第十六話・オルランド伯爵領へ
その日、昼前から始まったギルバートとアレックスのお披露目会は日の暮れる夕方まで続き、盛況の内に幕を閉じた。
閉会の時間となり、フレデリックがステージ上から終わりの挨拶を述べる。
そうしてお披露目会がお開きになると、アレックスはフレデリック達と共に大ホールから辞去していく貴族達を見送った。
今頃、玄関前は館から帰る貴族達の馬車の列で賑わっている事だろう。
「父様、私達は玄関で見送る必要はないのですか?」
アレックスが問いかけると、フレデリックは一瞬だけ不思議そうな顔を浮かべた。
「そうだな、特別な相手や事情であればそうすべきだろうな……。とは言え、私達がそこまでする相手となると、国王陛下の行幸があった時くらいだろうな」
「そうでしたか。分かりました」
そう言って、アレックスは大ホールに残った他の貴族達を眺める。
「しかし、こうして壇上から公爵閣下達の辞去する様子を眺めるというのは不思議なものです」
ギルバートが感慨深げに呟いた。
それを聞いたフレデリックは、その口元にわずかに笑みを浮かべてギルバートに声を掛けた。
「何、堂々としていれば良い。今日は、私達と一緒に彼らを見送る側なのだからな」
「それはそうなのですが……。やはり、伯爵家の立場としては、同格以上の貴族家を見下ろしているというのが経験した事の無い事なので……」
「まぁ、それも今日という日の特別な事情というものだよ。明日からはまた、いつもの日常に戻るというだけの事だ」
フレデリックの言葉に、ギルバートは苦笑を浮かべる。
確かに、今日の事はまさしく特別な事情なのだった。
フレデリックは、公爵や侯爵といった上位貴族達の退出を見届けると席を立った。
アレックス達も、フレデリックに倣って席を立つ。
フレデリック達が席を立つと、大ホールに残っていた貴族達は揃って一礼をする。
その様子を見たフレデリックは、静かにステージを後にした。
そうしてアレックス達も、フレデリックの後に続いて大ホールから退出していった。
「さて、お披露目会も無事に終了した。皆、ご苦労だったな。ギルバート殿も疲れただろう?夕食までは、まだ時間がある。それまでは部屋に戻ってゆっくりとしていると良いだろう」
「はい、閣下……。正直に言って、少々とは言わず疲れました。お言葉に甘えて、部屋で休ませていただきます」
ステージ脇の扉を潜って大ホールを出たフレデリックは、ギルバートを振り返って声を掛けた。
ギルバートも、ステージ上では堂々とした態度を崩さなかったが、余人の目の無いここでは大きく溜息を吐いて弱音を吐いた。
「うむ。そうするといい。それでは、レスリー。ギルバート殿について、部屋まで送っていって差し上げなさい」
「はい、父様。分かりました……。じゃぁ、行きましょう、ギルバート」
ギルバートはフレデリックに一礼すると、レスリーと連れ立ってその場を後にした。
二人の姿を見送ったフレデリックは、ランドルフとアレックスに向き直る。
「二人とも、今日は良くやった。疲れただろう?夕食まで少し休憩してなさい」
「はい、父様。ですが、今日の午後の分の執務の手伝いはよろしいのですか?」
フレデリックに休んでよいと言われたランドルフが、フレデリックに問いかける。
「構わんとも。今日の仕事の大半は午前中に済ませているからな。それに、今日はお前もよく頑張って貴族達の相手をしていたではないか。少々休んだ所で、罰は当たるまい」
「そうですか?分かりました。そう言う事でしたら、部屋でゆっくりさせてもらいます」
「うむ、そうしなさい」
フレデリックに休むように言われたランドルフは、一礼するとその場を立ち去った。
アレックスもフレデリックとキャサリンに一礼すると、兄弟達の後を追うようにその場を離れるのだった。
……
…………
………………
翌日、アレックスは朝からゆったりとした時間を過ごしていた。
というのも、今日は昼前には魔導飛行船でオルランド伯爵領へ向けて出発する事になっている。
しかし、そのせいで午前の時間が中途半端になってしまい、剣の鍛錬が中止となったのだ。
その分、出発までの時間が空く。
だから、アレックスはまだ午前中であるにもかかわらず、優雅にお茶を飲みながら本など読んで暇を潰しているのだった。
そうして、アレックスが暇を持て余していると、部屋の扉をノックする音が響く。
すぐさま、部屋付きのメイドが扉の向こうを確認する。
「アレクサンダー様。アランが参りました」
「分かりました。どうぞ」
