第二十七話・春の園遊会
大陸統一歴2317年、4月中小月春の祝祭日
ローランディア選王国、王都セントラル
王都スプリングフィールド選公爵邸にて――
アレックスが王立アウレアウロラ学園高等部アウレアの学生寮に入寮してから五日が過ぎていた。
今日は、スプリングフィールド選公爵邸にて春の園遊会が催されていた。
アレックスは兄ランドルフに約束した通りに春の園遊会に出席するべく、王都スプリングフィールド選公爵邸へとやって来ていた。
会場となる屋敷の中庭には特設のステージが設営されており、今は園遊会のために招かれた楽団が春らしい軽やかな音色の曲を奏でていた。
会場のそこかしこには色とりどりの美しい花で飾られたテーブルが設置されており、園遊会に招待された貴族達が思い思いに集って談笑している。
会場に姿を現したアレックスに気が付いた貴族の視線が、幾つもアレックスに注がれている。
アレックスは貴族達の耳目を集めている事には気付いていたが、相手から声を掛けに来ない限りは努めて視線を無視する事にした。
「さて、皆さん。スプリングフィールド選公爵家主催の春の園遊会へようこそ」
振り返ったアレックスは、ここまで連れ立ってきた同行者達へ声を掛ける。
今のアレックスの格好は、王立アウレアウロラ学園の学生服だった。
アレックスの後ろに続く同行者達――四人の男女――も同じく学生服に身を包んでいる。
それもそのはずで、彼らはアレックスの同級生であるヴァレリー、レオン、シェリー、リリーだ。
会場にやって来た彼らは、キョロキョロと落ち着き無さ気に周囲を見渡している。
周りを見渡せば、そこに居るのは煌びやかに着飾った紳士淑女の方々ばかりだ。
「誘われて来たのは良いんだけど、なんだか場違いじゃないのかな……」
地味な制服をつまんで周囲の大人達と見比べるヴァレリーは、不安気な様子を隠そうともせずに呟いた。
その呟きに、シェリーが呆れた様に口を開いた。
「ヒューエンデンス侯爵家の子ともあろう者が、情けの無い声をお出しになる物ではありませんわよ。私達は、スプリングフィールド選公爵家から正式にご招待いただいてここに居るのです。ですからこういう時は、堂々としていれば良いのですわ」
シェリーの言葉に、それを聞いたリリーも何度も頷いていた。
「そっ、そうよね。偉い人達が集まっているから、ちょっと緊張すると言えば緊張するんだけど……。私の家だと、こんなに華やかな場所には縁が無いからどうしようかと思っていたけれど、シェリーの言う様に堂々としていればいいんだわ」
緊張を隠せない様子の三人に対して、レオンは興奮した様子でテーブルの上の料理に目が釘付けとなっていた。
「おいおい!スゲー豪勢なのな!やっぱ美味いんだろうなぁ……。なぁ、もう食べても良いのか?」
すると、そんなレオンをリリーが小突いた。
「アンタねぇ、この馬鹿!まずはスプリングフィールド選公爵家公子様にご挨拶でしょう?全く、アンタは学園で何を学んできたのよ、この馬鹿!」
「馬鹿馬鹿言うなよ。本当に馬鹿みたいだろ!言われなくったって、それくらいの事は分かってるよ」
アレックス達は、レオンの様子に苦笑を浮かべる。
それから、アレックスは咳払いをして四人の注目を集めると口を開いた。
「それでは、これから兄様に挨拶に行きましょうか。そこで、兄様に皆さんの事を紹介しますね」
こっちですと言って、アレックスは四人を先導する様に悠然と歩き出す。
「そっか。スプリングフィールド選公爵家公子様って、アレックスのお兄さんなんだよな……」
「普段は意識していなかったけど、アレックス君ってスプリングフィールド選公爵家の子なのよね……」
「とっ兎に角、家名に恥じない立ち居振る舞いを心掛けませんと……」
「そうだね。とりあえずはアレックス君に置いていかれないようにしないと……」
四人は急ぎ足でアレックスの後を追いかけていった。
そうして会場の奥へと歩みを進めれば、数人の貴族が列を成しているのが分かる。
その貴族の列の先に居るのは、アレックスの兄であるランドルフとその妻アンジェリーナだった。
二人は、アレックスが近寄って来るのに気付くと、周囲の貴族に一言断ってアレックスの下へと歩み寄ってきた。
「兄様、義姉様、こんにちわ」
「やぁ、アリー、よく来たね」
「いらっしゃい、アレックス君。今日はよく来てくれたわ」
アレックスは二人と挨拶を交わし、その後ろで様子を窺っていた友人達を二人に紹介していく。
「そうか!君達がアリーの話にあったお友達だね?良く来てくれた。ささやかな会ではあるが、楽しんでいってほしい」
そう言って、ランドルフはアレックスに向き直る。
「約束通り、園遊会に顔を出してくれてよかったよ」
「まだ学園の授業は始まっていませんし、それ程忙しいというわけではありませんから」
アレックスは、だから大丈夫ですと頷いてみせる。
「だけど、貴族同士のあれやこれやが好きなわけではないだろ?」
「それは……。まぁ、学園に馴染んでしまうと、ちょっと思う所がないわけではありません」
実際、王立アウレアウロラ学園は広く平民にも門戸を開いている。
学園内では基本的に学生は身分に関係なく指導されるその校風に馴染んでしまうと、貴族の柵を煩わしく感じる気持ちが湧いてくるのも否定はできなかった。
「まぁ、アリーに園遊会に参加している貴族の相手を任せるわけではないから、そこは安心してくれて良いと言いたかったんだけれどね……」
