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プロローグ前編⑥

 どれほどの時が過ぎたのか、分厚かったその本もいつしか読み終わっていた。

 硬く重い本の表紙をゆっくりとした動作で静かに閉じると、そっと小さく吐息をつく。


 潤んだ瞳が微かに揺れて、桜色の小さな唇が、


「あの……皆様…………」


 鈴の音の響きの様に、清らかな音色を奏でていく。


 ついとその面差しを挙げ、桜色の唇に細っそりとした指先を一つ押しあてて、静かに周囲を見回していく。

 いつの間にか、幼子の机を囲んで遠巻きに眺める人垣が出来ていた。


「そんなに見つめられると、困ってしまいます?」


 と、小首を傾げる。


 次の瞬間、人垣からドッと歓声が上がった。


「キャー!カワイイー!!」

「キレイ……」

「素敵……」

「ウォー!可憐だー!!」

「あぁ!お人形さんみたい……」

「ギュってしたい!」

「結婚したい!」

「お持ち帰りしたい!」

「ペロペロしたい!」


 ドカッ、……、バキッ、ゴスッ……


 若干名の男子が片付けられていった。

 ちなみに、結婚したいと言った女性はセーフだった……



……

…………

………………



「諸君、何の騒ぎかね?ここは図書館ですよ、もう少し静かにしなさい」


 今だ騒めきの収まらない人垣の後ろから、巨大な人影が近づいてきた。

 その背は周囲の人垣よりもさらに頭三つ分は高く、本来はゆったりとしているはずのローブを身に纏っていてもなお、はち切れんばかりに盛り上がった筋肉の存在感を欠片も隠す事が出来ていなかった。


「ろっ、老師……」


 その呟きは誰のものであったのか。

 ゆっくりと近づく巨漢の前の人垣が、大海が割れるかの如く動いて道が開いていく。

 大人二人分はあろうかという身幅と筋骨隆々とした体、まるで巨木の如き四肢の様子が服の上からでも見て取れる。

 その人物は、そこにいるだけで巨人もかくやという程の圧倒的な存在感を周囲に放っていた。

 年を重ねて深みの増した彫りの深い面長の顔立ちと短く刈り込んではいるが見事に色の抜けた白髪が、男の歩んできた人生の長さを物語っている。

 しかし、その身の放つ圧倒的なまでの存在感は些かも年齢を感じさせる様なものではなかった。


 人垣の道の先に視線を向けた老師は、幼子の存在に気が付くとその眼差しに優しい色を浮かべて歩み寄る。


「一体何事かと思えば、君であったか」

「アルフレッド様、お久しぶりです」


 と、幼子も席を立って優雅に礼をしながら言葉を返す。


 アルフレッド・ナゥレッジポータル……

 齢八十を前にして未だ現役、東方領を守護する青竜騎士団にあっては魔術士大隊を率いる副団長の一人である。

 そしてまた、スプリングフィールド選公爵立エクウェス学園にて教鞭をとる教授でもあった。

 そう……

 彼こそは、ローランディアにその人ありと謳われる傑物であり、王国有数の魔導師・・・であった。


 老師──アルフレッドは机の上の閉じられた本に目をやると、


「勉強熱心な事だな、もうよいのかね?」


 と、片手をあげて礼を返しながら声を掛けた。


「はい、なかなかに有意義でございました」

「そうか……であれば、その本は儂が返しておこうか?」

「ありがとうございます、アルフレッド様」


 アルフレッドは持っていた杖を机に立てかけると、机の上の本を手に取った。

 分厚く巨大なその本は大人でも抱えて持つ程の大きさだが、アルフレッドが手にすると大きめの大判サイズ程度に見えてしまう。

 幼子の体格ではとても持ち運びなどできないその大きさに、幼子は彼の配慮を素直に受け入れて礼を述べた。

 アルフレッドは目線を合わせて幼子と話そうと身を屈め、結局目線は合わせられないまま、幼子の頭を優しく撫でる。

 その手の巨大さに、幼子の頭がすっぽりと隠れる。


「良い返事だ。また今度、研究室にも遊びに来なさい。皆、楽しみにしている」

「はい、機会がありましたら、ぜひ……」


 うんうんと、アルフレッドが満足そうに頷いていると、机の方からズズズッという重い物を引きずる様な音がして……


 直後、ズドゥーンという地響きを立てて杖が倒れ、床にめり込んでいた。

 あまりの出来事に周囲が静まり返る中、アルフレッドがポツリと、


「ふむ、最近の床は脆くていかんな」


 と、呟いた。

 周囲の視線がアルフレッドに集まるが、当の本人は目の前の事実から逃れようとするかのようにあらぬ方向を向いている。

 コホンと一つ咳払いをして、床にめり込んだ杖を手に取ると、メキメキッと音を立てて杖頭が引き抜かれた。


「コラーッ!図書館で破壊活動しているのは誰ですかぁ!!」


 ビクッと身を縮ませたアルフレッドが恐る恐る背後を振り返ると、小柄な女性が怒りもあらわに腰に手を当てて仁王立ちしていた。


 ショートボブの栗毛にそばかすの残る丸顔、細縁の眼鏡から覗く丸く大きな瞳が幼さを感じさせる。

 しかし、本来なら愛嬌のあるその顔立ちは怒りを宿して吊り上がっていた。

 スラリとしたボディラインのよく分かる濃紺のジャケットとタイトスカートはこの図書館の制服であり、巨人を見上げて反り返る胸元には司書の立場を示すバッジが光っている。


「いや、これはだな。サラ君……」

「老師ッ!何度言えばわかるんですか?老師は巨人も裸足で逃げ出す馬鹿みたいな全身凶器の怪物なんですから、少しは自重してくださいと何度も言っているでしょう?」

「いや、だからそれはの……」

「もう何十回目だと思っているんですか?先日壊した床の張替えもまだ終わっていないんですよ??修繕費でこの図書館をつぶす気ですか???」


 サラ・ヴィブリオティカの発言にその場の全員がウンウンと頷き、アルフレッドが目をやるとササッと目線を逸らしてゆく。

 自分よりはるかに小柄な女性に怒られて身を縮ませる巨漢の図は何ともシュールであった。


 困り顔の幼子が退室の挨拶をすれば、アルフレッドが返事をするより先に……


「はい、さようなら……って、老師!まだお話は終わっていませんよ?」


 と、幼子に笑顔を向けながら、そっとその場を逃げ出そうとしたアルフレッドの腰をガッと掴んだ。


「いや、儂も忙しい身で……」

「ア゛ッ?」

「イエ、ナンデモアリマセン」


 司書室へと連行されて行くその姿は、さながら市場に売られていく家畜の様であったという……

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