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第九章  「激突  前篇」

 重量と全長にして駆逐艦に匹敵する物体が艦の前方半空浬程度の距離に、それも唐突に出現した時に取り得る対応は、士官学校はおろか何処の船員学校でも教えていない。しかしハンティントンの司令部は、哨戒機を空へ送り出そうとしたまさにその瞬間に突如招来された現実を前に、艦の命運を賭し対応すべき状態に直面することとなった。


『――「ガムタナ」左旋回! 本艦に向首する模様!』

 発端は艦橋外に在って「ガムタナ」の一挙手一投足を見守っていた――否、監視していたいち兵卒であった。この時点で「ガムタナ」に対するラム艦長の不信感は頂点に達しつつあったのだが、その意図に関しては彼をしても量ることが出来ずにいたのである。船団の外に在って襲撃の機会を伺う友軍との内通……艦橋の全員が抱いていた「ガムタナ」の意図は、それぐらいなものであった。しかしその割には「ガムタナ」は船団全体を支配する無線封止に従っており、それがむしろ一本の指すら触れ難い近寄り難さを漂わせつつあった……


 その「ガムタナ」が見張員の前で旋回した。あのクラスの貨物船では機関出力的にも、船体構造的にも出来そうの無い、クリップの曲がり端のような軌道を描く程の急激な左回頭。回頭の予兆すら見出すことが出来ず、あらかじめラムの意を受けた対空機銃座が照準を合わせ終えた時には、「ガムタナ」は故障した貨物船を引き摺りつつ速度を上げ此方に向かって来る。


『――撃ちますか?』

「待て!」

 双眼鏡を以て「ガムタナ」を睨むラムの回答は即座で、これまでの彼の見せたことのない切迫感が伴っていた。

「『ガムタナ』に警告しろ。『トトリアナ』を切り離し、停船せよと」

 ここまでは手順通りの展開で、かつ正当な対応だった。レムリアンの様な無法者と違い、素性の未知を理由に民間船を無警告で撃つほど無思慮な人間が、民主主義を標榜するラジアネス軍の幹部になれる筈がない……が、事態の急変を前にしては稚拙な対処という見方も生じ得るであろう。


『――艦橋より司令部へ! ガムタナ、トトリアナを切り離した模様!』

「艦長!」ビーチャ副長の言葉には、悲鳴めいた響きがある。と同時にラムの脳裏で、急速に不穏への聞こえざる警報がその間隔を狭め始める。

「トトリアナの状況報せ!」

『――トトリアナ! 前進止まらず。本艦左前方より急接近! 距離七百!』

「慣性だ……!」

 呟き、そしてラムは絶句する。急回頭の途上で牽引を解かれたトトリアナは、さながら投石機から撃ち出された石弾であった。慣性の発生は推進力を持たない巨船を加速し、それは水平方向に回転しつつハンティントン目指し突っ込んで来る。


「面舵一杯! 発着艦中止!」

「面舵一杯!……発着艦中止!」

 ラムが怒鳴り、ビーチャが怒声で復唱する。四十階建てビルディングの全高に匹敵する巨体を有する飛行空母からすれば、七百空間単位(スカイヤード)と言う距離は指呼の間でしかない。衝突回避には回頭以外の手法も駆使せねばならない。だが――


『――ガムタナに異状を視認! 空雷だ! 空雷発射管を引き出してます!』

 艦橋見張員の悲鳴が艦内回線に充満する。牽引という拘束を解かれたガムタナは加速し、すでにハンティントンの右舷という、それも空雷発射に絶好の位置を確保していた。旧式の貨物船とは思えぬ速力、そして機動力であった。この瞬間始めて、ラム達はガムタナの意図を悟る――ガムタナが内通者ではなく、刺客であったことを。


「――――!」

 艦橋一杯に広がる貨物船の船体。ハンティントンは回頭こそ始めていたが、距離的に回避は間に合わない。衝突により艦首を折られるという懸念が、ラムに新たな号令を出させた。

「反応炉出力落とせ! 下げ舵十度!」

「くそっ!」

 ビーチャ副長が復唱するより早く、当直士官が反応炉角度指示器(リアクターテレグラフ)のレバーを倒した。反応炉出力二分の一。昇降舵手が舵輪を前に倒す。浮遊力を減じ、下げ舵に転じたハンティントンの巨体はその自重故に加速を付け沈降を始める。


「――間に合わない!」

 ビーチャ副長が叫ぶ。高度を下げたことにより、むしろ彼我の距離がさらに詰まった――

「緊急警報を鳴らせ! 総員! 衝撃対応体勢を取れ!」

 インカムを握り、ラムは声を上げた。投げ付けられた船体はもはや直前。回避が間に合わず、巨船が艦橋を直撃する光景を彼は諦観と共に思う。鋼鉄の艦体を軋ませ、磨り潰す振動が最初に生まれ、最後には烈しい衝撃が艦橋全体を揺るがした。決して広いとは言えない司令艦橋に怒声悲鳴、そして転倒の物音が充満する。ガラスこそ割れなかったが、蜘蛛の巣の広がる様な(ひび)を入らせるのに十分な程の烈しい衝撃であった。


