第二十九話・王子殿下
アレックスは、突然声を掛けてきた二人組を不躾にならぬ様に注意をしながら観察していた。
アレックスに最初に声を掛けてきた横柄な態度の男子生徒は、金髪碧眼に白い肌、年相応に丸みの残った整った顔立ちの黙っていれば紅顔の美少年と言う言葉が似合いそうな男子である。
もっとも、その横柄に腕を組み相手を見下すような態度が見た目の印象を削いでいる。
その男子生徒の傍に控えているもう一人の男子生徒は、浅く日焼けした肌が健康的な印象を与える背の高い男子だった。
角張った顔立ちに短く刈り込んだ金髪は活動的な印象を与えるが、その印象とは対照的に横柄な態度の男子生徒の後ろに静かに控えている。
「なんなんだよ、こいつ等?」
横柄な態度を崩さない男子生徒の様子に、レオンが呆れた様に声を上げる。
アレックスも、言葉にはしないものの困惑しているのは確かだ。
横柄な態度の男子生徒が『殿下』と呼ばれている以上、相応の地位――王子、王族の類――だろう。
ただ、ローランディア選王国の場合、選挙で選ばれて王家に入らない限り王太子は存在しない。
選挙の行われていない今の王家に在するのは、女王陛下と王配殿下のみだ。
女王陛下の息子達は、生まれてすぐに女王陛下の生家である西方領フォールプレイン選公爵家に養子入りしているのだ。
そこから考えるならば、間違いなく外国の王族だろう。
西部小国家群のいずれか、或いはさらに西の神聖カルディア王国か……?
大陸南部のシュテテドニス帝国の可能性だって否定はできないが……。
そのため、相手の正体を測りかねたアレックスは、一先ず様子を見るべくこちらから自己紹介をすることにした。
「私の名前は、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドです。スプリングフィールド選公爵家の第三子になります」
アレックスはそう名乗ると、一応の礼儀として頭を下げた。
名乗りを上げたアレックスの様子に、戸惑ったように顔を見合わせていたヴァレリー達も各々に名乗りを上げる。
その様子に、目の前で腕組みをして横柄な態度を取る男子生徒はフンッと鼻を鳴らした。
そうして、その隣で畏まっているもう一人の男子生徒に顎をしゃくって声を掛ける。
「おい、ジョージ!」
「ハッ!畏まりました、殿下」
腕組みする男子生徒の隣で畏まっていたもう一人の男子生徒が、返事をすると一歩進み出てきた。
「君達、良く聞き給え!恐れ多くも畏くもこちらにおわしますのは、栄えある誉れ高き神聖カルディア王国の王子殿下である、ヴァッカーディ・ムーノゥナ・オゥジィー・カルディア第五王子殿下であらせられるぞ。そして、私はその近習であるサンジェルマン伯爵家の三男、ジョージ・デ・サンジェルマンである」
ジョージと名乗った男子生徒は、口上を述べ終えると元の様に一歩下がった。
その様子を見て、アレックスはなるほどと小さく頷いた。
アレックスの傍では、ヴァレリー達が驚いた様に小さく声を上げている。
その中で最初に立ち直ったのはレオンだった。
「そんで?その御立派な王子殿下様とやらが、俺達に一体何の用事で?」
「フンッ、下賤が!誰が貴様に発言を許したか?」
レオンが発言すると、ヴァッカーディ王子殿下と紹介された横柄な態度の男子生徒が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「なんだって?ふざけるのも大概に……」
相手の不快な態度に業を煮やしたレオンが、一歩前に踏み出そうとした。
そのレオンの動きを、アレックスは肩を叩いて引き留める。
「レオン?落ち着いて」
「いや、だってよ……」
アレックスに制止されたレオンが不満をあらわにする。
アレックスは頭を振ると、レオンを真直ぐに見つめて声と掛けた。
「いいから、レオン、任せてください。……皆も、いいですね?」
レオンを押し留めたアレックスは、そう言うとそばで様子を窺うヴァレリー達を振り返った。
「ハァ……。私は、アレックス君が良いというのなら構わないわよ」
レオンの様に声を上げたりはしなかったものの、相手の態度に不満そうな表情を浮かべるリリー。
しかし、アレックスに任せてほしいと言われて、溜息を吐いて了承の意を示した。
「私も、アレックスさんがよいと仰るのでしたら……」
「僕も、それで構わないよ」
リリーの様子に、シェリーは暴発しないで良かったと小さく呟く。
レオンやリリー、シェリーが了承の意を示せば、ヴァレリーとても異存はない。
アレックスに対応を任せると決めたヴァレリーは、アレックスの言葉に同意した。
「それでは、私から……。ヴァッカーディ王子殿下、一体、何用でございますか?」
「アァ?……まぁ、良いだろう。おい、ジョージ!」
アレックス達の態度に、僅かに不満げな様子を見せたヴァッカーディ王子であった。
しかし、何を考えたかニヤリと笑うと、傍らに控えるジョージに顎をしゃくってみせる。
「ハッ!畏まりました、殿下」
ヴァッカーディ王子に声を掛けられたジョージは、深々と一礼すると再び一歩前に進み出てきた。
そうして良く通る声を響かせながら、アレックス達にとっては予想外の事を口にし始める。
「畏まって有難く拝聴する様に!恐れ多くも、ヴァッカーディ王子殿下はこうお考えであらせられる。栄えある学園の誉れある学年総代の大役ともなれば、それに相応しい高貴なる身分の者がその役に着くというのが当然の事である。然るに、栄えある誉れ高き神聖カルディア王国の王子であるヴァッカーディ王子殿下こそが、その役目に相応しい存在であると言える!」
