第十八話・オルランド伯爵家での朝
オルランド伯爵領に到着したアレックス達の馬車の後には、スプリングフィールド選公爵家の荷物と使用人を乗せた馬車が数台続いている。
彼らを乗せた馬車の車列はそのまま城の裏手に回って行き、城の裏門から旅の荷物の搬入を始める。
アレックス達はと言うと、その日は簡単に――と言っても伯爵家に相応しい豪華なものだ――夕食を済ませると、早々にあてがわれた客室で休んでいた。
翌日の朝になると、アレックスはいつもの様に朝食前の鍛練――ラジオ体操――をした後は瞑想をしながら時を過ごした。
そうしてしばらく瞑想していると、部屋の扉をノックする小さな音が響く。
「どうぞ」
アレックスが返事をすると、扉が開かれてメイドが一人部屋に入ってくる。
「お客様、お早うございます。……、お早いご起床でございますね」
「そうですか?それ程早いというわけでもないと思いますけれど……」
「失礼いたしました。確かに既に日も上っておりますし、お目覚めになられるのに丁度良い時間でございました。申し訳ありませんでした」
謝罪を口にして深々と頭を下げるメイドを見て、アレックスは苦笑を浮かべた。
「謝る程の事でもありませんが……。分かりました、謝罪を受け入れます」
「寛大なお言葉をありがとうございます。それでは朝の身支度をお願いいたします」
朝を告げに来た城のメイドの入って来た扉とは別の扉から、さらに数人のメイドが室内へと入ってくる。
彼女達は、使用人用の控室に待機していたスプリングフィールド選公爵家のメイドである。
「それでは坊ちゃま、朝のお支度をさせていただきます」
「えぇ、よしなに……」
ベッドの縁に腰掛けていたアレックスは、立ち上がるとメイドに促されて鏡台の前に座る。
メイドの一人がアレックスの髪を用意した櫛で梳り、髪を整えている間に他のメイドが今日着る分の服を用意する。
「坊ちゃま、今日の御髪はどのように整えましょうか?」
「今日は特にこれといった用事があるわけではありませんし、夕方の歓迎会も内々の事ですから動くのに邪魔にならなければ大丈夫でしょう」
「畏まりました。それでは、私の方で良い様に整えさせていただきます」
「えぇ、お願いします」
そう言うとアレックスは鏡台の方へ向き直った。
メイドは、アレックスのさらさらとした髪を幾つかの房に分けて編み込んでいく。
そうして、後ろ髪を編み込んで一本にまとめていく。
サイドは三つ編みにしてから後へと回して後頭部の高い位置で毛先をまとめて留める。
しばらくして、今日のアレックスの髪型が出来上がる。
髪型が決まると、次は服だ。
アレックスは、鏡台から立ち上がると控えているメイドの前へと歩み寄る。
メイドが手にしている服は、装飾の控え目な長袖長ズボンとベストだった。
メイドが寝間着に手を掛けて、アレックスから服を脱がせる。
そうして用意された長袖長ズボンに袖を通して、上からベストを羽織る。
アレックスの正直な気持ちとしては、服を着替えるくらい自分で出来るのにというものだ。
実際、王立アウレアウロラ学園では周りにメイド等を置いてはいないので、自分の身の回りの事は自分でしていたのだ。
今更、メイドに服を着せてもらわなければ着替えの一つも出来ないなどという事は無い。
とは言え、今はスプリングフィールド選公爵家の子としての相応しい振る舞いが求められる場面であった。
そのため、アレックスは黙って粛々とメイドによって着替えさせられていった。
最後に襟元をコードタイで留めると、今日の装いが完成する。
「坊ちゃま、お着替えが終りました。いかがでございましょうか」
着替えを終えると、メイドが一歩下がる。
アレックスは、部屋の隅に置かれた大きな姿見を眺めると一つ頷いた。
「うん、良いと思います。ありがとう」
「勿体ないお言葉をありがとうございます」
アレックスの言葉に、メイド達は深く一礼して応じると部屋から下がっていった。
スプリングフィールド選公爵家のメイドが控室へと下がると、それを見届けた城のメイドが歩み寄ってくる。
「お客様、朝食の準備が整っております。食堂へご案内させていただきますので、どうぞこちらへお越しください」
「分かりました。それでは、案内をお願いします」
城のメイドに先導されて、アレックスは城の食堂へと移動した。
食堂へと行くと、そこには既にギルバートの姿があった。
ギルバートは、アレックスの姿を認めると席を立って挨拶してきた。
「やぁ、おはよう、アレクサンダー君」
「おはようございます。ギルバートさん」
アレックスも、ギルバートの言葉に応じて返事を返す。
それから、アレックスは食堂に控えていたメイドに案内されて用意されている席に着く。
しばらくすると、アンジェリーナとレスリーが食堂へやって来た。
二人が食堂に姿を現すと、先に食堂に来ていたアレックスとギルバートと共にお互いに朝の挨拶を交わし合う。
そうして、メイドに案内されてそれぞれが席に着くと、フレデリックとキャサリンがオルランド伯爵夫妻と共に食堂へと入って来た。
先に食堂に居たアレックス達は席を立つと朝の挨拶を口にする。
「うむ、おはよう、アンジー、レスリー、アレックス。おはよう、ギルバート殿」
食堂に入って来たフレデリックが、皆の挨拶に応えて頷く。
