第四章 「船団護衛 中編」
『――敵輸送船団、なお北上中。現針路を維持せる場合、リューディーランド東岸到達まであと二四時間以内と思われる』
艦内放送を通じて報告が重なる。報告にある「敵輸送船団」が発見されて二十分が過ぎ、すでに三度目の報告であった。
当然、艦載機による報告であった。航空母艦「ダルファロス」は、日昇と同時に十二機の索敵機を発艦させている。うち三機がリューディーランド本島まで進出しての、新たな攻撃目標の捜索及び選定の任を負っていたが、残りの六機に課された任務が、やはりレムリア艦隊と同様にリューディーランド近傍を遊弋しているラジアネス軍の「機動部隊」捕捉にあることは、もはや他言を要することではなくなっていた。
艦隊戦の始まりが近付いていると、ダルファロスの艦橋に詰める幹部の誰もが考え始めていた。前年、地上人との大規模な総力戦の口火を切った「大祖国空戦」――地上人の呼称するところの「アレディカ戦役」――は、アレディカ方面に向かうレムリア軍輸送船団を撃滅するべく進出したラジアネス艦隊主力を、自軍機動部隊が捕捉する形で始まっている。彼我の艦隊が、単に決戦を求めるという理由だけで相互に空に乗り出すということはあり得ない。この世界において艦隊戦は、浮遊大陸を自軍の勢力圏に取り込まんとする戦略を完遂する過程で生起するものであった。「大祖国空戦」という比類なき成功例がある以上、輸送船団を発見し、その動向を追跡しているという現状に、勝ち戦の兆候を見た者は少なからずいた。
「――――ッ!」
格納庫の深奥より発艦準備区域にまで引き出されてきた双発機の機影を、エドゥアン‐ソイリング少尉は絶句と共に見上げた。ニーレ‐ガダルとニーレ‐ダロム、外見もその運用も明らかに異なるレムリアの艦上双発攻撃機。整備員の操作する牽引機によって引き出され、列線を形成していく死の天使たち――敵主力艦に対する空雷攻撃を主任務とするガダルと、その際の敵護衛艦艇の制圧を主任務とするダロム、その何れもが「大祖国空戦」から始まる地上人との戦闘で高性能を実証している。双発ながら機体の小型化、軽量化を図っているものの、現状のレムリア軍でこの機種を運用し得る艦は、今のところダルファロスの他数隻の超大型艦に限られている。それ故にこれら双発機は、母艦とするダルファロス個艦の攻撃力を飛躍的に向上させているとも言える。
「隊長!」
背後から呼び掛けられ、エドゥアンは顔を半ば紅潮させつつ呼び掛けた部下を顧みた。未だ少年の面影を残した下士官が、折り目正しいレムリア式の敬礼を維持したまま、彼とそれほど年齢の違わない指揮官の指示を待っていた。
「すぐに出るぞ! 久方ぶりでの大物を逃す手はないからな」
「ハッ!」
表情を弾ませた下士官に先導させ、戦闘機隊の発進口まで歩を早める。二人の足には翼が生えていた。彼らにとってはリューディーランド近傍空域に進出して最初の航空撃滅戦、つまりは地上人への攻撃だ。しかし――
「――中尉殿、地上人の船団は百隻余りです。これらを殲滅するに、我々の編隊では聊か力不足ではありませんか?」
突き付けられた疑念が、エドゥアンから表情を奪った。今回の飛行でエドゥアンが率いるのは戦闘機八機に攻撃機が十二機、一度の出撃で船団を壊滅させるには、同様の戦力がもう一組欲しいところだ……というのはエドゥアンの現在の地位と権限からしても、そして現状の機動部隊の戦力からしても贅沢な願望なのであろうか?――
「――わからないか? 幾度かに攻撃隊を分け、時間を掛けて段階的に敵を殲滅する計画なのだ。船団の他に地上人の空母もいるというしな。特にブルガスカ司令はそちらにご執心だ」
「なるほど……」
「ことによれば、空母攻撃隊への参加も叶うかもしれんぞ?」
「…………!」
若い下士官の顔に喜色が浮かんだ。隠すまでも無い、それは期待の表情であった。レムリアの空戦士となった以上、誰もが地上人の正規艦隊との一戦を渇望するものだ。それだけの闘志と技量が、今のレムリア艦隊の空戦士には充実している。部下の表情にそれを察し、満足げに頷いたエドゥアンが、再び交通路に向き直ったそのとき――
「…………!」
