第八話・剣の修練②
アレックスとアランが掛かり稽古を始めて、しばらくの時間が経っていた。
アレックスの剣戟の合間を縫うようにして放たれたアランの横薙ぎの一閃を、アレックスは大きく後ろに下がって避けた。
そうして、それまでの息つく暇も無いかのような連撃の応酬が途切れると、途端に場に静寂が訪れる。
「さて、坊ちゃま。この辺りでお仕舞いといたしましょう。まだ、ギルバート様の打ち込み稽古も残っておりますので……」
「そうですね、分かりました。それでは、私は休憩しながら、二人の稽古を拝見させていただきます」
アランが残心を解くと、続いてアレックスも残心を解いてギルバートの元へと歩き出す。
ギルバートはというと、メイドの用意した折り畳み椅子に腰掛けて二人の遣り取りを見ていた。
「今の稽古を見せられて、今から僕の稽古ですか?なんというか、次元が違い過ぎて僕なんか話にならないんじゃないですか?」
「ギルバート様。看取り稽古も稽古の内でございますよ」
ギルバートの言葉に、アランはニコリと微笑みながら言葉を返した。
「ですが、実践してこそ身に着くのが稽古というものでもございます。とは言え、もちろん実力相応の訓練を行ってこそでございますから、いきなり坊ちゃまと同じ様にやれとは申しません」
「そりゃ、そうですよ。やれと言われたって、僕にはあんな動きはできませんから」
アランの言葉に、ギルバートは苦笑を浮かべた。
「左様でございますか。ですが、端から諦めるというのも如何なものかとは思われます。目標は高く持たつことが理想でございますよ、ギルバート様」
アランにそう言われて、ギルバートはフゥと溜息を一つ吐くと意を決して立ち上がった。
「まぁ、それはそうですが……。ハァ、流石にアレクサンダー君の前でこれ以上は格好が悪いですかね」
ギルバートは椅子の傍らに立てかけていた剣を手に取ってアランの元に歩いていった。
「ギルバートさん、頑張ってくださいね」
「あぁ、ありがとう、アレクサンダー君。さて、少しは頑張って良い所を見せないとね」
アランと対峙したギルバートは、一礼して剣を抜いた。
「それでは、よろしくお願いします、アランさん」
「えぇ、こちらこそ、よろしくお願いいたします、ギルバート様」
アランも、納めていた剣を抜いて構える。
鋼の芯が入っているかの様にピンと伸びた背筋でどっしりとした構えを取るアランには一部の隙も無く、ギルバートは攻めようにも攻められず動けないでいた。
間合いを測る様に、じりじりと距離を詰めていくギルバート。
アランは、ニコリと笑うとギルバートに声を掛けた。
「ギルバート様、攻めなければ稽古にはなりません。この老骨のご心配には及びませんので、ご遠慮なく打ち込んできてください」
顔をしかめたギルバートは、ハァと溜息を吐くと左手でパチンと頬を叩いて気合を入れた。
「確かにそうですね。それでは、行きます」
そう言って、ギルバートは大きく踏み込むと振りかぶった剣をアランめがけて打ち込んだ。
ギルバートの一撃を、アランは軽々と受け流す。
それでも、ギルバートは構わずに二撃三撃と打ち込みを続けていく。
ギルバートは、果敢に何度も打ち込みを続ける。
しかし、アランはピクリとも体勢を崩す事無く、ギルバートの打ち込みを淡々と捌いていくのだった。
「ギルバート様、打ち込みが大振りになっております。止めを刺すための一撃ならばいざ知らず、攻め手を考えるのであれば前後の繋がり、流れを意識する必要がございます。一撃一撃で終わるのではなく、攻守の均衡を図って虚実織り交ぜた攻撃を組み立てなければ相手に通用致しませんよ」
「はい、アランさん!」
アランに指摘されたギルバートは、一旦下がって距離を取ると息を整える様に数度深呼吸を繰り返した。
そして、気合の声を上げると再びアランに打ち込んでいった。
「……、先程と同じ様に思われますな。……ッと?」
ギルバートの連撃を捌くアランは微動だにしなかったが、二撃三撃と続けて打ち込まれた剣戟がフッと軽くなる。
次の瞬間、素早く剣を引いたギルバートはアランめがけて渾身の勢いで突きを放った。
ギルバートの一撃を難無く受け流したアランであったが、その顔には笑みが浮かんでいた。
アランは、ギルバートの剣を絡め捕る様にクルリと剣を翻し、体制の崩れたギルバートの前足をパンッと払った。
たまらず尻餅をついたギルバートの首筋に、アランはピタリと剣を突き付ける。
「防がれるのを前提の牽制攻撃で相手の防御を引き付け、そうして出来た隙をついて渾身の突きを放つ。一連の連続攻撃に相手が慣れた所で、今の攻撃とはお見事でございます」
一頻り、ギルバートの攻め手を褒めるアランだった。
しかし、その後で顔を顰めるとギルバートに忠告してきた。