「艦長より各部署へ、艦及び人員の被害状況を報告せよ。それと……」

 艦長たるラムは、指揮シートで身を支えつつも踏み止まっていた。艦橋に入った衛生兵がいち早く負傷者の治療を始めていた。

「……応急処置班は急ぎ飛行甲板まで展開せよ」

『――四時方向より空雷接近! 数一!……いや二! 突っ込んで来る!』

「対空砲! 撃ち落とせ!」

 インカムに声を荒げ、ラムは左舷を見遣る。巨艦の左舷では赤、黄、そして緑に瞬く曳光弾の乱舞が始まっていた。衝突したトリリアナは?――探ろうとして艦橋正面に向き直り、そこでラムは我が目を疑った。前部飛行甲板に貨物船を抱え込んだまま回避機動を続ける自身の艦に艦長たるラムが気付いたのは、まさにこのときであった。

『――空雷一基撃墜! 一基なおも接近!』

「面舵だ! 右回頭を続けろ!」

 傍目から見れば、それは奇妙な状況であった。航空母艦の飛行甲板に乗り上げる様にして衝突した輸送船。一方でその輸送船を切り離す暇すら惜しむかのように、あるいは輸送船の船体をその上甲板に抱きかかえる様にして回避機動を続ける航空母艦――ともすれば、その艦体に背負った輸送船諸共、被雷し爆沈を遂げる危険性すらハンティントンとその同行者の足許に迫っていたのだ。


『―― 一基、来ます! 右舷前方!』

「回頭を続けろ!」

 艦橋見張員からの報告に対するラムの反応は即座で、果断としている。一基の空雷がすでに避けようのない近距離にまで迫っている。回頭するハンティントンと迫る空雷――

 それらは正対し、両者は擦れ違う――

『――空雷接近!』

「舵戻せ!」

 林立するアンテナ支柱を弾き、火花を散らし、舷側鋼板を抉りつつ空雷は直進を続ける。だがハンティントンの艦体を掠っただけが、二本目の刺客に為し得た全てであった。掠過の途上で姿勢制御ジャイロの限界を越えた衝撃に耐えられず、空雷はハンティントンの舷側より弾かれるようにして軌道を曲げ、何も無い空で爆発する。炸裂した花火が球を描いて四方に飛び散るような、しかしあまりに眩い青い光の粒子の奔流――それは数秒間夜空を蒼々と照らし、そして吸い込まれるように闇へと消えた。


「――フラゴノウム空雷か!?」

 まるで飛行戦艦の主砲弾の直撃を受けたかのように烈しく揺さぶられる艦橋に在ってビーチャが叫び、ラムは声にならない声で呪詛の言葉を吐く。直撃では無かったが、ガムタナの放った空雷は物理的にも、そして精神的にも艦全体を揺るがすのに十分な威力を見せ付けた。あの「アレディカ戦役」時、レムリア軍は戦力面の数的劣勢を覆すべくラジアネス側の常識を超えた兵器を投入した。戦闘機搭載用の短空雷に人工的に精製した高純度フラゴノウム結晶を充填した特製弾頭を取り付けた「フラゴノウム空雷」。アレディカ空域での戦いに際し、そいつを抱えたレムリアの戦闘機がラジアネスの主力戦艦群と艦隊型空母群に大挙して肉薄した。空雷が舷側を突き破るや、点火した高性能爆薬により瞬間的に危険域まで加熱されたフラゴノウムがその解放された高エネルギーを以て艦内を荒れ狂ったが最後、健在でいられる飛行軍艦などいよう筈がなく、事実アレディカの空に失われた政府軍の主力艦の大半が、そのような最期を辿った筈である……ガムタナは、それをハンティに向けて撃ったのだ。


『――こちら射撃指揮所、「ガムタナ」を捕捉!……駄目だ! 民間船に当たる!』

「…………!」

 状況を察し、ラムは自身の不手際と神を同時に呪った。第一撃を放つや否やガムタナは船団を背後にした位置に回り込み、第二撃を伺おうとしている。よってハンティントンは、ガムタナに対し自艦からの反撃という手段を封じられつつある。ハンティントンもまた個艦防御用に巡航艦に優るとも劣らぬ砲頓兵装を有するが、それをガムタナ一艦に叩き付けた際に生じる民間船への副次的な被害を真剣に考慮せねばならない状況に置かれつつあった。


『――応急班より報告。衝突したトリリアナに発進口を塞がれ艦載機の発進不能!』

『――護衛戦隊前衛より報告。船団二時方向より砲撃を受けつつあり。戦隊は応戦中!』

「トリリアナ乗員の救助を優先しろ。それと船団に針路変更を促せ。十時方向だ」

 指示を与えた直後、更なる報告がラムの端正な顔を苦渋に歪ませた。

『――艦載機一機が炎上中!』

「何があった?」

『――発艦の途上、トリリアナを避けようと内壁に衝突したようです』

「運が悪いな……誰の機だ?」

 職務上聞く必要のない事柄の筈が、何故か自然とラムの口から出た。

「ツルギ……ツルギ‐カズマ空兵の戦闘機です」

 ツルギ‐カズマ?……そんな操縦士、ハンティにいたっけ?――ふと湧いた疑念は、艦橋全体を浸食し始めた混乱交じりの喧騒、それを収拾しようと意志を集中する内にラムの脳裏から薄れ、そして消えて行った。追い縋る様にして入って来た更なる凶報が、ついにはその不幸な操縦士の存在すらラムに忘れさせる。

『――ガムタナ、本艦に向け空雷発射!……一基!』




 夢心地の中で青い光が周囲を覆い、そして津波のように消え去って行ったかと思うと、次には間断なく鳴り続ける警報ベルの音が、混濁しきった意識を抱えた頭には痛く感じられた。

