時計の国にようこそ!
ちく、たく、ちく、たく。
わたしは、時計を眺めるのが好きだった。
ちく、たく、ちく、たく。
くるくるくるくる規則正しく、長い針と短い針が追いかけっこ。追いついたり、離れたり。
ちく、たく、ちく、たく。
暇さえあれば一日中、家中の時計を眺めていた。
ちく、たく、ちく、たく。
そんなわたしを見て、お父さんはわたしの十歳の誕生日に小さな腕時計を買ってくれた。
わたしは、それはもう嬉しくて嬉しくて、絶対に傷をつけないように大事に大事に扱って、ずうっとその腕時計を眺めてにこにこしていた。
そんなある日の夜。
いつものようにわたしは腕時計を手に持って自分の部屋のベッドに座っていた。天蓋からレースのカーテンが垂れ下がっている、お姫様のみたいなベッドで、私のお気に入りだ。
ご機嫌に腕時計を眺めていたら、視界の端になんだか黒いものが映った。なんだろうとじっと良く見てみると、それは大きな蜘蛛で、天井からぶら下がっていた。
「きゃっ!?」
わたしはびっくりしてしまって、思わず腕時計を落としてしまった。がしゃんと大きな音をたてて、腕時計は床の上に叩きつけられた。気が動転してしまったわたしは、急いで腕時計に手を伸ばして、足を滑らせて、思いっきり腕時計に頭突きしてしまった。
ものすごい痛みに、額を抑えてころげまわるわたし。
ひとしきり転げまわって、ふうふう言いながら体勢を直す。涙目なのは仕方ない。
「と、時計は……」
床に落ちている腕時計を恐る恐る拾い上げて、無事かどうか確認する。ぱっと見たところ、大きな傷はないようだ。そして、時計に耳を当てたところで、わたしは血の気が引く思いがした。
音が、しない。わたしの大好きな、針の動く音がしないのだ。
壊れた。壊してしまった。わたしの心は喪失感でいっぱいになった。
「うわーーーん、時計がぁーーーーーーー!!!」
あふれ出る涙を抑えることはできなかった。わたしは大泣きした。腕時計を胸にかき抱いて、大声を上げて泣いた。
あんまりに大きな声で泣くものだから、おかあさんが心配して部屋に入ってきた。
「どうしたの夏帆?」
「うう、おかあさん……わたしのとけいが……」
「時計がどうしたの? ちょっと見せてごらんなさい」
わたしから腕時計を受け取ったおかあさんは、じっくりと眺めた後ポツリと言った。
「動いてないわね」
「うわぁーーーーやっぱりーーーー!!! とけいーーーーー!」
「ほら、そんなに泣かないの。大丈夫、きっと直るわよ。明日、時計屋さんに行きましょう?」
やさしくあやすように、おかあさんはわたしの頭を撫でる。それから、しゃっくりあげるわたしの背中をやさしくさする。
「ひっく……ほんとに直る?」
「ええ、直るわよ。安心しなさい」
おかあさんになだめられて、とりあえず明日、見てもらいに時計屋さんに行くことになった。
その日の夜。動かなくなってしまった腕時計を持ってわたしは寝ていた。なんで落としちゃったんだろうと、後悔する気持ちが頭の中をぐるぐる回っていた。
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、布団の中にくるまっていると、どこからか、低い声でわたしを呼んでいるのが聞こえた。「カホちゃん」と。
最初は気のせいだと思って聞こえないフリをしていたのだけれど、なんべんもなんべんも繰り返し呼ぶものだから、さすがに無視できなくなって、のっそりと身を起こして声のするほうを見た。
もちろん、ここはわたしの部屋なのだから、他に誰かがいるわけはない。普段だったらおびえていただろう。だけど、なんでかわたしを呼ぶ声は、聞いたことがないはずなのに懐かしい気がした。だから、あまり警戒することはなかった。
でも、部屋を見渡してみても、人影は見当たらない。小学校に入学するときに買ってもらった机、わがままを言ってわたしの部屋においてもらった掛け時計、教科書がいっぱいに入っている本棚。
いつもとなんにも変わらない、見慣れたわたしの部屋。やっぱり気のせいなのだろうか。
「カホちゃん、こっちこっち」
突然また声がして、びくっとする。恐る恐るみても、分からない。どこから声が聞こえるの?
