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第二章  「紅く雄々しき翼の下に」

 ――なだらかな丘陵の上を、滑るように浮き上がっていく羽布張りのグライダー。

 ――不意に現れたそれを、使用人の子供とともに呆然と見上げる少年。

 ――渡り鳥よりもはるかに大きな翼を広げたそれが、少年の頭上を通過したとき、一陣の快い風が、草原を掻き分けながら少年の頬を撫で、汚れたシャツをめくり上げた。

 ――灰色の瞳にその後姿を捉えたまま、少年は胸の奥から沸き起こる何かに身を任せていた。

 ――それが、辺境の農場の次男坊の少年が自らの意思の中に「空」を意識した瞬間だった。


 家は、さほど大きいとはいえない、かといってそれ程貧しいともいえない農場だった。ライ麦と根菜の畑、そして休耕地がそれぞれ同じ広さを占める広さだけは一人前の土地に、彼の父は葡萄と林檎の木を育て、牛と羊を飼い、老いた祖母と母、年の離れた彼の兄、姉、彼、彼の妹と六人の動揺階級(アウトトリティ)の使用人を養っていた。先祖は遥々東方から数え切れぬ程の艱難辛苦の末にこの地に辿り着き、このあたり一帯に人が住み始めるずっと昔から独力で此処の開墾を始めていた。というのが彼の父の自慢だった。


 まだ子供だった彼にとって、日々の食事の時間はちょっとしたお祭りだった。食事時になると、手作りの、長方形の大きな木のテーブルに、父を上座に家族と使用人の計十三人が席に着く。神に食前の祈りを捧げる少しの間の沈黙の後に繰り広げられる賑やかな会話ややり取りが、彼には子供心にとても楽しく貴重なものに思えたのだった。いたずら者の彼は祈りの最中に勝手によく食物に手を付け、わざとらしくしらばっくれては一家の笑いを誘っていたものだった。本来のレムリアの社会では疎外され、差別と抑圧の対象であった動揺階級も彼の家ではごく普通に家庭の一員であって、子供だった彼も成長して社会に出るまでそれをごく当然のことと考えていた。収穫時には一家総出で刈入れにあたり、羊の毛刈や牛の放牧にも一家の連携を必要とする。自然の中で暮らす彼らにとって、レムリア社会では自然の摂理も同然の下層民に対する差別やら抑圧やらは、彼ら一家にとっての「自然」を阻害する悪要素以外の何物でもなかったのだ。


 彼が十歳になった年。祖母が死んだ。老衰だった。背が丸みを帯び、小さくなった身体の、節くれ立った手と角ばった顔に刻み込まれた幾重もの皺に、少年となった彼は開拓者の逞しさ、女性のもつ真の強さを見たような気がした。同じ年に兄が遠くの町から花嫁を連れてきた。彼が「空」を意識したのはその頃のことだ……生まれて初めて人の手で空を飛ぶものをこの眼で見たあの日。放牧していた羊もそっちのけに、遊び相手でもあった使用人の子供とともに、少年は丘陵の麓から風に乗ってゆっくりと遠ざかっていく青少年グライダークラブの羽布張りグライダーを、いつまでも無心に見送っていた……


 ――その一週間後、彼は青少年グライダークラブのグライダーを通じて上昇気流に身を委ねて空を舞っていた。渋る父を説得するのに丸三日間の粘りが必要だった。そしてその努力は見事に報われた。めきめきと滑空の技術を充実させていくにつれ、彼は空と共に生きる自分の将来を思い浮かべ、やがて彼がそれを当然のことと思うようになるのにそれほど時間を要しなかった。翼に風を乗せて空を行く度に、空にこそ自分の生きる路があると彼は確信した。

このような辺鄙な地にあって、農家の次男坊の将来などたかが知れていた。彼が十六歳になった時には、彼の家族はすでに十七人になっていた。結婚して町に住んでいた姉が、工員の口を勧めてくれたが、それを断って彼は国防軍に身を投じた。


「……まあ、一族の中でお前一人ぐらいは軍隊に行くのもいいだろう」

 すでにあの広い食卓の上座を兄に譲り、五人の子供の祖父となっていた父は、そう言って家を出る彼を送り出した。その皺が刻み込まれた眼元には、祝福と寂寥とが入り混じっていた。


 軍隊に行けば、好きな飛行機の傍に居たいだけ居られる……その思惑は半ば的中し半ば外れた。試験期間の関係で、彼は操縦訓練課程へ進むための試験を受けられなかったのだ。残されたのは整備兵に進む路だった……それでも、操縦に進める余地はあった。

 そしてその機会は予想よりはるかに早くやってきた。臨時に空戦士訓練生を増員する案が司令部によって決定されたのである。彼はそれに応募し、見事に採用された。少年時代のグライダー飛行の経験と、整備兵時代に心の中に無為を抱え込んだまま過ごした時間が、この訓練課程では有効に働いた。なぜなら、機体の操作と構造に通じた分だけ彼の上達振りは他者より抜きん出ていたからである。訓練課程を何の卒なく修了し、彼はレムリア国防軍空戦士――戦闘機操縦士――に、軍曹として採用された。