 熱い――外に出る途の見えない、閉ざされた空間の中でカズマは眼を開ける。朦朧とした意識を弄ぶ内、操縦席に熱い空気が入り込んで来るのを頬に感じる。同時に、閉じた瞼の裏が烈しく明るく感じられた。瞼を通してでも感じられた光の揺らぎが、その正体が炎であることをカズマに認識させた。


「…………」

 同じような状況ならば過去に経験があった。南太平洋を巡る空戦の日々の中、不意に背後から撃ち込まれた機銃弾はカズマの操る零戦を炎上させ、紅蓮の炎に取り込むのに十分な威力を持っていた。炎に包まれ、死に瀕した零戦の操縦席で、あのときの自分は何を考えていただろうか?――同じ戦時であってもあの頃より遥かに立ち位置が気楽でいられる今となっては、過去に潜った全てが夢の中の出来事であるようにカズマには思われた。


「――――!」

 炎――それが夢の中では無く、現実に起きている出来事であるのを自覚した時、カズマの意識は混濁から解き放たれ、そして自身の足許に迫る死の気配を察する。発艦の途上、言い換えれば離陸滑走の途上に生じた急激な回頭と針路を塞ぐ形で艦首に乗り上げて来た飛行船の織り成す破壊のコンビネーションは、カズマをして操作を誤らしめ、母艦の内壁に乗機をぶつけしめるのに十分な効果をもたらした。飛行船は炎上を始め、鉄の壁は次には炎の壁へと装いを変えつつある。そしてカズマは、炎の手の延びつつあるジーファイターの機上に在って――

「まずい!」

 その大半が砕けて割れたキャノピーガラスを開こうとして、何かに引っ掛かり失敗する。衝突時の衝撃でたてつけが悪くなったか?――迷わず延ばした手が、キャノピー緊急排除レバーを引く。本来は飛行中の緊急脱出時に風防を開ける手間を省くために設けられた機構。これもβ型になって採用された数多い新機軸のひとつで、もし今の自分が乗っているのがα型であったなら一巻の終わりだったろう。


 外れたキャノピーを押し上げ、あるいは蹴り飛ばしてカズマは操縦席から腰を上げる。と同時に頭の中が空白に染まり、身体から力が抜ける――頭部から烈しく出血しているのに気付いた時には、操縦席から転げ落ちたカズマは、全身を飛行甲板の床に強かに打ちつけていた。目の奥に火花が散り、同じく強打した鼻の奥からきな臭い感触が広がった。火の手が操縦席に回り、つい数秒前までカズマが腰を下していた部位を躊躇なく焼き尽くし、配線と合板材が焦げる嫌な匂いが鼻と喉奥を灼く。


「…………」

 「空雷」、「フラゴノウム空雷」という単語が其処彼処で聞こえる。それもこの世の終わりが来たかのような悪寒を個々の語尾に引き摺っている。先程の青い光と関係があるのか?……その思いの促すがまま、カズマはうつ伏せのまま何気なく左腕に目を泳がせ、そこで我を取り戻す――腕輪の中心を占める青い宝石。先程の青の奔流にも負けぬ光の烈しさを前にして。

「――――!?」

 期せずして身を横たえる形となった飛行甲板越しに、誰かの近付く気配が靴の響きとして近付いて来る。ひとりでは無い、複数の醸し出す慌しい気配だ。グローブで腕輪を庇う様に隠し、半身を起さんと装う。

「大丈夫か? パイロット!」

 装うまでも無く強引に半身を起こされ、仰向けにされた視線の先に、防毒マスクの冷たい目が光っていた。マスクと防護服に身を包んだ応急工作員が多数。彼らは飛行甲板を塞ぎ気勢を上げている炎に向かいホースを向け、消火剤を撒き始めている。生気を取り戻し立ち上がったカズマの上腕を掴み、ひとりの応急班員が言った。

「発進は無理だ。下甲板に避難し手当てを受けろ」

「しかし……」

 言い掛け、カズマは口を噤む。そこに向い早足に歩み寄って来た気配が、もはや不条理としか思えぬ憤怒を運んで来た。

「カズマァーーーーー!」

 躊躇なく振り下された拳が、棍棒の様に振り下されカズマの頭を強かに打つ。男女の差こそあれ、それ以上に外見から判る身長差と膂力の差は歴然だった。操縦士より頭ひとつ図抜けた背丈を誇る女がひとり、ブラウンの瞳が烈火を宿しその場に頭を抱え座り込んだカズマを見下ろしている。この場でたったひとりの女、それも操縦士を前にマリノ‐カート‐マディステールが向けた激情を、正視できる男はこの場にはいなかった。


「このバカ! 何の恨みがあってあたしの飛行機を壊しやがった! ああ!?」

『――空雷、右舷より接近! 総員衝撃対応体勢を取れ!』

「――――!」

 怒声から一転、しかも一瞬で飛行甲板上に押し倒されたマリノが言葉を失ったのは、空雷接近の報ゆえでも、それを受けた周囲の応急班員が浮足立ち始めたがゆえでもなかった。精悍な作業服姿でも隠しようの無い野放図に膨らんだ胸、左右の何れもが先程彼女がぶちのめし、彼女を組み伏せたツルギ‐カズマの延ばした掌の中に在るという、理解し難い瞬間にマリノの意識は漂白され、女として突沸した羞恥がマリノをして反射的に仰け反らせる――

