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第八章  「哨戒飛行」

 発艦に必要な合成風速を得るために、ハンティントンは風上へ回頭を始めている。


 大股に足を開いて前列に陣取った甲板員が、背後から襲いくる風圧に必死で耐えながら誘導灯を水平に振っていた。要員のほとんどがキャットウォークに退避し、その一角では備え付けの指揮所に陣取った発艦管制士官が、送受話器を片手に先頭機の操縦士と通信を交わしている。先行するジーファイターの第一群はすでにエンジンの始動を始めていた。


 飛行甲板の後部に位置する第二群。発艦を待つジーファイターの操縦席で、カズマは無言のうちに始動の合図を待つ。風防を開け放ったままの操縦席に勢いよく吹き込んでくる風が、腫れの退きかけた目元に沁みた。暫く耐えたが、結局は溜まらずゴーグルを下ろした。始動を指示する通信がレシーバーに飛び込んできたのはそのときだった。二連の点火スイッチを「ON」に捻り、スターターボタンに触れた指に力を入れると同時に、キュンキュンキュン……という僅かな逡巡を経て息を吹き返したエンジンが、次の瞬間には快調な響きを立てていた。なんだかんだありながらもマリノの整備は完璧だった。それがカズマには嬉しかった。


 指揮所からの操作で飛行甲板上部、発艦指示器の一部を為す信号機が全て赤から青に灯る。第一群がゆっくりと艦首方向に向かい滑走を始め、甲板から脚を離して飛び上がる。第二群も僅かな待機の後にこれに続いた。


『――ドット‐リーダーより各機へ、針路0-2-3。各機横隊。間隔を開き上昇せよ』

「了解」

 離艦直後、編隊指揮官ケネス‐“ドット”‐オービルマン大尉の指示にカズマは応じる。187飛行隊からなる第二群は八機。空の首都圏とでも言うべき環洋(ラング‐ゼー)方面から南下しカレースタッドに向う輸送船団の護衛が彼らの任務だった。先行した第一群は097飛行隊主体。彼らはカレースタッドを発ちリューディーランドに向かう輸送船団の護衛を担う。会敵の確率は彼らの方が高いかもしれない。


 カズマは指揮官機の二番機、つまりは編隊長オービルマン大尉を横前方に見遣りつつ哨戒空域まで飛ぶ使命を課せられている。編隊はハンティントンの周囲を廻りつつ集合し、梯団となって空を進む。カズマは風防を開放した操縦席から飛び立ったばかりの母艦を眺めている。そのカズマの眼前で発艦作業を終えた巨艦が回頭し、護衛艦の待つ方向に向かって行く。編隊はさらに高度を上げ、オービルマン大尉は各機に過給機の切替を指示した。空気の希薄な高高度での飛行に備え、エンジンに流入する空気を圧縮して適正な燃焼効率を維持するためだ。β型に至って新たに実用化された新機軸のひとつ――レバーを倒すやガコンッという手応えを感じプロペラの回転が一瞬緩む。その後にはより過分な回転と爆音が機体に生まれる。


『――ツルギ空兵』

「はっ……!」

『――寒くないか?』

「…………」

 半ば唖然として、カズマは声を掛けてきた編隊長を見遣る。戸惑いというより羞恥を覚えたためであった。高空の寒気を受け続ける内、ゴーグルを被ってもなお、殴られた後が刺すように傷むのを今更ながらに覚える。風防開閉ハンドルを回す。一本の枠も無い水滴型風防がカズマの上半身を空から隔てた。空調の吐き出す暖気が機内に充満し、そこでカズマは軽い眠気を覚える。昨夜あまり眠っていなかったのが、今になって響いている。少し風防を開け、暖気と眠気を飛ばす。


 編隊は旋回しつつ太陽の真下に出た。上に一切の遮るものの無い、刺す様な日差しが操縦席を満たし、カズマは眉を顰める。

 浮遊島に負けない程広範で魁偉な雲の回廊が、その目指す先に在った。



『――第一次哨戒隊全機の発進を完了』

 飛行甲板からの報告を、空母「ハンティントン」艦長アベル‐F‐ラム中佐は艦橋に在って欠伸を噛み殺しつつ聞いた。その頃にはハンティントンは航法長ベノワ少佐の指揮により艦隊に戻る針路を取っていて、ラム中佐自身の判断に基づく指示は出港時を除き、具体的な数にしておそらくは五指を出ていないであろう。それはまた、彼がかつて勤務していた客船や商船において繰り返されてきた日常である筈だった。予め打ち合わせをして置けば、部下や同僚は後から指示を下すことなく主体的にフネを動かすのに必要な個々の役割を演じてくれる。


 ただしそれは、軍艦の幹部たちには慣れない経験であるようにラム中佐には思われた。その抜錨から入港に至るまで、彼らは(ことごと)く艦長の命令の下で行動する。軍人らしく不測の事態に対しても動揺の色を見せることなく行動してくれるのは有難いが、その操艦の一から十に至るまで命令と確認を求める部下たちに、ラム本人は苦笑と辟易を覚え始めていた。そして彼は彼自身に圧し掛かる艦長としての重責と無駄な仕事を軽減するべく、「くそまじめな」部下たちに自主性を養わせるように仕向けたというわけであった。部下の軍人たちは、戸惑いつつも彼らの艦長の流儀に慣れようとしている……


「艦長?」

「ん……?」

 傍らから呼び掛けられ、ラムは声の主を見遣った。空兵服に鉄塔のような長身を包んだ黒い肌の空兵がひとり、機嫌の良い雄牛の様な黒い目を艦長に向けていた。艦長従兵のデレン上等空兵だ。