 ――それから十年が過ぎた。

『――こちらヴィッテル02、ただいまより接敵を開始す――』

『――全機、対空砲に気をつけろ』

『――こちらヴィッテル01、主翼に被弾。しぶとい奴だ……!』

 仁王立ちしているかのような巨大な高層雲は南方空域特有だ。その白を背景に幾条もの飛行機雲が延び、巨大な獲物に絡みつく度に、獲物の黒っぽい船体からは破片の飛び散る様子や、煙の吹き上がる様子が所々から見受けられた。そのような光景は、一帯の空域ではすでに数週間に渡って繰り広げられていた。


 レムリア軍の制空権下にある南大空洋(サウ‐アトランティカ)西方の空域。哨戒任務の途上で運悪く味方の先行中隊に捕捉されたラジアネスの輸送船団の末路を、彼――タイン‐ドレッドソン少佐は愛機ジャグル‐ミトラ双発戦闘機の操縦席から無言で見つめていた。


 長く延びた機首から突き出た四基の機関砲、一基の重機関砲。その先端から吐き出す火線は命中すれば一撃で狙った獲物を粉砕する。中翼配置で、かつガル状の両翼は小振りな胴体に比して異様と思えるほど大きく、それらと一体化し、排気タービンを備えた液怜エンジンは一基に付き最大千六百八十単位、緊急時二千三百単位の高出力を叩き出す。双発機の宿命として単発機に劣る旋回性能を補って余りあるのがこれら二基のエンジンと重武装によって編み出される一撃離脱戦法、そしてスイッチ一つで良好な旋回半径を実現する|可変フラップ《ヴァリアブレ‐フラッペ》だ。


 彼の一撃からは戦闘機はおろか艦船すら逃れることが出来なかった。日々の農作業と、羊の群れを守って草原と荒地を裸足で歩き、馬に乗って駆けたことで鍛え上げられた身体と鷲の様に研ぎ澄まされた眼、そして天性とも言うべき統率力を、彼は持っていた。

 彼はすでに五十機以上の敵機と十数隻の艦船を撃破していた。連戦連勝を続ける現在のレムリア軍の中でも、彼ほどの個人戦果を挙げた者は全軍でも二、三人ほどしかいない。味方の中隊が敵を攻撃しているのを彼が傍観している背後にも、彼に付き従うように三機のジャグル‐ミトラ、そして二機のゼーベ‐ギガ、さらに六機のゼーベ‐ラナという多様な戦闘機が控えているという事実が、現在の彼の栄達振りを象徴していた。この哨戒作戦という名の掃討作戦が始まって以来二週間、彼は一機の敵機も撃墜していなかったが、彼の指揮する部隊はすでに二十隻以上の輸送船、哨戒艇を「沈めて」いた。


「俺は戦闘機乗りだ。フネを沈めることなんぞに興味はない。お前らに任せる」

 輸送船攻撃について、出撃前のブリーフィングの席で彼は居並ぶ部下にこう語った。彼が補給路の途絶と交通網の破壊という輸送船攻撃の戦略的意義を理解していたことは確かだから、撃墜王(イクスペルテ)としての余裕と、前線に赴いて日が浅い空戦士に実戦の機会を与えてやるという配慮が、彼の言葉の中には含まれていたのかもしれない。


 不意に、タインの視線の先をのた打ち回るように進んでいた一隻の輸送船が爆発した。攻撃によって損傷したフラゴノウム反応路、その外殻に掛けられた負荷が限界点に達した瞬間、反応炉の中に溜め込まれていた高圧蒸気が外郭を突き破って一気に噴出したのである。広範囲に吹き上がる蒸気は船体をも突き破り、漏水により反応速度を抑制する術を喪ったフラゴノウム結晶は急過熱を続け反応を加速させるしかない。暴走――その先に、莫大な反応エネルギーの奔流が引き起こす破滅がある。


 火焔の渦が甲板を烈しく舐める。火の手に包まれ、浮力を失った輸送船は船首から急角度に傾き、外板やら荷物やら、そして船から転げ落ちる乗員を撒き散らしながら高度を下げていくのだった――助かる見込みは、なかった。


『――ハハハハッ! 地上人(ガリフ)がゴミのようだ!』

勝ち誇った声が、タインのイヤホンに飛び込んできた。それには無表情のまま、タインは愛機ジャグル‐ミトラを船団に近づけた。

『攻撃に加わりますか? 隊長』

 列機のタクロ‐ロイン中尉が聞いた。経験の豊富な、信頼できる部下だった。

「いや……」周囲を見回したところで、タインは言った。

「二小隊、北西へ行け」

 命令一下、ゼーベ‐ギガ一機、ゼーベ‐ラナ三機から成る小隊が二個、編隊を崩さぬ鮮やかな横転とともに北西へと針路を変えた。小隊長の駆るゼーベ‐ギガ一機にそれに付き従う三機のゼーベ‐ラナ。これはレムリア軍戦闘機部隊の標準的な編成だった。ゼーベ‐ギガは制式採用と配備がゼーベ‐ラナより早く、ゼーベ-ラナのほうが生産性や実用性、そして操縦の容易さの面で前者より勝っていたが、多くの小隊長級以上のベテラン搭乗員はそれらの要素を犠牲にしつつもゼーベ‐ラナより若干加速、運動性のいいゼーベ‐ギガの方を好んだ。自然、ゼーベ‐ギガは小隊長用、ゼーベ‐ラナは一般航空兵用となった。要するに、現在でもゼーベ‐ギガの良さを知っているベテランがレムリア軍にはまだまだ残っていた。


