第三章 「船団護衛 前編」
クロイツェル‐ガダラは、クロイツェル‐メラティカーラ級戦艦の三番艦を改装した航空母艦である。
その改装内容は全ての主砲塔を撤去し、飛行甲板と格納庫を増設した結果、不要となった主砲弾の弾薬庫は、航空機の格納庫と艦種変更により増えた人員を収容するための空間と化した。同時に対空兵装も増設され、対空戦闘能力に限ってはクロイツェル‐メラティカーラ級のそれを凌駕するまでになっている。
ただし、改装の結果として、生まれ変わった外観はかなり歪なものとなった。「クロイツェル‐メラティカーラ」級特有の、艦体を貫くように配置された巨大な反転式推進プロペラを避けるように艦の上下に配置された飛行甲板は、艦そのものの高さを増大させ、それによって崩れた安定性を回復するため取り付けられたバルジが、艦腹からあたかも魚の鰭のように張り出している。そのような形状から乗員からは「グッピー」という愛称で呼ばれることとなった。この「グッピー」は元戦艦だけあってその防御装甲は堅固であり、搭載機は最大百二機を搭載する。航空機の性能向上に適応した艦隊型空母の配備という、改装計画当初の目標は、一先ず果たされたのであった。
「クロイツェル‐ガダラ」が、「ハンティントン」と併走する様子を、ツルギ‐カズマはハンティントンの上甲板から黙って眺めていた。
肌蹴た白い軍服のシャツから覗く緑色の肌着は、先程の哨戒飛行で掻いた汗で黒に湿っていた。まだ少年の面影を残した端正な顔と背が低いながらも、若いサラブレッドのように均整の取れた体躯の調和が、健康的な若者特有の瑞々しさを南風のさざめく中に発散させていた……そう、艦隊は南、南の空を、戦いを求めて彷徨っている。再度の哨戒飛行に配置されるまでには、未だ十分に時間があった。
先週の半ば、ツルギ‐カズマは少尉候補生に昇進した。過日の船団護衛作戦における彼個人の活躍が認められたこともあるが、ラジアネス中央政府軍という組織において、作戦機操縦士に士官以下の階級保持者の存在が制度上容認されることはないという事情も多分に作用していた。ただし士官任官にあたり専門の教育を施す必要も生じたわけで、それが修了するまでに、准士官待遇が可能な仮初の立ち位置がカズマには宛がわれたというわけであった。
任官にあたり出頭した「ハンティントン」艦内事務所で、人事担当幹部の教えてくれたところの「専門教育」を受けることのできる目途は、未だ立ってはいなかった。それでも戦時の只中であることも作用し、この世界に来てから一年も経たないうちに、カズマは前の世界の大日本帝国海軍における自身の階級とほぼ同格にまで上り詰めたということになる。飛行兵曹長という、叩き上げの帝国海軍飛行士としてはある意味「上がり」とも言える階級と同格に――
巨大な反転式推進器を轟かせ、今にも「ハンティントン」を追い抜こうとする「クロイツェル‐ガダラ」の姿を眼にしたとき、カズマは微かに微笑んだ。重力法則を無視して悠然と雲海を割る巨艦を前にしては、そんなものが無い世界で生きてきた異邦人としてはただ笑うしかなかった。形のいい唇から覗く並びのいい白い歯が、彼特有の少年らしさを一層引き立てていた。二隻の空母を取り囲むように、距離を置いて航行する護衛の巡洋艦、駆逐艦の数は目に見えて増えていた。
艦艇は空母の全周を包み込むかのように広範な空域に展開し、あらゆる方向からの攻撃に対応できるよう布陣している。その中心に位置する「ハンティントン」と「クロイツェル‐ガダラ」は、リューディーランド防衛を指向するラジアネス艦隊にとって攻撃の主体であり、その艦としての特性ゆえ空からの攻撃に対しては脆弱であった。このあたり、空を飛ぶ空母も海を行く空母も同じものであるらしい……と、カズマは考えた。