「コーヒー、お飲みになりますか?」

「ああ……」思い出したように口元を綻ばせ、ラムは続けた。

「そうだな……一杯もらおうか。ミルクは抜きで。ああそうそう、君たちもどう?」

「…………?」

 副長、シオボルト‐ビーチャ少佐を始め、艦橋に詰める幹部たちが一斉に彼らの上官を顧みる。彼らの反応の多くに戸惑いを表す疑問符が付いているのは、他者にあからさまな配慮を示す上司というものが、恐らくは彼らが個々の軍隊生活の中で出会った初めての種類の人間であったこともあるが、彼らの場合、コーヒーとは他人に淹れてもらうものではなく、艦橋指揮室裏の自動給湯機で自ずと淹れて来るものでしかない。ラムは未だ商船乗りの空気を引き摺っており、サン‐ベルナジオスからカレースタッドに至る決して短くは無い航行の間に、両者の相違は戦闘配置の中で醸成された平穏を前に未だ併存を許されていた。ただし、いずれはラムの方こそが艦長としての威厳と統率力の顕示という方法で彼ら軍人たちに歩み寄らねばならないであろう……それはまた、艦橋右端の艦長席に在って出されたコーヒーを啜るラムも痛感するところであった。


「レーダーはもう動いているかな?」

「…………!?」

 ラムの言葉は独白に近かったが、熱いコーヒーに口を付けかけた副長ビーチャ少佐をして危うくカップを取り落とさせそうになるのに十分な衝撃を与えた。サン‐ベルナジオス出航に伴いラムが幾つか下した決断のひとつに、ハンティントンへの「電波探知機」――レーダーの搭載がある。本来ならば竣工と同時に新型のMG自動捜索レーダーが搭載されるところを、開発の遅延からそれが叶わず、工廠に保管されていた旧型の機材を文字通りに積み込み、航行の途上で現地改修的に付設したのだった。


 制式名称PSG‐001A。電波発振アンテナと反射波受信アンテナ、さらには家一軒分の大きさのある管制装置類で一式を成すそれが艦船用であろう筈がなく、本来空岸砲の射撃管制用に開発されたレーダーは手動操作式、性能も固定式空岸砲に正確な砲撃緒元を提供するべく目標の所在と直線距離を測るのみに限定されている。その付設もゴルフ練習場のバックネットを思わせる巨大アンテナ部を支柱に繋ぐのに、艦載連絡艇二隻がかりで吊り下げて運ぶという困難さであった。


 ただし設備が大掛かりな分、その捜索距離、範囲とも駆逐艦用の軽量レーダーを凌駕しているのが救いと言えば救いか……そのPSG‐001Aは現在、戦闘情報室として尚も艤装が進行している一室がその運用を一手に担っている。その指揮官は――


「――セイラス大尉に確認します」

「いやいい……言ってみただけだ」

 素っ気ない一言に、ビーチャは込み上げてくる不機嫌を隠せないまま眉を顰めた。戦闘情報室の主たるシルヴィ‐アム‐セイラス大尉が空岸砲部隊での勤務経験があり、同形式のレーダーの取扱について知識があったこと、ラム艦長自身もまた入隊前、さる大学の委託を受けて飛行船上でのレーダー運用試験に参加していたという経験があったことは、この艦に生命を預ける全乗員にとって僥倖(ぎょうこう)であったろう……であるにしても、自身が艦長の前で部下に対する無配慮を曝け出してしまった事実は翻せないとビーチャは思った。


「レーダーが役に立てばいいのですが……」

「目が見えないのならば……杖だろうが棒きれだろうが何にだって縋るさ。それが水平線の遥か彼方まで行く先を示してくれる杖であるのならば尚更ね」

「…………?」

 装飾過剰なきらいのある上司の言い草に、ビーチャは耳を疑った。虎口に爪先を踏み入れかけてもなおこの艦長に、ごく自然に軽口を吐かせる心理的余裕が生じていることに内心で驚嘆を抱きつつあるビーチャがいる……わたしは、後世にまで語り継がれる様な大人物を上司に持ったということだろうか?


「…………」

 杖だろうが棒きれだろうが何にだって縋る――付き合い始めて間もない頃の妻が好んだ古典劇の中の一節を、ラムは脳裏で反芻する。圧し掛かろうとする現実の重みを和らげんがために持ち出した別れた妻の記憶。苦い記憶だが、眼前に迫りつつある指揮官としての責任に真剣に思いを巡らせるよりははるかにマシなように彼には思われたのだ。要するに自分は現実から逃げている……そのような狭量な自己をラムは呪う。その自分の内心を知ってか知らずか、副長は何か納得した様な表情をラム自身に向けていた。二人の間に気まずい静寂が漂い始めたところで、艦内電話が癇に障る着信音を奏で始める。

「こちら艦長」

『――こちら戦闘情報室。試験的に索敵波の発振を行いたいのですが、許可を頂けますか?』

「ちょっと待った」

 回線の向こうの美声を前に電話を中座し、ラムはビーチャに向き直った。

「副長、本艦から合流予定の船団の方位はどの辺りになるかな?」

「現位置ですと3-2-0相当ではないかと」

 戦闘配置前に幾度も目を通した空路図の記憶に基づき、ビーチャは応じた。ラムは頷き、再び送受話器を握り直す。

「3-2-0を基軸に、左右30度ばかり走査を行ってくれないか?」

『――了解』

 弾んだ声が応じる。回線を切らず、ラムはセイラス大尉が報告を送って来るのを黙って待った。艦橋の一角ではレーダーアンテナの操作員が戦闘情報室からの指示に従い特定の方向に向かいアンテナを動かしている筈だ――予想に反し短い時間の内に、彼の望むものは直ぐに与えられた。


『――方位3-0-0に反応。大きな反射波を視認。距離160』

 ラムはビーチャに微笑みかけた。ビーチャも釣られるように笑う。

「大尉、波形はひとつか?」

『―― 一から三と変動しています。詳細が掴めず申し訳ありません』

「いや、これが限界だろう。仕方がないよ」

 大尉を宥める様にラムは言った。初期型のレーダー、それも砲撃照準用では運用に限界があることはわかっている。

「敵さんの大凡の位置さえ判ればいいんだ。副長、上空の飛行隊にひとっ走りして向こうに何があるのか見て来るよう言ってくれ」

「了解しました。彼らには丁度いい練習になりますな」

「うん、そういうことだ」

 満足気に頷き、ラムは微笑む。



『――オービルマン、母艦が160空浬北に船団らしきものを視認した。ひとっ走りして見て来てくれないか?』

『――了解。無線封止中なのに良く判りましたね』

『――CICの女神様の御宣託だ』

「…………」

 バートランドとオービルマン、共通回線の向こうで男達がクスリと笑うのをカズマは聞いた。その後の動きは緩慢ながらも着実で、エシュロン一列に転じたオービルマン編隊は北への旋回機動に入ろうとしている。母艦はすでに雲海の層一枚を隔てた遥か下に在った。高度にして二千メートルの差はあるだろうか?