 タインは下方に視線を転じた。その先には一隻の輸送船が断末魔の炎を上げていた。浮力と均衡を失って傾いた船体に、多くの乗員が振り落とされまいとしがみ付いているのが見えた。数機の味方戦闘機が、死肉にたかるハエのように纏わりついては甲板に向かい執拗に銃撃を加えているのが見えた。銃撃のたびに吹き飛んだ人体が船体から振り落とされ、落下していく。無抵抗のまま、なす術なく殺されていく人間の断末魔の悲鳴が、こちらまで聞こえてくるようだった。


 破滅へと向かう混迷の最中、二艘の船載艇(カッター)が逃げ延びた乗員を満載し、船体から離れようとするのが見えた。タインが機を近づけると、船載艇には多くの男性の中、女性と子供の姿を認めることが出来た。注視するタインの眼前でゼーベ‐ギガが一機、船載艇に接近する。ゼーベ‐ギガの機首が黄色く煌き、白煙を吐き出した。銃撃の一斉射を受け、たまらず船載艇は一瞬で燃え上がった。数機のゼーベ‐ラナがそれに続いた。

『ハハハハッ……地上人(ガリフ)め、我等の領分を侵すからこういうことになるんだ!』

 先程聞いた声と同じだった。銃撃を掛け飛び去っていくゼーベ‐ギガを、タインは眼を細めて見つめた。

編隊長(リーター)より全機へ、攻撃を中止し集合せよ』

 周囲には幾条もの黒煙が立ち上っていた。その黒煙の数だけ多くの人間の死と苦悶があった。かつて巨大な船団が存在していた空域は、さながら天空世界に現出した地獄と化していた。レムリア機の紅い翼、それはここでは死と破壊の象徴だった。


 攻撃を終えた味方の機が集合を始めている。タインの隣には、先程の銃撃を働いたゼーベ‐ギガの姿があった。バブルキャノピーに覆われた操縦席から、フルフェイスのヘルメットに覆われた顔が、まっすぐにこちらを見据えていた。

「…………」

 タインはそれを睨みつけるようにした。隻眼に宿った光が、無機質なものを湛えていた。



 ――無線帰投方位測定器の指示に従って三十分ほど飛ぶと、山のごとく立ち込める雲の彼方から彼らの母艦が姿を現す。


 あたかも空に棲む巨大な、紅い食肉魚を思わせるそれは、雲海を突き破るやいなや圧倒的な量感を持ってタインの眼前に飛び込んできた。タイン達の母艦であり、レムリア艦隊最大級の艦船である航空母艦「ダルファロス」。巨艦の到来は、彼女が征く空海を巡る航路の一切がレムリアの足下に跪いたことを意味する。抗う術は無かった。


 先に部下達を収容させながら、タインは高空からダルファロスの周囲を一巡した。両側と艦尾から二基ずつ突き出るように配置され、二重三重に反転する推進器(プロペラ)が、艦載機収容時の減速のためゆっくりと回転しては周囲の気流をかき乱しているのがわかった。収容が始まっている一方で、平べったい船体の舷側から突き出た三基、左右計六基のカタパルトからは第二陣の哨戒部隊が発艦を始めていた。紫の竜をあしらったパーソナルマークが、太陽に照らされて紅い甲板に鮮やかに映えている。こいつに配属されてすでに一ヶ月が過ぎたが、何度見てもこいつの巨大さには驚かされる。よくこんなものが何の苦も無く空に浮いていられるものだ。


『――タイン編隊長。着艦を許可する』機械的なオペレーターの声が、耳を打った。あいよ……ダルファロスから十分な距離を取ったところで、タインは機首をダルファロスの艦尾に転じた。無線機の交信回線を着艦進入用ビーコン受信用に切換える。初めは弱々しく、だが適正な姿勢を維持しつつ侵入口に迫るにつれ信号音は大きく、その間隔を狭めて聞こえてくる仕組みだった。


 ピーン……ピーン……ピーン――イヤホンに入ってくる信号音は、ダルファロスの誘導電波発信機を通じ、ジャグル-ミトラが適正な着艦コースに乗っていることを示していた。フラップは全開に、自然と持ち上がる機首を押さえがちに、その上で徐々にスロットルレバーを絞っていく……眼前に、矩形に開かれたダルファロスの滑走路と着艦口がその全容をタインの眼前に広げていく。艦尾の進入角度指示器が、自機が適正な進入角度を維持していることを教えてくれている。

