獄界(4)
霧はすぐに晴れてきて周りの景色が見えてきた。
ボートが出発して三分も経っていないのに見えてきた景色は俺の知らない町の夜景だった。もっともそれは俺が行ったことがない場所というだけで、電柱もビルもマンションもある普通の町並みの風景が広がっていた。並列世界というから、どんな未来的な風景が広がるのかとちょっとは期待をしていたのだが、在り来たりの景色だった。
空を見上げると地界と同じように満月と満天の星が明るく地上を照らしていた。
「もう時空を越えたのか?」
「そうよ。ここはもう獄界よ」
「それで地獄というのはどこにあるんだ?」
「ここからはちょっと離れている所にあるわ。だからちょっと乗り物に乗って行くから」
音もなく進むボートの先に船着き場のような場所が見えてきた。
川岸に一つ灯っている街灯の明かりで、川岸から渡された板が小さな桟橋のように突き出しているのが見えた。
ボートは吸い寄せられるかのように静かに桟橋に近付いて行った。
接岸すると、まず霊奈がひらりと桟橋に降り立ち、俺も続けてボートを降りた。
「こっちよ」
霊奈は、桟橋を川岸に向かって歩き出した。その先の河原には、よく工事現場にあるような、二階建ての小さなプレハブ造りの建物が建っていた。桟橋を渡りきった所にその建物の入り口があった。プレハブ作りの建物には不釣り合いな、曇りガラスが真ん中から左右に開く自動ドアのようだった。
入り口の横には「霊魂管理庁霊魂捜索部第三百三十三支部」と書かれた看板が掛かっていた。
霊奈が入り口の扉の鍵と思われる部分に右手をかざすと、扉は音もなく左右に開き、同時に部屋の灯りが点いた。
「入って」
霊奈に続いて俺もその建物の中に入ると、俺の後ろで扉は音もなく閉まった。
建物の中は二十畳ほどの広さで、今、入ってきた扉の反対側にもう一つの同じような扉があり、その近くの壁沿いには二階に上がるための内階段がある以外は、窓も机もキャビネットも何も無い一つの大きな四角い部屋だった。その部屋の中央に一つだけ椅子があり、霊奈と同じ格好をした女の子が座っていた。眠っているのか身動き一つしていない。
その女の子の近くまで行って、よく見てみると、霊奈とそっくりの女の子だった。霊奈は双子だったのか?
「これは?」
「これは私よ」
「えっ?」
「さっき私は幽体離脱をしているって言ったでしょう。ここに座っているのは霊魂が抜けた私の肉体よ」
「霊魂が抜けた肉体って……、死体ってこと?」
「違うわよ。霊魂が抜けてもこの私の肉体は生きているわよ。もっともそれは生命維持のための最小限の生物学的活動をしているだけだけどね」
「霊魂がなくても人間は生きていられるということなのか?」
「霊魂と生命は違うのよ。霊魂はその肉体に宿って精神的活動を司るためのものなの。植物人間状態になった時も実は霊魂がその肉体から離脱してしまっている場合もあるのよ」
霊奈はそう言うと、座ったままの霊奈に近付いて行き、座っている自分の上に更に座るような格好をした。すると、今までピントがずれてだぶって見えていた二人の霊奈が、次第にピントが合うように一つになっていった。上に座っていた霊奈が下に座っていた霊奈に吸い込まれていったようだった。
一つになった霊奈が目を開けて立ち上がった。
「お待たせ。さあ、行きましょう」
「ちょっと待ってくれ。霊奈の霊魂は今、肉体に戻ったわけだよな? 霊魂同士じゃなくなったっていうのに、どうして俺と霊奈は話ができるんだ? それにどうして俺を見ることができるんだ?」
「死んだというのに意外と冷静じゃない。じゃあ、私の手を握ってみて」
俺は霊奈の手を握ろうとしたが、俺の手はすり抜けるだけで霊奈の手を握ることはできなかった。
「霊魂が肉体を有している者と話をしたり触れ合ったりすることができないのは獄界も地界も同じよ。でも私があんたを見ることができたり話をすることができるのは、私がソウルハンターだからよ」
「ソウルハンターは、幽体離脱して霊魂にならなくても、霊魂を見たり霊魂と話したりできるということか?」
「そうよ」
「それじゃ、何で今まで幽体離脱していたんだ?」
「トランスポイントは肉体を有したままじゃ通過できないの。だから、地界の霊魂を回収するためには幽体離脱をする必要があるのよ」
霊魂だけが時空を超えることができるってことか。そうすると幽霊の何人かは異世界人かもしれないということだな。
「さあ、行くわよ」
霊奈は入って来た側とは反対側にある扉に向かい、同じように右手を扉の中央にかざすと扉は左右に開いた。
外に出ると、幅十メートルほどの河川敷があり、その先には堤防の上に続く階段状の道があった。
「堤防の上にエア・スクーターを置いているからついて来て」
何だ、エア・スクーターって?
まあ、霊奈について行くしかないんだから黙ってついて行くか。
霊奈の後に続いて堤防の近くまで歩いて行った時、後ろから男の声がした。