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終章  「提督閣下に敬礼」

 SC‐14中型輸送機 通称「ダニエルズ‐バス」は、マーブルンから北へ、コムドリア亜大陸の真下を真直ぐに飛んでいた。上面一帯を褐色に染められた広い主翼と、ビア樽を細く引き伸ばしたような太い胴体に白黒の敵味方(インヴェンジョン)識別帯(ストライブス)を巻いた機体からは、かつてはジュラルミン地肌そのままの姿で各地の空港施設を拠点に空を舞い、地域民間航空の雄として持て囃された時代をうかがい知ることなど出来なかった。


 SC‐14は、その初飛行からすでに二十年近くが経つ単発、低翼の中型輸送機だ。元来、飛行船の主要航路から外れた小島や山間の遠隔地への軽輸送用途に製作が計画され、進空以来計画本来の用途を大過なくこなしてきている。

 SC‐14は強力な空冷エンジン一基を機首に配置し、楕円状の幅の広い機体には人員なら最大三十名を積載できる。また、生産性、整備性に優れた簡易な構造の機体は高い汎用性を併せ持ち、二十年の間に搭載エンジンの強化、機体構造の改設計など度重なる改良を経て、現在でも民間や軍で広く使用されているし、生産も続いている。その汎用性の高さは、緒戦で当機を鹵獲したレムリア軍も惚れ込みコピー生産まで行って使用したほどだ。

 分厚い、楕円形に伸びた主翼を翻し上昇の姿勢に転じる機体。垂直尾翼に張られた三つ星のステッカーが、将官の座乗する機であることを示していた。SC‐14の乗員定数は四名。主操、副操の他、航法士と貨物及び人員の管理を与る搭乗整備士で構成されている。



『――まもなく、カレースタッド港内に入ります』

 スピーカーを通じて主操縦士の声が入ってくる客席。その一角でマヌエラ‐シュナ‐ハーミス中尉はスケジュール表を修正するペンを止め、次第に遠ざかっていく雲海へと目を転じた。北から南下して行くにつれ雲の量が増えていき、目指す南方の浮遊大陸を取巻く様に雲の崖が形成される。南方特有の温暖かつ多量の湿度を含んだ外気、それが下界の微粒子を含みつつ過飽和して上昇し雲を形成するわけだが、外気の流量や経路によっては浮遊大陸の土壌が発する微粒子を核にしてその場で雲を形成する場合がある。結果として浮遊大陸は雲の絨毯に取巻かれるというわけであった。大陸が巨大な分周囲の雲海もまた広大で、ともすればこのまま歩いて浮遊大陸の間を渡れるのではないかという錯覚すら生むことがある。


 客席を占めているのはマヌエラを含め十五名。いずれも新設された第001任務部隊の司令部要員だ。マヌエラ自身、司令部付の辞令を受けたときの衝撃を、マヌエラは忘れることが出来ない。つい先刻まで後方の基地にあって、新造の航空母艦に赴任して行った友人の身を案じていた自分が、今度は他者に心配される身となったのだ。軍人としての途を選び、このような有事に廻り合わせた以上、いずれは前線に赴くことになることは判っていたが、これまでを後方勤務で過ごしてきた身としては、胸騒ぎにも似た緊張を抑えきる自信を彼女は持てないでいる。


 その空母「ハンティントン」は完熟訓練の日程を殆ど消化し、さらには実戦の洗礼を潜っている。主力艦隊の根拠地が集中する中部大空洋に向けた船団護衛任務の途上、敵巡航艦と民間船を装った工作艦による雷撃を受けたのだ。ハンティントンからの戦闘報告によれば、彼女は二発の空雷を被弾したものの損害は軽微、さらに護衛戦隊と協働し果敢に応戦、敵を撃退したという。船団への被害は被弾十隻、うち自航不能になったもの四隻。襲撃側の主力が巡航艦一隻では無く、より多数隻の連携により行われたものであれば、船団そのものが消滅していたかもしれない――現にそれは、レムリアの勢力圏に接する空路で進行している「現実」である。


「――今次の襲撃において、敵は交通破壊では無く本艦の撃沈を主目的として船団の捕捉及び襲撃を行いたる形跡多々あり。情報部においては敵軍から見た本艦の戦略的価値に関しより精度の高い分析を為して頂きたく――」

 艦長アベル‐F‐ラム中佐の署名による報告書の文面は、大空洋艦隊司令部においても、ラジアネス軍初の空母機動部隊となる第001任務部隊司令部においても、実のところ多くの幕僚や士官にとって深刻に受け止められてはいなかった。むしろ後宮士官としての経験に乏しいラム個人の、恐怖心の生んだ誇張なのではないかという意見が多い。しかしモック‐アルベジオにおいても敵は、近傍の造船所に在って艦体を休めていたハンティントンを狙ったのだ。作戦の本命と見做された基地への襲撃は実のところ、ハンティントン破壊のための陽動であった……とは言えまいか?



「――リューディーランド方面への空兵隊増強については、船団第一陣はすでに本島に到着し、兵員と物資の揚陸が始まっている。あとは敵の出方を見るだけだ」

「――その敵だが、リューディーランドを()りに来るのはだいぶ先だろうな。何せ想定進出空域に出張っている哨戒艦から報告が無い。索敵網に一隻も引っ掛からないって話だ」

 後席を占める幹部たちの会話に耳を(そばだ)てつつ、マヌエラは眼を機外に泳がせた。着陸コースに入るべく旋回に入った機上から臨む港。港湾部に艦体を横たえる戦闘用艦艇の数は、比率において民間船のそれを凌駕していることが一目で判った。一方で外洋では、軍民を問わず港内に入り切れない船が数隻ごとに規則正しく並び、群と群の間を行きかう連絡船が陽光を受け、時折ギラリと輝いては航路を刻んでいる。中部大空洋と言わず各地の戦線や拠点から集結を始めた艦艇。南大空洋をレムリア軍の侵攻から防衛するための態勢づくりは、マヌエラ達のあずかり知らぬところで着々と進んでいたのだった。


「――この戦争。勝てるかなぁ……」

「――これがただのギャンブルだったら、4対1でレムリアンに分があるね」

「ギャンブルか……死ぬかもしれんのによく笑っていられるな」

「笑ってなきゃ……やってられんよ」

 背後で、幕僚達の会話は続く。楽観とも悲観とも区別のつかない幹部らの様子に嘆息し、マヌエラは最前席に視線を転じた。マヌエラの位置からは座っている人間の素性を確認することは出来なかったが、その席にこそ、機内で最も重要な人物が腰を下ろしている。背もたれが下がっているところを見れば恐らく、いつものように芯を抜いた薄汚れた軍帽を顔面にすっぽりと被って寝入っているのだろう。我らが「D」は、前線に赴く機上でどのような夢を見ているのだろうか?

 スケジュールを記した分厚い手帳を握る手に、自ずと力が入った。今日は第001任務部隊指揮官 艦隊中将フョードル‐ダオ‐「D」‐ヴァルシクールの正式な着任の日。実戦の洗礼を潜ったハンティントンに漂う空気の厳かなることを想像し、マヌエラは顔を引き締める。



 着陸――ファー‐カレースタッド艦隊航空基地の、アスファルト敷きの主滑走路を、「ダニエルズ‐バス」は踏み締めて走る。晴れ渡った碧空の下で降下から着陸、滑走に至る全ての手順を卒なくこなして悠然と駐機場に入ったSC‐14から、第001任務部隊の幕僚達はコムドリア大陸への一歩を標すことになった。

「閣下、到着しました」

 キャビンの最前席。マヌエラにそう呼びかけられた男が、目深に被った軍帽をそのままに身じろぎした。ラフに着込んだ半袖、開襟シャツの三種軍装が浅黒い肌。一切の贅肉をそぎ落とした枯れ木のような体躯を包んでいた。軍人と言うより、老練な船乗りを思わせる細身が背伸びし、そして部下に会釈する。

「ああ、ご苦労」

 しわがれた低い声が、傍に控えるマヌエラの緊張を一層煽る。パイプを取り出して咥えた口元を薄い髭が覆っていた。パイプを掴む手には薬指と小指の二本が欠けていた。第001任務部隊司令官 中将フョードル‐ダオ‐「D」‐ヴァルシクール。着任前はラジアネスの国防総省に在って国防長官直属の国防参議官――彼自身の口を借りれば「飼い殺し」――の地位に在った。有能とも、かといって無能とも見做されたわけではない。ヴァルシクールの上に立つ側にとって、単に彼の使い処が判らなかっただけのことであった。ただしその軍歴は華々しく、それ故に軍内外の誰もが認める空の勇士としての評価を確立している。