 CICの女神様――シルヴィ‐アム‐セイラス大尉のことを、飛行隊の面々はそう呼んでいた。と同時に、自分には縁遠い世界の住民だという感触をカズマは彼女には抱いている。何よりも艦内に風聞として流れる彼女の奔放な男性遍歴が、カズマをして彼女の近傍に踏み入る際の見えざる障壁と化していた。嫌いではないが、苦手な種類の女性だ。あのマリノ‐カート‐マディステールとはまた違う方向(ベクトル)で――そのセイラス大尉は、艦内に在って遠方を見渡す電子の眼たる電探を与っている。目標の方位を辛うじて探る程度の性能でも、確実に動作する電探の有難さは恐らく飛行隊の面々ではカズマ自身が最も痛感している筈であった。


 オービルマン大尉は各機に間隔を開くよう命じ、カズマもそれに倣う。捜索範囲を広げるためだ。ブリーフィング時にもたらされた情報では、船団は高度にして一千メートルから二千メートルの間を航行しているという。カズマ達は彼らより高々度に占位し、下方のみに目を凝らしていればいずれ接触を果たせるという寸法であった。気流の流れを耳に聞き、機体の振動で身体に感じる。雲海の涯、層雲の山を横目にカズマは機を進め、時間にして二十分近くを経た末にカズマは望むものを見出した。


『――ドット03、船団らしきものを視認。接近して確認する』

 層雲の向こう、二機の影が機首を下げて加速しつつ編隊の前に出るのをカズマは見る。抜け駆けにも等しい先行に追従するまでもなく、カズマの眼前に船影が迫り来る。中型の輸送船、その上甲板では避難民と思しき人混みが手を振り上空からの訪問者を迎えた。高度を下げ、船腹を横目にカズマは飛ぶ。そして中隊はそのまま船団の中に入った。


『――トッド‐リーダーより母艦へ、船団上空に到達。船団は既に合流を果たしている模様』

『――了解。四機を母艦方向まで戻せ。護衛は護衛艦及び陸上機が主に行う』

 母艦の意を受け、オービルマン大尉は指揮下のうち四機を先に帰すことを決断する。カズマはといえば彼の二番機故に残った。護衛艦に導かれ下層雲の上まで達した船団が白い大地の上で陽光を吸い込み、眩くその所在を映えさせていた。ただし個々の船の上昇力がまちまちで、それが秩序だった円形陣に乱れを呼んでしまう。その重量故に航空機に比して飛行船の上昇力は大幅に劣る。空路開拓史上、これまでに達成された飛行船の最高高度到達記録はカズマの世界の単位で凡そ一万メートルだそうだが、それも特注の小型船で、時間にして一週間余りを費やした結果に達成された記録であった。記録飛行というより一種の冒険行と言った方が適切であるのかもしれない。


 上昇が遅れ、船足の落ちたことにより乱れた各船の間々を小型の護衛艦や哨戒艦が廻り、陣形の再編を行っているのが見えた。巨大な船、足の遅い船を陣形の中央に集中し、足の速い船を外縁へと導く。中心部の巨船に船団司令部が置かれており、航行から敵襲への対処、救助作業に至る全てが司令部からの統制を受けて進められる手筈になっていた。


 船団の外縁、そのさらに外を航行する船影……否、艦影にカズマは眼を凝らす。スタンドバロ級と称される巡航艦が一隻。艦体の前部に主砲及び空雷発射管といった主要兵装を集中的に配し、その結果として艦後部に後退するように配された城郭のような艦橋を有するそれは、空中に浮かぶ大陸を思わせるハンティントンにも通じる異様な印象を「異界からの来訪者」たるカズマに与えていた。兵装配置を艦前方に集中させることで、艦の深奥を守る主要装甲付設に要する空間の圧縮を図り、その副産物として本級以前の巡航艦より艦体のコンパクト化と軽量化を達成している。その一方でスタンドバロ級は特異な兵装配置故に、艦砲を投射する射界の制限という欠点をも内包するに至った。特に「アレディカ戦役」で露呈した対空戦闘能力の低さは致命的で、空雷兵装の一部を撤廃し対空機関砲の増設により当座をしのぐ試みが為されているのが現状である。


 オービルマン機を追い、カズマは輪陣形のさらに奥に向かって飛ぶ。

外縁を固める巡航艦及び駆逐艦から一転し、貨物船改造の仮設護衛艦、そして巡航艦を改造した護衛空母が輪陣形内部の防備を固めている。彼女らは同一高度で航行する船団より上下に占位し、敵襲に対しいち早い対処を取るのと同時に敵の攻撃を真っ先に引き受ける「盾」的な役割を負っていた。


 へえ……映画の通りだな――カズマは感嘆とともに護衛空母の上空を過ぎる。スタントバロ級巡航艦の上甲板に箱の様な航空機格納庫を取り付けただけの、機能美や造形美といった要素をまるで無視しきった仮設の航空母艦。その上甲板では複葉の艦載機がレールで外界に引き出され、両舷に向いた火薬式カタパルトで空へと飛び出し船団上空の護衛に付く。カズマもモック‐アルベジオで世話になった、懐かしきCAウイング複座艦上戦闘/攻撃機だ。複葉複座の機体ではレムリアの第一線戦闘機の前には抗すべくもないが、速度の面ではTボートとかいうレムリアの快速襲撃艇に優る。それを期待されての護衛任務なのだろう。映画――ハンティントンへの配属が決まり、出航の前日に繰り出した街で見た戦争映画の光景と、眼前の船団の広がりをカズマは瞼の裏で重ねている。


