泥棒猫令嬢と言われていても、恋愛結婚がしたいので!
「レベッカ嬢、今度の冬季休暇に僕の領地に遊びに来ないか」
「……!」
何度目かとも言えない伯爵令息からのその誘いに内心白目になりながら、男爵令嬢のレベッカ・リンドグレーンは全てを包み込むようににっこりと微笑んでいた。
ここは学園の裏庭にある四阿だ。
お昼休みになり、いつものように人目につかないように猛ダッシュしてこの隠れ家のような場所に来たつもりだったのに、この伯爵令息にあっさりと見つかってしまった。
「僕の領地では絹の生産が盛んでね。ちょうどドレスの仕立てを頼んだところなんだ」
桃色の髪にぱっちりとした青い瞳。白い頬は陶器のようで、そこにちょこんとベリーのような唇が乗っている。いわゆる美少女であるレベッカの笑顔に気を良くしたのか、勝手に隣に座ってきた令息は自慢げに語り出した。
この人はキヌーア伯爵家の嫡男であり、男爵令嬢レベッカよりかなりの格上だ。誠に遺憾ではあるが、ここは大人しく話を聞くしかない。
「まあ、絹ですか。さすがです」
「絹というのは繊細でね……実に滑らかで光沢のある生地なのだが、蚕という虫の作る繭から糸を取るんだ」
「知らなかったです〜」
「ふふっ、そうだろう? なかなか現場を見ることはないだろうからね。僕は幼少の頃から知っていたけど」
「わあ、すごいですね」
「やはり、領地の特産品について学ぶのは、貴族として当たり前のことだものね」
「だからシールク様はいつも服飾のセンスがおありなのですね!」
「分かってくれるかい。君は見所がある女性だと思っていたよ。学園の制服は一律の支給品だが、僕のものは特注で、絹で仕立ててあるんだ」
「そうなんですね。どうりで!」
(や、やってしまったわ!)
笑顔の下にそんな感情を抱きながら、レベッカは悲しいかな、持ち前の話術で相手の気分を良くしてしまった。
レベッカに持ち上げられ、伯爵令息のシールクの鼻は天をつこうかというくらい伸びている。もちろん比喩だが。
この会話の"さしすせそ"は、困った時の会話術として母に伝授されたものだ。
貴族としては身分が低い男爵令嬢のレベッカは、社交界をの荒波を切り抜けるために、この武器でなんとか頑張っている。
「君にも悪くない話だと思うよ。我が伯爵家とつながりが持てるのだから」
急に距離を詰めてきたシールクが、ぐっとレベッカの肩を抱く。無駄に色気のある声を出してきた。
鼻だけではなく、完全に鼻の下も伸びている。お前の言っているつながりとは物理の方だろう、と内心呆れながらレベッカは困ったように儚げに微笑んだ。
「で、でもシールク様には婚約者がいらっしゃるじゃないですか……」
本当に、なんと言うことだろう。
信じられないことに、この人は婚約者がいるくせに、こうして下位貴族である男爵令嬢を誘っているのだ。
あり得ない、一昨日きやがれと荒れ狂う内心をちらつかせることもなく、レベッカはなんとか愛らしい微笑みをキープする。ちょっとプルプルしてきた。
「ああ。純粋な君は知らないのか。婚約者といっても形だけのものだ。世の中の貴族はね、妻の他に愛する人が何人もいていいんだよ」
シールクがレベッカの肩を抱きながらそんな戯言を言うものだから、流石に笑顔の鉄仮面が剥がれそうになる。
(本当に信じられないわ! 堂々と言うことでもないし)
心の中で悪態をつきながら、レベッカはしゅんと眉を下げると、悲しげにシールクから身体を離した。
肩に乗せられた手をうまく振り解くことができてホッとする。
レベッカの生家である男爵家は、成り上がりで歴史の浅い貴族である。
十数年前に商人だった祖父が商才をいかんなく発揮して莫大な財をなし、爵位を賜った。聞くところによると、国庫もいくらか支援しているのだとか。
そのころの名残があり、いまだに領地は潤沢だ。レベッカがこうして貴族用の学院に通っているのも、単なる教育のためで婿探し云々については両親も何も求めていない。
そういうわけなのだが――どうしたことか金持ちの男爵令嬢というのは火遊びするのにとても都合が良いらしく、明らかに別の目的を持った令息たちが群がってくる。
おかげで、レベッカはたくさんの貴族子息を誑かす悪女だとか泥棒猫だとか何かと騒ぎ立てられている。
貴族とのつながりは、それはそれはとてもありがたいものである。家門の力がものをいう貴族社会において、男爵家の地位は一番下だ。だからなのか、こうした男たちは『ほらほら上位貴族だよ。僕の身分に興味があるだろう』という顔で近づいてくる。
加えてレベッカの目立つ容姿は、そばに置いておくにはなにかとちょうどいい女であるらしい。
「……シールク様には、そういう方がわたしの他にも何人もいらっしゃるんですね」
レベッカにうるりとした瞳を向けられたシールクは、慌てながら言葉を紡ぐ。
「そ、そんなことはないさ。僕はレベッカさえそばにいてくれればいいんだ。隣でただずっとにこにこと笑っていてほしい」
「……まあ。ふふっ」
(ありえないわ!!!)