 指示器に併せて微妙に動かす操縦桿に気流の乱れを感じる。タインは自然のうちに機体を少し滑らせて、水平の姿勢を維持しようと努める。着艦フックを下ろし、軽い油圧の唸り声とともにギアが下りたことを示す計器盤上のランプもまた、緑から赤に変わった。

「――――!」

 眼前に滑走路の全容が広がり、一気にせり上がってきたとき、少なからぬ振動がコックピットを襲った。思わず歯を食いしばる。ギアが滑走路に付いた瞬間だった。センサーが着艦を察知して自動的に拘束ワイヤーが伸びる――見事に一番奥、四本目のワイヤーをフックは捉えた。飛行甲板の構造上この位置の方が整備員にとって機体の収容がやり易い。その一方でダルファロスを始めとするレムリア艦の場合、艦の構造上着艦時の「やり直し」が利かず、ワイヤーを捉えられなかった機は、機体を損傷させる恐れのある制動ネットを使ってでも停止させる必要があった。


 拘束ワイヤーに捉えられたジャグル‐ミトラが烈しく震えて甲板の一点に止まる。スロットルを前進位置にまで絞り、甲板員の待つ収容甲板まで自走する。そこでスロットルを始動位置にまでさらに絞り、エンジンスイッチを切った。キャノピーを開き、走り寄って来た牽引カートに機体を委ねると、先に着艦していた部下のタクロ‐ロイン中尉と、整備主任のレグエネン上等整備兵が駆け寄ってきた。

「見事な着艦でした! 少佐」ロインが歓声を上げた。脱いだヘルメットをレグエネンに放ると、硬い表情でタインはロインに言った。

「ロイン、攻撃隊員を集合させろ。今すぐにだ」

「ハッ……!」ロインの表情が強張った。指揮官が何故こんなことを言うのか、ずっと長期間を指揮官と共に戦ってきた彼はすでに悟っている。誰かが作戦行動中にやってしまった「勇み足」が、彼の敬愛する隊長の勘に触ったのだ。喩え「掃滅すべき」地上人(ガリフ)ではあっても、隊長は女子供や抵抗できない相手に手を出した者を赦さない。


 ロインが去ると、タインはレグエネンが掛けてくれた梯子から一気に艦上へ滑り降りた。レグエネンが言った。

「旦那、今日の戦果はどうでした?」

「別に何も無い。後方から見ていただけだ」

「今日もですかぁ……仕方ねえなぁ」

 上官の不甲斐なさではなく、彼の「お眼鏡」に叶う敵機が現れなかったことを、タインの忠実な整備兵は言葉の端々から察し、嘆いていたのであった。

レグエネンが煙草を差し出した。タインが煙草を銜えたところでライターを差し出す。一服したところでロインが攻撃隊員達を連れて来た。同じくタインの列機だったレラン‐グーナ中尉が、号令を掛けた。

「総員、整列!」

 紅い飛行服に包まれた男たちの統一された踵の響きが格納庫に響く。若く希望の色濃い戦士たちの顔。希望……それは勝利への希望である。希望を抱くに足る程戦場を生き抜き、戦果を上げて来たレムリアの若人たち。また別の言い方をすれば、「大祖国空戦」以来進撃を続けるレムリア軍の屋台骨を支える歴戦の空戦士たちだ。但し今のところ、彼らを一瞥するタイン‐ドレッドソンの眼差しには、彼らに対する誇りや信頼とはまた別の感情が宿っている。

 煙草を踏みつけて消すと、面白く無さそうにタインは列の前へ歩み出た。左の静かな眼つきと右の無機質な義眼の、異なる二つの視線が隊列を撫でるごとに一同は緊張の度合いを高めていくように見えた。


 タインは言った。

「……さっきの攻撃で、民間人を撃っていた奴。前へ出ろ」

 返事は無い。タインは続けた。

「……じゃあ何か、俺が眼にした非武装のカッターを狙っていた卑怯者は幻覚だったのか? 地上人(ガリフ)がゴミのようだ、とか言うレムリア空戦士にあるまじき下劣な言葉は幻聴だったのか? グーナ、どうだ?」

「自分も見ました。聞きました!」

「お前は?」

 タインは一人の隊員を指差した。前線に出て日の浅い、若い下士官だった。突然の指名に、うろたえる様にして彼は言った。

「……自分も、グーナ中尉殿に同じであります」

 タインは鷹揚に頷くと、再び列を見据えた。

「……と、いうことだ。誰だ?」

「自分であります」

 一人のパイロットが進み出た。明るい金髪と、大きな瞳に澄んだ青い眼を持つまだ若い、少年の趣を残す美青年だった。空戦士服の襟に付いた中尉の階級章が、鈍い光を放っている。階級に似合わない尊大な笑みを彼の上官に向け、青年士官はタインを見つめていた。そこに上官に対する恐怖や遠慮といった感情を、この場の誰もが彼に見出すことが出来なかった。

