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第六章  「前哨戦」

 攻撃隊の収容がなおも続いていた。しかも、これまでならば順調に、まるで日常の飛行作業の様に行われていたそれは殺気すら孕んで慌ただしく、しかも未だ終わりが見えていなかった。


『――――!』

 警報音の鳴る飛行甲板を、フラップを全開にしたゼーベ‐ギルスが駆け抜ける。艦載機の接近から着艦までを甲板員に知らせ、収容作業準備を促すための警報だ。飛行甲板の三分の一まで走ったところで、着艦用固定フックが制動索を捉え、ギガは一瞬跳ね上がった後で揺れつつさらに走り、そして止まる。 傍目にも理想的とは言えない、乱暴なきらいのある着艦であった。


 風防は、操縦者が母艦たるダルファロスを見出した段階で既に開け放たれたままであった。戦闘と長時間の飛行で心身を擦り減らした空戦士を、甲板員が手分けして抱える様にして下ろす。ヘルメットを拭ったエドゥアン‐ソイリング中尉が、不機嫌な表情をそのままに待機室へと戻っていくその後ろでは、七、八名の甲板員がギルスの主翼を畳みつつ飛行甲板の脇、下層格納庫に続く交通路へとギルスの機体を押していく。ダルファロスの外に在って着艦を待つ戦闘機はまだ残っていた。甲板員は手分けして飛行甲板を開けねばならなかった。


 格納庫への誘導が終わり、収容交通路が閉じ掛けない内に新たな警報が鳴る。直後には左右に主翼を揺らしたゼーベ‐ラナが飛行甲板に向かって飛び、そして甲板に接触した。同時に凄まじい音がした。着艦に必要な侵入速度を大幅に超過した状態。結果として左脚が折れ、飛行甲板に火花と破片が散る。急激に右に振れた機首とプロペラが、飛行甲板の内壁を烈しく掠って止まる。ダルファロスがその艦の構造上、着艦失敗の例が皆無ではなく、当初から失敗を考慮した設計を有しており、甲板員にもその際の対処法が徹底されているにしても、長きに亘る地上世界征服作戦の間でも滅多にないほどの、それは修羅場であった。


「――大丈夫だ! 傷は浅いぞ!」

 半壊した操縦席から引き摺り出し、担架に乗せた空戦士に甲板員が言った。ヘルメットを脱がせるのと同時に頭からの出血、口からの吐血で担架が朱に染まる。息は粗かった。烈しく傷付き、今となっては自走すらままならない戦闘機に発動機付きの牽引機を繋ぎ、強引に退避区画まで持っていくのも甲板員の仕事だ。後続する艦載機のためにも、飛行甲板は意地でも開けねばならなかった。


『――飛行長より飛行甲板全要員へ達する、残余の戦闘機は全て「レグナ‐ヴァーダ」及び巡航艦に収容し、機会を得て再度本艦に収容する。攻撃機着艦作業用ー意!』

 今回の輸送船団攻撃において、出撃した攻撃機の全機がダルファロスを発った双発攻撃機である以上、攻撃機の収容は最優先事項となった。何よりダルファロス以外の艦艇には収容できず、運用もまた難しい。その上に近い将来、地上人の航空母艦との決戦が待ち構えているという現状では、航続距離と搭載量に優れた攻撃機は貴重な手駒である。

 

 ダルファロスが回頭を始めた。「潜航」に適した雲海を確保するための、それは必要な運動であった。そして帰還した攻撃機にとって、着艦が許される時間は限られているのだった。

 ダルファロスは回頭を終え、再び直進に復した。

「掌甲板士官より飛行長へ、着艦再開よろし!」

 部下の作業終了を見届けた掌甲板士官が艦内電話に怒鳴った直後、飛行甲板内を再び警報が埋め尽くす。輸送船十五隻撃沈確実、八隻以上大破という、無線通信により事前に知らされた戦果は大きく、整備員と甲板員を喜ばせたが、一方で七機に及ぶ未帰還機の出現は彼らの耳を疑わせてもいた。それまで一度の出撃で敵地の空に消えた攻撃機は皆無……あるいは一機か二機……悪くて三機程度であったのに。この急激な損害の増加はどうしたことだろう?――ダルファロスの着艦進入口、双発機の機影がゆっくりと近付き、僅かに左に傾いたそれは、やはり左脚から飛行甲板に触れ、そのまま甲板を全速で直進した。ニーレ‐ガダルは巧みな舵の修正で甲板上を走り、そして最も奥まった位置の制動索を捉えて止まった。


 全開から滑走状態に発動機出力を抑制したガダルの傍らで、上翼に飛び乗った整備員が主翼のロックを外して畳む。開かれた誘導路を使い下層の格納庫まで下りるまで、三分も経っていない。その後にはほぼ三分間隔で双発機の着艦が続いた。ニーレ‐ガダルにニーレ‐ダロム、装備も形状も性能も異なる双発機が交互に、あるいは数機ごとにダルファロスの艦内に進入を果たしては危うげ無く着艦して停止する。被弾し着艦と同時に部品や外板の剥がれる機体もおり、停止し、乗機を降りたところで乗員全員が無事かと言えばそうではなく、両脇を同乗者に支えられて医務室に向かう者、甲板員の担架に乗せられてそのまま医務室へと向かう者もいた。その時点で既にこと切れている者もいる……幾度も空の死線を越えた歴戦の勇士であった者、あるいは歴戦の勇士になり損ねた者。