「こっちだってば。掛け時計だよ」
声にしたがって、掛け時計を見上げる。え、あれ? あの時計に顔なんてあったっけ―――――
「やっと気付いてくれたね。お察しの通り、さっきから呼んでいるのは僕だよ」
そう言って、掛け時計はにっこりと笑った。
昨日まではなんの変哲もないただの掛け時計だったのに、今はなんだか随分とデフォルメされた顔があって、笑いかけてきているのだ。
眉が太くて、目が大きくて。口はにんまりと弧を描いている。
そして、やっと気付いてもらったのがよほど嬉しいのか、ものすごい早口で喋り始めた。
「いやー、こうして話すのは初めてだね! 僕は掛け時計だよ。名前は特にないから、好きに呼んでくれたらいいよ。むしろ、カホちゃんが名前をつけてくれると嬉しいなぁ。まぁそれはあとからゆっくりと出来る。それでねそれでね、なんで急に話しかけたかというとね」
あんまり掛け時計がぺらぺらと早口で話すものだから、夏帆は目を白黒させて固まってしまっていた。それに気付いた掛け時計は、申し訳なさそうに謝った。
「ごめんよ、やっとカホちゃんと話せたもんだから、つい嬉しくなって喋りすぎちゃったよ。許しておくれ」
「う、うん、いいよ。あの、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「もちろん! 何なりと聞いてくれ!」
「えっと、まず、あなたのお名前は?」
「さっきも言ったけれど、僕の名前は特に決まってないんだ。カホちゃんがつけてくれると嬉しいな!」
そう言って期待するように目をキラキラと(本当にキラキラ輝いている)させて夏帆を見る掛け時計。しかし困ったのは夏帆の方。名前をつけるなんて荷が重い。実のところ、自分のネーミングセンスには自信がない。
「ええっと……カケ、とかどうかしら?」
しどろもどろになりながら、ひねり出す。我ながら、ひねりがないなぁと反省していたが、
「カケ、だね! 素敵な名前をありがとう!」
と、大げさなほど喜んでいるので、彼の名前はカケになった。
「それで、ええと、カケはどうしてしゃべっているの?」
「良くぞ聞いてくれました! 今までカホちゃんがすっごく僕らを大事に扱ってくれていたでしょう? ソレを僕らは嬉しく思っていたんだ。その中でも、今カホちゃんが持っている腕時計は一番のお気に入りでしょう? いっつも大事にされて、彼もいつも感謝していたんだ」
夏帆は自分の手の中にある腕時計に視線を落とす。
そう、一番大事な時計。でも――――――
「今日の夜、彼は動かなくなってしまった。あぁ、そんな悲しそうな顔をしないで。誰も、カホちゃんが悪いなんておもっちゃいないさ。わざとじゃないって分かっているし」
そういわれても、悲しみは消えない。わたしの不注意で、動かなくなってしまった。
「そうやって悲しんでくれるから、僕らはカホちゃんが大好きなんだ。
それでね、あんまりカホちゃんが悲しむもんだから、僕らのほうでどうにかできないかって、相談したんだ。あぁ、僕らっていうのは、この家にいる時計たちのことだよ。そしたらね、カホちゃんを時計の国に呼んだらどうかって話になったんだ」
気になる言葉が出てきて、夏帆は顔を上げた。時計の国って?
