第九話・昼食会①
剣の修練を終えたアレックスは、館まで来てギルバートと分かれた。
それぞれに、アレックスは自分の私室に、ギルバートはあてがわれている客室へと引き上げていった。
アレックスが自室に戻ってくると、部屋付きのメイドが出迎える。
自室には、既にメイドによって手拭いと桶、大きなタライが用意されていた。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ。汗を拭くための準備はできております」
「ただいま。用意ご苦労様です」
さして汗はかいていないアレックスだったが、ここは素直に手拭いを使う事にした。
「それでは、汗を拭いて着替えてしまいましょうか」
「お手伝いいたします、坊ちゃま」
「えぇ、お願いします」
アレックスは、着ていた短衣とズボンを脱いでメイドに手渡した。
「万物に宿る魔素の力よ。我が指先に熱を灯せ。我が前の水を熱く沸かせ。火水複合魔術、沸騰」
アレックスの衣服を受け取ったのとは別のメイドが、呪文を詠唱して桶の水に手をかざす。
すると、程無くして桶から仄かな湯気が立ち上り始めた。
湯温を確認したメイドは手拭いを桶の温水に浸して軽く絞り、服を脱いだアレックスに手渡した。
アレックスは、受け取った手拭いを使って体の汗を拭っていく。
そうして体を拭き、頭を洗ってサッパリとした後は、新しく用意された衣服に袖を通して身支度を整えていく。
衣服を身に着けたアレックスが椅子に座ると、二人のメイドがそばに寄って来た。
「世界に満ちる魔素の力よ。我が掌に温かな風を起こせ。吹き付けよ。火風複合魔術、微温風」
メイドの一人が魔術で温かな風を起こし、もう一人のメイドがその風でアレックスの髪を乾かしていく。
そうして、アレックスの髪はメイド達によって丁寧に乾かされ、髪に香油を塗って梳られていく。
メイド達の手によって丹念に時間をかけて、アレックスの身支度は万端に整えられたのだった。
そうしているうちに、それなりの時間が経過していた。
アレックスがメイド達の桶やタライを片付ける様子を見ていると、アレックスの部屋の扉をノックする音が響いた。
その音に、メイドが扉を開けて訪問者とその用件を確認する。
「坊ちゃま。昼食の用意が整ったとの事でございます」
「分かりました。それでは、食堂へ行きましょうか」
アレックスは、席を立つとそのまま部屋を出る。
部屋付きのメイドが、丁寧な礼をしてアレックスを見送る。
アレックスは、お付きのメイドを伴って居住館の食堂へと向かった。
「さて、今日の昼食は何でしょうかね」
「はい、坊ちゃま。本日の昼食は、前菜一皿目にはキノコのソテー三種盛り、前菜二皿目には牛レバーのパテ、スープには新じゃがいものポタージュ、魚料理一皿目には鱒のムニエル、魚料理二皿目には真鯛のソテーのグレープフルーツソース添え、食休みにはイチゴのシャーベット、肉料理一皿目には子羊の煮込み、肉料理二皿目には鴨のロースト、サラダには旬の春野菜サラダ、甘味には山羊乳のヨーグルト三種のベリーソース添え、チーズには神聖カルディア王国とシュテテドニス帝国、ノイハイム連邦共和国から輸入しましたチーズの三種盛り、デザートにはオレンジコンポートのタルト、フルーツには春の果物盛り合わせ、食後はバタークッキーとコーヒーまたは紅茶となっております。また、坊ちゃまは、まだ食前酒や食後酒をお召しになられないので、代わりの果実水をご用意しております。それと、パンには白パンをご用意いたしました。なお勝手ながら、コーヒーと紅茶の銘柄はこちらで良い物をご用意しておりますので、なにとぞご容赦願います」
アレックスはメイドの口にした昼食のメニューの豪華さに一瞬だけ考える素振りを見せた。
「今日の昼食は随分と豪華な……。あぁ、ギルバートさんがいらっしゃるからですね。なるほど、分かりました」
スプリングフィールド選公爵家のいつもの昼食なら、サラダにスープとパン、それに魚料理か肉料理が一皿くらいだ。
たまに、フルーツなどの甘味が出る事はあるが、いつもというわけではなかった。
パンだって、いつもは白パンではなく全粒粉のパンを食べる。
もっとも、アレックスは前世の知識で、全粒粉は小麦の表皮や胚芽由来のビタミンやミネラルを含むため栄養に富むと言われている事を知っている。
そのため健康面で言うのなら、白パンより全粒粉パンの方が良いと思っている方だった。