「!?」

 よりによってツルギ‐カズマに押し倒され、組み敷かれたことに怒りを覚える。同時に飛行甲板側面の壁を突き破った空雷が一本、機関の爆音と衝撃波を撒き散らしつつ直進し、もう一方の内壁を突き破って再び外に飛び去っていった。カズマに押し倒されなければ獰猛な推進フィンの回転に巻き込まれ、マリノの長身は頭ひとつ分削られていたかもしれない。先刻よりさらに至近であの青い光の奔流が生まれ、それは発進口を塞いだ飛行船を青い光で包み、次には船体を震わすほどの烈しい炎を生んだ。ハンティントンですら無事では済まなかったのは、艦内回線を占める「艦外で発火!」という、もはや悲鳴と変わり映えしない被害報告で判る。


 フラゴノウム空雷だ――自分を組み伏せたままのカズマから、熱っぽさを宿した目を逸らすように飛行甲板の天井を見上げつつ、マリノは直感した。

 同時に、ハンティを撃ったレムリアンがとんでもないポカをやらかしたこともマリノには判った。ハンティントンのような巨艦を前にしては是非も無いことかもしれないが、やつらは信管の調整を誤ったのだ。調整された信管に対してハンティントンの側面装甲が薄きに過ぎ、空雷は爆発せずにハンティントンを貫いてしまったのだとマリノは察する。

 直後、マリノを抱く形となったカズマが耳元で囁き、それがマリノをして意識を現実に引き戻す。

「マリノ」

「な……!?」

「目が覚めたよ。ありがとよ」カズマの両の掌は、未だマリノの胸を鷲掴みにしている。

 それに怒るよりも、マリノは半身を擡げたまま、自身を見下ろすカズマの血塗れの顔に目を奪われた。傍目から見ても出血が烈しく、頭から流れる血に顔の半分が染まっている。その赤黒く染まった顔から、鋭い眼光がギョロリとマリノの顔を覗いている。それはすでに母艦に在って安寧を望む男の、澱んだ眼では無くなっていた。

 カズマはまた囁いた。

「向こうに健在なジーファイターがある。乗り捨てられた機だ」

「…………」

 言われるがまま、組み敷かれた状態からマリノは飛行甲板の隅へ目を泳がせた。迂闊にもエンジンを回したまま放っておかれたジーファイターが一機。パイロットのやつ、あまりの惨状を前にエンジンを切らず、そのまま操縦席から飛び出して下甲板まで逃げたらしい。

「アンタまさか……!」

 カズマはニッと笑い、マリノの胸を何度か揉みしだいた。我に返ったマリノが怒鳴るより早く、カズマは飛び上がりジーファイターに向って走る。重傷者の動きでは無かった。

「コノ変態! 待ちやがれっ!」

「あの穴から出られる。手伝ってくれ!」

「ハァ?……穴!?」

 口に出し、そしてマリノは気付く。先程の空雷が空けた大穴が、ごうごうと唸りつつ気流の織り成す冷風を飛行甲板に注いでいた。風圧が薄い鋼板を軽々と破り、引き千切る。穴は少しずつ、だが飽くなき拡大を続けている。上手く滑走(はし)れば、ジーファイターの一機は空に出て行けそうだ。


「――――!」

 舌打ち――マリノは起き上がり駆け出した。あいつの無茶を止める気にもなれなかった。あいつはと言えば、自分が追い懸けてくるのを当然と言わんばかりに主のいない操縦席に腰を下ろそうとしている。


 そのツルギ‐カズマに、駆けつつ手信号で車輪止めを外す旨を告げる。ジーファイターの翼下に滑り込むようにして潜り、車輪止めを取っ払う。

「カズマ」

「ん……?」

 マリノの手信号に応じ、カズマは車輪止め排除に備えてブレーキを踏む。車輪止めを抱えたマリノが機から離れたか見届けるまでも無く操縦席の傍、そこに何時の間にかマリノがいた。

「…………?」

 マリノの笑顔――カズマが釣られて微笑う。

 拳――マリノのそれはストレートにカズマの鼻っ柱を捉え、その拍子にブレーキを解かれたジーファイターが前に進む。


「ぶへっ!」

「さっさと行って来い! このスケベ!」

 ジーファイターの滑走は止まらず、マリノは主翼から文字通りに飛び降り、発艦を見送る。

「死ぬんじゃないよ……バカ!」

『帰って来い』とは、口が裂けても言えなかった。


「いててててて……」

 鼻っ柱を撫でつつも、一度開いたスロットルを絞ろうとは思わなかった。方向を転じつつ空に飛び出すのは容易なことの様に思われた。プロペラの生みだすトルクに逆らわなければいいだけのことだ。ただし、空雷の開けた穴に飛び込むタイミングを掴むのがひと苦労と言ったところか――タイミングが合わなければ、今度こそ死ぬだろう……操縦桿を握る感触と、女の胸を揉む感触が同じであることに、カズマは今更ながらに気付いている。


 尾部が上がり、水平に転じた操縦席から人影が左右に別れるのが見える。「どけ!」と声を掛けるまでもなく逃げ惑い、滑走する戦闘機から距離を取る甲板員と応急員――彼らの行く先を見届けるより前に、ハンティから外に飛び出す瞬間が訪れた。薄藍の空、下方の雲海と上方の星海に世界の別たれた空。主脚が甲板を離れ、空雷が空けた穴を潜りジーファイターは戦場と化した空へ躍り出る。