「名前は?」

「駆逐第103中隊長、エドゥアン‐ソイリング中尉であります」

 笑みを崩さずに、青年は答えた。笑みの端々に軍官学校出身者に見られる矜持と、出身階級の高さが感じられた。だが、そんなことなどタインには別段関心が無いことだ。

「何故撃った?」

「人間ではない者を撃って、何故罪になるのでしょうか? 少佐」

「弁明は、それ位でいいのか?」

 タインの義眼が、一瞬煌いた。

地上人(ガリフ)は人ではありません。駆逐すべき対象です」

 間髪入れず、素早い手付きで引き抜かれた拳銃(ブラスター)がエドゥアンの額に押し付けられた。一同がざわついた。あまりの唐突さに、エドゥアンの瞳にもまた狼狽の色が現れていた。列外に立ち、これから前線の勇ましい空戦士たちの様子を写真に収めようと期していた軍の報道班員に至っては、自分が構えた写真のファインダーの向こうで生じた光景に戸惑い、狼狽している様子が震える足から見て取れる。

「正当な理由無く占領下の民間人に危害を加えた者は、これを前線指揮官の権限により処分するも可也……だったな?」

 レムリア国防軍軍規の一節だった。突きつけられたブラスター自体というよりそれを持つ者の気迫が、エドゥアンの額に冷たい汗を滲み出させた。

「しかし、南大空洋(サウ‐パシフィカ)は、まだ我々の支配下にありません……!」

「既に支配下である。司令部の論法ではな……」

「やめろ!……少佐。俺は……」エドゥアンが震えだした。

「俺は、何だ?」

「階級が違う……あんたに……俺を処分する権限はない」

「やっと出てきた言葉が……それか?」

「…………!」

「安心しろ、一人では逝かせん。お前以外にも、馬鹿はいたようだからな」

エドゥアンの周囲に居たパイロット達が仰け反った。エドゥアンと同じく若いパイロットだった。

 トリガーに、力が入る――エドゥアンは、眼をつぶった。一人の連絡士官が駆け寄ってきたのはそのときだった。

「少佐! 戦隊司令がお呼びです。至急、艦橋へ上がるようにと……」

「後にしろ。『雌虎』が俺に何の用だ?」エドゥアンから眼を離さずに、タインは言った。

「判りませんが……至急です」

 タインの口元に、歪んだ笑みが篭った。怯えたエドゥアンが恐る恐る眼を開いた時には、銃口はすでに無かった。

「命拾いしたな、中尉殿(・・・)

 ブラスターを仕舞うと、タインは格納庫の隅に眼を転じた。隅に置かれた監視カメラの無機的な視線が、それを睨みつけるタインの視線と交錯する。彫像のような無表情をカメラに暫し向け、それからタインは隊を解散させた。搭乗員居住区へと向かう一同とは逆方向、艦橋に上がるエレベーターへと続く通路の途中で、追及して来たロインが怪訝な表情をして聞いた。

「少佐、よろしかったのですか? あのようなことをして」

「俺は、自分で正しいと思ったことをやるだけだ。お前があれこれと詮索することじゃないさ」



 「ダルファロス」艦橋最上階の防空指揮所。その中央の、一段高い層に設けられた指揮シートからはダルファロスの巨大な全容を全周囲に渡って見渡すことが出来た。


 鋼板やリベット剥き出しで、配置やデザインが簡素な造りを有するラジアネス軍艦艇の艦橋の内装に比べ、レムリア軍のそれは著しく機能的に出来ている。彼らにとって飛行船とはあくまで「フネ」ではなく空を飛ぶ乗り物なのであって、機能もそれに準じたものとして独自の特化を遂げていたのである。レムリア人にとって陸より乗り出すべき先が空しかないという地理的な制約は、彼らが空を飛び、征服するための最良の回答を具現化するに、微塵の躊躇も覚えさせることは無かった。速力と燃料消費量を稼ぐための流線形、上昇力を稼ぐための構造力学的、あるいは空気力学的な配慮――その結果として、航空機の性能と同様に飛行艦艇の性能と運用においてもレムリアは地上世界を大きく引き離しており、「大祖国空戦」以来続く快進撃は、そうした技術的優位に裏打ちされていると言っても過言ではない。


 指揮室には中央の指揮シートを囲むように幾重にもオペレーターの席が配置され、艦橋の内壁に埋め込まれた大型モニターからは艦の状態、搭載機の状態、前路警戒艦及び偵察機のもたらす周辺空域の状況を自在に把握できるようになっていた。そして現在のところ、モニターの一点には、哨戒部隊の発進と収容といった格納庫の作業風景が映し出されている。艦長のカイル‐ティファルーク‐イズメイ中佐の姿は此処には無く、彼は普段は指揮所下層の羅針艦橋で艦自体の指揮に専念している。現在のところ、「この(フネ)で最も見晴らしのいい」防空指揮所の主は、一ヶ月前に戦時特例を以て航空戦隊司令官の称号をえたばかりのセルベラ‐ティルト‐ブルガスカ大佐であった。


 『雌虎』というのが、セルベラ‐ティルト‐ブルガスカに付けられたあだ名であった。


 軍籍に入る前の彼女の出身階層、前半生について知る者は戦隊にはいない。頂上階級から無産階級に跨る幾重もの出身階級により、生誕後の人生の全てが決定されるレムリア社会において、それは奇異に属することであった。ただし近付き難いまでの美貌と精悍さの調和が、彼女の生い立ちの貴きをごく自然に推し図らせ、他者を傅かせる効果を与えていた。それだけでは無く、現在に至るまで彼女が積み重ねてきた軍歴もまた――


