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第十章  「激突  後編」

 敵機が黒煙を曳き、味方の護衛艦群の間を縦横に駆け回っている。高度差を以てその様を見出した時、カズマとバクルは共に敵の意図を悟った。敵機の意図は友軍の撹乱にあり、最終的にはハンティントンへの襲撃を主導した工作船の任務継続――あるいは離脱にあるということを。


「――きた!」

 黒煙を曳き、前に出た敵機をカズマは照準器の端に捉える。モック‐アルベジオ襲撃のときも目にし、実際に撃墜したこともある複座機。それゆえに加速も上昇も旋回も先刻のゼーベ‐ラナに一歩劣るのはすぐに判った。やり易いという予感は、相手を照準器の中央に収めた瞬間、確信に席を譲った。

「――――!」

 闘争本能の導くままに放たれた一連射が敵機の右主翼に火花を走らせる。火花は白煙に転じ、更なる一連射で紅蓮の炎に変わった。バクルは既に二機を相手に格闘戦に入っている。ただし二機は熟練した動きで回避と攻撃を繰返し、バクルは彼らを攻めあぐねているかのように見えた。

「バクル! 援護する!」

『――来るな! バートランド少佐たちを頼む!』

「バカなことを言うな!」

 接近しつつカズマは思わず声を上げた。同時に共通回線に流れてきた声が、意外な展開の到来をカズマならずとも思わせた。

『――バクル? ラグ‐ス‐バクルか?』

 女の声、それは直後に溢れんばかりの怨嗟(えんさ)を篭めた呪詛に変わる。

『――地上人(ガリフ)の血の為せる業か? 地に這う劣等種に(くみ)する途を択ぶとは!』

『――その声、サタリア‐イ‐ヒランと聞いた!』

『――黙れ! 劣等種がレムリアの名を語るな!』

 激情と共に複座機の主翼が煌めく。声の主はカズマの眼前で急上昇から一転しバクルの背後を取る。かなりの手練、しかも女ときている。その女が射撃を始め、バクルが身を捩じらせて回避する様が見えた。

『――貴様も死ね! 地上人(ガリフ)!』

 汚いレムリアの言葉が耳を打ち、背後からの赤い光弾がカズマの右を掠めた。両手で操縦桿を傾け、機を滑らせて軸線を外す。スロットルを絞る。追尾から勢いに任せてカズマの前に出たもう一機――バクルの相手よりも腕は落ちると見えた。後席が機銃を手にするより早くカズマは一連射を撃つ。弾幕が操縦席に集中して風防が弾け、そいつは背面に転じた。そのまま煙も出さず、回復動作に入ることもなく急降下する敵――その間も、バクルを追う女は彼に向いさらに距離を詰めていた。

『――貴様も、貴様の姉も所詮は雑種だ! レムリアの優秀なる形質を受け継がぬ劣等種だ! 他の地上人と同様私が引導を渡してやる!』

「――――!」

 絶句と共にカズマは撃った。牽制射撃だった。レムリア人も撃ち、バクルの機体から黒煙が延びる。巧妙なまでの、あるいは執念深さを表に出し過ぎの感もある追尾。敵を複座と軽く見たことに、カズマは心からの後悔を覚えた。後背からの銃撃を察したのだろうが、回避する素振りも見せず、バクルの被弾は続く。前の敵に殺意を注ぐ余り、周囲の状況にかかわずらっていられなくなるのだ。カズマも以前――この世界に来るよりずっと前――はそうだった。

「このケダモノ! バクルを離せ!」

 怒声と共に握った引鉄が、光と鋼の礫を敵機の胴に叩き込む。後席の乗員が仰け反り、そのまま動かなくなるのが見える。それでも敵は裏切り者と見做したバクルへの攻撃を止めなかった。完全な殺意に任せた更なる連射――イリスの機影が主翼付け根から炎に染まり、火に取巻かれたイリスは背面から急激な自転に入りつつ墜ちて行く。