「――――!」

 ハンティを脱した途端、見えざる力で揚力を取り上げられたかのように急速に沈みゆくジーファイターの中で、カズマは機首が下に向くよう努める。滑走距離が足りないのは判っている。今の自分が為すべきは、失速し落下するジーファイターが飛行に必要な速度と揚力を得るまでに浪費する高度を、如何に最小に抑えるかということであるのをカズマは十分に弁えている積りであった。操縦桿とフットバーを駆使して不意の自転を防ぎ、現状では巨大な凧も同然のジーファイターに、自力で飛ぶ道標を与えることが出来るか否か……ということでもある。


『――レックス‐リーダーよりハンティへ、ガムタナより戦闘機の発進を確認! 二機!……いや四機! くそっ! あの赤い前翼機もいる!』

「――――!」

 あいつか!――新たな敵、それも優勢な敵の出現に絶句するのと同時に、主翼が気流を拾い始めるのを操縦桿越しに察する。飛び出した当初の速度計と高度計のめまぐるしい回転が徐々に鈍り、機首が持ち上がる。自力で飛ぶ飛行機たるを取り戻したジーファイターが、カズマの操作に対する従順さを示し始めたとき、ふと見上げたハンティントンは星空を背景に虫程の大きさにまで遠ざかっている。そのハンティを目で追いつつ、カズマは速度を取り戻したジーファイターを水平に戻し、加速させる。


「バクル、聞こえるか?」

『――カズマか!?』

「いまハンティを出た。これから合流する!」

『――気を付けろ! 前方からも敵機が迫ってる!』

「――――!」

 船団の最底辺から臨む前上方、複数の光が重なり瞬いているのが見えた。護衛部隊の防御砲火か、あるいは――逸る心を抑え、高度を上げることに専念する。


 同時に、遥か上空では銀翼の乱舞も始まっていた。ガムタナから発進した敵機に加え、前方の空域からも敵の戦闘機が襲来したらしく、無線の共通回線には彼らを迎え撃つ形となった哨戒隊のDBウイング搭乗員の怒声と悲鳴が聞こえ始めている。


『――なんてこった! ラナだ! ゼーベ‐ラナがいる!』

『――くそっ! 後ろを取られた! 逃げられない!』

 夜間飛行に備えた複座、それも脚が半分出ている様な鈍足機では十分に予想された結末であった。機動力に劣る攻撃機としては戦闘機の針路上を跨ぎ、あるいは遮ることで船団からレムリア人の注意を逸らすこと以外に為し得る事は無い。単機では攻撃を掛けるどころか追尾するチャンスすら得られないであろう。


『――ボーズ! 聞こえるかボーズ!』今度はバートランドの声がイヤホンに飛ぶ。聞き逃さぬようカズマは耳を抑える。

「こちらツルギ! どうぞ!」

『――バクル少尉と一緒に船団前方まで飛べ! 哨戒隊を援護するんだ!』

「しかしハンティは!?」

『――それはこちらで引き受ける。四の五の言わずに行け!』

 口調は荒かったが、自身に対するバートランドの絶対の信頼をカズマは聞く。それがカズマの闘志を掻き立てる。そしてバートランドの編隊もまた、船団の真っ只中に出現した有力な敵編隊を前に、厳しい戦いに挑もうとしている。


『――カズマ!』

 白い腹を見せ、バクルのジーファイターが傍に降りて来る。高度を上げたカズマとバクルは並び、それを待ち兼ねた様にバクルが手信号を送る。それを見たカズマは眼を煌めかせ、力強い頷きと同時に二機のジーファイターは再度上昇姿勢に入った。列の乱れた船団、それをなおも構成し続ける中小の船を飛び越え、乗り越える様に二機は飛び、新たな空戦域を目指す。


「――――!」

 風防を開け放ったままの操縦席に、不快な匂いが雪崩れ込んでくる。焼いてはいけない筈の何かが焼ける臭いだ。それは高空であっても容赦なくカズマの鼻腔を苛んで来る。何が焼けているのかは、翼下から夜空を見下ろした途端に判った――紅蓮の炎が巨船に纏わりつき、下層雲の遥か下へと引き摺りこもうとしている様を目の当たりにして。


 周囲を一瞥しただけでも、両手の指でも数え足りない程の船に、敵の襲撃が及んでいるのが判った。その多くが敵機の襲撃によるものではない。遠距離からの砲撃によるものだ。その証拠に一定の距離から流星の様な赤、黄、緑の光が放物線を描いて飛来し、船団の周囲で断続的に炸裂している。地上への不測の被害を防ぐため、あるいは炸裂による被害半径を拡大させる目的で、飛行軍艦はレムリア軍、ラジアネス軍の別なくその主砲弾に時限信管を使う傾向にあること、主砲塔ごとの着弾観測を容易にするために色違いの光を発する火薬を使うことをカズマは知っている……この船団の外、つまりは空域の何処かに敵の軍艦がいるということか?


 連携を脱し、思い思いに回避運動に入る船の周囲を、銀翼を翻しつつ敵機が舞う。識別表や写真で見た通りのレムリア軍主力戦闘機ゼーベ‐ラナ――始めて目の当たりにするそいつの精悍な機影、軽やかな機動に、カズマは一瞬我が目を奪われる。見る限り運動性は此方より上だが、圧倒されるという風でも無い上にその数は多くはない。そのレムリアの戦闘機は時折船に対し銃撃こそ掛けているが、それで質量差で一千倍を優に超える飛行船に重大な被害を与えられるわけがなく、彼らの目的が少数機による撹乱だけでは無い、より巧緻な動機に基づくものであることをカズマは漠然と察する。

