獄界(2)
えっ、…………このコスプレ女が死神? 俺が持っている死神のイメージは、黒いローブを羽織った骸骨っていうイメージなんだが、コスプレ女の黒いドレスはどちらかというと魔女っぽいイメージだぞ。
「私は、あんたのような肉体を失った霊魂を探し出して地獄に案内する者よ。そういう意味ではあんたが言う『死神』に該当するわね。でも念のために言っておくと正式職名は『霊魂探索捕獲者』、通称『ソウルハンター』よ」
ソウルハンター? どこかの秘密工作員のコードネームみたいで、ちょっと格好良いかも…………などと感心している場合ではない。ハンターなんだから、俺が地獄行きを拒否したって、檻とかに入れられて否応なく地獄に連れて行かれるんだろうか? ――一応確認しておくか。
「俺が地獄には行かないと言えばどうなるんだ?」
「他に選択肢は無いわよ。私が引っ張って行くだけ」
「それじゃ俺が暴れたらどうする?」
「眠らせることもできるわよ。でも、あんただって眠っている間にこの世界とお別れするのは寂しいんじゃないの? 最後まで、この世界の景色を見ておきたいでしょう」
ハンターなら麻酔銃の一つや二つは持っていそうだ。せっかく地獄に行くのなら、それまでの道程を見てみたい気もする。どうせ二度と見ることは無いんだからな。
「それに、あんたももう分かっていると思うけど、霊魂のあんたはこの世界の誰とも話したり触れ合ったりすることはできないのよ。ただ、自分の知り合いの周りを漂っているだけ。それでも良いの?」
確かに、それはそれですごく辛いことだ。自分の家族や友達が楽しそうに話していてもその仲間に入れないし、パソコンを操作して自分の趣味に没頭することもできない。そんなんじゃこの世界にいる意味が無いよな。
「地獄に行けば、あんたと同じ霊魂仲間が大勢いるから寂しくはないわよ」
「同じ霊魂同士だと、しゃべったり触れ合ったりできるっていうことなのか?」
「そうよ」
「それじゃ、お前と話したり手を握ったりできるということは、お前も霊魂なのか?」
「そう、今の私は霊魂よ。ただ、あんたと違うところは、私の身体はまだ死んでいないということ」
「えっ、どういうことだ?」
「幽体離脱って聞いたことがあるでしょう。私達ソウルハンターは幽体離脱をすることができるの」
「わざわざ幽体離脱をして、俺を迎えに来てくれたってことか?」
「そういうこと。それから地獄はあんたが思っているような虐められる所じゃないから。どっちかというと気持ち良いことをしてもらえるわよ」
「き、気持ち良いこと?」
コスプレしている女の子に「気持ち良いこと」って言われると、あのことしか頭に浮かばないんだが……。めくるめく快楽の波状攻撃……があるのかな?
「さあ、どうするの? 大人しく私についてくる? それとも眠りながら行く方が良い?」
そりゃあ気持ち良い方が良いに決まっている!
それに、……コスプレ女が言ったみたいに、このままこの世界にいても俺は何もできない。つまり独りぼっちってことだ。
確かに俺は引き籠もりとまでは言わないがオタクなインドア少年だった。母親や妹が鬱陶しくて、いなくなれば良いのにと思ったこともあった。でも、ずっと一人はやっぱり寂しい。ドアを開ければ家族や友達といつでも話ができるという安心感があったからこそ、一人の時間を堪能できていたような気がする。
「分かったよ。お前について行くよ」
「賢明ね」
そう言うとコスプレ女は再び俺の手を握って歩き出した。
俺はコスプレ女に手を引かれて、通学路に掛かっている橋のたもとまでやって来た。この橋の所で川は若干狭くなっているが、両岸に結構広い河川敷が広がっていて、コンクリート護岸の階段を降りると河川敷まで出ることができた。
俺が小学生の頃は、この河原でフナ釣りやザリガニ採りをよくしたものだ。しかし、中学校一年生の時に、フナ釣り中に誤ってこの川に落ちて溺れてからは外で遊ぶことが苦手になってしまい、それ以降はパソコンの前にいることが多くなった。俺のオタク趣味は、その時から始まったんだ。
河原に下りると、岸にボートが繋がれていた。公園の池なんかでよく見るグラスファイバー製ではなく、木造のボートだった。
地獄に行くって言ったよなあ。地獄への道すがらにある川といえば……。
「あのさ、ちょっと確認したいんだけど、これって三途の川の渡し?」
「そうよ。いかにも死んだっていう雰囲気が出るでしょ」
「……雰囲気だけなのか?」
「トランスポイントまで、ひょいと飛んで行く方が良かった?」
「何だ、トランスポイントって?」
「この世界と地獄のある世界とを繋ぐ時空トンネルよ」
――時空トンネル? 地獄も時代の波に取り残されないようにSFチックな用語を使うようになったのだろうか?
「時空トンネルって言うことは、地獄はこの世界とは違う時空にあるということなのか?」
「並列世界って聞いたことがあるでしょう? 地獄は同じ地球上にあるもう一つの時空世界にあるのよ。これからトランスポイントを通過して地獄のある世界、私達が『獄界』と呼んでいる世界に行くの」
よく「地獄に堕ちる」と言われるけど、どうやら、地獄に行くには「堕ちる」のではなく、時空を「超える」必要があるようだ。
「並列世界っていくつもあるのか?」
「私達が確認できているのは、獄界と地界の二つだけよ」
「地界?」
「今いる、この世界のことよ」
並列世界にある地獄。死んだら「あの世」に行くと言うことはあながち間違いじゃなかったってことだな。
「さあ、乗って」
コスプレ女は先にボートに飛び乗ると、俺の手を取ってボートに誘った。
そう言えば、女の子と一緒にボートに乗ることもなかったなあ。妄想のデートコースには必ず入っていたけどね。死んでからやっと現実のものになるとは……。
俺がボートの前の方に後ろを向いて座ると、ボートの後部に前を向いて座ったコスプレ女が不思議そうな顔をして俺の顔を見ていた。
「何でこっち向いて座るの?」
「だってボートだろう。俺も公園でボートに乗ったことくらいはある。ボートを漕ぐのは男の役目だ」
もっとも、デートのリハーサルとして、一緒に乗ったのは男友達だったけどね。
「漕ぐ? その必要は無いわよ」
コスプレ女がそう言うと、ボートは音もなく前に進み出した。丁度、人間が漕いでいるくらいの速度だった。エンジンでも付いているのかと思ったが、コスプレ女が何かを操作しているようではなかったし、エンジン音もしなかった。
俺は慌てて前方に向き直った。ボートは川の下流に向けて進んでいたが、前方の景色が何となくぼやけているように見えてきた。
「あそこを抜けるともう獄界よ。この景色を目に焼き付けておきなさい」