第二十八話・学生寮の自室にて
アレックスは、自分に割り当てられた部屋へと入っていった。
扉を潜ると、部屋の広さは目測だが日本で言うなら十畳程だろうか。
一人部屋としては、なかなかの広さだった。
部屋の中を見回せば、廊下側の西壁にはクローゼットとチェスト、一組の机と椅子が備え付けられている。
机の上の棚には、学生用に支給されている教科書が一揃い並べられていた。
南壁にはベッドが置いてあり、反対の北壁の端に鏡付きの洗面台が設置してある。
ベッドを挟んで反対側の外に面した東壁は大きな窓が設置されており、小さなベランダにつながっているのが見て取れる。
そのベッドの脇に、背負い袋が一つ置いてあった。
その背負い袋の中身が、アレックスがスプリングフィールド選公爵家から持ってきた荷物である。
アレックスは背負い袋から中身を取り出すと、一度それらの荷物を机の上に並べていった。
荷物の大半は衣類で、予備の制服から休日用の私服数着、数日分の下着類などである。
他には、アレックスがスプリングフィールド選公爵家から持ち込んだ書物が数冊に文房具、茶道具と訓練用の木剣等が入っていた。
木剣は、その長さから言ってアレックスの背負い袋に収まる大きさではなかったが、問題なく背負い袋の中に入っていた。
と言うのも、この背負い袋はただの袋ではない。
この背負い袋は、その見た目よりもはるかに多くの荷物を収納する事が出来る大変高価な魔法の鞄なのであった。
その収納量は、一軒家の建物に匹敵する容量である。
更に、アレックスは他にも魔法の鞄を一つ持っている。
普段から腰につけているベルトポーチがそれである。
こちらの収納量は、小屋一つ分と言った所であった。
背負い袋に比べればその収納量は比べるべくもないが、それでも十分な収納量になる。
実際、アレックスは身の回りの細々とした私物は基本的にこのベルトポーチに収めているのだった。
「それでは、整理しますか」
アレックスは、備え付けのクローゼットに衣類を手早く収納していく。
もとより一人分の衣類など、片付けるのにそう手間取るものでもなかった。
アレックスの衣類は、あっという間にクローゼットに収まってしまう。
アレックスは、手元の本を整理して独り言ちた。
「さて、こんなものですかね」
一通りの片付けが済んだアレックスはお茶でも飲みながら先生を待とうかと考えた。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい、今開けます」
アレックスは、返事を返すと扉を開く。
扉の前に立っていたのは、オールソン先生だった。
「スプリングフィールド君。部屋の片づけは終わったかしら?」
そう言って、オールソン先生はアレックスの部屋の中を見回した。
「はい、先生。とは言っても、大した荷物があるわけではないので、簡単に終わりました」
「そうですか。スプリングフィールド君は良く出来ているのね。こう言っては何だけど、貴族の子弟にはこういう片付けから教えないといけない子が多いから……」
オールソン先生の言葉に、アレックスは曖昧に笑顔を浮かべて聞き流すしかなかった。
「それじゃぁ、部屋の確認をしてしまいましょうか?まずは、クローゼットの中からかしらね……」
そう言って、オールソン先生はアレックスにクローゼットを開けるように指示をした。
アレックスの開いたクローゼットを覗き込み、中に収められた衣類などを確認していく。
続いて、チェストの中を確認したオールソン先生は、最後に机の上を一瞥して確認を終えた。
「クローゼットの中もチェストの中も、荷物はきちんと整理してあるみたいですね。これから学生生活を続けていく中で荷物も増えるかもしれないけれど、きちんと整理整頓は怠らない様にして下さいね。問題はないようなので、これであなたのオリエンテーションは終了です。この後は夕食の時間まで自由時間になるので、好きに過ごして下さい。何かあったら、先生か寮母さんに相談してくださいね」
オールソン先生は、一通り室内の確認を終えると、そう言って部屋を出ていった。
オールソン先生が退室したのを見送ったアレックスは、一休みするためにお茶を飲むことにした。
先ず最初に、洗面台に置かれた魔力式給水器に手をかざした。
この給水器は魔道具の一種で、使用者の魔力を消費して水を作り出す効果があった。
アレックスは魔力を流して給水器に水を生成した。
その水を、スプリングフィールド選公爵家から持ってきた魔力式湯沸かし器に注ぎ入れる。