「時計の国って言うのはね、言葉通り時計たちの国なんだ。全世界にいる時計たちは、実は今僕が喋っているように意識を持っていて、いまこの、カホちゃんが立っている、あ、座ってるか、地球と、僕らの本体がある時計の国とがあるんだ」
何を言っているか、夏帆にはちんぷんかんぷんだった。内容が頭に入ってこない。
「うーん、難しかったかな? なんていえばいいかな? 要は、僕らの本体は、地球とは違う世界にあるんだ」
「日本とアメリカみたいなもの?」
「いや、うーん、大分違うなぁ。小学生には説明が難しいなぁ」
うんうんと二人してうなる。小学生に異世界の説明は難しい。
「ま、そこはとりあえずおいておいて。重要なのは、その腕時計を、時計の国で直してもらおう、ってことなんだ」
カケの言葉を聞いて、夏帆はぴょんっとはねた。
「ほんと!? 直るの!?」
「もちろん、直るよ。なんたって、時計の国なんだから! 時計のことなら、お手の物さ!」
自慢げに鼻を鳴らすカケ。そこで、夏帆に疑問が一つ。
「そういえば、カケは喋っているけれど、この腕時計は喋らないの?」
「それはね。実は彼も話すことはできるのだけれど、今は、その時計が壊れてしまっているから、現れることが出来ないんだ。意識と体みたいなものかな。もちろん、意識は無事なんだけど、こっちにくることは出来ないんだ」
「じゃあ、お話することはできないの?」
「そこでだね、時計の国に行って、その腕時計を直してもらうんだ。そうしたら、また時計は動くし、彼もこっちにこられるよ」
「いいこと尽くめね!」
カケの言葉を聞いて安心した夏帆。
「それなら、早く行きましょう! 早く直してあげなくっちゃ!」
「うん、カホちゃんならそういってくれると思っていたよ。ちょっと待ってね、今用意するから。」
一旦カケは目を閉じると、口を閉じたり開いたりしながら、うんうんうなる。心なしかもぞもぞと動いているような気さえする。
しばらく待って、準備が出来たのか、カケが目を開いた。
「それじゃ、今から夏帆を時計の国に送るよ。準備はいい?」
「大丈夫よ!」
夏帆は、パジャマから普段着に着替える。動きやすいように、Tシャツにズボンだ。お気に入りのコートを羽織って、準備万端。
「ようし、いくよっ。さん、に、いち、それっ!」
カケの掛け声にあわせて、夏帆の足元に穴が開いた。
突然地面がなくなった夏帆の体は、穴に引っ張られるように落ちていく。
「聞いてないよぉーーー!」
「大丈夫!滑り台になっているから、そのまま逆らわず落ちていって!」
カケの言葉を遠くに聞きながら、夏帆はぐんぐんスピードを上げて落ちていった。
*********
ぐんぐん、ぐるぐる、ぐんぐん、ぐるぐる。
夏帆の体は、滑り台に沿ってものすごいスピードで運ばれていく。
く
「いやぁぁーーーーーー」
必死にスピードを落とそうとして踏ん張ろうとするも、滑り台はつるつるなので効果がない。
ループ、一回転、ループ、一回転、おまけに二回転。
どれだけ続くのかってほど滑っていく、
ふと前を見ると、終わりが見える。見えるのだが、随分と地面が遠くはないだろうか。このまま滑っていったら、飛んでいってしまう。
「いやーーーーーー!」
再度、悲鳴。
だが、夏帆の頑張りをよそに、無慈悲に出口は迫ってくる。
そして、すぽんっ、と夏帆の体は空を舞った。急激にかかるG。風にあおられて、コートと髪がばさばさと踊っている。
「キャーーーー!!」
ものすごい勢いで眼下に地面が迫ってくる。ばたばたと手足を動かして減速しようとしても、雀の涙ほどの効果もない。
ところが、もう少しで地面というところで、体が減速し始めた。そのままゆっくりと地面から一メートルくらいのところまで落ちていき、ちょっとの間浮いたあと、急に落とされた。