「危ない!」と、甲板員が叫んだのは、恐らくは最後の収容機であろう、一機のニーレ‐ダロムの進入に対してであった。左旋回からの接艦、それに続く着艦針路への進入までは教本通り。だが憂うるべきは速度が今一つ足りていない。速度が足りなければそれだけ高度が落ち、着艦角度が浅くなる。

 その速度を取り戻そうとして操縦士はスロットルを開く。加速が付いたダロムの様な前輪式の機体の場合、それは教本通りの三点着艦では無く、禁じられた前輪からの着艦を意味する。只でさえ機体重量があり、なお且つ機首位置が高いが故に前脚が長いガダルの場合、それは負荷を掛けられた末の前脚の折損に容易に直結した。


「――――!?」

 浅い角度からの着艦の瞬間、烈しい衝撃がガダルの機首を揺るがす。危険な角度であることは、進入を始めたときからガダルを駆る若い空戦士には判っていた。判ってはいても、帰還の途上で機位を失い、空に彷徨を重ねたが末の乏しい残燃料ではやり直しはできなかった。前輪が折れたガダルは機首からつんのめる様にして飛行甲板に滑り込み、火花と破片を盛大に撒き散らしつつ進んで止まる。


『――艦長より達する。これより本艦は収容作業を中止。潜航する!』

「――灯火管制用ー意! 各班完了次第運用士官に報告せよ!」

「――飛行甲板、照明電源切断せよ!」

「――舷窓封鎖! 急げ!」

 少なくとも、攻撃隊発進にあたり予め通知された収容予定時間帯に、レムリア艦隊の所在空域に到達した全ての艦載機の収容は完了した。その後はただ深く分厚い雲海の只中に在って、新たな発艦命令が下るまでレムリア艦隊は潜航という名の長い潜伏を強いられることになる。


『――我ティアルデ3。予定収容空域に到達。収容を請う。繰り返す――』

 エドゥアン‐ソイリングは士官空戦士用待機室でその通信を聞いた。ティアルデとは地上人の疎開船団を攻撃した際、行動を共にしたニーレ‐ガダル攻撃機編隊長の名前だった。優秀な下士官空戦士であったが、今回の作戦を経た今となっては、数多い未帰還者のひとりであった。彼と同じく未帰還扱いされた列機が、今になって還って来た?


『――ティアルデ3、残燃料あと五分!』

「艦長!」

 完全に雲中に没したダルファロスの艦橋では、艦載機の編成と運用を一手に預かる飛行長が色を成して艦長イズメイ中佐を見遣った。自体の変化を前に狼狽を隠さない飛行長に対し、イズメイ艦長はただ無言で頭を振る。上席たるセルベラ‐ティルト‐ブルガスカ機動部隊司令の顔色を伺うことすらしなかった……というより、するまでも無いことであった。レムリアの国運を担う巨艦と、千五百名に及ぶ乗員の運命を差配する身である以上、それらを位置暴露の危機に晒してまで一機の攻撃機と三名の空戦士の回収を決断することが、艦長からすれば容易に成せる筈が無かった。


『――仮装巡航艦「ウダルⅦ」より入電。西方より航空機のエンジン音を探知。高度一万九千。近付く』

「…………」

 飛行長は観念したように眼を瞑った。現在この空域を飛んでいる直援機は無い。再度のリューディーランド空襲に備えて全て収容させている。戦時に、それも友軍機では無い何かの接近は、エンジン音の源がラジアネス軍の偵察機であることを意味する。危機が迫っていた。


『――我ティアルデ3。残燃料なし。我自爆す。艦隊の前途に勝利と栄光あらんことを……レムリア万歳!』

 



 夜が来た。

 自爆と虚無を経てもなお、ダルファロスは雲中の航行を続けている。

 空戦も、帰還し損ねた友軍機の自爆も元々無かったかのように、静寂は続いていた。灯火管制の維持されている士官集会室にあっては、内壁から調度品に至るまで目に入るもの全てが灰色に映える。全開にされた窓からは星明りに照らし出された雲々の連なりが、さながら極北の雪原のようにぎらつき、見る者にそこが戦場であることを忘れさせた。


「……我ティアルデ3。残燃料なし。我自爆す。艦隊の前途に勝利と栄光あらんことを……レムリア万歳」

 窓に向かい配されたソファーに疲れ切った躯を沈めつつ、エドゥアン‐ソイリングはぼやく様に言った。彼からすれば、ティアルデ編隊は共に出撃して同じ目標を攻撃する同志であった以上、後味の悪い結末であった。要するに全ての責任は彼らに対する有効な援護を提供できなかった自身にあると、エドゥアンは思い始めていた。


「エドゥアン‐ソイリング中尉、忘れろ」とだけ、あの機動部隊司令は言った。レムリアは若い人材を欲している。これからさらに拡大するであろう戦線を維持し、戦勝の暁には汚れた地上にまでレムリアの支配を確立するための若き指導層が。初戦の瑣末な失敗はそのための貴重な講義であり、演習であるのだ――明確にそう言われたわけではなかったが、セルベラ司令が過去よりも未来の自分に期待してくれているということだけは、エドゥアンにも判った。それ故に安堵もした。