 四十年ほど前、わずか十三歳で民間の帆走飛行船に調理室の下働きとして乗り込んだのを皮切りに船員として経験を積み、苦学の末若干十七歳で士官候補生として軍に採用されたときには、すでにエルグリムとの散発的な抗争が始まっていた。抗争は程なくして全面的な戦争へと発展し、若きヴァルシクールもまた幾度も戦火を掻い潜った後、その天王山とでも言うべき「第二次コルロン会戦」に装甲巡洋艦のいち砲術士官として参加するに至っている。

 この戦闘で彼の乗り込んだ装甲巡洋艦「ヴァルガティア」はラジアネス艦隊の先鋒としてエルグリム艦隊の戦列に突進、敵の集中砲火を一身に引き受け大破した。乗員にも艦長以下三百名近くの死傷者を出し、ヴァルシクール少尉自身も右手の薬指と小指を爆風で飛ばされた。だが、「ヴァルガティア」の献身的な戦闘はラジアネス艦隊の最終的な勝利に貢献し。この戦闘でエルグリムの主力艦隊を壊滅させたラジアネス軍は、以後の戦況の進行に決定的な優勢を獲得したのであった……そして現在。ラジアネス軍の将官の中で、エルグリム戦争の経験者は彼しか残っていない。


 政府軍将官の中で唯一の「全面戦争」の経験者。それ故に「D」‐ヴァルシクールは士官学校の学閥が支配的な軍上層部からは煙たがれる存在ではあった。決して少なくは無い発言力を無暗に振りかざすわけでもなく、かといって常に軍主流から一歩身を引いた立ち位置に安住していたわけでもない。ヴァルシクールは戦局の推移に関わる幾つかの重要な決定に影響力を行使し、ついには自身の判断が間違っていないことを自ら証明するべく、今次の任務部隊指揮官就任への打診を引き受けた。


 飛行場へと続くタラップに向かい、着任への一歩を踏み出したヴァルシクールの目深に被った軍帽、その影の下、彫りの深い目元から険しい眼光が覗いていた。使い込まれた軍帽はオイルと硝煙に汚れ、それが却って指揮官としての威厳を周囲に印象付けることに成功していた。基地司令のドルドウッド准将が進み出、ヴァルシクールを出迎えた。

「提督、ようこそコムドリアへ」

「心労、お察しする」

「はっ……」

 さすがに恐縮する准将の肩を、ヴァルシクールは軽く叩いた。

「まあ、歩きながら話そう」

 衛兵の先導を受け歩きつつ、ヴァルシクールは視線を巡らせた。駐機場狭しと翼を連ねる艦載機の数は目に見えて増えていた。全金属製のジーファイター、BDウイングに加えて巡洋艦改造の護衛空母搭載のウレスティアン‐タマゴ、そしてCAウイングといった複葉機の姿も目立っている。それらの一部は駐機場に入り切らず、滑走路の脇に並べられ留め置かれるままになっている。遠方から轟いてくる離着陸のエンジン音は日中ほとんど途切れることがなくなっていた。醸成される活気が、ヴァルシクールに続き歩を進めるマヌエラに、定期試験を前にした大学の図書館のそれを思わせた。

「これだけ戦力が整っていれば、心強い」

 ドルドウッド准将が言った。一方で頭を振り、ヴァルシクールは苦笑する。

「ハンティントンの飛行隊は兎も角、多くの飛行隊が訓練を始めたばかりだ。実戦に出したら……機体もろとも還って来ないだろうな。それでも……」

 ヴァルシクールは淡々と語り、ドルドウッドは内心鼻白みつつ指揮官の横顔を伺う。

「……遅滞作戦ぐらいには使える。いかなる犠牲を払おうとも、リューディーランドの地を踏ませなかったらこちらの勝ちだ」

 爆音が雲の切れ間から近付いて来る。ジーファイターの機影が、その軽快さを誇示するように格納庫スレスレの高度を飛び越えていった。それも二機。

「あいつら……そこから進入するなと何度も言ってるのに……!」

 ドルドウッド准将が呻くように言った。ヴァルシクールは目を細めて機影を追う。

「あれは、ハンティントンの艦載機かね?」

 見上げるヴァルシクールの眼前で、二機は左右に散開した。思わず、厳しい顔が崩れる。

「ハハッ! 元気がいいな」

「提督、お食事の用意が出来ています。こちらへ」

「待て、ハンティントン隊の腕前を見ておこう」

 悠然と飛行場上空を旋回し、フラップを半分ほど下ろし二機同時に機首上げの姿勢で降下する姿は、「アレディカ戦役」前の練達した艦隊航空隊の在りし日の姿をヴァルシクールに思い起こさせた。エンジンを絞った機首の排気管から黒い不燃ガスを吐き出しつつ脚を下げ、今まさに接地――見事な三点着陸。

「フム……大したもんだ」

 准将の投げやりな声など、ヴァルシクールには聞こえなかった。地上員の誘導に従って違うエプロンに侵入したジーファイターから、パイロットが降り立つ様を彼は無言で見守っていた。

「若いな……だが、自信に溢れている」

「判りますか?」

「ああ……はっきりとね」

 ヴァルシクールの足が、少しずつ動き出した。幕僚たちの列もまた、彼に従う。






「――戦況急を告げ、軍務益々多忙の度を増すことと存じます。

 カズマさんはお元気ですか? 私は何とか元気にやっております。ただし一つ、あなたに伝えなければならないことがあります。私は志願し、遠く空を隔てたリューディーランドへ赴くことになりました。この手紙があなたの手に届く頃にはおそらく、私は仲間達とコムドリアを離れ、戦雲漂うリューディーランドへと向う船団の一員となっていることでしょう。会ってお別れを言えなかったのが、返す々々も残念でなりません。ルウの身勝手を、お許しください。

 艦隊の出動が何時になるのか私には判りませんが、ルウは一足先に行ってあなたをお待ちしています。縁があれば、近い内再びお会いできる日が来るかもしれません。私たちにとって大事なことは生きることです。生まれ合わせた時代を恨むな。と古人は言いました。むしろこのような時代に生まれ合わせたからこそ、私たちは出会うことができたのです。そういう意味で私は時代に感謝しています。あなたはどうですか?

――そろそろ乗船の時刻が迫ってきました。何時の日かリューディーランドの空を仰ぐとき、私の瞳のはるか先の空を舞うあなたの飛行機の姿を思い浮かべてペンを置きます。 なにとぞ、ご自愛くださいませ。                         ルウより」


 届いたばかりの手紙から顔を上げ、カズマは部屋から一望できる飛行場の全容に視線を転じた。眼差しの先で粛々と進んでいる、任務部隊の司令官を迎える行事。それに参加する立場になかったし、必要も認められてはいなかった。手紙を胸のポケットに収め、そしてカズマはデスクから腰を上げる。作るべき書類も、取り扱うべき備品も全てがさっぱりと片付けられた部屋。この日を以て第105空母戦闘航空群はリューディーランドを引き払い、補修の成った空母ハンティントンは再び空に出る。厳密に言えば、前日の段階ですでに飛行場の明け渡しは終わっている。残っているのは残務を整理し、これからハンティに戻る僅かな戦力のみだ。


 そのハンティントンは、着任した新司令官を迎える準備に大わらわである筈だ。カズマもまた飛行隊の一員として空母での着任式には出なければならないから、此処に居ることを許された時間は決して多くは無かった――それに、カズマにはもうひとつやるべき仕事が残っている。



 「ルウの彼氏の友達」という通り名を、カレースタッド基地軍病院の看護婦たちに付けられたその患者は、病院の正面玄関に在ってカズマを待っていた。未だ包帯の取れない頭から覗く金髪が、山地から降りて来る涼風に煽られて(きら)めきつつ揺れていた。

 飛行場から病院までサイドカーを駆って僅か三分。カズマ自身の運転する憲兵ナンバーのサイドカーが車寄せに滑り込むのを見出した時、クラレス‐ラグ‐ス‐バクルは半ば唖然としてツルギ‐カズマの危なっかしい運転ぶりを凝視していたものだ。しかしそれも一瞬、相好を崩したバクルは足取りも軽やかにサイドカーに身を沈める。


