第二話・帰郷①
アレックスが話を始めて、しばらくの時間が経った。
そろそろ夕日が空を赤く染めようかという時分になって、部屋の扉をノックする音が響いた。
扉の傍で控えていた従士の一人が、そっと扉を開いて外を確認する。
外を確認した従士は、小声で上司の騎士に報告をする。
すると、報告を聞いた騎士が、フレデリックに向けて礼をすると来訪者について告げた。
「閣下、案内役の空港職員が来ました」
「そうか、入室を許可する」
フレデリックの言葉を受けて扉が開かれ、空港職員の男性が入室してきた。
「スプリングフィールド選公爵閣下。魔導飛行船の搭乗準備が完了したとの事です。乗船のご案内をいたします」
「うむ、ご苦労。……、それでは行こうか」
フレデリックはキャサリンとアレックスを振り返って声を掛けた。
「はい、貴方」
「分かりました、父様」
そう言ってキャサリンとアレックスは席を立つと、先を行くフレデリックの後に続いて部屋を出た。
案内役が先導して廊下を進み、フレデリックがキャサリンをエスコートしていった。
アレックスは、そんな両親の後を黙ってついていく。
しばらく廊下を進むと、魔導飛行船への搭乗口へとたどり着く。
「スプリングフィールド選公爵閣下、ここからは魔導飛行船の搭乗員がご案内いたします」
「ご苦労だった」
一礼して係員が一歩下がると、搭乗口の前から一人の女性が進み出てくる。
「スプリングフィールド選公爵閣下、私が御身のご利用なされる貴賓室担当の客室係でございます。船内へとご案内させていただきます」
「うむ、では案内を頼む」
アレックス達は、そうして客室係の先導で魔導飛行船へと乗り込んでいく。
桟橋を渡り、魔導飛行船の船内へと足を踏み入れたアレックス達親子は、一等船室区画にある乗降口ロビーを通り階段を上がって貴賓室のある特等船室区画へと移動していった。
数部屋ある貴賓室の内、もっとも広くグレードも高い一室が目的の部屋になる。
貴賓室の前までやってきた一行に、客室係が振り向いて声を掛けた。
「こちらのお部屋が、ご利用いただく貴賓室でございます。何かありましたらお声かけ下さいませ。それでは、領都スプリングフィールドまでの道中をどうぞお楽しみください」
護衛の騎士が、一足先に扉を開けて中に入っていった。
続けてフレデリックとキャサリン、そしてアレックスが扉をくぐる。
「さて、領都スプリングフィールドに着くまでは、しばしゆっくりと寛ぐ事にしよう」
そう言って、フレデリックは居室のソファに腰掛けた。
キャサリンも、夫に倣ってソファに腰掛けた。
アレックスはそんな二人を横目に部屋の窓に歩み寄る。
そうして窓から外を見れば、空港の停船場に止まっている隣の魔導飛行船がゆっくりと空港ターミナルから離れていくところだった。
魔導飛行船に接続していた桟橋が船体を離れてターミナル側に寄せられて、その少し後に魔導飛行船が地上の牽引車に惹かれてターミナルの建屋から離れていく。
そうして十分に安全な距離を取ると、魔導飛行船はゆっくりと上昇を開始していった。
「父様、母様。隣の魔導飛行船が飛んでいきます」
「おぉ、そうか。この調子だと、この船が出航するのももうすぐだな」
フレデリックの言う通り、アレックス達の乗った魔導飛行船が出発時刻を迎えて出航したのは、それからしばらく後の事だった。
……
…………
………………
アレックス達の乗る魔導飛行船は、順調に空の旅を続けていた。
そんな穏やかな船旅が続く中、アレックスは両親と共に魔導飛行船の遊戯室を訪れていた。
アレックスは遊戯室に着くと、ぐるりと室内を見回した。
そうして目的の人物を見つけると、両親に声を掛けて歩き出した。
アレックスの進む先にいたのは、級友であるマリーとその祖父であるデモナン・タルックボであった。
二人はテーブルを挟んで向かい合い、卓上に置かれた将棋盤を見つめている。
いや、正確には卓上の将棋盤を見つめているのはデモナンだけであり、マリーは微笑みを浮かべてそれを見ているのだった。
「うぅむ。いや、マリー、待った……」
「お爺様、もう待ったは無しですよ?」
「いやいや、そう言わないでおくれ。待った」
「もう、仕方ないですね」
マリーは、そう言って盤上の駒を一つ動かした。
デモナンも盤上から駒を一つ取り上げると、盤上を睨みつけるようにして唸っている。
その様子は、アレックス達親子が近づいて来た事にもまるで気付かない有様だった。
しかし、デモナンの様子を見守っていたマリーは、自分達に近付いてくる気配に気付いて顔を上げた。
「まぁ、アレックス様。こんばんわ」
そうして、気配の主がアレックス達だと気付いたマリーは、席を立って挨拶をしてくる。
そんな孫娘の立ち上がる気配に、デモナンは釣られる様に顔を上げた。
そうして、その視線の先の人物を認めると、驚いた様子で慌てて立ち上がったのだった。
「これはこれは、スプリングフィールド選公爵閣下。お姿に気付かず、失礼をいたしました。申し訳ありません」
そう言って、デモナンはフレデリック達にソファを勧めた。
フレデリックは、鷹揚に頷くと勧めに応じてソファに腰掛ける。