『――少佐!』

 断末魔の声が共通回線を走る。バクルにあれ程の憎悪をぶつけた相手とは思えぬ悲鳴、悲しげな女の声だ。エンジンから黒煙を吐きつつ高度を下げるバクルに、全速を出し並ぶ。

「バクル! 怪我はないか?」

『――おれは大丈夫……はやく……隊長を――』

 不穏な咳き込みと同時に無線が切れる。覗き込んだ先でバクル機のキャノピーが割れ、操縦席の中でバクルが俯いているのが見える。ハンティントンは既に正面に見えていた。護衛艦と協働し工作船に砲撃を続けるその姿から、船をぶつけられた以上の被害は受けていないように見えた。

「バクル、操縦が出来るか? ハンティに戻ろう。援護する」

『――…………』

 呻き声とも、溜息とも区別のつかない声が聞こえた。そこに、死を覚悟した意志をカズマは聞く。

『――カズマ……あの赤い戦闘機が見えるか?』

「ああ……!」

 応じつつ、カズマはハンティントンの近傍、バートランド隊長たちを前に、単機で一歩も引かず戦闘を続けている敵機の姿に戦慄めいた感触を覚えた。モック‐アルベジオでも戦った異形の前翼機。紫電改でこそ拮抗し得たあいつに、単機で戦いを挑み勝つ見込みについて、カズマは実のところ何の確信も持っていなかった。現に傍目から見てもあの前翼機の性能はジーファイターのそれを明らかに凌駕しており、それ以上に機を操る者の技量と気迫が、隊長たちを完全に圧倒している。

『――あいつはハンティが一切の回頭も、射撃も出来ない状態になるのを狙っている……それは一度発進させた艦載機を収容するときだ』

「……どうしようっていうんだ……あいつ」

 湿った咳に続き、バクルの言葉は続いた。

『――敵艦に叩きつけるべき爆弾がなければ、翼を弾丸に替えて刺し違えるまでだ。それがレムリアへの忠誠を示す唯一無二の方法であるのならば……!』

「特攻か……!」

 絶句するカズマの耳を、再度バクルの咳が打った。久しぶりで出た言葉、それが醸し出す得体の知れぬ感情にカズマの胸が灼け、そして震える。戦慄によるものではなく、むしろ同情であった。自らの信ずるもののために、自我を捨て我が身を潰えさせることを厭わぬ――異世界に在ってもかつての自分、あるいは日本人と同じ思考を持つ種族がいることに、カズマは内心で感銘すら覚えた……が、レムリア人の献身の結果としてハンティに生命を預けた多くの人間もまた、未来を奪われる――そのようなことが……


「……あってたまるか!」

 ひと時の同情が、抑え難い新たな怒りに席を譲る。傍らのバクル機が左右に主翼を揺らし始めているのをカズマは察した。乗り手の意識が朦朧とし始めていることの明らかな兆候だった。ハンティのためにも、飛行隊の仲間のためにも、そしてバクルのためにも、自分は眼前のレムリア人を墜とさねばならない。

「バクル!」

 声を掛け終わらぬ内に、バクル機は主翼を翻し空戦の環の中に機首を向ける。同時に眼前、バートランドとレムリア機、反航の姿勢を取ったまま接近する彼我の二機が光の数珠で結ばれる。敵味方を別つ黄色と緑の光の奔流。だがその量は急上昇の頂点から下方へ機首を転じた前翼機が、それを下方から迎え撃つ形となったバートランドのジーファイターに勝った。交差に続き上下が逆転し、ジーファイターのみが機体から火を吐き高度を下げ始める。墜落こそ免れてはいるものの、彼が空に留まっていることのできる時間もまた限られてしまったこともカズマは知る。


 降下から再び上昇に転じ、高度を取った前翼機が機首をハンティに向けた。それを横転で追わんとカズマは操縦桿を傾ける。そこに再び、バクルの全てを振り絞ったかのような声が追い縋る。