 遡ること二十年程昔、レムリア人に先駆けて地上のラジアネス体制に叛旗を翻した勢力が存在した。エルグリムという、地上の人々が天空世界に入植するずっと以前より天空世界の一隅を住処としていたその蛮族は、長じて中央政府に反発し武力を以て地上人の天空世界からの放逐を図った。「地上唯一の政体にして文明伝播の担い手」たるラジアネスは永きに渡る抗争の末にエルグリムの反抗を抑え込み、屈服した彼らを「文明化」――カズマの解釈では「ラジアネス化」――するに至ったのだ……そのような時代背景に基づき作られた冒険活劇たる映画。主人公は辺境航路を行く船団を守る空兵隊の士官であり、クセ者揃いの部下や船員たちと協力しつつ暴虐なエルグリムの酋長率いる襲撃者たちを退け、最後は看護婦のヒロインと結ばれて終わる。典型的な大団円型の活劇だが、胸のすく様な男臭さと型に嵌った様なストーリーの勧善懲悪ぶりが却って鼻に付く。映画を観終わったカズマにはそう思われた。


 看護婦……そうだ、ルウはどの船に乗っているのだろう? 船団の遥か上空に占位し、左旋回に入りつつカズマは眼下に目を凝らす。

 形状も大きさもまちまちの船腹、その上甲板には例外なく人々の群が立ち頭上に目を凝らしている。手を振っている者もいる。圧倒的な数のフネとヒトを前に、カズマはルウを探し当てるのを断念した。願わくばルウが、蒼空の一点に我が機を見出してくれんことを――


「…………?」

 再び視線を転じた輪陣形の外縁、その一隅にカズマは違和感を覚えた。外縁を占める中小の輸送船に混じった小型の船影が一隻――使い古された、みすぼらしい外見は船団の中に在って決して目立つものでは無かったが、その船足に、カズマとしては訝しさを誘われるものがあった。中小の船は容易に気流に煽られ、小刻みに針路と姿勢の修正を強いられるものだが、その一隻だけは気流の煽りを真に受けることなく、正確な充て舵を繰り返して航程を刻み続けている。単に舵取りが巧いだけなのか?――その船に、カズマが抱くことのできた疑念はそこまでであった。カズマはスロットルを緩め、船との高度と距離が詰まる。


 女?――薄手のシャツを纏った、スタイルのいい女性が独り、船橋から航過するカズマを見上げているのが見えた。




「――ほう、上手いものだな」

 舐める様に「ウダ‐Ⅴ」の横を航過し、また船団の外周へと飛び去っていく地上人のジーファイター。遠ざかりゆくその後姿を、セギルタ‐エド‐アーリスは灰色の瞳を細めて見送った。編隊の維持、船団に対する位置取り、接近の仕方――上空を飛ぶラジアネスの戦闘機はそれらの全てが申し分なかった。

「ハンティントンの艦載機ですか……よく正確に此処まで来ることができたものだ」

 と、船橋に詰めていたルヴィ准尉が言った。別にラジアネス機の航法技術を侮っていたわけではない。彼らなりの予測によれば、南方空域に展開中の空母「ハンティントン」と船団が接触するのに要する時間はあと半日、航空機で踏破するにも骨の折れる距離である筈だった。それをいとも容易く、あっさりと接触してのけるとは――


「――彼らもカレースタッドの空で空戦ごっこのみに興じていたわけではなかった、ということだな」

 推測を織り交ぜてセギルタは言った。カレースタッドに潜入して見届けた限りでは、ラジアネス軍の訓練は戦闘に重点が置かれていたように見えた。それは早計ということだったのだろうか?

「修正しますか? 艦長」

 計画のことを彼女の部下は言った。頭を振り、セギルタは応じる。

「いや……地上人にどのようなカードが揃おうが、我らがカードを見せた途端にそれらは悉く無に帰すこととなろう。我らのカードはそういうものだ」

 「レーゲ‐ドナ」は素晴らしい仕事をした。あれがコムドリア亜大陸北東部で少し暴れるだけで、怖れを為した地上人は彼らの船を安全にその目指す場所へ送る算段を整えるに至った。具体的には家畜の放牧宜しくフネの数を揃え、あとは最も遅い船に合わせた緩慢な速度で移動させつつ護衛するという手法である。そこに、外見だけならばみすぼらしい貨物船たるウダ‐Ⅴの付け入るスキがあった。

「……守らんとするものの中に、刃を研いだ刺客が紛れて居る。反攻の端緒を掴み掛けた地上人にとってこれ以上の悲劇はないであろうな」

「艦長、そろそろ発振時刻です」

「頼む」

 部下を顧み、セギルタは何事かを促すように顔を動かした。予め決めて置いた時間に無線封止を掻い潜り十秒間だけ短い電波符号を発する。それを定期的に繰り返せば、距離を置き船団を追うという「レーゲ‐ドナ」の仕事もやり易くなる。船団の正確な所在を報せるためには夜にもまた、より確実な方法も試す積りだった。

「……あとはどれだけ、あの(フネ)に迫れるかだ」

 セギルタの言葉は独白にも似て、それ故に船橋を撫でる気流の懐に呑み込まれて消えていった。




 船団はその形成から半日を経た後に大きく二つに別れ、北と北西へとそれぞれに針路を転じて行った。

 前方警戒の任を帯び朝方にハンティントンを発ったとき、カズマはリューディーランド方面に向かう船団に付き従う異形の巨艦を見出す。船体を前後に貫く巨大な多重反転プロペラの上に、カズマがいた世界でもお馴染みの平坦かつ広範な飛行甲板が乗っている。それらの組み合わさった艦全体の大きさはハンティントンに優るとも劣らなかった。