交通路の一隅に、自分を待っていたかのように佇む飛行服姿を見出し、エドゥアンはその怜悧な顔に隔意を漲らせた。隔意を向けられた側は、およそ戦時に似合わぬ泰然さをそのままに、若者の敵意を真正面から受け止める。同じく彼と直面する形となった下士官が敬礼し、速やかに通路の隅に下がる。
「決戦を目前に、艦隊直援ですか? ドレッドソン少佐」
「決戦まで未だ時間があるから、しばらく休めとさ」
「…………!」
歯軋りしかねない程に表情を歪め、エドゥアンはタイン‐ドレッドソンを睨んだ。守備に下がったタインを揶揄する積りが、鮮やかなまでにはぐらかされた。
「最初の襲撃任務と聞いたから、ひとつ助言をと思ってな」
「助言?」
「地上人の船団は我々から三百空浬南西にいる。襲撃を掛けるならば、船団の北東からが好都合だ」
「韜晦針路ってやつですか……」
タインの言わんとすることを、エドゥアンは即座に理解した。理解できなければ、エドゥアンは他大勢のレムリアの高級幹部と同じく、出身階層を誇るだけの無能な幹部でしかなかったであろう。母艦の所在する方位とは異なる方向より襲撃を掛ければ、当然敵はレムリア軍機動部隊の所在を誤るであろう。誤らないにしても、一時の混乱をもたらすに違いない――エドゥアンの反応にタインは微かに笑い、そして続けた。
「それもあるが、時間帯的に太陽を背にして攻撃できる。地上人の眼は悪い。それだけ地上人の反応が遅れるから、生き残る可能性も高くなる」
「私は死を恐れてはいませんよ。あなたと違って」
「お前が死ぬかどうかはどうでもいいが、お前の下で飛ぶ空戦士を喪うのは痛いなあ」
「――――!?」
顔が蒼白になるのと、拳を握りしめてタインに一歩を踏み出すのと同時だった。狼狽した下士官がエドゥアンの腕を掴み、声を強いて囁いた。
「中尉殿! 発進に間に合わなくなります。急ぎましょう……!」
「……覚えていろよタイン‐ドレッドソン。いずれ決着をつけてやる……!」
タインが再び微笑み、エドゥアンに背中を向けた。撃墜王の幅の広い背中を、エドゥアンは殺意すら漲らせて睨み、そして見送る。
南方の雲は大陸のように広く、そして覇王のように気高い。
大型輸送船「アリサーシャ」号は、雲海の上を滑るように進んでいた。
気流を掻き乱す巨大な二重反転プロペラ、空中に浮かぶ町を思わせるごつごつした船体を伝い、取り巻くように渡された通路。石炭/重油混焼型のボイラーと直結する、船体を貫くようにその巨体から突き出た上部三本、下部二本の煙突は濛々と黒煙を吐き出し、同じく船体各所から姿を覗かせるマストや通信用アンテナの連なりはこの巨体の表面にひとつの林を形成していた。だがもっと眼を凝らせば、「アリサーシャ」の甲板舷側のキャットウォークが、白い布切れのようなものの連なりに占領されていることに、誰もが気付くであろう。
その船内通路。通路全体に乾し出されたおしめの連なりを掻き分けるように、「アリサーシャ」運用長イルク‐レイナスは船橋へと向っていた。
「ちっきしょう、湿っぽくていけねえ」
乗客に対する不満をぶつぶつ呟きながら、イルクは漸くのことで船橋のドアに手を掛けた。
「レイナス一等航空士。只今より当直に入りますっ!」
そのとき、嬌声を上げて眼前に突っ込んできた人影に、イルクは思わず足を滑らせた。したたかに床に腰をついたレイナスの傍を、彼の腰にも達しない背丈の子供達が笑いながら駆け抜けていく。
「…………!?」
船橋に広がった光景に、イルクは唖然とした。通路だけではない、船橋の至る所が洗濯物の干し場になっていた。そのほとんどがおしめとか、毛布。そして子供服だ。本来ならクルス‐フォルツォーラ船長が腰を下ろしているべき船長専用のシートには、若い船長より遥かに年下の子供達が腰を下ろしたり、シートの上に立ち上がったりしてはしゃいでいた。その様子に眼もくれず、船橋から奥まった折りたたみ式の空図台の上に空図を広げ、針路を走らせているフォルツォーラ船長。その空図の切れ端に、稚拙な花や動物の絵が描かれているのを、イルクは見逃さなかった。
「あいつら、なんてことを……!」
頭を抱え込むイルクに眼もくれず、フォルツォーラは言った。
「遅いぞ。さっさと当直につかないか」
「何時からここは幼稚園になったんですかい? 船長」
