序章 「空の肖像」
――ここに、一枚の写真があります。
当時のラジアネス軍主力艦上戦闘機ジーファイターのコックピットから遠慮がちに顔を覗かせる若き日の父の顔。芯を抜いた帽子を斜めに被り、その口元に躊躇いがちな微笑を湛えた顔。父の属した部隊……ラジアネス軍初の空母機動部隊の指揮官の着任式の日、古い型のカメラで撮られた白黒の写真は、当時の素朴で、かつ緊迫した雰囲気を表しているように思われます。
静かな笑顔の中で未来を受け入れ、諦観した父の顔。それは私たちの生きている世界とは全く趣の異なる異世界において、幾多の戦場を潜った空の勇士の顔ではなく、その辺の街角にいる青年のままの父の顔――その普通の顔をした青年としてわたしの父は戦場へと向い、「空戦の鬼」の顔を隠したままレムリア軍と戦うこととなったのです。そんな父の真の姿を、リューディーランドに赴き、レムリア軍と戦火を交えるまさにその時まで、父と親しい多くの人々が知ることはなかったのでした。
父がこの写真を撮ったのは、「初めての」戦場となったリューディーランドへ赴くわずか一カ月前のことでした。当初の志に反し、精強なレムリア軍と戦うべく戦場へ赴いた父の一方で、栄光への欲求から、あるいは悲壮なまでの使命感から発ち、空の戦いに身を投じるに至ったあの時代の若者たち。故郷に家族を、そして恋人を残し、ダークブルーの翼を駆って戦場の空へ赴いた若者達……日々繰り返される戦いの日々の中で、互いに境遇も戦場に赴いた経緯も違う仲間達と接し、戯れる様子を捉えた一枚、また一枚――矩形に区切られ、白黒のヴェールに覆われたこの世界の住人のほとんどが現在は亡いという、あの時代の「現実」。
戦争の間に撮られた数多くの写真。戦場の決定的瞬間。戦場を生きる若者達の戯れる姿。任務へ赴く姿。戦場と化した地の住人達の一変した日常。多くの情景の中に存在したドラマを閉じ込めた写真に、後世の人々は何を見るのでしょうか? 何時終わるとも知れぬ戦いの中で育まれた友情、闘志、そして愛――それらの何れも抱く暇も与えられることなく、空の彼方へと消えていった人々。それはラジアネス軍のみならず、敵手たるレムリア軍もまた同じだったのでした。そのような実相を今の私たちに教えてくれるのもまた、前線の様々な瞬間をその矩形の空間に閉じ込めた写真だったのでした。
初戦の勢いを駆り攻勢に身を委ねる日々の中、戦闘機の傍らで航空図を手に出撃前の打ち合わせをする紅いパイロットスーツの若者達。隊伍を為し、指揮官の訓示に神妙な表情で聞き入る兵士達。号令一下、一斉に始動を始める戦闘機の列線。コックピットより臨む勇壮な空の進軍。戯れに撮った休養のひと時――極悪非道と考えてきた敵手たるレムリア人が、慌しい軍務の中でも私たちラジアネス人と同じようにものを考え、悩み、表情豊かな人々であることを私たちが知るのに、戦争が終わってもなおかなりの時間が必要だったのでした。
祖国の勝利を信じて戦い、家族を守るために命を捧げた双方の若者達の姿は、数多に撮られた写真の中に当時の情景を活き活きと現在に伝えているのです。あの日の父の写真と同じように。