獄界(5)
「待て!」
低く小さな声だったが、霊奈にもはっきりと聞こえたようだ。霊奈と同時に後ろを振り向くと、黒いローブで全身を覆った男が、今、俺達が出てきたプレハブ建物の扉のすぐ外に立っていた。頭に深く被ったフードの中は暗く、顔を見る事はできなかった。
「何者?」
霊奈は俺の横に進み出て、左手を腰に当てながら挑戦的な目で黒ローブの男を睨んだ。
「解放戦線の刺客? それとも単なる物盗り? まあ、どっちでも良いわ」
「お前に用は無い。私が用があるのはその霊魂の方だ」
霊奈は意外そうな顔をして黒ローブの男を見つめた。
「……この霊魂を? ……何が目的? この霊魂がそんなに珍しいの? どこにでもいる霊魂よ」
「私はその霊魂が欲しいのだ。お前には迷惑は掛けない。その霊魂を置いていけ」
「私はこの霊魂を地獄に送り届ける使命を負っているの。あんたに横取りされることが迷惑なのよ!」
「相変わらず強情な奴だ」
「…………あんた、いったい誰なの? 私にはあんたのような無礼な知り合いはいないわよ!」
どうやら、黒ローブの男は俺に用があるらしいが、俺も霊奈同様、黒ローブを着ている男に知り合いはいない。――いったい俺に何の用事があるんだ? 俺にもコスプレをさせたいのか?
「とにかく、お前はこのまま帰るんだ。何も問題は無い」
「お断りよ!」
霊奈はそう言い放つと、一旦、顔の所まで上げた右手を勢いよく体の横に振り下した。すると、どこから取り出したのか、その手にはほのかに青白く輝く細身で諸刃の剣が握られていた。
――死神っていうのは嘘で本当は手品師じゃないのか? それにそんなの取り出して、いったい何をするつもりなんだよ? そんなもの振り回していたら、警察がやって来て銃刀法違反で逮捕されちゃうぞ。
しかし、黒ローブの男も警察を呼ぼうともせず、また慌てている様子もなかった。
「仕方が無い」
黒ローブの男はそう言うと、霊奈と同じように勢いよく右手を体の横に振り下ろした。黒ローブの男の右手には青白く輝く大きな鎌のようなものが握られていた。
黒ローブの男の容姿は確かに死神というイメージだ。死神の持ち物といえば鎌だよな。もっとも草刈りで使う鎌どころではなく、とてつもなく大きい。柄の部分も刃の部分と一体となっている金属製のようで、全体的に微妙なカーブを描いており、刃の部分には装飾なのか実用なのか分からないがトゲのようなものがいくつも飛び出していた。
――何なんだ、こいつら? 俺を取り合って決闘でもするつもりか? 男女を問わずこんなにモテたことはない俺としては、ちょっと複雑な心境だ。どうせモテるんなら生きているうちにモテたかったぜ。
しかし、決闘はすぐには始まらなかった。霊奈は青白い顔をしながら目を見開いて黒ローブの男が持っていた大鎌に見入っていた。
「その武器は? …………その武器をどこで手に入れたの?」
「これ以上、お前に話すことは無い。最後にもう一度言う。その霊魂を置いていけ」
「嫌だと言ったら?」
霊奈がそう言った瞬間、黒ローブの男が消えた。
いや、俺には消えたと見えただけで、実際はものすごいスピードで霊奈に向かって突進していた。俺の視線が黒ローブの男の動きに追いついた時には、黒ローブの男は霊奈に大鎌を打ち込んでいた。
しかし、霊奈は、黒ローブの男の一撃をなんなく自らの剣で跳ね返したと思うと、黒ローブの男の身長の二倍くらいの高さに跳躍して、空中で回転しながら黒ローブの男の背後に着地した。それと同時に霊奈が横に剣を払ったが、黒ローブの男も前回転しながら身をかわし、すぐに霊奈に向き直った。その後、霊奈と黒ローブの男は何合か剣と大鎌を打ち合い、そのたび青い火花が散ったが、容易に勝敗は着かなかった。
霊奈は息を切らしながらも驚いた様子で黒ローブの男を見つめていた。
「解放戦線の屑じゃないみたいね。この霊魂を欲していることも怪しいし……」
「…………」
黒ローブの男は無言で大鎌を構えつつ、霊奈の方から注意を反らすことなく俺の方にじわじわと近づいて来た。
「させない!」
霊奈が俺の前に立ち塞がろうと突進して来たその時、黒ローブの男は大鎌を霊奈に向けて投げつけた。咄嗟のところで飛んできた大鎌を避けた霊奈だったが、それで体勢が崩れてしまった。黒ローブの男はその機を逃さず、ブーメランのように戻ってきた大鎌で霊奈の剣を跳ね飛ばした。霊奈の剣は弾かれ宙を舞い、はるか後ろの地面に突き刺さった。
倒れた霊奈が起き上がろうとした時には、霊奈の首筋には黒ローブの男の大鎌が突き付けられていた。
このままだと霊奈が危ない!
「おい、待て!」
――おいおい。何で俺は黒ローブの男に声なんて掛けているんだ? 相手は大鎌を振り回している危ない奴だぞ。俺は虐められている女の子を助けるような度胸なんて元々持ち合わせていなかったはずじゃないか? どちらかというとヘタレな俺なのに……。
いや、そんなヘタレな俺だからこそ女の子が殺されようとしている場面を目の当たりにして冷静ではいられなかったのかもしれない。
――でも黒ローブの男が俺に向かって来たらどうしよう? 俺も一緒に殺されてしまうかも。…………って待てよ。俺はもう死んでいるんだよな。……そうすると俺はもう死ぬことはない。……はははは。なんて無敵なんだ。もう怖いものなしだ。
「その子を離せ!」
「良い根性だ。しかし今のお前に何ができる?」
そう、何もできないだろう。だって、大鎌を持った男と喧嘩したことなんてないし、そもそも喧嘩は嫌いだ。でも俺は霊奈を助けたかった。
――ついさっき初めて会った奴なのに何故だ? ……ああ、もうどうにでもなれだ。
俺は黒ローブの男に向かって突進した。
しかし黒ローブの男が左手を払うと、まるで風で飛ばされた凧みたいに、俺は五メートルほど吹っ飛んで行き地面に倒れた。
「そこで待っていろ」
黒ローブの男は右手で持った大鎌を霊奈に突き付けたまま、何やら呪文のような言葉を呟いたと思うと左手を天に向かって突き出した。
その瞬間、目の前がものすごい光で覆われた。
そうだ。死ぬ前に見た車のヘッドライトみたいな……。いや、ヘッドライトどころの光じゃねえ。目がつぶれるかと思ったくらいだ。
その後、すぐに轟音が響き渡った。耳で聞こえたというより体全体が轟音に包み込まれた感じだ。
何かが爆発したとしかいえないような光と轟音だったが体は衝撃を感じなかった。
俺は上半身を起こして辺りを見渡してみても、プレハブの建物もそのままで、爆発があったような形跡はなかった。
すぐ側に霊奈が倒れていた。意識が無いようだ。俺は霊奈に駆け寄ると、上半身を抱き起こし大声で名前を呼びながら霊奈を揺さぶった。
「霊奈! 霊奈!」
「う~ん」
霊奈は呻きながら弱々しく目を開けた。
「あっ、あんたは…………!」
俺の顔を見ていた霊奈の視線が少し下がると、霊奈の顔がみるみる真っ赤になった。
再び俺の顔に視線を戻した霊奈の顔は怒りで震えていた。
「この変態! 露出狂!」