「返す時は、見つからないよう気を付けないとな」

「大丈夫、持主は当直明けで今頃ベッドの中さ」

 憲兵の行動パターンはもう掴んだ、とばかりにカズマは言ってのけた。横着を笑おうとしてバクルは傍らに視線を感じる。それも複数……車寄せから何気なく見遣った病院の二階。決して大きくは無い窓一面に張り付く様にして此方を見下ろす若い看護婦たちを前に、バクルは思わず仰け反った。思えば今日までの入院生活は決して悪いものでは無かった。カズマとバクルは同時に彼女らに会釈する。直後、看護婦たちの興奮が忽ち頂点に達してしまうのがバクルには判る。

「時間が無い。行こう」

 荒いギア操作に、エンジンが不整脈気味の振動で反応する。明らかに乗り慣れていないことが丸わかりの強引な加速と急停止、あるいは再始動を繰り返しつつサイドカーは病院の敷地を出、そして基地内を貫く交通路を抜けた。憲兵ナンバーの威力は絶大で、サイドカーは軽々と検問を通過して飛行場に入る。カズマはサイドカーを駐機場で停め、一機のジーファイターが乗り手を待っていた。


「用意がいいな」

「おれたちで最後だ……急ごう」

 二人は互いを見詰め、そして頷いた。手早く装具を纏い、バクルは点検用ハッチから胴体に身を潜らせる。彼が完全に機内に収まったのを確かめ、カズマはハッチを閉める。操縦席に腰を沈めたカズマは、ベルトを締めるのももどかしげに無線で管制塔を呼び出した。その間延びた手が計器盤とサイドパネルを弄り、エンジン始動の手順を重ねている。眼前の滑走路からはすでに新司令官の歓迎ムードは掻き消え、ハンティントンから差し回される筈の連絡艇を迎える準備が始まっていた。連絡艇の誘導を優先するあまり、ひょっとして離陸許可が下りないのではないか?――という懸念は、幸いにも杞憂に終わる。


『――カレースタッド‐タワーよりハンティントン‐ゼロへ、離陸を許可する。主滑走路まで進め』

 始動を終えたエンジン。スロットルレバーを暖気から離陸位置に開く。誘導路を越えて滑走――離陸からジーファイターは緩やかな旋回に転じ、軍病院の上空を越えた。気のいい看護婦たちの黄色い声援がここまで聞こえてきそうな低空飛行。ハンティントンの待つ港外まで文字通りひとっ飛びの距離だ。幹線道路沿いに飛び、ジーファイターは市街地の上空に達する。


「またバクルと飛べて嬉しいよ」

 何気ないカズマの一言が、機内回線の向こうで躊躇いを生んだかのようであった――これから自分が友人に切り出すべき言葉に対する躊躇い。

『――カズマ』

「…………?」

『――何処で、空中戦を習った?』

「何処でって……モック‐アルベジオに決まってるじゃないか」

『――…………』

 さり気無く、カズマは話を逸らすように応じた。座席の背凭れを隔てた向こう側で沈思するバクルの内心を察し、カズマは背筋を伸ばすようにした。

『――『ヴォターズ‐ハウス』のときには深く聞かなかったが、君は何かを隠しているように思える。違うか?』

「さあ……どうかな」

『――まさかとは思っていたけど……あの時の空戦でぼくは確信した。ラジアネス軍でも、レムリア軍でも、あんな飛び方は教えない。君の飛行は……何と言っていいか、異質なんだよ」

「そりゃあ、人によって飛び方は違うさ」

『――そういうものじゃないんだ』

 バクルの言葉に、思い詰めた末の感情の吐露をカズマは聞く。港の外に向かいフットバーを踏み締める。ジーファイターが傾き、エンジンの回転から荒々しさがじんわりと消えて行く。

『――君の飛び方には……技術というより理念を感じる。ひとつの目的を突き詰めた結果としての飛び方だ。言い方が悪いが、君の飛び方は空戦で敵に打ち克つための……それでいて自分の生き死にを度外視したような飛び方だ。訓練で身に付くものじゃない。戦闘機乗りとしてそれは当然のことだろうが、君のそれは徹底し過ぎている。君は飛ぶために人間として大切な何かを捨てている。ぼくにはそう見える』

「…………」

『――ツルギ‐カズマ……君は、軍に入る前は何処で飛んでいた?』

「…………」

『――何機、敵機を撃墜した?』

「……バクル、もうすぐハンティだ」

 我ながら嫌な言い方だと、カズマは思った。

「バクル……」

『――――?』

「……いつか全てが終わって、ふたりとも生きていたらゆっくりと話そう。おれが何処から来たのか……ということについても」

『――カズマ?』

「悪いが今は駄目なんだ。どうしても……」

『――…………』

 押し黙ったバクル、沈黙を無理強いしたのではないかと思い、操縦桿を握る内心に気まずさが生まれる。

「ハンティだ……着艦コースに入る」

 操縦席から臨む空の風景が大きく傾き、旋回により速度を落としたジーファイターの姿勢が水平に還る。イヤホンに空電音が広がり、次にはハンティントンからの通信が聞こえてきた。母艦への着艦を誘う着艦誘導士官の声だ。


 自ずと内心で身構え、カズマは来るかどうか判らない未来に思いを馳せた――おれはバクルに、何から話せばいいのだろう?





 雨雲を回避しようと潜り込んだ上層雲の森。しかし雲海は深く、雷の巣も同然であった。ただし航空母艦ダルファロスの巨体は、そうした自然の脅迫に対し無感動であり続けた。

 照明の落ちたダルファロス防空指揮所を、雷雲の暴虐の手が光となって照らし出す。しかし暴虐は具体的にはそれだけで、防空指揮所では雷鳴とはまた別の要素に基づく緊張が全体を覆いつつあった。

『――――偵察浮標(リカイト)よりウダ‐Ⅴを視認。本艦より距離五、高度二万』

「画像に出せ」

 オペレーターの抑揚に乏しい報告が虚無に響く。それに飛行長が敏感に反応し、その様が空気として沈滞する緊張感を浮揚させる効果を与えた。表示角の広い光電管式受像機に映し出された白黒画像が一つ。色彩が無同然の白黒ではあっても、空を表す白の背景を横断する黒い軌道から、見るべきものの所在を察することができた。「拡大しろ」と命じる飛行長の声に力が籠ったのは。その黒い軌条故にウダ‐Ⅴの窮状を察したからに他ならない。受像機の画像が乱れ、船体を無数に穿たれた貨物船の姿を映し出すまでに、機械的な操作では優に五秒を要した。層雲の外に出、カメラを以て潜伏中の母艦の目となる偵察浮標の性能の限界であるが、それを甘受してもなお艦の目として十分な機能を誇示している。

『――ウダ‐Ⅴより入電。反応炉の漏水依然止まらず。姿勢制御限界に近付きつつあり……救援を乞う。以上であります』

「司令……!」

 司令席を仰ぐ飛行長の顔が青ざめていた。照明の消えた指揮所内、雷光が一巡したその下ですら誰の目にもはっきりそうと判った。しかし、仰がれた司令席の主たるセルベラ‐ティルト‐ブルガスカは色をなす部下とは目すら合わせようともせず、ただ防空指揮所を一望する司令席から広がる層雲の断崖を眺め続けている。崖の間を縦横に走る電光が赤い艦体を過ぎる。それでも巨艦は、そうした自然の隔意からは泰然として船足を刻んでいる。


『――先行警戒艦二隻より入電。艦隊の針路上に推進音認む。推進音近付く』

 無線通信だが、電波符号に定型文を充てることにより、傍受されてもすぐさま解読されることもなければ艦隊の意図を容易く気取られることもない。ただし敵の接近に際し潜伏中の艦隊が取り得る途は限られている。つまりは雲海の上で何が起きようともレムリア艦隊は雲海の只中に潜航を続け、敵の領域深くまで進むしかない。何よりも雲海に突入する前からセルベラがそう決めている。艦隊の位置が露見すれば、それだけ奇襲の効果が薄れてしまう。最悪強力な敵艦隊を引き寄せてしまうかもしれない。大作戦を前にした無用の出血は避けるべきであった。

「レーゲ‐ドナの消息は掴めないか?」

「依然……」

「セギルタ‐エド‐アーリス……見誤ったな。死んでも祟られるようなことをする者とは思えなかったが……」

「は……?」

 怪訝な視線を一瞥もせず、セルベラは受像機の画面に鷹の様な眼を細めた。灰色の空の只中を所在無いげに浮かぶ工作艦。その背後を光弾が白煙を引きつつ追う。直撃弾こそ少なくとも、時限信管の発する炸裂時の衝撃波と破片の飛散から逃れることはできない。船体の周囲で生まれる炸裂の花は、追跡者の砲撃が正確であることをその光景だけで雄弁に物語る。


