プロローグ中編①
大陸統一歴2310年、9月
ローランディア選王国、東方領領都スプリングフィールド
大図書館併設のカフェテリアにて──
カラン、カラァン……
静かな店内に、軽やかなドアベルの音が響き渡る。
ここは、カフェテリア『森の泉』
大図書館に併設されるこの店は、学生達の憩いの場として運営されているカフェである。
店内には要所要所に観葉植物の鉢が配されており、木造の内装と合わせて店名通りに森の中をイメージした穏やかな雰囲気を醸し出している。
今も幾人かの学生達がゆったりとした穏やかな雰囲気の中で、午後の講義がない空き時間を思い思いに過ごしていた。
ここを訪れる人は皆、広大な知識の森を彷徨い歩き、この店にしばしの安らぎを求めにくるのですよ――とは店主の談である。
「は~い、いらっしゃいませ~」
店内に明るい声が響き渡る。
来客を誘導するために、店の奥から一人の店員が進み出て来た。
黒を基調とするブラウスとフリルスカートに白いエプロンドレスが、店の印象と同様に落ち着いた雰囲気を感じさせる。
服装によく映える白い肌に、肩の辺りで切り揃えられた明るい茶髪が軽やかに揺れている。
女性から見ても羨むであろう豊かなプロポーション、人好きのする柔らかな笑顔が魅力的な女性であった。
しかしもっとも目を引くのは、頭上に生える二本の角であろう。
まるで水牛の角を想起させる様な見事なそれは、黒々として見事な存在感を発揮していた。
「あら、いらっしゃい。今日もいつもの?」
「こんにちは、ジェシーさん。よろしくお願いしますね」
いいのよ~と、軽い感じで店の奥へと戻っていくジェシー。
長くしなやかな尻尾が、フリフリと機嫌良さげに軽やかに揺れている。
幼子の方も慣れた様子であり、彼女の様子を確かめる事も無くスッと店先のテラス席に移動していった。
……
…………
………………
店先のテラス席から、広々と見渡せる学園の庭園を眺めながら、待つ事しばし……
テーブルの上に、紅茶とクッキーが置かれてた。
クッキーを一欠片囓ると、さっくりとした軽やかな口当たりと共に香ばしい匂いが鼻の奥に抜けていく。
しっかりとしたバターの風味と優しい仄かな甘みが舌を楽しませ、飲み込めばハーブの香りが爽やかな後味を与えてくれる。
紅茶も芳醇な香りを漂わせ、口内の僅かな余韻を洗い流していくがそこに嫌味は全く無く、微かな渋みがむしろ心地良い印象を与えているのだった。
「ここのクッキーと紅茶は何度食べても飽きませんね」
「うふふっ、君は味が分かるから手が抜けないって、うちの旦那も喜んでるのよ」
ちらりと店内に目をやると、店の奥ではマスターが満足気に頷いていた。
ちなみに、目の前にいるウェイトレスのジェシー・タインは牛人族だが、店の奥でグラスを磨いているマスターのホルス・タインは猿人族である。
少女の様に若々しく明るい笑顔を振りまくジェシーと、老紳士の如き渋みがあり物腰柔らかで落ち着いた雰囲気を醸し出すホルス。
親子と言われても納得できる程に年が離れている様に見える二人であるが、これでも歴とした夫婦だったりする。
しかも、ジェシーの方が歳上の姉さん女房だというのだから、初めて聞いた時は驚いたものだった。
そんな二人の関係は、ご近所さん達からもタイン家の謎などと言われており、いつまでも若々しい妻と美人妻を持つ旦那さんとして、ご近所さん達の嫉妬と羨望の的となっているのであった。
視線を元に戻すと、テーブルに両肘をついたジェシーが和かに微笑んでいる。
その豊かな胸をテーブルの上に乗せて肘をついていると、両の腕に挟まれた胸元がギュッと寄せられて形を変える。
ジェシーが浮かべる満ち足りた笑顔に対して、幼子はふわりと微笑を返すと、
「ところで……こんな風に油を売っていてもいいんでしょうか?」
「いいのよ~、どうせこの時間は何時も暇なんだし?」
確かに、昼下がりの庭園は至って静かなものであり、せいぜいがまばらに人影が見えるくらいである。
そしてそこには学生の姿だけではなく、むしろ散歩を楽しむ市民の姿の方が多い。
スッキリと晴れ渡る空模様に暖かく柔らかな日差し、ゆったりと流れる涼風が実に心地の良い、散歩日和と形容するのが相応しい陽気であった。
麗らかな午後の陽気の降り注ぐ中で、カフェテリアのテラスにて寛ぐ美人が二人……
それだけでも一枚の絵画の世界を髣髴とさせるかの様な風景に、カフェの前を通り過ぎようとしていた人達は思わず足を止めてしまう。
とは言え、ここが学校である以上はのんびりと散歩などしている場合ではないのが学生というものである。
今頃は、多くの学生達が午後の講義を受けているところであろう。
中には昼食に膨れたお腹を抱えて午睡の誘惑と戦ったり、奮戦敵わず夢の世界へと旅に出た者もいるのかもしれない。
幼子は、視線を庭園の先に見える校舎へと泳がせていく。
石造りの立派な校舎を見るとはなしに眺めながら、学校のそんなありふれた日常の風景を幻視してしまうのだった。
そうして、フゥッと一つの溜息を零して、言葉には出さずに独り言ちてしまう。
あぁ、自分はなんて遠くまで来てしまったのだろうかと……