「ふぎゅっ」と、潰された蛙みたいな声を出してお尻から地面に落ちた夏帆。いててとお尻を押さえながら立ち上がって?回りを見渡してみた。
なにやら、だだっ広い草原のど真ん中に落ちたらしい。遠くにお城らしき影は見えるが、あとは他になにもない。
どうしよう、と途方に暮れていると、ぽんっと音がして、目の前に円いものが落ちてきた。
咄嗟に手で受け止めると、金属でできたのっぺりした板で、真ん中あたりに蓋があった。
「そちらは背中側ですぞ。私の顔は逆です」
突然円いものがしゃべりだして、夏帆は悲鳴をあげて落としそうになったが、わたわたと手のなかで跳ねさせつつ落とすことは避けた。
「驚かせてしまい申し訳ありません。私、カケ様から命じられて、このたびカホ様のナビゲーター役として参りました。お好きにお呼びください」
「じゃあ、ナビ、とか」
ナビゲーターだから、ナビ。とても安直。
「慎んで拝命いたします。以後、私のことはナビとお呼びください」
ナビと名付けられた彼は、夏帆の手からピョンと飛び降りると、恭しく一礼した。円い掛け時計が九の字に折れ曲がっているのは、なかなかにシュールな絵面だ。
「それで、ナビ? このあとわたしはどこに向かえばいいの?」
「カホさまには、このあと、私たちの城へと来ていただきます。こちらから見える、あの白い建物です」
そういってナビは、遠くに見える城に向かって指差すように、時計の三の時を向けた。彼のみためはあくまでも掛け時計なので、手はないのです。
「あそこに、私たち時計を直す、職人方がいらっしゃいます」
「時計の国なのに、職人がいるの?」
「はい。あくまで私たちは時計ですので、時計を修理するのは専門外なのです。人だって、手術するのは医者だけでしょう?」
なんだか違う気がしないでもないが、そういうものなのだろう。頷く夏帆を見て、ナビは話を進める。
「時計たちは国の至るところに住んでおりますが、職人が住んでいるのはあの城の回りだけなのです。ご足労おかけして申し訳ありません」
「ううん、この子を直してもらうためなんだもの、へっちゃらよ!」
「そう言っていただけると何よりでございます。それでは参りましょう」
ぴょこぴょこ跳び跳ねて進むナビを、後ろからゆっくりと追いかける。あたりをゆっくりと見渡しながら、これからに思いを馳せる。絶対に直してもらう、と決意を固める夏帆なのだった。
てくてくてくてく。ぴょこぴょこぴょこぴょこ。てくてくてくてく。ぴょこぴょこぴょこぴょこ。
かれこれ30分は歩き続けただろうか。回りの景色はさして変わらず草原が続き、草が風になびいている。
ぴょこぴょこと跳ぶナビはとても必死なので、夏帆は話しかけるのを遠慮していた。だから、なにもしゃべらないままずっと歩き続けている。
そうなってくると、どうにも頭のてっぺんの方がむずむずしてくる。もにょもにょと。
一言で言うと、飽きた。
夏帆はまだ十歳。おしゃべりもせずにえんえんと歩き続けるのは、彼女にとって少しばかり苦痛だった。どうしようかな、と思案するけれど、周りには草しかない。結局することはなくて、我慢して歩き続けるしかない。
てくてく。てくてく。
「まだ着かないの?」
「ほっ! あとっ! もう少しっ! でっ! ございますっ!」
「……むぅ」
それからまた30分ほど歩いて、ようやく終わりが見えてきた。丘を上って下ると、そこでぷっつりと草原が途切れていた。それはもう、ぷっつりと。
そして、その切れ目から、舗装された一本の道が続いていて、グネグネとまがりくねりながら城まで向かっているのが一望できた。
「うへぇ」と、思わず声が漏れてしまうのも仕方ない。
「あそこにいらっしゃいますのが、目覚まし時計様でございますぞ」