 艦首を下に向けつつ進むウダ‐Ⅴ。逃走に必要な速度を稼ぐためではなく、相次ぐ被弾により適正な姿勢維持が叶わなくなっていることの、明らかな表れであった。亀裂の数だけ白煙を引き摺る船体の一点から光が生まれ――


「反応炉、爆発しました!」

 蒼く、眩い光であった。空を閉じ込めた飛行船の翼たる結晶――制御を失った反応炉はその飛翔への営みを破断させ、それは傷付いた船体を崩壊させるのに足る衝撃波をも伴っていた。大きくふたつ……否、三つに裂けて空を舞うかつては仮装工作船であった破片。天球から注がれる陽光を浴びて輝く様すら、色彩のない視界から窺うことができた。そこに新たな報告――

「――敵艦の爆発を確認!……友軍です! 哨戒隊が戻ってきました!」

「…………!」

 弾んだ報告が指揮所を巡り、沈滞する空気を一掃してしまう。それでも、セギルタの険しい目つきに変化はなかった。



 母艦との会合地点に認めた地上人の艦影、空の涯までに達せんばかりの雲海……そして死に瀕した工作船――より高い層雲の下から一望した光景に直面した瞬間、タイン‐ドレッドソンの肚は決まった。

編隊長(リーター)より全機へ、地上人(ガリフ)の狼を屠れ!」

『――了解(ジーガー)!』

 タインが命ずるより早く、彼の部下は個々の間隔を開き襲撃機動に入っていた。タインの命令を待たなかったが故ではない。敵を見出すのと同時に、攻撃命令を待つ間に絶対優位な攻撃位置を占めるのが彼らのやり方であるのだから――戦隊の後尾を占める駆逐艦一隻が捉えられ、各機から放たれたロケット弾が白い軌道を曳き駆逐艦の艦体に集中する。軽量多目的型よりも弾体直径の大きい対艦弾だ。直撃はできずとも時限信管により目標至近で炸裂したロケット弾は艦の推進機を傷つけ、軽量俊足が身上の駆逐艦の動きが鈍る。そこに更なる攻撃が集中し、艦体の均衡をも崩壊させた――横転し、回復も覚束ぬまま雲海へと高度を下げていく地上人の駆逐艦。

『―― 一隻撃破!』

 真に葬り去るべき敵は別にいた。駆逐艦はその敵に傅く多数の護衛艦の一隻に過ぎない。飛行隊が目指す前方にあって、それまでウダ‐Ⅴを一方的に痛打していた護衛艦群が左右に回頭を始めているのが見える。その護衛艦に取り巻かれるようにして虚空に佇む艦影がひとつ――複数の機影が迫りくるタインたちの前に出、針路を塞ぐように躍りかかる。


退()けっ!」

 抑制された怒気の発露と同時に、ジャグル‐ミトラの機銃が咆哮する。火線の圧倒的なまでの投射はミトラの軸線より真正面に出たウレスティアン‐タマゴを捉え、一連射で炎上させ、四散させた。そして突進するタインには列機もつき従っている。火力と速度に勝るレムリア機を前にして、抵抗らしい抵抗すら出来ぬうちに撃たれ、そして黒煙を吹き出しつつ雲海の狭間に消えていく地上人の旧型機の群。そしてタインらは敵を殺しつつ地上人の指揮艦へと迫った。その上甲板にまるで家畜小屋のような構造物を抱えたスタンドバロ級巡航艦。ラジアネスの改造軽空母だ。対空火力は大本のスタンドバロ級より増強こそなされているが、艦上部に仮設の航空機格納庫を抱えている分旋回性能は悪く安定性も一段劣る。

「豚め……!」

 侮蔑が殺意に転じ、眼前の目標に対する殺気へと一気に昇華する。軽量多目的ロケット弾(ウラガン)――軽空母に向かい直進するジャグル‐ミトラの翼下から離れたそれらが軽空母の舷側に集中する。員数合わせの仮設、それも艦体設計上追加し得る重量的な余剰も限られたものである以上、軽空母としての用途を付与するために追加された格納庫が攻撃に対し決して万全な抗歎性を発揮するわけではない。ロケット弾を受けた格納庫が炎上し、炎は格納庫内の燃料をも取り込む形で広がる。それは雲海の下に在って行動を狙うレムリア艦隊の戦闘艦群にとって、友軍の復仇を果たす格好の機会に映った。

 空雷――方向の異なる雲海の崖から軽空母を指向し放たれた無数の空雷。個々の方向が異なるが故にそれらは軽空母から回避し得る方位を奪い。艦首、艦橋、艦尾と言わず貫き、抉り、そして()ぜる。

『――敵艦の轟沈を確認!』

 空雷に断ち切られ、空に舞う軽空母の艦体と破片、そして人体――それらが分厚い雲海の懐に呑み込まれるまでの始終を、タインは上昇を果たした蒼空の高みから見遣った。戦隊の中核を成す軽空母が潰えては、それに率いられた地上人の護衛艦群と艦載機の運命もまた決する。やはり砲雷撃を受けて雲海に墜ちゆく敵艦、空戦域からの離脱に転じた敵機もまた、タイン幾下の戦闘機隊に捕捉され、空の狭間に散っていく。


「セギルタ……済まない」

 敵の姿の掻き消えた空を見遣りつつ、タインは呟いた。敵の哨戒網が北方からこの南大空洋に至るまで拡大している。それも急激に――先刻に散ったセギルタの部下たちを収容するはずの機動部隊は、彼らの蠢動を前に今は只管潜伏に徹していた……と同時に、地上人がまだ十分な数の艦隊を残していることにタインはむしろ怒りを覚えている。地上人は狡猾だ。やつらは此方の思わぬときに思わぬ規模の戦力を投じ、作戦を妨害せんと試みているかのようだ。

「全機へ、集合、集合せよ」

 部下に集合を命じつつも、タインの脳裏で新たな疑念が頭をもたげる――セギルタは、いかなる状況で死んだのだろう?

 戦艦とでも差し違えたとでも言うのだろうか?……否、ウダ‐Ⅴを通じ断片的に入ってきた戦況報告によれば、セギルタたちの襲撃目標の中に空母こそあれ飛行戦艦など一隻として、それも影すら存在してはいなかったはずだ。では有力な敵編隊と克ち合ったとでもいうのだろうか?


 違うな――自嘲気味にタインは思案を締め括る。セギルタほどの者が、地上人ごときに墜とされる筈がない。何機懸りであろうと万人が認める撃墜王が地上人の操縦する「戦闘機のようなもの」に墜とされる……そのような光景をタインは見たことがなかったし、想像することもまたできなかった。混戦の中でセギルタが死を掌る全能の誰かの足を踏み、彼の勘気に触れたが故の偶発時の帰結としての死――むしろそちらの方がタインにはすんなりと受け入れ易かった。


「酷いぜ、神様……」

『――隊長、何か?』

「何でもない。それより母艦は未だ出て来ないのか?」

 知らず、語尾に焦燥が籠った。運命の気紛れにしても、地上人の空母を沈めた後の悲劇だと、タインは帰ってこないセギルタのために思いたかった。





 ハンティントンを始め、カレースタッドを母港とする艦隊は訓練を切り上げ、カレースタッドの外に集結を続けている。

 ヴァルシクール提督一行は正午には艦に到着し、市の歓迎式を兼ねた司令官の着任式を行うことになっている。だが、将兵の上陸は無く全ての日程を終えたところで再び出航、訓練を続けながらリューディーランド近傍へと進出するのだ。これほど余裕の無いスケジュールも珍しいが、それ自体がまた、現在のラジアネス軍の窮状を表しているといえた。

 私室の片付けもそこそこに、カズマはベッドの上に無造作に放っておいたワイシャツを手に取った。糊の利いた白いワイシャツは袖を通した途端に不慣れな窮屈さを感じさせる。いくら軍人として必要なことだとは言っても、こういう種類の服はどうも着慣れない。


 下の段では、すでにワイシャツと黒いズボンを着込んだバクルが、黒い上衣に手を掛けていた。

「カズマ、急いだ方がいい」

 手早くシャツを着込むと、カズマは慣れた動きで梯子を滑り降りた。ワイシャツのボタンを締め、不器用な手つきでネクタイを巻いた。が、何度やっても上手くいかない。

「あれ、前は上手くいったのに……」

バクルがクスリと笑った。

「ネクタイを直してやるよ」

 バクルの手つきは慣れたものだった。幾度かの世間話の中で、レムリアにはネクタイが無いという話を彼はしてくれたが、ラジアネス社会に対する順応性はバクルの方が自分よりも一歩勝るようだとカズマは考えた。黒一色の上下、上着を金のボタンで留めた四種軍装に身を包んだカズマの姿に、バクルは目を細める。

