第12話 “できない”
姥捨照中学校の校門から人が逃げ出てくる。
生徒、保護者、教員。
巣穴から溢れる蟻のようだ。
出火元は教室棟ではない。
おそらく体育館辺りだろう。
姥捨照中学の合唱コンクールは、学校の体育館で行われる小規模行事だ。
体育祭や文化祭と大差ない。
群衆のあいだを縫ってビョークと敷地内へ入った。
悲鳴があちこちから聞こえる。
「ヘルデ?」
下駄箱前にヘルデを複数体みつけた。
角材で叩きつけられ、潰れ、柱に張りつきパントマイムのように固まった保護者らしき女性。
学校の裏へ逃げ、鬼ごっこするみたいに追いかけられ、そのまま姿と悲鳴の消えた男子生徒。
玄関周辺のタイルの上で、執拗に角材で叩き潰され、ラズベリージャムのようになってしまった生徒か、教員か、保護者かわからない誰か。
下腹部を裂かれ、生きたまま仰向けになった女子生徒は、ヘルデの両手に内臓をかき出され痙攣している。蟹グラタンを中心から贅沢にむさぼるように、ヘルデが内臓を食べていた。
「なぶり殺しですね」
ビョークが口を押えた。
悪臭で頭がくらっとする。
「体育館は上の階だ。迂回しよう」
母校だ。
校舎の図面は頭に入っている。
〇
体育館前は血の池だった。
くわえて煙が充満している。
姿勢を低くして移動した。
到着する前から悲鳴はきこえていた。
吹奏楽部が演奏を間違えているか、教員が趣味で持ち込んだスプラッター映画を大音量で流しているんじゃないか。そんな思いがよぎるくらい、リアリティのない悲鳴だった。
入口からひとり、血塗れの生徒が煙を浴びて逃げ出してきた。
床にちらばっていた内臓と血で滑った。
ずっこけて宙で気を付けのような姿勢になり、床で後頭部を強く打つ。
仰向けに倒れ、気をつけの姿勢のまま動かなくなった。
「大丈夫ですか」
ビョークが駆け寄った。
素通りし館内を覗いた。
中は、ヘルデの坩堝と化していた。
館内の床と壁いっぱいに、血餅の溜まりが広がっていた。
ドリップとは、新鮮な生レバーによく見られるべったりとした血のことだが、あれよりも濃い。
フライパンの上のひき肉に似ている。
溜まり全体に肉片がごろごろしている。
大ぶりな内臓から吐瀉物のような小さなもの。
女子生徒のものと思われる髪の毛。
生徒やブレザーが漂っている。
館内二階、ロフト部分の欄干に腸がからみついていた。
アリーナからステージにいたるまで、ぽつぽつとヘルデの姿が見える。
ヘルデが少し移動するたび、ぴちゃぴちゃと音がした。
血が跳ねる。
水溜まりの上で遊ぶ小学生の出す音に似ている。
燃える天井や壁、床といった火災を背景にして、それらが見えた。
「熱線が暴発したんだ」
直感でそう思った。
「ハルタ……?」
生徒たちの死体が一カ所に固まっていた。
死体の間に男の姿があった。
それは臓洗という名の中学のころの担任だった。
何年生の頃だったかは思い出せない。
「ハルタだろ? だよな。何でそんなとこいんだ……なあ、ちょっと手ぇ貸してくれ」
よく見ると死んだ生徒を下にすることで、血で溺れないよう工夫している。
さらに死んだ生徒を毛布のように使い、ヘルデから自分が見えないようにしている。
死体の悪臭が臓洗の体臭を誤魔化してもいるようだった。
「おい、聞こえてるだろ。無視するな。見とらんと助けろ」
ヘルデを気にして小さな声で臓洗は言った。
「お知り合いですか?」
俺はビョークへ首を振った。
壁際の炎の筋が、天上へ向かってゆくのが見えた。
「いない」
「はい?」
「ここにチユはいない」
「どうしてわかるんです?」
「においがしない」
「におい? 何のにおいですか?」
「チユのにおいがしない」
「においって、体臭のことを言ってるんですか?」
俺は頷いた。
「あの辺りにいる」
体育館前の廊下は屋外に面している。
欄干があって中庭が一望できた。
中庭をはさみ、向かいに教室棟が見える。
欄干の外へ腕を出し、一階奥を指さした。
「そんな嗅覚するどかったですか?」
「わかるんだ」
「蓋ノ騎士です!」
廊下の突き当りに、クリーム色のコートが三つ見えた。
こちらへ歩いてくる。
「脚家……」
「ヘルデが出たから、誰かが通報したんでしょうか?」
「面倒だ、行こう」
すぐにその場を離れた。
その際、館内から男性教員の断末魔が聞こえたがどうでもよかった。
