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プロローグ中編②

 西暦20XX年 8月

 とある屋敷の一角にて──


 広大な屋敷の一角、これぞ日本庭園といった格調高い庭園の端に、垣根で囲った一画がある。

 その一画の中心に、一人の青年が佇んでいた。


 ヒュンッ……ヒュンッ……


 早朝の清涼な空気を切り裂く様に、小さくしかし力強い風切り音が木霊する。

 木刀を正眼に構え、一振りする度にフッと短く呼気を吐いて構えを確認する。

 青年は身の丈も高く、その手足はスラリとしていて長い。

 それでいて重心は低く、両の足はしかと大地を踏み締めており、落ち着いた佇まいには見る者に揺るぎない力強さを感じさせた。

 端正な顔立ちに切長の瞳、凛然と前を見据える眼差しは鋭く、その様相は磨き抜かれた一振りの太刀……


 決して早いとは言えないペースではあるものの、一振り毎に構えを確かめ全身全霊で打ち込む一撃は見た目のそれより遥かに厳しい。

 その証拠に青年の顔はうっすらと紅潮し、滲み出す汗が全身をしっとりと濡らしていた。

 額に浮いた一雫の汗がこめかみを伝い、ほっそりとした頬から顎先へと流れ行く。

 切れ長の眼差しはじっと眼前を睨み据えて彷徨うこともなく、正眼に構えた切っ先は微動だにしない。

 次の瞬間、剣先がパッと跳ね上がる。

 大上段に振り上げられた切っ先が、そのまま淀みなく流れるように振り下ろされて空を切った。


 吐き出した呼気さえも切り裂くかの様な強く鋭い風切り音……

 しかし、それをなした青年はどこか不満気に眉間に皺を寄せ、ただ真っ直ぐに前を、どこか遠くの彼方をじっと見つめているのだった。


 桜ヶ埼さくらがさき家の朝は早い。

 地元では随一の富豪である桜ヶ埼家には、幾人もの使用人が働いている。

 夜が明け切ると共に動き出す気配を背後に感じ、青年は素振りの手を止めた。

 何時もの時間、馴染みの雰囲気、今迄幾度と無く繰り返した習慣だった。

 一呼吸の残心を解いた青年の背後からそっとタオルが差し出され、ごく自然にそれを手にして吹き出した汗を拭う。


一樹かずき様、龍宗たつむね様がお呼びでございます」

義祖父様おじいさまが?」


 一通り吹き出す汗を拭いながら、目の前の人物を見遣る。

 ロマンスグレーの髪をオールバックに撫で付け、ピンと伸びた背筋は鉄芯を通した様に揺るぎない。

 歳を重ねた彫りの深い顔立ちにもかかわらず、それと感じさせない程の力強さを感じさせる佇まい。

 落ち着いた静かな眼差しは、一樹の視線にも小揺るぎもしなかった。


 フムと吐息と共に一考してからタオルを返す。

 目の前を行く紳士の後を追いながら、視線を先へと移した。

 そこにあるのは、決して大きいとは言えない離れの木造家屋。

 醸し出す格式高い雰囲気が大工の丁寧な仕事ぶりを感じさせる、立派な佇まいの道場である。


さかえさん?」

「一樹様、私のことは栄とお呼び捨て下さい」


 いつも通りの返答に、フゥと溜息と共にかぶりを振る。


「では、栄……道場か?」

「左様でございます」


 相変わらず養子かずき相手でも使用人の分を弁える栄の態度に、毎度の事と諦めの溜息をつく。

 そうして、庭を出た先に建てられた門を通り抜けると、真っ直ぐに道場の扉を開いた。


 道場の奥、床間の前には一人の人物が座していた。

 一樹は迷う事なく相手の前に進み出て胡座をかくと、両拳を床に着いて頭を垂れた。


龍宗様・・・、お呼びにより参上致しました」


 一樹の義祖父、龍宗が一つ頷くと、執事の栄が一振りの太刀を捧げ持ってきた。


「切って見せよ」


 その言葉に、一樹は目の前の人物を改めて見遣る。


 ──桜ヶ埼龍宗


 一樹の義祖父であり、戦前に没落した桜ヶ埼家を立て直して一代で財を築き上げた立志伝中の人物。

 見事な白髪を後ろに撫で付け、彫りの深い顔立ちに鷲鼻、強面の鋭い眼光が正面から一樹を見つめていた。

 齢九十八を迎えても未だに衰えを知らぬその身姿は、世間から「鬼の龍宗」と呼ばれた通りの覇気に満ち溢れていた。


「切って見せよ」


 そう言って、龍宗は顎先でそれ・・を指し示した。

 その言葉に一樹は僅かに片眉を上げて戸惑いを示したが、暫し瞑目して吐息を吐くと静かに一礼し、徐ろに眼前の太刀を取った。


お預りいたします・・・・・・・・


 その様を見つめながら、龍宗は内心で苦笑していた。

 いい歳の大人でさえ、自分を前にして平静でいられる者はそうはいない。

 いかに身内であっても、むしろ身内だからこそ龍宗の厳しさはよく知っているはずだ。

 だからこそ、普通ならこの様な状況で平静でいられるはずがない。

 にも関わらず、目の前の義孫かずきの落ち着き払った態度は、龍宗をして驚嘆せざるを得ないものであったのだ。


 一樹が静かに太刀を履く姿に、迷いは一切感じられない。

 流れる様に自然な動きで太刀を抜き放つ、その構えには何の気負いも感じられなかった。

 それ・・を前にした一樹の表情を見遣って、龍宗はその内心で満足と残念、相反する二つの感情を抑え込むことに難渋していた。


(相も変わらず聡い子よ……)