「勇敢なる同胞たちに」

 窓の背景から雲海に至る灰色の空に向かいエドゥアンは酒の小瓶を掲げて見せた。空戦士として決別の情がこみ上げてくるのと同時に、ティアルデ達が必要とした援護を、自分は何故提供できなかったのか?――そこまで考え始めるのと、士官集会室に新たな人影が足を踏み入れるのと同時であった。


「おれの助言は、聞かなかったようだな」

「聞く道理が無い。我々は無敵なのですから」

 タイン‐ドレッドソンはエドゥアンの傍まで歩み寄った。そのタインを顧みることもせず、エドゥアンはソファーに身を委ね続けている。

「司令が何か言っていましたか?」

「雌虎も、それ程気には留めていないようだ」

「じゃあ、何なんですか?」

「地上人の偵察機」

「…………?」

 はじめて、エドゥアンはタインを顧みる。さり気無く伸びたタインの手がエドゥアンから小瓶を引ったくり、その素早さはエドゥアンを内心で驚愕させた。小瓶を一口含み、タインは微かに笑った。


「何故あの時期にやってきたのだろうな」

「貴重な作戦機である筈なのに? 未帰還の危険を冒して?」

「そうだ。確証が無ければいきなりあの空域に寄越すこともなかっただろうにな」

「おれの攻撃方位から推測されたと?」

「そうじゃないかとおれは思っている」

「偶然でしょう……それに、我々は発見されなかった。一機の犠牲と引き換えにね」

「気のせいか、最近になっていい操縦士が死に過ぎてな」

「ツキが地上人にあるのでしょう。ですが、連中にとってのツキはその程度だ」

「もう少し慎重に振舞え。エドゥアン‐ソイリング」

「…………?」

 口調に突き放す感じを覚え、エドゥアンはタインを再び顧みた。

「でなければ、お前さんにとってのツキは生き方ではなく死に方の程度についての話になるだろうぜ」

「死ねば、ツキも何もありませんよ」

「死に方にもツキってものがあるのさ。格好の付く死に方と、無様な死に方がそれだ。死に様ってのはうまく行けばいいが一度やらかすと挽回が利かない。だから言っている」

「今更そのような話をするのも妙なものですね。死なんて、ここでは誰にとっても平等について回るのに」

「おれは違う。特別だ」

「…………!」

 唖然とするエドゥアンの眼前で、タインは不敵に笑った。ただし、それを言い切るだけの実力が彼に在ることはエドゥアンも認めていた。話は済んだとばかりにタインは踵を返し、通路へと足早に歩く。再び人影の消えた集会室で独り再び窓に向き直り、暫く沈思したあと、エドゥアンは呟いた。

「……おれだって特別だ。そのことを証明する機会は幾らでもあるんだ」





 十一機のFP-07C「スカイスカウト」双発哨戒機は、二列の横隊を組んで払暁の空を飛んでいた。

 否、横隊とは言い難かった。陸上の基地を発進して間もない内に各機の間隔が離れ、攻撃態勢を取る指示を出すまでもなく各機は散開してしまっている。編隊は、もはや何の用も為していなかった。


 FP-07Cは陸上の基地で運用する双発の哨戒爆撃機だ。分厚い主翼から突き出した二基の空冷エンジン。一人用の操縦席を包む網の目状の風防ガラス。そして大量の爆弾と燃料を機内に搭載するために設計された太くずんぐりとした胴体が特徴だった。お世辞にも精悍な外見とは言えない。胴体内に空雷を一基積み、状況が許せば翼下にも最大二基を積み対艦攻撃も可能だ――ただし、レムリアとの戦争が起こるまで、それは想定外の用途ではあった。


 乗員には機長を兼ねた操縦士、爆撃手兼航法士、銃手兼通信士の三人が乗る。敵味方識別帯インヴェンジョン・ストライブスの入った主翼の下には片方それぞれ八発の対艦ロケット弾を搭載し、胴体には空雷一本を積んでいる。エンジン出力からすれば、実のところ荷が重過ぎる重武装だった。攻撃機群の周囲を15機のF‐24Bと4機のF‐21Eが守る。そのF‐24Bのうち、7機が爆装している。F‐21Eでも爆装は可能だが、その場合極短に航続距離が低下する。そうなると編隊に加えることが不可能になる。


 先日、FP‐07C二機がリューディーランドの外、それぞれに方向の異なる空域を飛んだ。偵察飛行であった。同日の日中に南東で行動中の輸送船団が攻撃され、空母部隊より知らされた敵機の襲来方向から推測された敵機動部隊の推定位置は、船団から南西と北東の大きく二箇所に別れた。

 先日の索敵では、いずれの空域でも敵艦は見つからなかった。ただし、北東方向を飛んだ一機が南から北に延びる飛行機雲を見出した。暫く高度二万スカイフィートを飛んだ後、急激に高度を下げ、雲海の中に溶ける様に途絶えた一条――その一機が見出したのはそれだけであった。南西方向を飛んだ機は何も見つけられなかった。攻撃隊の前進にあたり、防衛軍司令部では慎重論と積極論が三十分余り争い、結果として後者が勝った。