敗退続きであるのにも拘らず未だ豊富な戦力を残し、さらには強大な工業力にものを言わせ、さらに戦力を拡大しているという事実。これこそがラジアネスという国家の懐の深さを示しているのかもしれない。おかげでリューディーランドから伝えられる度重なる敗報に拘わらず、ハンティントン艦内では意気の上がること甚だしい。これだけの戦力が揃っていれば、ラジアネスは十分やれる。というわけだ。
機動部隊のみならず、リューディーランド方面でも味方の別働艦隊の動きも活発化しているようだった。緒戦で大打撃を受けたリューディーランドの航空部隊もまた、数少ない残存戦力を結集して反撃に出るという情報もあった。また、先週にリューディーランド本島に上陸を果たした空兵隊の二個師団が各地の主要拠点に進出し、展開を終えているとも聞いている。これらの戦力が、現在レムリア軍機動部隊と向き合っているのだ。
……が、機動部隊の任務は違う。
リューディーランド島より逃れる避難民の支援。それがカズマの属する第001任務部隊に与えられた主任務だった。敵機動部隊の捕捉撃滅など、副次的なものに過ぎない。司令部の意向としては、空母二隻という小兵力。それに熟練とは到底言いがたいパイロットの寄せ集め所帯を、強力なレムリア軍機動部隊に正面からぶつけることに抵抗を感じたのだろう。虎の子の機動部隊を比較的安全な任務から徐々に慣れさせていくこともまた、今回の作戦の真意であるのかもしれない。
もしくは、新しい部隊に手柄を奪われたくない旧来の戦艦屋の横槍か――第001任務部隊の指揮を執るフョードル‐ダオ‐“D”‐ヴァルシクール中将はそう考えている。
かの「アレディカ戦役」で無敵を謳っていた戦艦部隊があれほどの無能を露呈したのにも関らず、艦隊司令部が戦艦部隊の再建計画に変更を加える様子が全く無いというのがその根拠だった。おかげで真の意味で必要なはずの正規空母の建造計画が圧迫されている。政府としては数ヵ月後に7隻の空母を進空させる予定だが、戦艦にかける手間を省けばレムリア軍と互角に戦える、もっと充実した戦力を整備できるはずだ。後に「月刊正規空母。週刊軽空母。日刊護衛空母」と称されるほどの威力を誇ることになるラジアネスの工業生産力だが、この時点では戦時生産計画そのものはようやく軌道に乗り始めたばかりだった――戦力は少なく、敵は遥かに強大
蒼穹を劈くレシプロエンジンの快音――
上甲板にいるツルギ‐カズマの頭上を、四機編隊のジーファイター艦上戦闘機がエンジン音も高らかに駆け抜けていく。その余韻が気流の衝動となって伝わってきたのか、カズマの豊かな髪の毛が一陣の風に揺れた。リューディーランド本島への哨戒飛行から帰投してきたのだ。増槽をくっつけたままのところを見ると、今日も敵機との遭遇は無かったのだろう。先日から、リューディーランド方面に向かう偵察は、二機以上のジーファイターによる強行偵察に切り替えられている。その一個小隊――四機編隊――のジーファイターはハンティントンの上空で一斉に旋回し、「クロイツェル‐ガダラ」へと機首を転じた。「α」と称される初期生産型の機体。運動性こそは後進の「β」よりも優秀だが、今となっては武装も、将来の航空戦に必要な上昇力と高々度の飛行性能においても物足り無さを覚える。一方でこれらの要素に勝る「β」は、「ハンティントン」に集中的に載せられている。
「カズマッ、ここにいたのか」
呼びかける声に、カズマは振り向いた。微笑を浮かべるクラレス‐ラグ‐ス‐バクルの金髪が、雲の上、照り付ける日差しに鈍く輝いていた。
元はレムリア軍に在籍していたバクルも、現在では昔の敵手たるラジアネス軍の艦隊勤務がすっかり板についたようだった。バクルとは哨戒飛行、艦隊の護衛任務ですでに何度も一緒に飛んでいる。すでに空の上では無線を使わずともお互いに考えていることが判るまでの仲になっている。
「ブリーフィングはもう終わった?」
「ああ、発艦は昼過ぎになるみたいだ。ぼくの隊には腕の怪しいのが多くてね、編隊を組むだけでも冷や冷やものだよ」
苦笑しながら話すバクルの口調は、それでいて結構明るい。艦隊の生活を楽しみだしている証拠かもしれない。
「おれは夜の組だよ。せっかく寝ていられると思ったのに」