そう言うと、ランドルフは一歩下がって背後の人物に場所を譲って立礼をする。
その横では、アンジェリーナがランドルフに倣って立礼をしていた。
すると、ランドルフの背後から、瀟洒な赤いドレスに身を包んだ壮齢の女性が現れた。
その姿を目にしたアレックスは、驚愕のあまりに思わず息をのんでいた。
アレックスの後では、女性の正体に気が付いていないレオンが呑気な声を上げる。
「なんだ?スプリングフィールド選公爵家公子様をどかして出てくるとか、どんなお偉いおばさブッ!」
失言をしそうになったレオンの脇をリリーがどついて黙らせる。
「グッ、何すんだよ!」
「アンタ馬鹿?馬鹿でしょ、アンタ!」
「お二人とも、おふざけして良い場面ではなくってよ?」
騒ぐレオンとリリーをシェリーが窘める。
後ろの騒ぎを一瞥したアレックスは、目の前の女性に向き直って立礼をする。
「ご機嫌麗しく御尊顔を拝謁奉りまして光栄にございます、女王陛下」
アレックスの立礼に続いて、ヴァレリーやシェリー、リリーも立礼をする。
女王陛下?とレオンが息をのむ。
跪くべきかどうか一瞬迷った後、他に倣って立礼していた。
五人の礼をする態度に対して、女王陛下は満足そうに頷いた。
今、ロザリアーネ女王陛下は王冠をかぶってはいない。
つまり、その装いは非公式な場面を意味しており、ローランディア選王国の礼法では貴族は立礼が正解となる。
周囲の貴族達も、ランドルフの隣に立つ人物に気が付いて立礼をしていた。
ステージ上で演奏していた楽団が、それまでの曲から変わって国歌を奏で始めた。
勇壮で晴れやかな曲が、会場となった庭園に響き渡る。
「皆、ご苦労。面を上げよ」
静かだが確かに響く声音で、ロザリアーネ女王陛下が声を掛けてきた。
続けて、後ろに控えていた護衛の騎士が前に進み出てきて、面を上げよと声を上げる。
そうして、アレックス達は顔を上げて姿勢を正した。
立礼していた貴族達も同様に顔を上げる。
ステージ上では楽団が演奏を止めたため、庭園には静寂が訪れていた。
ロザリアーネ女王陛下は満足気に一つ頷くと、周囲を見渡して口を開いた。
「今年も大過なく春の祝祭日を迎える事が出来たのは、誠に幸いな事である。今回は、久方振りにスプリングフィールド選公爵家主催の園遊会に顔を出すことにした。皆の健やかな顔を見る事が出来たのは、私にとってこの上ない喜びである。今日は、私もこの良き日を楽しもうと思う。皆も楽しんでくれると嬉しい」
ロザリアーネ女王陛下の言葉が終ると、ステージ上の楽団が演奏を再開した。
しばらくすると、姿勢を正していた貴族達も緊張を解き、元の様に歓談を再開し始めた。
「さて、そなたがアレクサンダー・アリス・スプリングフィールドであるな」
「はい、陛下」
ロザリアーネ女王陛下に声を掛けられたアレックスは改めて姿勢を正した。
アレックスは、てっきりロザリアーネ女王陛下はその場にいる貴族達の方へ行かれるのだとばかり思っていた。
迂闊な事に、この時のアレックスは己の置かれている立場というものをうっかり失念していた。
声を掛けられ戸惑う素振りを見せたアレックスの様子に、ロザリアーネ女王陛下へフッと微笑んで見せる。
そうして、静かな口調でアレックスに語り掛ける。
「あなたは私にとっては再従兄弟にあたるのですから、そう緊張する事は無いのですよ。今日はあなたの顔を見に来ただけなのですからね」
「私の顔ですか?……大変光栄でございます」
ロザリアーネ女王陛下は静かに頷いて見せる。
「王立アウレアウロラ学園始まって以来の天才。入学時に学術、武術、魔術の三部門で首席を取って学年総代となり、初等部アウロラの四年間で一度もその座を明け渡す事無く卒業。これは明日になれば分かる事ですが、高等部アウレアへの入学に際しても学術、武術、魔術の三部門で首席入学で学年総代となる事が決まっています」
これは当日まで秘密ですよと、ロザリアーネ女王陛下はアレックス達に目配せした。
「そんな将来有望な再従兄弟の顔を直接見てみたいと思うのは、当然ではないかしら?」
「過分なお言葉をありがとうございます。これからも、陛下のご期待に添えますように微力を尽くします」
「えぇ、期待していますよ」
アレックスの返答に一応の満足を得たロザリアーネ女王陛下は、傍に控えるランドルフに声を掛けると屋敷の方へと歩み去って行く。
ランドルフも、ロザリアーネ女王陛下の後に続く様にしてその場を立ち去った。
残されたアレックス達に、アンジェリーナが歩み寄ってくる。
「フフフッ、お疲れ様、アレックス君。突然だったのに、よく応対で来ていたと思うわよ」
「ありがとうございます、義姉様。ですが、こういう事は前もって教えておいて欲しかったです」
不満を述べるアレックスに対して、アンジェリーナは苦笑を浮かべる。
「私達にだって突然の事だったのよ?今朝、いきなり使者が来たのだから」
いきなりですかと驚くアレックスに対して、アンジェリーナは首を縦に振る。
「さぁ、本当に大変な事は終わったと思うから、あなた達は園遊会を楽しんでいらっしゃい」
アレックスの背後で、小さく歓声が上がる。
それから、アレックス達は会場となった庭園の中に移動する。
会場では、この日のために招かれた料理人が披露する見事な腕前に感心し、供される様々な料理に舌鼓を打った。
特設されたステージ上で多彩な芸をする旅芸人や吟遊詩人の歌が披露されるのを観覧して楽しむ。
そうして、アレックス達は園遊会の様々な出し物を満喫するのだった。




