第5話 開戦
朝市の喧騒が広場を包んでいる。
果物を並べる農夫、布地を広げる行商人、
香辛料の匂いに引き寄せられる子供たち。
この街は東西を結ぶ街道の要衝にあり
王国との国境にも近く、いつだって人の往来が絶えない。
私は父さんに頼まれた届け物を持って
衛兵詰所へ向かう途中だった。
父さんはこの街の衛兵隊長をしている。
「よう、お嬢ちゃん。今日もお使いかい」
近所の八百屋さんが声をかけてくる。
八百屋さんは人間より少し小柄な亜人だ。
「そうなんですよ、父がお弁当忘れちゃって」
共和国には亜人が珍しくない。
父さんが言うには人間と亜人が仲良く暮らしているのが
共和国が栄えている理由なんだそうだ。
私からすると、生まれた時から色んな人がいるのが
当たり前だから、そういう事を言われても良く分からないけどね。
「隊長さん、忙しそうにしてるなぁ。
同盟だとかで飛び回ってるんだろ?」
「そうなんです、書類が増えたって嘆いてました」
この街から南に少し行ったところにある魔の森には
魔王の支配する恐ろしい魔族の国があって
魔物がたくさん出るので普通の人は近付かない。
私も子供の頃から森には絶対入らないように言われて育った。
なんとかしてほしいと国にもお願いしていたみたいで
昨年末、法王国の主導で対魔王共同戦線条約が締結されたらしい。
とうとう国が本腰を入れて怖い魔王をやっつけてくれると
街には久しぶりに安堵の空気が漂っていた。
「持ってきな。隊長さんにもよろしく」
八百屋さんが林檎を一つ放ってよこした。
「いつもありがと」
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それから数日後
夕食の席で父さんから不穏な話を聞いた。
「王国が国境沿いに兵を集めているそうだ」
「いよいよ魔王国に攻め込むの?」
私の問いに父さんは頷いた。
「おそらくな。
だが少し規模が気にかかる」
「どのくらい集まっているの」
「全五騎士団に歩兵八個連隊、
魔法部隊三個中隊だそうだ。
事実なら王国のほぼ全軍だな」
「たくさんだね…?」
正直私には軍隊のことは分からないけれど
なんだかものすごく多いのは分かる。
「元々取り決めていたよりかなり多い。
事前に調整が入るはずだが
本国の評議会には何も届いていないらしい」
父さんはそう言って箸を置き
窓の外を見つめた。
「……考えすぎならいいが」
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それから数日の間、街の空気は少しずつ変わっていった。
国境近くの村から来る商人たちの表情が硬い。
王国軍の動きが不穏だという噂が
市場のあちこちで囁かれるようになった。
「王国の兵隊が国境沿いをうろついてるってよ」
「魔王国に攻め込む準備だろう。心配するな」
「どうにも落ち着かないよ。
早く魔王国に攻め込んでほしいね」
あちこちで話すのが聞こえてくる。
街のみんなの暮らしぶりはいつも通りに見えるけど
誰もが不安そうな表情を浮かべている。
西の国境から届く知らせは
日を追うごとに不穏さを増していった。
ある夜、父さんが詰所から戻るなり
険しい顔で私と母に告げた。
「万が一に備えて荷をまとめておけ」
「何かあったの」
「王国軍の動きが妙だ。
共同作戦の集結なら国境の向こう側に留まるはずだが
こちらに向けた陣形を取り始めているという報告がある」
「こちらに…」
「まさか攻めてくるんじゃないでしょうね」
母の声が震えていた。
「分からん。だが備えるに越したことはない」
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決定的な知らせが届いたのは
その翌朝のことだった。
国境の村から血相を変えた騎馬の伝令が駆け込んできた。
「王国軍が国境を越えました!
全軍で我が国に侵攻を開始しています!」
広場の空気が凍りついた。
「国境の駐屯部隊が攻撃を受け交戦中!