「あれが……クロイツェル‐ガダラか」

 純粋な驚嘆と興味をない交ぜにした眼差しで、カズマはその異形を注視し続ける。特に目を引く点には飛行甲板の幅がハンティントンよりも広く、それ故に離着艦がずっとやり易そうに見えた。ただし艦底から上に行くに従い幅が増す逆台形の形状故に、腰高という印象も拭えない。言い換えれば不安定さすら覚える。


 見下ろすカズマの視線の先で、ガダラが回頭を始める。艦首が廻るは風上の方向、つまりはその搭載機を空に送り出す作業が始まっていることを示している。飛行甲板を蹴り発進したジーファイター艦上戦闘機は初期生産型のαで、この機でレムリアの第一線機に抗するのは難しい。合成風速の下で加速を付けて発艦しても、母艦からだいぶ高度が下がってから漸く水平飛行と上昇に転じるという有様、さらには肝心の上昇のペースもカズマの駆るβに比べだいぶ見劣りがする。エンジン自体の出力も低い上に高高度の飛行に威力を発揮する過給機も付いていないのだ。


 戦闘機に続き、攻撃機群の発進が始まる。ジーファイターと同じ低翼単葉、全金属製のBDウイング艦上戦闘/攻撃機が飛行甲板の半分を滑走し空へと向かうのを見る。加速を付けて空に舞い上る機の一方で、加速が足りずに発艦と同時に失速し高度を落としていく機……前者と後者の割合は半々で、その点飛行隊総体としての技量はハンティントンの方が勝っているかもしれないとカズマは思う。前線と後方という意識の差によるものか、それとも運用の差異がもたらした結果か?


『――母艦よりトッド編隊へ、第二陣と交替し帰投せよ。針路2-4-0』

『――トッド編隊了解。各機へ、集合せよ(ジョインナップ)

『了解』

 通信回線の中に同じ応答が重複し、カズマもそれに倣っている。飛行船では、船団が目指すリューディーランドまで一週間の距離であった。航程の途上でさらに船と護衛艦を取り込み、そうやって形成された艦隊はそのままリューディーランド防衛の任に就くことになる。その一方でコムドリア方面に残る艦艇の数は少なく、防備も心許ない。コムドリアより南西に位置するリムドリア亜空陸近傍で艦隊戦を挑むというのが中央の基本方針であるようだった。ラジアネスの首都より遠く々々に戦火の拡大を押しのけようとせんかのような対応。この世界の人間にとって、ラジアネスとはそうまでして守るべきものなのかという疑念すら胸中に生じる。編隊は集合し、船団は遠ざかりゆく。


 ニーパッド上に挟んだ空路図をカズマは凝視する。これまでの針路に加え計算式と予想帰投進路に至るまでがびっしりと書き込まれた空路図。ひとりで操縦士と銃手、航法士を務めねばならないという、創作物語の中では決して顕在化されない戦闘機乗りの現実がこのニーパッドの中に凝縮されている。銀翼を整えた編隊はそれ自体がひとつの生命体のように針路を転じ、ジーファイターは母艦へと向かう。

 サイドパネルの一隅にある計器とトグルスイッチを、カズマは何気なく見遣る。起動しないままの無線帰投方位指示機。ジーファイターαの段階で標準装備となったこの装置は、母艦が発振する電波を拾い、正確な帰還を行えるように装備されている。より具体的に言えば、予め特定の周波数を拾うように機器を調整しておき、回転する計器の針が12時の方向を指し続けるよう針路を維持しつつ飛べば、いずれは電波の発信源――母艦――に突き当たるというわけであった。太平洋を廻る戦闘の日々の最中、幾度か荒漠たる洋上で機位を失い掛けた経験を有するカズマからすれば、まるで天界の利器のごとくにありがたい装備ではあったが、一度使ってしまえば以後ずっと依存してしまいそうでスイッチを入れるのに躊躇を覚えてしまっている。自分で導いた針路通りにカズマは空の道を進み。そして二十分余り後には艦隊の前衛部隊をその眼下に見出す。駆逐艦と護衛艦から成る快速哨戒集団。母艦たるハンティントンは彼女らの遥か奥に居る。


『――各機へ、チャンネル7に切換えろ。着艦に備えて上空待機』

『――各機へ、聞いた通りだ。エンジェル9で旋回しつつ誘導に従え。これより編隊を解散する』

 旋回しつつ上昇を繰り返すうち、自分たちのさらに上空を飛ぶジーファイターの機影をカズマは見出す。尾翼のレターから097飛行隊であることを察する。ひょっとすればクラレス‐ラグ‐ス‐バクルもあの空の向こうにいるのかもしれない。旋回を続けるうちに来るべき順番が廻り、カズマは導かれるようにハンティントンの胎内に滑り込む――制動時、腰から脳天まで一気に駆け上る様な衝撃にはもう慣れた。


「ふぅー……」

 単なる哨戒飛行の筈が、エンジンを止めた途端に疲労感がどっと両肩に圧し掛かって来る。さっさと装具を脱ぎ棄ててシャワーを浴びたい気分だ――困惑。何時の間にこんな贅沢な環境の中で安住している自身に嫌悪感すら覚える。

「今日はどうだった?」と、カズマと目を合わせぬままマリノ‐カート‐マディステールが聞く。短いが、何か引っかかる、ぎくしゃくとした口調だった。

「ボウズだよ」とカズマも素っ気なく応える。只でさえ険しいマリノの柳眉がさらに(ひそ)むのが、気配として感じられた。

「ボウズ? ボウズって何?」

「成果なしってことだよ」

「あんたの田舎の方言?」

「うん……そんなもんだ」

「…………」

 視線に籠る(いぶか)しさが、隔意というエッセンスを含んでカズマに注がれる。他者に曝け出してはいけない人生の履歴の深奥、目を合わせた瞬間、マリノはカズマの瞳の奥にそれを覗かんとしてブラウンの瞳をぎらつかせる。それが嫌に感じられて、カズマは思わず彼女から目を逸らす。あの夜以来そうなったのはカズマも同様であった。