レベッカは心の中で大絶叫した。
お飾りの人形ではないのだ。貴族のお遊びのための愛人に成り下がるなんて断固として拒否したい。両親のような恋愛結婚が理想だし、自分だって広い世界を見てみたいという夢がある。
「ね、レベッカ。僕の所へおいでよ」
このシールク、今日はやけにしつこい。実は彼は他にも何人か声をかけている令嬢がいるようなのだけれど、この様子だと他に粉をかけていた令嬢に断られたに違いない。
(キヌーア伯爵領の絹製品は確かに有名だし、お父様も商品として扱っているわ。影響が出ないように断るにはどうしたらいいのかしら)
どうやって断ろうかと思案していると、ざっと大地を踏みしめる足音が聞こえた。
「まあ、キヌーア伯爵子息ではございませんか。こんなところで何をしていらっしゃるの?」
「あ……」
現れたのは、美しい銀の髪に怜悧な青い瞳を鋭く細める公爵令嬢のセラフィーナだった。
その隣に、ムスッとした顔をした男子生徒がひとり。
「せ、セラフィーナ様っ……!」
二人の登場にさっきまでご機嫌だったシールクが明らかに顔色を悪くした。
それもそうだ。セラフィーナの友人のご令嬢は、この男の婚約者だ。
何かのトラブルに巻き込まれないよう、こうした人間関係は全て頭に叩き込んでいるからわかる。
……わかるんだけど、結局トラブルに巻き込まれてしまうのは、もうどうしようもない。
「や、ま、まだ何もしていませんよ」
公爵令嬢の発言に慌てた様子のシールクがレベッカから慌てて離れた。
『まだ』ということは、何かしらをしようとしていたということになる。レベッカの中でこの男の評価がまただだ下がりした。
言い訳が下手すぎる。もっと良い言い方があったはずなのに、これから二人で何かいかがわしいことでもするような発言をされても困る。
「……リンドグレーン嬢、大丈夫か?」
「あっ、ハイ! だいじょぶです」
男子生徒はレベッカのそばに来ると、心配そうな顔を向けてくれた。クラスメイトのジュードだ。
黒縁眼鏡に黒髪、そして前髪はその眼鏡にかかるくらいに長い。
授業の時に一回だけ会話をした事があるくらいで、普段の彼は集団に交じらず地味にしている。
そんなジュードがこうして学園の華である公爵令嬢セラフィーナと二人でいる所なんて見た事がなく、大変に意外である。
「レベッカさん、またあなたですの」
振り返ったセラフィーナに、呆れた顔を向けられる。
彼女の矛先が私に向いたことを好機ととらえたのか、キヌーア伯爵令息はそそくさとこの場からいなくなってしまった。本当に最低である。
「色々な友人からあなたの話を聞いていますわ。あの方にも婚約者がいますのよ? ご存知ありませんでしたか?」
セラフィーナに厳しい言葉をかけられ、レベッカはむっとしてしまう。
「わ、わたしからお声掛けしているわけではありませんし、しつこく誘われて困っていたのはわたしの方です」
公爵令嬢に楯突いてはいけないと分かっているのに、散々シールク対応ほかで我慢していたレベッカはもう限界だった。あの男爵令嬢ならすぐに落とせそうだと思っている子息たちが、ファッション感覚で寄ってくるだけなのだ。
「まあ、困りましたわねぇ」
「でも本当に、わたしは何も――」
公爵令嬢の深いため息に、レベッカは肩をびくりと揺らした。威勢良く発言してしまったが、さすがに退学などになってしまっては父に面目が立たない。
貴族の仲間入りをしたからにはと、両親はほくほくとこの学校にレベッカを送り出してくれた。
そんな父と母の顔に泥を塗るようなことはできない。
だから、波風を立てないように、ああいう人たちには『秘伝のさしすせそ』を使ってのらりくらりと撃退していたと言うのに。
これは八つ当たりだと分かっている。セラフィーナの指摘は至極もっともで、旗色が悪いのはレベッカの方。
(どうせこうやって爆発するなら、最後にあのシールクを一発殴ってやればよかった…!)