時刻は夕方、ここは学生寮の前だ。
一号棟の前で騒いでいれば、一号棟に入寮する生徒達だけではなく、二号棟、三号棟へ向かおうとする生徒達の目にも留まる事になる。
学生寮の前で問答を繰り返していたアレックス達の周りには、何事かと注目した生徒達が次第に集まって来ていた。
そんな中でジョージが大きな声で用件を口に出すと、その内容を理解した生徒達の間に少なからぬ騒めきが起こる。
一体何なんだと戸惑う声とふざけるなという怒りの声、馬鹿を言うなと呆れる声が入り混じる。
「よって、そこなる者は可及的速やかに学年総代の大役を学園に返上し、もって殿下にそのお役目を譲り渡すべきである!」
ヴァッカーディ王子に命じられたジョージの口上を聞いた周囲の反応は、どれも否定的な物だった。
それはそうだろう。
何しろローランディア選王国の国是は実力主義だ。
ここ、王立アウレアウロラ学園でもそれは同じで、学生の間には身分の差はなく対等に扱われ、ただその成績、つまりは実力でもって区別される。
その考えから言えば、ジョージが口にしたヴァッカーディ王子の考えは馬鹿馬鹿しいにも程があるものだった。
これが仮に、神聖カルディア王国の学園であればその理屈も通るのだろう。
しかし、ここはローランディア選王国である。
実力でもって評価されるこの学園においては、ヴァッカーディ王子の意見は道理が通らない代物でしかなかった。
他国の王子が何用かと内心で身構えていたアレックスは、予想外の馬鹿馬鹿しい要求に面食らってしまった。
呆気にとられたその心情を表情に出さないように気を使ったほどだ。
「いったいどのようなお話かと思えば……、お断りします。まったくお話にもなりません」
アレックスは、目の前の二人の胸元の徽章をちらりと確認する。
上部に水平線から上る太陽の意匠が施された金色に輝く徽章には、組み分けを表す三枚の小板がはめ込まれている。
それぞれが、学術、武術、魔術の組み分けを表しているのは、初等部アウロラのそれと変わらない。
その徽章に記された二人の組み分けを見れば、ヴァッカーディ王子の徽章は『5・7・9』、近習だと名乗ったジョージの徽章は『5・5・8』となっていた。
とてもではないが、二人の成績では学年総代の大役について論じるには無理があった。
「失礼ですが、そもそもヴァッカーディ王子殿下はご自身の置かれたお立場というものをお分かりになっておられるのですか?」
正直に言って、アレックスは呆れるしかなかった。
よもや断られることになる等とは思ってもいなかったヴァッカーディ王子は、キョトンとした表情を浮かべる。
そして、しばらくしてようやくアレックスに言われた事を理解したヴァッカーディ王子は、怒りのあまり顔を真っ赤に染めて怒鳴り散らした。
「なっ、ふざけるなよ、田舎貴族が!栄誉ある神聖カルディア王国の王子たるこの俺様が、折角優しく忠告してやっているのに断るだと?成り上がりの分際で、何様のつもりだ!」
ヴァッカーディ王子の発言に、周囲で見守る生徒達が色めき立つ。
「アイツ、何言ってんだ?」
「馬鹿なのか?」
「ふざけやがって!」
「帰れ!帰れ!」
ヒートアップする生徒達の様子に危機感を覚えたアレックスは、片手を挙げて生徒達に声を掛けた。
「皆さん、お静かに!落ち着いて下さい」
そうして少しばかり落ち着いた生徒達の様子に、小さく溜息を吐くと再びヴァッカーディ王子に向き直った。
「ヴァッカーディ王子殿下。学年総代の役目は実力でもって指名されるものです。貴方にそれに相応しい実力が備わっていれば、おのずと指名されるでしょう。この場であれこれ騒ぎ立てた所で、何の意味もありません」
そう言うとアレックスは頭を振った。
「お心の程は分かりました。次の定期試験は、是非とも頑張ってください。お話が以上であれば、これで失礼いたします」
アレックスはヴァッカーディ王子に一礼すると、言うべきを言ったとばかりに背を見せる。
「おいおい?アレックス、良いのか?」
「構いませんよ。行きましょう」
確認するかのように呟くレオンに対して、アレックスは肩をすくめてみせる。
そうしてヴァレリー達に行きましょうと促すと、アレックスは歩き出す。
そのアレックスの背中に向けて、ヴァッカーディ王子ががなり立てる。
「おいコラ、貴様!ふざけるな!栄誉ある神聖カルディア王国の王子であるこの俺様を、馬鹿にしやがって!」
その時、アレックスの背にパシンッと何かが当たる感触がした。
振り返ったアレックスが足元を見ると、白い手袋が落ちていた。
その意味に気付いて、アレックスは内心の驚きを顔に出さないように苦心しながら手袋を投げつけてきた相手を見遣った。
アレックスの視線の先に居るのは、怒りのあまりに顔を真っ赤にして手袋を投げつけた姿勢のまま肩で息をするヴァッカーディ王子の姿だった。
「ケケッ、決闘だ!目にもの見せてやるから覚悟しろ!」
「正気ですか?」
思わずアレックスはポツリと小さくこぼしていた。
衆人環視の状況で決闘を申し込まれてしまったのだ。
無しにはできない。
呆れのあまりにため息が漏れる。
そんなアレックスの様子に、ヴァッカーディ王子は増々怒りを激しくしていく。
「いいか、覚えておけ!逃げるなよ?明日の放課後、そこの学生寮の中庭で決闘だ!」
ヴァッカーディ王子は、一号棟と二号棟の間にある中庭を指差す。
そして言う事だけ言うと、周囲を囲む生徒達を押し退けて足音も荒くその場を立ち去っていったのだった。