「カズマは何着ても似合うんだろうな。かっこいいよ」

「ありがとう。バクルも、まるで歴戦の指揮官みたいだよ」

 バクルとは部屋を出て少し歩いたところで別れ、カズマは187飛行隊のブリーフィングルームへと歩を進めた。その途中で出会った人影に、思わずカズマの足が止まる。


 マリノだった。彼女はカーキ色の空兵隊一種軍装に長身を包んでいた。出会い頭に胡散臭そうな目で一瞥、その後も彼女はカズマを睨みつけたまま早足で通り過ぎていく……過日の空戦を経ても、上甲板の件以来二人の間に穿たれた溝が埋まる気がカズマにはしない。その上にともすれば、今回の着任式を最後に彼女はハンティを降りるかもしれない。いずれ示されるであろう転属の打診に彼女が「拒否」の意を示す可能性は、カズマの胸中では甚だ低いものとなっていた。


 遠ざかりゆくマリノの後ろ姿を暫く見送る。嘆息した後でカズマは再び歩き出した。彼女の挙動に失望を覚えたのではなく、むしろバクルと同じく貴重な戦友となりうる顔見知りを失うのが今のカズマには辛い。



 ブリーフィングルームに通じるドアを開ける。その場に集まっていた187飛行隊の誰もが、カズマと同じく艦隊一種軍装に身を包んでいた。

「カズマ、遅いぞ」

 エドウィン‐“スピン”‐コルテ少尉が隣の席へカズマを誘った。カズマと同じくおでこに充てられた湿布が痛々しくも、一面では微笑に頼もしさを与えていた。隣に座ったカズマの軍装を下から頭まで見遣り、からかうように言う。

「よく似合ってるじゃないか」

「でも、窮屈で嫌だなぁ……」

「そりゃみんな同じさ。でも、今日は提督の着任式だからなぁ。街のお偉方もいっぱい来るみたいだし、迂闊な真似はできないよ」

 そう言いつつ、コルテはバックから取り出した軍帽を弄んでいる。新品の軍帽、だが芯を抜かれた軍帽。それを目にしたカズマの目元が緩んだ。

「やったんですか。少尉」

「そういうカズマはどうなんだ?」

 カズマは、懐から軍帽を取り出した。それを目にしたバクルが、思わず噴出した。

「お前こそ……十年早いよ」

 芯を抜いた軍帽を、カズマは斜めに被った。187の他のパイロットも、バサラな居住まいに関してはもはや二人と変わらない。そういう斜めな雰囲気が、今のカズマには微笑ましかった。甲板士官がバートランドたち飛行隊幹部の入室を告げた。キニー、オービルマン両大尉を伴ったバートランドが部屋に一歩を踏み入れた瞬間、甲板士官が号令を掛ける。

「総員っ! 気ぉー付けっ!」

 席を蹴り、隊員たちは怒涛の如く起立した。しばしの沈黙――バートランドは段の違う席から自分を見下ろす部下達を、皮肉交じりの視線で眺め回す。使い込まれつつも見事に着こなされた一種軍装が、軍服が彼と過ごした年月の尋常ならざることを、バートランドの一瞥の間、彼の部下全員に強く印象付けていく。


「オーオー……貴様ら大事な式典の前にそう来たか……提督の眼前で俺に恥を掻かせようとはいい度胸だな」

 最善席の一人の士官の前に来ると、バートランドは彼の帽子をもぎ取った。芯の抜かれた軍帽を撫で回したところで、バートランドは言った。

「驚いたな……最近は軍帽に芯を入れないのか。それほどうちの資源は逼迫しとるのか?」

 士官は口ごもった。

「少佐……自分の貰った帽子では芯は所謂何というか……」

「何というか……何だ?」

「オプションだったのであります。サーッ!」

 その場の全員が一斉に吹き出した。彼自身笑いをかみ殺しつつそれを制し、バートランドは言った。

「ようしっ!……楽にしろ。見たところ他の奴らの帽子も、芯はオプション装備のようだな。実は俺のも二十年前からそうだが、今日はちゃんと入れ直してるぞ」

 薄汚れた軍帽を、バートランドは撫で付けた。再び、どっと笑いが巻き起こる。

「聞け。今日は提督が着任する。我らが第001任務部隊の司令官にして、第12艦隊の前司令官閣下だ。それも歴戦の勇士……おいエド、『第二次コルロン会戦』が何時起こったか言ってみろ!」

 バートランドは席の最上列の一隅を指差した。そこには、コルテがいた。

 コルテは立ち上がった。

「た、たた多分……三十年くらい前だったかと思います。隊長!」

 いつもの“スピン”‐コルテらしからぬ苦渋に満ちた口調。バートランドの目尻が皮肉に緩んだ。

「あまりにも抽象的な回答だが……まあいい。ここがハイスクールの歴史教室じゃなくてよかったなエド」

 バートランドは手で座るように促した。腰を下ろし間際、コルテはカズマに囁いた。

「……おれ、歴史はあんまり得意な方じゃなかったんだよなあ」

 バートランドは続けた。

「まあ……さっきの通りだ。俺が青っ鼻垂らして飴玉をしゃぶっていた頃。キニーやオービルマンに至ってはまだパパの金玉の中にいた頃に、提督は一砲術士官としてエルグリムの狂信者共と戦っていた。そして現在、艦隊の提督連中の中で実際にエルグリムと戦ったことがある奴は、ヴァルシクール提督を置いて他にいない。そのヴァルシクール提督が、うちの艦隊に来る」

 要するに、ヴァルシクール提督は日本海軍でいう山本長官のようなものなのかな……脳裏で、カズマは自分なりに納得しようと努めた。以前に海軍の提督連中の中で、山本五十六連合艦隊司令長官だけが日本海海戦の経験者だという話を、カズマは聞いたことがあったからだ。

「……どうだ、頼もしいだろ。そういう勇者が、俺らと一緒に戦ってくれるんだ。泣いて喜べ」

 そこまでで、バートランドは話を締め括った。入れ替わりに前へ出たキニーが、着任式の手順を説明した。整列の手順、式典の内容などを一通り説明した後で、解散の号令を掛ける間際にキニーは次の言葉で説明を締め括った。

「……展示飛行に参加するパイロットの名を発表する。名前を呼ばれた者は、解散後ここへ集合するように」

 カズマは、選ばれなかった。空戦でそれなりに結果を出したとはいえ、二機までも乗機をおしゃかにしたのは拙かったか……と今更のように痛感する。そのとき――


「ボーズ!」と、バートランドはカズマを呼んだ。例の如く、解散の段になっての呼び出し。前に立ったカズマの軍帽を手ずから直し、バートランドは眼を笑わせる

「先週はご苦労さんだったな。勲章こそはやれないが、お前さんの昇進が決まったぞ」

「昇進……?」

「少尉候補生に昇進だ。正式には昇進……ではなくて役職のようなものだがな。187飛行隊(うち)戦闘詳報(アクションリポート)を読んでお前さんのことを知った艦長が、こんな中途半端なやつをハンティに乗せておくわけにはいかんと言い出してな。そこで部下の俺としては手を打つ必要に駆られたってわけさ」

「追い出されなかったんですね。自分」と、半ばとぼけ気味にカズマは応じる。

「艦長も馬鹿じゃない。経験を積んだ操縦士は一人でも多く欲しいからな。お前さんが艦を降りたら、誰がハンティを守る?」

「…………」

「先週は何とかうまくやれたが、課題も多い。正直なところ、手放しで生還は喜べないんだ。だからお前さんにもこれから協力してほしい」

 バートランドの言葉を聞きつつ、カズマは思う――戦場で生を拾えば、人はそれだけ学ばねばならない。それが出来ない者が死んでいく。

「まあ、候補生でいるのも半年程度の間だ。ことによればもっと短くなるかもしれない。それを過ぎればお前さんは立派な新任少尉殿ってわけだ。そうなればマディステール少尉のでか尻にも敷かれずに済むだろうよ」

