表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/81

第十一章  「急襲 後編」

所用で一週間程、「ばらかもん」で有名になったG島に行っていたので更新スケジュールに乱れが生じております。申し訳ありません。


パソコン持って行けばよかった……

 背後に迫る黒い機体。その翼が不意にぱっと光る――それが、3号機の訓練生の最後の記憶だった。


 間髪いれず飛び込んだ弾幕は、CAウイング 3号機の垂直尾翼、昇降舵、そして胴体後部といわずミシンのように撃ち抜き、その勢いを保ったまま後席に飛び込み練習生の頭部を吹っ飛ばしたのだ。前席の検査官が自機の非常事態に気付いたのは銃弾に吹っ飛ばされた訓練生の肉片が、血糊となって自分の操縦する前席にまで飛び込んで来たときだった。追い縋るように放たれたもう一連射はすでに飛行体として致命傷を負っていたCAウイングの左主翼を引き千切り、モノコックの破片と白煙を周囲一帯にばら撒きながら、平衡を奪われたCAウイングは錐もみ状態に陥ったまま大地に叩きつけられた。


『――曹長。お見事!』

「クーリオ、基地までどのくらいか?」

『――はっ、後二分です』

 曹長の質問に応じながら軍曹は無線通信機のダイヤルを慣れた手つきでいじった。これまでの工作員情報でラジアネス軍の無線周波数のパターンは掴めている。軍曹はたちまちラジアネス軍の広域周波数を探し当てた。


『――4号機よりウォッチタワーへ! 3号機が撃墜された! 繰り返す、レムリアンの飛行機が3号機を撃墜!』

 悲鳴にも似た4号機の通信を、5号機のカズマはその右下方で聞いていた。敵の飛行機が来て味方の練習機を撃墜した、ということ以外何がなんだか全く判らなかったが、大変なことが起こった、ということだけは今までの通信で理解していた。

「教官、どうします?」

 どうするかははじめから決まっている。逃げるしかない。

『――どうすればいいだろう。訓練生?』

 前席を与るスワノット中尉が、こちらに向き直った。明らかに困惑し、顔色は血の気が失せ土色に染まっている。

 

え!?――カズマは困惑する。


 それは中尉が考えることではないのか?……一応上級者なのは彼の方なのに――そんな状況を救ったのは管制塔からの指示だった。

『――ウォッチタワーより全機へ、一刻も早く現空域を離脱、退避せよ! 繰り返す……』

『――訓練生、本官が操縦を替わる! 操縦装置から手を離せ!』

 上ずった声で中尉が言った。

「自分が操縦します!」

『――君は民間人だろ。私に任せたまえ』

 中尉の言うことには一理ある。現在入隊したとはいえ――この世界では――経験豊富とは言えないカズマが出しゃばるべきことではない。


 だが――

 

『――5号機、操縦替わる!』


 操縦が、替わられた。

 カズマの不安は的中した。


『何だこれは!?』

 途端に揺れだし。左方向に傾きだす機体。不意に傾いた姿勢を修正しようと中尉がもがく様にラダーを操作しようとしたことが、火に油を注ぐ結果になった。CAウイングはカズマによって維持されていた平衡を失い、機首が一気に下界を指向する。オーバースピードに陥った機体ががたがた震えだし。思いっきり左に傾き出す。機体を制御できなくなった中尉は文字通り混乱し、絶叫した。


『――こちら5号機! 制御不能! 機体を制御できない! 助けてくれ!』

 やはりそうだったのか!……制御不能に向かう機体の後席でカズマは絶句した。初めからこんな乗りにくい練習機など存在するはずが無かったのだ。考えられることは一つ、誰かがトリムタブか操縦策を不用意にいじったのだ。あるいは故意か……!


 上方を何者かの機影が掠めた。一旦5号機を追い越したそれは、はるか前方で見事な右旋回を見せると、たちまちこちらに接近してくる。


 黒っぽい塗装、ガル状翼の中翼配置、分厚く広い主翼からにゅっと突き出た黒光りのする機関砲の銃身、そして癇に障る咆哮を轟かせる空冷エンジンは複座であることを除けば明らかにこちらのCAウイングとは異なっていた。敵の飛行機だ……!