その後に続く形で、オルランド伯爵が口を開いた。
「おはようございます、皆さん。さぁ、席に着いて朝食を頂きましょう」
オルランド伯爵が促すと、城のメイドがフレデリックとキャサリンを席に誘導する。
食堂の長机の上座からフレデリックとキャサリン、アンジェリーナ、レスリー、アレックスと並び、その対面にオルランド伯爵と夫人、ギルバートが座る。
全員が席に着くと、オルランド伯爵の合図で朝食が運び込まれてくる。
その日の朝食は、和やかな雰囲気の中で進んでいった。
……
…………
………………
朝食を終えた後、アレックスは執事のアランを伴って城の中庭へとやって来ていた。
中庭へ出ると、ギルバートがアレックスを待っていた。
「ギルバートさん、どうしてここに?」
「父様から言われてね。僕が、アレクサンダー君の相手をすることになったんだよ」
ギルバートの言葉を聞いて、アレックスは小首を傾げた。
「父様や兄様の相手はしなくて良いんですか?」
「閣下やランドルフさんの相手は、父様がするさ。今頃は政務に関して会談中じゃないかな?」
ギルバートは苦笑を浮かべる。
アレックスは、少々の驚きを持ってギルバートを見返した。
「それは重要な事なのではないですか?わざわざ私の相手などしなくとも……」
「ハハハッ、まぁ、会談の内容は、後で父様から聞くから大丈夫だよ。それより今から鍛練をするんでしょう?僕も……いや、僕達もご一緒させてもらえるかな」
そう言うと、ギルバートは振り返って片手を挙げる。
ギルバートの合図を見て、中庭に居た男達が集まってくる。
それは、これから鍛練を始めようとしていたオルランド伯爵領諸侯軍の軍兵達であった。
集まって来た軍兵の男達に、ギルバートはアレックスとアランを紹介する。
そうして、今からアレックスとアランが剣の鍛練を始める事、自分達もそれに参加する事を伝える。
ローランディア選王国にその名を知られた剣の名手であるアランの剣の鍛練とあって、居並ぶ男達は俄然興味を引かれていた。
「えぇ、もちろん構いませんよ。そうですよね、アラン」
それを見たアレックスは、肩越しに背後のアランに問いかけた。
「はい、坊ちゃま、大丈夫でございます。ギルバート様方に意欲がおありなのでしたら、稽古をつける事に問題はございません」
「ありがとうございます」
「「「「よろしくお願いいたします!」」」」
アランの鍛練への参加許可の言葉に、ギルバートとその背後に列を作る軍兵の男達が礼の言葉を述べる。
「いえいえ、礼には及びません。それにまだ始まってもいないのに、お礼を言うのは早いですよ」
アランの指摘に、ギルバートはハッとした顔で頷いた。
「確かにそうですね。では、お礼を言わせていただくのは、鍛練の後にまた……」
アランは鷹揚に頷いた。
「それがようございますな。それでは普段の鍛練について、お教えいただけますでしょうか?」
ギルバートは背後に並ぶ軍兵達を振り返った。
ギルバートの視線を受けて、列の中から一人が一歩前に踏み出した。
列から出た男は、胸に手を当てて一礼すると声を上げた。
「はい!僭越ながら……、まず最初に城の内壁に沿って走り込みを行います。走り込みの後は素振りと打ち込み稽古、日によっては試合形式で地稽古を行う事もあります」
「左様ですか。それでは、今日も最初は走り込みから行いましょう。それでは皆さん、私の後について走ってください。行きますよ?」
そう言って、アランはゆっくりと走り始める。
アレックスとギルバートも直ぐにアランの後に続いて走り出した。
軍兵の男達も慌ててその後を追って駆け出していく。
しばらく走って、結局最後までアランと走っていられたのはアレックスだけだった。
ギルバートも、他の軍兵の男達が脱落していく中で最後まで踏ん張っていたが、最終周回の前に脱落していた。
というよりも、アレックス以外が脱落してしまったので走り込みを中断する事になったといった方が正しい。
領都スプリングフィールドでの鍛練だったら、あと少し走り込みを続ける所だった。
膝をつき大汗を掻いて喘ぐ男達を眺めて、アランはフムと独り言ちた。
「まぁ、そこそこ走れていたといった所でしょうか。しかし、これでは稽古を続けるどころではありませんな。少し早いですが、いったん休憩といたしましょう」
アランが合図をすると、傍に控えていたメイド達が座り込む男達の間を回って水と手拭いを配っていく。
ギルバートも、メイドから水と手拭いを受け取ると器の水を一息に飲み干した。
そうして一息つくと、ギルバートは立ち上がってアレックスとアランに向き直る。
「やっぱり、昨日の今日で二人についていくのは難しいですね」
「いえいえ、ギルバート様。お見事な走りっぷりでございましたよ。この調子で鍛練をすれば、一回り強くなられる事でしょう」
「はい、そうでありたいと思います。とは言え、お二人にはかないそうもありませんね。アランさんもそうですが、アレクサンダー君もほとんど汗もかいてないじゃないですか」
「まぁ、年季が違いますからな。坊ちゃまも、幼い折から鍛えておいでですので……」
アランの視線を受けて、アレックスは苦笑を浮かべた。
鍛練を再開したのはそれからしばらくしての事だった。