「あのう……マリノ、いやマディステール少尉は?」

「どういう風の吹きまわしか知らんが、彼女はハンティに残るそうだ。整備隊も人手が足りないし、ボーズがそれでいいのなら俺も反対はできんなぁ」

 そこまで言って、バートランドはカズマの顔を覗き込むようにした。「それでいいのか?」と、険しくも真摯な眼差しが聞いていた。

「結構です……!」

 ともに微笑――バートランドの目元が緩み、延びた手が軽くカズマの上腕を叩く。

 「一緒に長生きできるよう、しっかりやろうぜ」





 新司令官を迎えるための上甲板整列が始まっていた。カズマとて例外ではなく、第一種軍装の上から航空軍装を着込んで飛行甲板に赴くパイロット達の中に彼はいる。壁面越しに響き渡る艦載機の試運転の音は、次第に勢いを増していた。上甲板へと向かう列の中、タラップを踏みしめるようにして昇りながらカズマは外を見回した。

 眼下に広がる雲は次第に薄くなり、緩慢な速度で港外を走るハンティントンを囲む艦艇の数は、目に見えて増えていた。巡洋艦、駆逐艦、補給艦……個々の艦艇の推進機の奏でる轟音が、今となっては艦隊の進む空域に一定のリズムを保って響き渡っている。気流の冷たい手がカズマの髪の毛を撫でつけ、剥き出しの太陽が冷たい色の光を投げかけていた。ここ数日晴天続きだが、やけに冷え冷えとする。


 艦橋の一隅から延びる白い煙は、気流の方向を見るためのものだ。明後日の方向に一直線に棚引いていた煙が、少しずつ揺らぎ始めるのをカズマは見た。煙の揺らぎが、艦の旋回によって引き起こされていることに気付いたのはその直後のことだ。真横にそそり立つ層雲が、次第に向きを変えて艦首に近づいて来た。ハンティントンの巨体が、あたかも空に浮かぶ城のような安定感を持っていまさらのようにカズマの五感に迫ってくる。


 ただし――艦首方向の飛行甲板、その側面に穿たれた大穴にカズマは目を奪われた。飛行作業に支障こそないが、過日のレムリア人との戦闘で被雷し、上部構造に穿たれた大穴は、未だにこれを埋めるまでには至っていない。飛行甲板そのものの復旧と他の損傷個所の補修に持てるリソースの多くが注がれたこともあるが、貫かれた個所は元々搭載機発進時の遮風を意図して設けられていたが故に装甲が薄く、補修にあたりさして技術的にもスケジュール的にも重要視されていない。ひょっとすれば、作戦行動中に補修作業を行うかもしれない。むしろ先日の戦闘で露呈した対空砲の技量の拙劣さの方が問題になっていて、着任式後に本格化するであろう「特訓」を前に砲術科員は戦々恐々としている……


 気流が一つの壁となって甲板を縦横無尽に駆け巡っている。艦が艦列より一時離れ、発艦に必要な合成風を得るために速度を上げているのだ。上甲板で作業する将兵は顔を顰めて必死に耐えていた。

 戦闘航空群司令の乗るジーファイターを先頭に、艦載機の発艦が始まっていた。発艦した艦載機は直進する艦隊の下方を旋回しながら増速し、上昇しながら艦隊の上空でひとつの大きな環を作り、一足早くカレースタッドへ向っていく。居残りのパイロット達は帽子を庇いながらその様子を何時までも見送っていた。儀礼飛行に臨む搭載機を送り出したハンティントンは、回頭を続けつつ再び艦列の中央に戻ろうとしている。

「母港……」

 ふと、言葉を漏らしたカズマの瞳のはるか先に、淡く黒ずんだコムドリアの海岸線が広がっていた。海岸線?……いやいや、この世界では空岸線と言うんだっけ。



『――総員上甲板。上甲板。上甲板に整列せよ』

 ハンティントン艦内に、ラウドスピーカーの声が響き渡る頃には、将官旗を掲げたジョンボット型艦載艇はカレースタッド港の中央にその巨体を横たえるハンティントンの船腹に並ぼうとしていた。小刻みに加減速を繰り返す推進機の音は次第に小さくなり、客席の小窓からは揚収ブームから下ろされたワイヤーを艇体に接続している乗員の姿を覗くことが出来た。

「艇体固定よし!」

「艦機関停止」

「艦機関停止します」

 推進機の音が吸い込まれるように消えた。整列する乗員でごった返す艦内の様子を耳で伺うことが出来るほど、艇内は急に静かになった。

「ツースターよりハンティントンへ、機関停止した。揚収準備よし」

 連絡艇は反応炉を停止しない。万が一ワイヤーが切れたとき、浮力を保つための安全策だ。

「揚収はじめ!」

 外で微かにモーターの響く音がした。ゴトンという振動と共に、艇体が上へ引き上げられていく。


「ほう! これがハンティントンですか」

 まだ艦内に足を踏み入れないうちから感嘆の声を上げたのはヨハンソン カレースタッド市長である。

「わしの従弟が乗ってた戦艦より大きいですなあ」

「ほう、フネの名前は?」

 と、口を開いたのはヴァルシクールだ。

「確か……リネシアとか」

「あれは幽霊が出ることで有名なフネだった。たしか第二主砲塔だったか」

「それです、それ。従弟も見たと言ってましたよ。ご存知で?」

「大尉のときに乗っていてね。もっとも、その頃には第一線では使えなくて地方基地の警備艦扱いだったが」

「で、幽霊には会いましたか?」

「ああ、見たよ」

「で、どんな幽霊でした? 従弟は何故か教えてくれなくてね」

 無言――ヴァルシクールは、彫りの深い顔を歪めて笑い掛けた。鷲のように鋭い眼が、「教えない」と言っていた。


 上昇が止まった。甲板へと通じるドアが開くと同時に、ヴァルシクールは足早に歩き始めた。慌てて、市長も後を追う。

「司令官閣下に敬礼!」

 捧げ銃をした衛兵に両脇を固められた赤絨毯の上から、ヴァルシクールはハンティントンへの第一歩を標す。市長をはじめ市の重役、そして艦隊の幕僚団も後に続く。下士官の鳴らすサイドパイプの鋭い音色が、式典会場たる飛行甲板上を空虚に駆け巡る。空の男たちは一斉に背を正し、彼らの指揮官を迎えた。

「ようこそハンティントンへ。ヴァルシクール提督」

 黒い四種軍装に身を包んだ壮年の士官がヴァルシクール達を出迎える。ハンティントン艦長アベル‐F‐ラム中佐。敬礼を交わすと、ヴァルシクールは手を差し伸べた。儀礼的な真白い手袋に包まれてはいない浅黒く、節くれだった手……これを目の当たりにするだけでも、眼前の提督が船乗りとして自分より遥かに長い経験を積んできていることがラムには察せられた。

 ヴァルシクールは笑い掛けた。

「これまでの労苦、お察しする。よく艦を持って帰って来てくれた。君の才幹の賜物だな」

「恐縮です。閣下」

 ラムの訝しげな視線に気付いたヴァルシクールが苦笑した。着任式にも拘らず彼は、普段の三種軍装のままで艦内に足を踏み入れていたのだ。

「堅苦しいのは嫌いでね。まあ大目に見てくれよ」

「それは小官も同じですよ」

「開戦前は、豪華客船に乗っていたそうだが?」

 ラムは苦笑した。

「ここの方が、ずっと気楽です」

「ふむ……そうかな?」と、ヴァルシクールは尖り気味の顎を撫でる。

「ええ、本艦には見ての通り、ドレスコードはありませんので」

 乗員の最前列。思い思いに弄った制帽をアミダに被る飛行軍装姿の男たちをヴァルシクールは見遣った。ハンティントンの操縦士たち。今や彼らは首都ラジアネス特別区の国防総省で言われるような「寄せ集めの出来損ない」ではなくなっていた。

「戦闘を経たのだったな……みんないい面構えだ」



 式典はすぐに始まった。広大な格納庫に集合したハンティントンの乗員。各艦の艦長たち。そして招待された市の有力者や報道機関の人間を前に、まず市長が歓迎の辞を述べ、それに市議会議長、教育長、商工会議所所長など偉そうな肩書きをぶら提げた人々が入れ替わり立ち代りに登壇しては祝辞を述べていった。

 ……とはいっても、この場の誰も内容などろくすっぽ聴いてはいない。

「早く終われよなぁ……」

 誰かの嘆息にも似た独り言を、カズマは背中で聞いた。かといって他のパイロットと同じく最前列にいるカズマに、横着な振る舞いなど許されるはずが無かった。しかも、カズマと向い合わせの士官席には、先程からマリノが腕と脚を組んで怖い目でカズマを睨みつけている。あたかも、手のかかる生徒に何がしかの至らぬところを見つけようとしている意地悪な教師のように、彼女は先程からカズマを見つめている。そして、その隣席にはマヌエラが、微笑を浮かべて畏まったように座っていた。創造主の悪意を感じることがあるとすればこういう時なのだろう……そんなことをカズマは考えた。それでもマヌエラは、表立って再会を喜ぶ代わりに片目を瞑ってカズマに会釈してくれた。