『――もうだめだ! 神様助けて!』

 中尉は頭を抱え込んだ。それはカズマにとっては敵機がこちらに接近してくる以上に信じがたい光景だった。

 中尉は完全に脅えている!……そう感じたときには操縦桿を握り直していた。


「5号機、操縦替わる!」

 声を荒げるや否やフットバーを左に蹴った。スロットルを一気に閉じた。操縦桿を一気に右に倒した。追尾して来る敵機をオーバーシュートさせやり過ごすのと同時に、降下速度が落ちるまでエンジン出力を落とし、舵が聞き始めるまで待つのを両立させる。そこまで行けば低空――幸いにも下界一帯は不時着に適した平地だ。


 カズマの目論見通り、後背に占位した敵機が急激な速度低下についていけず再びカズマの肩越しに前に出た。そのとき敵機の搭乗員をカズマは初めて見た。追い越しざまにこちらを覗く赤いフルフェイスのヘルメットが、強烈な印象をカズマの脳裏に与える――


 ――あれが……レムリア人?

 しばし呆然としている間にも速度と高度が急激に下がり続けていることに、カズマは気付かなかった。


 失速する!――そう気付いたときには、遅かった。赤茶色の地上が、CAウイングの機首に絶対避けるべきキスを迫っていた。カズマは自分が出来ることをしたが、練習機とはいえ彼がこの機に習熟するのに時間は未だ十分に与えられていなかったのだ。


 操縦桿を引いた。スロットルを全開にした。ようやく機首が上がりかけたときに、機体の何かが折れる音がした。あまりに低空に降りすぎたため地上の耕地に設けられた柵に、傾いた片翼が引っかかったのだ。それが破綻の始まりだった。


 反動で機首が下がり、プロペラがものすごい勢いで地面を抉りつつひっぱたく。

 続いて襲ってきた烈しい衝撃に。風防ガラスが砕け散る。ものすごい勢いで何かが連続して折れる音が聞こえた。そして――


 ――巻き上げられた土と沈黙が、土砂崩れのように二人に襲い掛かってきた。

 



『――馬鹿な奴だ。自分で墜落しやがった』

 獲物を探し低空を舐めるように飛ぶテラ‐イリスの機上でクーリオ軍曹が笑った。

「いい不時着だな」

『――え……?』

 怪訝な表情を浮かべる軍曹には目もくれず、ドクテンはテラ‐イリスを上昇させた。彼の視線の先には、モック‐アルベジオ艦隊航空基地の広大な敷地が広がっている。

「軍曹、写真機の撮影準備を開始せよ!」

 旋回を続けながら上昇する間にも、遅まきながら撃ち始めた高射砲がテラ‐イリスのはるか下を、後を追うように炸裂する。距離こそ離れているが砲弾が破裂するたびにテラ‐イリスは小刻みに揺れ、砲弾の破片が機体を不快に叩いた。


 大丈夫、当たらん――数多の戦場をくぐった自信が、曹長の口元に笑みを浮かべさせた。

 高度六千。位置、頃合ともに良し。


『――曹長、撮影準備完了!』

「只今より本機は二分間の直線飛行に入る! 撮影を開始せよ!」

『――待ってました! ただいまより撮影を開始します』

 後席のクーリオ軍曹が爆撃照準器を改造したファインダーをのぞきながら撮影を開始する。右手にシャッターボタンの付いた取っ手を握り、左手に機体の姿勢を修正するためのジョイスティックを握っている。この間よほどの場合を除いてドクテンが操縦装置に触れることは出来ない。


 手動で航空写真を撮影する我が軍と違って、ラジアネス軍にはボタンひとつで自動的に航空写真を撮影できる装置があると、ドクテン曹長は聞いたことがあった。それは我が軍でも開発が進んでいるが、現在のところその装置が搭載されている機体はやはり試作機――キラ‐ノルズの偵察型――のみだ。如何なる条件下でも正常に稼動する小型モーターの量産や高精度レンズの品質に問題があるという話だった。地上人(ガリフ)に作れるものが我々に作れないこともあるという事実は、ドクテンにとって将来の展望に一抹の不安を感じさせるものではあった。飛行機や艦艇の性能では我々が圧倒しているのだが……その優位も、いずれ地上人(ガリフ)共に覆される日が来るというのだろうか?