 レムリア国防軍軍官学校を優秀な成績で卒業すると、彼女は数年間を一線部隊で戦闘機パイロットとして勤務し、緒戦の植民都市侵攻作戦では航空団指揮官として全ての作戦に参加した。彼女が挙げた部隊としての戦果、個人戦果共に出色のもので、彼女自身、この時点では十七機の撃墜記録の持ち主だ。

長大に造られた指揮シートに、彼女は軍用ロングコートと黒と金を基調としたレムリア軍一種軍装に包まれた肢体を横たえていた。

 黒光りする、細い軍用ブーツに覆われた脚は優美なまでに組まれており、黒い軍服の上からも見事な脚線美を想像することが出来た。今まで一度も笑ったことが無いような堅い雰囲気を醸し出す白皙の容貌は息を呑むほどに美しく、堅く締まった口元が独特の気品を漂わせていた。その一方で目深に被られた軍帽の間からは、鷲のような眼が見る者の胸を突き刺すような硬質的な光を湛え続けていた。


「第二直哨戒隊。全機発艦しました」

 管制官の報告など、我関せずという風にセルベラは腕時計へと視線を転じた。操縦士、それも特に許された空戦士に与えられる最上級品質の計測機械時計(クロノグラフ)、指揮シートの足許から彼女の様子を伺っていた飛行長がそれを伺うように見つめ、思わず息を呑む。但し針の動きから導きだされた宣告は非情だった。

「四分二三秒……遅い」

「…………」

 飛行長はうつむいた。この世に存在するあらゆる冷酷さを一身に集めたような司令と接する度に、心臓を握りつぶされる思いがする。

「飛行長」

 セルベラはゆっくりと飛行長の方を振り向いた。目深く被られた軍帽から除く眼光が、この不幸な男を貫く。曲げられた指揮棒の軋む音が、彼の鼓膜はおろか心臓さえも震え上がらせてしまう。

「貴公、死ぬか?」

「…………!?」

 飛行長は震え上がった。セルベラは上座のシートからじっと彼を見据えていた。虎に魅入られた兎のように、飛行長は押し黙った。

「……あと十秒は短縮してみせろ。でなければこの艦も、貴公の未来もない。」

「ハッ……!」

 飛行長は内心で震え上がった。彼の上司はそれが出来なかったばっかりに前飛行長の座を追われて更迭され、副長だった彼が二週間前からその座を代行していたのだ。蒼白な顔もそのままに飛行長は管制盤に向き直り、通信士官が指揮所への来訪者を告げた。


「タイン‐ドレッドソン少佐、参上いたしました」

 形ばかりの敬礼をして、タインは指揮シートの主に歩み寄った。物怖じせずに歩み寄るタインを、セルベラはロングコートの襟越しに無感動に睨む。眼を逸らさぬまま、隅で震えていた飛行長に軽く手を振る。下がれ、の合図だ。

「何の用でしょうか? 参謀殿」

「殿」という言葉に力を込めてタインは言った。その語調には、対象への隠しもしない揶揄の念が込められていた。

「また戦果を、挙げたようだな。タイン‐ドレッドソン」

 普段階級とか敬称でしか相手を呼ばないセルベラが、フルネームで相手を呼ぶ唯一の相手が、彼であった。

「俺はツイてますから。お蔭様でね」

「そうかな……」

 セルベラは微笑んだ。決して明るい種類の笑いではなく、軍帽に埋もれたその眼は笑ってはいなかった。

「貴公、格納庫で何をしていた?」

 ゆっくりとした、沈んだ口調に、陰性の気迫が篭った。

「軍規を破った馬鹿に、お痛を加えてやったまでさ」

「貴公に軍規の解釈権は無い」

「司令殿にはあると?」

 タインはセルベラを睨み付けた。彼の態度に、この上官に対する畏怖の念はおろか尊敬の念もまた皆無であった。さらに徹底していることには、タイン自身が心から敬意を払う上官など、この強大なレムリア正規軍の何処を探したところで皆無であるのかもしれない、という事実がある。


 黙ってタインを睨み返したまま、組んでいた脚が崩れてシートから下りる。指揮棒を戯れるように振りながら彼女はシートを下り、タインに近づいた。指揮棒が、タインの肩に振り下ろされた。肩の上に加わる並々ならぬ力をタインは感じたが、それを表に出すことは無かった。創りもののような白皙の顔がタインの横顔に迫り、同時に飾り気の無い柑橘の匂いがタインの嗅覚を擽る。

「タイン、お使いを頼んでもいいかな?」

 気紛れな虎を思わせる、有無を言わさぬ眼光がタインの横顔を撫でる。それを直視しないように、タインは防空指揮所の天井を見上げ続けた。天井一面に張られた強化ガラス越しの蒼空、最小限の枠と支柱しか無いことも手伝って空は無限に広がり、無限に対する渇望を勇士に抱かせた。同時にセルベラと絡んだ過去の情景が、タインの脳裏であたかも映画のワンシーンのように幾重にも重なっては過ぎていく。

