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第九章  「リューディーランド」

「ヴィガズが還って来てない?」

 ジャグル‐ミトラを勝利の余韻とともにダルファロスへ滑り込ませたとき、困惑した部下から聞かされた一言に、タイン‐ドレッドソンの形のよい眉が歪んだ。

「どういうことだ?」

 戦闘を終えて集合したときに、彼の姿が見えないことはわかっていた。だが、てっきり先に帰還していたものとばかり思い込んでいた。損傷したり、故障したりで戦闘中に離脱を余儀なくされるのはよくあることだ。


 ――だが、この日は違った。

「こいつらが、少尉が墜ちるところを見たと」

 レラン‐グーナ中尉に促されて進み出たのは、攻撃機に搭乗し、攻撃に参加していた一組のペアであった。二人ともまだ少年の面影を残した若い空戦士だ。

「本当か?」

 集まってきた歴戦の勇士に囲まれ、睨み付けられて竦み上がる二人。下手な発言を許さない雰囲気に抗するかのように、その一人がおずおずと口を開いた。

「左エンジンから火を噴いて墜ちていくところを見ました。遠くからだったけど……間違いありません」

「撃墜した奴を見たか?」

 ロインの問に、二人は無言で首を振った。

「場所は?」

「ポート‐カステルから七空浬離れた地点です」

「……としたら、港の対空砲に撃墜されたんじゃねえのか」

 グーナが、苦々しげに首を振った。

「こんなつまらん戦いで、地上人(ガリフ)の豆鉄砲なんぞに撃墜(おと)されやがって……!」

 背を向けたまま、黙って彼らの遣り取りを聞いていたタインが、口を開いた。

「あいつが空戦で地上人(ガリフ)なんぞに撃墜(おと)されるかよ」

 踵を返し、タインは歩き出した。無言ではあったが、その広く、引き締まった背中が沈黙の内に悲しみと不快感を主張している……


「それにしても、今日は厄日だぜ」と、その様子を見送りながらタクロ‐ロイン中尉がはき捨てる。


 確かに、今日はおかしな戦いだった。こちらは港湾施設と停泊する船舶の大半を破壊。空戦でも十二機を撃墜したが、未帰還機は戦闘機隊だけでもヴィガズを入れて九機。補足すれば帰還時にも特に被弾の激しかった二機のゼーベ‐ラナが着艦に失敗し失われている。

 このようなことはかつて無かった。これまでの未帰還機の平均が一~二機。最悪の場合でも三機であったものが、今日の場合は何故か突出して多かった。戦況を空戦に限定するだけでも、もう少しで地上人の艦載機を殲滅できたところを、不意に出現した敵の新手により、数も少なく、燃料と弾薬を使い果たした戦闘機隊としては引き上げを決め込むしかなかった程だ。戦果は上げたが、振り返って見るにそれは十分なものではなかった。

 敵の抵抗が烈しかったのか?……否、それはない。少数の防御砲火と連携を欠いた迎撃戦闘で、こちらにこれほどの出血を強いることなど無理というものだろう。


「どうなってやがる……!」

 空戦士達の困惑を他所に、作戦は進行している。タインたちが帰還するのと入れ替わるようにダルファロスをはじめ各艦を発進した攻撃隊は、割り当てられた空域で制空、攻撃など多様な任務に駆り出されていた。その中でもポート‐カステルに出現したラジアネス軍の大編隊は、ダルファロスの幹部たちをして、その根拠地たる航空母艦の存在を、単なる戦略目標から脅威として意識させたらしく、特に長距離を飛行可能な双発攻撃機による偵察が多用され始めている。勿論、敵空母に先んじた空母の捕捉と、その撃滅を企図したものであった。



 格納庫を出てからも無言のまま、タインは通路を歩いていた。その歩みは普通ではあったが、前を睨みつけるその眼つきは尋常ではなかった。行く先々ですれ違う兵士が、仰け反っては彼に道を空けていく。それぐらいの迫力をタインの容貌は備えていたと言ってもいい。

「……らしくないんじゃありませんか? 少佐殿」

 物陰に佇む人影の存在が、タインの足を止めた。訝しげに振り向いた先で、エドゥアン‐ソイリングが腕を組んで内壁に凭れ掛り、タインを伺っている。

「……悪いが、子供の相手をしたい気分じゃないんだ」

 エドゥアンの顔が、若々しい怒りに歪んだ。

「戦友が死ぬのは、兵隊として日常のことでしょう?」

「お前にとって、戦友というのはその程度の存在か?」

 タインは、エドゥアンを睨んだ。エドゥアンは気を取り直したかのようにせせら笑った。

「あんたは、違うと?」

「つくづく……可哀相な奴だ。長年軍隊にいてその程度の奴にしか出会えなかったとはな」

「…………ッ!」

 身構えるエドゥアンを尻目に、タインは再び歩き出した。エドゥアンは掴みかかろうと一歩を踏み出しかけて、結局は踏み止まる。

「何が戦友だよ」エドゥアンははき捨てた。

「友情も何も……死んでしまったら全部残らないじゃないか……!」

 憎しみに満ちた視線が、遠ざかっていく男の背にいつまでも注がれていた。




 爆撃によって大地に穿たれた穴は、上空から見る限りでは未だ全てが塞がれていなかった。穴を塞ぐために敷かれた鉄板が、上空から見下ろす滑走路の所々をパッチワークの様な矩形の模様で彩っている。連日の銃爆撃によって潰れた飛行場の建物が、天に向って未だ黒い煙を吐き出していた。周囲をうろつく緑色の軍用車両や数多の人影が、戦闘直後の慌しさを上空からも感じさせた。


「ひどいな……」

 こみ上げる衝撃を胸の奥に抱えながら、カズマはカステルの近郊、ヒュイック飛行場にジーファイターを滑り込ませた。着地と同時に鉄板が響く烈しい音がした。主脚の車輪が滑走する合間に空転し、慎重なスロットル裁きを操縦者に要求する。滑走路の端で、機首からつんのめった状態で止まったジーファイターを見出したとき、カズマは改めて気を引き締めた。


 まだ塞ぎきれていない穴を巧妙なブレーキ裁きで避けながら、比較的開けたスペースまでジーファイターを引っ張っていく。戦場となった空域から誘導してきた僚機が全機着陸するのを見届けただけあって、エンジンを止める頃には機内の燃料はほとんど底を尽きかけていた。


