第十話・昼食会②
フレデリックの乾杯の合図で昼食が始まった。
テーブルへと運ばれてくる料理は、屋敷の料理人が腕を振るった美食である。
しかし、食事もそこそこにアレックスはフレデリックとランドルフを交互に見返しながら、一つの疑問を口にした。
「父様、兄様。お食事をするのは良いのですが、アンジェリーナ義姉様のお姿が無いようですけれど、どちらにいらっしゃるんですか?」
アレックスの疑問に答えたのはフレデリックだった。
「アンジェリーナには、スプリングフィールド選公爵家からオルランド伯爵家への使者として、オルランド伯爵家の本拠であるポルトゥースへ向かってもらっている。今朝の魔導飛行船の便だな」
「そうだったんですか……」
フレデリックの言葉に小首を傾げたアレックスを見て、ランドルフが口を開いた。
「レスリーの結婚式に出席するために、父様がオルランド伯爵領に向かうだろう?父様がオルランド伯爵領に出向いている間は、僕が名代としてスプリングフィールドに残るんだけど……、普通は逆なのにね」
ランドルフは呆れた様に溜息を一つ吐くと話を続けた。
「そんなわけで、父様がオルランド伯爵領に行くことをオルランド伯爵家に告げる必要があるんだけど、今言ったように僕はスプリングフィールドに残る必要があるからね。レスリーは結婚式の当事者だし、アリーはまだ成人してないからこういう使者を務める事は出来ないだろ?だから、使者の役をアンジー……アンジェリーナが務める事になったんだ」
なるほどとアレックスは頷いた。
確かに、名代ではなく選公爵家の当主が訪問するとなれば相手方にも相応の準備がいる。
事前に訪問を告げる使者を立てておくことは、至極納得のいく話であった。
その使者がアンジェリーナだというのも、ローランディア選王国の考え方から言えば不思議なものではなかった。
なぜなら、ローランディア選王国における女性の社会的地位は高い。
それこそ爵位を持つ女性であったり、今回の様に外交的な役目を女性が担う事も普通の話なのだ。
これが近隣国の、例えば神聖カルディア王国ではそうはいかない。
そもそも神聖カルディア王国では、女性が爵位を持つ事は無い。
シュテテドニス帝国でも一部例外を除いて同様だ。
そんな他国であれば、今回のような状況には陪臣家筆頭の家の当主くらいの地位にいる人物が使者として立つだろう。
少なくとも、アレックスの持つ前々世の知識から言うとそうだし、それは前々世から三百年が経った現在でも変わっていない。
「アンジェリーナ義姉様とお会いしたのは兄様の結婚式以来の事だったので、もっとお話などできればよかったのですけれど……」
事情を知って残念がるアレックスの様子に、ランドルフが声を掛ける。
「そんな顔するもんじゃないさ、アリー。結婚式にはアリーも参列するんだから、向こうに行けば話をする時間くらいいくらでも取れるさ」
「そうですね。では、その時を楽しみにしておきます」
そうして、アレックス達が話をしている間にも食事は進んでいた。
皆は、しばし会話を中断してこの日のために用意された美食に舌鼓を打つのだった。
そうして皆が二皿目魚料理の真鯛のソテーのグレープフルーツソース添えを食べ終え、食休みのイチゴのシャーベットが出てきた。
皿が全員に行き渡るのを見ながら、フレデリックがギルバートに語り掛けてくる。
「ギルバート君、料理の方は満足してもらえているかな?」
「はい、閣下。鱒も真鯛も、どちらもとてもおいしくて……。ポルトゥースは海に面しているので魚は食べ慣れているつもりでした。ですが、川魚はポルトゥースだと逆に物珍しい部類ですから、鱒はとても興味深かったですね。しかし、真鯛もポルトゥースでは食べたことが無いような味わいに感じられました。これは、何か秘密がおありなので?」
ギルバートの疑問に、フレデリックは小さく笑顔を浮かべた。
「あの真鯛はポルトゥースで水揚げされたもので間違いないが、スプリングフィールドへ運ぶまでの間に熟成させていてな。水揚げしたばかりの新鮮な真鯛とは少々味わいが違うのだ。ポルトゥースでは水揚げされたばかりの新鮮な魚介が手に入る分、肉の様に魚を熟成させて食べる機会というのは少ないであろう?」
フレデリックの答えに、ギルバートは頷きながら答えた。
「そうですね。オルランド伯爵家では、ポルトゥースで水揚げされた新鮮な魚介が食卓に上ることが良くあります。鮮度はそのまま生で食べられるくらい新鮮なんですよ。ですが、魚を熟成させるというのは覚えがないですね。もしかしたら、初めて食べたかもしれません」
ギルバートの言葉に、フレデリックは満足そうに頷いた。
そうして話をしている間に、次の料理が運ばれてくる。
給仕のメイドが配膳する間に、フレデリックの背後に控えている執事が料理の名前を紹介する。
「肉料理一皿目は、子羊の煮込みでございます」
それを見たギルバートは感嘆の声を上げる。
「羊ですか……。これもまた美味しそうだ」