 そんなことを考えながらも、自然のうちに眼は周囲を探っている。戦闘機乗りの本能というやつだ。さほど遠くない空域で蠢く二つの点をその眼に捉えたとき、曹長の顔に不敵な笑みが浮かんだ。

「軍曹、二次方向に敵戦。二機だ」

『どうします?』

 ファインダーを覗き込む姿勢を崩さぬままぶっきらぼうな口調で軍曹が答えた。

「遊びは終わりだ。引き上げるぞ」



 空襲を知らせるサイレンが鳴ったのは、カズマが不時着して少し過ぎた後だった。ガソリンの匂い漂う機内でカズマが失神から目覚めたときには、サイレンがすでに周囲を圧し、遠方では高射砲の砲声が断続的に聞こえていた。背中の痛みに耐えつつ前席を覗き込むと、はたしてスワノット中尉は微動だにしていない。


 それにしても、ガソリンの匂いがきつい――そう思ったときには落下傘のバンドを外していた。外に出て飛行帽を脱ぎ捨てると、カズマは再び前席を覗き込んだ。頭から血を流していたが、スワノット中尉はほぼ無傷だった。カズマは中尉の頬を何度もひっぱたいた。

「中尉、起きてください。中尉!」

「ああ……ツルギ訓練生か……」

 呻くように中尉は言った。土埃で汚れた顔が実際よりはるかに重症に見えた。

「立てますか?」

「だめだ……体が痛い……」

 後ろから中尉の胸を抱くようにして座席から引きずり出すのと、それまで黒煙を吐いていたエンジン部分が火を噴いて燃え出すのとは同時だった。火はやがて機体を塗りつぶすようにして広がり、一つの火の塊と化す。それから逃れるように安全な位置まで中尉を引っ張り、そこで一気に肩の力が抜けた。炎の魔の手からは逃れられても、金属が焼ける不快な臭いと眼を突く煙は熱風に乗り、未だに此方に追い縋って来る。然しこれ以上遠くへ動く気力は残されていなかった。


 カズマはその場に座り込むと、仰向けになって天を仰いだ。カズマの瞳の遥か上方を味方の戦闘機が舞っていた。その様子に、カズマは喩えようの無い虚しさを感じた。それは嘗ての世界において、敵機の大群に必死で立ち向かっていく中で抱いたあの感覚に似ていた。

「…………」

 空を見上げ続けるうち、冷たい土の匂いを感じながら自分の意識がそのまま遠くなっていくのを感じる――――カズマの記憶は、やがてそのまま遥かに遠いかの世界へと時空を超えて飛んでいった。




 耳障りなサイレンの音は未だ止まない。


 未帰還機二機。乗員二名死亡。二名負傷。基地員の報告に、バートランドは不機嫌そうに顔をしかめた。彼自身すでに落下傘と救命衣を着込んでいてあとは警戒任務に発つ乗機の準備完了を待つばかりの身だ。


 滑走路上では救急車やら回収車やら様々な車両が忙しげに走り回っている。完全武装の軍警もまた、飛行場に展開し走り回っている。その上空を、ウレスティアン‐タマゴ戦闘機の一個小隊三機が軽快なエンジン音を立てて飛び去った。キニー大尉の率いる小隊だ。


「ところで……曹長」

 バートランドは傍らのサイラー通信曹長に聞いた。

「撃墜されたバルデンはともかく、スワノットの奴は何で墜落したんだ?」


 点検作業でバートランドのウレスティアン‐タマゴの操縦席に陣取り、エンジンの試運転を行おうとしていたマリノが、スターターボタンを押す手を止めて不安そうな眼を向けたのに二人は気付かない。

「無線通信の内容でしか詳細は掴んでおりませんが、どうやら操縦不能に陥ったようです。初めて直にレムリアンの飛行機を見たんでパニクったんでしょう」

「同乗の訓練生はどうしている?」

「中尉は不時着の衝撃で人事不祥に陥ったところをその坊やに救い出されたようです。もう少し脱出が遅れていたら機体ごと丸焼けでしたよ」

「坊や?」

「ええ、少年です」

「ひょっとして……あのガキか?」

 過日、「荘厳なる緑マジェスティック・グリーン」の傍にいたという若い訓練兵の顔が思い出された。バートランドは嘆息し、銜えていた煙草を踏み潰す。ささやかな苛立たしさの発露――試運転のエンジンが轟音と黒煙とともに軽快に回り始めた。