「決まってる。昨日からだ」
ともに船団を組む他の輸送船と同じく、避難民輸送のためリューディーランドへ向った「アリサーシャ」号が乗せることになったのは、現地企業社員や軍人の家族と、安全地帯へと疎開する子供達だった。前日にリューディーランド南部の港を発ち、八時間の独航の後に合流を果たした十四隻の輸送船団。もともと浮遊大陸へ向かう移民を運ぶ輸送船だけあって、人間を積むことは得意中の得意であった。それでも、ホームシックに陥って泣き叫ぶ子供達、船内で遊びまわっては無用のトラブルを起こす腕白盛りの子供達への対応には、さすがに老練を持ってなるアリサーシャの乗員たちも辟易させられたものだ。特にリューディーランドを発ったその日の夜に、臨月の女性客が産気づいたのにいたっては、アリサーシャ乗員の全員が肝を冷やしたものである。幸い、アリサーシャには一週間前に引退した老医師と看護士の夫婦が乗り込んでおり、日が変わってすぐに無事元気な女の子を出産したのであるが……
その医師が、船橋に入ってきた。先に声をかけてきたのはフォルツォーラである。
「やあ先生。今朝はご苦労様でした」
「わしは心臓外科専門でね、産科なんてかじったこともないんだがね……ほんとに肝を冷やしたよ」
「ご婦人はどちらへ?」
「今朝からずっと患者さんの傍に付き添っておるよ。礼なら女房に言ってくれ。あいつは産婦人科勤務の経験があるからな」
「コーヒーでも、どうです?」
「もらおうかな」
一人の少女が、コーヒーを運んできた。メイド服姿の少女の美しさと盆から漂ってくる芳香に、老医師は思わず目を細める。
「乗組員かな?」
「いえ、実家が喫茶店だそうで……疎開先に着くまで何かできることをやらせてくれと」
空図台の上に盆を置くと、少女は流れるような手つきでコーヒーを注いだ。それを眼にするだけで、心が安らぐような気分に包まれる。
「どうぞ、先生」
フォルツォーラが差し出したコーヒーを、医師は口に含んだ。コーヒー豆に篭められた全てを引き出したような芳しい風味が、味覚と嗅覚から交互に医師を歓ばせた。
「美味い……!」
フォルツォーラが、少女に囁く。
「あと二日で、君のコーヒーが飲めなくなると思うと、残念だな」
少女は、はにかんだ様に微笑んだ。
「船長、直援機が帰っていきます!」
外からの報告に、フォルツォーラは腕時計を覗き込んだ。滞空時間わずか三十分。しかも全てが巡航艦を改装した特設護衛空母より発進した複葉機だ。近傍を航行する別の船団が貴重な護衛戦力を割き寄越してくれた、それは増援であった。疎開船団と入れ替わるかのようにリューディーランドへ向かう、戦力と物資を積んだ百隻に及ぶ輸送船団。戦略的な重要性から言えば、彼らの方にそれがあるのは明らかだ。それだけに、安全圏に達するまでの三日間を貧弱な護衛戦力で乗り切らねばならない此方としては、一層の不安が募るというものであった。
「再度の直援機合流時刻まで、あと二十分か……」
セルロイド板に挟んだ予定表を見遣りつつ、フォルツォーラは呟いた。護衛空母から発進した複葉戦闘機自体の航続力が低いこともあるが、鈍足の船団に合わせて旋回と変針を繰り返さなければならない結果として、燃料消費の悪化に一層の拍車を掛けることになる。それが直援機の滞空時間の短さの要因となっている。
『――九時の方角より機影の接近を認む。六つ……いや、八つです』
「複葉機か? それとも単葉機か?」
フォルツォーラの質問には、敵味方の現状に関わる笑えない背景が存在する。護衛任務に回される政府軍機の多くが複葉の旧型機であり、全金属製の新型単葉機が少ない以上、彼我の帰趨定まらぬ戦闘空域で遭遇する単葉機は、まず敵機と見てかからねばならなかった。
『――船橋より船長へ、単葉機、単葉機と視認!』
「警報鳴らせ!」
言うより早く、フォルツォーラは手振りで命じた。けたたましくベルが鳴る中を。乗客とは明らかに外見の異なる、戦闘服姿の男たちが駆け回る。仮設の対空砲座を預かる空兵隊員たちだ。過日のコーラム島の撤退戦で味わった緊張が、嘔吐感となって胸元までせり上がるのを覚える。その巨体故に、「アリサーシャ」号は輸送船というその船種にしては過分とも言える対空兵装を抱え込むことになってしまっている。即席の砲艦になってしまったと言っても過言ではない。