 これが最後の抵抗だった。温存されていた爆撃機と、戦闘を生き残った少数の戦闘機から成るリューディーランドに存在するありったけの航空戦力。それが現在、強力なレムリア機動部隊に一矢を報いるために向っているのだ。ただし、一矢報いる以前に敵艦隊との遭遇が叶うか否かは、実のところ運の問題であった。


「隊長機より全機へ――」

 攻撃隊長ギリアン中佐が命令する。操縦桿を握る腕は左右ともに震えていた。恐怖からではない。もとより生きて帰る見込みの無い戦いであることはわかっている。芯を抜いた軍帽の上にレシーバーを被り、その顔の下半分は酸素マスクに覆われていた。救命衣の下に着込んだ皮製のフライトジャケットが、窓から入り込む日光を吸い込んで鈍い光沢を放っていた。

 窓の隅には、二十年連れ添った妻と二人の息子の写真。それを見つめながら、中佐は続けた。

「――索敵を継続せよ。各個の旋回点に到達し次第帰投針路へ。我々の任務はそこまでだ」

 生還を期すことのできない任務であるが故に、共に飛ぶ部下には生還への道筋を示したかった。行きつくべき処まで行けば、これ以上部下たちを死地に晒す必要は無くなる。そして中佐機の会敵予想空域における最終旋回点まで、あと一空浬を切っていた。会敵予想空域の、最も深く進攻した先――


『――敵戦闘機! 三時方向!』

 FP‐07Cの後席、通信士ルアー軍曹が声を上げた。層雲の合間に光るものが二、三……それらは左右に舞いながら数を増し、迫り来るレムリア軍戦闘機の機影となって攻撃隊に迫る。銃手も兼ねるルアー軍曹は、すでに二連装機銃に取り付き始めていた。と同時に、敵戦闘機の発見を告げる通信が、回線の中に次々と生まれては消えていく。まるでこの空域一帯がはじめからレムリアンの領土であるかのような錯覚すら、それはギリアン中佐に抱かせた。


『――十一時下方に艦影! 二隻!……いや四隻!』

 誰の発した通信かはわからなかった。だが言われた通りの方向、雲海を背景に黒い影が僅かに見えた。距離が詰まるにつれて、貨物船と思しき葉巻型もあれば、写真や図表で幾度も眼にしたレムリア艦の姿すら中佐にははっきりと見えた。特徴的な紅い艦影。その一角が幾度か光り、それは攻撃機隊の鼻先で火と鉄の光芒を連鎖させた――

「――前方対空砲! 各機へ、回避運動ののち各個に目標を定めて突入せよ!」

 炸裂に煽られ、左右に揺れる攻撃機の機上で、ギリアン中佐は命令した。操縦桿を傾けてスカイスカウトを降下させ、途上で左旋回を繰り返す。敵の対空砲の照準から逃れ、狂わせるための機動であった。スロットルを全開にした左手をそのままに、中佐は上を見上げた。網膜を刺すような太陽の光の中で何かが蠢いていた。


『――敵機六時方向!』

 言うが早いが、ルアー軍曹の射撃が始まっていた。敵機の動きが早い!――そう感じたときには、操縦桿を押す手に一層力が入っていた。

 敵機!――まっ逆さまに迫ってくる機首。煌く主翼。太陽方向から雨のように降りかかる光弾がたちまち二機のスカイスカウトを捕らえた。一機は瞬時に四散し、もう一機は尾翼を千切られ、均衡を崩してまっ逆さまに眼下の雲へ突っ込んでいく。銃撃しながら隊列を下へ突き抜けるレムリア機。不意を突かれ、急旋回して敵機を追う味方直援機。その瞬間、味方戦闘機は攻撃隊から完全に引き離された。


『――馬鹿野郎! 直援が聞いて呆れるぜっ!」

 ルアー軍曹が怒鳴った。が、いくら毒付いたところで、味方の戦闘機にこちらを援護する余裕などすでに失われていた。スカイスカウトは水平に復し回避行動に入った。蛇行を繰り返し、敵機の追尾を交わす算段だった。

 空雷を抱えているせいで舵が重い。加速の効かない機体の緩慢さにイライラする。さらに回避機動によってじりじりと下がる高度――本当ならば、既定の高度を維持していられるだけでも精一杯なのに……! 敵艦の対空砲は眼前で幾重にも炸裂し、飛び込んでくる破片が機体を打つ音は次第に勢いを増した。爆風に翻弄される機体をあやしながら、頭を屈めがちに横目で追従する列機へ眼を転じる。


 隣を飛ぶスカイスカウトの至近で艦砲が炸裂した。その直後、僚機の左エンジンが炎に包まれた。炎に煽られたプロペラの回転が急激に弱まっていく。

消化(フェザー)しろっ!」

 その意が通じたのか、数秒を要さずして炎は消し飛んだ。煤でどす黒く変色し、破片に切り裂かれて各所に酷い傷を負ったエンジン周りの様子が醜かった。安堵を覚える暇など無かった。直上方向から降ってきた弾幕が傷付いた僚機の機首を捉えた。砕かれた風防ガラスを撒き散らしながら一気に機首を下げていく攻撃機。操縦士が被弾したのだろう。その上方を、一機のレムリア機が勝ち誇ったように通過していく。