 やりすぎたか――中佐達の会話に耳を(そばだ)てつつ、マリノは内心舌打ちした。

 こんなことになるとは夢にも思わなかった。まあいい、あのムカツクガキの検定の結果はアヤしくなったし、そして何より良いことに自分の担当した機に関しては誰も死ななかった。十分に落とし前は付けられたはずだ。その点ではレムリアンにも感謝しなくてはならないだろう。


 しかし――


 確かに自分はあいつの乗る飛行機に細工をした。

 具体的に言えば方向舵と補助翼のトリムタブを操作が重くなるよう目一杯動かした上で、操作索を切断したのだ。昇降舵もまた同じく、あのチビの細腕では取り回しなど到底出来ないような角度に調整したまま、これまた操作索を切断した……いや、したはずだ。


 検定飛行では離陸から着陸までほとんどの手順を飛行経験のある訓練生に行わせる手はずになっていた。本当なら離陸すら出来ずに失格になるところをあいつは他の組とほとんど遜色ない飛び方を見せた。現に機体のぼろが出たのは非常時の際に検定官が操縦を替わったときなのだ。そのときまでをあいつが自分の腕だけで飛んでいたとしたら――


 ――何なの、あいつ?

 マリノの背筋に軽い戦慄が走った。彼女の呟きは更に出力の増大したエンジン音にかき消されて他には聞こえなかった。



 テラ‐イリスに搭載された帰投方位指示器は正常に機能しているように見える。

 各針路上で割り当てられた任務を果たしたテラ‐イリスは、安全空域まで離脱したところで母艦の発する誘導電波を探り当て、次第に同じ針路上に集結してくる。西へ沈みかけた夕日が、自然に編隊を形成していくテラ‐イリスの一群を赤黒く照らし上げた。


『エヴェル3より全機へ。敵機が追尾している! 俺のすぐ後方だ!』

 ドクテンは舌打ちした。誰かが事前に打ち合わせたとおりの針路韜晦を徹底しなかったのだ。

 傍らのエヴェル2は、エンジンから白煙を噴いている。対空砲火か何かでエンジンを損傷したのだろう。そのエンジン回転は目に見えて不安定になっていた。手を打たねばなるまい。

「エヴェル‐リーダーよりエヴェル2へ、許可する。先に帰投せよ」

 ドクテンは空を仰いだ。増速する余力は未だあったらしくエヴェル2のシルエットがすうっと前へ出て、次第に距離が開いていく。援護を決意したドクテンの視線の先に、一条の飛行機雲が微妙な曲線を描いてこちらへ近づいて来るのが見えた。虚空に描かれた、その白線の先にあるものをはっきりと視認してドクテンは歓声を上げた。


「神に誉れあれ! うちの艦長が来たぞ!」

『エヴェル‐リーダー、針路2-3-6に転針。あとは本官に任せろ』

 抑制の効いたアルトが、ドクテンには神の啓示のように聞こえた。

 地上人の追跡者は三機。彼らは前方のテラ‐イリスを追うあまり、前上方から横転しつつ降下してくる異形の機影に気付かなかった。



「フッ……」

 小隊間の間隔が離れすぎている。おそらく急な出撃だったのだろう。キラ‐ノルズを駆るセギルタは苦笑した。しかしこれでは各個撃破してくれと言わんばかりではないか。

 逆落としの姿勢を保ったまま、小隊の右翼を飛ぶ複葉機のシルエットに照準器が重なった。それを睨むセギルタの眼が獲物を狙う鷹のように細まった。

 反射的にスロットルを閉じた。引いた操縦桿を戻した。キラ‐ノルズは低速域の操作に敏感に反応し、前上方から複葉機に衝突しそうな勢いで機首を上げる。照準器いっぱいに広がるジーファイターのシルエット! 操縦桿上に配された引鉄を握る手に力が入った。


