獄界(7)
しばらくするとエア・スクーターは水平飛行になった。飛行機から見たことのある風景が直に俺の眼下に広がっていた。そんな上空を飛行しているのに息苦しくないし、去りゆく風景からして、エア・スクーターは結構な速度を出しているみたいだが、風圧はほとんど感じなかった。
「もう少しで地獄に着くけど、その間に、さっき、あんたが訊いてきた質問に答えてあげるわ」
「『浄化されていない霊魂』ってことか?」
「そうよ。……確か、肉体を失った霊魂は徐々に記憶を遡らせて若返っていくってことは話したわよね?」
「ああ」
「生体機能を停止した肉体から離脱したばかりの霊魂は生前の記憶を持っているけど、時間の経過とともにその人生を逆回転させるみたいに次第にその記憶を失っていくの。そして最終的に全ての記憶を失った霊魂を『浄化された霊魂』と言うのよ。すべての霊魂は地獄に送られて、そこで浄化されるまで過ごすのよ」
「地獄では『気持ちいいこと』をしてくれるって言ってたけど……?」
地獄に行くことはなくなったけど、やっぱり気になるじゃないか。
「地獄では霊魂に安楽と快感を与えて効率的に浄化をするようにしているのよ。一般的に霊魂が浄化されるまで、その霊魂が肉体を有して生きた年数を要するの」
「つまり長生きした人の霊魂ほど浄化されるまで長く掛かるということなのか?」
「そういうこと。地獄に収容された霊魂は、生前に生きた年数の約半分くらいの年数で浄化ができるようになっているわ」
「浄化された霊魂はどうなるんだ?」
「浄化されて記憶を失った霊魂は地獄から解放されて、獄界や地界で新生児に宿ることになるの」
「生まれ変わるということか?」
「そういうことね。前の記憶を持ったままの霊魂が新生児に宿ったら変でしょう」
――それもそうだな。生まれたばかりの赤ん坊がエロゲやアニメの話を延々としだしたら、ちょっと引くよな。
「そのようなことがないように、私達ソウルハンターが霊魂を回収して地獄に送って、前世の記憶が無くなるまで隔離をしておくということなの。あっ、そろそろ着くわよ。続きは後で」
十分くらいのフライトで遠くに富士山が見えてきた。獄界というこの世界は地界とどこまでも似ている世界だ。しかし、その富士山の麓には見渡す限りの森が広がっていた。その森のど真ん中に一際高い塔が立っていた。まるで富士山と高さを競うように立つ塔は、繋ぎ目の無い黒一色の壁で、上部に行くに従って若干細くなっている円柱だった。森の中にはその塔以外にはそれほど高い建物はなく、樹海のような森の中にいくつかの建物が点在していた。
また、よく見ると森は高い屏で囲まれているようだ。見ようによってはめちゃくちゃ広い刑務所って感じだ。
霊奈は一番手前に見えていた建物に降下して行った。左右に二つの重厚な塔を持ち、その間には大きな鉄扉が高くそびえている。……どうやらこの施設の正門のようだ。門の上部には「ようこそ地獄へ」という安っぽい看板が掛けられていた。まるで流行っていない遊園地の入り口みたいだ。
霊奈が鉄扉の鍵穴のような部分に右手をかざすと、重そうな音を響かせて大きな鉄扉は左右に開いた。
霊奈と俺はスクーターに乗ったまま門を通過し、「見学コース」と矢印を模した看板が指している方向に、地面を走るほどの高度でゆっくりと走って行った。
「この壁に囲まれた森が地獄なのか?」
「そうよ。死んで肉体を失った霊魂は世界中から、つまり獄界と地界の両方から、ここに集められてくるの」
「獄界の霊魂はどうやって集めるんだ?」
「基本的に同じよ。トランスポイントを通過する手間が無いだけ」
「ふ〜ん。それでここにはどれだけの霊魂が収容されているんだ?」
「正確な数字は忘れちゃったけど、二百億はいたはずよ」
「二百億! 確か世界の人口は七十億くらいだったと思うんだが……」
「地界だけででしょ。獄界も同じくらいの人口がいるわ」
「そうすると地界と獄界を併せても百四十億人だぞ。この地獄にいる霊魂が順番に生まれ変わるとしても残りの六十億は余剰人員ってことになるのか?」
「まあ、そう言うことね。でも浄化が済んで地獄から解放されて、新しく宿るべき肉体を探しながら地界と獄界を彷徨っている霊魂も合わせると千億くらいはいるはずよ」
「千億! そ、そんなに余裕があるんなら、わざわざ地獄で浄化期間を短縮する必要は無いんじゃないか?」
「でも霊魂は減ることもないけど増えることはないから、獄界と地界の人口政策的にはちゃんと管理をしておく必要があるのよ」
「すると霊魂の数というのは不変ということか?」
「そうよ」
「どうして?」
「分からないわ。今でも霊魂科学分野での大きな謎の一つなのよ。でも、そんな大事な霊魂だからちゃんと管理をしなければいけないの」
「そうか。……ところで、地獄から出て、漂っている霊魂はいつの段階で肉体に宿るんだ?」
「赤ん坊が母親のお腹から出てきた瞬間に一番乗りの霊魂だけがその肉体に宿ることができるの」
「霊魂が宿ることなく赤ん坊が生まれるってことはないのか?」
「さっきも言ったように競争率が激しいからね。そんなことは起こり得ないわ」
――確かに千億分の一の確率で霊魂は新たな肉体を得ているわけだ。それだけの競争に競り勝って肉体を得た霊魂なんだから、みんなたくましく生きられるはずだよな。
エア・スクーターは森の中の一本道をゆっくり進んでいた。時々、野鳥の鳴き声も聞こえてきて、確かに心洗われるような気がする場所ではある。
そう言えば、……閻魔大王じゃない「エンマ」の所に行くって、霊奈は言っていたよな。人の死亡予定が書き込まれたペーパーを出すって奴だ。この地獄の支配者なんだろうか?
「なあ、霊奈。エンマってどこにいるんだ?」
「あれよ」
霊奈が指さした先には、地上からでもはっきりと見える黒く高い塔があった。
「あの中にいるのか?」
「あの中っていうより、あれがエンマよ」
「あれがエンマ?」
「そうよ。すべての霊魂、すなわち、現在、肉体を有している霊魂も、肉体を有していない霊魂も、獄界と地界のすべての霊魂の管理をしている巨大コンピュータよ」
「コンピュータ! エンマって人じゃなかったのか?」
「誰が人だなんて言った? あの黒い塔全部がエンマの本体なのよ」
どんだけ巨大なコンピュータなんだ。でも千億の霊魂を管理しているんだから、あれだけのがたいがあっても不思議ではないな。
「でも、人の死亡を予測するって、どうやってするんだ?」
「霊魂は霊エネルギーによって活動しているんだけど、エンマは霊エネルギーによって発せられる特殊なパルスをキャッチして人の死亡を予想しているらしいわよ。私もエンマのエンジニアじゃないから詳しい事は分からないけどね」
「その死亡予想は確実なのか?」
「ええ、ほぼ百パーセントの確率よ。死亡する一日前にエンマから死亡予定レポートが出力されるから、その予想に従って、私達ソウルハンターが霊魂の回収に行っているわけ」
まさか人の死亡がコンピュータによって予想できていたなんて思いも寄らなかった。もっとも予想されるのが死亡の一日前ということだから、生命保険会社は獄界でも商売できているはずだよな。