ナビの声にしたがって、切れ目のところを良く見てみると、確かに丸い影が見える。よくよく近づいてみると、夏帆の家にもある、よくある形の目覚まし時計だ。上のところに金属の丸いのがついている。
「よくいらっしゃいましたな、カホ様」と、良く響く高い声で話しかけてくる。さすが目覚まし時計。
「うかがいましたぞ。腕時計を直すために城へと向かっていらっしゃるだとか。さすがカホ様、お若いのに立派な心がけにございますぞ」
あんまり手放しでほめられるものだから、夏帆のほうが居心地が悪い。
「いいえ、壊してしまったのはわたしのほうですもの。直してあげたいの」
「すばらしいお心。我輩は感動いたしましたぞ」
ぽろぽろと涙をこぼす。どうにも涙もろい性格のようだ。
「おっと失敬」
突然彼は姿勢を正すと、大きく息を吸い込んだ。そして、
「じりりりりりりりりりりりりりりりりり!!!」
と大きな声で叫びながら、震えだした。
すぐ近くで聞いていた夏帆はびっくりして、涙目になりながら耳を押さえてうずくまる。
何回も何回も、息を吸いなおして叫ぶ目覚まし時計。まさしく、耳を劈く騒音といったようで、耳をふさいでいても聞こえてくる。耳が痛い。
ひとしきり叫んだところで、ぴたっと彼は叫ぶのをやめた。持ち主であるだれかが、ようやく目ざま足を止めたのだろう。
「失敬しました。なにぶん、我輩はこれが仕事でございまして、ご容赦いただければ」
「うん、びっくりしたけど、仕事だから仕方ないものね。それに、もう止まったのでしょう?」
「いえ、いまは時間切れで止まっただけでございます。持ち主様がじきじきに止めるまで、何度もなり続ける仕様となっております。こう見えて我輩、最新型なのでございます」
自慢するように胸を張る目覚まし時計には悪いが、またさっきの音を聞かされてはたまったものではない。
夏帆たちは目覚まし時計に別れを告げて、城へと向かって歩き出した。
てくてくと、舗装された道を歩いていく夏帆とナビ。草むらと比べれば若干歩きやすいが、それよりも夏帆にとってつらいことがあった。奇しくも、先ほどと同じだ。
道のそばには、時計をモチーフにしているのか、変わった形をした建物やら、建造物が色々とある。もちろんそれらも夏帆の興味を引くものであるのだが、彼女は何より、話し相手に飢えていた。
ナビは相変わらずぴょこぴょこ歩いているので話しかけられないし、他に通行人が通るわけでもない。
腕時計を直してもらうという大事な使命があるわけだが、喋り相手がいないのもなかなか苦痛だ。存外、彼女はおしゃべりな性格のようらしい。
えっちらおっちらと歩き続けて、ようやくお城へとたどり着いた。遠くからも見えたので、さぞ大きな城だと思ったのだが、近づいてみると案外層でもない。存外、道のりが短かったのか。
城の門のところには、青い針と赤い針の二人が、兵士みたいなヘルメットをかぶって立っていた。
「いらっしゃいませ、カホ様っ!」
「いらっしゃいませ、カホさまっ!」
「ご用件は伺っております! さぞお疲れでしょう、ひとまず城内でおくつろぎください! 係りのものに案内させますので!」
「させますので!」
兄らしき青い針のほうが、気合に満ち溢れた声でつげ、妹らしき赤い針が少し舌足らずな声でかわいらしく復唱する。
「いいえ、大丈夫よ。それよりも、早く腕時計を直してあげて! わたし、そのために来たんだから!」
「この城にすむ、最も腕のよい職人が折られますので、ご安心ください! それに、我らが王も、カホ様にお会いするのを楽しみにお待ちしております!」
「おまちしております!」
二人の剣幕に押し切られるように、おとなしく案内されるカホ。そして、なぜかそのまま大きな扉の前に連れてこられた。わー、まるで王様のいる部屋みたい……。