『――カズマやめろ!……君が正面から戦って勝てる相手じゃない……!』

「待っていろバクル……!」

 応じるカズマの眼は、対空砲火を展開するハンティントンに牙を剥かんとする前翼機を睨んでいた。必殺を確信させる直上からの突進、後背から追い縋り攻撃を掛けることはジーファイターの性能ではもはや不可能だ。

「おれが必ずバクルをハンティに帰してやる!」

 降下に転じた前翼機の一歩先、その空間を照準に捉えた僅かな瞬間に一連射を放つ。時間にして一秒にも満たない一瞬。それでもジーファイターに配された計六丁の高性能機銃が、勝利を確信し突進する前翼機の針路上に牽制の弾幕を張るのに十分な時間だった。



「――――!?」

 敵空母からの防御砲火によるものでは無い、横合いから放たれた射弾を見出した途端、セギルタは最後のフラゴノウム空雷の管制盤起動スイッチに指を掛けようとして思いとどまった。

 戦闘機への搭載を可能にするべく小型化と軽量化が図られたものの、フラゴノウム空雷は重量にしてなお単発戦闘機の搭載限界たる六百スカイポンドに達し、有効射程もまた短い。搭載量に余裕のある専用攻撃機はともかく、それらの不足を埋める形でフラゴノウム空雷を用いた対艦攻撃を担ったゼーベ‐ギガ、ラナといった一線級機にとって、「大祖国空戦」はまさに地獄の戦場といった様相を呈することとなった。特に有効射程の短さから、彼らは重量物を負った状態で防護の厳重な敵大型艦への肉薄攻撃を担うこととなったのである。

 肉薄によって目標を仕留めねばならないという点では、それらの一般戦闘機より性能的に隔絶しているキラ‐ノルズとてやはり同じであった。贔屓目に見ても銃撃をかけるくらいの距離にまで迫らなければ、フラゴノウム空雷の必中は期し難い。


 それでも、愛機の性能と自分の技量があれば――キラ‐ノルズを駆るセギルタの思惑は、その端緒に手が届く直前、誰かの不意の射撃により挫折を見る形となった。

「ラグ‐ス‐バクルか!?」

 上昇に転じつつ、陰に籠ったどす黒い気迫が弾幕の方向を睨む。共通回線の状況……否、これまで傍受した飛行隊の無線交信の様子から、あの男もラジアネス軍の一員として飛んでいることをセギルタは既に知っていた。単純に元部下の変節を憎悪する感性をセギルタは持っていない。むしろ拠るべき祖国に対する確固たる忠誠を持ち得なかったクラレス‐ラグ‐ス‐バクルという人間の、「心の弱さ」を憐れむ感性の方が勝っている。


 それでも――灰色の瞳が敵意に煌くのと、飛び込んで来た地上人に照準が合うのと同時だった。

 「死ね!」

 最初の一斉射は、むなしく空を切った――まあいい、最初から初弾必中など期待していない。

 それに、あっさりと墜ちてもらっては面白くないではないか。この場で一気に六人の部下を失ったのにもかかわらず、セギルタは異常なまでに満足であり、冷静だった。ウダ‐Ⅴという母艦の離脱という点に限定すればヒランたちは死して己が任を全うしたのだ。自分が為すべきは彼らが開いた血路を踏み締め、勝利へと向かい後はひたすら翔るだけ――ジーファイターはノルズの背後に回り、セギルタは地上人を引き離しにかかる。

「――――!」

 キラ‐ノルズを、敵を嘲るかのように上昇させる。背後の地上人も負けじとそれに続く。後ろ眼にそれを察して、セギルタは微笑みながらスロットルが一定以上の目盛まで達しないように填められた留め金を外す。本来なら開くことの無い限界値まで一気にスロットルを開いた。二機は上層雲を越え、セギルタはジーファイターを高空に引き摺り出した――地上人の戦闘機は、これ程の高高度を滑らかに飛ぶようには作られていない。