「終わりだ」


 槍衾宜しく白線を引いて伸びた機関砲の弾幕は、一撃で追尾してきた複葉機を粉砕した。紙細工でも握り潰すかのような呆気無さであった。そのままフットバーを右に踏み込み、機体を滑らせると返す刀で小隊長機に煙を吹かせ、三番機の右主翼を吹き飛ばす。おそらく撃たれたやつは自分の身に何が起こったのかわからなかったに違いない……しかし、馬鹿々々しい。あのような貧弱な追撃者を葬るのに、彼らに倍する機動性を有する最新鋭機で当たらねばならぬというのは。(つぐみ)(さば)くのに斧を以てするような感覚だ。


 機体を上昇させつつ様子を見ると、先程の小隊長機がきりもみしながら降下し、下層雲に飲み込まれていくのが見えた。それ以上の追撃は必要ない。セギルタは機首を転じると、母艦の待つはるか向こうの高層雲へキラ‐ノルズを進める。


『――艦長、無事ですか?』

 ヒランの声がした。母艦からの通信だ。

「安心せよ少尉。ところで全機帰投したか?」

『只今エヴェル‐リーダーを収容中。これで全機収容完了します』

「ご苦労……それにしても地上人(ガリフ)のパイロットは間抜けが多いな」

 セギルタは微笑んだ――これでよし、彼らの飛行に対するラジアネス軍のリアクションから艤装中の敵空母の正確な所在がわかるかもしれない。あとは地上に控える協力者、そして基地にいるエゼル‐エールラーの報告を待つだけだ。微笑みが、何時しか刃のような歪んだ笑みに転じる。


「うまくやれよ……マックス‐クレア少佐」




 夢の世界の中で、急降下は続いていた。


 カズマが操縦桿を握る零式艦上戦闘機二二型の制限速度は三百五十ノット/時で、それ以上に加速すると空中分解の危機に直面する。それは一千馬力程度のエンジンで振り絞ることの出来る限界値と、抜群の運動性能と長大な航続距離の並立を追及したひとつの結果だった。


 ではあっても、加速に身構えつつ目を転じた速度計は、危険水域たる三百五十ノットをとっくに超えている。スロットル全開で加速を続ける零戦の悲鳴が、金属の不快な共鳴音となって操縦席にまで聞こえてくる。薄い雲の層を幾度か抜け、徐々に降下角を緩めんと操縦桿を少しずつ引いていく――


 ――重い!……まるで大地に突き刺さった鉄の棒を持ち上げんとしているかのような感触。操縦桿に添えた両手に満身の力を篭め続けるうち、酸素マスクの下で息が荒くなり、脂汗がこめかみと鼻筋を伝い首筋へと流れていくのを覚える。眼前、大地の如き下層雲を背景に、ゴマ粒を思わせる黒い機影が複数、雁行編隊を組み此方の針路上に迫って来るのが見える。心持ちか操縦桿が少しずつ動き、急降下から緩降下に転じ掛けた零戦は、重力の負荷を前に不気味なまでに揺れ続けた。破滅は、未だ見えなかった。


 地上から眺めた限りでは軽快に見える機動とは裏腹に、零戦を自在に操るには常人のそれを外れた膂力を必要とする。片腕で米俵を軽々と持ち上げられるぐらいの腕力、片腕のみで懸垂を軽々とこなすぐらいの腕力……操縦桿を握る腕に限れば、誇張では無くそれだけの膂力を発揮できなければ零戦を駆り戦場の空を生き抜くことは難しい。そのことを若過ぎるカズマは、幾度もの空戦ですでに思い知らされている。


 当代の最新鋭機を前にしても零戦の垂直面や水平面での旋回性能に未だ不足は無い。だが敵機に咄嗟に背後に回られた際、射弾の回避に最も威力を発揮する横転動作に入るまでが零戦の場合、反応が著しくもどかしくなる。逆に敵機のそれは呆れるほど素早く、それで撃墜の好機を逸したのもしばしばだ……その点、今カズマが対峙している相手は横転が無い分楽……と言えるのだろうか?――降下を続ける内にさらに距離が詰まり、四発エンジンの巨人機の機影に光像式照準器の輝点を合わせんと、カズマは零戦を滑らせる。