 地上からは誰も来なかった。周囲を見回しながら地上に足を踏み入れると、カズマはそのまま指揮所のある方角を探る。それらしきものを見出し、意を決して歩を進めた。ある……とはいってもあると思われる。といった程度で、滑走路を抜け、片脚を折って斜めにへたり込んだ一機のジーファイターの傍を通りかかるとカズマは立ち止まり、悄然として周囲を見回した。ひときわ大きな丘陵の天辺では火災でどす黒く変色し、飴細工のように捻じ曲がった無数の鉄骨が天を向いていた。カズマにはそれが具体的に何かわからなかったが、何か巨大な建造物がそこにあったことは確かだった。


「あ……」

 操縦士達でごった返す一角が眼に留まったのはそのときだ。艦隊の飛行装具を着た一人の士官が、近付いて来るカズマの姿を認めて手を振った。

「おーい、こっちだ」

 背の高い、口元によく整った口髭を蓄えた男だった。少佐の階級章からともに艦隊から出撃した他の飛行隊の隊長クラスであることがわかった。車座になって話し込んでいたパイロット達が、一斉にカズマに注目した。

 少佐が言った。「君の所属は?」

「187飛行隊です」

「そうか、バートランドさんの隊か。それにしても、誘導ご苦労だった。僕は184飛行隊のフィルバーストだ。」

 何処かで聞いた名だな――記憶の糸を手繰る暇すら与えないかのように、フィルバースト少佐はカズマに握手を求めてきた。それに応じながらカズマは言った。

「あのう……燃料の補給をお願いしたいのですが……」

「燃料?」

「母艦に還らないといけないので……」

 途端に少佐は、長い顔に似合わない角ばった顎を擦りながら渋い顔をした。悪いことを言ったかな? と思う。

「見たところ君の機は大丈夫のようだが、我々には還れるような機はほとんど残っていない。それに此処の補給担当者が何処にいるのか僕にもわからなくてね、こうやって権限のある誰かが来るのを待っているところさ」

「そうですか……」

 俯くカズマに、少佐は胸のポケットから葉巻を取り出し、薦めた。

「やるかね?」

「いえ……結構です」

「まあ……楽にしたまえ」

 少佐はカズマは座る様に勧め、気が抜けたように座り込んだカズマに、先程から様子を伺っていたパイロット達が話しかけてきた。

「お前、レムリアンを結構撃墜(おと)したろ」

「…………」

 カズマは、頭を掻いた。自分としては、当然のことをしたまでなのに――

「謙遜するな。見ていたぞ。お前いい腕だな。あの距離から命中させるなんて」

 カズマを取り巻く操縦士の数は、増えていた。

「ああっ俺も見た。俺は三機までは数えてたが、大したもんだ。訓練でもあそこまで見事にはいかない」

「何処で操縦を習った。どうすればあそこまで上手くなれる?」

 返答に窮したカズマが黙り込んだとき、荷台に幌を被せた軍用トラックがディーゼル音もけたたましく傍へ乗り付けてきた。トラックから飛び降りた兵士が、少佐に敬礼した。

「宿舎へご案内いたしますので。どうぞお乗りください。」

「機体はどうする?」

「飛べる見込みの無いものを除いて我々が全て安全な場所へ移動させます。ご安心ください。負傷者は街へ後送します」

「そうか……」

 少佐は、カズマを見やった。少佐の目が「一緒に行こう」と促しているのにカズマは気付いた。まるで荷物か何かの様にトラックの荷台に詰め込まれ、暫く滑走路の横を走らせた先、滑走路から離れた森の中に、操縦士の宿舎はあった。

「まだ生き残ってたのか……」

 舗装の悪い道をトラックの荷台に揺られていく途中。森の中に溶け込むように巧みに艤装されたADFの戦闘機の姿を眼にして、誰かが感嘆の声を漏らした。漸く移動の始まった艦隊の戦闘機に先んじ、ADFの戦闘機は各所に分散して配置され、慎重に温存されているようであった。



 森の生い茂る入り組んだ道から開けた兵員用の巨大なテントの立ち並ぶ傍で、トラックが止まった。テントの傍らでベンチに腰掛け、小銃を磨いていた男が、頭を上げてこちらを見つめていた。こめかみ付近に残る太い縫い痕が痛々しい。

 先に荷台から飛び降り、男の階級章に気付いたフィルバーストが、男に敬礼した。

「001任務部隊所属。第184飛行隊長のフィルバースト少佐であります」

ベンチから腰を上げるそぶりも見せず、男は軽く会釈する。

「ヒュイック基地所属。第047追撃飛行隊のディクスン中佐だ。歓迎するよ」

「大変な、目に遭われたようですな」

「ああ、お互いにな」

 ディクスン中佐は小銃を立て掛け、天を仰いだ。

「こう見えても、俺は病み上がりでね。二日前に街の病院から出てきたばかりさ」

「心労、お察しします。戦況の方はどうでしょうか?」

 中佐は頭を掻きむしって俯くようにした。

「よくないな……飛行場の様子を見ただろう? 絶望的だよ。俺の部下も半分以上死んだ。生きてる奴もまだ病院のベッドの上だ。それに……今ここでピンピンしている飛行隊長は俺ぐらいなもんだな」

「あのう……ほかの隊員は?」

 直後、森を隔てた向こう側から乾いた銃声がした。それも複数。何かの泣き叫ぶ声。男たちの歓声……数刻をおいて、草むらを掻き分けるようにフライトジャケット姿の男たちが満面の笑みを浮かべて戻ってきた。その手には例外なく小銃やサブマシンガンが握られている。おそらく基地の警備部隊から拝借してきたものなのだろう。

「隊長っ、大猟ですよっ!」

 隊員の一人が、丸々と太った野鳥を高く掲げて見せた。数羽の野鳥を肩にぶら提げている者。野豚を引き摺ってくる者。兎を手に掴んでいる者……皆ADF航空部隊の生き残りの面々だと、新参の搭乗員には容易に察せられた。

「…………」呆然とする艦隊の面々に、中佐は笑い掛ける。

「もちろん、泊まってくだろ? 艦隊さん」

 



 日はすっかり、しかし悄然としてリューディーランドの広大な丘陵の彼方にその紅い躯を埋めていた。

 テントの外で焚き火を囲み、捕ってきたばかりの新鮮な動物を捌いたグリルと缶ビール。そしてバーボンの組み合わせは、末席のカズマならずとも魅力的な夕食に思えた。たとえそれをどんなところで食そうとも、だ。