共和国全軍への動員令が発せられました!」
人々がざわめく。
信じられないという顔、恐怖に強張る顔、
何が起きているのか理解できないという顔。
「嘘だろ、同盟を結んだばかりじゃないか」
「何で魔王国じゃなく、こっちに攻めてくるんだ」
私も同じ疑問を抱えたまま詰所に走った。
衛兵詰所は既に騒然としていた。
「父さん」
「来たか」
父さんは部下たちと地図を囲んでいた。
皆険しい顔。
「本当に王国が攻めてきたの?」
「ああ。本国からも緊急伝令が入った。
王国は全軍をもって国境を越え
我が国への侵攻を開始した。
共和国軍は迎撃に出る」
「どうしてそんな事に…」
「分からん」
父さんはかぶりを振った。
「だが理由が何であれ、奴らは来る。
この街は街道の要衝だ。
ここを抜かれれば共和国の中枢への道が開く」
つまりこの街が戦場になるということだ。
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街から人が消えていった。
商人たちは店を畳んで東へ逃げ
子供を抱えた親たちが荷車に乗り込んでいく。
八百屋さんも店じまいをしながら
避難の列に加わろうとしていた。
「八百屋さん気をつけてね」
「お嬢ちゃんも逃げなよ。
ここは戦場になるよ」
「私は残るよ。
父を置いて逃げるなんてできない」
父さんも親戚を頼って避難するように言ってきたけど
母さんと私は父さんを置いて逃げようとは思えなかった。
頼むから避難してくれと何度も言われたけど
「お父さんたち、料理なんかできないでしょ。
私たちで炊き出しするから、食べてしっかり働いて。
そんで、逃げるときは一緒に逃げよう」
「お前…」
母さんとふたりで泣きながらお父さんにしがみついてたら
父さんはそれ以上何も言わなかった。
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共和国軍が到着したのは翌日だった。
魔法部隊を含む迎撃部隊が
次々と街に入ってくる。
通りの要所に障壁が築かれていった。
野戦では数で負けるので
元々防衛拠点でもある街の外周部で迎え撃つらしい。
指揮官が広場に本陣を据え
父さんも衛兵隊長として防衛の打ち合わせに加わっている。
私は物資の運搬や負傷者の手当てを手伝いながら
前線からの報告を耳にしていた。
「国境の駐屯部隊が壊滅しました」
「王国軍は街道に沿って急速に進軍中。
明日にはこの街に到達する見込みです」
王国軍はすぐにでもこの街にやってくるだろう。
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その夜は眠れなかった。
詰所の隅に敷かれた毛布に横たわりながら
天井の梁を見つめる。
王国の兵は本気で
私たちを攻め滅ぼそうとしている。
魔の森の魔王を倒す為に同盟を結んだのは
一体何だったんだろう。
王国は最初から騙し討ちする為に
同盟で共和国を油断させようとしたんだろうか。
私にはまったく分からなかった。
街の外では兵たちが陣地を構築する槌の音が
夜通し途切れることなく響いていた。
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翌朝、父さんと一緒に西の城壁に上った。
街道の彼方に土煙が見えた。
その下で鋼の光が広がっている。
鎧が朝日を弾き、無数の槍の穂先がきらめく。
軍旗がはためき、大地を覆い尽くす軍勢が
真っ直ぐにこの街へ向かってきていた。
「来たぞ! 全軍配置につけ!」
号令が飛ぶ。
兵たちが一斉に持ち場へ散っていった。
父さんが私の肩を掴んだ。
「詰所から出るな。いいな」
頷くことしかできなかった。
父さんは城壁を駆け下りていった。
私も詰所に戻る。
地鳴りが近づいてくる。
何千もの足が大地を踏み鳴らす音が
胸の奥まで響いた。
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最初の轟音が響いたのは昼前だった。
共和国軍の魔法部隊が
街の外で迎撃を開始したのだ。
爆発音が連続して響き渡り
詰所の壁が揺れ、窓が震える。
私は窓から外を凝視した。
街の西端で火柱が上がった。
黒煙が空を覆い始める。
やがて怒号と金属の打ち合う音が
通りの向こうから聞こえてきた。
敵が街の中に入り込んだのだ。
「西門を突破された!
敵騎兵が市街に侵入!」
「第二防衛線で食い止めろ!
路地に引き込んで叩け!」
共和国軍は街の地形を活かして応戦していた。
建物の陰から魔法を浴びせ
狭い路地で敵の大軍の数的優位を殺す。
だが相手は王国の精鋭騎士団だ。
「衛兵隊、南通りの障壁を守れ!」
父さんの声が外から聞こえた。
窓の外を担架が横切っていく。
血まみれの兵士がうめき声を上げていた。
通りの向こうで建物が崩れ
轟音と粉塵が視界を塞ぐ。
戦いが始まってしまった。
同盟を結んだはずの国に
理由も分からないまま攻め込まれている。
何が起きているのか分からない。
ただ目の前の現実だけが
容赦なく押し寄せてくる。
西の空は黒煙に覆われ
絶え間ない轟音が街を揺らし続けていた。




