正義のヒーロー
その日の夜。
悪魔ベルがいない自室で、俺のスマホが着信音を鳴らした。
画面の中央に出ている名は、峰岸。
ベッドにダイブしてから指をスライドして電話に出ると、峰岸は開口一番、こう言った。
「契約者Aが誰だか分かったわ」
「……は? 本当に?」
「ウソをついて、どうするんですか」
電話の向こうで、くすりと笑って峰岸が答える。
「どうやって突き止めたんだ?」
「決め手は、ミチル君が送ってくれた写真でした。あれ、Xじゃないですよ」
スピーカーにして、俺が撮った写真を表示する。
映るのは大きなリュックを背負った、金髪の男だ。
「隣のクラスに、金髪の男なんていないぞ」
「……ミチル君、本気で言ってます? 歩き方とか見ませんでした? 足元を拡大して、よく見てください」
言われるがままに写真を拡大して、男の足元を見る。
だけど、これがどう決め手になったのか、まるで分からん。
黙っていると、峰岸が呆れたような声で喋りだす。
「地面に着いた左足、内側に向かっているでしょう? それにこの靴裏の模様も、学校指定のローファーと一致しました。おまけにこの体つき。Aは女学生です。髪はウィッグでしょうね」
言われてみれば、確かに内股だ。
腰も細く、肩幅にも丸みがある。
変装していたってことか。
大きなリュックの中には、学生カバンや制服が入っていたのかもしれない。
「隣に映る自販機も決定的でした。自販機の全長は土台を合わせても200cmほど。比較する物があれば、身長を推定するのは簡単。およそ165から170cmね」
峰岸の特定力に絶句する。
「私ってばぼっちだけど、知り合いがいないわけじゃないの。だから隣のクラスの子に聞いたわ。該当する人はただ1人。隣のクラス前列の中央、北川詩織さんよ」
「北川詩織……」
まるで知らない名前だ。
だが知らない方が良い。躊躇うことなく『宣言』できる。
「次は、ソイツが何を拒絶したかを探らないとな」
「そのことなんだけど」
女と見抜き、身長を推定し――それだけでも驚いていたのに電話の向こうの峰岸が、更なる情報の暴力で殴ってくる。
「本名や学校行事で調べてみたら、詩織さんのSNSアカウントを特定できました。コスプレアカウントもね。もう家だって分かるわ」
もはや笑うしかなかった。
真のストーカーは北川詩織じゃなく峰岸だ。
「SNSの呟きで、『自由に動かせる体って最高』とあったの。おかしいわよね。彼女、入院歴も無いのに。何の脈略もなく言うかしら?」
「北川が拒絶したのは『自由に動かせない体』ってことか。……それ、俺たちが宣言したら」
「動かせない体に逆戻りして、魂は悪魔に喰われるわね」
「…………、なあ。今回は、宣言するの止めないか?」
「あはははははっ!」
何が楽しいのか、峰岸が大笑いする。
そして一瞬おいて、ひやりと冷たい声をだした。
「ミチル君なら、そう言うと思いました。だから私、特定したアカウントにメッセージを送ったの。『今夜0時、校庭で待っている。私が拒絶したのは、最も愛する人との別れです』ってね。きゃあ大変。このままじゃ宣言されて、私たち終わりよ」
一瞬、頭が真っ白になった。
なんてことをしてくれたんだ。
「……冗談だよな?」
「あら。私は本気よ。現に今こうして、学校に向かって歩いているのだし」
耳をすませば電話越しに、車の走行音や風の音が聞こえてくる。
時間は23時。コイツ、本気かよ。
「お前、今どこだ?」
「んふふ。さすがにブロック塀を挟んだ2階だと、耳鳴りは聞こえないみたいね。私、登校デートなんて初めてよ」
スマホを持ったまま窓際に駆け寄り、勢いつけてカーテンを開ける。
窓越しに道の真ん中を見下ろすと、いた。
明るい街灯に照らされながら、峰岸が俺に向かって小さく手を振ってくる。
ものすごい笑顔で。
「……そこで、待ってろ」
寝る準備を終えたパジャマ姿のまま、俺は寝ている家族を起こさないよう、こっそりと慎重に家を出た。
普段は出ない深夜の夜。
夏というだけあって暑く、風が生ぬるい。
真夜中な住宅街の道路はとても静かで、どこか特別感がある。
なのに台無しだ。
寒気すら感じさせる異常な行動をとる峰岸は蛍光灯に照らされながら、フリフリしたピンク色のブラウスに黒いタイトなスカートを穿いて、電柱によりかかっていた。
峰岸が、後ろ手を組んでニコリと笑う。
「なんでお前、俺ん家を知ってんだよ」
「だってミチル君のことを愛しているんだもの。住所くらい、知っていて当然でしょう?」
答えになっていない返事。
もはやドン引きする気にもなれない。
「それパジャマですか? 可愛い。私もパジャマにしてくればよかった」
俺はため息を吐きながら、地雷系ファッションに身を包んだ峰岸を見る。
細い腰にぐるりと巻かれたベルトの影響か、大きな胸が強調されていて、体のラインがもろに出ている。
正直、目のやり場に困る。
「ふーん? 大きいのが好きなんですか? 遠慮してないで、もっと見ていいんですよ?」
「そんなことより」
慌てて体を見るのを止めて、峰岸の目を見て、俺は口を動かす。
「これから本当に、学校に行くのかよ」
「そうよ。悪魔から聞いたでしょ? 契約を維持するためにはエネルギーが必要だって。敵の正体どころか契約内容さえ知っているのに手を出さないなんて、あり得ないわ」
言って、峰岸が歩き出す。
その道は無論、学校の方角だ。
俺はその場で立ち尽くし、どうにか峰岸を止められないかと思案する。
だけど、俺の考えがまとまるより先に、峰岸が口を開く。
「見ず知らずの北川詩織って子と、家族との暮らし。ミチル君は、どちらが大切なんですか?」
唐突に投げられた言葉に、息が詰まる。
どちらが大切かなんて、決まっている。
だけど、北川詩織を殺すことが正しいことだとも思えない。
だから、どうにかして標的を変えたい。
「なんかこう、もっとこう、悪いことをしてる人間を狙わないか?」
「無理よ。そう都合よく悪人の契約者なんて現れないだろうし。うん。今度は言葉を変えて、質問するわね」
峰岸が、振り返る。
その綺麗な顔面に、とびっきりの笑顔を添えて。
「例えば今日、契約を維持するためのエネルギーが底をつくとする。北川詩織を、殺さないといけないとする。家族が、死ぬとする。ミチル君は、どうしますか?」
「……っ」
綺麗事の言葉が、頭から吹っ飛んだ。
正しいか、間違っているか。
そんな問題じゃないのだと、峰岸に突きつけられて――俺は止まっていた足を動かして、峰岸の後を追う。
「……ああ、そうだな。確かに、無理だ。俺は、家族を死なせたくない」
「無実の人間を己の欲望のために殺せるか――なんて問答はきっと、遅いか早いかよ。どこまでも利己的。それが私たち契約者だもの。正義のヒーローには、なれないの」