第二十六話
さーて話しをサックサクと進めて行きたいと思います。
~~~ 昭和6年 2月10日 国防省 ~~~
この日は東北帝国大学の八木・宇田博士を招き、国防大臣・統合作戦本部長・次長・技術本部長、海軍長官・連合艦隊司令長官・艦政本部長、陸軍長官・軍用車両研究室長・支援師団長、空軍長官・次官・航空機研究室長と主な将官が出席した。
他には各技術部の部員や技術者、もちろん俺も出席している。
会議の内容は『電探・通信機能の拡充』と言う物だ。
つまり、各艦・車両・航空機に無線通信・電探を搭載し、より有利に戦闘をおこなう事を目的とする。との事だ。
・軍は八木・宇田博士の開発した「八木・宇田アンテナ」を軍で採用する。
・試験として軍は次の資材を提供する。
陸軍:大型トラック数台を無線試験車両として改造。日本各地にて無線試験を実施する。
海軍:重巡洋艦2隻に無線・電探設備を装備。連合艦隊司令部との無線試験を実施する。
空軍:空軍は陸軍・海軍の試験電探の試験に協力する。
このような取り決めを帝国三軍で取り決めた。
費用は国防省。試験監督に八木・宇田博士、試験実施については技術部員が担当する事が決定。
車両・艦船への改装は3月末日とし、4月から半年かけて試験をおこなう予定とする。
これで主に海軍の艦艇同士の無線通信の拡充と、電探開発・性能の向上を主目的とする。
無線通信技術が進歩すれば当然設備機器の小型化に繋がる。
そうすれば航空機への搭載も可能となるし、歩兵部隊への配備も可能となる。
この八木・宇田アンテナを利用した電子技術向上の大まかな議案が終わった後に、俺は本部長と技術本部長以下技術者数名と別途、博士達と面談した。
「八木博士・宇田博士、本日はまことにありがとうございました」
俺は一礼し、席を勧める。
「いえ、私達の技術が認められ、まことに喜ばしい事です」
八木博士がにこやかな表情でそう答える。宇田博士も隣で満足そうに頷いていた。
史実では八木・宇田アンテナは当初国内ではまったく受け入れてもらえず、やむなく海外に技術を売却。戦争時にその技術が国内に知れ渡ったと言う皮肉な物だ。
だが、俺はこれで満足をしていない。
八木・宇田アンテナはまだ電探・通信技術の初歩に過ぎないからだ。
「はい、博士達が開発されたアンテナはとても素晴らしい物です。しかし、この電子技術をさらに進化させたいと思います」
「三好大尉と言ったかな、このアンテナはまだ実用化すらされていないが……」
「宇田博士のおっしゃる通りです。技術とは日進月歩。もっと先を、未来を見たいと思っております」
「未来……」
二人の博士が顔を見合わせながら呟く。
俺はこの二人に未来の技術「パラボナアンテナ」「フェーズドアレイレーダー」の仕組みを伝えた。
まだ電算が無い時代なので、開発は困難だし実用化もムリだろう。
当然同じ事を博士二人は疑問を呈してきた。
「現代の技術では実用化は難しいでしょう。この技術は30年後の技術です。まずはこの技術の道筋をつけてもらいたいのです」
俺の言葉に二人がなにやら小声で話している。
パラボラアンテナの技術は比較的すぐに実用化できると考えている。
電波を反射する素材が見つかるかどうかだが。
「よいでしょう。実に興味深い技術です。是非とも研究させて頂きます」
俺と八木・宇田博士は握手を交わし、日本帝国の電探・通信の技術向上への一歩を踏み出したのだった。
~~~ 昭和6年 2月12日 統合作戦本部 ~~~
一昨日は東北帝国大学の博士二人と会合を持っていたが、その3日前にちょっとした事件があった。
事件と言っても実際に被害がでたわけではなく、今後の重大な事件の発端となる一つを潰したにすぎないが……
さらに史実と異なり、この事件に関与している将校は限りなく少なくかった為、摘発も容易だった。
主犯格の橋本欣五郎中佐・長勇少佐を逮捕拘束、憲兵隊に護送され取調べを受ける予定となっている。
橋本・長両名が参加していた軍閥組織「桜会」は取り潰しとなり、東條大佐がこの件についての調査を一任されている。
因みにあまり関係ない話しだが、石原莞爾中佐は参謀本部に勤めていたりする……
~~~ 昭和6年 4月1日 空軍・羽田飛行場 ~~~
4月1日は、帝国3軍の軍学校の入学の日である。
3軍と言うのは、陸軍・海軍、そして新設された空軍を指す。
因みに統合作戦本部は、3軍からの転籍と言う形式をとっている為、独自に教育はしない方針としている。
昭和6年度の各軍の募集人員は次の通りとなった。
・陸軍:男子300名・女子30名
・海軍:男子300名・女子50名
・空軍:男子100名・女子20名
昨年の会議で決まったとおり、女性の軍学校への募集が実現し、3軍で合計100名だけだが採用がきまった。
各軍の女性の候補生に関しては、第1期生ともあり士気はものすごく高いとの事だ。
俺も空軍の軍学校の入学式に出席している。
空軍初の軍学校開設とあり、教育方針がまだ固まっていないからだ。
俺は空軍長官・国防大臣から空軍学校事務官として勤務する事が決定している。無論統合作戦本部の作戦参謀もそのままで、空軍学校事務官は兼務と言う形をとる。
階級も去年の11月に発生した濱口首相暗殺を未然に防いだ事に功ありと言う事で、少佐に昇進。
なので俺は真新しい空軍の軍服を着て、晴天の羽田飛行場の式に参加している。
空軍の軍学校も、陸軍・海軍と同じく入学年齢に制限がかけられている。
つまり、今ここにいる学生達は高校生から大学生に入るまでの年齢の子が整列しているのだ。
これからこの子達がどう成長していくか、これも我々の仕事になるのだと肝に命じておくのだった。
~~~ 昭和6年 4月2日 統合作戦本部 執務室 ~~~
昨日の4月1日は閣議・国会で次のような事が公開・決定された。
・朝鮮半島の開発・投資を無期限で停止し、国内の開発を優先とする。
・平壌を中心に帝国が定めた土地を朝鮮人を主権とした国家を独立させる事とする。
・残りの朝鮮半島の土地は帝国が直轄地として管理する。
・独立にあたって朝鮮総督府の権限を随時縮小し、あわせて朝鮮人の教育を施す。
・朝鮮半島全域に暮らしている朝鮮人は今後一年をかけ、平壌を中心とした朝鮮国(仮称)内に移動させる。
もっと細かい事項はあるが、ひとまず朝鮮人の独立をさせる事が決定。
もちろん反対も多かったが、濱口内閣・軍が合意している事がわかると議員達も渋々賛成をするのだった。
この決定を元に、朝鮮人の独立国家案を国連に提出する予定だ。
因みに朝鮮国(仮称)の国土となる部分は、平壌を首都し現在の38度線の軍事強化線を国境として当てはめ、北は現在の地図で言う所の平壌直轄市・黄海北道・黄海南道・江原道を朝鮮国としての国土とする。
この決定に朝鮮独立派は喜んだが、国土の大きさに反論した。
濱口首相は文句があるなら独立はさせないと封殺したらしいが。
兎も角、これで朝鮮人への対応はひとまず落ち着いたのだった。
※ご意見・ご感想ありましたら、宜しくお願いします。