『――船長、「アウグスタ」より転針信号です。全船、方位2‐4‐0へ転針!』
「…………」
双眼鏡を構え、駆逐艦「アウグスタ」を捉えて睨む。護衛戦隊の旗艦を務める旧型駆逐艦のマストに報告通りの気流信号を認め、フォルツォーラは表情を曇らせた。戦隊がより防備の充実した大船団への合流を企図しているのは明らかで、船団保全の主任務からしてもそれは正しい。だが、航程が遅れればそれだけ危機に遭遇する確率も高まるというわけだ。
『――船長! 単葉機の所属を確認しました。友軍機、友軍機です!』
入って来た弾んだ声に、フォルツォーラは思わず愁眉を開いた。それから時を置かずして、青黒い機影が船団の直上を航過していくのが見えた。複葉機には無い加速、そして力強さだ。機体が赤くない――今となってはそれだけで、安堵感を覚える船乗りが多い。
「支援船団の方角に向かっていく……おれらのとこに回るのは二線級ってわけか」
レイナスがぼやくように言った。それを咎める気も起きぬまま、フォルツォーラは部下に命じる。
「警報解除、ただし防空配置はそのまま。空兵隊長にはそう伝えてくれ」
『――「アウグスタ」より信号、予定航路に服せ』
「了解。変針中止。予定針路に復帰」
頭上に戦闘機を張り付けずに済む空を、船長は知らず渇望し始めている。
「レムリア機……?」
太陽光の降り注ぐ下で、銀翼が旋回を続けている。目指す大船団の上だ。そのすぐ下方でやはり旋回を繰り返す友軍機と比べて大きく、しかも双発であることから敵味方の区別はカズマですら容易に付いた。
恐らくは疎開船団であろう、南へ向かう小規模な船団の上空を過った先に、大船団に接触を続ける双発機の機影を、ラジアネス軍の増援編隊で最初に認めたのは実のところカズマであった。視力には絶対の自信があった。太平洋で戦っていた頃は、調子が良ければ一万メートル先を蠢く敵機の影が見えた。そうでなくとも、索敵に関しては幾度か死線を潜るうちに、「見る」のとは別の考え方に落ち着いた。激戦地ラバウルで空戦に明け暮れた日々の中で、一時銀翼を連ねたとある歴戦の搭乗員は、部下に索敵の秘訣を尋ねられるたび、こう言っていたものだ。
「――敵機は見るんじゃありゃんせん、感じるもんです」
その感じ取った敵機を、絶対に逃さない先輩であった。幾度か彼の下で戦ったが、彼に付いて飛ぶ限り、編隊が索敵について不覚を取った記憶は一度としてない。血色の悪い端正な顔、口数が少ないが故に常に陰鬱さと紙一重の、殺し屋の様な凄みを漂わせていた彼の撃墜した敵機は、転勤命令を受けたカズマがラバウルを出た時点で二百の大台に達していた筈だ……
カズマは、敵機を感じ取っていた。距離を詰めるにつれ、無線機の共通回線に船団を直援する護衛機の交信が入って来た。
『――速い! 追い付けない!』
巡航艦を改造した護衛空母から発艦したタマゴ複葉艦上戦闘機が、今となっては力なく旋回と上昇を繰り返す理由が察せられた。その彼らが追うレムリアの双発機は、タマゴの接近を察するや旋回から直線飛行に移り、瞬く間に距離を離していく。追尾を諦めたタマゴが船団上空に戻ったところを、そいつは再び船団に接近し追跡を続けている。
『――前方に敵機、船団に接近中!』
『――何だあいつ、遊んでいるのか?』
別の機もレムリア機を目視し、編隊を指揮するキニー大尉が苛立っているのを聞く。カズマは無言のまま。機銃の安全装置に指を掛けた。
違う――レムリアの双発機は追跡しているのだ。彼らの母艦に船団発見を報告しただけでは飽き足らず、恐らくは燃料の許す限り船団に追従し、船団の動静を報告しているのだ。つまりは近い将来に襲来するであろう友軍の攻撃隊を誘導するべく――
『――フィルバースト編隊、敵機を迎撃する。船団へ、敵機の位置知らせ』
ハンティントン隊にやや遅れて船団上空に達したクロイツェル‐ガダラ所属のジーファイターが、キニー編隊の前に踊り出る。しかし迎撃を命じておきながら、当の敵機への誘導を船団に依存するというのは聊か間の抜けた対応であるようにも思えた……やはり経験が、ハンティ隊に比べて少ないが故なのだろうか?
