方がはるかに地獄だけど、ね」

「あ、知ってる。死人まで出たって話でしょ?」

「あたしなんか、あの時バズーカ持たされたのよ」

「『地獄週間』のときも重機関銃担いで走ってたものね。マリノは」

 思い出したように、マヌエラは笑った。

「そうそう、マリノはちゃんと学科試験の勉強してる?」

「してるよ……そういや試験日まであと一月切ってるね」

「採用試験だけど、士官は学科じゃなくて適性検査重視で採るみたいよ? むしろ士官限定で学科を無くそうという話まであるし……あれ程間口を広くしておいても上層部(うえ)はやっぱり身内から採りたいみたい。私の周り、そういう話ばっかり聞こえてくるから……」

「ふぅーん……」

「……だからマリノも頑張ってね。パイロット訓練生採用試験」

「うん……」

 片眼を瞑り、マヌエラは微笑んで見せた。満更でもないという表情を浮かべつつ、マリノは気恥ずかしそうに食堂の外を何気なく見遣る。それが自信の裏返しであることは、当のマヌエラが最も知っていた。




 カズマ達入隊志願者の場合、昼食には弁当が出た。

「すげえうんめえ、艦隊にいやあ毎日こんなもんが食えるんだぜ」

 昼食用に開放された兵舎で誰かが、言った。午前中一杯を使いつい先刻まで行われていた筆記試験。そして現在行われているであろう書類審査のことを気にしている者は、そうでない者と半々の割合であるように思われた。カズマは、どちらかといえば「気にしない」ほうだ。

「ツルギ君、僕らは受かるんだろうか……」

 トラックで一緒だった細身の青年が話しかけてきた。彼は彼でカズマ以上に緊張の色を隠せないようだ。

「判らないな……おれ、冷やかしで受けてみたようなもんだから」

「…………?」

 唖然とする青年。だがカズマは嘘を付いた。態度では無関心さを装ったところで、カズマの内心は未だに烈しく揺れている。


 発端は先月、入手した補修部品を手に赴いた山間部の「隠れ家」だった。バイクを使い山道を百メートルも進まない内に、事態の急変は検問のために佇む重武装のラジアネス軍兵士の姿となってカズマの眼前に突き付けられる形となった。そして本来カズマが赴く筈だった山間の、既に使用されなくなっていたレジャー用の飛行場に接する洞窟から所属不明の航空機が発見され、それが政府軍の基地まで運び去られたという内容の夕刊記事に接したとき、カズマは前後を見失う程に愕然とした。眼前が真っ暗になるとは、まさにこの時の様な状況のことなのだろう……結果として現在、カズマは新隊員志願者としてその「基地」――モック‐アルベジオにいる。


「…………」

 青年に作り笑いをして他所に眼を転じる。今や入隊志願者が各々の未来設計図を将来の戦友に語る場と化した仮設食堂の席の一隅、先ほどの曲技飛行士達の姿も見えた。しかし一様に元気がなく、苦々しげな顔で何やらひそひそ話をしている。おそらく到着したときの一件が相当応えたのだろう。聞けば、そのとき彼らを投げ飛ばした女性士官はその後でも他の班の二人をぶん殴って医務室送りにしたそうだ……


 俯き気味の青年に、カズマは言った。

「なあイホーク、飛行機を見に行かないか?」

「あ、いいですねえ」

 イホーク‐エイクという名のその青年は、はにかんだような笑みで、カズマの誘いに応じた。仮設食堂を出てまる十分も歩けばやがてだだっ広い飛行場が目の前に広がってくる。やってきた二人との間を、警備兵つきのフェンスが飛行場の端が辛うじて見通せる向こうまで仕切っていた――恐らくこれを乗り越えなければ、自分は望むものの傍に近寄ることすら出来ないのだろうとカズマは思う。

