第十二話
やっとこさ更新です。
なんとか週1ペースは守りたい今日この頃。
~~~ 昭和5年 9月15日 海軍省 ~~~
昨日ドイツはドイツ労働党がドイツ議会第二党へと大躍進を遂げたようだ。
このままいけば史実通り1933年に政権を取得する事になるだろう。
軍の組織変更に伴う人事案も徐々にだが出始めた。
まず国防大臣。
大臣候補の名前を聞いた時はぶったまげた。
候補者は岸信介。第56代の総理大臣だ。
たしかに岸信介は戦後日本の軍備を考慮した上で、日米安保理を結んだ人なのだから軍備については明るいのだろう。おそらくかなり勉強したはずだ。
1930年時点で34歳だから、大抜擢となる。
国防次官には次の3名が内定している。
陸軍担当・宇垣大将、海軍担当・財部大将、空軍担当・安藤中将が就任し、国防大臣を補佐する。
陸軍・海軍に関しては、大臣がそのまま役職名を変更するだけになる。
次に陸軍は長官に総参謀長の金谷大将が内定。海軍は軍令部長の谷口大将が長官となる。
空軍は陸軍航空本部長の古谷中将が長官に転籍予定となる。
統合作戦本部長は現在も海軍と陸軍で話し合いが行われているが、これがなかなか決まらないみたいだ。どうも各軍の上位部門にあたる参謀本部の影響力を手に入れたいらしい。
因みに海軍は末次信正大将、陸軍は現・教育総監の武藤信義大将を推している。
後、先日の会議で創立が決まった海上警備隊だが、警備隊長に堀悌吉少将が親補された。
堀少将はロンドン海軍軍縮会議にて艦隊派から不振を買っており、一時的に転籍を言う形で海軍から距離を置くと言う話しを大臣から聞いた。
そして警備副隊長として高須四郎大佐が補佐にあたる。
管轄は内務省にあたり、国が戦時体制にはいった場合は国防省に移管される事が明記される予定だ。
政府の方では、水面下で満州国の張学良への接触をしている。
満鉄の満州国への売却案を提示した感触は悪くはなかったそうだ。
他にも中華民国の中国国民党、蒋介石とも接触を図っている。
もちろん東南アジア各国の首脳や有力者達もだ。
アメリカに立ち向かうには、アジア全体が協力して立ち向かわないと敗北は必須だ。
あの国は、国一つで世界の四分の一と戦える実力は備えているのだから……
~~~ 昭和5年 9月23日 都内 ~~~
今日は秋季皇霊祭と言う祝日になる。
戦後は秋分の日と言う名前に変わる祝日だ。
もちろん軍務も休みとなるが、人事局や幹部達はずっと組織変更に伴う人事に奔走している。
統合作戦本部長はどうやら海軍の末次信正大将に内定したようだ。もちろん副本部長には武藤信義大将が内定した。
この決定にも陛下の鶴の一声があったようだ。
ようだと言うのは、その会議に俺は出席していないからだ。
なんでも陛下曰く「支那と和睦するのに、対支那戦略はいらんだろう」との事。実は俺の受けなんだけどね。
なんだかんだと10月の発令に向けて順調に作業は進んでいるようだ。
なので俺は休暇を貰い、昭和5年の都内を観光している。
2030年の東京を知っている身としては、物足りない感じがする。
そりゃまぁ、スカイツリーも東京タワーもない。新宿や渋谷・池袋みたいな商業施設もないわけだからね。
この時代、東京の一番の繁華街は銀座だろう。
俺は銀座の町に向かい、私用で着れる服を購入しにきたのだった。
帰る家もなく、軍籍に身を置く俺としては軍服さえあれば問題ないけれど、やっぱ息を抜く格好があってもいいじゃないか。と言う理由をつけて買い物を楽しんでいる。
「古臭い…」
洋服を見回っていて、感想の一言目がその言葉だった。
いや、しかたないんだよ? 今いるのは昭和5年なんだから。
一通り見回った結果、スーツを2着を購入。
まだこの時代にはジーンズは無く、英国の影響下が強いのか、わりとスーツ姿が目立つ。
まぁ、国内で軍服以外でうろつくなら、スーツ姿で問題はないだろう。
国外は国外で服を仕入れる事にすればいいと言う判断だ。
その後、築地で寿司を食い、浅草を観光したりとのんびりした休暇をすごした。
また明日から国難に立ち向かう為の活動が始まる。
……そもそも軍服以外で活動する事ってあるのかな?
~~~ 昭和5年 10月1日 皇居 ~~~
この日は帝国軍全体の組織変更が公布される日となった。
政府の閣僚及び軍の国内にいる全ての将官が皇居に集まった。
まず国防省の設立に伴い濱口首相が岸信介を国防大臣に推挙され、陛下が承認・任命された事により国防省が設立。
国防省は新たに品川駅の西側に設置される。
この国防省には陸軍の近衛や第一師団や支援大隊の駐屯地も併設される為、国道1号線と国道15号線の間、泉岳寺付近から南品川付近までの土地が国防省となる。
この中に統合作戦本部・情報部・陸軍・海軍・空軍の中枢機関が設置される事が決定。
市ヶ谷にあった陸軍の駐屯地は陸軍学校を除き撤収する事になる。海軍も霞ヶ関に省を構えていたが、国防省設立に伴い品川に移転する。
新たに設立した空軍は司令部を品川に設置し、実働部隊や空軍学校等を羽田飛行場(後の羽田空港)に設置する事が決定。
品川への国防省設置は、議事堂・皇居・羽田・横須賀の中継地となるのがその理由だ。
国防大臣に任命された岸大臣がそのまま軍の役職を任命していく。
国防次官に陸軍から宇垣大将、海軍・財部大将、空軍担当・安藤中将に任命書を渡していく。
次に統合作戦本部長に末次大将・陸軍長官に金谷大将・海軍長官に谷口大将・空軍長官に古谷中将に決定。
これに引き続き人事の公示が行われた。
俺も昇進と異動が決定。大尉に昇進し、統合作戦本部長付参謀と言う役職となった。
後、兼任として陸軍長官付とか海軍長官付とか空軍長官付とか辞令に記載されている。
つまり軍に対してかなりの影響力を持つ事になる。
当初は国防大臣秘書官とかも候補に挙がっていたそうだが、先の役職に落ち着いた。
より直接的に軍の編成に関与せよとの事だ。
国防省設立に伴い、国防省予定地の接収も始まったらしい。
すんでいた住民には申し訳ないが、変わりの住居を国が用意する事で話しが進んでいる。
国防省建築は突貫工事が行われる予定だが、全ての機能が整うまで2年はかかるだろうと見積もられている。それまで今ある司令部を使う事が決定されているが、移動が大変なんだよな。
すでに自動二輪車が国内で開発されているから、それを足として使おう。
人事の公示が終わり、国防大臣・統合作戦本部長等がそれぞれの司令部に戻り始める。
国防省・統合作戦本部・陸軍は市ヶ谷にある旧陸軍省を使用する。海軍は旧海軍省を。
空軍は羽田飛行場にある建物を、臨時の空軍司令部として利用する事になる。
さて、俺も大臣や次官、各司令部に挨拶周りだ。
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