キャサリンとアレックスも、フレデリックに続く様にソファに腰掛けていった。
「うむ、タルックボ商会の会頭ではないか。息災か?」
「はい、お陰様で商売の方も順調でございます」
フレデリックの言葉に、デモナンは深く頭を垂れて礼をした。
それを見たマリーも、フレデリック達に礼をする。
「まぁ、立ち話も何だな。お前も座ると良い」
「いえいえ、私共は……」
「良い。まぁ、座れ」
「畏まりました。それでは失礼いたしまして……」
そう言ってソファに腰掛けたデモナンは、隣に腰掛けたマリーの肩に手を置きフレデリックに向き直った。
「こちらは、孫娘のマリーと申します。王都の王立アウレアウロラ学園に通わせておりました」
「ほぅ、その子がマリーか。噂には聞いている。何でもかなりの才媛であるとか……」
フレデリックの言葉に、デモナンは恐縮する様にペコリと頭を下げた。
「有難きお言葉、光栄に存じます。第四学年総代であらせられるアレクサンダー様の前で、お恥ずかしい限りでございます」
デモナンの様子を見て、アレックスはフレデリックに声を掛けた。
「父様、マリーさんは、とても凄い方なんです。初等部アウロラの在学中に、魔術師の称号を得ているんですよ」
アレックスがそう言うと、マリーは顔を赤らめて声を上げた。
「そんな……、在学中に魔導師の称号を取られたアレックス様程ではないですよ」
フレデリックは、アレックスの言葉に頷くとマリーに目を遣った。
「そうか。その年にして魔術師の称号まで得ていたとはな。ところで、通わせていたというのはどういうことだ?」
フレデリックは、スッと目を細めてデモナンを見据えた。
「はい、選公爵閣下。私は、孫娘を初等部アウロラの卒業を機に東方領へ戻そうと思っております。これは、孫娘にも言って聞かせている事でございます」
デモナンは、フレデリックの無言の圧力にはビクともせずに、好々爺然とした笑みを浮かべて平然と答えを返した。
その答えに、フレデリックは腕を組んで少し考える素振りをすると口を開いた。
「ふむ、それは少し惜しいな。魔術師の称号を持つ程の腕前を、野に埋もれさせておくのは忍びない。なんなら、青龍騎士団であれば推薦状を書いてやっても良いぞ?」
「勿体ないお言葉。立身出世は庶民の夢でございますからな。しかし、一人の爺としては、孫娘には平穏な家庭を築いてもらいたいという気持ちもございます」
フレデリックの言葉に、デモナンは人好きのする穏やかな微笑みを浮かべたまま返答をした。
しかし、フレデリックも簡単には引き下がらない。
「王立アウレアウロラ学園の初等部アウロラ学術、魔術の第一組というのであれば、相応の待遇で迎え入れるものだ。しっかりと務めを果たせば、騎士としての栄達は約束されたようなものだぞ」
フレデリックは、マリーの胸につけられた徽章に目を留めた。
マリーの身に着ける徽章には、卒業時の成績――在籍していた組を示す『1・5・1』の数字――が刻まれている。
「港湾管理隊は、常に人手不足でな。学術第一組であれば、直ぐにでも内勤業務の仕事を任せられるようになるだろう。それに、騎士ともなれば、家格と働きぶりに見合うような良縁を紹介してやることもできるぞ?」
「誠にありがとうございます。過分な評価をして頂き、大変恐れ入ります。まさか、選公爵閣下御自ら青田買いのお誘いをして頂けるとは……」
恐縮したような素振りを見せるデモナンの態度に、フレデリックは顎に手を当てて呟いた。
「レスリー・アステトの故事であるな」
「流石、選公爵閣下。御明察でございます。これは商人の言葉と思っておりましたが、ご存じであったとは……」
デモナンの言葉に、フレデリックは一瞬だけ面白く無さ気に眉を秘めて見せる。
「世辞はよい。レスリー・アステトは希代の発明家として広く知られておるが、実は一流の軍略家としての顔も持っていてな。そのつながりで知っていただけだ」
「左様でございましたか」
デモナンは笑顔で頷いた。
フレデリックはそんなデモナンの様子を一瞥すると、話は終わりとばかりに立ち上がった。
「領都スプリングフィールドへ帰ったら、お前達はタルックボ商会の本店にいるのだろう?ならば、領都スプリングフィールドについたら、推薦状を書いて送ろう」
「畏まりました。謹んでお受けいたします」
デモナンも席を立ち、その場を後にするフレデリック達を見送った。
遊戯室には、他にも貴族の姿がちらほらと見えており、フレデリック達はそちらの方へと歩み去って行った。
その後ろ姿を見送ったデモナンは、フゥと一つ溜息を吐くと孫娘に向き直った。
「さて、マリーよ……。お前の将来が決まったようだぞ。勿論、お前が望まぬというのならば、話は別だが……」
アレックス達の乗る魔導飛行船の航行は、極めて順調である。
しかし、デモナンの心情は、素直にその事を喜べる様なものではなくなっていた。
「大丈夫です、お爺様」
彼の服の裾を掴むマリーがしっかりとした表情で頷く様子に、デモナンは多少の安堵を覚えた。
そうして、デモナンは深呼吸して心を落ち着かせると、今後に思案を巡らせるのであった。




