寂れた社
桔平から急かされ、梓は20分弱程度で身支度を整えた。下はジャージ、上はTシャツにパーカーを羽織っただけという、なかなか簡素な服装ではあったが、これから山の中へ行くのなら最も良い服装に近いのではないかと梓は確信していた。
桔平は虫かごを見つけて機嫌を戻して、今は靴を履いているところだ。
梓も履き慣れたスニーカーを、するりと履き、自転車を取りに行く。
目的地は鈴野家より、向かって北側に位置する山。歩いても10分もかからない程度の距離だが、行きは楽に歩けても、山の中を歩き回った後の帰りは辛いだろう。梓はそう考えた。
「桔平、後ろ乗って。持ってきた虫かごと網に気をつけて。」
桔平が無事に乗ったのを確認し、梓はペダルを漕ぎ始めた。
梓や桔平の住む羽根山村は、昔はなかなか栄えていた。
旅人を迎える宿屋もたくさんあったそうだ。
しかし、隣町の繁栄とは反対に羽根山村は衰退の一途を現在進行形でたどっている。
周りを山で囲まれたこの地は、発展に適してはいない。そして、若者はこの村から出て行ってしまう。今では3人に1人は老人である程にもなっていた。
そんな村だが、当然の事ながら自然はとても美しい。豊かな緑と水のおかげで、動物もたくさんこの地で生きている。
小さな小川の上にある小さな橋を通って竹やぶの前で自転車を止める。
カブト虫がよくいる木々の場所へ行くには、
この竹やぶを通っていかなくてはならない。
「よし、それじゃあ行くよ」
自転車の鍵をかける梓。最も、盗まれる事なんてめったにありはしないのだが。
鍵をジャージのポケットに入れる。鍵に付けている大きめの赤い鈴がりんとなった。
そうしている間に、桔平は竹やぶに向かって駆け出していた。
全く、小学生は元気がいいんだから…
そう思いながら梓も桔平の後を追った。
どれくらい山の中を進んだだろう。桔平は梓よりも急いで山を登っている。
そんなにカブト虫が捕まえたいのか…
少しだけ山登りが億劫になってきた。梓はさっきからスマートフォンでカブト虫の育て方を調べながら山を登っていた。かろうじて電波は届いている。桔平に調べろと言われていたのをすっかり忘れていた。家に帰ってから
調べていたら怒られる、そう思った。
しかし、今は山の中を歩いている最中だ。
石につまずきそうになったのをきっかけに、
梓はスマートフォンをジャージのポケットにもどす。
そこで、違和感を感じた。
あの、大きな赤い鈴が、鍵がないのだ。
しまった、落とした
スマートフォンを出したのは5分程前のこと。多分、その折りに落ちてしまったのだ。
「桔平!鍵落としちゃったから先行ってて!」そう、前を歩いていた桔平に届くように言った。桔平は何か言いたそうな顔をしたが、「分かった!」とだけ返事をして歩いて行ってしまった。
登ってきた道をひたすら降りる。
「確かこの辺のはず………あ!あった!」
鍵を拾い上げると、赤い鈴も揺れる。
おかしいなぁ、そんなにカブト虫の育て方を調べるのに、必死だったのかなぁ
今度は鍵を、スマートフォンが入っているポケットとは反対のそれにいれた。
しっかし、結構降りちゃったなー…
梓は振り返って、歩いてきた方を見た。
もう桔平の姿は見えない。
ゆっくり戻るとするか…
そう思って踵を返そうとした瞬間、小さな社に気がついた。
社…?
梓はそれが気になった。幼い時から来ていた山に、そんなものがあるなんて気づかなかった。
自然に社に足は向かう。
正面から見ると、えらく寂れている。屋根もボロボロだ。
ふと、社の扉に注目した。そこには
『アルバイト募集中
給料は相談で決めるとしようか』
こんな貼り紙が。
えっ、何でこんなに上から目線!
そもそもどこで働くっていうの!?こんなところに貼っていいものなの!?
梓は驚きを隠せない。今までにこんなバイトの募集の仕方は見た事がない。
どうするかしばらく考えた結果、梓はその貼り紙を引き剥がした。
地元の悪ガキがふざけて貼った、そう思うしかなかった。
引き剥がした紙は、今度はパーカーの中に入れた。ここにポイ捨てしては、自分が悪いことになるだろうと悟ったのだ。
可哀想な神様、そう思いながら手を合わせ、
再び山を登って行く。
この先起こることなど、まだ誰も気づいていなかった。