悪魔との契約
俺の家族は、1度死んでいる。
1度というのは、死んで、蘇ったからだ。
家族が事故死したと知って泣きじゃくっていた俺に、自室にいるはずのない女の子が、甘い声色で唆したのだ。
『例えばたった1度だけ……。許容できない現実を拒絶できるとしたら、何を拒む?』
その問いに、俺は家族の死を拒んだ。
☆
「ただいま」
高校帰り。
昨日からの現実が続いていれば、この声に返事をする者はいなかった。
「帰ったかミチル。待ちわびたぞ」
だが目の前。
玄関の先には小さな女の子、否、悪魔がいた。
小学校低学年ほどの幼女みたいな見た目で、背中からは黒い翼が2つ生えている。
飾りなのか羽ばたく必要がないのか……翼は動いてもいないのに、そいつは空中で漂っていた。
「お前の拒絶は叶えたぞ。次はわたしの番だ」
昨日俺を唆したのは、この悪魔だった。
際どい水着の様な。
そんな布面積の小さい衣服を身にまとった悪魔は、三角に尖った細い尻尾をクネクネと動かして、妖艶に哂う。
――俺が拒んだのは、『家族の死』だ。
その結果、昨日の事故は無かったことになり、俺の家族は生きている。
悪魔は言った。
『これは契約だ』と。
願いは叶えてもらったが、その対価はまだ支払っていない。
「対価は、俺の寿命だったな」
「正確には、本来の寿命の半分だ」
悪魔のイエローオレンジの瞳が、薄く笑う。
真っ赤なミディアムヘアーを空中でかきあげ、子供らしい造形のロリ悪魔は、見た目に反して凄みのある低い声で続けた。
「では、本契約を結ぼうじゃないか」
「……俺は何をしたらいいんだ?」
どのような方法であれ、受け入れるつもりでいた。
しかし悪魔は小ばかにするように笑い、一段高く浮いて、俺に細い足を見せつける。
そして太ももを押さえつけていた黒いニーソックスに指をかけ、ずり下ろし、つるりと剥いて小さな足を突き出した。
悪魔の小さな唇が、わずかに開く。
「キスしろ」
「……足に? イヤなんだけど」
「そうか、では契約は不履行だな。お前の寿命はすべて回収され、家族は死ぬがいいな?」
「まてまて! 嫌ってだけで、しないとは言ってねえ!」
理不尽なことに、どうやら俺に選択権はなかった。
ロリ悪魔はニヤニヤと笑っていた。
明らかに悪意がある。
この気持ちは嫌悪感か、それとも悪魔に対する敗北感か。
しかし拒否すれば、俺と家族の命はない。
ふざけんなと思うが、やはり拒否権はなかった。
「どうした。寿命は渡せるのに、ちゃちなプライドは守りたいか?」
ものすげぇ煽ってくる。
だが実際、俺は断れない。
断れば家族もろとも死ぬのだ。
死ぬよりは、マシだ。
屈辱に震える手で悪魔の右足を持って、俺は彼女の足の甲に、そっと口づけた。
「うむ。確かに本来の寿命の半分、受け取ったぞ」
「実感はねえな」
口を拭い、唾を吐き出したいのを堪える。
屈辱的だったが、契約は終わった。
家族も生き返ったし、口は洗えばいい。
そう思っていると、外から車の音が聞こえた。
この駆動音、間違いない。母の車だ。
まずい。
俺の目の前にいる悪魔はロリだ。
しかも際どい服を着たロリだ。
片方だけ生足で、片足は黒ニーソを穿いたロリだ。
最悪、コスプレさせたロリを家に連れ込んでいると思われるだろう。
そうなったらお仕舞だ。
「契約は終わっただろ、消えてくれ!」
「何をそう慌てることがある?」
車のドアを閉める音が2回連続して聞こえた。
どうやら、妹も乗っていたらしい。
こっちに歩いてくる足音が近づいてくる。
いよいよ本気でまずい。
「頼むから、早く消えてくれ!」
俺の言葉に、悪魔はむすっとした顔をした。
しかしどうやら、間に合わなかった。
悪魔は依然として俺の前で浮遊しており、ガチャリと玄関ドアが開いた。
「ただいまっ!」
「あら、ミチルも今――」
「ではお望み通り、消えてやろう」
パチンっ! と、良く響く音が聞こえた。
悪魔は母と妹が玄関に入ってきたことを視認してから、指を鳴らして姿を消した。
遅えよ!
あああ、どう言い訳しよう。
タイミング的に、ばっちり見られている。
緊張して振り返ると、俺は思わず声を漏らした。
「……え?」
糸が切れた、操り人形みたいだった。
妹と母が脱力して、崩れ落ちた。
妹は側頭部を靴箱の角に当て、鈍い音を鳴らして前のめりに。
母は後ろから、破裂音を響かせて後頭部を床に打ち付けた。
2人とも声を漏らさず、何の前振りもなく。
2人は、動かない。
まるで動かない。
ただゆっくりと、母の頭からは真っ赤な血が流れて、それだけが動いていた。
「おい……! おいっ!」
母の頭は、後ろがぱっくりと割れていた。
髪の毛の奥は、砂と血でべっとりだ。
タイル床に流れ出る血が止まらない。
血に塗れた手でワイシャツを脱ぎ、母の頭に巻き付けるが、やはり血は止まらない。
「そんなことしても無駄だ。死んでるんだから」
ふいに後ろから、悪魔の声がした。