『――キニー隊了解した。編隊長より各機へ、エンジェル40。上空警戒に移るぞ』
「了解……!」
自分に言い聞かせるようにカズマは応答し、同時に了解の意思表示が回線に満ちる。偵察機への対処を他部隊に任せるにあたり、カズマには異存は無かった。船団の上空からさらに高度を上げ、同時に編隊の間隔も開く。風防を開け放ち、肩のバンドを緩めて首を動かし易く務める――敵の攻撃隊は、何処から来るのだろう? カズマはキニー大尉の二番機、言い換えれば編隊長機の左後方を飛んでいる。あとは出撃前の打ち合わせ通り、カズマは前方から左、そして後方の順に見張りを繰り返すだけだ。右方向の見張りはキニー大尉自身が受け持ってくれる。予め見張りの方向を分担させておけば、それだけ集中して敵機の存在を察知することができるというわけであった……と同時に――
「――すごい!」
一千メートルの高度差を置いて睥睨する飛行船団の威容に、カズマは思わず感嘆した。戦艦に匹敵する巨体を有する超大型輸送船十数隻を中心に、それらを取り巻く様に中小の輸送船、貨物船が数十隻に亘って並び、あるいは連なっている。カズマの知る海上の輪陣形とも空の爆撃機の編隊とも違う、圧倒的なまでの物量の、それは奔流であった。まるで空に、一つの都市が現出したような――
都市を思わせる船舶の群、そのさらに周囲を護衛艦艇、そして戦闘機が進み、あるいは忙しげに飛び回る。ただしタマゴ、CAウイングといった複葉戦闘機の上昇力はジーファイターに及ばず、カズマ達ハンティントン隊の足元で呻吟するかのように空を這い回っているように見える。
『――フィルバースト編隊、敵機を見失った。これより船団に合流する』
『――キニー編隊了解した。先刻の疎開船団が気掛かりだ。見てやれるか?』
『――了解。疎開船団に合流する』
ハンティントン隊の下方、ジーファイターαの四機編隊が船団上空に迫り、そこで二機が別れて船団上空に留まる。小規模な船団を守る――というより見送る――のに一個小隊も必要なく、これからのことを考慮すればハンティントン隊に対する加勢の必要も察したのであろう。クロイツェル‐ガダラの飛行隊との連携は順調なまでに取れていた。もしくはフィルバーストという向こうの編隊長と、キニー大尉が互いに見知った間柄であるのかもしれない……敵機の気配を求めてカズマの眼は巡り、やがて船団より遠く離れた空の一点で、眼差しに険しさを滲ませた。
「――――!」
方角にして西方向。船団から遠く離れた蒼い空の一点が、微かに揺らいだ――そう感じた。
反射的に旋回を止め、揺らぎに向かう姿勢を取る。揺らぎ方には覚えがあった。敵味方は別として飛行機が迫る前兆であることをカズマは知っていた。それを睨む内、揺らぎが太陽光の下で徐々に像となり、カズマの網膜は明確な機影にして捉え始める。そして機影は、ひとつだけではなかった。
「ハンティントン2より各機へ、西方向より機影の接近を認む。数十……いや、二十はいる!」
告げるのと同時に、驚愕する。カズマ個人としては、レムリア軍の関心がリューディーランド本島に向いている以上、烈しい攻勢はこちらまでは向かないのではないかという見通しがあった。だがそれが甘い見通しであることを痛感させられる機会が早くも訪れたことに、カズマは驚いた。レムリア軍はリューディーランドを封鎖する積りでいる……支援船団を完全に潰し、空の交通路を切断することで。
カズマの報告に従ったジーファイターが次々と旋回を始め、西に機首を向けた。その時点では、船団と敵編隊の距離までカズマの目算では一万メートルを切っている。通信回線に「見えた!」「見えない!」といった驚愕、困惑、苛立ちが混信を始めるのを聞く。飛行機乗りとして必要な視力と、戦闘機乗りとして広い空の只中に敵を見定める視力が、完全に意味合いの違うものであることをカズマは知っている。ただ眼がいいだけでは、空戦の続く日々の中では生きていけない。