 コンソリテーデッドB‐24リベレーター四発爆撃機。さながら空に浮かぶジュラルミンの白銀の城。大小二十基に迫るその防御砲火は強力だが、二十ミリ機銃弾を一太刀浴びせればそいつは容易に飛行体としての均衡を失い蒼空から下界へと機首を転じる。そのことをもカズマは知っている。敵機の急接近を悟った爆撃機編隊が応戦を始め、赤い光の礫が網を為してカズマの眼前から後背へと抜けていく。それでも300ノット/時を優に超える今の速度を維持している限り、敵の銃手はこちらに有効弾を当てる事が出来ないことをカズマは知っている。編隊先導機の鼻面に向かって直進を維持したままスロットルの機銃発射把柄に片手を掛け、そしてカズマは前を睨みつつ力を篭める。


「――――!」

 射撃――零戦の上昇――交差――背面――それら四テンポの機動の間に、正面から銀翼を裂かれたB‐24は前へと飛びつつ自転し、無数の破片を撒き散らしつつ速度と高度を消耗していく。断末魔の巨人機、それを与る乗員に生還の途は無かった。


 よし! もう一撃――



「――――?」

 気が付くと、ベッドの上にいた。

 清潔感あふれる白一色に染められたような部屋の様子と、かすかに漂ってくる消毒薬の匂いから自分が病院にいることぐらい、それからすぐにわかった。窓から吹き込んでくる冷たい風と、黄色く温かい日差しがカズマに朝の訪れを告げていた。そんな中で体の節々に痛みを感じた。まだ昨日の衝撃が身体から消えておらず。筋肉を襲う疼痛はむしろ事後にどっと襲って来た。その痛みに抗うようにカズマは半身を起こした。今は起きて身体を動かすべき時だと、本能が告げていた。


 ノックと共に病室のドアが開く。様子を診に入って来た看護士が声をかけてくれた。

「生徒さん、起きたのね?」

 カズマが答えるより早く、腹が鳴った。そういえば昨日の夜から何も食べていなかったのだ。年配の看護士は太い胴を揺するようにして笑った。

「じゃあ、朝食を持って来ますね?」

 カズマは聞いた。

「あのう、スワノット中尉は?」

「中尉さんなら、隣の部屋で寝てるわよ。頭に怪我してるけどそれ以外は大丈夫みたい」

「そうですか……」


 昼になると隣の部屋が急に慌しくなった。何でも、スワノット中尉のもとを基地の飛行隊長が見舞いに来たらしい。それが教導班の先任士官であるバートランドという年配の少佐であることをカズマは知った。昼食を運んできた看護士によると、中尉の意識はすでに回復していて、少佐が簡単な事情聴取を行っているという。


 ラジオを聴きながら昼食を食べていると、昼のニュースではモック‐アルベジオを含め複数の政府軍の拠点がレムリア軍と思しき航空機の侵入、攻撃を受けたことを報じていた。政府軍は航空機、艦艇などこの方面に動員し得る全ての戦力を警戒、索敵のため展開しているとのことだ。後方で無くなりつつある基地に広がる困惑と恐慌――それらをカズマは寝台上に在って空気として感じ取る。


「…………」

 ラジオに耳を(そばだ)てつつ、カズマは基地内の状況について考える。基地より大兵力が展開中と言うことは、それだけ基地内の兵力配置が手薄になっているということだろうか?……であれば――


 ―― 「奪回」には、一両日中あたりが最良の機会かもしれない……と、カズマは結論付けた。幸い自分は現在負傷者扱いだ。逆に言えば軍籍に縛られていない分自由に動ける。



 不意にドアが乱暴に開け放たれ、次には招かれざる客が現れる。

「カズマーっ! ちゃんと安静にしているでしょうねーっ!?」

「きょ、教官殿……?」

 マリノ‐カート‐マディステールは優越感あふれる眼でカズマを見下ろしている。大きな茶色の瞳が、眼鏡を突き抜けて澄んだ光を放っていた。そのままズカズカとカズマのベッドに歩み寄ると、現在訓練生にとって二番目に破滅的な一言を宣告した。ちなみに一番目は「クビ」だ。

「あんた再教育決定。明日から原隊復帰だから。わかった?」

 そこまで言い終えて、マリノは顔に満面の笑みを浮かべた……まるで今この瞬間までこらえていたかのような笑顔は端正な顔を崩すほどの歪みようだった。カズマの昼食の(トレイ)からフルーツの一片をつまんで口に入れると、彼女は続けた。

「ま、運が悪いと言えば悪いんだけどさ、運命はちゃんと受け入れなきゃね。でも離陸のときからあんな危なっかしい操縦じゃあ、いつか飛行機壊してお払い箱になるわこりゃ。ま、パイロットはただでさえ数が足りないんだから。クビが延びたと思って次の機会まで頑張ることね」

「…………!」

 彼女の嘲弄するような口調から、カズマは全てを悟る――あの歪んだ笑み、動かない練習機――そういうことだったのか!