 特にビールの缶詰、というものをカズマは生まれて初めて見た。缶を開ける方法は他の缶詰と同じ、だが中に入っているのはれっきとしたビールであることが、カズマを驚かせた。ただし、下戸であったカズマが、それをちびりちびりと呑み切るのに、優に一時間ばかりを要したものだが……飲むのをそっちのけで、パッケージの絵をまじまじと見つめるカズマに、ディクスン中佐は既に三本目の缶ビールを手にして言った。

「どうした若いの、缶に裸の女の絵でも描いてあるのか?」

 グリルと焚火を囲み、車座になった一同がどっと笑う。羞恥で頬を赤らめ、カズマは言い返す。

「いいえ……自分の田舎では見たことが無かったもので」

「こいつは新製品でな。去年に工場がリューディーランドに出来たばかりなのさ。地元じゃいい働き口ができたって喜んだものだが、その直後にレムリアンが攻めて来た」

「それで、工場はどうなりましたか?」

「稼働はしていないが、未だあるぞ。連中の攻撃目標からは外れているようだ。どうやら連中が盛んに攻撃してくるのはあの工場が目当てらしいなあ。レムリアにも飲兵衛は多いと見える」

 再び皆は笑った。中佐は飲み物をビールからバーボンの瓶に乗り換え、それを傍らのフィルバーストに勧めた。

「基地司令の秘蔵品さ、うちの司令室からくすねて来た」と、ディクソン中佐は教えてくれたものだ。

「基地司令はどうしてます?」

「先日までは指揮所で頑張っていたんだが、君らが来た日早々にレムリアンが爆撃してきてね。それで……」

 中佐は両手を広げ、木っ端微塵になる素振りをして見せた。その後で飛行隊の連中がくすくす笑うのは、その司令がよほど彼らに人望のない人物だったのだろう。

「死んだんですか?」

「いや、病院にいるよ」

「帰ってきたら、さぞや怒るでしょうね」

「レムリアンが吹っ飛ばしたってことにすりゃあ、問題ないさ」

 また一同はどっと笑った。中佐の目が、焚火の環の一角で、先程からずっと酒をそっちのけに野鳥の腿肉に取り掛かっているカズマに注がれた。

「おい、若いの」

「?」面を上げたカズマが、様子を伺うように自分を指さした。

「そう、君だ。ビールはお気に召さないようだな」

 有無を言わさず、中佐はウイスキーの小瓶を放った。両手でそれを受け止めキョトンとするカズマに、中佐は言った。

「レムリアンを六機。やっつけてくれたそうだな」

 無言で、カズマは頷いた。

「勝利祝いだ。一気にやれ」中佐は、微笑みかけた。

「…………」

 恐る恐る蓋を開けた途端、鼻に飛び込んできたモルトの香りに、カズマは思わず咽込んだ。嘲笑にも似た笑いが、場から沸き起こった。

「悪いな坊や。ここにはアップルサイダーは置いてないんだ」

嘲笑は爆笑となって、環を盛り上げた。ムスっとして黙り込むカズマに、中佐は自分の手で野豚の丸焼きから上質の部分を取り分けた。

「これでも食って、機嫌を直してくれ」

「あのう……」

「何かな?」

「ここにはレムリア軍はどれ位の頻度で来ますか?」

「そうだな……司令が吹っ飛ばされたときも入れて今日は朝、昼と二回来たよ。ここにはもう壊すところもないだろうに……連中、ご苦労なこった」

 自嘲にも似た響きを、カズマは聞いた。

「数は……?」

「二十機ぐらいかな……連中、でかい空母(フネ)を持ってるって話だからな。百機は搭載してるらしい」

「空母……?」

「今日……ちょうど君らがポート‐カステルで戦っていた最中にうちの残存部隊が敵艦隊に攻撃をかけたんだが、そのときの生き残りが見たって言ってた。カニかロブスターの化け物みたいなフネだそうだ。あれを叩かない限り、リューディーランドは守れない。もちろん……攻撃隊は壊滅だ。おそらく、掠り傷も負わせられなかったろう」

「…………」

 周囲が押し黙った。先刻の冗談から一転、その顔に暗いものを漂わせて、中佐は続けた。

「多分連中は明日も来る。目標は……街そのものだろう」

「街……!? どうして無防備の場所を……!」フィルバーストが、眼を剥いた。

「地上軍の馬鹿が、街中に高射砲を据え付けやがったのさ……街も軍事施設と見なされても文句は言えんさ……!」

 苦々しさと苛立ちをたっぷりにブレンドして、中佐は吐き捨てた。

「じゃあ、明日は迎撃戦ですね」

「何を言ってるんだ。戦力の温存が上の方針だ。軽々しく空に上がるわけにはいかんさ」

 それを聞いたカズマの瞳の奥で、何かが弾けた――ルウが危ない……!

「そういや、ここのレーダーは壊されてるみたいですが、やはり敵襲で?」と聞いたのはフィルバーストだ。

「そう……その日は厄日でね、迎撃に上がった俺も撃墜されて……このとおりさ。南の港に予備部品を乗せた船が着いたみたいだが、肝心の運ぶ手段が無い。お手上げだね」

 中佐は頭の縫い跡を指差し、言った。

「正直言うと……時々まだズキズキと頭が痛む。この分だと空に上がれるのかどうかもわからん。だが……」

 こみ上げる感情を胸の内に溜め込むかのように黙りこくったところで、中佐は口を開いた。

「やるときはやってやるさ……!」

 日は完全に没し、眩い光を纏った星々がすでに暗くなりかけた空に姿を現し始めていた。大分量の減ったコーヒーのカップを両手で包み込むようにしながら、カズマは夕方の赤と夜の闇の入り混じった空に見とれていた。くべられた薪を糧に一層勢いを増した炎が、若者の頬を朱に照らし出す――こういう雰囲気を、カズマは以前に味わったことがある――




 ――昭和十九年。

 ラバウルから生還し、新たな航空部隊に転勤したカズマはアメリカ軍の一大反攻の矢面に晒されたフィリピンにいた。


 「国軍決戦」と称された防衛戦は苛烈さを増し、フィリピンに展開する防衛部隊を支援すべく展開した連合艦隊は強大なアメリカ艦隊の前に遂に壊滅。陸海軍の航空部隊も、質量ともに圧倒的な米航空軍との戦闘を重ねるうちに次第に消耗し、組織的な抵抗は不可能となっていった。