拳に力をこめながらシールクを恨んでいると、公爵令嬢は頬に手をあてながらレベッカを見た。
美しい顔にじっと見つめられると穴が開いてしまいそうだ。
「……レベッカさん。あなた、婚約者はいらっしゃらないのよね?」
「へっ?」
想定外の質問に、レベッカは間抜けな声を出した。婚約者がいたら、あんな事態になるはずもない。
セラフィーナの視線が一瞬なぜか隣にいるジュードに向いたが、すぐにその双眸はレベッカを捉えた。
「勿論いません。できれば……両親のように恋愛結婚をしたいなと思ったりもしていたので……。もうここでは諦めましたが」
ここに来る前は、この学園で恋愛のようなことをして、素敵な旦那様が見つかったりするのだろうかと思っていたこともあった。
今更、泥棒猫との悪評高いレベッカと純粋な恋仲になろうとする人はいないだろう。
これからは、あの人たちの遊び相手になり下がってしまわないよう注意をしながら過ごすのみ。
レベッカの学園生活に向けたモチベーションはものすごくだだ下がりしていた。
「そう、わかりましたわ。あなたも大変でしょうけれど、規律を乱していると責められるのはいつも女性側になりますので、ご注意を」
「はい……ハイ!?」
どうせ説教されるのだろうと斜に構えていたレベッカは、思ってもみない対応に目を見開いた。
レベッカが悪いと、他の令嬢たちのように責められると思っていたのだ。
「客観的にみていたら、あなたがあの方たちに強く言えない立場である事は分かりますわ。レベッカさん、今後も危険なことがあれば――そうだわ!」
公爵令嬢はポンと手を叩く。
「あなたは一人で行動しているから、あのような疎ましい輩が寄ってくるのではなくて? 今日からわたくしやジュードさんと一緒にいれば、問題は解決すると思いますわ」
「へっ……あの、へっ??」
「そうだわ、そう致しましょう。わたくしたちが目を光らせますし、蹴散らしますわ。……それとも、レベッカさんも彼らとおしゃべりを楽しみたいのかしら?」
「いえそれは全く!」
どこか挑むような物言いに、レベッカは笑顔のまま即答した。
「そんなことは全然これっぽっちも望んでおりません。ではこれから、セラフィーナ様たちのおそばにはべらせていただきますね!」
こうなれば、ヤケである。向こうの申し出が渡りに船だったのだ。この船、乗らない訳にはいかない。
力強く宣言したレベッカに、セラフィーナはにっこりと微笑んだ。
「そういたしましょうね。ジュードさんもそれで宜しくて?」
「……いいんじゃないか」
「ふふ。聞きました? ジュードさん。レベッカさんのご希望は恋愛結婚なのですって」
「……」
セラフィーナとジュードがなにやら楽しそうに会話をしている。見た目以上に、ふたりは気安い関係なのかもしれない。
「リンドグレーン嬢。いつもあのような目に?」
「あっ、えっと……そうですね、割と……というか常に……ハハ」
ジュードに水を向けられて、レベッカはしどろもどろにそう答えた。
出来れば、ジュードには知られたくなかった。なぜそう思うのか分からないが、レベッカは情けない気持ちになりながら笑顔を作る。
泥棒猫令嬢と揶揄されるレベッカのことを、これまでジュードが知らなかったとは思えないが、実際に現場を見られてしまうと恥ずかしいようないたたまれない気持ちになった。
ジュードと話したのは授業のとき。たまたま隣の席の人とペアになって、この世界にある国のことについて意見交換するというものだった。
意外なことに、ジュードはすごく物知りだった。外国に興味があるレベッカも知らないような細かい情報を知っていた。
各国の地理、大体の人口、気候、特産物、名所……思えばあの時間が、学園に入ってから一番楽しかったかもしれない。
時間があっという間に過ぎてしまって、もっと彼の話を聞きたいという気持ちが残った。
「……リンドグレーン嬢は、恋愛結婚について相手に求める条件はあるだろうか」
「え?」
ジュードからの質問は、思いもよらないものだった。なんだろう。もしかして、二人の知り合いのいい人でも紹介してくれるのだろうか。
セラフィーナを見ると、彼女はにっこりと微笑みを返してくる。
(この商機を逃したらダメだわ!)