「勇敢なる地上人よ……」

 エンジンを掌る回転計と吸気計の針が、仕様上の限界たる赤い領域に差し掛かったところで止まる。敵手への敬意に優越感というエッセンスを加え、セギルタの独白が続く。

「……おまえは幸運だ。このキラ‐ノルズの片鱗を見せてやろうというのだから」

 限界値に達し、一瞬エンジンの鼓動が止まった。エンジンの出せる限界値にノルズは従うかのように機首を垂直に擡げる。同時にすさまじい勢いで襲い来る加速度がセギルタを座席に押さえつけた。


 追いつけない!――推進式のエンジンから幾条もの水蒸気を吐き出しながら凄まじい勢いで上昇していくキラ‐ノルズを、カズマは感嘆の思いで見つめていた。と同時にこうも思う――きれいな飛行機だ。とも。それは敵機の優美なデザインと、圧倒的な性能に対する賞賛の念だった。零戦を除いて、あれほど美しい機体をカズマは見たことが無かった。


 敵機に対する恐怖の念など無かった。眦を決し機首を敵機に向ける一方で、カズマは自分よりはるかに優速な敵機に対抗するための手段を考えていた。逃げるとかいうような否定的な思考から、カズマは自由であった。

 上昇では追いつけない、それどころか上昇もある一点まで行けば急速に出力が低下し失速に繋がる。敵はそこを狙ってくる。だからといって追従しなければ、それはみすみす敵に上方からこちらを狙える有利な位置を容易に明け渡すことになる。


 もちろんカズマに、そんなつもりは無い――では、どうするか? 


 カズマは意を決した。計器盤の速度計が失速速度を指し示す。不穏な静寂と共にジーファイターの上昇が止まり、その後には空から滑り落ちる様な高度の低下が訪れた。



 しめた!――後方を振り向いたセギルタの眼が煌いた。セギルタのはるか下方を追っていたジーファイターが胴体の裏を見せたのだ。

セギルタはほくそ笑んだ――馬鹿め! 失速した。

 こちらに追従しようとするあまり機首を上げすぎたのだ。セギルタは操縦桿を引いた。横転に入りつつ機体の姿勢を修正し、機首を雲海へ転じるジーファイターを追った……否、追う様子を装いつつ彼女の真意は回避運動を続けるハンティントンへと向かう。一度失速したが最後、あの勇敢な地上人は速度を取り戻すまでまともに動けまい。反射的にフラゴノウム空雷の管制盤を起動させ、直進に必要な緒元を入力する。直上――この位置から放たれた空雷を受ければ、いかなる巨艦とて無事で済む筈がない。


 空雷発射モードに転じた照準器の輝点がハンティの頭上、それも艦体中心線上に重なる。


 セギルタは勝利を確信した。


「………」

 迫り来る眼前の雲海と伸び行く速度計の針を見比べながら、カズマはその優美な敵機が迫ってくるのを待っていた。失速、そして降下に転じながらも、あいつが此方の背後に食い付くまでに、ジーファイターはこれまで失った速度を回復していることだろう。傍目には無様な失速降下からパワーダイヴに転じた機体。エンジン回転計はすでにレッドゾーンに達し、スロットルを全開にさせた手はすでにフラップの開閉レバーを握り締めていた。

 振り向くと、あのスタイルのいい前翼機は背後。鷲のような独特の形状をした機首と主翼がはっきりと確認できるところにまで接近している。


 困惑――

 軸線が合っていない――おれを狙っていない?