 壇上の横に設けられた士官席。その隅にはカラレス軍医長がいた。整列する間際、カズマの姿を認めた彼は、遠方から手を上げて苦々しげに笑い掛けてきた。おそらく生まれて初めて手を通したであろう軍服に内心辟易しているに違いない。間をおかず苦い顔をしてそわそわしている様子からそれが判る。

 さらに軍医の席から少し離れた席には、シルヴィ‐アム‐セイラス大尉がいた。式典が始まる間際に眼が合った途端、マヌエラのそれとは毛色の違う、艶かしい会釈を返されてカズマは戸惑ったものだ。そのとき、背後で話し声が聞こえてきた。

「セイラス大尉には気をつけろ。(たら)し込まれて人生を棒に振った男数知れずってやつだ」

「あの大尉殿。アレディカ戦の生還者って、本当か?」

「戦艦に乗ってたらしいぜ。何でもその艦の乗員で生きて生還できたのは大尉殿を含めて百人もいなかったらしいが……」

 それはカズマには初耳だった。外見と過去の評価は必ずしも一致しない。というわけだ。


「へぇ……あの子リッパになったじゃない」

 パイロットの列の中、姿勢を正して式辞に聞き入る軍装姿のカズマを、マヌエラは純粋な感嘆の念で見ていた。それがマリノには気に食わない。

「何よあの帽子。一丁前のパイロット気取りでさあ……」

「でも、よく似合ってるわよ。あの中で一番偉く見えるわ。きっとマリノの教育のおかげね」

「うーん……」

 そう言われると、マリノには返す言葉も無い。


 儀礼と虚飾に満ちた修辞の羅列……それらはヴァルシクール本人の番が廻ることで予定としては絶頂を迎える。副官に促されるようにして鷹揚に登壇すると。ヴァルシクールは無言のままゆっくりと視線を居並ぶ将兵へと一巡させた。そこで、なにやら納得したような素振りを見せ最後に、最前列のパイロット達へ視線を転じたとき、カズマとヴァルシクールの視線が一瞬合った。少なくとも、カズマはそう思った。

 人差し指でマイクを軽く叩いて、マイクの利き具合を確かめると、ヴァルシクールは言った。

「本官が新しく指揮官に就任したヴァルシクールである。よろしく。以上だ。総員解散!」


「――――!?」

 あまりにも簡略、明快な一言に場は騒然となった。しかもご丁寧にも解散の号令まで掛けるとは――任務上号令を掛けるべきハンティントンの最先任下士官 マイロ‐O‐デミクーパー空兵上級曹長など、あっけに取られて号令を復唱するのを忘れたほどだ。当のヴァルシクールに至っては、周囲の戸惑いなど意に介しないかのようにすたすたと降壇を終えている。あまりの光景に呆然としているラム艦長の元へ行くと、ヴァルシクールは言った。

「中佐、艦橋へ案内してくれたまえ。式典など早く終わらせてさっさとコムドリアの外に出よう」

「よろしいのですか? 閣下」

「この艦隊で一番偉いのはこの私だ。よろしくないはずが無いさ」

 ヴァルシクールは笑った。決して悪意ある笑みではなかった。

「わかりました。そういうことでしたら小官も異存ありません。艦橋へご案内致しましょう」


 一方、艦の上級士官と幕僚、そしてあっけに取られた市の代表団たちが去ったあと、それ以上にあっけに取られた乗員達が残された。艦の将兵達はお互いに顔を見合わせた。

「おい、今のどう思う?」

「こんなのって、ありかよ」

「でも、俺はこっちの方がさっぱりとしていいな」

 乗員達のざわめきを鎮めたのは、デミクーパー上級曹長を通じた副長シオボルト‐ビーチャ少佐の指示だった。

「航空要員以外は解散。繰り返す。航空要員以外は解散し、通常業務に復せ。以上」

 航空要員を残したのは新聞社の取材に応じるためだ。カメラマンを伴った新聞記者が、すでにパイロット達に近付いていた。取材に応じるべくあちこち動き回るパイロット達の織り成す往来の中で、戸惑いがちなカズマが気付いたときには、唐突に焚かれたフラッシュがカズマを捉えていた。

「今後への抱負をお聞かせ願いませんか?」

「え……おれ?」

 メモ帳を手にした中年の記者が、頷いた。

「ううん……難しいね。敵は強いみたいだし……生きて帰れれば……それで十分だよ」

 遠くからその様子を伺っていたマリノが後ろからカズマの頭をごついた。ハンティントンに在ってはカズマの後ろには、いつの間にか彼女がいる。街での乱闘騒ぎ以来、マリノの方でもこの「半端者」が何かやらかさないか気にかかって仕方がない、というのが偽らざる本心で、このようにしてカズマを見張ることに、軍人としてのそれを超える義務感を抱いてしまう今日この頃であった。

「このバカ! 何て縁起でもないことを!」

「まあまあ……パイロットさん。君の愛機を見せてくれる?」

「参ったな……」

 と言いつつカズマはマリノを顧み、同時にマリノは唯でさえ険しい柳眉を一層に(ひそ)ませた。

「アンタの愛機とやらなんてこの艦には一機も無いわよ……前の戦闘で壊しちゃったから」

 カズマは思わずマリノの目を覗き込むように見た。ブラウンの瞳が、明らかに困惑する「半端者」の姿を愉しんでいた。

「じゃあ、どの機でもいいので、適当に選んでいただけますか?」

 記者は、取り成すように言った。格納庫に居並ぶジーファイターの前まで来たところで、記者は言った。

「じゃあパイロットさん。写真取りますから傍に立って」

 カズマは言った。

「マリノも来る?」

「誰があんたなんかと!」

「そりゃあいい。空兵さんもいっしょにどうぞ」

 ……結局、カメラマンの勧めで半ば強制的に、マリノはカズマの傍に立たされた。

「おいバカ……今度壊したら殴るから」

「よかった……マリノは艦に残るんだ」

「…………」

 弾んだ口調で囁かれ、マリノのブラウンの瞳が困惑に沈む。艦に残らないと殴れないだろうというわけだが、カズマの言葉は事実であった。地上基地への転勤の打診を固辞し、彼女はこの鋼鉄の大地に足を標し続けている……結果として、翼を得る機会は遠のく形となった。そのマリノの形のいい唇が微かに震え、醒めた言葉がカズマの耳まで漂ってきた。

「あたしは華々しい武勲とか、戦争経験なんぞに興味はないんだよ」

「…………」

 カズマの無言――それに導かれるがままマリノの言葉は続いた。

「空兵隊にいる間、貰えるものは貰う……死線に晒されずにいれば尚いいって感じ……それを考えればアルベジオからおん出された以上に、あんたと会ったのが誤算だったわ。あんたとの決着を付けるまで、ハンティを降りるわけにはいかない」

「決着……?」

「この(フネ)に乗っている限り、あんたは何時か死ぬ。あんたが死ぬのを見届けて、あたしはハンティを降りる」

「ああ、それがいいよ」

「…………?」

 瞳を微かに見開き、マリノは傍らの小男を見下ろした。彼女と視線こそ合わせなかったが、その背中が、泰然さの上に背筋を震わせる程の威厳を漂わせているようにも見えた。見えたのも僅かな間、マリノには彼の背中が正視できなくなって、俯く。

「おれは何時かはこの艦に還れなくなるだろうが、それまでの長くない間、おれの周りにいる人間だけは死なせずにおいてやりたい。モック‐アルベジオで会ったのも何かの縁だ。マリノ、死んじゃだめだ。この戦争の大義も正義も、そんなものおれは知らないし知ろうとも思わない……マリノだって同じだろう?」

「何を知ったようなことを……!」

 突き放すようなマリノの言葉。だが語尾が湿っぽく震える。ふと周囲を見れば、同行のカメラマンと操縦士や整備員との間で同じような光景が繰り広げられている。背景には翼を折り畳んだジーファイターの姿。天井を貫くように伸びた機首は決して優美というわけではなかったが、先端までピンと張ったプロペラのブレードと共に兵器独特の逞しさを周囲に漂わせている。