「……レディの頼みとあっては、断れないな」



 少数機を選りすぐっての、カンダカ方面への威力偵察――それが、セルベラがタインに課した特殊任務だった。

 カンダカは、ラジアネスの南西方地域の全地上、天空世界を統括する行政都市の名だ。緒戦の侵攻作戦は、目標となった天空世界の主要都市をほとんど無力化せしめたと同時に、近傍の地上に存在する有力な都市の多くも、同様にその反攻を封じ込めるに至っていた。

 事前の通常偵察ではそのカンダカに少数ではあるが、航空戦力が残存していることが確認されている。タインに課せられたのはそのさらに再確認だった。が……タインの判断によっては威力偵察としての側面をも帯びることになるかもしれない。


 指揮所で蘇った、「過去」に繋がる複雑な思いは、エレベーターで格納庫に下りる頃には既に消えていた。薄暗い格納庫に一歩を踏み出したところで、居並ぶ搭載機の中で主翼を畳まれ、点検を受けている愛機の姿が見えた。プロペラを拭いていたレグエネンが彼の姿を認め、眼鏡状の義眼を彼に向けた。

「出撃ですか? 旦那」

「その通りだ。準備をしろ」

 レグエネンが部下の整備員に手信号で指示した。ヘルメットを取って来いとの合図だ。先刻までタインを待っていたロインとグーナが走り寄って来た。

「お供します。少佐!」

「いらん。一人で行く」

 タインは操縦席にその身体を滑り込ませた。続いて梯子を上ってきたレグエネンがバンドを締めるのを手伝った。ヘルメットを抱えて来た少年整備兵の姿を下に認めると、タインは黙ったまま、投げろ、という仕種をして見せた。戸惑う整備兵にタインは言った。

「構わん、投げろ」

 整備兵はヘルメットを投げた。タインが上手くそれをキャッチして親指を上げて見せると、少年の顔は明るくなった。梯子から下りたレグエネンが梯子を外し、トーイングカートを操る誘導員に合図をした。カートが動き出し舷側に設けられた射出口に通じる待機甲板まで機体を牽引する。その間、与えられたチャートを眺めている内にも、セルベラとのやり取りの記憶はタインの胸中からすでに消えていた。


「…………」

 エドゥアン‐ソイリングは、誘導されていくタイン機を、格納庫を一望できるキャットウォークから見下ろしていた。自分を侮辱した上官に対する純粋な敵意がその若い瞳には宿っていた。

 それは、独立階級(ディレクタン)に生を享け常に日の当たる人生を歩んできた若者にとって初めての経験だった。自分に落ち度など何も無いと彼は考えていた。サル以下の、生意気な地上人に神に選ばれた天空の民として罰を加えてやることの何がいけないというのか? それなのに核心階級(シチズーノ)――レムリアの階層社会でも底辺から数えた方が早い自営農民風情――出身のあの男は、自分より操縦が出来、実績を上げる運に恵まれただけであんなに偉ぶり、自分を罰しようとしたのだ! 


 単に空戦士としての実績なら、彼、エドゥアンにもあった。将来のレムリア国防軍の中核を担う者として期待され、それに応えるかのよう彼は積極的に前線に身を投じ、敵を撃破していった。レムリア社会の上層階級として、何事につけても先頭に立つことを彼は当然の義務と考えて疑わなかった。現在に至るまでに彼の撃墜記録はすでに十一機に達していた。部隊の先頭に立って自分は飛び、撃ち、壊し、そして殺す――それだけのことの何処に、他者から掣肘を受ける謂れがあるのだろうか?


 タイン機の後姿を見送りながら、エドゥアンは唇を噛んだ。

 この借りは……きっと返す。



 計器盤上、ポンプスイッチを以てエンジンに燃料を送り込む。流量計が一定の数値を指したところで、操縦席のタインは脚元に声を上げた。四隅に散った整備員がハンドルを使い、ミトラ特有の分厚い主翼を手動で展開に掛かっていた。引渡し当時は操縦席からの操作で油圧を使い自動的に主翼を展張出来るようになっていたのだが、重量増加を嫌ったタインの意を受けたレグエネンの手で展張装置を外してあるのだ。


「回せ!」

 格納庫の内壁から電線で接続された電動式始動機を、レグエネンが左エンジンのアタッチメントに繋ぐ。始動機の生む外部からの回転に合わせ操縦席から接断器スイッチを押せば、整備の行き届いたジャグル‐ミトラは容易に覚醒してくれる。始動した左エンジンから供給される電力が右エンジンの覚醒をも生み、やがて回転を「始動」から「暖気」に転じたミトラは、甲板員の誘導に従い舷側の射出口まで自走した。

 ミトラはそこで、甲板員の手にした連結索(ブライドル・ワイヤー)により蒸気式カタパルトと固定される。天井から下げられたシグナルの発する信号に従い、射出時の揚力を稼ぐためフラップを最大に下ろし、スロットルを最大に開いてから操縦席のタインは管制室の指示を待つ。

