プロローグ(2)
さっきの救急車で運ばれて行ったのは、ひょっとしたら……。
この辺りから一番近い救急病院は、……あそこだ。――よし! 行ってみよう。
俺は救急病院に向かって走って行った。でも、足が地面を蹴っている感覚はなく、立ち泳ぎのように浮かんで前に進んでいるって感じだ。
十分ほどで救急病院に着いた。普段、全力疾走をするとすぐに息が切れるが、今日はまったく息が切れなかった。……って、息しているのかな、俺?
俺が救急病院の入り口に辿り着くと、丁度、タクシーが車寄せに停まり、中から親父とお袋、そして妹の美咲が降りてきた。
「よお」
俺はみんなに手を振りながら声を掛けたが、やっぱり誰も俺がいることに気が付かないようだった。
親父達は俺を無視して建物の中に入って行った。俺もみんなに続いて行った。
建物に入るとすぐに受付のような所があり、そこに一人の白衣を着た男がみんなを待っていた。白衣を着た男は、沈痛な表情で親父達にこう告げた。
「最善を尽くしましたが、搬送されてきた時には既に心肺停止状態でした。どうぞ、こちらに」
そう言うと、白衣の男は振り向いて薄暗い廊下を歩きだした。親父達が無言で後に続く。
――これは夢だ。夢なんだ。これからどんな展開になろうとも驚く必要はない。
そう自分に言い聞かせながら、俺はみんなの後を付いて行った。
白衣を着た男は、廊下の奥にあったドアの前で立ち止まった。
その部屋の入り口には……「霊安室」というプレートが掛かっていた。
白衣の男がスライド式のドアを引いて中にみんなを案内した。
窓も無い暗い部屋の正面に、簡単な祭壇が蝋燭を模した電灯の明かりで浮かび上がっており、その手前に置かれたベッドの上に白いシーツに覆われた「もの」が横たわっていた。
白衣の男がシーツを半分だけはだけた。そこには……、間違いない、俺が横たわっていた。ヘルメットを被っていたせいか顔には大きな傷はなかった。
「真生!」
「お兄ちゃん!」
お袋と美咲が叫ぶと泣き崩れてしまった。親父は憔悴しきった顔で横たわる俺に近づき、無言で俺の顔を撫でていた。
――そうだ。やっぱりこれは夢だ。いつかは醒める夢に違いない。そう思いたい。俺の遺骸に寄り添って悲哀にくれる家族の様子なんて見たくはない!
俺は振り向いて部屋の外に出た。……って、あれ?
慌ててしまって、ドアを引くのを忘れたけど、ちゃんと俺は廊下に出ていた。
――どうやら、今の俺は壁とかドアは通行の障害物にはならないようだ。なんてったって、俺は三D映像にすぎないんだからな。
とにかく、……この悪夢が醒めるまで、ちょっと散歩でもしてこよう。
俺は病院を出て、どこに行くとも決めずに歩き出した。
気がつくと、俺は自然に歩き慣れた通学路を進んでいた。……そうだな。とりあえず学校にでも行ってみるか。
通学路の途中にある商店街はいつもの賑わいを見せていた。俺には買い物籠を持って道の真ん中でおしゃべりしているおばちゃん達の話はうるさいくらいに聞こえるのに、俺がおばちゃん達に話しかけても完全無視だったし、おばちゃんの頭に空手チョップを喰らわしてみても、俺の手はおばちゃんの頭を通り抜けていた。
まだ夢は覚めていないようだ。……もうちょっと歩いてみよう。
学校の帰りによく寄っていた中古ゲーム店が見えてきた。ちょっと入ってみるか。
――おお、「放課後はラブ☆チャンス」が入荷しているじゃないか。これ、やってみたかったんだよなあ。俺的には恋愛エロゲの金字塔だ。ちょっと仲良くなっただけで、すぐにベッドインするヒロインは御免だ。やっぱり恋愛感情を究極まで高めて、二人の愛を確かめ合いながらエロスの世界へ……。これですよ、これ!
俺はパッケージを持とうとしたが、俺の手はパッケージを擦り抜けるだけだった。………………もう、このゲームもできないのか。
思い起こせば彼女いない歴十七年の寂しい人生だったなあ。顔の造作は人並みだと思っているけど、女の子からモテたことはない。勉強や運動も平均点のちょっと下辺りをウロウロしているし、趣味はパソコンゲームとネットサーフィン…………。オタクであることは自認している。
俺はため息をついて中古ゲーム店を出て再び商店街を歩き出した。このまま学校に行っても、誰とも話ができないんじゃあ、行っても仕方がないよな。
――――俺、これからどうすればいいんだろう? ずっとこのまま誰にも気づかれずに漂っているしかないのかな?