カズマは横目で傍に立つマリノを見上げた。無表情だが見上げる目が微笑んでいた。マリノはそれを一瞥し、今度はカズマに眼もくれず、むすっとした顔でカメラを睨みつける。軍帽を被り直すと、カズマはカメラを見返した。「準備よし」の合図だった。

「はい、ポーズッ!」

白煙と共にボンッと音を立てるフラッシュ。それで全ては終わった。

「あんたチビだから、ちゃんと写ってるかどうか判んないわよ」

 それだけ言い捨てて、マリノは足早に立ち去っていく。カズマは、カメラマンに聞いた。

「さっきの、新聞に載るの?」

「どうかな……他に取った写真と比較していいのを選ぶから分かんないね」

 フィルムを巻き上げる手を休めて。カメラマンは答える。

「何故、そんなことを聞くんだい?」

「だって……最後の写真になるかもしれないだろ」

 カメラマンの目付きが変わった。先ほどとはだいぶ違う、真剣な目付きになった。

「君、もう一枚撮るかい?」



 ――式典の一切を終了した艦隊はその日の内にカレースタッド港を離れ、もと居た訓練空域へ向っていた。

 展示飛行を終え、ファー‐カレースタッド艦隊航空基地に戻って燃料の補給を済ませた艦載機を収納する頃には、日はその大半を赤く染め上がった地平線の向こう側に没しかけ。艦内では手空きの乗員が食堂に集まり始めていた。カズマもその中にいた。カウンターを通って両手に抱えた盆には、野菜類をメインにしたメニューが適度に盛られていた。ハンティントン、というよりラジアネス軍の食事は、どちらかと言えば少食気味のカズマにはボリュームが有り過ぎて持て余し気味だったのだ。


「坊やはパイロットだろ。もっと食べなきゃ駄目だ」

 と、顔見知りになったお節介な調理兵に怒られ、時には半ば懲罰的にたっぷりと惣菜を盛られたりする。それもよりによって脂っこい豚肉のスープ煮とか、一口で食べきれない牛肉たっぷりのビーフシチューのような腹に溜まる料理だ。まあそれでも、パイロットでもバナナの皮とか斑入りの醤油汁とかしか食べられなかったソロモンよりははるかにマシなのだが……それを思えば、カズマが文句を言える立場ではない。


 艦内放送局のスピーカーは、先程からジャズ調の軽快な音楽を流していた。就役以来すっかり艦内で恒例となったリクエスト放送だ。曲が佳境に達したところで、女性DJの明るい声が聞こえてきた。確か放送担当の女性下士官が、入隊前は地方都市のラジオ放送局にDJの助手として勤めていたらしく……


『……ライアードニ等機関兵曹以下7名のリクエストで、ジャック-リリバーのトランペット演奏による「軽やかに抱いて」をお送りしてマース。さて次のお便りは……おおっと……艦内の野郎の皆さんにプレゼントッ! 何と……入港時にフラウ-リンの新曲が届いてます。ツイてるね君たち。ここハンティントンで先行オンエアだよっ。お送りしましょう、タイトルは……「瑠璃(ガラス)の気持ち」』


 周囲の兵士から歓声が上がった。唐突な騒ぎにカズマは慌てて辺りを見回した。間を置いて、オルゴールのような前奏が流れ始めた。


『――私は瑠璃

誰か私の冷たい身体を抱いて

誰か私の冷たい心を暖めて

暖かい手に抱かれ

暖かい心に触れ

私に真の愛を与えて

それが出来る人が、いつか私の前に現れ私を救ってくれるまで

私は待ち続ける――』


 間奏の途中で不意に曲は途中で遮られ、空電音がそれに続いた。

「おい、故障かよ?」

 訝しげな視線がスピーカーに集中した。最後の紅茶を飲み終え、カズマは席を立った。

『――艦隊の諸君、私は第001任務部隊指揮官のヴァルシクールである。姿勢を正す必要は無い。君らがメシを食っていようが寝ていようが私は構わない。そのままで聴いてくれ』

 途端に周囲がざわめき出した。

「司令官、司令官だってよ」

「提督がいまさら何の話なんだ?」

「さあ……」

 提督の言葉は続いた。

『――我が隊はすでにカレースタッドを脱し、一路訓練空域へ順調に航行している。コムドリア近傍において全ての訓練を終えた暁には、艦隊はリューディーランドへ進出し、近い将来侵攻してくるであろうレムリアンの機動部隊を迎え撃つことになるだろう。諸君らに長期にわたり厳しい訓練を課してきた理由はまさにこのときのためにある。本官は30年近くの軍歴の中で、今まで食ってきた艦隊の飯、今まで貰ってきた艦隊の給料分以上に働き、これまで指揮した部下もそうだった。本官は諸君らにもそれを望むものである。

 アールブイ島に引きこもっている艦隊の主力は我々を捨て駒にして最終的に自分たちがレムリアに止めを刺そうという気でいる。だが、それは本官が許さない。レムリアの空賊どもを叩き潰す任務と栄誉は我々第001任務部隊のものだ。机の上で艦隊を動かすことしか考えていない艦隊作戦本部の連中に渡すつもりは無い。我々がラジアネス、ひいてはこの地上世界を守るのだ。諸君らにはそれを可能にするだけの力があることを本官は信じる。


 レムリアンの空賊は、本官がかつて戦ったエルグリムの狂信者以上に知的で、狡猾な敵である。現在、そのレムリアンが強力な機動部隊を以ってリューディーランドへ侵攻の手を伸ばしている。戦いは長く厳しいものとなるだろう。だが、我々にはレムリアンに無い、戦う上で大切な物を持っている。それは自由を尊び、守り育てる心だ。かつて我々の先達はそれを以ってエルグリムに打ち克った。今度もそれを以ってレムリアンに打ち克つ。これが本官の揺ぎ無い必勝の信念である。諸君らも続いてくれることを願って着任の挨拶を終わる。只今より対空戦闘訓練を開始する。総員配置に付けっ!』


 途端に警報が鳴り始め、先任兵曹の怒声が響き渡った。食事と休息の時間を取り上げられた以上、この艦上では誰もが牧羊犬に追われる羊になるしかない。

「コラァ兵隊ども!……モタモタすんなぁ配置に付け配置ッ!」

「レムリアンはメシ食い終わるまで待ってはくれんぞっ!」

 カズマが気付いたときには、食堂は蜂の巣を突付いたような混乱に包まれていた。恐らく艦内のどの区域でも同じ光景が繰り広げられていることだろう。こんな指揮官が来るとは思わなかった……艦内放送を使って着任の辞を述べるのはともかく、それからすぐに自ら訓練の号令まで下すとは。食事もそっちのけに慌てて各自の持ち場へ散っていく兵士達の姿を、カズマは半ば呆然として見送った。

 


「総員、配置完了しました」

 ハンティントンの艦橋。ラム艦長の報告に、ヴァルシクールは軽く頷く。

「艦長。配置完了までの時間は?」

「三分二七秒であります」

「三分以内に縮めろ。レムリアンの空雷は三分以内に三分の一空浬を進む。君も知っていることと思うが……」

「ハッ……!」

 ヴァルシクールの口調は厳格そのものだ。艦橋右端たる艦長席の隣、やや高い提督席から臨むさらに下方、中天を過ぎた太陽の下で黄昏に向かい流れゆく群雲を眺めることが出来た。ハンティントンの前下方を固める駆逐艦の砲塔が、艦隊の進行方向を指向していた。席上にあって艦の指揮を取るラムの命令が艦橋に冴え渡る。

「回避運動を開始せよ」

「回避運動!」復唱と共に揺れ始めるハンティントンの巨体。之字航行の前触れだった。

 ヴァルシクールが言った。

「ラム中佐」

「はい?」

「なかなかサマになっているじゃないか。正規の艦隊士官以上の腕だ」

「有難う御座います」

「それにしても……加速が利かんフネだな。さぞ操艦しにくかろう」

「モトが貨物船ですからね。こんなのでレムリアンと戦えってこと自体無理なのです」

「君の様子を見る限りではまんざらでも無さそうだが?」

「いえ……強がりです。そうでもないと敵の姿を見る前に押し潰されそうで……」

「正直で結構だ」

 ヴァルシクールは笑った。豪胆な空の男の笑いを、彼はしていた。



 出だしは緩慢だが徐々に加速が生まれ、やがて巨体に似合わない駿足でハンティントンは雲海の只中を駆ける。戦場より生還したという自信が、艦に生命を託す人々の内面に希望を育み始めていた。


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