 消耗の連続は味方に焦燥感を生み、やがて集団を自暴自棄へと導いていった。あの特攻は、耐えるにはあまりにも過酷に過ぎる苦境を打開する。というより苦境からただ逃れたいがための逃避であったのかもしれない――それを命令した側と実際の戦いに身を置いた側双方にとっても。


 日々の戦いを生き残った同僚達と車座になって語り欠かした夜のことを、カズマは忘れない。

 夜を経るに従って減っていき、入れ替わっていく顔ぶれは、激戦の末何処とも知れぬ海空の果てに消えていく戦友の存在を暗示していた。夜が更けるまで取り留めのないことを語り明かした朝、彼らは再び兵士として日々の戦いに身を投じるべく空へ旅立っていったのだった。彼らが夜を語り明かしたのはおそらく、できるだけ起きていることで死が待つ朝を迎えたくないという心理が働いたのかもしれなかった。


 そう……実は誰もが生きていたかった。


 海空の補給路が寸断され、連日の激闘の末ついには乗るべき機を失ったカズマたちに残されていたのは木々の生い茂る山中を彷徨し、歩いていまだ有力な戦力の残されている味方の基地まで辿り着くことだった。戦闘に身を置いていたときと打って変わり、今度は我が物顔で上空を行く敵機の影に怯えながら、山中に潜む抗日ゲリラの影に怯えながら、カズマたちは山中を歩き、夜を語り明かしたのだ。


 だが、体力と飛行機乗りとしての自尊心を消耗し尽くして辿り着いた基地は、数少ない内地との航空便への搭乗を巡って、生きて内地へ帰りたい者達の生存競争の場と化していた。階級と転勤辞令を盾に順番を無視して乗り込む士官連中。数少ない嗜好品で操縦士を買収し残された同僚達を尻目に乗り込んでいく者。すでに生きる望みを失い、今なお戦力を残す部隊や編成途上の特別攻撃隊に身を投じていく者……カズマも希望を捨て、そうした特別攻撃隊に身を投じることになったのだった。


 以後の数日を、カズマは特攻隊の教育係として過ごした。


 そして――数日後。

「――諸君らは、(しこ)の御楯として……」

 基地司令の訓示を、カズマはこれから永遠に帰還することのない隊列の中で聞いていた。

 背後には、爆装した零戦の列線。翼下に吊下げられた爆弾は針金で固定され、敵艦の前で切り離すことはない。隊列の面々は若く、そして拙い。教育課程を出てまだ間もない少年航空兵たち。最年長の指揮官も学徒出で、実戦経験も数えるほどしかなかった。この面々で、どれほどの効果が望めるだろうか?


『――俺や弦城兵曹のようなベテランまで駆り出すようじゃ……日本ももうダメだよ』

 先に特攻に出たラバウル以来の戦友の言葉を、脳裏で反芻したとき、別れの水杯を傾ける手が、震えた。

 こんなときにっ!――沸き起こる怯惰を、カズマは意思の力で押し殺した。効果とか戦果はともあれ、誰かがやらねばならないのだ。という信念が青年を突き動かしていた。


「かかれっ!」号令一下。解散し駆け足で愛機へと駆け寄っていく隊員達――誰もが、事前の打ち合わせで最も経験のあるカズマの言葉を反芻していたはずだ。


『――敵機(グラマン)は自分が引き付けます。敵艦を見つけたらすぐに、できるだけ海面スレスレに降下してください。敵艦のドテッ腹に真直ぐに突っ込むんです……いいですか、決して目標への角度を深く取ってはダメですよ。加速がついて操縦が効かなくなります』


 さようなら……母さん……そしてごめん……

 零戦の足掛けに一歩を踏み出したとき、カズマは内地で待つ母に静かに別れを告げた。他の連中も、機内でそれぞれの愛する人に別れを告げていることだろう。目覚めた発動機の鼓動に震えるコックピットに身を沈めたとき、カズマは袖を捲り腕環を撫でた。その中に空の全てを閉じ込めたような美しい蒼に、カズマは目を細めた。


 腕環よ……

 これが最期の飛行だ。

 どうか自分を敵艦まで導き給え。

 できることなら、欲を言えば――刺し違える相手は空母がいいな。

 青年の目に、一筋の涙が零れる。


 そのとき――

「弦城兵曹っ! 弦城兵曹に用事っ……!」

 駆け寄ってきた地上員に促され、指揮所に戻ったカズマを待っていたものは、発進直前に受信された内地への転勤命令――気が付くと、カズマは土埃の舞う滑走路の隅っこに、呆然と立ち尽くしていた。先程カズマの鼻先を駆け抜けて行った零戦の軽快なエンジン音の余韻が、未だ彼の耳を苛んでいる。


 事情を知らないまま、自分が続くことを信じて空へ飛び上がっていく零戦隊を、放心したカズマは何時までも見送っていた。




 ――次の日。

 簡易ベッドの中で、毛布に包まったままカズマは眼を開いた。再び眠りにつこうと何度も寝返りを打ったが、結局は果たせなかった。

 漸く観念して半身を起こし、周囲を見回す。臨時仮設の天幕の中で、艦隊の操縦士用に割り当てられた簡易ベッドは、所々が空いていた。そうではないベッドでは、操縦士達が未だ泥のように眠りを貪っている。空いているベッドが手付かずのままなのは先に起き出しているのではなく、徹夜でカードをやっていて結局こちらへ戻って来なかっただけなのだろう。


 テントを出ると、カズマはまだ朝靄の漂う山道を歩き飛行場へと向った。山道の散歩は朝の運動にちょうど良かった。山道の中程まで達したとき、巧妙に擬装されたジーファイターの機影が眼に留まった。主翼を折畳まれ、木切れや落ち葉を編み込んだ網を上から被せたそれは、キャノピーを割られ、太い胴体の所々に醜い弾痕を残していた。


 胴体に描かれた「クロイツェル‐ガダラ」の文字と尾翼の識別章、指揮官機を表す白いラインに眼を留めたとき、カズマはポツリと呟いた。

「隊長機……」

 フィルバースト少佐の機であることは確かだった。昨日の戦闘では彼とバートランド隊長を含め四人の飛行隊長が出撃したが、ハンティントン所属の一人が戦死したことを、カズマは既に知らされていた。

 茂みを踏み分けてあちこちへ目を凝らしているうちに、緑と土色の織り成す陰に慣れた眼は、森の各所に埋もれる様にして翼を休めている各機を捉えだした。ジュラルミン地肌にADFの一字を描いた戦闘機や、昨日の傷を痛々しく遺すジーファイターに目を凝らしながら歩くうちに、カズマの足は何時の間にか彼自身の機の前に辿り着いていた。