 眼前にハンティントンの艦影――やつが自分ではなく、ハンティを狙っているのではないかということに、カズマは今思い当たる。


 戦慄――


「――――!」

 バックミラーの中で、怪鳥のような影から何かが零れるのが見えた――見えた次の瞬間にフラップを全開にし、操縦桿を腹に当たるかと思われるほどの勢いをつけて引いた。烈しい重力加速により視界を歪め、吐く様な圧迫感に耐えるカズマの眼前、速度を殺し浮き上がったジーファイターを追い越し、黒く小さい影が踊り出る。空雷!――突沸した怒りに任せ、力を込める引鉄。

「――――!?」

 重い石を叩きつけるような衝撃と同時に、ジーファイターが烈しく揺れる。空雷を撃った前翼機が喰い付いたのだと躯で感じる。しかしカズマは振り向かなかった。

 フラップを戻し、加速して空雷を追う。眼前、被弾を示す白煙を吐きつつも、空雷はその尾から青い光を瞬かせていた。空雷を構成する簡易フラゴノウム反応炉が生きていることの証だった。


 さらに一連射、もう一連射かける毎に機体が激しく揺れ、ジーファイターから大事な何かが千切れていくのを感じる。怖いとは思わなかった。背後から飛び込んできた黄色い光がカズマのをすぐ横を抜け、それはカズマの眼前で無数に瞬きながら夜空の何処かに流れていく。急降下のまま空雷との距離がさらに詰まり、同時にハンティの艦体すら大地のようにカズマの眼前に迫ってくる。


 空雷はすでに手を伸ばせば届くように思われる距離――身を屈め、カズマは引鉄を引き絞る。空雷から火が生まれ、直進から一転、あらぬ方向に向かい奔り始める。

 最初に蒼い光が生まれ、次に空を揺るがす大音響以外の銃声も爆音も掻き消えた。



 再び眼前に現れ、自らの放った空雷を追う敵機に、セギルタは驚愕した。

「バカなっ!」

 あまりに無謀な振る舞いであるように思われた。セギルタはフットバーを踏んで機体を滑らせつつ追尾に努める。と同時に操縦桿の引鉄を引きっ放しにする。弾幕を張れば地上人は必ず墜ちるか逃げる――その打算は、二三の被弾を被ってもなお追尾をやめない地上人を前にして、焦燥へと転じた。しかし焦燥はあっという間に怒りへと席を譲る。


 小ざかしい奴!――セギルタは臍を噛む。そして新たな確信もまた生まれる。

 あいつの腕の程は自分と同じ。これまでに出会った如何なる地上人よりも老練で、経験を積んだ地上人だ。腕の程は先刻戦翼を交えた敵の隊長格と同じ位……否、手数を仕掛ける隙を見出す勘の良さ、そして体力、集中力において数段勝る。同時に、ラジアネス軍にもまだこのような凄腕が生残っていたのかという、一種の感慨を抱くに至ったことも否定できない。ひょっとすれば、空戦だけに限定しても自分以上に場数を踏んでいる地上人なのかもしれない。


 ジーファイターは降下を続け。セギルタも同じく降下を継続しジーファイターに距離を詰めんと試みる。攻撃を成功させるためにも、絶対に仕留めるべき敵であることに彼女は気付く――惜しむらくは、気付くのが遅すぎた。

「邪魔をするな! 地上人(ガリフ)!」

 空戦モードに転じた照準器の輝点が傷付いたジーファイターを再び追い、そして重なる。殺意をぶつけんとしたそのとき、夜空を染め上げんとするかのような青い光が生まれ、拡がるのと同時にセギルタの視界を漂白した。


 光の破裂に視界を塞がれ、空雷を破壊したのを確信してもなお、やるべきことがあるのをカズマは知っていた。完全にパワーダイヴに陥ったジーファイターの操縦桿は巌のように重く。それでも操縦桿に齧り付くカズマの膂力は、徐々にではあるがジーファイターの機首を擡げさせていた。フットバーを踏み、スロットルを絞ることで降下から横転に機体を持っていく。なお烈しい加速に抗いつつ上半身ごと首を廻らせ、前翼機の影を探る。何かが弾ける音が機内に響く。被弾に傷付いた外板やビスが急機動の生む加速に抗えずに千切れ、弾け飛んでいるのだ。


 背後を顧み、風防が完全に吹き飛んでいるのを認めるのと同時に、あの前翼機がなおも自分を追っているのが見えた。横転から機を水平に戻し、カズマはさらに操縦桿を引いた――