「戦場が近いというのに君は何時見ても落ち着いてるな。実戦経験者の余裕か」
お世辞にも似たバクルの言葉に、カズマもはにかんだ様な表情を浮かべる。
「格納庫に行ってみるといい、整備の連中なんかピリピリしてる」
それもそうだろう、整備員は戦闘の際無任所の雑務に就くことになっている。雑務とは即ち伝令及び対空戦闘の補助要員や消火、補修などのダメージコントロールへの参加だ。したがって本来の整備作業以外に、戦地へ到着する前にこれらの作業にも習熟していなければならない。当然、彼らのこの種の訓練も厳しく、熱の入ったものとなっていた。職域が違うからといってうかうかしていれば全員の命が失われてしまう。特に損害によっては、個艦はおろか艦隊そのものの作戦行動にも甚大な支障をもたらすことになる空母では、これらの訓練は搭載機の稼働率向上と同じく重要な事項だった。
「デミクーパー空兵上級曹長のことは?」
「知ってる」
「彼のおかげで、ハンティントンはまるで空兵隊の訓練キャンプだ。朝から昼間で乗員の絶叫が絶えることが無い。空兵流に鍛え上げれば皆多少の性根が座るってものさ」
カズマ機の専任整備員で、デミクーパーの教え子でもあるというマリノ‐K‐マディステール空兵少尉の顔を脳裏に浮かべて、カズマは思わず吹き出した――端正な顔立ちに似合わず、空冷エンジンの排気パイプ並みに根性の捻じ曲がったあの大女のことを。
バクルは言った。
「ぼくらはレムリア軍を完膚なきまでに叩き潰す必要は無いしそれは出来ない。しかし連中にリューディーランドへの侵攻を断念させればいいんだ」
「ああ……!」
バクルの言葉は、カズマの胸にぐっと圧し掛かる。カズマが廻らせる瞳の臨む蒼穹の先々に広がる、雄渾なまでに連なり交差する真白い航跡。それこそが空の戦いへ臨む猛撞たちの存在の証明であった。
予定通り、バクルはハンティを発った。
ジーファイターに続き、BDウイング艦上攻撃/戦闘機の四機編隊が「ハンティントン」上空を統べるように過る。機影は遠ざかり、雲の向こう、彼らが守るべき空への航路を刻み始める。「ハンティントン」を母艦とする第177空兵攻撃/偵察飛行隊の所属機だ。リューディーランドに向かう輸送船団の護衛が彼らの任務で、作戦飛行自体は先週から幾度となく続けられている。戦闘の可能性を考慮しなければ、日常の長閑さは平時の演習航行と何ら変わることが無いと古参の下士官たちは言っていた。
ツルギ‐カズマは、なおも上甲板にいる。
自身が戦闘要員であることを忘れれば、甲板に寝そべって青空を仰ぐ様は、船旅にある風来坊のそれと何ら変わることが無かった。彼にとって今のところ、全長260メートルに及ぶ巨艦をさんざん彷徨った挙句に見つけたその場所は、昼寝をするのにうってつけの場所だった。地上にいるよりも一段と暖かい日差しの下でくつろぐ至福のひと時――それは飛行作業を終えた自分に対する、カズマなりのご褒美なのだった。同じ戦争中だが、前の世界に比べてこの世界では、ずっと緩やかに時間が流れている。ただし、空を何度見上げたところで、元の世界に戻れるはずが無かった。
こんなところでおれ、何やっているのだろう――考え込む回数が、増えていた。自分がこの世界に来た意味を、カズマは本気で真剣に考え始めていたのである。
何故、自分なのか?――ぼんやりと考えながら、エンジン音も軽やかに上空を通過する護衛のジーファイターに見開きかけた眼を、カズマは再び細めた。
何故、自分が?――その思いを抱きながら死んでいった仲間を、カズマは知っている。
だが、その一方で何故、自分が?――その思いを抱きながら生きている自分もまた、ここにいる。
やっぱり、わかんねえな――寝返りを打ちながらも、その身はすでに忍び寄るまどろみへと全てを委ねかけている。連日の哨戒飛行の疲れか、先程から聞こえている艦内放送の内容など、もはやどうでもよくなっていた……ズカズカと近づいてくるブーツの音にも。
ゴツン……!