レベッカは一瞬で気持ちを切り替える。セラフィーナとあのジュードだ。シールクたちとはきっと違う。力になってくれるに違いない。
「ええと、お相手の方に望むことは……私をちゃんと好きでいてくれることです。愛人やお飾りの妻なんかじゃなくて」
両親のように互いを尊重できる関係が理想だ。なぜこうしてジュードに理想の結婚を語ってしまってるのか分からないけど、相手の瞳も真剣だ。
「なるほど。その点は大丈夫そうだ」
頷きながら、真っ直ぐにレベッカを見てくれている。
こうしてまじまじと見てみると、前髪のカーテンと眼鏡の向こうに見える彼の瞳は美しい菫色だった。
「その他にはないのか?」
「え……あ、じゃあ健康であること?」
「健康は大事だな。他には?」
「えーーーっと、経済力はある方がいいかな、と。将来子供たちに苦労をさせたくないので」
「こ、子供……! そうだな、大切なことだ」
子供の話をしたら、なぜかジュードはたじろいで、耳の先がカッと赤くなった。なんでだ。
そっちに照れられると恥ずかしくて、理想を語っていたレベッカもなんだか顔が熱くなってきた。
「……コホン! これ以上見ていられませんわ。とにかくレベッカさん。明日からわたくしたちと共に過ごしましょうね!」
「は、はい! よろしくお願いします」
なぜ結婚観を暴かれたのかは分からないが、とにかくあの人たちとの対応をこれからしないでもいいようなので心が楽になった。
そして、自分は思ったよりも純粋に結婚を夢見ていたのだと思い出した。
(脱・泥棒猫令嬢だわ。これから頑張らなくちゃ)
レベッカはこの日、泥棒猫令嬢から金魚のフン令嬢にレベルアップした。
*******
それからは、とても快適な日々だった。
セラフィーナにくっついていれば、シールクやその他貴族子息たちは寄ってこない。
それに加え、身近でセラフィーナの淑女たる振る舞いを見聞き出来るのは僥倖だった。
彼女の洗練された振る舞いは見るも眼福だったし、度々現れる彼女の婚約者である第一王子との関係性なども最高である。
お互いを想いあっているファビュラスでロマンティックな二人を間近で眺めていた影響で、いつしかレベッカも恋愛結婚に対する気持ちがムクムクとまた育ち始めた。
『なぜお前なんかがセラフィーナ様にくっついているのだ』という鋭い視線を令嬢たちから感じる気がするが、前からそういうのは慣れっこなので気にしない。
しかし残念なことに、今日はセラフィーナは用務でお休みだ。そうなれば途端に肩身が狭くなる。
(逃げるが勝ち!)
レベッカは授業が終わるとさっさと身を隠す事にした。
「……こんな所にいたのか」
ガサガサと植木を掻き分けて、頭上から声が降ってくる。パチリと目を開けると、黒髪眼鏡の男子生徒がレベッカを見下ろしていた。
「あっジュード様。こんにちは」
「セラフィーナがいない時は、なるべく人目につくところにいるようにと言い付けられているだろう。こんな所に寝転んで、危機意識が低いんじゃないか」
「……はい、すいません」
セラフィーナと一緒にいることで気が付いたのだが、ジュードはどうやら第一王子とも親しいようだった。
普段は人を寄せ付けないようにしているのに、くだけた様子で二人で話しているのを密かに見た。
セラフィーナと一緒にいたら、ジュードと過ごすことも増えた。彼女たちが話している間、ジュードとは隣国の文化の話に花を咲かせたりして。
「でもジュード様。よくここが分かりましたね?」
レベッカがそう言いながら身を起こすと、ジュードは「当然だ」と言いながら顔を背ける。
ここは、これまで誰にも見つかったことのないレベッカの休息の地だ。シールクにでも知られたら大変である。
そんな場所で見つかったものだから、レベッカは本当に驚きながら制服の上着についた葉を払った。
どうしようかと思っていると、隣の空いたスペースにジュードが座り、ふたりで茂みに座り込む形になる。
「今日、殿下たちは登城しているから学園には来ない予定だ」
「はい、存じています」
「だから……その、今日は僕が一緒にいる」
「えっ」
レベッカはびっくりして横を見た。ジュードは眼鏡のツルに触れているところで、こちらから表情がよく見えない。なんだか思いもよらない言葉をかけられた気がする。
ジュードは不思議な存在だ。
日々を重ねるうちに、彼にだけは素直に胸の内を話せるようになった。
留学に興味があること、色々と見て回りたいこと。だけど家も大事で、幸せな結婚がしたいこと。
さしすせそがなくても、彼はレベッカの話をきちんと聞いてくれていることが分かる。
ジュードの横顔を見つめながら、レベッカは嬉しくなって微笑んだ。
「ありがとうございます。助かります。セラフィーナ様がお休みで、どうしようかと思ってまして、はは」
