第二十四話・結婚式
大陸統一歴2317年、4月上小月一日
ローランディア選王国、東方領オルランド伯爵領
オルランド伯爵家の居城、城内ホール――
その日の城内は、どこか忙しない雰囲気に包まれていた。
それというのも、今日がスプリングフィールド選公爵家をオルランド伯爵家へ招いた晩餐会の日だからである。
夕方まで会場の用意に奔走する城の使用人達は、準備を終えた後には晩餐会に参加する貴族の出迎えに奔走する事となる。
この日の晩餐会には、明日のレスリーとギルバートの結婚式に参加する貴族の内でも上位の貴族が参加するものだ。
いわば、結婚式のプレイベントとしての意味を持つ。
それ故に、今日の晩餐会に掛ける城の使用人達の意気込みは高かった。
「随分と豪勢な晩餐会なのですね」
「あら、上位貴族の晩餐会ともなれば、これくらいは豪勢にするものよ?」
アレックスの呟きに、アンジェリーナは微笑みながら言葉を返した。
ホールを見渡せば、コの字型に並べられた長テーブルの上には色とりどりの豪華な料理が並んでいる。
その席に着く貴族達も、皆煌びやかな装いに彩られている。
未だ正式な社交界デビューをしていないアレックスにとっては、目が痛くなるような気さえする程にキラキラというよりもギラギラとしていた。
「皆さんとても着飾っていて……今日でこの様子だと、明日はどうなるのでしょうね」
「まぁ、明日は結婚式なのだから、節度は守ってくれるでしょ。それが分からないようではねぇ」
暗に、場を弁えるだけの判断力が無ければと言うアンジェリーナ。
それを聞いたアレックスは、そんなものなのかと考える。
いくら大貴族家に生まれたとは言え、スプリングフィールド選公爵家に生まれて十二年の人生の中で社交の場に立った事などは数えるほどしかない。
つまりは経験不足とも言える。
前々世からの記憶を加味しても、貴族社会とは面妖なものという印象が拭えない。
数少ない経験をもとに判断するとして、アンジェリーナの言う事はつまり無能では貴族は務まらないという事だ。
少なくとも、ローランディア選王国の貴族に関してはと言うべきだろう。
何しろローランディア選王国の貴族とは、『生まれる』ものではなく『成る』ものなのだ。
ローランディア選王国の国是とも言える実力主義の下では、無能な貴族は生き残れない。
「それより、アレックス君。あっちでレスリーが手を振ってるわよ」
返してあげなくて良いのと、アンジェリーナがアレックスに目線で問い掛ける。
アレックスがテーブルの上座に目線を向ければ、オルランド伯爵家の面々と一緒に並んで座るレスリーと目が合った。
アレックスは、それとなく手を振り返しておく。
そうして、アレックスとアンジェリーナが他愛の無い話をしている内に、列席する貴族達の間に飲み物が配られていった。
それぞれの席にグラスが行き渡ったのを確認したオルランド伯爵が立ち上がり、一頻り挨拶の言葉を述べる。
そうして乾杯の音頭が取られ、いよいよ晩餐会が開幕したのだった。
……
…………
………………
翌日。
いよいよ結婚式の当日になった。
その日の朝も、アレックスはいつも通りに日課をこなしていた。
そうして、朝食も終えて宛がわれている部屋へと戻ったアレックスを待っていたのは、ずらりと並んだメイド達だった。
彼女達はこの城のメイドではなく、スプリングフィールド選公爵家からオルランド伯爵家へと帯同してきた者達だ。
彼女達の目的を察したアレックスは、先頭に歩み出てきたメイドに確認の意味を込めて声を掛けた。
「これから結婚式の準備ですか?」
「はい!左様でございます、坊ちゃま。本日は、レスリーお嬢様の一世一代の晴れ舞台でございます。それに相応しく、坊ちゃまの身だしなみも完璧に整えさせていただきます」
「必要な事なのですか?」
「はい!左様でございます。どうぞ、ご心配なく。私共に全てお任せください」
そう言って笑顔で恭しく一礼するメイドの堂々とした様子に、アレックスは諦めの溜息を零した。
結局、午前中いっぱい時間をかけて入念なスキンケアとボディメイクを施されたアレックスは、全ての準備が終わる頃には死んだ魚の目になっていた。
アレックスが黄昏た気分に落ち込んでいると、部屋の扉をノックする音が響いた。
扉の傍で控えていたメイドが部屋の外を確認すると、アレックスに来訪者の訪れを告げる。
「坊ちゃま、アンジェリーナ様がお越しです」
「はい、どうぞ」
アレックスは、気持ちをフゥと一息吐いて気持ちを切り替えると入室の許可を与える。
それを受けて、メイドは扉を開くとアンジェリーナを室内へ招き入れた。
「さぁ、アレックス君。準備は良いかしら。……、あらあら、随分とおめかしをしたのね」
アンジェリーナは、部屋に入って来るなりアレックスをまじまじと見やってクスクスと小さく笑った。
「笑い事ではありませんよ。全部、メイド達の仕業ですからね」
「あぁ、ごめんなさい。あまりによく似合っているのものだから……」
そう言って、アンジェリーナはアレックスの下まで歩み寄ってくる。
そうして、アレックスの様子をまじまじと見つめた。
「それにしても綺麗ね。少し妬けちゃうかも?」
「冗談はやめてください」
アレックスは、プイッとそっぽを向いてみせる。
そうすると、自分の座る鏡台に映る自分の姿が目に入った。
艶やかな金髪は良く梳られて頭の後で大きなシニョンに纏められている。
白い肌は仄かに赤みがさしてあり、ふっくらとした小さな唇には薄らと紅がさしてあった。
