第3話 禁忌
初日は順調だった。
街道沿いに進軍し国境を越えたところで
魔族の群れと遭遇したが、醜悪な姿をした小柄な魔族を
騎兵の突撃で蹴散らし歩兵が掃討する。
予定通りの展開だった。
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異変が起きたのは三日目の昼過ぎだ。
街道の要衝にある街に差し掛かったところで
建物の陰から魔法の矢が飛んできた。
火球が隊列に降り注ぎ
前衛の歩兵連隊が一瞬で隊形を崩された。
続けて側面から魔族の集団が突入してくる。
その動きは明らかに訓練された兵のものだった。
「全隊、方陣を組め!」
俺の号令で第二騎士団は辛うじて態勢を立て直したが
他の部隊はそうもいかなかった。
魔族どもは街の地形を熟知していた。
路地から路地、建物から建物へと
こちらを分断するように動き回る。
数では我々が圧倒しているはずなのに
戦場の主導権は完全に奪われていた。
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進軍開始から五日目の朝
我々に届いた伝令の報告は
信じがたいものだった。
「第一騎士団が壊滅しました!
団長を含めた指揮官の大半が亡くなり
部隊は潰走しています!」
陣幕の中に沈黙が落ちる。
居並ぶ隊長たちの顔から血の気が引いていくのが見えた。
「馬鹿な」
俺は思わず声を漏らした。
第一騎士団は我が第二騎士団より一段勝る王国最精鋭の部隊だ。
右翼から敵の側面を突く任務を負い
初日には見事な突撃で魔物の前衛を蹴散らしていた。
それが数日の間に壊滅だと?
「魔物の群れごときに
何故それほどまでの損害を出したのだ…」
副官が震える声で問う。
「恐ろしく統制がとれています。
まるで軍隊のように陣形を組み
こちらの動きを読んで対応してきます」
「団長が自ら指揮をとり対抗しましたが
巧みに誘い込まれ魔法砲撃を受けて壊滅しました」
「まるで人族の軍隊ではないか…」
伝令の言葉に、俺は息を呑んだ。
魔物がそれほど組織的に動くのは聞いたことがない。
個々の魔物は凶暴だが知恵はなく
数で押してくるだけの存在だ。
魔族の方はある程度知能があるが
戦闘能力はたいした事はなく
魔物の方がよほど恐ろしい相手だ。
それが誘引行動からの魔法砲撃?
この戦場で我々が目にしたものは
これまでの常識を根底から覆す異常な光景だった。
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そして六日目の今、戦況は絶望的だった。
「損害を報告せよ」
俺は声を絞り出した。
「第一騎士団が壊滅。第三騎士団、戦闘続行不能。
歩兵八個連隊のうち四個連隊が半数以上の損害。
魔法部隊は一個中隊が全滅、残り二個中隊も消耗甚大」
副官が読み上げる数字の一つ一つが
腹に重い石を落とすようだった。
既に全軍の三割以上を失っている。
敵を撃ち減らした数に対して自軍の損失が多すぎる
「……撤退すべきでは」
隊長の一人が口を開いた。
誰もが同じことを考えていたのだろう。
だが俺は首を振った。
「退けばどうなる。
この魔物どもが国境を越えて王国に雪崩れ込むぞ」
国境の砦の向こうには村がある。
武装していない無防備な農民がいる。子供がいる。
ここで退いたら彼らがどうなるか考えたくもなかった。
「しかし、このままでは全滅します」
副官の声には悲壮な響きがあった。
俺とて分かっている。
正面からの戦いではもう勝てない。
そのとき、陣幕の入り口が開いた。
「第二騎士団長殿」
入ってきたのは魔法部隊の指揮官だった。
血と泥にまみれた顔に暗い決意が浮かんでいる。
「宮廷魔術師団より伝令です。
陛下の勅命が下りました」
差し出された書簡を開く。
読み進めるうちに、俺の手が震えた。
「……禁忌魔法の使用許可、だと」
陣幕の中がざわめいた。
禁忌魔法。
その名は王国の騎士なら誰でも知っている。
だが使われたことは一度もない。
使ってはならないとされてきた。
大地そのものを焼き尽くす業火の嵐。
術の範囲内にあるものは
味方であれ敵であれ一切の区別なく灰燼に帰す。