キニー隊長はどうだろう?――反射的に周囲を探った右前方、やはり西側に機首を向けた隊長機の通信をカズマは聞く。
『――編隊長より各機へ。船団西方に敵編隊四群。間隔を開きつつ船団に接近中!』
よかった――酸素マスクの下で安堵の溜息を洩らす。それまで判然としなかった敵編隊の配置が、今となってはそれらの曳く飛行機雲からはっきりと判る距離であった。
『――各機、増槽を落とせ。編隊長に続航せよ』
ジーファイター各機より、丸い増加燃料タンクがぽろぽろと零れる様に落ちる。増槽の中身は既に空に近付いていた。ここからハンティに帰る残燃料を考慮すれば、迎撃に掛けられる時間は三十分でしかない。発進前に出た「帰れないときはリューディーランドに行け」という、キニー隊長の言葉が現実味を帯びてくる瞬間だ。
どう攻める?――カズマの新たな疑念を他所に、キニー編隊長は敵編隊の中央に向かい直進を続けている。高度にして二千メートルの高度を北上する船団とほぼ同高度を飛ぶレムリア軍編隊からすれば前上方の位置にキニー編隊はいる。
カズマはやや困惑を覚えた。こちらの優位は僅かな高度差だけ、敵の戦闘機が高度を上げればそれも忽ちの内に解消される。数的な劣勢がある以上、向かって右端か左端の編隊から一撃を掛けつつ、敵編隊を崩して突入速度を殺すことに専念した方がいいのではないかと思えた。同時に共通回線が慌ただしさを増し始めるのを聞く。敵編隊の接近の報に接した護衛部隊が、持てる艦載機の発進を始め、船団に占める直援機の密度が急速に上がり始めた証であった。現時点では数だけならば敵編隊に対して互角な筈だ――そう、数「だけ」ならば。
「――――!?」
機影が二機、カズマの眼前を過り、そして前に出た。空中衝突スレスレの危うげな機動であった。スカイブルーのジーファイター――
『――ガダラ03、これより攻撃!』
『――ガダラ03、何をやっている? 列に戻れ!』
先行するガダラ隊の弾んだ声と、怒るキニーの命令が通信回線を交差する。と同時に、前方の敵編隊のうち数機が急角度に上昇し、距離を詰めてくるのを見る。上昇するのに出力を上げれば、それだけ太く飛行機雲を曳くのだから軌道は容易に読み取れる。その軌道から戦闘機だとカズマは直感した。上昇速度は速く、それだけでも性能面での劣位を痛感させられる。
『――全機へ、敵攻撃機の撃破に専念せよ。戦闘機は直援機に対処させる』
『――了解!』
ハンティ隊が一斉に応じ、カズマもまた倣った。戦闘機だけでフネを沈めることはできない。それにフネを襲うとなれば護衛艦と直援機の抵抗を排除しなければならない――ハンティ隊にはそういう目算が共有されている。あるいは、戦闘機隊を相手にしないという指示をだすことで、抜け駆けたガダラ隊を呼び戻す効果を狙ったのかもしれない。
『――ガダラ隊、聞こえているか!? 聞こえたら返事をしろ!』
『――ガダラ隊、回避間に合わないっ! 接敵!――』
カズマの眼前で、ジーファイターの軌道が乱れた。二機のジーファイターに対し向かったレムリア機は四機。反航、同高度での接敵では勝負が見えていた。高度を上げたハンティ隊の眼下で、ガダラ隊を取り巻くレムリア機は更に増える。ゼーベ‐ラナとかいう名前の、あの精悍な機影を有する機体であることを、カズマは即座に察した。スロットルを開けてキニー機に迫り、銀翼を振る。キニー大尉の関心を惹いたところで、カズマは手振りを示した。
『――ガダラ隊を助けに行きます』
『――気を付けろ』
キニー大尉の手振りと信頼に敬礼する。と同時にジーファイターを背面に入れる。見上げた先で空戦の環が生まれていた……とは言っても、逃げるように旋回を繰り返すジーファイター二機を、上昇と旋回を繰り返しほぼ球形に取り囲むラナの群が六機。ラナが増えている。戦闘というより、群れから逸れた羊を狙う狼の群という表現が良く似合う構図だ。