 機体を汚すのは、排気口や機銃の発射口にこびり付く煤と胴体下面まで跳ね上がった泥のみ――自分は幸運だったのだと、カズマは思った。

 燃料注入口に無造作に突っ込まれたチューブの根元には錆びたドラム缶。開けっ放しの点検用パネルが、機体の各所に矩形の穴を開けていた。カズマは開けっ放しのキャノピーを押しのけるようにしてコックピットに腰を沈めた。その途端に飛び込んでくる森の湿った匂いと機体から漂うオイル臭が混ざり合った香りが、カズマの嗅覚を通して不思議な感覚を彼に与えていた。


 ……が、カズマが感じている「匂い」はそれだけではなかった。

 ひたひたと空の向こうから忍び寄ってくる戦争の匂いを、彼は研ぎ澄まされた心理的な嗅覚の内に感じ取っていた。今日もまた、一戦あるかもしれない――そう考えながら、カズマは計器板にそっと手を触れた。外気に晒され、すっかり埃を被った計器には、指で触れた跡が太字のペンで描いたようにしっかりと刻まれる。

「……たのむぞ」

 声にならない語りかけが、形のいい唇から漏れる。



「よかったな艦隊さん。今日にでもお船に帰れるぞ」

 その日の朝、朝食中にかかって来た無線電話を置くと、ディクスン中佐は艦隊の一同に笑いかけた。

「寂しくなりますね」

 フィルバースト少佐の軽口に、ディクスンは苦笑した。

「オイオイ……それが出て行く奴が言う言葉かよ」

「できれば、もう少しいたかったです。美味いメシも酒もあるし」

「そうか……艦隊さんは酒類はご法度だったな」

 フィルバーストは、空を仰いだ。南半球のほぼ末端に位置し、気候的に低気圧の発達が妨げられるリューディーランドでは、ほぼ毎日、透き通るような青空の下で一日が過ぎていく。

「できれば、夕方ぐらいに出られればいい。敵さんに捕まる心配をせずに済みますから」

「それは、無理みたいだな。上の連中、君らを早く前線に復帰させたいらしい。意地でも君らにレムリアンの艦隊を叩かせるつもりなんだろう」

「上の連中?」

「君らの提督より、偉い連中のことさ。ここも当の昔から前線だってのに、安全な場にいる奴らはいい気なもんだ。ここまで通信をくれる暇があったら、他に打つ手も浮かんでくるだろうに……」

「そうですか……」

 命令するは易しく、命令される側にとってこれほど困難な任務はない。どうにか飛べる機で、遠くはなれた空域にいる空母まで未熟な技量の搭乗員を、敵の重囲を縫い連れて行かねばならないのだ。

 そのとき、周囲を圧するように迫ってくるエンジン音に、二人は思わず上を見上げた。




 遠方に聳える二、三の丘陵を越えるように上昇する一機の機影――それが、十数秒後には高速で基地への接近を図るレムリア軍偵察機の機影となって地上の人々の眼に映る。偵察機はあっという間に基地の上空に達すると、主翼を翻し大回りに旋回を始めた。その挙動に、対空砲火とか迎撃機とか、地上の対応に対する懸念を感じることはできなかった。


 ディクスンが呻いた。

「偵察機だ。あれが飛んで来たら二時間以内に攻撃隊がやって来る」

「では、迎撃に上がらないと」

「昨日も言ったと思うが、戦力温存がウチの方針だぞ?」

「民間人がやられるんだから、そんなこと言ってられんでしょう?」

「確かに、な」

 近くにいた整備士官を呼ぶと、ディクスンは機の発進準備をするように伝えた。方針にそぐわぬ指示に戸惑う士官に、ディクソンは言った。

「艦隊の連中を空母に帰してやろう。飛べる機体を全て持って来るんだ」

 そこまで言い、フィルバースト少佐を顧みる。フィルバーストは頷き、部下に告げた。

「飛べない者はジーファイターの胴体に乗せていく。いらない装備は全て置いていけ。誘導できる機が二機……いや、三機あればいい」

 その点、フィルバーストとディクスンは賢明であった。彼らは先日の段階で協力して損傷の軽微なジーファイターを選別して修理し、これらを母艦までの誘導と護衛に当たる機体と乗員を輸送する機体に分けている。輸送担当の機体は通信機以外の電機機器を全て取り外し、胴体内に空いた空間に三名の飛行士を乗せる。それでも一名が乗れずに余ったため、フィルバーストは彼の列機を胴体内に乗せることに決めた。この場合、乗せるというよりも詰め込むと言った方が正しいのかもしれない。


 カズマは、誘導担当のひとりとなった。

「――飛べないやつは置いて行きます。通信機に機銃も付いてますので、必要になったら適宜引っぺがして使ってください」

「――このまま地上でボサっとしていても殺られるだけだからな。それまでに一矢でも報いるのが軍人ってもんだ」

 フィルバーストとディクスンはお互いに微笑み合うと、それぞれに部下を集合させた。突然の召集に呆然とする部下達を前に口火を切ったのは、フィルバーストだ。

「これより艦隊航空隊は残存の飛行可能な機を以って、母艦に帰還する! 比較的損傷が軽微な機を編隊の直援に充てる。以上!」

 ディクスンも、その後に続ける。

「我々はこれより、独自の判断で迎撃戦闘を開始する。上は迎撃を禁じているから、私は別に無理強いはしない。だが、これからまたやって来る赤いならずものども(・・・・・・・)に一撃食らわせんことには私の気が治まらん。お前たちも同じなら、是非私に付いて来てくれ!」


 そこまで言うと、ディクスンは涼しい眼で居並ぶ部下達を見回した。迎撃戦闘という名目の、ジーファイター隊の護衛任務を告げられ、いまだ衰えぬ戦意に目を輝かせる者。憔悴しきった顔を伏せがちに俯く者……幾多の戦闘を経た表情が、それぞれの回答を無言の内にディクスンに示している。彼個人としては、これを組織的な最後の出撃とする積りであった。現有の戦力では攻勢に転じ切れず、防勢にも耐えられない……であれば、偶発的ではあっても意義のあると思われる任務に機体を投ずるべきであろう……