この魔力式湯沸かし器も同じく魔術道具で、こちらは魔力を注ぐとお湯を沸かす事が出来る代物だ。
そうして沸かしたお湯を、用意していたティーポットとティーカップに注ぐ。
一度、ポットのお湯を捨ててから茶葉を入れ飲用に用意した別のお湯を注ぐ。
しばらく時間をおいてから、ティーポットのお茶を別のポットに移し替えた。
そうしてティーカップにお茶を注げば、爽やかで芳しい香りが立ち上ってくる。
アレックスは一頻り淹れたてのお茶の香りを楽しむと、そっと一口口に含んだ。
「うん、悪くない味ですね。これからは自分で淹れないといけませんし、少しこだわってみても良いかもしれません」
お茶の華やかな香りが、心を落ち着かせてくれる。
アレックスは、しばらく香りを楽しんでからお茶を飲み干すと立ち上がった。
そうして、部屋を出て廊下の突き当り、娯楽室へと向かった。
娯楽室に入ると、数人の生徒が物珍し気に室内を物色している様子が見て取れた。
娯楽室にはビリヤード台やダーツの的が数台置いてあり、他にはテーブルとソファが並んでいて、壁際には書棚や戸棚が置いてあった。
アレックスが書棚を覗いて見ると、幾つもの本が並んでいるのが確認できた。
並んでいる本のジャンルは様々で、伝記や小説から歴史書その他の学術書まで色々な種類の本が置かれている。
本には『持ち出し不可』と書かれており、娯楽室でしか読めない規則になっていた。
戸棚には、こちらも様々な遊具が納められていた。
一通りアレックスが室内を見て回っていると、アレックスに声を掛けてくる者がいた。
「スプリングフィールド君、君も娯楽室が気になって来たんだね」
振り向くと、ヴァレリーとエドウィンが連れ立ってアレックスの元に近付いてきた。
「あぁ、ヒューエンデンス君、ストームエッジ君。貴方達も娯楽室が気になって来たのですか?」
ヴァレリーは、穏やかに微笑みながら首肯した。
「うん、そうなんだ。それから、僕の事はヴァレリーと呼び捨ててくれていいよ。これから長い付き合いになるんだしね」
「おう、そうだな。俺の事もエドウィンって、……いや、エディと呼んでくれて構わないぞ」
二人の言葉に、アレックスは頷いた。
「そうですか。でしたら私の事も名前で……、そうですね、アレックスと呼んでください」
「分かったよ。アレックス君」
「あぁ、分かったよ、アレックス。……所で、面白そうな物はあったのか?」
そう言って、エドウィンはアレックスが先程まで見ていた戸棚を覗き込んだ。
ヴァレリーも、それに釣られて戸棚を覗き込む。
「色々とあるみたいだね。……、そうだ!アレックス君は将棋はできるの?」
ヴァレリーは戸棚の中から将棋盤を取り出して、アレックスの方を振り向いて尋ねてきた。
「えぇ、嗜む程度には……」
「それじゃぁ、一局指そうよ。エディが相手だと、将棋が弱くて面白くないんだよね」
ヴァレリーの言葉に、エドウィンはムッとした顔をしてアレックスの方を見た。
「俺が弱いんじゃなくて、ヴァレリーが強いんだよ。……、アレックス、遠慮しなくていいからコテンパンにしちまえ!」
エドウィンの言葉に、アレックスは苦笑を浮かべつつヴァレリーに向き直った。
「フフッ、分かりました。それでは一局指しましょうか」
アレックス達は、将棋盤と駒を持って近くのテーブルへと移動した。
その様子に気付いた他の学生達も、アレックス達の元に集まり出した。
何人かの学生は、アレックス達と同じ様に将棋やその他の遊具を持ってテーブルにやって来たりもしていた。
皆、興味はあってもなかなか一歩を踏み出せないでいたのだ。
途端に、娯楽室は賑やかな雰囲気に包まれ始める。
アレックスは、ヴァレリーがテーブルに置いた将棋の駒を手に持った。
そうして、二人で駒を並べていく。
「それでは、先手は振り駒で決めましょうか?」
「そうだね。それじゃぁ、振り駒はアレックス君が振ってくれていいよ」
「分かりました。それでは、振りますね」
アレックスは、並べた駒から歩を五枚取り上げた。
そうして、手の中で軽く駒を混ぜる様にしてから駒を振った。
振った駒の内、歩が三枚でアレックスが先手になった。
「では、私が先手ですね」
こうして、アレックスとヴァレリーの対局が始まったのだった。
二人の対局は、学生寮の夕食の時間まで続くことになる。
対局の結果は、アレックスの勝利だった。
対局が終って夕食を取りに一階の食堂に降りる間も、アレックスとヴァレリー、エドウィンの将棋談義は続いていた。