「いってー……!」
昼寝から一転、蹴り上げられた頭を抱えながら悶絶するカズマを、マリノ‐カート‐マディステールは冷ややかに見下ろしていた。眼を開けたカズマがこちらを振り向くのを見届けると、何も言わず背を向けてもと来た路を辿っていく。身を起こし呼び止めようとしたカズマの耳に、艦内放送が再び聞こえてきた。
『――ツルギ少尉候補生、ツルギ少尉候補生。至急飛行甲板へ。繰り返す――』
周囲に見回すと、カズマは気を取り直したように服の埃を払った。その際、不貞腐れた顔で
「バーカ」
とマリノに愚痴るのも忘れない。
「あ゛……!?」
遠ざかりかけた足が止まった。振り向き越しにカズマを睨みつけるその顔は、明らかに怒りで引き攣っていた。
「――――!」
まずい!――絶句し、カズマは慌てて駆け出した。その後ろを凄まじい響きを立ててブーツの音が追ってくる。
着任以来、何度経験した「追いかけっこ」なのだろう?――マリノの脚は早い。それも途轍もなく早い。予科練時代から敏捷さで馴らしている筈のカズマの健脚など、どんなに距離差を置いても忽ち挽回されてしまう。それがカズマにはわけがわからない。
何度かラッタルを降り、角を曲がり、廊下を駆け抜け、ホームベースに滑り込む走者宜しく銀翼を折りたたんだジーファイターの並ぶ飛行甲板へ滑り込むのと、獲物を追う肉食獣宜しく凄まじい勢いで突っ込んでくるマリノに組み付かれるのと同時だった。
「うわっ!」
押し倒され、マウントポジションで組み付かれたカズマの見上げる先に股間、そして広がるシャツに覆われた豊かな胸越し。そこからマリノの勝ち誇った瞳が覗いていた。
「コラ、バカカズマ。あんたがあたしにタメ口聞こうなんざ一万年早いのよ……!」
両腕を封じられたカズマの頬を叩き、抓りながら、マリノは詰った。
「蹴ることはないだろ」
「起こしてあげたのよっ。愛を込めて……ね!」
「ウエエエーッ」
「気持ち悪い」とばかりに舌を出したカズマ。空かさず伸びた手が、カズマの鼻を摘み上げた。走る激痛にカズマは思わず足をバタつかせた。
「君たち、仲がいいのは結構だが、イチャつくのは陸でやってくれないか?」
真白い制服の上に羽織るようにして纏ったオレンジ色の分厚い救命衣、それらを着込んだ長身の口髭が苦笑気味に二人を笑う。第187飛行隊副官ジャック‐“ラムジー”‐キニー大尉が、近くに在って二人の様子を伺っていた。いち早く立ち上がったマリノが表情を引き締め、襟を掴んでカズマを立たせた。カズマを見下ろし、大尉は言った。彼が自分を「待って」いたことに、カズマは今更のように気付く。マリノは彼に言われ、カズマを此処まで引っ張ってきたのに過ぎない。
「坊や、急いで装具を着てブリーフィングルームに来い。緊急出撃だ。状況は追って説明する」
「はい」
了解。だが「坊や」と呼ばれたことにカズマは無表情、だが内心で憮然とし、同時に傍らから投げ掛けられる視線に気付く。カズマの場合、その外見のせいかいくら操縦技術が認められ、戦果を上げようと、未だまっとうな「大人の軍人」として認められないことに、今となっては不満が溜まり始めていた。マリノが眼鏡越しに瞳を笑わせて、傍らの小柄な艦隊操縦士を見下ろしていた。命ずべきことを命じたキニー大尉が離れていくのを見送りつつ、マリノが声を嘲弄させる。
「坊やだって。あんた、ケーキとかアイスクリームばっか食ってるから背が伸びないのよ。肉食え肉」
「うっさい。このま○こめ」
「――――!?」
絶句――同時に凄まじい勢いで振り下ろされたマリノの拳を、カズマは間一髪で回避す。その後にはおよそ軍人の挙動とは思えない追い駆けっこが再開されるのだ。
「このガキャー! 殺してやる!」
背後から嵐の様に迫りくる殺気が、走る足に一層の力を与える。顔が端正なだけ、怒気が籠れば直視できない位に恐ろしい。カズマの躯を捉えようと振り回される長い腕を、攻撃機の主翼に潜り込んで逃れようと試みる。マリノは機体を軽々と乗り越えて奔るカズマを追い、そこに整備作業を妨害された整備員の悲鳴と怒声が追い縋る。
「――――!?」