「言いたいことがあるのなら、言えよ」

「別にぃ。ただの哨戒任務だしね。でも……」

 少し躊躇う風を見せ、マリノは言葉を紡ぐ。

「来るとすれば、夜なのかねぇ……」

「あるいはもう捕捉されてて、後を付けられているのかも」

「何を判った様なことを――」

 苛立たしげに言い掛け、マリノは口を噤んだ。飛行甲板内を轟かす艦体の軋みが、不気味な振動となって二人の足許を揺るがす。艦が風上に向けて回頭し、哨戒部隊を構成するBDウイングの配置が始まっている。直援隊のジーファイターを送り出した次に、船団を狙う脅威を探知するべく遠方の空へ目を注ぐ準備が始まっていた。マリノが艦橋へ行くようカズマに促す。彼女は彼女で空兵攻撃飛行隊の発進準備作業を抱えている。彼女の原隊は空兵隊であるし、手が足りていないのは整備員もまた同じ――




 航空母艦「ハンティントン」は疎開船団の最後尾に在り、船団の流れに従うかのように北への航路を刻み続けている。


 二個小隊四機が東西南北に割り当てられた哨戒空域に向かう。一度の飛行で十六機の艦載機が時間差を置いてハンティントンを発ち、各機は放射線状に間隔を開き周辺警戒及び前路警戒の任に付いていた。その一方で船団には常時八機の戦闘機が張り付き、陣容面で決して充実しているとはいえない護衛艦隊の補強に当たっている。この状況が二四時間絶えることなく、カレースタッドを発って環洋の安全空域に達するまでの一週間余りに渡って続く。船団における僅か一隻の空母たるハンティントン。しかも彼女が抱える三個飛行隊――しかも、その内二個は長距離哨戒が不得手な戦闘機部隊だ――分の戦力では超過勤務状態と言っても良い。


 長期にわたる緊張状態の持続――それはハンティントンにとっては実のところ未知の経験であり、それ故に容易に不安の蓄積を生んだ。兵士は将校のいない場所で、将校は兵士のいない場所で互いに表情を険しくし語り合う。敵は何処から来るのか?――というより、敵は何処にいるのか?

陸兵にして半個旅団を編成するに足るハンティントンの乗員の中でこうした疑心暗鬼から自由であった人間は、半ば傍観者的な立ち位置を決め込んでいたカズマの他には艦長アベル‐F‐ラム中佐のみであった。中部大空洋から飛び込んで来た電文が、ハンティントンのみならず船団全体の命運を掌る身たることを確固たるものとしてくれたからである。船団護衛部隊の任務部隊(タスクフォース)への昇格、そして部隊指揮官が着任するまでの暫定指揮官としての地位の保証――それを境にして、ラムの方針は守勢から攻勢へと転じている。具体的には、索的範囲の拡大と投入機数の増強である。


「敵が見つかればそれで善し。見つからないとしても、なお善し」

 艦橋右端の専用席上で、ラムは無感動に呟いた。敵がいたとしてその攻撃目標は船団を構成する民間船であり、レムリアが占領地の維持に少なからぬ戦力を割いている以上襲撃に投じる戦力も限定されたものとなる。翻って任務部隊には想定し得る脅威に有機的に対処し得るだけの戦力がある。喩え今後一週間敵影を見ずに終わったとしても、長期に亘る警戒態勢の維持は、編成から間もない任務部隊にとってこれ以上得られない実戦経験となり、自信として部隊の士気を高める要素とも成り得るであろう――そのラムからして、民間船を偽装し船団に潜り込んだセギルタらの存在はさすがに関知することは出来なかった。関知し得たとしても、襲撃者の陣容と意図に関し新たに論評することはなかったであろう。できることをやる――ラム個人は既にそう決めている。


「来るとすれば、夜でしょうかね」

 専用席の傍らに立ち、副長ビーチャ少佐が言う。漫然と上官との会話の切欠を求めたがためというより、彼自身の抱えるごく近い将来に対する不安を発露しているのであった。ラムは席上からそれを察したが咎める気にはなれなかった。軍人と雖も恐怖を抱き得る人間だ。それに彼と同じ不安に捉われている部下は、この艦には大勢いる。

「そうだね。補足させてもらえるとすれば、今後三日間のうちいずれかの夜だ。昼は来ない」

「はぁ……そうでしょうか?」

 ビーチャの疑念に、ラムは黙って頷いた。三日……現状の船足で一週間の内それだけ進めば船団は中部大空洋――俗称「ラジアネスの守護女神(レジーナ・ネス)の浴槽」――にだいぶ接近する。友軍艦船の活動こそ無いが、そこからは中部大空洋南部の浮遊島を根拠地とする長距離哨戒機の行動範囲に入る。そのような空域を襲撃ポイントにするのは、襲撃側からすれば決して賢明な判断とは言えない。それがラムの判断する根拠であった。だから船団は三日を掛けてとは言わず、出し得る限りの速度でその「安全圏」まで滑り込む。


「ビーチャ副長」と、ラムは彼の副長の名を呼んだ。

「は?」

「君は、二十年前は何をしていた?」

 途端に、ビーチャの目付きが一変する。驚愕というより戦慄。過去の記憶の為せる業であった。恐らくは彼の上官たる艦長と記憶を共有する歴史上のいち事象――ふたりにとって「二十年前」とは恐らくそういう響きを持っていた。

「戦艦『ルキレウム』の主計官補佐をしておりました。私のクラスは士官学校の卒業が半年繰り上がりましてね、最初に着任した徴用船をエルグリムの野蛮人に沈められ、その次に乗った駆逐艦が大破し修理のため入渠したのを契機に転属を命ぜられた艦です。竣工したばかりの新鋭艦でしたが、彼女の最期は呆気ないものでしたな」