……

…………

………………



 龍宗の言葉に、一樹の心には多少の驚きと戸惑い、呆れの感情が浮かんだが、すぐにそれと気付かれぬように瞑目した。

 一つ息を吐いて気を落ち着かせ、状況に思考を巡らせて行く。


 一樹の知る義祖父は、下らない冗談や悪ふざけを好まない。

 質実剛健、苛烈にして果断、道理を重んじながら利でもって動く。


 だからこそ、目の前の太刀と龍宗の言葉の意味を吟味する。

 この太刀は桜ヶ埼家に代々受け継がれるものであり、没落した当時の桜ヶ埼家にあっても最後まで残された家宝。

 若き日の龍宗が出征に際して帯刀もした、桜ヶ埼家当主の証でもある。

 それを振るえという事は、つまりはそうゆう事だ。


 義兄あに龍次たつつぐの事がチラリと脳裏をよぎる。

 龍次は今はあれ・・だが、本来は優秀な人物であると一樹は考えている。

 一樹自身は、桜ヶ埼家は龍次が継ぐべきだと考えているのだ。

 ちょっとした切っ掛けさえあればと思う。

 しかし今、一樹は龍宗の目を見てしまった。


 選択肢は常にある。

 しなければならないとかそうあるべきとか、仕方がないだとかの言葉は嫌いだ。

 誰かに決められたからするのではない、自分ですると決めるのだ。

 自分で考え、自分で選ぶ。

 その決断が意志であり、己を貫くことが覚悟だと一樹は考えている。

 吐息一つと共に一樹は目を開いた。


お預りいたします・・・・・・・・


 龍宗に一礼し、三方に乗せられた太刀を手に取る。

 静かに立ち上がって太刀を履くと、傍らに吊り下げられたそれ・・に向き直った。

 鯉口を切って太刀を抜けば、冴え冴えとした鋼の煌めきが目に映る。

 切先諸刃造の刀身が、独特の雰囲気を感じさせた。

 太刀を正眼に構え、鎖で吊り下げられたそれ──背骨付き牛半身・・・・・・・を見据える。


 そうして暫しの時が流れた。


 ソウジャナイ……

 

 両手で構えた太刀の切先をしっかりと標的へ向けて、踏み込みの距離を図り直す。


 チガウ……


 構えを解いて腕を下げ、右足を引いて腰を落とす。

 手にした太刀の切先を引いて、目の前に立つ相手の姿をイメージしていく。


 コウジャナイ……


 標的となるイメージ、鎧武者の姿に違和感を感じて考え直す。

 一呼吸置いて固め直したイメージは、剣と盾を構えた重装備の戦士のそれだった。


 ココジャナイ……


 一樹の胸中に、不意に寂寥感が湧き上がってくる。

 胸の奥にぽっかりと穴が開いたかの様な虚しさと悲しさ、孤独感とが、一樹の心を苛んでいく。


 マチガッテル……


 自分が生きている事に強烈な違和感を感じる。

 胸を開けば空っぽなんじゃないか?一皮剥けば腐って爛れた正体を晒け出すのではないか?といった気持ちが頭を擡げる。


 ジブンノイバショハ……


 ここしばらくの間は大丈夫だと思っていた感覚が、一樹の心を蝕んでいく。


 バケモノ……


 右手の太刀を握り直す。

 目の前の重戦士が、振りかぶった剣を一気に斬り下ろしてくる。

 右足を踏み込んで柄を跳ね上げ、太刀の根元で剣筋を逸らす。

 そのまま左足で斜めに踏み込み、目標の右側面に回り込む。

 頭上に掲げた柄に左手を添えて右足を引き、体軸の回転を加えて一気に斬り下ろした。

 刃筋を合わせた一撃が、牛の硬い脊椎骨を容易く断ち切る。

 二つに斬られた牛半身が、ドシャリと音を立てて落ちた。

 一樹は左足を蹴って素早く距離を置き、一息の間をとって残心を解いていった。

 栄の差し出す懐紙を手に取り、刃に付いた牛脂を拭うと太刀を納めて鞘を脱ぐ。


 その瞬間、道場に張り詰めていた硬質な緊張感が、一気に霧散していく。


「義祖父様、預かるだけ・・・・・ですからね?」

「残念な事よな……」


 ニヤリと凶悪な笑みを浮かべる龍宗の顔を見て、一樹は今日何度目になるか分からない溜息が出るのを感じていた。


「それでは、学校の用事がありますから……」

「うむ、確か陸上であったか?後から儂も会場に行く、昼前には着くだろうよ。子供達の立派な姿を期待しておる、とな?」

「わかりました、理事長・・・。先生方が暴走し過ぎないように手配しておきます」

 太刀を納めて下がる栄の様子を見送ってから、一樹は龍宗に一礼して道場を後にしたのだった。



……

…………

………………



 目の前に置かれた太刀を見据えて、龍宗は小さく溜息を吐いた。


龍宗・・、あれで良かったのか?」

「あれは聡い子よな。委細承知しておろうて……」

「お前がそうと決めたのであれば、もう言う事はあるまいよ……」

「あれが決めた事だ……」


 お互いに、それ以上を語ることはなかった。

 栄には、龍宗のその背中がどこか小さくなってしまったかの様に感じられたから……

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