これで何も知らない人が見れば立派な貴族の御令嬢と言っても通用しそうだ等と考えて、アレックスは内心でげっそりとした気分になる。
「フフフッ、そんなにむくれないの。良く似合ってるわよ、アレックス君」
「私は男の子なんですけれど……」
「良いじゃない。とても綺麗で良く似合っているのは、本当の事なんだから」
アレックスはハァと溜息を吐く。
そうして、アンジェリーナへと向き直った。
「それで、義姉様。ご用件は?」
「あぁ、忘れるところだったわ。式の用意が整ったそうだから、アレックス君を呼びに来たのよ」
「義姉様が直接ですか?」
「えぇ、その義姉様が直接呼びに来たのよ」
そう言って、アンジェリーナはおかしそうに微笑んで見せた。
「ムゥ、見世物ではありませんよ?」
「フフフッ、分かっているわよ。さぁ、もう時間もあまり無い事だし、さっさと会場へ移動しましょう」
「ハァ、分かりました、義姉様。では、行きましょうか」
アレックスが立ち上がると、メイドが部屋の扉を開く。
部屋の外に出ると、案内役の城のメイドが控えていた。
そうして、アレックスはアンジェリーナと連れ立って結婚式の会場へと向かったのだった。
城内の敷地の一角に立てられた教会には、既に結婚式に列席する貴族達が詰め掛けていた。
アレックスはアンジェリーナと共に最前列の親族席に腰掛ける。
礼拝堂中央の通路を挟んで向こうの席には既にオルランド伯爵夫妻が席に着いていた。
アレックスが堂内の様子を一瞥していると。キャサリンがやって来て席へと座った。
「あら、アレックス。随分とめかし込んだのね?」
メイド達に命じてアレックスをおめかしさせた張本人は、それでいて素知らぬ顔でアレックスの出で立ちを褒めて見せるのだった。
「母様、分かっていて仰っているのでしょう?」
「えぇ、そうね。とても良く似合っているわ」
その様子に、そろそろ自分は男の子だという事を分かって欲しいものだとアレックスは小さく溜息を吐いた。
そうしてしばらく待っていると、礼拝堂に司祭が入って来た。
司祭の後には白い礼装を身に纏ったギルバートが続いている。
司祭の姿を認めたアレックスはしばし考えて、あぁと小さく感嘆の声を上げた。
なぜなら、司祭が愛と運命の双子神マルベネス教団の者だったからだ。
結婚式では、新郎の信奉している教団に式を執り行ってもらうのが一般的だ。
しかし、ここで問題になるのが結婚する両家の格である。
同格か新郎の家の方が上位であれば問題ないが、新婦の家格の方が上の貴族だとこれが問題になるのだった。
スプリングフィールド選公爵家は、法と秩序の神フェルネスを信奉している。
それに対してオルランド伯爵家は、戦いと死の女神ミルファネスを奉じていた。
ミルファネス教団の司祭が式を執り行うと、参列する貴族にオルランド伯爵家が格上の貴族であるスプリングフィールド選公爵家を蔑ろにしたと取られかねないのだ。
そういう時、多くの場合は自分の信奉する教団ではなく教会に結婚式を依頼する。
この世界の教会とは七柱ある神々を纏めて奉じるための場所である。
教会とは各教団の互助組織であり、お互いの連絡調整のための組織であるのだ。
そのため、教会の管理は各教団が持ち回りで行う。
今回の結婚式では、その持ち回りの担当がマルベネス教団だったという事だろう。
マルベネス教団ならば、その教えの点でも結婚式の司祭としては申し分なかった。
司祭が祭壇の前に立って堂内を見渡すと、礼拝堂に集っていた貴族達も雑談を止めて堂内に静寂が訪れる。
堂内が静かになったのを見計らって、司祭は結婚式の開始を宣言する。
司祭の合図で、礼拝堂の扉が静かに開かれる。
そうして、開かれた扉の向こうからフレデリックにエスコートされて純白のウエディングドレスを纏ったレスリーが静々と進み出てきた。
結婚式を彩るオルガンの音色が堂内に響き渡る中、二人はゆっくりと通路を進んでいく。
そうして、祭壇の手前まで来た所でフレデリックのエスコートが終り、レスリーは祭壇の前に立つギルバートの下へと歩みを進めた。
レスリーがギルバートの下へと辿り着き、二人は揃って祭壇の前で司祭に向き直る。
司祭が結婚式の始まりを宣言する。
司祭の背後の六柱の神像に向けて祈りの言葉を唱えた後、新郎新婦に向き合った。
そうして、ギルバートに対して宣誓の問いを口にした。
「汝、ギルバート・ラン・オルランドよ。其方はレスリー・ヴィクトリア・スプリングフィールドを妻とし、その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命のある限り、真心を尽くす 事をここに誓うか?」
「はい、誓います」
司祭は一つ頷くと隣のレスリーに目を向ける。
「汝、レスリー・ヴィクトリア・スプリングフィールドよ。其方はギルバート・ラン・オルランドを夫とし、その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命のある限り、真心を尽くす 事をここに誓うか?」
「はい、誓います」
レスリーが誓いの言葉を口にすると、司祭は大きく頷いた。
「それでは誓いの口づけを……」
ギルバートとレスリーは向かい合うと、ギルバートがレスリーの顔を隠すベールをそっと持ち上げた。
そうしてお互いの顔を近付けるとそっとキスを交わした。
「ここに二人の結婚が成立した事を神前にご報告いたします」
二人の誓いの口づけを見届けた司祭は、結婚成立の宣言を行う。
こうして、無事にギルバートとレスリーの結婚式が執り行われたのだった。