「ツルギ君、あれ、タマゴですよ」

 弾んだ声でイホークが指差した先に、基地に入る前に見た、例のずんぐりとした戦闘機が列線をしいて翼を休めていた。カズマの祖国ならば存在はおろか生まれることすら許されないであろうずんぐりとした太い胴体の、有体に言えば「醜い」複葉機。地面に接してその胴を支える脚の形状から、脚が引き込み式であることはカズマには判った。差し詰め空飛ぶビア樽。しかし……

「タマゴ……」

 思わずカズマは呟いた。初めて飛行機に接する少年のような、胸を打つような高揚感とは彼はすでに無縁だった。ただ、フェンスをつかむ指に、無性に力が入るのを禁じえなかった。「タマゴ」には一目で嫌な印象しか抱いていない筈だが、そのタマゴも連なる戦闘機という機種に、カズマはこの世界に来てから久しく感じていなかった羨望を掻き立てられた。


『乗りてぇ……』


 その想いはまるで一度剣を棄てた剣士が、戦いを求めて再び剣を取らんとするのを強く望む心境に似ていた。そう、戦闘機とは、戦闘機乗りにとって大空の戦場を駆けるのに必要な「剣」なのだ。そして剣は、彼らの戦場では速いほど、そして強いほど、それに我が身を託すだけの価値がある。カズマにとっての「剣」は、今彼が握っている金網のフェンスを隔てた遥か先、そこの何処かに在る。


「なあ、おれ達戦闘機乗りになったらあれを操縦するんだろ……?」

 呟くように、自分自身に問いかけるように、カズマは言った。

「違いますよ。あんな旧型機ではレムリアの戦闘機に勝てません。今の艦隊の主力戦闘機はジーファイターですけど、あれでもレムリアの新鋭機に勝てるかどうか……」

「そうなの?」

 口調からして、イホークは飛行機に相当詳しいようだった。

「ツルギ君、レムリア軍は強いんですよ。アレディカ戦役のことを知っているでしょう? レムリア軍は、飛行機の性能、パイロットの技量では我々よりはるかに優秀なんです。レムリア軍には政府軍の戦闘機や軍艦を何十機何百機も撃墜した撃墜王(エース)がたくさんいるみたいですよ」

「エース?……強いのか?」

「ツルギ君、『死兆星』を知っていますか?」

「死兆星?……知らない」

「政府軍のパイロットなら、彼の名を聞けば大抵は震え上がります。『レムリアの死兆星』タイン‐ドレッドソン……彼は今までに五〇機以上の政府軍戦闘機を撃墜したそうです。彼はそれまでの功績により専用の新型戦闘機を与えられたって話を新聞で読んだことがあります。彼以外にも、『狂仮面のキャラトレン』や『黒狼三人衆』とか……レムリア軍には名だたる勇士がいっぱいいるんですよ」

「要するに……政府軍が弱っちいだけじゃん」

 あまりに痛烈、かつ的確な一言に、イホークは眼をぱちくりさせてカズマを見つめた。周りに軍の人間がいなかっただけでも、めっけものだったかもしれない。

「めったなことは言わないほうがいいよ。ツルギ君」

「でも、本当のことだろ?」

 カズマは平然と答え、じっと滑走路の向こう側を眺めている。

その視線の先には、相変わらず例の複葉機の列線が滑走路の向こうまで続いていた。涼風に煽られる吹流しの方向は、奇しくも飛行場を形成する最も長大な主滑走路に沿っていた。やがて、どこからともなく聞こえてくるサイレンが辺りを圧し始める。もうすぐ適性検査の時間だ……カズマとイホークは互いに顔を見合わせ、仮設食堂へと歩き出した。


 午後から始まった適性検査とは、いわば身体検査のことである。それでも視力、聴力、心肺能力に膂力など、特に機上勤務者を選別することに重点が置かれていたのは、時勢のなせる業だろうか?