「何てことだ!」

 中佐は罵った。不甲斐ない味方に対する罵声なのか、それとも圧倒的な敵に対する罵声なのか、それはわからない。

機長(スキッパー)よりヒックス。セシルへ、進入点通過! よく周りを見張ってろっ!」

 怒鳴る中佐の鼻先を、一機のF‐24Bがエンジンから一直線に黒煙を曳きながら降下していく。操縦席付近から飛び出した黒いものが、やがて大空の一点にパラシュートの白い花を咲かせた。が、そんな光景に安堵を覚えていられるほど中佐は気楽な状況にあるわけではない……それでも、中佐にとって望むものは今まさに与えられようとしていた。


「――――っ!」

 機械式の雷撃照準器のサイトのはるか向こうに、レムリア軍の艦影が挟まっていた。初めは蝿のように小さかったそれは、距離を詰めるにつれ、次第にレムリア艦特有の流線型を以って迫ってきた。

「――一時方向に敵巡航艦……!」

 対空機銃を撃ちつつ前方を遮るように迫ってくるレムリア艦が、よく見れば空想科学漫画に出てくる宇宙船のように滑らかで、洗練された外観であることに気付く。それが気に食わず、それをぶち壊しにしたくて、中佐は眦を決する。

「あいつをやるぞっ!」

 レムリア艦は巨鯨。スカイスカウトはそれに立ち向かう銛打ちの小船だった。そして巨鯨は全身を強力な防御砲火で覆っていた。アイスキャンデーの黄色い輝きが、砂粒のようにスカイスカウトへ投げつけられてきた。焔で出来たアイスキャンデーだ。前方を覆ったかと思うと後方へと流れていく死の奔流が、いずれ自らを機体もろとも切り裂くであろうという恐怖に、中佐は操縦桿を握り必死で耐えた。

 フットバーを右へ踏み込んだ。ぐっと迫り出してくる敵艦の艦腹。目標はすでに、雷撃照準器の照星いっぱいに広がっていた。

「距離五百っ!……発射!」

 操縦桿に付けられた兵装切り離しボタンに指が触れた。

『――後方敵機! 近付く!』

「――――!?」

 スカイスカウトの頭上を、赤い弾幕が白煙を曳いて過る。ギリアン中佐が顧みるより先、ルアー軍曹の絶叫と共に機体が激しく震えた。


 距離を詰めて放った一連射は、地上人の双発攻撃機の胴体から操縦席後部に掛けてを、舐める様に着弾したように見えた。接敵したときから機銃を向けて応戦していた銃手が仰け反り、崩れる様に何処かへと消えた。

 エドゥアン‐ソイリングの駆るゼーベ‐ギルスが加速する。機体の性能からいって、逃す筈ががなかった。操縦桿を握る手に力が篭った。舌なめずりしてスロットルを絞りながら、エドゥアンは再度照準器を凝視した。照準器いっぱいに浮かび上がる敵双発機のずんぐりとした機影。そこにもう一連射を叩き込めば全てが終わるのだ。双発機の胴体から黒いものが離れ、次には青い光を発し眼前の巡航艦に向かって行く。空雷だと察した。雷撃は許したものの、狙いは巧くは無いと思った。引鉄に触れる指に力が入った。

一連射は、今度は正確に操縦席を捉えた。


 烈しい衝撃――その瞬間、胸を思いっきり殴られたように思われた。

 砕かれた計器盤と罅の入った風防ガラスを染める鮮血。自機を背後から飛び越えていく敵機の精悍な姿に中佐は眼を剥いた。その瞬間、体中から血の気が引くのを感じた。体中をまさぐり、救命衣の間にヌルリとした感触を感じ取った手が朱に染まる。自分が致命傷を負ったことを、中佐は薄れ行く意識の中で知った。

 


 一連射を打ち込んだ敵の双発攻撃機が、破片を撒き散らしながら高度を下げていく姿を、エドゥアン‐ソイリングはその上空からなおも追っていた。友軍の対空砲火を避けて俯瞰した限りでは、空雷はすでに巡航艦への命中コースから大きく外れていた。

 発火したエンジンから吐き出される黒い直線状の航跡が、次第に急な曲線を空に描いていくのを見る。やがてそこに炎が混じり、降下加速のついた機体から主翼を、外板をもぎ取っていく。炎の花が咲き、その後には無が残った。


 エドゥアンの口元に軽い笑みが宿る。横転の姿勢に入ったゼーベ‐ギルスの操縦席からは、雲海を割ったばかりの空母ダルファロスの巨体を眺めることができた。雲の厚みを割り、止め処ない上昇に転じる巨艦――

「――こちらソイリング中隊。掃除を完了した。指示を請う」

『――ソイリング中隊へ、中隊を集合させ、引き続き敵の襲来に備えよ。高度二〇』

「――了解(ジーガー)

