理由
「お前、……お前が拒んだのは、俺の死か……?」
乾燥した唇が、ぱりっと割れた。
舌で舐めると、小さな痛みと血の味が、口の中に広がっていく。
「30点」
峰岸がマスクを下げる。
そして俺の唇に人差し指で触れ、血の付いた自身の指を咥えた。
「良いんれすか? 私が拒んだ事象を宣言してしまって。悪魔から聞きましたよね? 言い当てられた拒絶は、もとの現実に矯正される。――正答したらミチル君、血みどろの死体に逆戻りですよ?」
確かに迂闊だった。
だけど、得られた情報はデカい。
俺はあの日、死んじゃいないんだ。
「やっぱり、あのナイフは偽物だ」
峰岸が拒んだのが『俺の死』だったなら、言い当てられた時点で、峰岸の魂は契約した悪魔に喰われるはずだ。
契約は破棄され、俺は死体に戻っていただろう。
だが、峰岸に変化はない。俺にも変化がない。
つまり峰岸が拒んだのは、『俺の死』じゃないことは明白だ。
「私が契約したのは、執念深い悪魔のラブ」
峰岸が、ゆっくりと喋りだす。
きゅぽんっと音をたて、人差し指を口から離す。
そしてどこか恍惚とした表情で、俺を見た。
「私が拒絶したのは、『最も愛する人との別れ』。家族の死に耐えられなかったミチル君が自死してしまったので、私が生き返らせました」
「……はは、最悪だな」
なぜ峰岸が、俺の『拒絶』を言い当てなかったか。
なぜ峰岸は、問題と称して自らの弱点を推測させる時間と材料を与えたか。
その答えは、俺を屈服させるためか。
「ええ最高です。私が『拒絶した事象』を宣言した時点で、私の勝ち。ミチル君には、その真偽をノーリスクで確かめる術はありませんから。ないことの証明、それはまさしく、悪魔の証明ですもの」
真っ暗な瞳を歪ませて笑う峰岸。
だが一応、悪魔を証明する方法は、ある。
峰岸に、お前が拒絶したのは『最も愛する者との別れ』だと宣言することだ。
だが、この手段はとれない。
コイツの話が真実だとすれば、宣言により負けた峰岸の魂は、契約した悪魔に喰われる。
契約は破棄され、俺は死体に戻るだろう。
そして俺が契約した悪魔ベルとの制約により、相打ちとなって敗れた場合でも、俺の家族は死ぬ。
俺はコイツに、手出しができない。
「ミチル君は私に依存して生きながらえ、私は貴方が生きていることに依存する。ああ、なんて素敵な共依存」
うっとりした表情で峰岸が俺のアゴを触り、下から撫でる。
その手を振り払うこともできない。
「私を幻滅させないでくださいね? 私が拒絶したのは、『最も愛する人との別れ』。ミチル君を指した言葉じゃないの。だから――私が愛せる貴方でいてくださいね」
そう言った峰岸の目は、悪魔よりも恐ろしかった。
ふふっと笑って、言葉を紡ぐ。
「私が契約した悪魔の性質は、執念深さ。その性質のせいで、否定できたのは『ミチル君が自死することによって生じる私との別れ』でした。殺されれば普通に死んじゃうから、その命、大事にしてくださいね」
峰岸の手が、俺の頬から離れていく。
その光景をただ見ながら、俺は口を開く。
腑に落ちなかった。
「どうしてお前は、俺を生き返らせたんだ。なんで俺が、最も愛する人なんだ?」
俺は、峰岸の下の名前も知らない。
同じクラスになるのも初めてだ。
好かれる理由も、寿命の半分を対価にしてまで悪魔と契約して、俺を生き返らせた理由も分からない。
「問題です」
話を逸らすかのように、峰岸がそう言った。
ほとんどトラウマになりそうな言葉に、思わず体を震わせる。
「ミチル君の家族は、なぜ事故死したのでしょうか?」
「……住宅街を爆走するスポーツカーに、突っ込まれたんだ」
「では、事故が起きたはずの一昨日。スポーツカーの単独事故は発生しましたか?」
峰岸が背を向けて、黒板へと歩き始める。
静かな教室に、低い耳鳴りと、峰岸が歩く音だけが聞こえる。
「……起きてねえ。事故は、無かったことになったんだ」
「0点です。ミチル君が拒絶したのは『大切な人の死』で、『事故の有無』じゃないでしょう? ミチル君の契約では、スポーツカーの運転手の死は覆りません」
そう言われ、ハッとした。
黒板の前に立ち、教壇に乗った峰岸が俺を見据える。
峰岸が離れたからか……。
低い耳鳴りは、もう聞こえなかった。
おかげで集中して考えることができる。
「家族が死んだ理由は事故じゃなく、契約者による他殺。そう言いたいのか」
「ええ。単独事故が起きていないことを考えれば、標的はきっとあなたの家族。だけどそんな能力、何を拒めば手に入るのか……。いつか相対した時のために、そいつが拒絶した事象を一緒に考えましょう」