『――くそっ! 着弾観測か!』

 無線機の向こうでバクルが毒付く。そのバクルを追いつつ、カズマは頭と上背を縦横に動かしゼーベ‐ラナの数を把握せんと試みる。着弾観測――恐らくはバクルもレムリア空戦士としてその任務を経験しているのだろう……そう思うのと同時に、カレースタッドでの訓練の合間々々に行われた座学で教えられたレムリア艦に関する情報が、カズマの内心を引き締めた。駆逐艦から戦艦に至るまで、レムリア艦は戦闘用航空機の運用能力を有し、この特性を生かして個艦での遊撃戦はもとより空域交通路の破壊をも想定しているという……


「――――!」

 操縦席のバックミラーを機影が横切るより早く、カズマは敵機の追尾を察した。操縦席から頭を出して振り返った先で、銀翼を張ったラナの両翼が瞬くのを見る。機体を羽根のように翻して横転し追い縋る射弾の網を外す。

「バクル、おれに一機喰い付いた。後方に回れ!」

『――了解!』

 眼前を飛ぶバクルが急横転で離れるのを見計らい、カズマも左旋回でそれに続いた。カズマ自身の腕を以てすれば容易に攻守の逆転が叶うのだが、これまで研鑽を積んで来た戦術の戦果を確かめたいという意志の方が勝った。

 バックミラー越しに、まだラナが食い付いて来るのが見えた。空冷エンジンのカウルからプロペラスピナーに至るまで彩る黄色。それ以外の胴体と銀翼は鮮血の如き赤であった。血に飢えた猛禽の黄色い嘴――それをカズマは追跡者に思う。撃って来ない。距離を詰め、近距離から数秒の射撃で片を付ける気だとカズマは察する。腕がいい上に経験もある敵だと思った。此処からカズマが更に旋回を続ければ、そいつの意図は容易に成就するだろう……ただし、そいつの背後に敵が現れなければ、の話だが。


 操縦桿を倒してフットバーを踏み、旋回では無く機を左に滑らせる。空間から空間への瞬間的な機動に射撃の修正が追い付かず、ラナの放つ緑色の礫が尾を引き夜空を切る。『――捉えた!』声が張り上がり、バックミラーの敵影に走る火花――そこに容易に火が生まれてラナの機体を砕き、散った破片を夜の懐に溶かしていく。


『―― 一機撃墜!』

 気合にも似たバクルの声、二機はそのまま船団の上空で旋回を続ける。小癪な増援の存在に気付いたラナが複数、引き寄せられるように二機に迫る。一機が円陣の間を割り、バクルの背後を占めた。カズマの前、狙いは機影の頭ひとつ先――

「――――!」

 一連射でラナの機首から黒煙が噴き出す。それは背後からの銃撃に慌てて回避機動に入る途上で赤い炎に転じる。それを追うカズマと被弾し発火したラナが並び、カズマはラナの操縦士を見た。フルフェイスのヘルメットに包まれた頭が計器の方を向き、何やら必死にレバーを動かしているのが判った。オイル混じりの黒煙が密閉された操縦席内に充満し、一本の枠も見えない滴のような風防をどす黒く汚す。結局回復動作を放棄したレムリア人は、半球状の風防を開けようと努めている。窓が開けきらぬ内に火が翼内燃料タンクに回り、それは瀕死のラナから片翼を剥ぎ取った。スピンに入り、灰色の雲海まで黒煙を引き摺りつつ墜ちる敵――


『――カズマ!』

 悲鳴に似た僚友の声を聞く。新たな敵がカズマの前方では無く後背に迫りつつあるのを気配で察する。緑の火矢が無数にカズマの背後を追い、そして追い越していく。照準が悪い。新人だと思った。そこに前方、バクルの後を狙って入り込んで来た一機――

「――!」

 照準を合わせる暇も惜しむかのように、反射的に引鉄を抑える人差し指に力が入る。冷静な計算と言うより経験が、カズマに当たるという確信を与えていた。弾幕はカズマの確信通りの軌道を描き、ラナの主翼から胴体に至る全ての表面を舐めるかのように貫く。ただし急所は外れた。燃料を思わせる白煙を曳きながらも、そいつはバクルを喰うことを諦めてはいない。ラナは防御力もいい。そして撃たれても逃げないという意味で、前のやつは明らかに素人だ。ベテランならば撃たれたと思えば逃げるか、射弾を回避しつつ獲物から距離を置きもう一度仕切り直す筈だ。


「チッ――!」

 背後からの数発がジーファイターの胴を撫で、火花を発しカズマを苛立たせる。それを撃つべきバクルはやつの旋回について行けていないように見える。バクルの腕が悪いのではない。ジーファイターが機体設計上の仕様としての旋回性能でラナに及ばないことの、その様は明らかな証明であった。

「バクル! 狙えるか?」

『――いまやってる! もう少し! もう少し……!』

 旋回により生み出される重力加速に堪える、苦渋に満ちた声が回線を打つ。そのバクルには傷付いたラナが相変わらず喰い付いている。そのラナが背面になり、前のバクルに軸線を合わせようと主翼を翻す。そこに照星が重なる。一瞬――それでもカズマには十分な時間だった。

「テッ――!」

 裂帛の気合――放たれた弾丸は光の束となってラナに注ぎ、ラナの主翼に火を生んだ。そのまま空から剥がれ落ちる様に空戦域から離脱するラナ。その一方、当たらぬ銃撃を続けつつバックミラー一杯に迫る敵影。カズマはどきんとし、身構える。