「――――っ!」
囲まれた一機が白煙を吐き、同時に左方向に急旋回を始めた。カズマは舌打ちと同時に撃った。ラナの注意を惹き、囲みを解くための射撃であった。白煙を惹いた弾丸が囲みの付近でばらけて、二機のラナが剥がされる様に囲みから離れた。囲みに間隙が生じ、カズマは加速を付けて飛び込んだ。
白煙を曳くジーファイターを執拗に追うラナが一機。その鼻先を狙って再び撃った。撃たれたラナが左旋回で離れるのが見え、カズマは叫ぶ。
『――2‐8‐0だ! 2‐8‐0に逃げろ!』
ジーファイターがよろける様に降下する。白煙が更に濃くなっていた。バックミラーを機影が掠める。フットバーを蹴り、ジーファイターを右に滑らせる。左を鼻先に流れ行く弾丸の矢。反撃はしない。速度を殺したくなかった。再びバックミラーを見遣り、ラナが二機……否、三機カズマの背後に獲り付こうとしている。しめたものだと思う――降下しつつ、カズマは一度空戦の環から抜けた。気速のお陰で距離は縮まっていない。降下時の加速性能だけは、ジーファイターの方が一歩程勝るかもしれない。
『――ハンティ1、一機撃墜!』
キニー隊長の弾んだ声を聞く。隊長たちが攻撃機に第一撃を掛け、それが成功したことをカズマは察する。カズマを追っていた三機のラナが、一斉に機首を引き起こして離れていくのを見る。攻撃隊の上げた悲鳴を聞き付け、今更ながら直援戦闘機としての彼ら自身の本分を自覚したのであろう――それもまた、カズマの狙うところであった。
「――――ッ!」
加速が、操縦桿から軽さを奪っていた。握る片手に、スロットルを任せていたもう片手を加える。次には満身の力を込めて左に倒し込む。機首が少しずつ上がり。緩い上昇の頂点で切り返す。向き直った先――機首から臨むやや下方では、二機を喰い損ねたラナ群が、一斉に元来た空を引き返し始めていた。すぐに攻撃を掛けるには遠過ぎる。
『――ガダラ4、油圧低下……これより高度を下げ、脱出する』
逃れた二機に近付き、同航する。エンジン部から白煙を曳いた一機。それに寄り添う比較的健在なもう一機――それとて胴体から尾翼に至るまで散発的に撃たれている――が、カズマの姿を認めるや。手信号を送って来た。
『――同行し、脱出を支援する』
『――了解!』
つまりは戦線からの離脱を二機は企図していた。戦闘不能であるのだから、軍法上でも十分に許容される話だ。
『――支援感謝す。帰ったらアイスクリームを奢りたし』
『――楽しみにしている』
再びの手信号に、苦笑と挙手で応える。同時に降下し戦闘空域から離れていく二機を見送るまでも無く、カズマはキニー隊長たちの方角に目を凝らした。接敵時には存在しなかった飛行機雲の環が、それも幾重に亘って雲海の中に聳えていた。攻撃隊の足を止めることはできたが、止めることのできたのは四個編隊のうち一個のみで、あとの三個は脇目もくれずに船団への直行を維持していた……否、うち一個編隊が急に針路を変えた。カズマは一瞬困惑し、そして絶句する。あの方向は――
『――編隊長よりハンティ2へ』
「――ハンティ2!」
『――敵編隊一群が疎開船団に向かっている。坊やの機が近い。追跡してやつらを止めろ!』
「――了解! 止めます!」
編隊から離れたが故に、今のカズマは遊兵のように使われている。護衛艦隊を発った複葉機が、群れを成して敵編隊の方向に飛んで行く。性能面では勝てないかもしれないが、敵機の動きを止めることはできる。編隊の数は六……いや七機、支援船団を目前にして旋回を終えた彼らはカズマに背を向け、遠ざかる位置にあった。戦闘機の影はいない。いずれも攻撃機と思しき双発機の影だ。
「…………」
妙な事をする……とカズマは思う。疎開船団には目もくれず、戦力を集中し支援船団ひとつを潰せばリューディーランド封鎖戦略は成る筈なのに――侮っているのか?