驚愕――太く、浅黒い腕であった。横合いから延びてきた一本のそれがカズマの襟を掴み、そして二本に増えて背後からカズマの胸から首を締め上げた。期せずして追ってきたマリノと正対する形となった。
「少年兵、ここはハイスクールの廊下ではないぞ」
耳元に野太い男の声で言われ、同時に太い腕に力が凄まじいまでに籠るのを全身で感じる。視線の先、それまで怒りに身を任せるがままであったマリノが、今となっては緊張した様な面持ちで立ち尽くしている。ハンティの下士官兵が言うところの、「ハンティントンで最も偉い」空兵上級曹長 マイロ‐M‐デミクーパー。その鉄塔の様な長身と剛腕が、背後からカズマの躯をがっしりと抑えつけていた。
「この少年兵と、何をしておられるのですかなマディステール少尉殿」
上官に対する礼儀など、言葉の文面にしか含まれてはいなかった。それすらも年季と戦歴に裏打ちされた威厳と迫力の前には風前の灯でしかない。思わず背を糺し、マリノは彼女の士官学校時代の教官に告げた。
「こいつ!……いや、ツルギ少尉候補生は自分に言ってはならないことを言いました。矯正の必要があります!」
「何と言った?」囁く様に、カズマに聞く。
「……このま――」
「このへっぽこ少尉! であります!」
カズマが言うより早く、頬を紅潮させたマリノの狼狽が格納庫に響く。半白の眼をギョロリとマリノに向け、デミクーパー上級曹長は言った。
「それはいかんな少年、上官に対する暴言は艦隊ならば兎も角、空兵隊では許されることではないぞ。少しばかり営倉で反省してもらわんとなあ」
「…………!?」
愕然として眼を剥いた先で、マリノはニタニタ笑っている。キャットウォークから身を乗り出した人影が、デミクーパーに声をかけたのはそのときだった。
「そいつは困る。ボーズが飛べなくなったらハンティの戦力は一気に半減だ。上陸禁止で勘弁してやってくれないか?」
カズマとマリノの眼がほぼ同時にキャットウォークの一角に向かう。略装姿の中年男が一人、「ハンティントン」所属の戦闘187飛行隊長 カレル‐T‐“レックス”‐バートランド少佐。カズマの直接の上官にして、カズマを「ハンティントン」へと導いた――否、引き込んだ――当人が、微笑を湛えつつ二人を見返した。デミクーパーの腕が緩み、カズマは弾かれる様にして拘束から解放される。
「失礼しました少佐。飛行士でしたか」
「飛行士である上に、撃墜王でもある」
「ほう……彼が噂の」
笑いこそはしなかったのもの、上級曹長の厳めしい目尻が緩むのをカズマは見た。過日、リューディーランドからの避難民を乗せた輸送船団護衛作戦の途上で生起した邀撃戦闘。その結果ハンティからは一人の撃墜王が生まれた。その撃墜王は僅か一夜の内に五機のレムリア機を撃墜し、激闘の末に倒したうち一機は敵の指揮官であったという――
「ボーズ、油を売ってないでさっさとキニーのとこに行ってやれ!」
声こそ荒かったが、口調はカズマに対する信頼に語尾まで満ちている。デミクーパーですら今となっては久しぶりで彼の戦友に会ったかのように、カズマに柔らかな眼差しを注いでいた。そうするに足る男であることを、バートランドは期せずして上級曹長に教えた形となった。
「ツルギ‐カズマ、飛行準備に復帰します!」
背を糺し、カズマは敬礼したままキャットウォークを見遣った。対してバートランドは手摺りに身を預けたまま軽く敬礼し、格納庫を出るべくその場から離れていく。バートランド自身、ハンティの幹部として従来の飛行作業の他、飛行隊の編成と飛行計画に権限と責任を持つ以上、貴重な時間を割いて「出来のいい」部下にかかわずらっている暇などなかった。そのことは今のカズマでもわかった。
何時しかマリノが、憮然として敬礼するカズマを凝視している。
“ラムジー”‐キニー大尉が告げた緊急出撃というのは、船団護衛への加勢である。発進に臨んでのブリーフィングの内容は、発艦後の針路、返針点、天候、会合予定時刻、護衛時の飛行経路……あとは帰投時の経路にまで及ぶ煩雑なものであったが、要約すればそこに落ち着いた。だが――