ギルバートの言葉に、キャサリンが微笑みながら問いかけた。
「あら、ギルバートさんは羊は珍しかったかしら?」
「はい、そうですね。先ほどお話しした通り、オルランド伯爵家、ポルトゥースではその土地柄で魚業が盛んですが、畜産はそれ程盛んではありません。とは言え、牛や豚、鶏の飼育が無いわけではありませんから、それらが食卓に上ることはあります。ですが、羊は無いですね。僕の覚えている限りでは、羊は食べたことがありません」
ギルバートの説明にフレデリックが満足気に頷いた。
「確かに東方領全体を見ても、羊の飼育はほとんど行われていないな。今回用意した羊も、北方領ウィンターヒルから取り寄せたものだ。買い付けに際しては厳選してあるので、なかなか良い物が手に入ったと思っている。是非、楽しんでくれ」
「はい、閣下。それではいただきます。……、美味しい!肉が柔らかくて、それに聞いていた様な臭いを感じません」
「ハハハッ、気に入ってもらえた様で何よりだ」
ギルバートの反応に、フレデリックも笑顔を浮かべる。
こうして、和やかな雰囲気の中で昼食は進んでいった。
料理は二皿目肉料理、サラダ、甘味、チーズ、デザート、フルーツと進んでいく。
やがて、食後のクッキーが配されていった。
昼食も終わりに近付く中、レスリーがギルバートに向けて口を開いた。
「そう言えば、ギルバートはアル君と一緒にアランの剣の鍛錬に参加したんでしょ?いいなぁ、私も一緒に鍛錬したかった……」
レスリーの発言に、フレデリックは少々眉を顰めるような仕草をした。
むくれるレスリーを、キャサリンが静かにたしなめる。
「何を言っているの、レスリー。貴方には、オルランド伯爵家への輿入れの準備があったでしょう?」
「それはそうなんだけど……。それで、実際にアランの指導を体験してどうだった?」
キャサリンにたしなめられて、レスリーはそれ以上は追及されたくないとギルバートに質問を投げかけた。
フレデリックやキャサリンとしても興味のある話ではあったので、レスリーの少々行儀の悪い態度にも目をつぶる。
「どうって……。レスリーの言う通り、とても厳しくて大変だったけれど、でもその分勉強にもなったかな。気にしろ剣にしろとても実践的で、自分の足りない所が良く分かったよ」
「そうでしょ。それで、アル君はどうだった?」
レスリーは、興味津々とばかりに身を乗り出して聞いてくる。
「アレクサンダー君か……。彼は、本当にすごかったね。僕も多少は噂では聞いていたけれど、実際に目にすると驚きしかないよ」
「そうでしょ、そうでしょ!アル君はほんっとにすごいんだから!!そもそもアル君ってばね……」
ギルバートに褒められて、アレックスではなくレスリーが嬉しそうに笑顔を浮かべる。
そして、事実は事実として受け止めるアレックスは、ここで下手な謙遜などはしなかった。
とは言え、口を開けば自慢にしかならない事も分かっているので、下手な発言は控えるアレックスであった。
その分、アレックスへの愛が爆発しそうになっているレスリーは、キャサリンに再びたしなめられていた。
場の空気を換えようと、ランドルフが口を開く。
「アランの実践的な稽古と言うと、あれかな?足を使うって言う……」
ランドルフの言葉に、ギルバートは頷いた。
「そうです。剣を突き込んだ所で前足をパンッと払われて、ものの見事に転ばされてしまいました」
笑顔で答えるギルバートに、フレデリックが興味深そうに頷いた。
「ほぅ、それはまた、アランも随分と優しくなったものだな。私の時には、正面から思い切り蹴り飛ばされたものだが……」
「えぇ?そうなんですか、父様。流石に、僕も蹴り飛ばされた事までは無いかな?」
ランドルフの感想に、フレデリックは渋い表情を浮かべる。
「むぅ、私の時とは随分と違う様じゃないか、アラン?」
そう言って、フレデリックはアレックスの後ろに控えるアランに目を遣る。
フレデリックの視線にさらされたアランは、しれっとした様子で答えた。
「何事も臨機応変でございますので……。血気に逸るお若い頃のフレデリック様相手であれば、あれが相応しいと判断いたしましたまでにございます」
アランの言い様に、フレデリックはフンッと鼻を鳴らして渋面を作る。
「まぁ、実際に賊の取り締まりにあの経験が生かされた事を考えると、五月蠅くは言えんな……」
恐れ入りますと、アランが一礼する。
そのやり取りを見て、ギルバートは興味深そうにフレデリックに問いかけた。
「賊の取り締まりとなると、僕も関心があります。一体どの様な事があったのでしょうか?」
「たいして面白い話ではないが、構わないかね?」
「はい。後学のためにも、ぜひお聞きしておきたいです」
期待に満ちたギルバートの目に、フレデリックはどうしたものかと言いながらも満更ではない様子だった。
そうして、それからしばらくの間、フレデリックの実戦経験を交えた訓話の様な話が続いたのだった。