『――キニー編隊へ、ハンティより八機向かった。到達まであと二十分』
バクルがいれば……とカズマは思った。増援部隊の中に彼が含まれているのを、カズマは心から期待した。
単機、攻撃機を追跡して雲海を超える途上、何かが弾ける音が聞こえる。それも幾重にも重なり、連鎖している。対空砲火の生む響きだ。距離はなかなか詰まらなかった。攻撃機の速度は決して遅くは無い。気を抜くと置いて行かれそうに思え、それがカズマを焦れさせる。雲々の切れ間、鈍足で南下する疎開船団すらすでに視界に入り始めていた。陽光を吸い込んで瞬く、巨大な葉巻のような船影の連なりだ。
「あ……!」
疎開船団とも敵編隊とも別方向、疎開船団に向かい迫る機影をカズマは察した。雲海に遮られていたこともあるが、前方の攻撃機に傾注していたが故に察するのが遅れた。機影の数は八機、戦闘機だと思った。
「疎開船団へ、こちらハンティ2、北東より敵編隊の接近を視認。数八! 聞こえるか!?」
『――こちら疎開船団QE014、雲に遮られて見えない。高度はわかるか?』
「高度は……わからない」編隊が雲に遮られた。編隊の行方を掴めそうには無かった。
『――こちらガダラ隊、北東に向かう』
飛び込んできた通信から、疎開船団直援に当たっているという、ガダラのジーファイター隊のことをカズマは思い返した。確か隊長機を含めて二機だった筈だ。
追う攻撃機群との距離が徐々に詰まり。同時に編隊の最後尾に付く一機の後席風防が開くのをカズマは見た。自分を撃退するための機銃を用意しているのだと察した。双発機だが胴体と主翼ともに小柄に纏まった、形のいい機体だ。確かニーレ‐ガダルと言っただろうか?――Fs24ガンサイトの、電源を入れた照星の中心にガダルを入れ。スロットルレバー上のボタンを押し込む。距離にして三百メートル……とカズマは目算する。Fs24の緒元が正確ならば、内蔵する電気計算機が算出し得る目標への最大有効射程が四百メートルであった筈――
照星が伸縮し、サイトの両端がガダルの両翼端を捉えたところでボタンから指を離す。当たるだろうか?……と迷う。目標への見越し角を出せるジャイロ式照準器の無い零戦や紫電改で戦った経験だと、有効な射撃ができる距離は二百メートルが精々。更に言えば今までのジーファイターによる飛行でも試したことの無い長距離射撃だった。
「――――ッ!」
操縦桿上の引鉄を押し込み、カズマは撃った。機体が震え、白煙を曳いて飛び出した黄色い礫がガダルの尾翼に吸い込まれるのを見る。蒼空を背景に、散った破片が陽光に照らし出されて舞うのが見える。
照準をやや上にもう一連射――数発が左エンジンを射抜き、黒煙を吐き出させる。プロペラの回転が眼に見えて落ちた。火を吐かないのは、それだけ防弾がいい証か? 速度を落としたガダルが編隊から脱落し、カズマは次のガダルに目標を替える。彼らの撃墜では無く、彼らを船団に近づけないことが自分の役割であるとカズマは理解していた。一連射を撃ち、二機目の右翼から白い筋を吐き出させた。燃料だと察した。もう一撃で白い筋は明るい焔となった。防弾してある箇所とそうでない箇所があるらしい……右翼を火達磨にしたガダルが左横転の姿勢から高度を落とし、黒煙を引き摺ったそれは、カズマから遥か眼下の雲まで達したところで二つの影に割れて散った――
『――ハンティ2、一機撃墜!』
生き残った五機では、後席機銃による応戦が始まっていた。おそらくは三座式であろう最後尾の席から身を乗り出し、たった一機のジーファイターに向かい単装機銃を撃つレムリアの航空兵。まるで甲冑のような軍装に頭まで覆った成りでは、個性を推し量ることはできなかった。
前方から投げ掛けられる緑色の曳光弾が、ジーファイターの至近を掠め始めた。機体を滑らせて編隊の右端に達し、右端の一機に向かいカズマは撃った。操縦席の付近に当たり、カズマに機銃を向け掛けた機銃手が仰け反って倒れるのを見る。エンジンにも当たったように見えたが、何も起こらなかった。編隊から離れるかの様に左旋回に入ったガダルの胴体から、何か大きなものが落ちた。空雷だと直感した。危機を察し投棄を択んだのかもしれない。それでもまだ四機――眦を決しさらなる目標を択ぼうとしたカズマの背後を、機影が殺気と共に過った。
「――――っ!」
顧み、同時に機体が揺れる。攻撃機の生むプロペラの後流を被り、姿勢を崩したジーファイターの背後を、粒の大きな弾幕が白煙を曳いて追う。横転を打って左旋回に移ったジーファイターを、赤い銀翼を怒らせて追う戦闘機の一群――自身に向けられた黄色いプロペラスピナーが、凶暴な猛禽のそれをカズマに連想させた。