「――――!」

 白濁した意識を視界とともに取り戻した先でセギルタは息を呑む。空雷はすでに影も形も無く、前を飛ぶ地上人との距離は開いていた。一瞬横転に入ったそいつの機首が急激に上がり、左へ上昇に転じるのが見えた。

 脱力――ことは終わった。だがあの地上人を(たお)すことの方が、敵の空母を沈めること以上に重要な使命であるように今のセギルタには思われた。セギルタは確信している。あいつは危険な敵。将来にわたりこの戦争を戦う同胞のためにも、あいつは差し違えても殺すべき敵だ。

 

 水平に転じかけた敵影を睨む。逃げる気か!?――セギルタは導かれるように操縦桿を引いた。しかし降下により加速がついて急に上昇できないノルズは、どうにか上昇したところでジーファイターとの距離をかなり開いてしまう。それでも加速と上昇力に圧倒的に優れたキラ‐ノルズは、易々と小賢しいジーファイターの後背へと距離を詰める。空雷という「バラスト」を失ったことが、却ってノルズに俊敏さを与えていた。照準が滑る様にジーファイターの後を追い、醜い機影に重なろうとする。


 われ勝てり!――上へ逃げたのは失敗だよと、セギルタは内心でジーファイターの乗り手を嘲った。気速を利して下へ逃げればよかったものを。何を血迷ったのか!

 上層に転じるジーファイターの舵が左に曲がった。型通りの斜め宙返りかと思ったが、それは違った。追尾しながら眼を凝らすセギルタの眼前で、ジーファイターの舵は瞬時に右へと切り替わった。


 右へ――滑る?


 敵機の追尾を受けて上昇、そして宙返り中の機体が何故そのような動作を取らねばならないのか、セギルタには不可解だった。乗り手の癖なのか?――否、セギルタは眼前の敵手が、何故そんな操作をしなければならないのか知っているような気がした。任官以来、長年に渡って培われてきた戦闘機乗りとしての経験と本能が、彼女の胸中に耳に聞こえぬ警鐘を鳴らしていた――そんな胸中の蟠りの正体が、宙返りの頂点に達したところで明確な輪郭を以てセギルタの脳裏に示された瞬間。セギルタの脳裏で何かが弾けた。彼女は自分に用意された未来を見出す。声にならない声で、セギルタは軽く叫んだ。


「しまった!」

 愕然とした衝撃とともに宙返りを終えた眼前に、居るべきジーファイターは影も形も掻き消えていた。これまで感じたことの無い、戦慄を伴った何かが、セギルタに「老練な敵機」を引き離すべくスロットルを再び開かせた。先程の失速から今に至る全ての流れは、自分をこの狡猾な罠に嵌めるための擬態だったのだ。そのことに気付いたとき、セギルタは自分の死を覚悟した。老練どころではない。自分がいままで戦っていた相手は、悪魔そのものだ!


 宙返りの頂点から左に滑りつつ加速するジーファイターの機上、立場を逆転し、前下方を飛ぶ敵機にカズマは照準を合わせた。敵機の推進式プロペラが再び凄まじい勢いで回転し始め、翼端と排気口が濃い水蒸気の線を曳き始めた。敵が再び此方を引き離し、再度優位な位置を占めるのに五秒も要しないだろう。その五秒を稼ぐことに、敵の懐に飛び込んだことの意味があった。高性能機を駆っているだけに乗り手のレムリア人の腕はいい。機体性能の優位を誇示するであろう僅かな隙に、カズマは全てを賭けたのだ。