また、全粒粉パンは白パンよりもざらっとした舌触りがするのだが、小麦の旨味を強く感じられる味わいがするのも良いと思っている。
もっとも、白パンのふんわりとした触感が嫌いなわけではない。
要は好みの問題だという事だ。
そんなことを考えながら、アレックスは自分の後をついて歩くメイドを肩越しに振り返る。
「今日の昼食は楽しみですね」
「はい、坊ちゃま。楽しみでございます」
メイドは静かに頭を下げて返事をした。
アレックスの言う今日の昼食が楽しみだというのは本当だ。
それは、アレックスの後ろについて歩くメイドとて同じだろう。
なぜなら、他家ではどうだか知らないが、少なくともスプリングフィールド選公爵家ではアレックス達家族と使用人で、その食事の内容がそう大きく変わらないからだ。
精々、使用人達の食事の方が肉の量や食事全体のボリュームが少ないくらいである。
だから、今日の様に来客があり豪華な食事が振る舞われるような時には、使用人達の賄い料理でもそのお裾分けの様にいつもより豪華な食事が振る舞われるのだった。
そうして、アレックスがメイドとお喋り――と言っても、一方的にアレックスが話す事になる――を楽しんでいる間に、アレックスは食堂へと辿り着いていた。
アレックスの後ろに控えていたメイドが進み出て、食堂の扉を押し開く。
開かれた扉を潜りアレックスが食堂へと足を踏み入れると、食堂には既に兄のランドルフがいた。
「やぁ、アリー。午前中はギルバート君と一緒に、アランの剣の鍛錬を受けてたんだってね」
「はい、兄様」
「ギルバート君はどうだった?正直言って、アランの訓練に参加しようってだけでも大したものだとは思うけど……」
ランドルフの言い様に、アレックスは苦笑を浮かべた。
「そう言う兄様は、どうなんですか?剣の鍛錬は、アランが指導していたと思うんですけれど」
アレックスに言われて、ランドルフが苦い顔になった。
「僕の剣の腕前はアリーだって知っているだろう?アランの本気の鍛錬なんて、僕にはとてもじゃないがついていけないよ。今でも剣の基礎鍛錬は続けているけれど……、アリーの方がどうかしてるんだよ。アランから本気の鍛錬を受けてるんだろう?レスリーだってアランから剣の才能があるって褒められていたけれど、アランの本気の鍛錬は受けていないんだからね」
「どうかしてると言われても、困ってしまいますね……」
アレックスは曖昧に微笑んでみせた。
そんなアレックスの態度に、ランドルフは溜息を吐いた。
「まぁ、アリーに身を立てる方法ができるのは良い事だけれどね」
アレックスは、ランドルフと話しながらメイドが椅子を引いたランドルフの隣の席に着いた。
卓上を見渡してみれば、食堂の上座に当主である父フレデリックの席があり、その斜め左に兄ランドルフが座っており、さらにその隣にアレックスが座っている。
席の配置からして、テーブルの斜め右側が母キャサリンの席、その隣が姉レスリーの席、フレデリックの対面の席がギルバートの席だろう。
アレックスが席に着いて間も無く、フレデリックとキャサリン、レスリーが食堂にやって来た。
家族が食堂に揃うのに少し遅れる様にして、メイドに案内されたギルバートが入室してくる。
そうして昼食を食べる全員が揃った所で、フレデリックが合図を送る。
「今日はギルバート君の来訪を祝していつもとは違う正餐を用意させてみた。存分に楽しんでもらえると嬉しい」
「それは、どうもありがとうございます、スプリングフィールド選公爵閣下」
礼の言葉を述べるギルバートに、フレデリックは鷹揚に頷いてみせた。
すると、給仕のメイドが一礼して食事を運び入れて配膳していく。
「皆様、失礼いたします。それでは、本日の昼食をお運びさせていただきます。まず、前菜一皿目はキノコのソテー三種盛りでございます」
フレデリックの後ろに控えている執事が、今日の昼食のメニューを紹介していく。
給仕のメイド達が、アレックス以外の五人の席のグラスに食前酒を注ぐ。
アレックスには別のメイドが果実水の入ったグラスを用意していた。
全員の前に一皿目の料理が並んだ所で、フレデリックが声を上げる。
「さぁ、今は難しい話は置いておいて、食事を楽しもう。では、乾杯」
フレデリックの乾杯の合図で皆がグラスを掲げる。
「「「「乾杯!」」」」
そうして、その日の昼食が始まったのだった。