 エドゥアンは列機に集合を命じた。集合する列機を導く様に旋回上昇を続ける。スロットルとプロペラヒッチを巡航モードに戻した。

『――四番機より編隊長へ』

「こちら編隊長。何だ?」

『エンジンの調子がおかしい。離脱したい』

「四番。貴公は何機撃墜(おと)した?」

『――ハッ!……一機は確実です』

「ご苦労だった。離脱してよし。他に燃料、弾薬等に不安のある者はいないか?」

 返事はない――主翼を翻し、隊列を離れるゼーベ‐ラナ四番機の姿を、エドゥアンは満足げに見送っていた。この空戦で、エドゥアン自身は先刻の攻撃機を入れて三機の敵機を撃墜した。中隊全体の戦果は、傍から戦闘の経過を見ている限りでは、だいぶ期待できるものであるように感じられた。「当然」、こちらの損害はない。先日の船団攻撃の際に犯した不手際が、他人事の様に思えてくる。不名誉を拭うというのは、こういうことなのだろうかと感慨にも浸る。

「願わくば、不名誉をさらに過去のものと為さんことを――」

 そのために必要なものが、ただ一字「勝利」……その蓄積であることを、若者は知っていた。




 中隊ごとに集合し、再び空域全体に散り始めた直援戦闘機隊の真下では、攻撃隊の発艦が始まっていた。その攻撃目標たる植民都市の名を、ポート‐カステルという。

 ポート‐カステルは、リューディーランド州都カステルの空の玄関であり、南大空洋(サウ‐パシフィカ)の要衝のひとつである。その存在は反対側にあるポート-ラヴァと並んで、リューディーランドを挟む三つの亜大陸と中部大空洋(セン‐パシフィカ)、そして地上世界とを結ぶ中継地点としてのリューディーランドの存在価値を高めている。そこを攻撃し、完膚なきまでに破壊することがダルファロスを発進した攻撃隊に課せられた任務となった。だが、それは作戦の企画時からすんなりと決まったことではない。レムリア軍上層部には後々の占領の際、将来に亘り自軍の拠点として活用するべく港湾としてのポート‐カステルの攻撃はあくまで表面的なものにとどめ、港湾施設そのものの維持を主張する者も多く、ラジアネス艦隊あるいは輸送船団の進出を予想し、再利用不可の不便を被っても港湾施設の完全破壊に拘泥する者の意見と、それは真っ向から対立する運命にあった。


 止め処ない航空攻撃と空路封鎖によりリューディーランドの戦略的価値を減殺し、その回復のために大艦隊を以て南大空洋に進出してくるであろうラジアネス艦隊の捕捉、それに続く再度の艦隊決戦を後者は求めていた。最悪レムリアが艦隊決戦に敗北し、リューディーランドが再びラジアネスの勢力圏に戻ろうとも、破壊されたインフラ全てを修復し、軍事拠点としての戦略的価値をラジアネスが回復するには、レムリア側の予想では最短の数値を取っても一年を要する。予想される敗北の損害を埋め合わせるのに、十分都合の付く期間ではあった。


 一方で、迎撃に転じるラジアネスはレムリアの侵入を排し、反攻拠点としてのリューディーランドを確保できない限り、この先幾度もレムリアの攻勢に怯え続けることになる……そこに、リューディーランド徹底破壊派の最大の目算があった。リューディーランドの制空権回復に要する資源と資金、そして人命の膨大なることを考えれば、ラジアネスとて容易に講和への道――という形でのレムリアへの屈服――を選ぶのではないか?……と。


 リューディーランド占領派は、艦隊決戦の誘導にあたり、徹底破壊派の示した数値の曖昧さを攻めた。レムリアが艦隊決戦に投入し得る戦力も、その際の自軍の戦果も損害も、果ては敵手たるラジアネス軍の投入兵力に至るまで全てが推測。そこに根拠と確定した数値が全く見出せないとあっては、不快感を示さずにはいられなかった。占領が叶えば、艦隊の制約を受けずに航空戦力と空雷艇戦力を浮遊島に進出させることもできる。リューディーランドをレムリアの砦と為せば、ラジアネス艦隊に対する艦艇面での数的劣勢にも少なからぬ補いが付こうというものだ。

 占領派に対し、決戦派も反論する。占領派はリューディーランド全土の占領を主張しているが、あの広大な浮遊島をどうやって占領するのか?……というより、占領に必要な兵力を何処から融通してくる積りなのか? 


 開戦以来、占領した植民都市への駐留で軍の陸戦部門からは数的な余裕が失われてしまっている。本国では徴兵基準の引き下げ及び、占領地の親レムリア的な植民地人の徴用により、大車輪で地上部隊の増強と改編に当たっているが、それがものになるのはレムリア同盟国防省の試算では、未だ半年先のことと見積もられている。喩え増強が一段落したとしても、リューディーランドの様な大浮遊島に兵力を送り込むのに、やはり大量の船腹と護衛艦艇が必要になるだろう――最悪の場合、レムリア艦隊はこうした護衛任務で身動きの取れない状態のまま、ラジアネスの迎撃艦隊との決戦に入ることも考慮せねばならなかった。ラジアネス艦隊に対するに全力で、それも自由に艦隊を動かせる状態で臨まなければならないと彼らは考えている。