「ですが、突きを放つのに、力を入れ過ぎのきらいがございますな。踏み込みが大き過ぎて、重心が前のめりになっております。そのような状態で相手に攻撃を防がれると、先程の足払いの様な反撃を受ける事になります」
アランは、やれやれとばかりに首を振る。
そうして、剣を首元に突き付けられて動けないギルバートの代わりに、アランが一歩引いて残心を解いた。
「良い攻撃ではございました。ですが、それを防がれる事を前提に、次の攻撃にどうつなげるかを考えておく事をお勧めいたします」
「分かりました。自分なりに考えてみたいと思います」
アランの忠告に、ギルバートは素直に頷いた。
ギルバートの返事を聞いて、アランは笑顔を浮かべる。
「それが宜しいかと存じます。それにしても、先程の攻防ですが、足を使うなど汚いと仰る方もおられます。ですが、騎士同士の決闘ならばいざ知らず、実戦とは得てしてそういうものでございます。命の掛かった戦いで、綺麗も汚いもございませんからな」
アランの言い様に、ギルバートは少々驚いたような顔をした。
「まさか、スプリングフィールド選公爵家に仕えるアランさんから、そのような言葉が出るとは思いませんでした」
ギルバートの驚きに、アランは平然と笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「死んで守れる名誉など、大したものではございません。生きてこそ成せる事もあれば、守れるものもあるのです。もっとも、この様な考え方は、貴族的ではないと仰る方がおられるのも確かでございます。ですので、これも考え方の一つとして、お心に留め置いてください」
アランの言葉に、ギルバートは真剣な表情で頷いた。
「なるほど、アランさんの仰る事は分かります」
アランの講釈を真剣な表情で聞くギルバートの様子に、アランは少なからぬ好感を抱いた。
「まぁ、このような戦い方は、傭兵や冒険者の得意とする所でございましょうが……。賊を相手にした戦いで、相手が騎士の礼法を守ってくれる道理はございません。もっとも、今日の経験が生かされるような事が無いのが一番でございますな」
そう言って、アランが笑みを浮かべると、ギルバートも全くですねと同意の声を上げた。
「所で、さっきのお話は、アレクサンダー君にもしているのですか?」
ギルバートは、疑問と共にアレックスの方を見遣った。
「いえ、私は……」
言い淀むアレックスの代わりというわけではないだろうが、アランが代わりに口を開いた。
「坊ちゃまは引っ掛かりませんでしたな。元々、坊ちゃまは、剣をただの戦うための道具の一つとして捉えておられます。そもそも必要であれば、手も足もお使いになられる事を厭わない戦い方をされる方でございます。ですから、今回のような講釈を垂れる必要はございませんでした」
アランの答えに、ギルバートは再び驚きの表情を浮かべるとアレックスの顔を見返した。
「私は、大人と比べれば背も低ければ手足も短い子供です。ですから、大人を相手にするとなると形振りを構っていられないだけですよ」
そのギルバートの視線に、アレックスは苦笑を浮かべる。
「ですが、それで一本取られましたからな。あれは見事なものでございました」
アランの言葉に、ギルバートは三度驚きの表情を浮かべる。
訓練とは言え、師範であるアランから一本を取るというのがどれほど難しいかは言うまでもない。
呆気にとられたギルバートを尻目に、アランは修練場に用意されているテーブルへと近付いていく。
それを見たメイドが、テーブルの上の水差しを取ってグラスに果実水を注ぐ。
アランはそれを受け取ると、ギルバートに向けて差し出してきた。
「打ち込み稽古で少々汗をかかれましたからな。こちらの水を飲んで一休みしてくださいませ」
アランの差し出すグラスを、ギルバートは礼を言って受け取ると一息に飲み干した。
そうしてメイドの用意したタオルで汗を拭うと、自分が思っている以上に汗をかいている事に気が付いた。
そして、そのタオルを見ながら、ハッと気が付いた。
ギルバートと並んで果実水を飲んでいたアランを見る。
すると、アランは汗一つかかずに平然とした態度でギルバートを見返してくるのだった。
「さて、坊ちゃま、ギルバート様。丁度良い時間になりましたので、今日の稽古はここまでと致したく思います。お二人とも、少々汗もかいておられます。昼食の準備が整うまで、一通り身体を拭き清めてお休みになられるのが宜しいでしょう」
アレックスもギルバートも、アランの意見に素直に頷いた。
今は鍛錬で体が温まっているとはいえ、汗もかいたしそのままでは四月の風は肌寒い。
二人はアランの言う通りにする事にして、アランの先導で館へと戻っていったのだった。