「出発!」

 号令一過、航空装具を引っつかむと、カズマは脱兎の如く駆け出した。木々を掻き分け、朝方にジーファイターの置かれていた場所へ向った時にはすでにその姿はなく、すでにそれは翼を広げた姿で森の外に引き出されていた。カズマが辿り着いた時には、整備員が主翼のパネルを開き、装填機のハンドルを回して機銃弾を装填していたところだった。カズマの姿を見出した整備員が、半ば慌てて装填機を取り外しにかかる。操縦席に腰を沈めると、カズマは無線機のスイッチを入れた。

 スロットルレバーが、「始動」位置にまで開かれる。


『――フィルバーストより全機へ、聞こえるか?』

 通信機にスイッチを入れた操縦士の応答で、回線は埋められていく。点呼の様な通信が一通り終わったあとで、フィルバーストは一息つき、エンジンのスターターボタンに指を掛けた。修復を終えた乗機の操縦席からは風防が取り外されていた。交換部品の無いリューディーランドでは、戦闘で割られたガラスの補修など不可能だったのだ。それならば最初から付けない方がマシ。というわけだ。エンジンのほうは、さすがに被弾していないだけあって始動は快調だった。


 遠方では、いち早く始動したADFのF‐21が、その尖った機首を持ち上げるようにして滑走を始めていた。その操縦席に収まっているのはディクスン中佐だ。統一された航空管制もなくだだっ広い平地の上では何の制限もなかった。そのまま真っ直ぐに加速すると、ディクスン機は揚力を稼ぐために開いたフラップもそのままに機尾を上げ、空へと舞い上がっていく。そのあとに三機ほどのF‐21が続いた。


 ADFの四機の離陸を見届けると、フィルバースト少佐はゴーグルを下ろし、スロットルをゆっくりと開いた。スロットルの開度に反応して平原の上に空への一歩を踏み出していくジーファイター。胸に風を受けながら、フットバーをわずかに右に踏んでエンジントルクの反動で左に触れる機首を修正しながら、少佐はひびの入ったバックミラーの中に、背後から続行してくる列機の姿を確認していた。


 離陸し、十分な高度まで達したところで、フィルバーストはバンクを振って機を旋回させた。集合の合図だ。たっぷり二、三分ほど掛けて編隊を組み終える部下達、そして合流するディクスンらの様子を見届けると、フィルバーストは無線帰投方位指示器のスイッチを入れた。間を置いて点滅するランプが、機材の無事を乗り手に主張しているかのようだった。指示器の無事を見届けると、フィルバーストはスイッチを切った。


『――フィルバーストより全機へ、これより編隊は母艦の予想航行空域に向かって飛ぶ。空域到達三分前に指示器を起動させ、母艦の方位を捕捉し着艦する。飛行が不可能と判断した場合、速やかに航程を引き返すか、洋上に不時着し救援を待て。大丈夫……レムリアンはカステルにご執心だ。我々のような雑魚には目も呉れんさ』

 反応を確かめる様に一息つき、そして続ける。

『――誘導機に従い、真っ直ぐに飛べ。いいか、諸君らは戦闘に参加できる状態じゃないってことを忘れるな。レムリアンに追われても決して振り返るな。生きて還れたら……アイスクリームとアップルパイでも食べよう」

『――了解っ!』

 眼下には、カステルの流麗なまでに区画された街並みが広がっていた。事情はどうであれ、今まさに敵の攻撃に晒されようとしている街を見捨てていく後ろめたさに身を任せながら、フィルバーストは背後へ視線を廻らせた。二時方向――空の向こうから、雲を乗り越えんとするかのような勢いを保って広がっていく輝点の連なりは、味方のものではなかった。

「来たか……!」

 唇を真一文字に結び、フィルバーストは迫り来る死闘の予感に身構えた。フィルバーストの傍ら、並行していたF‐21群が銀翼を翻し一斉に反転を始めた。





 リューディーランドへと到達した十何度目かの攻撃隊が、縦横に広がってカステルの街へと向っていく。その主力を成す二個戦闘機中隊の内一個を率いるタクロ‐ロイン中尉は、眼下を行くニーレ‐ダロムの編隊が急に間隔を開いたのに気付いた。攻撃態勢に入ったのだ。


 愛機の操縦席で機銃の安全装置に手を掛けながら、ロインは上側面を行く攻撃隊長の中隊に視線を転じた。昨年に漸く教育課程を終えたばかりで、今回初めて攻撃隊の指揮を執る新任の大尉の緊張する顔が眼に浮かぶように思えた。新任の指揮官に編隊の指揮を任せるになったということは、リューディーランドにおける航空作戦が一段落したという司令部の判断の裏返しでもあった。つまりは、あとは熟練の指揮官に任せるまでもない程度の、どうでもいい任務しか残っていないということでもある。そうした任務を与えることで、まだ指揮に慣れない上級士官に経験を積ませようというわけだ。その際のお目付け役もまた、ダルファロスに囲われている「特務部隊」の仕事の様なものであった。


 軍内の階級よりも、飛行経験の有無及び長短が指揮官や編隊長の認定基準となるラジアネス軍と違い、レムリア軍の場合、全てにおいて階級が優先する。正規士官養成機関である軍官学校出身者を頂点とした厳格なまでの指揮系統も、緒戦においては優秀な若手指揮官の登用という形で何の齟齬もなく機能していた。

 もっとも、軍隊への入隊以前に、生まれ育った「階層」が当人の人生の節々における帰趨を左右する社会たるレムリアでは、軍官学校の入学においても出身階層の程度が作用するわけで、結果としてごく自然の内に、士官とそれ以下の階級間に見えざる障壁を生じさせることとなってしまっている。軍官学校出の少壮士官は、所属基地や部隊内においても出身階層に基づく閉鎖された社交界を形成し、下級階層を出自とする下士官兵もまた、その埒外に在ってやはり軍内に見えざる秩序を作り上げているといった塩梅であった。そのような状況下で地上人との戦争が始まり、タイン‐ドレッドソンらのようにいち兵卒から武功を重ねて幹部に累進する者も出てきてはいるが、彼らが軍組織内に一定の勢力を占めるのには、未だ長い時間が必要であるようにも思われた。


 第一中隊を直卒する指揮官の下で、第二中隊の指揮を執るロインには、自分の編隊を率いる他に、新任の編隊長の補佐という重要な任務をも与えられている。若い幹部の指揮の拙さを経験豊富な彼が補うという構図であり、そしていざという時、窮地に陥った編隊長を救うという任務もまた課されている。

 当初、飛行長より指名があったとき、タインは長年の同志たるロインを手放すことに消極的だった。先日の戦闘でヴィガズを失っているから、自分を手放すことに慎重になっているのだろう。とロインは納得した。