 セルベラ‐ティルト‐ブルガスカ率いるレムリア艦隊機動部隊によるリューディーランド空襲と空路封鎖作戦は、本国レムリアにおける戦略論争が決着を見ないまま、あるいはその戦果を決着に反映させるべく開始され、継続されている。海陸に跨る敵の補給路を完全に遮断し、リューディーランド侵攻にしろ、リューディーランド近傍における艦隊決戦にしろ、後々に選択し得る戦闘で確実な勝利を得るための前準備の必然性が、今のところ将来の不確実な見通しに勝った形だった。


 セルベラ自身の意見は、艦隊決戦を重視する側に属していたが、その目的がラジアネス艦隊そのものの撃滅でなく、空母機動部隊の撃滅である分、より割り切った志向を持っていると言えるのかもしれない。健在な旧型艦に戦略的価値を全く見出さず、進空を果たした空母を悉く撃破してしまえば、少数の兵力でラジアネス軍の抵抗を削ぐことができるという意味で、彼女の思考は他の艦隊決戦派よりも合理的であり、一面では投機的であった。むしろ今次の敵空母撃滅を確実ならしめるべく、彼女は本国及び他空域で活動中のダルファロス級の増援を本国の軍本部に求めたほどである……セルベラの具申は、却下された。


 実績があるとはいえ、階級上はいち大佐でしかない彼女にダルファロス級の巨艦を二隻も預けるのに、本部では建制上難色を示す意見が多かったためであるが、それはこと軍内の「政治」に視点を転じれば表面上の理由でしかない。艦隊と空戦士軍団という二軍並立構造から成るレムリア軍という組織において、両者は本国と前線の別なく同じ場所に別個の司令部と基地を置き、共闘あるいは競合する運命に置かれている。現状、空戦士軍団出身のセルベラに大型空母一隻預けるだけでも、艦隊からすれば少なからぬ譲歩であるのに、預ける空母が倍になった以後の「先例」の定着を考えると、艦隊の、特に空戦士軍団に対する敵対心の残る古参幹部らからすれば心穏やかではいられない。



 ダルファロス 空戦士待機室にあっても、出撃を待つ空戦士たちの会話が続いていた。

「リューディーランドを占領するのかなぁ」

「占領するたって、何処から兵隊を持って来るんだよ。陸戦軍にいる従弟なんか人間が足りないって嘆いているってのに」

「この作戦が終わったら、こんどはリムドリアに行かされるらしいぜ」

「おいおい……そのままラジアネス侵攻で終わりじゃないのか?」


 幹部の指揮下で作戦飛行に従事する下士官空戦士の場合、作戦開始時の熱気はとうの昔に失せている。前線を飛ぶ彼らからすれば、今となっては殆どの地上目標を撃破しつくし、そのあとに続いた意味のない地上掃射と偵察飛行、そして船団攻撃が続いている。それらが日常のものとなるにつれ、歴戦の勇者達は倦み、漠然とした焦りを覚えていた。彼らにとっては死に場所は別にあり、より意義のある、納得のできる局面で彼らは死ぬべきであった。あるいは彼らは長い作戦に疲れ、後方での一時の休みを望んでいた。

ポート‐カステル攻撃の命令が出たのは、全軍がそんな雰囲気に両足を踏み入れたばかりの頃だ。焦燥に駆られる一方で、攻撃隊の空戦士達はある種の期待を抱いている。


 おそらくそこには戦力の払底した地域防衛軍の空軍ではなくラジアネス軍の空母機動部隊が待ち構えていることだろう。しかし、目標は地上人(ガリフ)の空母ではなくあくまで港湾施設だ。そして迎撃に駆けつけてくる敵艦隊の戦闘機は、後方で十分に練成を積んだ手ごたえのある空母飛行隊であるはずだった。あわよくば地上人の空母の位置を見つけ出し、攻撃を加えるのも夢ではないかもしれない。


「いつもの通りだ。存分に暴れて来い!」

 飛行甲板に降り立った飛行長の訓示を、タイン‐ドレッドソンの小隊四人を始め攻撃隊の空戦士達は斜めに構えて聞いた。常勝を誇るレムリア軍機動部隊の先陣を切る精鋭集団としての誇りと自負が、日焼けした肌、彫りの深まった顔、そして襟をはだけた赤い空戦士服に表れている。

 その彼らの傍らで幾重にも瞬く人工的な閃光――フラッシュを瞬かせているのは、つい先週からだルファロスに乗艦している軍報道局専属のカメラマンだ。戦前は映画撮影スタジオに勤務していたというリオン‐グーザという名のその青年は、艦内のいたるところで持ち前の好奇心を発揮し、軍機への抵触を懸念する甲板士官たちの心労を他所に、進んで空戦士達の中に入ってきた。そして歴戦の空戦士達もまた、飾らない、素朴な性格のこの青年を懐かしい娑婆の空気を匂わせてくれる貴重な相棒として遇したものであった。