 そこまで言って、ビーチャは遠い目をした。彼の語ったことは、史書にも記されている事実であった。戦艦「ルキレウム」。「エルグリム戦争」中期よりラジアネス艦隊の主力となった「アラギウム」級戦艦の三番艦。当時の造船工学と軍事工学の粋を集めて生を享け、大空に漕ぎ出た彼女の最期は凄惨に尽きた。「エルグリム戦争」後期の初頭、最激戦のひとつに数えられるドリポリ半島上陸作戦において上陸部隊支援艦隊に参加していたルキレウムは、陸上から発射された空雷二発を被雷し、そこに艦隊の後背に回り込んで来た空雷艇六隻の襲撃が重なった。各艇につき二本、襲撃者の放った計十二本の空雷の内三本をルキレウムは一身に引き受け、被雷は前部主砲弾薬庫への誘爆という惨禍を招いたのである。爆発の衝撃により艦中央から艦首に至る前半部が千切れ、浮遊力を失った艦首はそのまま雲海の下への崩落を強いられた。当然、その瞬間に艦首部に居合わせた乗員全員が助からなかった。


「主計官事務室が艦前半部にあったのですが、あの時私は指令室への伝令を命ぜられておりましてね。たまたま事務室を出て艦中央に達した時に被雷したのですな。被雷の瞬間は勿論見ていませんが、大変なことが起こったというのはすぐに判りました。それで……」

「それで……?」

「伝令の任を果たして事務室に戻ろうとした時にはじめて、戻るべき場所が無くなっていることに気付いた……ってわけです」

 戦艦としての機能をほぼ完全に喪失したルキレウムは、結局その場で駆逐艦の空雷により処分され、エルグリム戦争における数多いラジアネス軍喪失艦の列に加わった。艦を離脱する艦載艇に在って、生存者の列に埋もれていたシオボルト‐ビーチャ中尉は、悲しみや怒りよりも半ば放心状態で彼が生涯初めて搭乗した戦艦の最期を見届けることとなったのである。

「艦長は、二十年前は何処に?」

「給炭艦の……一応航海長だったよ。艦というよりは小舟と言った方がまともな位狭苦しい徴用船だったが」

「しかし艦長は、戦時中は確か商船学校の――」

「君と同じく駆り出されたのさ。学業半ばでね。それで配属された先でいきなり航海長ときた」

 そこまで言ってラムは苦笑した。これまでの自分、ひいてはこれからの自分を皮肉る様な笑顔だと、ビーチャには思われた。

「……あの戦争が終わった時、これで終わると思っていたんだ。戦争の女神との腐れ縁が、これで切れるものと思っていた。去年まではね」

「ご希望に添えなかったようで残念です」

「ああ、残念だ」

 ラムとビーチャ、二人は同時に同じ顔をした。自身に与えられた人生の不条理なること。それを呪う気持ちにおいて、二人は共通していたのである。




 安寧の内に二日が過ぎ、三日目の夜が訪れようとしている。


 「ガムタナ」こと、レムリア軍仮装偵察艦「ウダ‐Ⅴ」は船団の最後尾グループに在って、その左舷後方に空母「ハンティントン」を従える形となっている。このような位置取りが成功したのには、操艦の妙というより人智を越えた存在の采配によるものが大きいように当事者たちには思われた。


 切欠は一隻の客船の空調装置の故障と、もう一隻の貨物船の機関の不調であった。後者は兎も角前者の場合、乗客の多くがカレースタッドの地より疎開中の女子供である。空調の故障に伴う居住環境の悪化は、船団全体の運航に際し尋常ならざる事態として受け止められた。客船に乗っていた七百名に亘る女子供の内半分を六隻の民間船で分担して受け入れ、後の半分はハンティントンの客となった。そのための手続きと作業で、凡そ六時間の時間が費やされ、必然的に船団全体が足踏みを強いられた。


 貨物船は、現在「ガムタナ」に付き添われ船列の後端に在る。正確に言えば、「ガムタナ」に牽引されている。最低速度に達しない貨物船の航行を助けるために、常ならば余計な燃料消費と機関への負担を嫌うが故に誰もが厭う牽引を買って出た「親切な船」――船団の大多数にとっての「ガムタナ」の印象は今やその様に固定しつつあった。その「親切な船」が、政府軍の航空母艦に護られている――それが、傍目から見た構図であった。


「あの船、やけに馬力があるんだな」

 ハンティントンの艦橋、ラム艦長は双眼鏡で「ガムタナ」を見遣りつつ言う。あの形式の鉱石運搬船は知っている。もっと厳密に言えば過去に二度乗務したことがある。船足はいかにも重量物を引っ張っていると言いたげな最低速度そのものだが、船足の刻み方がラムにむしろ違和感を惹起させていた。精一杯最低速度を出しているというより、一秒の歪みの無い低速を維持しつつ船団に速度を合わせている。それでも時折遅れがちなところを、急に船足を速めて船団から遅れまいと努めているのも玄人眼にはよくわかる。あの種のフネで狙って維持できる低速では無い上に、狙って出せる加速でも無い。偶然の産物ではない、装われた殊勝さ――乗員の腕が良過ぎるのが不審の琴線に触れる上に、ひょっとすれば貧相な外見に似合わない、高性能の機関を積んでいるのかという疑念も湧く。


「ビーチャ副長」と、ラム艦長は今となっては腹心同様の立場となった彼の副長を呼んだ。

「はっ」

「君があの船のオーナーであるとして、あの船の機関を新調することに君はすんなりと納得できるかね?」

「とっくに耐用年数が過ぎた様な船ですよ。そんなことしたら大赤字でしょう。私は士官学校で経営学の講義を取ったことはありませんが、それでもこう言えます。あんな船さっさと鉄屑屋に売り払って、新しい船を買った方がマシだと」