〇
室名札には『3ー5』とあった。
教室は静かだった。人の気配がない。
チユは教卓の下に隠れていた。
「チユ?」
ハルの声だった。
すぐにわかり、心臓が飛び跳ねた。
「ここにいたのか」
覗き込むハルの顔が見えると、チユは抱き着いた。
油っぽいにおいが鼻孔をかすめた。
ビョークの持っているからあげの小袋が見えた。
側面に『黄金にわとり』とある。
ニワトリのイラストが見えた瞬間、体育館での光景がフラッシュバックした。
「嫌っ!」
「ちょっと」
から揚げが教室に散らばった。
「何するんですか……」
ビョークは戸惑いながらタピオカドリンクをすすった。
「なんでまだ持ってるんだよ、捨てろよ」
「熱にさらされて喉が渇いたんですよ」
体の震えが収まらない。
チユはハルへしがみついた。
黄金にわとりの絵が、体育館で見たニワトリ頭のヘルデと重なった。
ヘルデ狩りの際に被るニワトリのマスクとも重なった。
みんなを殺したのはわたしだ。
まるで自分がヘルデになってしまったみたいだった。
「体育館を見てきたよ。えらいことになってたな」
「助けてって言われたけど……助けなかった」
チユは凍えているようだった。
「熱線が暴発したのか」
「うん」
ハルといると、何故だか諦めたように安心できた。
気を張らなくてもいい。
「急ぎましょう、蓋ノ騎士に見つからないうちに」
「どうして暴発したんだ」
チユは指揮者を無理やり押しつけられたことを話した。
「やりたくなくて……」
「臓洗か」
ハルが担任教員の名を言い当てた。
黒板の隅に『担任 臓洗茂美』とある。
おそらくそれを見たのだろう。
「お知り合いですか?」
「中学の頃の担任だ」
ああ、とビョークが納得する。
「相談してくれればよかったのに……感情のコントロールが効かなくなったのか?」
「“他人に期待する奴は、自分じゃ何もしない”……でしょ?」
「俺たちは仲間だ。仲間には頼っていいんだ」
「蓋魔ってなんなの?」
「え」
「耳絶ちがないってだけで人を悪い虫みたいに見てくる」
ハルの抱きしめる腕が少し強くなった。
「あいつらの方がよっぽど虫みたい……みんな虫みたいな目してるし」
「そうだな」
「別にいいじゃん。あんな奴らいくら死んだって、助けなくたって……自業自得でしょ。あいつらは人間のクズよ。二人だって、結局わたしのこと、蓋魔だって……」
「チユは悪くない」
「ハルには、わかんないよ。だってハルは……」
「俺も蓋魔だ」
動悸が穏やかになっていった。
震えが少しずつ弱まった。
チユは抱きしめられたまま、ハルタの話を聞いた。
「イカルガも俺も、ずっと苦しめられてた」
「イカルガ?」
「熱線魔のことだ。彼女も蓋魔だった。イカルガと俺は幼馴染だった。だから分かるんだ。チユがこの土地で、学校でどんな仕打ちを受けてきたのか」
チユはすすり泣いた。
ハルタが自分と同じ蓋魔だったことが嬉しかった。
こんなに近くに理解者がいた。
それが分かったことが嬉しかった。
「でも人それぞれだ。チユの場合は、うまくやれてるんだと思ってた。脚家の弟がチユに蓋をしたとき、あのときに気づくべきだった。一番に気づけたはずの俺が、気づけなかった」
「同じ蓋魔だと、そう思い込んでいただけなんじゃないですか?」
ビョークがやや落ちたトーンで言った。
「イカルガさんが生きていた頃から思っていました。ハルタさんはただの蓋魔で、彼女は熱線魔だった。この少しがかなり違う。思うに熱線が吐けなくとも違うということなんですよ」
ビョークは続けた。
「共感は妄想にすぎません」
「おまえに、俺たちの何が分かる」
ハルタの声が暗く沈んでいた。
「道徳者たちはいつも同じことを言う。自分がされて嫌なことを他人にするな、助けろ、人を憎むな、思いやりを持て、許せ……でも無理だ。嫌いな奴らを助けることなんてできない。あいつらは仲間じゃないから」
「それ、イカルガさんの前でも言えます?」
「言ってやりたかった。そしたらイカルガは死ななかった」
「え……?」
チユは思わず声が出た。
「誰にでも優しかった彼女の性格を、ハルタさんもリスペクトしているものと思っていました」