教室でもシールクのちらちらとした視線は感じていた。それに令嬢たちのヘイトの高まりも感じる。
セラフィーナの元に行けばシールクのような男子生徒からは逃れられるが、皮肉なことに女生徒からは睨まれる。だからこそ、休み時間になった瞬間に駆け出して、こうして隠れているのだ。
「……難儀だな、君も」
「へへ、そんなことないですよ〜。わたしが心底嫌われやすいタイプなだけで」
心配そうな顔を向けられて、レベッカは不意にドキリとしてしまった。
そういえば、こんな風に人気のない場所で二人っきりでいるのは初めてだ。そこに改めて気が付いた。
(……え、なんだろ、なにこれ)
途端に胸が騒いで落ち着かなくなってきた。顔も熱くなってきたし、ジュードの眼鏡もぼやぼやとぶれて、黒髪であることしか分からないでいる。
「あ、そうだ、ジュード様。この前お話してくださった隣国のことをまたお聞きしたいです。お祭りのこととか」
「そうだな……秋には収穫祭があって、こどもたちは魔女やお化け姿に仮装する。『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ』と言って町を練り歩いて、皆は子供たちに菓子を渡すんだ」
「へえ! それはとっても楽しそうですね」
「ああ。とても賑やかな夜の祭りだ」
「行ってみたいなぁ……ジュード様も仮装とか似合いそうですしねぇ〜」
隣国のお祭りに思いを馳せていると、ますます頭がぽわぽわとしてきた。夜の街にランタンがともり、子供たちが仮装して練り歩く姿を想像する。
「 とても楽しそう……一緒に見てみたいな……」
熱に浮かされたように、そんなことをぽそりと呟いてしまっていた。
ハッとしたが、時すでに遅し。もう言葉は口からこぼれている。
口を押さえたレベッカが恐る恐る隣を見ると、ジュードは紫の瞳を大きく見開いたまま固まってしまっていた。完全に聞こえてしまっているじゃないか。詰んだ。
「今度、一緒に行くか?」
「えっ」
思いがけない返答に、今度はレベッカが固まってしまった。
隣国に行くとなると、かなり大掛かりな旅行になる。キヌーア伯爵領の比ではない。
そんな旅行に誘われて困惑する。いやでも冗談かもしれないし、と思いもするし、このジュードがあのシールクのように軽薄な言葉を並べるだろうかと困惑もする。
「すまない。困らせてしまったな。もう少し、君のいう恋愛というものを上手くできればと思っていたのだが、気が急いてしまって」
隣から立ち上がったジュードは、今度はレベッカの前に移動して片膝をついた。
地味な人だという第一印象だったけれど、今は違う。前髪に隠れていた瞳は真っ直ぐにレベッカを見据えていて目が離せない。
「レベッカ・リンドグレーン嬢。僕は君と恋愛結婚というものがしたいと思っているんだ。どうか考えてはもらえないだろうか」
至って真面目なその申し出に、レベッカは驚きながらも笑ってしまった。
「ふふっ、恋愛結婚ってそうやってやるものなんですか?」
「分からないが……君と話していると楽しいし、君の話を聞くのも楽しい。君となら、どこに行っても楽しそうだから、一緒にいてほしい」
「ジュード様ったら」
笑っているはずなのに、レベッカの瞳からは涙が溢れた。レベッカの気持ちに誠実に向き合ってくれそうなこの人との未来が、見える気がした。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします。ジュード様、健康と経済力もお願いしますね」
涙を拭いながら、レベッカはジュードから差し出された手を取る。ちゃっかりと自分の要求も忘れないところは、商人の血筋といったところだろうか。
「もちろんだ」
ちょうど一陣の風が吹き、ジュードの鬱陶しい前髪を後ろに流していく。
そこにとんでもない美男子が現れることも、実はジュードがセラフィーナの再従姉弟であり、隣国の侯爵子息であることも、レベッカはこの後すぐに知ることになる。
そしてそのことを知ったレベッカが気後れして「一旦考えさせてほしい」と真顔になって、ジュードがひどく狼狽してしまうのも、またそのすぐ後の話なのだった。
=============================
「えっ! ジュードったら好きなご令嬢がいるのですか」
「うん」
「まあ、誰ですの? 誰ですの??」
「それは――……」
ジュードとセラフィーナがレベッカの元に現れる数日前、再従姉弟の二人はそんな会話を交わしていたらしい。
さいごまでお読みいただきありがとうございます。
したの★★★★★を押してもらえると
すごく嬉しいです^^
せっかくなので、ネタバレを…
そう、私はいま「さしすせそ」を使っています!