『――母艦(ミュッター)よりタインへ、発艦準備』

「こちらタイン。発艦準備よし」

 タインは眦を決した。

「タイン‐ドレッドソン。ジャグル-ミトラ、出るぞ!」

 射出と共に、抗いがたい重力の波がタインの全身を襲った。タインが気付いたときには、ジャグル-ミトラはすでに母艦から外界の空へとその脚を離していた。脚が離れれば、支えを失ったジャグル‐ミトラは徐々に高度を落とし、その過程で速度と揚力を増していく。脚を上げ、フラップを徐々に戻しながら、タインは視線の先に広がる積乱雲の柱へ眼をやった。加速と同時に、機体の下から徐々に沸き起こってくる気流の高ぶりを感じた。フットバーに力を入れるタイミング微妙にずらし、操縦桿を軽く傾けたそのとき、百八十度旋回を終えたジャグル-ミトラの翼端から水蒸気の細い糸が伸びた――ダルファロスはすでに彼方にあった。



 ――その様子を、セルベラは艦橋最上階の防空指揮所からじっと見つめていた。控えの副官が訝しげに彼女に聞いた。

「宜しいのですか? 単独で行かせて」

「構わない」

 セルベラの答えは単純明快だ。遠ざかっていくタインを見送る一方で、鷲のような、対象を物というより獲物として見るような目つきは変わらなかった。だが、彼女はかつて彼の飛び方を何よりも美しいと感じていた自分がいたことを知っていた。それは、彼とともに飛んだことのある全ての空戦士の共有する感情……しかし、現在の彼女は自分がもはやそのような感情を彼に対して抱くことは無いであろうことを知っていた。


「……もう、戻れないのだよタイン……あの時には」

 声にならない呟きが、彼女の脳裏で反芻していた。



 ――針路を遮る雲の層を切り裂くかのようなパワーダイヴの末に、周囲にはカンダカの面する広大な湾の絶景が広がっていた。長年を雲の上で過ごしてきたタインにとって、それは久しぶりに間近に見た海だった。


 高度に十分な余裕を持って操縦桿を引き起こす。引き起こしで速度が落ちていくごとに、ジャグル-ミトラを捉える重力の頸木が徐々に外れていくのが操縦桿を握る腕を伝ってわかってくる。機を逆さまの姿勢に保つと、頭上一杯に海と港湾地域の風景が広がり、そのままジャグル-ミトラは目標まで突っ込んでいく。バブルキャノピーを通して広がる風景の一点に、タインの研ぎ澄まされた視力が何かを認めたとき、彼は既に機体を水平に戻していた。

 F‐24B(スカイダガー)! それも二機。


 F‐24B「スカイダガー」はラジアネスの地上防衛部隊の主力戦闘機だ。全金属製単葉、単発前輪式の構造。空冷エンジンを搭載し四丁の機銃を装備している。以前の殖民都市攻略戦の際何度もお目にかかったが、機体の性能と搭乗員の練度に勝るレムリア軍の敵ではなかった。


 機体が、次第に近づいて来る。ジュラルミン地肌むき出しの翼が上から照りつける太陽の下でギラギラと輝き余計に視認度を増していた。


 ……見逃してやるか。

 

 タインはそう思った。二機の敵機をどうこうするよりもそれが発進した飛行場の様子を知っておきたかった。無駄な戦いを避けるのは熟練の証しだ。

タインが距離をとろうとしたとき、こちらに機首を転じた二機の内、先頭の一機の機首が煌いた……勘付かれたか?


 撃ってくる――だが遠すぎる、(あた)らない。相手の未熟を自覚しながらタインは操縦桿を倒した。横転の姿勢のままスロットルを開くと、機銃をぶっ放しながら突っ込んでくる二機のF‐24Bの機首がぐんぐん迫って来る。向かってくる弾幕を無意識の内に掻い潜りながら、タインは沈黙の内に照準を合わせ、トリガーを引いた。

 最初の、ただ一斉射は先頭の一機の左主翼を吹き飛ばし、後続する二機目のキャノピーを吹き飛ばした。一機のジャグル-ミトラと二機のF‐24B、両者の翼が交錯した瞬間、それぞれ翼と主を失った二機のF‐24Bはがくんと機首を下げ、千切れかけた翼を傾けながらそのまま湾内に突っ込んでいった。


「阿呆め……」

 はき捨てると、タインは愛機を上昇させた。下界で行われた人間どもの争いなど感知しないかのように、太陽は空を舞う誰もに平等に光を注いでいた。操縦席に差し込んで来る光は、キャノピーの強化ガラス一枚を隔てた蒼穹の世界には無い暖かさを伴っていた。光に包まれたジャグル-ミトラの翼は紅く、雄雄しく輝いていた。彼はこれまでの人生をこの(あか)い翼に委ね、戦いでは雄雄しく振舞ってきたつもりだった。そしてこれからも斯くあることを当然のことと思っていた――自分の生命の続く限り。


 タインは天を仰いだ。義眼の煌きは、誇りと勇気の輝きだった。



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