発動には宮廷魔術師団の全員が命を削り
術後の大地には数十年草一本生えないという。
「陛下は本気か」
俺は誰にともなく呟いた。
魔法部隊の指揮官が一歩前に出る。
「宮廷魔術師団はすでに準備に入っています。
発動まで半日。その間、前線を支えていただきたい」
「待て。禁忌魔法の範囲はどこまでだ」
「街を中心に半径二里。
その内側にいるものはすべて焼かれます」
「味方の兵もか」
指揮官は目を伏せた。
「……撤退の時間は確保します。
ですが前線で食い止めている部隊の一部は
間に合わないかもしれません」
拳を握りしめた。
爪が掌に食い込む痛みすら感じなかった。
自軍の兵を見殺しにしてでも
この魔物の群れを滅ぼせということか。
「他に手はないのですか」
副官が食い下がる。
「ない」
魔法部隊の指揮官は短く答えた。
「このままでは全滅です。
禁忌を使えば敵主力を殲滅できる。
使わなければ我々は全滅し、次は王国本土が蹂躙される。
陛下はそう判断されました」
沈黙が落ちた。
俺は陣幕の外に出た。
東の空が煙で霞んでいる。
遠くで金属のぶつかる音と
悲鳴のような咆哮が絶え間なく聞こえてくる。
あの煙の向こうで
俺の部下たちが、仲間たちが戦っている。
魔物の群れに食らいつき
一歩も退かずに戦い続けている。
その何割かは帰ってこないということだ。
俺は空を見上げた。
雲の切れ間から差す陽光が
まるで嘲笑うように明るかった。
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半日後。
前線から可能な限りの兵を引き抜いた。
だがすべては間に合わなかった。
殿を務める第四騎士団と
歩兵二個連隊がまだ街の中にいる。
魔物との交戦を続けており離脱できないのだ。
「時間です」
魔法部隊の指揮官が告げた。
俺は後方の丘に立ち、地平線の彼方を見つめていた。
その方角に部下たちがいる。
「……始めろ」
声が掠れた。
空気が震えた。
東の地平線が白く光った。
音はなかった。ただ光だけが膨れ上がり
空を、大地を、すべてを白く塗りつぶしていく。
光が収まると、今度は炎が来た。
地平線から天を突く火柱が立ち上り
空が赤黒く染まっていく。
熱風が数里離れた丘の上まで届き
兵たちがよろめいた。
轟音が遅れてやってくる。
大地が揺れ、馬が暴れ
立っていられないほどの震動が全身を打つ。
火柱は幾重にも連なり
街のあった場所を中心に
巨大な炎の渦が天を衝いていた。
それは壮麗であり、おぞましかった。
俺はただ立ち尽くして
炎に飲まれていく大地を見つめ続けた。
あの中にまだ味方がいる。
分かっていて命じたのだ。
副官が傍らで何か言っていたが
耳に入らなかった。
炎の嵐がようやく収まったのは
それから一刻ほど後のことだった。
後に残ったのは焼け焦げた大地だけだった。
街も、魔物も、そして逃げ遅れた味方の兵も
何もかもが灰になっていた。
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焦土と化した平野を前に
俺は副官の報告を聞いていた。
「禁忌魔法により敵主力の殲滅を確認。
宮廷魔術師団は術の代償により半数が死亡、
残りも再起不能との報告です」
「……我が軍の損害は」
「全軍の生存者は出征時の四割を下回ります。
殿を務めていた第四騎士団および歩兵二個連隊は
禁忌魔法の範囲内にあり……全滅と断定されました」
言葉が出なかった。
国を守るための戦いだった。
人の命を守るための戦いだった。
それは今も変わらない。
だが守るために自らの兵を焼いた。
この決断が正しかったのかどうか
俺には分からなかった。
遠くで火がくすぶり
焦げた大地から立ち上る黒煙が空を覆っている。
勝ったのだ。
辛うじて、だが確かに勝った。
この先に魔物はもういない。
そのはずなのに、胸の内にあるのは
勝利の喜びではなく
底の見えない暗い穴のような虚しさだけだった。
俺は焦土に背を向け
残った兵たちの元へ歩き出した。
生き残った者たちを連れて帰らねばならない。
それだけが今の俺にできることだった。