 昨夜など、彼が肌身離さず持っていた写真が空戦士達の控室を賑わせたものだ。写真に納まる美しい少女に、その手の話に目ざとい若者達の好奇心が集中したのだった。

「この女とは、どういう関係なんだい?」

「関係……ですか?」

「そうさ、関係さ。教えてくれよ」と、リッカラ‐ヴィガズ少尉がニヤニヤして聞く。仕舞には締まりの無い顔をリオンに近付ける。

「そうですね……関係は……そ、その……ニ、三度ほど……」

 瞬時に場は空戦士達の哄笑に包まれる。そして青年は、キョトンとして周囲を見回すのだった。自分が為した勘違いに、彼は気付かなかったのだ。その心根の素朴さ故にリオン‐グーザは空戦士達の仲間に入れてもらえたのかもしれない。

「……ようし、質問を変えよう。そのニ、三度のうち一度でもいい、どんなことをしたか俺に教えてくれんか?」

 

 ――そして今日、リオンの覗くファインダーは、訓示に聞き入るヴィガズの横顔を捉えている。リオンに気付いたヴィガズが、リオンに軽くウインクした。それが、リオンがシャッターボタンを押した瞬間だった。

 訓示が終わり、解散の後でタインはロイン、グーナ、ヴィガズ各少尉を集めた。これまでとは打って変わって、今回の出撃では彼らは各個に中隊を指揮する。要するに別行動だ。艦の幹部たちからすれば、これまでの小隊は「異分子」を隔離するための編成であったが、一面ではラジアネス軍に有力な編隊が現れた際、これに対抗する「特務部隊」的な性格をも彼らは有する。だが先年の「アレディカ」戦役以来、その必要は綿々として薄れつつあった。


「お前ら、わかってるな?」

 円陣を組んだ状態で、タインは三人を眺め回した。

「一番多く撃墜(おと)したやつが、ビールを奢るんでしょう?」

「少し違うな。一番少なく(・・・)撃墜(おと)したやつが、ビールを奢るんだ。中隊全員にな」

「……給料一か月分が吹っ飛んじまう」

個人撃墜はおろか各個に率いる中隊ごとの戦果まで、彼らは賭けの対象にしていたのである。


 円陣を解散させてタインが向かった愛機には、レグエネン上等整備兵が待っていた。ジャグル‐ミトラ双発長距離侵攻機。およそひと一人を乗せるのに十分過ぎる様に思われる程に巨大な紅い翼。そして強大な力を秘めた発動機の持ち主。群がり来る地上人の機体を薙ぎ払い、祖国レムリアを勝利に導くための撃墜王の利器――折り畳まれ、上を向いた主翼を掻き分けるように操縦席に身を滑らせる。操縦席付近に描かれた撃墜マークは、すでに三十を超えていた。描き足していない撃沈した飛行船、あるいは協同撃墜から部下に下げ渡したスコアの分も足せば、撃墜数は五十を超えるかもしれない。


 嗅ぎなれたオイルの臭いが、今日はひときわ鼻を突く。

「オイルを替えたか? レグエネン」

「へい!」

 両目を覆うむき出しの義眼が、鈍い光沢を放っていた。オイルに塗れた証拠だ。

「地上製のエンジンオイルが手に入ったんですよ。冷やかしの積りで入れて見たんですが……」

「ですが……何だ?」

「大きな声じゃ言えませんがね、レムリアのものより品質がいい」

「…………」

 主人が不機嫌に黙り込むのをレグエネンは見た。弁解の必要を彼は感じた。

「取り替えますか? レムリア製と」

「いいや、試してみるよ」

 不機嫌から一転して鼻で笑い、タインはフルフェイスのヘルメットをまじまじと見つめた。意を決したように使い込まれ、各所に傷の入った赤いヘルメットを被ると、染み付いた体臭がタインの嗅覚を擽った。操縦席から下りたレグエネンが親指を立てた。その瞬間。待ちかねたように主脚と連結した牽引機がタインの機を発艦専用区画へと導いていく。


『――敵偵察機。艦隊外周を通過。攻撃隊以外の戦闘機搭乗員は迎撃準備せよ。繰り返す――』

「ほう……」

 突如流された艦内放送にタインは苦笑した。まだ生き残ってやがったのか。偵察機。ということは残余の敵機がこちらへやってくる可能性もあるわけだ。最期の勝負。絶望的な勝負を挑みに。ふと、見下ろした先に人影を認めてタインは顔を綻ばせた。先刻給油のために着艦したばかりのエドゥアン‐ソイリングが、ヘルメットを抱えて列線へ駆け寄るところであった。

「よかったなエド。また遊び相手が来るかもよ」

 エドゥアンは、タインを見上げるようにした。不敵な微笑が、無言の内に危険なまでの感触をタインに与えていた。

「賭けてみますか? 少佐殿」

「あいにく、持ち合わせが無くてね」

「ビール一本でいいですよ。地上のものは嫌いだけど」

 フッと笑うと、タインは前へ向き直った。それを見届け、再び駆け出すエドゥアンの顔からは、笑顔が消えていた。

 ダルファロス側面射出口近くには、同じジャグル‐ミトラが今まさに主翼を広げ発進を待っていた。ヴィガズの機だ。呼びかけてやろうとインターコムのボタンに指を掛けた瞬間、タインの眼が曇った。


 ヴィガズが……薄くなった?


 何が起こったのかは、わからない。ただ、一瞬ではあるが操縦席に収まるヴィガズの影が薄くなったようにタインには見えた。

 


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