「――今回の出撃だが、ハンティはもとより船団からも電波は出せない。理由は言うまでも無いと思うが……」
「…………」
母艦への帰投時に出される帰投方位指示用電波の制限にキニーが触れた時、軽い動揺が搭乗員の間から生まれるのをカズマは察した。敵に電波を感知された際に生じる艦隊位置の露見を防ぐための、それは当然の処置であったが、寄る辺ない空を踏破して任務を果たし、翻って母艦まで帰投するのに越えるべきハードルが上がったことは事実で、その点搭乗員の落胆をもたらしているのかもしれない。
キニーの説明は続いた。
「――もしハンティへの帰還が叶わないと判断した場合は、リューディーランド本島へ向かって飛べ。リューディーランドに配置されたガイドビーコンの周波帯は、ここに書いてあるだろ?」
キニーは操縦士に配布した紙を翳し、カズマは紙片にびっしりとプリントされた数字と単位の羅列に目を細めた。聞いた話では、この世界で電波誘導方式の飛行が実用化したのは今から遡ること五十年前のことで、当然、飛行船用の装備として始まったものだ。そこに、誘導電波の発信源まで飛行船を自動的に直線飛行させる自動操船装置の開発と実用化が続いた。その技術と恩恵が飛行機にまで及び始めたのはつい最近のことで、やはりレムリアとの戦争状態がその際の契機となっているのかもしれない……
「帰投包囲指示機がなくとも、ハンティに還るためにできることは色々とあるだろう? 要は今までちゃんと航法訓練を真面目にやっていたかどうかだ。持てる力を尽くして船団と会合して、やるべきことをやってハンティに戻ってこい。帰投後に諸君らが好んで食する筈のアイスクリームは、リューディーランドでは今となっては貴重品だそうだ」
「アイスクリーム」という単語にやや力を込めてキニーは言い、そしてカズマを見た。アルコール類が禁止されているラジアネス艦において、アイスクリームは嗜好品としても、飛行士への特別栄養補助食品としても特別な意味を持つ。還れない場合、その貴重な嗜好品にありつけないことを意味する。
『――飛行甲板各員へ、本艦の針路北西。これより増速し発艦態勢に入る。増速し発艦態勢に入る』
ブザーと共に、艦内放送が広範な飛行甲板に響き渡る。それと同時に巨大なトンネルを思わせる艦内飛行甲板では、強風の息吹が徐々にではあるが渦巻き始める。風神の不気味な唸り声は、搭載機を外に送り出すのに必要な合成風を生み出すべく、ハンティが加速を続けている証であった。
ハンティントンは、護衛艦の織り成す環から離れ、風上に向かい直進を続けている。
一隻の駆逐艦のみが、ハンティに並航するのみであった……否、直援機ならばジーファイターが四機、ハンティの上空を守っている。船団護衛に出している六機のジーファイターと四機のBDウイング、前方哨戒に出している八機のジーファイターと同じく八機のBDウイングを除けば、艦隊上空に在って防空警戒任務に当たっている「ハンティントン」搭載機は、ジーファイター八機に達していた。この他にも「クロイツェル‐ガダラ」を発ったジーファイターα六機もいるから、直援機の陣容はかなり重厚なものと言える。巡航艦改造の特設軽空母では不可能な、多数の作戦機の即時展開能力は、敵艦隊との本格的な遭遇を迎えていないこの段階で存分に発揮されているというわけだ。
ブリーフィングから解放されたカズマが飛行甲板まで上がって来たとき、彼の乗機も交えたジーファイターβの一個小隊四機が、増槽を抱いた状態で彼らの乗り手を待っていた。胴体から主翼端に至るまで、新たに塗り直されたミッドナイトブルーが、機体本来の精悍さを否応無しに高めている。精悍に見えるのは有り難いが、カズマはそれ以前に――モック‐アルベジオにいた頃から――艦載機を彩っていたスカイブルーの方が好きだった。クロイツェル‐ガダラの艦載機は、未だその色を使用している。カズマ個人からすれば、ミッドナイトブルーという色には、「悪者」の印象を拭えないでいた――こういう色をした敵機と、カズマは操縦士になってからこの方ずっと戦ってきたのだから。
「まるでグラマンだな……」