「だがあの船の機関は新型のようだ」

「……おまけに乗員の腕も良いと見えますな」

 頷きつつ、ビーチャは言った。質問を投げかけたラム艦長の真意に、今更ながら気付いたかのようであった――あれが民間船ではなく、民間船を装った「何か」であることに。

「発光信号で『ガムタナ』に聞いてくれ。内容はこうだ……船長へ、貴船の手際見事なり。汝は何処の海員学校を出たるや? と」

 ビーチャは頷き、傍らの通信士官にラムの指示を復唱する。打電への返信はふたりの予想を超えて早かった。

「『ガムタナ』より、読みます……賛辞いたみ入る。サン‐フォーロワの三三期より」

「……返信しろ。われ三五期なり。航行が終わらば陸にてカンニングの記憶を語らん」

「『ガムタナ』より、読みます……了解した。二期上の先達の任務を全うするを祈らん。以上です」

「…………」

 ビーチャを顧み、ラムは頭を振った。

「サン‐フォーロワ船員学校に三三期なんて有り得ない……彼らと三四期は二十年前の戦争で全滅したのだから」

「では、『ガムタナ』の船長の正体は詐欺師か……」

「……あるいは、我々の最も恐れるものだ」

『――第五直上空警戒隊、発進準備にかかれ! 繰り返す――』

 戦慄と苦渋を胸中にない交ぜにした二人の耳に、飛行甲板からの指示が虚しく聞こえた。



 搭乗員待機室から飛行甲板に出てきたツルギ‐カズマを、マリノ‐カート‐マディステールは遠巻きに、そして訝しげに睨んだ。この日既に四回飛んでいる筈が、微塵の疲れも見せない平然とした様子が、何故か彼女の気に障った。

 本来ならばこの時間帯に飛ぶべき097飛行隊の操縦士が胃痛で飛行止めになり、その代役があいつに廻って来たかたちだ。延々と続く戦闘配置の中で彼と同じように精神をすり減らして胃を痛めたり、休養を命ぜられた搭乗員がすでに飛行一個中隊を作れる程の数出ている。肝心なところで露呈された男どものだらしなさが、彼女にはむしろ馬鹿々々しく思われた。


 この(フネ)もお仕舞いかねぇ……何気なく考えつつ、マリノはジーファイターの操縦席から締りよく括れた腰を上げた。あいつはすでに乗機の足許まで来ていて、整備員の差し出した整備手帳のチェックに入っている。乗り手に席を譲るべきタイミングに差し掛かっていた。

「…………?」

 飛行帽と落下傘を繋いだ黄色い救命衣――あいつと同じ操縦士の装具に身を包んだ青年があいつの元に歩み寄るのを見、マリノは軽く声を上げた。レムリア人だと思った。クラレス‐ラグ‐ス‐バクルというレムリアからの亡命者。操縦席から出たマリノの眼前で、あいつとバクルは数年来の友人のように会話をし、そしてレムリア人は前に置かれた彼のジーファイターに向かい小走りに駆けていく。暫くバクルを見送った後でマリノを一瞥し、カズマは操縦席の辺りまで這い上ってきた。

「仲いいんだ。あのレムリア人と」

「ああ、友達だよ」

 抑揚の乏しいマリノの言葉を、聞き流すように応じてカズマは操縦席に足を掛ける。それがマリノの癇に障る。

「亡命とか誘われた?」

「バクルはそんなやつじゃない」

 と言い、カズマはシートベルトを締め始めた。強がりを含んだ感情が伺い知れ、それがマリノのカズマに対する優越感を擽る。

「どうだかねえ」

 応じつつ、マリノの手が肩のシートベルトに延びた。力を入れてベルトを締めたとき、カズマの表情が困惑に沈む。

「マリノ……緩めてくれ。きつい」

「――――!」

 舌打ち――それでもマリノは肩のベルトにまた手を掛ける。



 艦体の動揺が始まっていた。僅か四機の戦闘機を空に送り出すための、風上への疾走。

 現状でハンティントンの外に出ている艦載機は一二機。うち四機が船団上空直援で上がっていたカレル‐T‐バートランド少佐直卒のジーファイターで、彼らは発艦からすでに四時間を越えている。給油のために帰艦するタイミングが近付いていることはもとより、戦闘機搭乗員が生理的に堪え得る搭乗時間の限界が四時間とされているから、この点だけを取ってみてもカズマ達の発進は急を要した。


 バクル機を追い、滑走したカズマは乗機をスタートラインに並べる。そのカズマの背後に、097飛行隊の二機が並ぶ。187飛行隊から出るのはカズマだけだ。飛行停止を命ぜられた搭乗員はむしろ097に多く、バートランド直々の発進にしてからか097から出せる操縦士が限られてきたからに他ならない。向こうの飛行隊長の管理が悪いのかもしれない。作戦前に作られた搭乗割通りならば、今頃カズマは士官居住区にあって寝床に疲れ果てた身を委ねているところだろう。


 回頭時特有の、地震のような動揺が収まり、艦が直進を刻み始める。それぐらい、カズマが体感で判るようになって少なからぬ時間が過ぎている。前方のバクルが風防を閉めるのが見える。風防を開け放った操縦席に吹き込んで来る風圧が強まるのを感じる――これから四時間、星空の下で個々に孤独なる時を過ごすことになる四人。飛行甲板上の信号灯が停止の赤から発進を促す緑に転じる。バクルに続きスロットルを開き掛けたカズマの眼前で、信号灯が再び赤に戻った。

「――――!?」

 これまで経験したことのない信号の動きに続き、再び不快な動揺が足下からカズマの機、そしてカズマ自身を突き上げる様に揺るがした。

ハンティントンが――旋回(まが)る!? これもまた、経験したことのない展開! それでも一度開いたスロットルを絞ろうとは思わなかった。飛翔への強い意志は、艦首に続く出口を間近に見たところで挫折する。


 行く先を遮る障害――

「嘘だろ!?」

 薄闇に染まった空の只中を、飛行船が発進口――否、ハンティントンそのものに向かって来る。




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