「お人好しだっただけだ……あいつは、人に好かれようといい顔をするときがあった。他人に嫌われることを極端に怖がっていた。もし生きて目の前にいたなら言ってやりたい。あいつらは仲間じゃないから助けなくていい、って。そしたら死ななかった」
「本気で言ってます?」
「ああ」
「……そうですか」
「どうして死んだの?」
抱きしめていた腕を解き、チユはハルタの目を見た。
「熱線魔は死んだの?」
「二年前に死んだ」
間があってハルタは答えた。
「どうして」
「事故があったんだ、それで──」
「自殺したんですよ」
ビョークの声に、ハルタの目が丸くなる。
「熱線を誤射して、仲間のひとりを殺し、住宅火災を起こして三三人が亡くなりました」
「言うな」
「それが自殺の直接の原因かどうかまではわかりません、なぜなら──」
「言うな、ビョーク」
「イカルガさんは自死してしまい、理由を聞けないからです」
ハルタがチユから離れた。
立ち上がるなりビョークを殴りつけた。
ビョークは廊下へ飛んでいった。
「やめて!」
チユは廊下まで出て行ってハルタの服の袖を掴んだ。
ハルタの動きが止まった。
「あの日もそうだった」
沈黙のあと、ハルタが切り出した。
「イカルガも俺を止めようとした。そのあと店の前で彼女と話して……それが最後だった。今でもそのときの、イカルガの声を、顔を覚えてる……」
「僕にとっても、あの日が最後でした」
ビョークは廊下の壁にもたれた。
「ビョークの言う通りだ」
ハルタは諦めたようだった。
「潜りたちは熱線魔が生きていると思ってる。実家にでも帰ったのだろう、くらいに……。それが心地よかった。イカルガを生きているままにしておけた。だからそれ以上、誰にも知られたくなかった」
「終わりにしましょう。生き返らせるんでしょ、イカルガさんを?」
「生き返らせる?」
「はい」
「熱線魔を? できるの、そんなこと?」
「できない」
「え……」
ビョークが面食らったような顔をした。
「人が生き返るわけないだろ。分かってるんだ、そんなこと……」
ハルタは弱々しく笑った。
「イカルガにもう会えないなんて気づきたくなかった。気づいたら、きっと俺はイカルガと同じことを……」
ハルタが言葉に詰まった
「イカルガが生きていたらって、あれから毎日そればかり考えてる。夢にも見る。夢の中の彼女は、いつも最後には首を吊って死ぬ。俺を責めたあと、“今度は助けてね”って、そう言って……」
ハルタがまた言葉に詰まった。
「ビョークが生き返らせる方法を教えてくれたんだ。それが生きる希望になった。嘘でもいい。信じられるなら何でもよかった。でも本当はわかってた。死んだら終わりだ。人は生き返らない」
「そう、思っていたんですか……」
ビョークは気の抜けたような顔をした。
「耳絶ちもない。ビョークのような才能もない。チユやイカルガのように熱線も吐けない」
ハルタがしゃがみ、チユに目線を合わせた。
「チユと出会って、少しだけ変わったんだ」
両手を優しく握った。ハルタは潤った目をしている。
「チユの顔な、イカルガによく似てるんだ」
「熱線魔に?」
「うん。出会ってすぐ気づいた。似てるって」
「同じ顔と言っていいでしょう。奇妙ですが、声も同じです」
「だから……助けてくれたの?」
ハルタは首を振った。
「だから言えなかった。蓋魔だから助けたんだと、そう思うんじゃないかって……でもいちばん嫌だったのは、そんなことじゃない。チユを俺のなかで、イカルガの代わりにしてしまうことだ。顔も声も同じで、互いに蓋魔であることまで認識し合ってしまったら、そのとき、まるでイカルガと一緒にいるみたいな気持ちになったら……」
しばらく黙り、ハルタは立ち上がった。
わたしがイカルガなら良かったのだろうか。
チユの脳裏にそんな考えが過った。
そしたらハルは苦しくなくなるのだろうか。
「三人でダックリバーを離れよう。計画はもういい」
「え、いいんですか?」
「他人に期待するやつは、自分じゃ何もしない……イカルガは死んだ。願っても生き返らない。俺たちにはどうすることもできない」
ハルタの声が急に遠のいた。
チユの視界が薄れる。
「こんな土地に留まる理由はない。イカルガもわかってくれるだろう。また夢に出てきたら、今度は正直に話すよ。もう助けられないって……チユ?」
視界が真っ暗になった。
チユは意識を失った。