ぼやきながら乗機に歩み寄るカズマを、マリノは操縦席から見下ろすようにした。さらに言えば、睨み付けた。カズマが操縦席付近まで登ったとき、間近で待ち構える眼光の険しさに今更のように気付き、そして絶句する。
「あ!――」
叩き付ける様な勢いで伸びた手が、カズマの鼻っ柱を掴み、捻じる様に絞めた。足場に足を掛けようとして滑り掛け、済んでのところで踏み止まる。反駁しようとしたカズマの口を塞ぐような、血に飢えた獣の様な眼光――
「コラカズマ、テメーさっきの単語の意味、判ってて言ったんだよな?」
「は……!? は……!!」
声を上げかけて、声が出ない。腕力の生み出す激痛がカズマの鼻柱を軋ませ、同時に動きすら止めてしまう。そこにドスの効いた女の声が重なる。
「慰謝料100スカイドルな」
「はな……せ! はなっ!……」
「……な!!」
顔を横に振ろうとして、カズマは失敗した。今の状態から少しでも顔を動かせば、その瞬間にカズマの鼻は折れてしまう。それぐらいにマリノの手の力は凄まじい。
「坊やさっさと乗り込め! 君が乗らないと発艦ができないんだぞ!」
編隊長を務めるキニーの怒声が聞こえた。マリノの手が緩みカズマを解放する。忙しげに操縦席を跨ぎ、座席に腰を落とすや、マリノがさらにしかめっ面を近づける。バンドを絞めてくれるという気遣いなど、期待するまでも無い。
「100スカイドルな」
「うっさい、この……」
反射的に言い掛けて、慌てて口を噤む。殺気――操縦席のすぐ横で待ち構えるマリノが、至近距離からさらに眼を剥いているのを感じる。
一方でカズマの手は、ジーファイターのエンジンを覚醒させるために必要な諸操作を、彼自身の意識を他所に始めていた。その手際の鮮やかさは、怒ったマリノであっても気を惹かれてしまう。戦闘機に乗り始めて三か月経つかどうかの若造の手付きではない。
「200スカイドルな」
吐き捨てるように言い、マリノは機から下りた。これ以上カズマの機に居座って、直進を続けるハンティを危険に晒すような愚行に走るほど、彼女も愚かではなかったというわけだ。動き始めたプロペラが、やがてその動きを眼で追い切れないほどの高速で回転を始める。ただし、滑走に必要な力をエンジンは未だ発揮してはいない。スロットルレバーは未だ「暖気」の位置に留まっている。下ろしたゴーグルで覆った眼が飛行甲板の内壁、発着艦管制所に向かい、動作指示信号が停止を指示する「赤」に留まっていることを確認する。同時に――
「…………」
塞がれた痕も初々しい、左舷飛行甲板の内壁を、カズマは回想と共に凝視した。
過日のレムリア軍の襲撃の爪痕たる修復痕。あの夜、ハンティは貨物船を偽装して肉薄したレムリア軍の仮装巡航艦に至近距離から空雷を撃ち込まれ、一発をそこに被弾したのである。一撃必殺であった筈の空雷は、飛行甲板の薄い内壁を左舷から右舷に貫いて抜け、その直後に時限信管が作動して夜空に炸裂した。もしハンティの内壁がもう少し厚ければ、ハンティはその短い生をリューディーランドの空に潰えさせていたかもしれない……カズマもまた、あの夜の戦いで二機の乗機を失った。一機は発艦時の事故で、もう一機は戦闘任務後の不時着水で――平時ならば、いち操縦士の看過し得ざる過失であったそれも、戦時となってはむしろツルギ‐カズマといういち飛行士の、特筆すべき勇気の発露ということになってしまっている。
ジーファイターはその翼を広げ、順調なエンジンの鼓動の高まりは頂点に達していた。スイッチを入れた無線機のレシーバーに、何時もと変わらないキニー大尉の声が聞こえてきた。
『――肩の力を抜け、いつもと変わらん。ただ違うのは俺たちのフライトを見ているのがハンティのムサい連中じゃなくてお船の女子供というところだけだ。お船のお姉さん方に艦隊の飛行機乗りはかっこいいと思わせれば今日の任務は成功だ。いいところを見せてやれ。できるな?』
『――ハイッ!』
『――よし、行こう』
キニーがコックピットから指を突き出した。部下に対する督励であり、甲板で待機する発艦誘導士官に対する合図でもあった。飛行甲板、両手にハンドシグナルを翳した発着艦誘導士官が徐々に編隊を前へ、滑走開始ラインまで誘導していく。キニー機が滑走を止めるのと同時に、列機の滑走も止まる。