「あんたのせいでおれは……中尉は危うく死に掛けたんだぞ!」

「あら、何の事?」

 マリノの表情が変わった。口元にはまだ薄ら笑いを浮かべてはいたが、笑いの消えた、突き刺すような眼差しだった。

「これだけは言っとくけど……てめえ、生意気なんだよ」

「くそっ……!」

 カズマはマリノを睨み付けたかった。だが、そうしようとしてやめた。こんな奴と張り合うのが馬鹿馬鹿しくなった。自分は少なくとも彼女よりずっと「上等な」人間と戦場で闘ってきた自信がある。カズマは彼女から目を逸らすようにした。

「それに機体は誰かさんが地面にぶつけて燃やしちゃったしねぇ……」

 苦言は聞き飽きたとばかりに、マリノは病室のドアへ眼を転じる。その視線の先にいた人影を認めて、マリノの表情が強張った。

「誰がぶつけたって?」

 隣室から出てきたばかりのバートランドが、涼しげな眼でこちらを覗いていた。

「いや……少佐、その……あの……」

 更なる来客に、ゆっくりと顔を上げたカズマと少佐の眼が合った。マリノには眼もくれず、少佐はニコリとしてベッドへ歩み寄った。

「ツルギという訓練生は君だな?」

 カズマは無言で頷いた。彼の挙作に、カズマは同じ飛行機乗りとしてベテランの余裕を感じた。悪くない人だと、漠然と思うカズマがいる。



 目を細めてカズマをじっと、観察するようにバートランドは見つめた。二人は知らなかったが、新入りのパイロットに初めて接するときに彼がすることがこれだった。一定の域に達したパイロットになればじっと見るだけで新入りがどんな個性の持ち主かわかる。というのが、彼が自身の先達から受け継いだ持論だった。しばらくカズマを見つめると、バートランドはおもむろに口を開いた。

「ボウズ、CAウイングの感想はどうだった?」

「え……?」

「だから、実戦機を操縦した感想はどうだったかと言っている」

「難しい飛行機だと思います」

「難しい? どういう風に?」

 背後に下がったマリノが苦笑した。カズマに対する揶揄の念は隠しきれない。

「飛ばすのは簡単ですけど、どう飛ばせばよく飛ぶ(・・・・)のかわからない……という風にです」

「なるほど……」

 バートランドはじっとカズマを見つめた。その口元には笑みが浮かんでいた。それには一片の悪意も含まれていない。

「……ボウズ、スワノット中尉を助けてくれたんだってな」

「あの……ところで中尉の様子は?」

「スワノットのやつなら無事だ。あと一週間ぐらいで操縦桿を握れるようになるだろうな。そこでだボウズ」

 バートランドが顔を近づけた。

「お前さんはよくやってくれた。俺は中尉に代わってお前さんに礼をしようと思う。おれが見たところでもお前さんには多少は飛行の心得がある様だ。それで提案だが、今度は一人乗りの戦闘機に乗ってみないか?」

「少佐!」

 マリノが声を荒げた。

「こいつ……いや、ツルギ訓練生は再教育が決定したんですよ!」

「それは取り消しだ。何しろ昨日だけで追撃に出た他の基地の三機が一遍に墜とされちまったからなあ。パイロットも二人殺られて救助された一人も未だに意識不明だ。これ以上警戒網に穴は開けられんし、それに予備機の空輸にまわす操縦士が足りないんだよ。坊やにそれをやってもらう。実戦機とは言っても離着陸、あとは真っ直ぐ飛ばすぐらいはできるだろう。なあ、坊や?」