 爆発――追い縋ったバクルの放った連射は、勝利を確信したラナにそれをもたらし、操縦士諸共四散させた。


『――カズマ! 大丈夫か!?』

「大丈夫……他に敵は?」

 息を整える音が聞こえた。カズマもまた息を弾ませ、風防を開け放ったままの操縦席から周囲を探る……敵影は無い。それに砲撃も止んでいた……否、味方護衛艦の砲撃は尚も続いている。ただし敵艦の正確な所在を掴んでいないのが丸判りの、全方位に向けた統一感の無い砲撃だ。

『――敵機は全て掃討したようだ。あるいは逃げたか……』

「逃げた?」

 信じられない――そう思い、カズマは機上からなおも周囲に視線を巡らせる。レムリア人は嵐のように現れ、そして嵐のように消えて行く――そういう印象が、カズマの内心に形成されつつある。そして空域には、これまでとは一変した流れが生まれ始めていた。残余の哨戒機と護衛艦艇がひとつの方向へ一斉にその向きを転じ、艦艇に至っては持てる火器の全てを一点に擲たんとしている。敵艦の位置が露見したのだ。恐らくはカズマ達が斃したゼーベ‐ラナの戻るべき処でもあった艦なのだろう……カズマの関心は、船団の遥か遠方で生じる着弾の連鎖を他所に、自分の戻るべき場所に向かう。

「隊長は……?」

『――そうだな、ハンティに戻ろう。敵のことも気掛かりだ』

 バクルの言葉に、異議はあろう筈も無かった。



 必中を期した空雷が最重要目標の舷側を貫き、そのまま反対側へ抜けて行く様を目の当たりにした時、セギルタ‐エド‐アーリスはすでにキラ‐ノルズの機上に在った。そして彼女は、今の自分に為し得る事がひとつに絞られたことを悟る。ノルズの性能は、それを為し得るのに打ってつけであったかもしれない。

『――各機へ、これより我々はウダ‐Ⅴの撤退を援護する』

 告げるのと同時に、気迫に満ちた眼差しが白煙を吐きつつ驀進を続ける地上人の空母を見据える。あいつの艦長の顔を見てやりたいものだ。間違いなく、天空の闇に巣食う有翼鬼(グレムス)の様な顔をしている――何故なら、やつはしぶとい上に運がいい。

『――了解!』

 ノルズに後続する部下が応答する。ヒラン少尉以下三機のテラ‐イリス複座戦闘/偵察機。今回の攻撃の成否を問わず、セギルタと彼女らはそのはじめから戦闘機を駆り空に出、ウダ‐Ⅴ退避の援護に掛る手筈となっている。ウダ‐Ⅴより空に飛び出した自分たちの任務が決死のものであることを、彼女らは恐らく指揮官たる自分よりも強く意識しているのだろうとセギルタは思う。

「ウダ‐Ⅴ、『レーゲ‐ドナ』の戦況はどうか?」

『――依然不通。無線封止を継続しています』と現在の艦の最先任、ルヴィ准尉が応じる。

「呼び掛けを続けろ。撤退には彼らの支援が必要だ」

『――しかし艦長……宜しいのですか?』

「何のことだ?」

『――差し出がましいようですが、司令部への報告はご自分でなさるべきかと。我々も……』

「ルヴィ准尉!」叩きつける様な口調で、セギルタは部下の進言を退ける。

『――ハッ!』

「お前たちのためだ」

『――…………』

 重い沈黙が、了解の意とセギルタの覚悟に注がれた敬意を語っていた。最大の好機を生かせず、失敗を重ねた者にこれ以上の未来があるべきではない――それはレムリア空戦士としての覚悟となって今やセギルタの胸中を支配している。だが部下は違う。彼らには自分とは別の未来が用意されるべきであった。


 ヒランが敵機の接近を告げる。上空援護のジーファイター隊が四機。輸送船と衝突するのと前後して一機がハンティントンから飛び出したのをセギルタは確認している。練達した下士官らによる操船の戦果としてハンティントンの飛行甲板は使用不能、増援の戦闘機の出現は当面考慮するまでもないことであった。全ては短い時間の内に終わり、部下の撤退を見届けた自分は――

「――わたしはいい部下に恵まれた」と、セギルタは刃の様な笑みを浮かべつつ呟く。

「各機へ、ジーファイターは私が引き受ける。ヒラン以下は母船を守れ! 私に構わず己が手で活路を啓くのだ!」

『――了解!』

 ヒラン少尉の先導により編隊が分かたれ、三機のイリスがウダ‐Ⅴの上空に占位する。セギルタはノルズを上昇させ、ノルズは背面の姿勢でイリス隊より遥か上空に達した。ウダ‐Ⅴに気を取られ、編隊の間隔を開き増速する四機の地上人……それが自身の足許に達しかけた瞬間を、セギルタは見逃さなかった。背面姿勢のノルズから見上げた四機を眼で追い、セギルタはスロットルを押し開いた。


「上空より敵機! くそっ! 特装機(エスクラス)だ!」

 バートランドは叫び、続けて編隊の散開を命じた。レムリアンは優秀な操縦士に高性能のワンオフ機を与え、個人戦果の拡大に伴う士気の高揚と操縦士の練度向上を図っている――レムリアのワンオフ機を表す「特装機(エスクラス)」という用語は、ラジアネス軍が長く続く劣勢の末に、敵軍としてのレムリアの特性を認識し始めたことを示していた。そしてカレースタッドで彼らが重ねてきた訓練もまた――