「少佐。大丈夫ですよ」

 憮然とするタインに、ロインは言ったものだ。

「自分はヴィガズのようにヘマはやりません。やってあの世に行ったところでヴィガズに追い返されるに決まってます」

「だといいがな」

 発艦が近付き、ロインが愛機のコックピットに身を沈めるのを見届けると、タインは再び口を開いた。

「作戦は大方終わりだ。何も張り切ることは無い。おれ達が掃除した後の空だ。お前は黙って何もない空を、隊長のケツを飛んでいればいいんだ。わかったな?」

 ロインは、大きく頷いた。そのときにはすでにエンジンは始動され、プロペラがゆっくりと回転を始めていた。


 少佐……ナーバスになってやがる。誘導路を滑走するジャグル‐ミトラのコックピットで、ロインはそんなことを考えた。それも仕方が無いだろう。ヴィガズは殖民都市攻略戦以来の仲だ。格段の信頼を醸成してきた仲間の死を、我々の誰もが未だに受け入れられないでいるのだ。ロインにしてからか未だにそうである。

 だが……いつかは乗り越えなくてならない。これまでも、そうしてきたはずだった。



 発艦から三十分あまりが過ぎた


 自分の部下には、すでに散開を命じてある。上昇するべくスロットルレバーを握り直したところで、ロインは後背を占める編隊長の中隊を見やった。そこで、目標を眼前にしながらも、一糸乱れぬ密集編隊のまま進んでいる中隊に唖然とする。


「大尉殿。もう少し間隔を開いてください。高射砲のいいカモですよ」

『――中尉。前方に敵機』部下の声だ。敵機の発見に際して部下に遅れを取るのは、個人的な感触からしてあまり幸先がよくない。表情を曇らせ、ロインは操縦桿を引き機体を上昇させた。部下もそれに続く。熟練者の集まりらしく、編隊そのものがあたかも一体の有機体のように蠢く様は、飛行を知る者に深い感慨をもたらすものかもしれない。


『――敵機下方、東に移動しつつあり。艦上機及び追撃機と思われる』

 まだ生き残っていたか。野蛮な地上人らしく地上にでも引きこもっていればいいものを――ロイン直々の誘導の末、編隊は敵編隊を左下方に睥睨する位置にまで上昇していた。改めて命じるまでも無く、獲物を見つけた各機の空戦士が機銃の装填レバーを引く音が、こちらまで聞こえて来るようだった。左下方、地上人の編隊から数機が別れ、此方に主翼を翻すのが見えた。地上人の追撃機は無迷彩の軽合金地肌だから、太陽の下では動く度に反射を繰り返して容易にその動きを追うことができる。馬鹿にしか見えなかった。

 陽光を反射して煌く敵機の機影は、接近するにつれて数を増している。その数は七、八機ほど。中隊は一斉に増槽を投下した。


「第二小隊」ロインは部下の小隊長を呼び出した。

「左旋回し、敵の側面に回りこめ」

『了解』

 増速した四機が、大回りにロインの直属小隊を追い越していく。敵機は機首を向けたものの上昇はしてこない。否、上昇したくともできないのだ。急激な上昇の姿勢を続けていては速度が落ち、最悪失速する。ラジアネスの戦闘機はレムリア機程高い上昇性能を持っていないことを、長年の経験からロインを含めレムリア軍のパイロットの多くが知っていた。一部の機を残して向かってくるというのは、迎撃に出てきたのにしては、あまりに不可解な編隊機動であるようにロインならずとも見えた。


 第二小隊を先に動かしたのは、敵編隊に反撃の機会を与えず、ただ現空域に拘束するためだ。第二小隊との格闘戦で敵編隊が位置エネルギーを使い果たし、動きが鈍ったところを第一中隊に攻撃させる。まるで抵抗しない標的に対するかのような、演習の様な戦術。先陣を切らせる第二小隊の長は若いが、見どころのある下士官だった。その彼にも経験を積ませ、ゆくゆくは特装機に乗る権利を与えられる位にまで腕を上げてやらねばならないとロインは考えている。

「…………」

 目論見通り、迎え撃つ白銀の翼と突進する赤い翼が交差する。彼らに求めているのはただ敵編隊を疲弊させることだけだが、その延長としての撃墜もまた、ロインは脳裏の勘定に入れていた。

「…………?」

 白銀の翼が、一斉に降下した。交差の直後、ラナ隊に背中を晒し、下方に逃げた――そのようにロインには見えた。それを追い、ラナ隊の高度も下がる。

「…………!?」

 絶句――不意に機影がひとつ、上層雲の狭間から現れ、そして空戦の環に向かい逆落としに迫る。



 ディクスン中佐達が敵機を十分に引き付けてくれていることは、遠方からも良くわかった。

 機首を下げると速度も上がる。砲弾の様な勢いを以て、カズマはF‐21に釣られて高度を下げたレムリア機に機首を向けた。加速のいいF‐21の特性が降下姿勢では有効に発揮され、ディクスン中佐らは追うラナを引き離しつつある。

 ラナに向かい、フットバーを踏み込む。降下する上に滑りが加わり、ジーファイターから軌道の浪費を削る。

「――――っ!」

 敵機――というより敵の四機編隊に向けて撃つ。ディクスン中佐たちを前に、彼らを追う敵編隊が編隊を崩さなかったのはカズマには好都合であった。編隊長が各機に敵機を追うように命じることをせず、列機の統制に拘ったのだ。カズマからすれば、間隔の狭い四機編隊は、ほぼ同じ翼幅の四発爆撃機一機と何ら変わらなかった。距離を詰めて撃てば、何処かに当たるのだ――矢継ぎ早の二連射で編隊の中央、編隊長格のラナから白煙が曳いた――左主翼の付け根を撃たれ。機上の操縦士が此方を顧みるのにカズマは気付く。その間、更に距離が詰まる。


 編隊が散るのと同時に、編隊長に向かいもう一連射――操縦席の中で編隊長が仰け反り、砕かれたガラスが朱に染まる。背面に転じたラナが、そのまま下層雲に突っ込み消えた。

『――全機へ、左旋回! レムリアンを追うぞ!』

 浮足立った三機の追跡者に向かい、F‐21隊の銀翼が一斉に翻る。追跡者との距離的にも、編隊長を失った混乱に乗じるという意味でも、それは絶妙のタイミングであった。カズマは上昇し、上層雲の方向に向かう。風防を開け放ったままの操縦席で、周囲の機影を探る――空の一点で、その眼が留まった。