 内容は型どおりの身体検査と体力検査……予科練の「重箱の隅をつつくような」適性検査を経験したカズマにとって、この基地で行われた検査は大して困難さを感じさせるものではなかった……ただ一つ、「身長」を除いては――思えば予科練受験のときも、これで苦しんだっけ……

「ま、いいや。後も詰まっていることだし……」

 それでも、軍医官は通してくれた。カズマを一目見るなりこう言った医官もいた。

「坊や、年は幾つだい? 年齢をごまかして来たんじゃないだろうな?」

 言われるなり、カズマは表情を曇らせたものだ。この世界での生活のため、造船所の工員募集に応じて面接を受けた時も同じ事を言われたっけ――おれはどうも、この世界では実年齢より四、五年程若く見られるようだ――カズマは内心で苦笑する。最後の面接に並ぶ列で、別の列に並ぶイホークと眼が合った。一目カズマを認めるなり、イホークは苦笑しながら頭を振った。あまり自信なさそうだ。


 最終面接の担当官は、中年のでっぷり太った少佐だった。分厚い丸眼鏡の奥に、生気のない眼がじっとカズマを見据えている。椅子に腰掛けたカズマを尻目に、用意された書類を一通り眺めると彼はゆっくりと口を開いた。

「適性検査の成績は、いいね君……筆記の方はまずまずだけど」

「どうも……」

「志望は地上警備要員だったね……」

「はい」

「勤務に関し希望はあるかね?」

「出来れば此処で働きたいと思っています。好きな街ですし……」

 担当官は頷いた。表情からして、よくある回答なのかとカズマは推測する。「航空機の操縦経験はあるのかな?」

「はい、少しは……」

「それならどうだね。実戦部隊を希望しては? 待遇はずっと良くなるが……」

「操縦経験と言っても、子供の頃に農業組合の種蒔き機に同乗して操縦桿を触らせてもらったぐらいなので……正直自信はないですね」

 わざとらしく表情を顰め、予め用意していた想定問答を棒読み気味にカズマは言った。

「ふむ……」

 面接官は、腕を組んでじっとカズマを見つめた。同時に、むき出しになった太い腹がやけに目立った。

「……わかった。もう帰っていいよ。結果は明日にでも知らせるから」

 そんな感じで、面接は推移した。



 面接を終わり、カズマが外に出ると、先にすべての課程を終えていたイホークが地面に座り込んでうなだれていた。その様子は……カズマでなくとも声をかけるのを躊躇うほどの落ち込みようを沈黙の内に示していた。

「やあ……イホーク」

 カズマがかけた声に、イホークはゆっくりと頭を上げた。眼が、心なしか腫れているように見えた。

 カズマを見るなり、イホークは言った。

「ツルギ君、僕はもう駄目だよ……」

「イホーク……」

「僕、パイロットになれないのかなあ……」

「イホーク、こんなところで挫けていちゃ駄目だ。宿舎に戻ろう」

 ぐずるイホークの手を執って、遠距離受験者用の宿舎へ行くよう促すカズマの眼に、訓練に発進する二機編隊のタマゴ戦闘機の姿が飛び込んできた。気が付けば、夕日の投げかける赤いヴェールが、先ほどまで碧々としていた空を緩慢に侵食しようとしている。タマゴの軽快なエンジン音が、紅い空の向こうに吸い込まれていく。

「…………?」

 生暖かい風が、カズマの頬を撫で、傍を通り抜けて行ったのは、そのときだった。それが西から吹いてくる風であるのにカズマが気付くのに、数秒の時間が必要だった。

 ごく自然に、眼が風上のほうへ向いた。そのはるか向こうの、朱に染まりつつある空が不吉な色をしているのは、気のせいだろうか……?

 

 ――モック‐アルベシオ基地からはるか北西に位置する浮遊島の一つ、コーラム島。


 戦況の悪化に伴い、半年前からこの島に上陸し守備の任に当たっていた第32空兵連隊に撤退命令が下りたのは、カズマが基地に降り立つ二週間前のことであった。中央政府軍 航空艦隊司令部は撤退支援のために巡洋艦二隻、駆逐艦七隻からなる戦隊を出撃させ、それはやがてコーラム島を包囲するレムリア軍との間に、凄惨な激突を引き起こすことになる。


 ――世に言う、「第一次コーラム島沖会戦」の生起である。




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