 悪魔め!――加速し、背後の地上人から逃れんとセギルタは前方の空を渇望する。

 逃がさない!――カズマの眼が獲物を狙う鷲のように細まり、煌く。

引鉄が、引かれた。



「――――!」

 貫かれると察するのと同時に、セギルタにとっての破滅は訪れた。背部装甲板を貫いた徹甲弾がノルズの操縦席を蹂躙する。火花が散り、風防ガラスが割れる。怒涛の如く吹き込んで来る烈しい気流が、オイルと炎の臭いを運んで来た。フルフェイスのガラスに罅が入り、口の中に血の味を覚えた……何故か痛みは感じなかった。その代わりに薄れ行く意識で、セギルタは遠ざかりゆくハンティントンを見上げる。彼女があれほど墜ちることを願い、そのために全てを捧げた敵艦は、依然と雲海の遥か上に在って止まることのない驀進を続けていた。

「ハンティントンよ……」

 口に出すのと同時に血の泡が散り、割れたフルフェイスを朱に染める。炎が機体に浸食の手を延ばし始めているのが感じられた。それは操縦席まで広がり、セギルタの瀕死の躯をもその懐に取り込まんとする――

「――レムリアは……必ずおまえを撃墜()る……!」

 火は操縦士を包み、その後に崩壊と虚無が訪れた。



 息をついたのも束の間、カズマが見下ろしたずっと先で、ハンティントンは回避機動から直進に転じていた。飛行甲板を塞いでいた民間船の姿は空雷の破裂に巻き込まれて焼け落ち、甲板上に僅かな残骸を晒すのみだ。その残骸すら、甲板員の手で脇に退けられようとしている。

 直進を続けているのは、艦載機を収容するためだけではなく新手の哨戒隊を発進させるためだ。先刻まであれ程船団の周囲を乱舞していた敵機の姿が一機も見えなくなったことが、却って彼らの不安を誘ったかのような観があった。風上に艦首を向けたハンティントンから、ジーファイターが群を為し飛び出していく。彼らは暫く直進した後に上昇し、やがてカズマのいる高度まで昇って来る。一部の機は救難筏を抱え雲海の下へと向かっていく。バートランド隊長をはじめ、被弾し海上に脱出した操縦士の回収もまた始まっていた。無線機の共通回線の中にも、「救難作業始め。連絡艇下ろせ」の号令が頻繁に聞こえ始めている。


 バクルを探さないと――彼らに場所を譲る形で、カズマは高度を下げた。腕に嵌めたクロノグラフの針が、発進前に教えられた予想日昇時刻に迫っていた。最初は船列を取り戻しつつある船団と同じ高度を廻る。

「バクル! 聞こえるか? バクル!?」

 混信が増え始めていた。脅威が遠ざかったという安心感――否、希望が、船団を構成する各船に広がり始めた証であった。それと同じ位、音信不通になった同僚を探す声が溢れ出している。航行不能になった船を放棄し、乗員乗客を収容するべく放たれた連絡艇の姿すらちらほらと見え始めていた。


 飛行船よりずっと小型で低速の連絡線にとって、高速で飛来する艦載機は十分な脅威となり得る――その判断が、カズマをして船団より更なる降下を促した。下層雲のすぐ上まで高度を下げたところで、カズマは再び呼び掛ける。傷付き、疲弊しているのならば高度が下がることを、太平洋での経験からカズマは知っている。運が良ければ海上で見つけられるかもしれない。

「バクル! 聞こえたら翼端灯を付けろ。助けてやる!」

『――…………』

「バクル……!?」

 雲海の切れ間に、瞬くものがふたつ――赤い光はジーファイター特有のものだ。と同時に、雲海を割り高度を下げる艦影をカズマは見出す。友軍の護衛艦だ。そいつはカズマより遠方に在って、探照灯の光を下方に巡らせている。赤い光、ともすれば夜明け前の濃い闇の中で見失いそうになる程儚い光、それを目指してカズマは飛ぶ。光を追いつつも、それが近付いているのか遠ざかっているのかも、今のカズマには判らなかった。発艦以来、風防を開け放ったままの操縦席に潮の匂いが漂って来た。


「バクル! 機首を上げろ!」

 赤い光に続き、青白い排気煙が見えた。どす黒い海面に向かい機体を接しようとするジーファイターが一機。飛行により発生した乱流が海面を掻き乱す程の低高度まで降りたところで、辛うじて踏み止まり僅かに上昇する――そんな動きが、カズマの眼前で繰り返されていた。機体を並べて、カズマはジーファイターの操縦席を覗き込むようにする。