『――管制室より各機へ、各機発艦を開始せよ』
管制室の信号が滑走を促す「青」に転じる。ブレーキを解かれたジーファイターが、舐めるように飛行甲板を滑走していく。発艦の動作ももはや手馴れたものだ。かつては前を見るだけで精一杯だったというのに、見送りの整備員や甲板員たちに敬礼しながら愛機を滑走させる者も見受けられる。しかし全機が発艦を終えるのに三分を少し越える時間が必要だった。まだまだ改善の余地あり、といったところかもしれない。
燃料を満載し、増槽すら抱えたジーファイターは重い。滑走中にうかうかしていると中途半端な速度で空に投げ出されることになる。初心者の場合、十分な速度に達しないまま滑走を終え、失速に陥った機体を立て直す頃には、艦隊ははるか頭上にある。ということも珍しくない。カタパルトを使えればいいのにと、カズマは思う。ラジアネス軍では何故か空母用のカタパルトの開発は進んでいなかったのだ。もしくは海上と違って発艦失敗即事故というわけではないのだから、それ程切実に必要とは判断していないのかもしれない。
カズマのジーファイターが飛行甲板を半分以上使って発艦し、ハンティントンの上空で集合を終える頃には、操縦席からはそれぞれにハンティントン、クロイツェル‐ガダラを中心とした二群の輪形陣を眼下に臨むことができた。発艦は全機上手く行ったようだ。
『――発艦管制室よりキニー小隊全機へ、周波帯を1から3へ切り換えろ』
ここで発艦管制室は、新型のレーダーと連動した飛行管制室に役目を譲る。搭載機の離着艦の一切を取り仕切る発艦管制室とは違い、飛行管制室は発艦した編隊の飛行一切を取り仕切る。ちなみにこの飛行管制室はハンティントンの中枢部ともいうべき戦闘情報室と連動しており、対空戦闘の際には艦載機による効果的な迎撃戦闘の指揮を行えることを期待されていた。
それだけではない。現在、第001任務部隊には二隻の特殊な用途に改造された駆逐艦が配備されている。艦隊の外周を遊弋するそれは、ハンティントン、クロイツェル‐ガダラと同じくレーダーを搭載、艦隊に接近する敵編隊をいち早くキャッチし、その戦力、数、方位を味方に伝達するレーダー‐ピケット艦であった。これらレーダー‐ピケット艦を始め、艦隊外縁を固める各艦の収集した策敵情報を旗艦たる空母はCICで集約し、艦隊をあたかも一個の戦闘主体として機能させ得るようになっていた。そして敵手たるレムリア軍において、そのように艦隊の徹底した統一指揮を可能とするような体系は未だ完成を見ていなかった。
ソフト面での運用に関して言えば、生まれ変わったラジアネス艦隊はレムリア艦隊に一歩先んじていたといえる。個艦の性能や乗員の練度における劣勢を、ラジアネス軍はその豊富な物量とともに戦術で補おうとしている。
戦闘機パイロットとして、このシステムのひとつに組み込まれているカズマには複雑な感情がある。かつての世界で、敵手たるアメリカ軍がこれとよく似たシステムを使い、多くの仲間がこのシステムの前に斃れたからだった。
太平洋戦中期から出現したアメリカ海軍機動部隊は、ただ純粋な意味での艦隊というよりもレーダーと迎撃機、そして濃密かつ統一された対空砲火網を兼ね備えて洋上に出現した巨大な戦闘システムだった。そこに真正面から突撃し、炸裂する対空砲により火を噴き、敵機に前方を遮られ銀翼も千切れ、南瞑の彼方へと消えていった親友、同僚の姿……それを目の当たりにしてきたからこそ現在空に浮かんでいるこのシステムが効果的で、敵の攻撃に対し強靭であることをカズマは理解していた。
『――こちら飛行管制室。キニー小隊聞こえるか?』
「こちらリーダー。感明良好。どうぞ」
艦隊から離れつつ、距離を詰めてくる列機の様子に眼を配りながら、キニー大尉は呼びかけに応じた。
『――管制室より全機へ、針路2-8-0』
「了解。全機、聞いての通りだ。迷子になるんじゃないぞ」
苦笑が、列機の反応だった。