扉を開くと、大きな広間になっていて、奥の一番高いところに、大きな置時計が座っていた。
「よくぞきたな、カホよ。私がこの国の王だ」
王の間でした。王様でした。
心の準備が出来ていなかったカホはびっくりしてしまって、周りに見習ってひざをつき、しどろもどろになりながら挨拶する。
「あ、えっと、夏帆です! こんにちは!」
「うむ。こんにちは」
大仰にうなずいた王様は、悪戯っぽくにやりと笑った。
「びっくりしただろう? 夏帆をびっくりさせようと、門番の二人には内緒で直接来てもらったんだ。早く腕時計を直したいだろうからね」
「はい、そうなんです! 直してくれますか?」
「もちろんだ。そのためにわざわざ来てもらったのだからね。今、我が城お抱えの時計職人のジョンに来てもらっているから、少し待っていてくれ」
早く直してくれと、ジョンさんとやらが来るのをそわそわと待つ夏帆。そんな夏帆を微笑ましく王は見守っている。
「カホや。その腕時計は、そんなに大事かい?」
「はい! 私が一番大好きな時計です!」
「そうか。今度からは、壊してしまわないよう気をつけるんだよ」
「はい! もちろんです!」
しばらくして、扉が開き、トンカチが入ってきた。いや、トンカチみたいな頭をした男の人だ。彼は、前置きもなく言い放った。
「直して欲しい時計はどれだい?」
「あ、あの、これなんですけど……」
恐る恐るといった様子で彼に腕時計を渡す夏帆。
「紹介しよう。彼がこの国一番の腕を持った職人のジョンだ」
王様が紹介してくれたけれど、当の本人は知らん風で、腕時計を点検している。
「これならすぐ直るだろう。まったく、時計を壊したって聞いたときにはどんな奴かと思ったが、大事に扱っているようだな。この時計も幸せもんだろう」
「はい! わたしの不注意でこわしてしまいましたけど、次からはもっと大事に扱います!」
「待ってな。超特急で片付ける」
そういって、ジョンは腕時計を持って王の間を出る。そして、一分ほどして戻ってきた。
あまりの速さに夏帆がびっくりしていると、夏帆の胸に何かが飛び込んできた。大事に持ってきた、腕時計だ。
「やっと話せるね、カホ!」
「ええ、初めまして、になるのかしら。あなたのこと、なんて呼べばいい?」
「カホの好きに呼んで! カホが名前をつけてくれるのが、一番嬉しいことなんだ!」
カホは、少し考えたそぶりを見せたけれど、すぐに顔を上げた。実のところ、ここに来るまでの間で、決めて会ったのだ。
「じゃあ、あなたの名前はウォッチよ! 私の一番大事な時計!」
「ありがとう! これから僕の名前は、ウォッチだ!」
きゅっと胸にウォッチを抱くカホ。もう離したりしないと誓うように。
そして、王様やジョンのほうに向かってお辞儀をする。
「ウオッチを直してくれて、ありがとうございました!」
「どういたしまして。またいつか遊びにおいで」
「もう壊すなよ」
返事の代わりに、カホはにっこりと笑った。
********
ぱちっと、目を開く。見慣れた、レースの天蓋。布団を跳ね飛ばすように起きる。
いつの間にか、自分の部屋に戻ってきたようだ。まるで、夢の中の出来事だったよう。
でも、と。夏帆は急いで机の上においてあった腕時計を見る。
ちく、たく、ちく、たく。
また、夏帆の大好きな音を奏でている。良かった、夢じゃなかった。
腕時計を見ても、掛け時計をみても、そこに顔なんてなくて、ましてや喋ることもない。それでも、昨日の出来事は、きっと夢じゃないと、夏帆は思う。
これからもよろしくね、ウォッチ、と手の中にある腕時計に語りかける。
ぷるり、と腕時計が返事をするように動いた。そんな気がした。