「バクル、こっちを見ろ。誘導する!」

『――……カズマか?』

 振り絞る様な、掠れた声が聞こえる。操縦席の中で、俯いたままの黒い影が微かに動くのをカズマは見る。影になった頭が上がり、機首もまた僅かに上がった。

「あの探照灯が見えるか? あすこまで飛んで着水するんだ。絶対に助かる!」

『――…………』

 返事は無かった。しかしバクル機は緩慢ではあるが旋回を始めている。遭難者捜索のために高度を下げた護衛艦が照らし出す光芒の海が近付くにつれ、機体の輪郭が徐々にではあるが明瞭に浮かび上がってくる。傍ら――改めて凝視したバクル機は、操縦席後部から尾翼に掛けて激しく撃たれていた。

「バクル!……もういい。フラップを下してエンジンを切れ! 肩のバンドも外せ!……そのまま海に滑り込むんだ!」

 カズマが言い終わるよりも早く、バクル機の胴体が海面を擦り水飛沫を上げた。カズマもそれに倣った――つまりは、意図して乗機を海面に叩き付け着水した。プロペラブレードが海面を切り裂きつつ曲がる。急激な抵抗に堪えかねてエンジンが悲鳴を上げる。フレームが不気味な軋みを立て、機体の何処かが折れる音を聞く。ジーファイターは暫く海上を滑った後に停まり、その後には浮遊する様な不安定な感触と、足許に迫り来る死の気配が生まれていた。慣れた手つきでバンドを外して操縦席から腰を上げる。頭上から注がれる烈しい光に顔を顰めつつ探った先で、バクルの機は既に胴体の半分を海中に没しかけている。操縦席の人影が動く気配は見られなかった。


「――――!」

 考えるよりも先に、足が操縦席を蹴っていた。久しぶりで感じる海水の冷たさ、不快な潮の味など、斟酌する余裕もなかった。粘液質のうねりを越え、あるいはやり過ごしつつカズマはバクル機を目指す。最も重いエンジンが前方に付いている以上、戦闘機は機首から沈む。それは零戦でもジーファイターでも変わらない。

「…………!?」

 バクルは座席に身を委ねたまま海中に向かおうとしていた。前方から瀑布の如く流入する海水を受け容れ、操縦席に海水が満ちる。完全に沈んだ機体前部を追うように、カズマは息を吸って潜った。海面から僅かに広がる光の領域、そのすぐ下に広がる永遠の闇。その境界でカズマはバクルの躯を捉える。肩バンドが外れていたのは幸運だった。沈みゆく機内で腰のバンドを外し、カズマはバクルの救命衣、その展張用の取っ手に手を延ばす――膨張。

「――――!」

 封印を解かれた窒素をその気嚢に取り入れ、救命衣は傷付いた操縦士に急速に浮力を与える。それに付き添うように、カズマも浮かび上がろうと試みる。生気の失せたバクルの顔が海面に出たのを見計らい、カズマもまた救命衣の展張取っ手を引いた。強力な浮力に身を委ねて一息つくや、巨大な質量が頭上に迫っていることにカズマは気付く。

「連絡艇か……」

 安堵の次には悪寒が訪れた。体温を奪われ続ける状態で、カズマは接近して来た艦載連絡艇を見遣る。探照灯が眩しくも、冷たい。海域一帯に広がる推進機の立てる轟音の中で、僅かながら混じる違う音に、何時しか興味を引かれている自身にカズマが気付いたのはそのときだった。それは海原の揺れる音。まさしく生命の音であった。


「また……海の上か」

 横に浮かぶバクルを、カズマはより傍に引き寄せる。口から微かに洩れる白い息。それは天がこのレムリアの青年に未だ生きるべき未来を用意していることを、波のたゆたう静寂の内にカズマに教えていた。




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