アレックスが入室を許可すると、メイドの開いた扉を潜ってアランが入室してくる。
アレックスは、手にしていた読みかけの本にしおりを挟んで閉じると、部屋の入り口で畏まるアランに向き直った。
「坊ちゃま。オルランド伯爵領への出立の準備が整いましてございます」
「そうですか。では、行きましょうか」
アレックスは、立ち上がると部屋を出た。
アレックスのその後をアランがついて歩く。
館の玄関へ行くと、ギルバートが既に玄関前に居るのが見えた。
「ギルバートさん……。アラン?」
「申し訳ありません、坊ちゃま。お部屋でお待ちいただくように申し上げたのですが……」
ギルバートは伯爵家の嫡子とは言え、まだ爵位を継いではいない。
それゆえ、立場としてはスプリングフィールド選公爵家のアレックスより下である。
とは言え、今はスプリングフィールド選公爵家の客人でもあるのだ。
ゆえに客人を先に玄関で待たせるなどというのは、スプリングフィールド選公爵家の沽券にかかわることであった。
「ギルバートさん?どうしてここにいるんですか?」
「あぁ、アレクサンダー君。いやぁ、遅れない様にと思って、早めに部屋を出たんだけどね……」
ギルバートは、ばつが悪そうに頬をかいた。
それを見たアレックスは、呆れた様に溜息を吐く。
「ギルバートさんは、我が家のお客様なのですよ?それが、私達より早く玄関にいるなんて……」
「本当に申し訳ない……」
アレックスがギルバートに小言を言っていると、フレデリックがキャサリンやランドルフ、レスリー達と共に玄関へと表れた。
「なんだ?ギルバート殿は、やはりもう玄関に来ていたのか……。アレックス、何かあったのか?」
ギルバートとアレックスの様子に、フレデリックが疑問を投げかけた。
すると、レスリーが声を上げた。
「あぁ、あれでしょ?ギルバートが早く来てたんでしょ?迎えに行っても、部屋にいないんだもの。ちょっとどうしようかと思っちゃったわ」
「そうなのか?ふむ、それは良くないな」
レスリーの言葉に、フレデリックは小さく眉をしかめた。
「閣下をお待たせするわけにはいかないと思ったんです。ですから少し早めに部屋を出たのですが……」
ギルバートがフレデリックに声を掛ける。
それを聞いたフレデリックは、ギルバートへと向き直った。
「ふむ。ギルバート殿、その気持ちは良く分かる。しかし、貴族としての道理には合わないな。……、まぁ、私も、一介の騎士に過ぎなかった時分にはその貴族のしがらみや礼儀作法を煩わしく思ったことがあるからな」
そう言って、フレデリックは苦笑を浮かべた。
そして、アランに馬車の準備をする様に告げると、少し考えてからランドルフやレスリー、アレックスを見渡して口を開いた。
「そうだな……。ギルバート殿、いや、お前達もよく覚えておくと良い。貴族にとって社交とは戦場だ。その社交に臨む貴族にとって、礼儀作法とは言ってみれば騎士にとっての剣や鎧の様なものだ。その自らを鎧う武具を疎かにするような者は大成しない。もちろん、時には常識外れな行動や無礼な言動が武器になる事もある。だが、そんなものは特殊な場合の例外にしか過ぎん」
フレデリックの言葉にギルバートは深く溜息を吐くと、姿勢を正してフレデリックに向かって深々と頭を下げた。
「閣下、大変ためになるお言葉をいただき、ありがとうございます。今日のお言葉は、肝に銘じておきます」
深々と一礼するギルバートの肩を、レスリーがバシバシと叩く。
「もう、ギルバートは頭が固いんだから!」
顔を上げたギルバートに対して肩をすくめてみせるレスリーを見て、ランドルフが顔を顰める。
「こらこら、レスリー?お前は、もう少し父様の言葉を真摯に受け止めた方が良いんじゃないか?」
「私はいいんですぅ!そう言う事はちゃんと出来るんだから!」
ランドルフとレスリーが言い合っていると、フレデリックの下にアランが近付いてきた。
「旦那様、奥様。馬車の準備が整いましてございます」
それまで事の成り行きを見守っていたキャサリンが、用件を告げるアランに頷いてフレデリックを振り返った。
「そうですか。貴方、行きましょうか?」
「そうだな。こんな所で長々と立ち話をするものでもないか。では、行くとしようか」
そう言って、フレデリックは玄関の扉を潜ると、用意されていた馬車に乗り込んだ。
そして、アレックス達一行は三台の馬車に分乗すると、ゆっくりと館を出ていった。
その行先は、フルグファヴェノ空港。
魔導飛行船に乗り、オルランド伯爵領へと出発するためであった。