「全機へ、東側上方、敵機!」

 喉頭式マイクに叫ぶのと同時に、カズマは眼を見開く。四機編隊とその後背に続く八機編隊。特に先頭の四機編隊が急激に加速し此方に向かってくる。その中心を占める双発機の影に、カズマは思わず目を見張った。


「各機へ、ラナ隊の救援に向かえ。おれはあの一機を片付ける!」

 空戦の環を睨むロインの声には、怒りが加わっていた。それはレムリア人として、ごく自然な怒りであった。同胞を殺された怒り、その同胞を殺した小癪な地上人に対する怒り!――怒りに任せて開かれたスロットルに導かれ、ジャグル‐ミトラは吠えた。急上昇から背面に転じ、機首を退避機動に転じる敵機に向ける。ジーファイター、醜い地上人の艦上戦闘機だ。仇に追い縋るのに難渋などする筈が無かった。

「死ね!」

 裂帛の気合に任せ機銃を撃つ。機首に集中配置された計五丁の機関砲。弾き出された赤い弾幕が蒼空を切る。地上人は左に滑ってそいつを回避する。

 距離が遠過ぎたか!――詰めればいいだけのことだ!

降下して逃げに転じる地上人を、ミトラは猛禽宜しく追った。距離がさらに詰まり、地上人は右に滑る――軸線が合わさりかけたところで、大きく逸れる。射撃のタイミングを逃し、それがロインをさらに焦らせた。同じくミトラを滑らせ、機首を向けようとして――

「消えた……!?」

 唖然――次には戦慄がロインの背筋を掠めた。スロットルを全開に、そして上昇に転じようと操縦桿を上げる。この速度ではならば、地上人の戦闘機をとっくに追い抜いている筈であった。操縦桿が重い。加速が操舵を縛り付け、それ故に昇降舵タブを調整する必要にロインは思い当る。咄嗟に調整ダイヤルを回し、ミトラの機首が上がり始めたとき――

「――――!?」

 背後から飛び込んできた黄色い光が無数。それはミトラの右エンジンを直撃し、同時に発火させた。発火こそは防火装置が起動し消えたが、エンジンからはその瞬間に力が消えた。

片肺となり、上昇速度が眼に見えて落ちる。背後を顧み、背後が太陽の烈しい光に遮られていることに気付く。

「…………!」

 来る!……と察した直後、ロインには自分の身体に何が起こったのか判らなくなった。烈しい衝撃とコックピットに吹き荒れる強風。それが彼の最期の全てだった。



 操縦席を撃たれた双発機が上昇の限界にまで達したところで、そのまま尾部から雲海に向けて落ちる。次には背面になり、再び尾部からゆっくりと落ちて消えた。左のプロペラは最後まで回っていた。

 撃墜の報告はしなかった。それ以上にカズマにはやるべきことがあった。周囲を見回し、フィルバースト少佐らの機影を探る。機影は見つけられなかった。敵機の影を探りつつ上昇し、さらに凍える空気の流れる上層雲まで達する。

『――カズマ、ツルギ‐カズマは何処だ?』

「フィルバースト少佐ですか?」

『――編隊は無事リューディーランドを脱した。付近に敵影は見当たらない。離脱援護感謝する。カズマ、燃料はどうだ?』

 言われ、燃料計に目を移す。未だ十分な量があるのは判ったが、母艦まで辿り着けるか否かは判らなかった。

「燃料がありません。ヒュイックに戻ります」

『――了解、バートランド隊長には宜しく言っておくよ。通信終わり』

 これ以上の交信は、新たな敵編隊を呼び寄せるかもしれない。今のフィルバースト編隊の状況では、それは編隊の全滅に直結するかもしれない。ヒュイック飛行場の方向に機首を向けつつ、カズマは周囲を見張る。ディクスン中佐らの機影も、レムリア人の機影もまた何処かへと消えていた。それでも見張りを続けつつ、カズマはヒュイックの上空に差し掛かる。着陸を終えたばかりか、二機のF‐21が誘導路上を動いているのが見えた。更にもう一機が、滑走路の隅に機首を突っ込んでいる。爆撃で開いた穴だと思った。一度滑走路上を航過し、着弾痕を目視で確かめる。地上から兵士が手を振っているのが見えた。離陸に使える距離が、それ程無いことにカズマは内心で愕然とする……意を決し、カズマは着陸経路に復した。フラップと脚を下ろし、スロットルを開き気味に、穿たれた穴の上を飛び越え、それが途切れる寸前で一気に絞る。浮力を失ったジーファイターが地上に落ち、二三度バウンドしたところでジーファイターは滑走に移った。弾痕の無い路肩の芝生に機首を向け、そのまま横断する様に駐機場へと向かった。眼前、古ぼけた練習機が二機、機体の所々に穴を生じさせつつ佇んでいる。


 後を駆け付けて来た地上員に任せて地面に足を下ろす。そのとき、傍で佇む視線に気付いてカズマは振り向いた。

「よう、撃墜王(エース)

 ディクスン中佐が、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。カズマに歩み寄ると、中佐はカズマに握手を求めてきた。

「援護、ありがとよ」

 カズマの手を包むように、中佐は握り締めた。

「ご無事でしたか」

「おれの機は、あんなになっちまったがな」

 と、駐機場に押されて動くF‐21を顧み、ディクスンは言った。所々が撃たれ、外板の剥がれた機体。それでも直せば、再び飛べるだろう。

「三機どうにか着陸だ。仲間がみんな生還できたのは良かった。還れなかったもうひとりは落下傘で降りて、今此処に向かってる」

二人は、歩き出した。

「まあ、宿舎で一杯やろうや」

「でも……自分はお酒が……」

「そうだったな。じゃあ俺がお前の分も飲んでやろう」

「ええ、そうしてください」

 中佐は笑った。

「お前、もうずっとここにいろ。決まりだ」

 カズマが口を開くより早く、腹が空腹に対する悲鳴を上げた。それを見やった中佐が、言った。

「リューディーランド名物の、三百スカイポンドステーキなんか、どうだ?」

「いただきましょう。ジーファイターの整備を急がないと……」

「何だ。帰りたいのか?」

「敵は、またやってくるでしょうから」

「…………」

こいつは、まだ戦う気なのか……?

 目の前で空を仰ぐ青年の目が、静かに闘志を秘めていることに、中佐は気付いた。

その気迫は強く、雄々しい。


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