「――エド、訓練通りにやれ! 大丈夫、俺たちは生き残れる!」

『――了解!』

 第二分隊二機を率いるエドウィン‐“スピン”‐コルテ少尉の上ずった声が聞こえる。緊張しているのも当然だ。彼からしてみれば今日の戦闘が初の実戦なのだから――それも最初に戦う敵がエスクラス――何と運の悪いことだろう! 四機のジーファイターは二機ずつのペアで左旋回に入り、急降下してくるエスクラスを迎え撃つ態勢を取った。セギルタはバートランドの分隊を狙った――バートランドから見れば、敵はこちらに食い付いた。


『――隊長! 六時上方!』

 加速の反動でずり下がった酸素マスクを掴んで直しつつ、バートランドは後上方に回ったセギルタを見遣る。座席と胴体の構造上真後ろは覗けないが、それでも気配としての死が自分の背後に迫っていることは判る。

「――二番機、撃てるか?」

 旋回中の位置からして、エスクラスの後方にいる筈の二番機をバートランドは呼んだ。『――撃てません! 引き離される!』返事は絶望に過ぎた。

「牽制でいい! 撃て!」言うや否や、背後から気配が消えた。撃たれていると察した瞬間退避した――と察するのと同時に、バートランドは敵がエスクラスを駆るに相応しい手練であることを知る。もし自分があの敵ならば次は――急加速に身を捩じらせる中で廻らせた想像は、列機の報告が代弁してくれた。

『――敵機離れる!……上昇した!』

「――――!」

 舌打ちと同時に見上げた先で、敵機の軌道と新たな友軍の軌道が交差するのが見えた。コルテの隊だ。エスクラスはコルテの列機に食い付き、一方で二機はエスクラスを旋回の中に捉えた。だがエスクラスは背後に付くコルテ機を優々と引き離してしまう。

「エド撃て! やつに撃たせるな!」

 コルテ機の主翼から光弾の奔流が走った。旋回を続けるエスクラスには届かなかったが、それでも牽制としてやつに再度の離脱を促すのに十分な弾量をコルテは放った。エスクラスは再度上昇し、その機首は再びバートランド隊に向かう――



「――――!」

 再度の上昇から背面に転じたキラ‐ノルズの機上で、セギルタは舌打ちした。

 狙えない――込み上げてくる焦燥感を、尚も滾る闘志で押し殺さんと努める。半球状の風防越しには、つい先刻まで彼女が悉く平らげる積りでいた敵機が、なおもその銀翼を乱舞させていた。半年前までは想像も出来ない光景であった。地上人の飛行は巧妙で、攻め辛い。


 それでも――と、セギルタは獲物を物色しつつほくそ笑む。ならば接触の方法を変えるだけだ。幸いにもヒランたちはウダ‐Ⅴを狙う敵の護衛艦を前に上手くやっている。煙幕を展開し、あるいは小型ロケット弾を撃ち、敵に逡巡と出血を強いてくれている。

 指揮官は誰だ?――眼下の四機の中で、最も飛行の巧いやつをセギルタは背面を維持したまま探った。旋回を繰返すことで生まれた輪、その中に不用意に入って来たやつを撃墜すということなのだろう……あの飛び方をしている限り、地上人は撃墜出来なくとも撃墜されることはない。しかし四機中一機でも撃墜とされれば、彼らの作り出す不敗の均衡は忽ち崩壊する――セギルタの打算は廻り、同時に敵の指揮官格を捉えた。編隊下方の二機、その中で一筋の歪みも見えない完璧な左旋回を繰り返す一機。

「――――!」

 あいつだ! 再びスロットルを開き、セギルタはバートランドに向かう。



「来たぞ! 間隔を開け!」

 バートランドの怒声に列機が反応する。間隔が開き過ぎ、それを修正しようと直進。その間に列機が晒した隙を、エスクラスは見逃してくれなかった。後上方からの一連射を、機体を滑らせて回避する……が、エンジンを貫いた数発が黒煙を生み、出力の急低下を誘った。

『――こちら二番機、出力が上昇しない! 油温が!……』

「二番機離脱しろ! 離脱!」

 部下に叫びつつ、敵が戦術を変えたことをバートランドは察する。一撃離脱に切換えた!

『エド! 奴が上昇する。食い付け!』

「――了解!」

 コルテは応答したが、それでもエスクラスの上昇力はバートランドの想像を超えていた。追尾に入ったコルテ機を引き離し、上昇の頂点でエスクラスの主翼が翻る。捻り込みと言うやつだ。それも、バートランドが惚れ惚れする程に巧い。一方でコルテは機の上昇力が追い付かず、頂点で失速し上下が逆転、エスクラスに背後を譲る形となる。

『――くそっ! 食い付かれた』

「エド! そのまま加速しろ!」

 叫んだところで機体の性能差が縮まるわけではない。コルテを追うエスクラスが一連射を放ち、ジーファイターのそれよりも太くけばけばしい光彩の群がコルテ機の胴体を貫く――発火!


『――エド! 脱出だ! 脱出しろ!』

 共通回線に敵の指揮官の声が響く。それがセギルタをして目指す獲物の位置を確信させる手引きとなる。発火し雲海の彼方へと離れて行く敵機にはもう目も呉れず、セギルタはノルズの機首を敵の指揮官機に向ける。丁度針路の正対する位置。ただしセギルタには高度に関し絶対の優位があった。反航戦――

『――少佐!』

「――――!?」

 ヒランが叫んでいる――はっとして顧みた先で、炎を纏ったテラ‐イリスが一機乱舞し自転(スピン)する――爆発。夜空に生まれた光芒を貫き、飛翔する機影がふたつ。




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