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悪魔との契約

 俺の家族は、1度死んでいる。

 1度というのは、死んで、蘇ったからだ。

 家族が事故死したと知って泣きじゃくっていた俺に、自室にいるはずのない女の子が、甘い声色で唆したのだ。


『例えばたった1度だけ……。許容できない現実を拒絶できるとしたら、何を拒む?』

 その問いに、俺は家族の死を拒んだ。






「ただいま」


 高校帰り。

 昨日からの現実が続いていれば、この声に返事をする者はいなかった。


「帰ったかミチル。待ちわびたぞ」


 だが目の前。

 玄関の先には小さな女の子、否、悪魔がいた。

 小学校低学年ほどの幼女みたいな見た目で、背中からは黒い翼が2つ生えている。

 飾りなのか羽ばたく必要がないのか……翼は動いてもいないのに、そいつは空中で漂っていた。


「お前の拒絶は叶えたぞ。次はわたしの番だ」


 昨日俺を唆したのは、この悪魔だった。

 際どい水着の様な。

 そんな布面積の小さい衣服を身にまとった悪魔は、三角に尖った細い尻尾をクネクネと動かして、妖艶に哂う。


 ――俺が拒んだのは、『家族の死』だ。

 その結果、昨日の事故は無かったことになり、俺の家族は生きている。

 悪魔は言った。


『これは契約だ』と。

 願いは叶えてもらったが、その対価はまだ支払っていない。


「対価は、俺の寿命だったな」

「正確には、本来の寿命の半分だ」


 悪魔のイエローオレンジの瞳が、薄く笑う。

 真っ赤なミディアムヘアーを空中でかきあげ、子供らしい造形のロリ悪魔は、見た目に反して凄みのある低い声で続けた。


「では、本契約を結ぼうじゃないか」

「……俺は何をしたらいいんだ?」


 どのような方法であれ、受け入れるつもりでいた。

 しかし悪魔は小ばかにするように笑い、一段高く浮いて、俺に細い足を見せつける。


 そして太ももを押さえつけていた黒いニーソックスに指をかけ、ずり下ろし、つるりと剥いて小さな足を突き出した。

 悪魔の小さな唇が、わずかに開く。


「キスしろ」

「……足に? イヤなんだけど」


「そうか、では契約は不履行だな。お前の寿命はすべて回収され、家族は死ぬがいいな?」

「まてまて! 嫌ってだけで、しないとは言ってねえ!」


 理不尽なことに、どうやら俺に選択権はなかった。

 ロリ悪魔はニヤニヤと笑っていた。

 明らかに悪意がある。


 この気持ちは嫌悪感か、それとも悪魔に対する敗北感か。

 しかし拒否すれば、俺と家族の命はない。

 ふざけんなと思うが、やはり拒否権はなかった。


「どうした。寿命は渡せるのに、ちゃちなプライドは守りたいか?」


 ものすげぇ煽ってくる。

 だが実際、俺は断れない。

 断れば家族もろとも死ぬのだ。


 死ぬよりは、マシだ。

 屈辱に震える手で悪魔の右足を持って、俺は彼女の足の甲に、そっと口づけた。


「うむ。確かに本来の寿命の半分、受け取ったぞ」


「実感はねえな」


 口を拭い、唾を吐き出したいのを堪える。

 屈辱的だったが、契約は終わった。

 家族も生き返ったし、口は洗えばいい。

 そう思っていると、外から車の音が聞こえた。


 この駆動音、間違いない。母の車だ。

 まずい。


 俺の目の前にいる悪魔はロリだ。

 しかも際どい服を着たロリだ。


 片方だけ生足で、片足は黒ニーソを穿いたロリだ。

 最悪、コスプレさせたロリを家に連れ込んでいると思われるだろう。

 そうなったらお仕舞だ。


「契約は終わっただろ、消えてくれ!」


「何をそう慌てることがある?」


 車のドアを閉める音が2回連続して聞こえた。

 どうやら、妹も乗っていたらしい。

 こっちに歩いてくる足音が近づいてくる。

 いよいよ本気でまずい。


「頼むから、早く消えてくれ!」


 俺の言葉に、悪魔はむすっとした顔をした。

 しかしどうやら、間に合わなかった。

 悪魔は依然として俺の前で浮遊しており、ガチャリと玄関ドアが開いた。


「ただいまっ!」

「あら、ミチルも今――」


「ではお望み通り、消えてやろう」


 パチンっ! と、良く響く音が聞こえた。

 悪魔は母と妹が玄関に入ってきたことを視認してから、指を鳴らして姿を消した。


 遅えよ!

 あああ、どう言い訳しよう。

 タイミング的に、ばっちり見られている。

 緊張して振り返ると、俺は思わず声を漏らした。


「……え?」


 糸が切れた、操り人形みたいだった。

 妹と母が脱力して、崩れ落ちた。


 妹は側頭部を靴箱の角に当て、鈍い音を鳴らして前のめりに。

 母は後ろから、破裂音を響かせて後頭部を床に打ち付けた。

 2人とも声を漏らさず、何の前振りもなく。


 2人は、動かない。

 まるで動かない。

 ただゆっくりと、母の頭からは真っ赤な血が流れて、それだけが動いていた。


「おい……! おいっ!」


 母の頭は、後ろがぱっくりと割れていた。

 髪の毛の奥は、砂と血でべっとりだ。

 タイル床に流れ出る血が止まらない。

 血に塗れた手でワイシャツを脱ぎ、母の頭に巻き付けるが、やはり血は止まらない。



「そんなことしても無駄だ。死んでるんだから」


 ふいに後ろから、悪魔の声がした。

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