 カズマは顔を上げた。自ずと明るさが生まれるのは抑えられなかった。

「はい……!」

「よし、決まりだ。少尉、この坊やにタマゴの操縦教本(マニュアル)を用意してやれ。明後日には飛べるようしておくから。きちんと教本読んで予習しとけよ。坊や」

「少佐! そんな急に言われても!」

 マリノは明らかに困惑していた。それは無理難題を押し付けられたときというよりも、自らの目論見があっけなく崩れたときに見せる種類の困惑であった。当然バートランドがそんなことを斟酌するわけなど無い。

「ああ? 俺忙しいんだよ。また警戒任務で(うえ)に上がらなきゃいけないんだから。その辺融通してくれよ。空兵なんだろ姉ちゃん。空兵隊のモットーって確かこうだったろ? 不可能なら可能にしろって」

「少佐、有難う御座います」

「いいってことよ、明後日を楽しみにしてるぜ。ボーズ」



 バートランドが去った。それを待ち兼ねていた様にマリノは豹変する。両手をカズマの手に掛け、慌てた様に声を荒げたのだ。

「アンタ、今の辞退しなさいよ!」

「何でおれがあんたの言うこと聞かなきゃいけないんだ?」

 首を絞められたところで、カズマの表情は変わらない。それがさらにマリノに焦燥を与える。

「アンタ上官の言うこと聞けないの? ジーファイターってのはねえ、あんたみたいなクソガキがどうこう操っていい飛行機じゃないんだからね! あたしはアンタのことを心配して……!」

「へえ、おれのこと心配してくれるんだ?」

「う゛……!」

 痛いところを突かれてマリノは押し黙る。その代わりにカズマの襟首を掴み、歯を剥き出しにしてカズマに顔を寄せた。

「……いつか絶対殺してやるから、首を洗って待ってろよチビ!」

「絶対無理だね。一度失敗したくせに……おまえごときにおれが殺せるものか」


 憤怒と平然――異なる表情が同じ病床で対峙している。




 何だあの小僧は――基地内の軍病院を出て、乗機を駐機させてある滑走路まで軍用地上車を運転しながら。バートランドは新鮮な驚きを感じている。


 始め、直に会う前に話を聞いた限りではようやく練習機の操縦桿を握れる程度の子供だと思っていた。そう、単なるひよっこのつもりで話を聞いてやろうという、憐憫にも似た感情を以って会うという程度の存在でしかない……はずであった。


 だが、それは間違いだった。


 確かに彼は若かった。しかしベテランパイロットとしてのバートランドの勘はまだ少年っぽい面影を残す彼の概観にふさわしからぬ何かを見出していた。具体的に言えば、空に戦う途を知らない常人なら明らかに見落とすものを、バートランドは彼に見ていた。そしてその「風格」が、一朝一夕には作られえないことをバートランドは誰よりもわきまえているはずだった。


 バートランドは少し混乱した。年端のいかない若造が持つべき風格ではない。それなのにあの少年はそれを持っていた。そんな男にバートランドは初めて出遭った……物静かな外見に隠された闘志……それとも覇気?


 いやいや、あの眼……あれは、本物の空戦(バトル)を知っている者の眼だ。


 そう思い当たったとき、バートランドのハンドルを握る手が震えた。パイロットとして駆け出しの頃、「エルグリム戦争」を経験した歴戦の戦闘機乗りがあんな眼差しをしていた。まだ高出力エンジンはおろか無線通信機も無く、凧に毛が生えた程度の羽布張りの複葉機を駆って向こう見ずの度胸と職人気質で敵機とぶつかり合っていた「古き良き時代」の話を若い頃のバートランドは彼らからよく聞かされていたものだ。昔はそういう「計器ではなく勘で飛行機を飛ばす」タイプのパイロットが結構幅を利かせていて、バートランドもまた、彼なりに彼らの感覚を受け継いでいる。


 ……そう、昔の話だ。そこまで考えたところで、バートランドはカズマについて考えるのをやめた。経験から来る彼なりの自負が、全てを偶発事と見做しつつある。

「……ま、どうであれ操縦が出来ればいいさ」

 車を止めると、バートランドは愛機の待つ飛行場へ歩みを進める。積極的に仕事をすべき年齢(とし)でもあるまいに……というぼやきは、飛行場隅の駐機場、そこに並んで離陸を待つ複葉戦闘機の前ではさすがに出せなかった。


 帰還(かえり)は、久しぶりに夜になりそうだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