序章 「銀翼(つばさ)舞う空と海の涯(はて)に」
――「もうひとつの世界」において、父の育った国が戦争に敗れ、廃墟の中で人々がその物理的、精神的な痛みから少しずつ立ち直ろうとしていた頃……同時に私の父が、「この世界」へ導かれ、その後の人生に大きな影響を及ぼした人々の多くと出会いを果たした頃、「大空洋戦争」の戦局もまた、少しずつ動き始めていたのでした。
緒戦の電撃的侵攻作戦で、自らの領域を取り巻く六つの空洋をことごとく併呑し尽くしたレムリア同盟共和国は、短期間の小康状態と準備期間を経て、遂に常夏の緑生い茂る「南大空洋」へとその侵略の手を伸ばして来たのでした。南方の地上世界、天空世界にまたがって分布する石油資源帯の確保と、中部大空洋との交通を遮断し、将来の地上世界侵攻作戦に際し首都ラジアネスの属する環洋地域の制海権を握るための足掛かりを得る。そして、迎撃に展開するであろうラジアネスの残存艦隊を誘き出しこれを完膚なきまでに叩き潰す――この三つの理由が、レムリア軍総司令部に大兵力を以て南大空洋への侵攻を決断させたのです。
一方で、ラジアネスはその持てる全力を挙げてこの戦線を死守しなければならなかったのでした。「アレディカ戦役」で受けた打撃をまだ回復し切れていないラジアネス軍において、その意に反して父が配属された空母ハンティントンの早すぎる就役は、まさにこうした事情を背景に急がれたのです。
レムリアの、南大空洋への侵攻の意図を察知したラジアネス艦隊司令部は、南方地域に住む移民、石油開発業者の家族等からなる居留民の救出を兼ねてこれを迎撃すべく艦隊を出撃させることになります。軍創設以来、広範囲の領域にまたがる国民の生命を保護することにその存在意義を科せられている以上、たとえレムリアがこの戦闘において自軍の殲滅を目論んでいるということを彼らが知っていたとしても、出て行かざるを得ないところに当時のラジアネス艦隊の辛さがあったと言えるのかもしれません。
純粋な兵力差で未だレムリア軍を圧倒しており、圧倒的な工業生産力によって今後もその戦力差を開くことが出来るということだけが、この時点におけるラジアネスの心の支えだったのであり、レムリアにとっての不安要因だったのです。総合的な国力において彼らの言う地上人に著しく劣るレムリアがその不安要因を払拭するためには、自軍の優位が保たれている内に何度でもラジアネス軍に決戦を挑み、自国の国力に余裕のある内に勝機を見出だすまでこれを撃破し続けなければならなかったのでした。迎え撃つラジアネス軍としても、勢いづくレムリア軍の侵攻をなんとしても阻止し、反抗の契機を掴む必要に迫られていたのです。
レムリア軍の戦術に触発され、ラジアネス軍がこれまでの戦艦中心の艦隊戦戦術を捨てて本格的な空母機動部隊の編成に着手することになったのはこの時期のことでした。その編成したばかりのなけなしの機動部隊は、この南大空洋の戦闘において初の実戦をくぐることになったのです……未完成の貨物船改造空母に、敵よりはるかに性能と数に劣る航空機、そして未熟な乗員達を乗せて。
交錯する様々な思惑を他所に、新しい翼を得た父はハンティントンとともに新たな戦場へ赴くことになったのでした。




