第二十六話・お昼休み
アレックスが食堂に向かうと、そこは既に多くの生徒達でごった返していた。
アレックスの今居る場所は、初等部アウロラの使う講義棟と渡り廊下でつながっている食堂の内の一つであった。
王立アウレアウロラ学園で食事の出来る場所は、アレックスの今いる食堂の他にもいくつか存在している。
何しろ、王立アウレアウロラ学園は巨大な学園であり、その生徒数だけでも小さな町に匹敵する。
その人数は、初等部アウロラの学生数だけでも四学年を合わせて四千人余り、高等部アウレアの六学年を合わせれば、この学園で学ぶ生徒の数は九千人を超える。
その学生数の規模に応じて教職員や事務員等の数も多く、全体では一万人を超える人間が学園で生活、活動をしている。
そして、それだけの人数を抱える学園では食べ盛りの学生達の胃袋を満たすために、食事処にしてもそれ相応の規模の食堂が複数用意されているのだった。
他にも、学園の敷地内には学生向けに様々な商品を取り扱う商店や娯楽施設なども複数ある。
その施設の充実ぶりたるや、仮に初等部アウロラの入学から高等部アウレアを卒業するまでの十年間、一度も学園の敷地から出る事が無くとも生活可能な程である。
そのため、王立アウレアウロラ学園は、もはや学園都市と呼ぶに相応しいだけの規模を誇る巨大組織であった。
他にもローランディア選王国の学校と言えば、王立アウレアウロラ学園以外にも四つの選公爵立の他に王国各地に貴族立の学校がある。
それは、一貴族家で運営する学校から複数の貴族の合同で運営される学校まで様々であり、王国には多数の学校が存在しているという事だ。
とは言え、王立アウレアウロラ学園程の規模で運営されている学校は他に類が無い。
これに匹敵するかそれ以上の規模を持つ学校となると、大陸広しと言えども一つしかない。
それは、大陸中にその名を知られる大陸北部の都市国家、学園都市ミラビリスのアルテス総合学院くらいのものであった。
そしてこの事実は、ローランディア選王国がどれほど教育に力を入れているかを示すものでもあった。
「さて、何を食べましょうか?」
アレックスは、雑然として多数の生徒が行き交う食堂で受付カウンターへと向かいながら、今日の昼食をどうするか考えていた。
「あら、もうずいぶんと人が並んでいるのですね」
そう言ったのはアレックスの後に並ぶ女子生徒達の一人だった。
その名をシェリー・ランズベルクと言う。
桃色の髪は腰まで届こうかという程長く、目鼻立ちの整った面長の顔付きは大人びて凛々しい雰囲気を持つ。
このまま成長すれば間違いなく美人になるだろうと思わせる可憐さを持った少女だ。
また、北方領にあるランズベルク伯爵家の三女として継承権第五位を持つ貴族の子女でもある。
その胸元の徽章には『1・9・8』と記されていた。
シェリーは、アレックスの隣に立ってカウンターに連なる行列を見比べていた。
「スプリングフィールド君、あちらの列が少なくてすぐ食べられそうですわ」
アレックスは、言われてシェリーの指差した方を確かめた。
確かに、シェリーの言う通りに他と比べて行列は圧倒的に少なく、その列は数えるほどの人数だった。
「本当ですね。確かに行列は短いです。……ですけれど、あそこはとても高いですよ?」
何がとは言うまでもない。
その店の値段が高いのである。
食堂にはいくつかの飲食店が入っているのだが、シェリーの言う店はこの食堂の店の中では最もグレードが高く、そのため提供される料理の値段もそれ相応の値段がした。
はっきり言って、学生向けの食堂で出される値段ではない。
何しろ他の飲食店の料理の値段が3~5ゴルダ——銅貨3~5枚——であるのに比べて、その店の料理は最低でも30ゴルダ——小銀貨3枚——はするのである。
一日15ゴルダもあれば十分な生活が出来るローランディア選王国の物価から言って、一食で平民の二日分の生活費に相当する値段の料理は十分に高級料理だった。
もちろん、それは平民からしてみればの話ではある。
共に高位貴族であるアレックスとシェリーからしてみれば、特別高額とまでは言えなかった。
とは言え、これから学生生活を送っていく中で、それが普通という金銭感覚ではこれからの学園生活が難しくなるのも事実だ。
何しろ、この学園は多くの貴族も通うとは言ってもその学生の大半は——ある程度裕福な層ではあるが——平民なのである。
学園の各種施設——商店や娯楽施設——も、基本的には平民の生活水準を基本にしている。
もっと言えば、学園で生活を送る中で交友関係を広げていけば、平民出身の生徒との交流も増えるのである。
その時に、彼等との金銭感覚の違いがあると、色々と差し障りが生じる事もあるのである。
「大丈夫ですわ。それに今日は入学式!記念の日なのですから、少々奮発して豪華にしても罰は当たりませんわ。普段は、皆さんと一緒にすれば良いのです。貴族なら、普段は節制してもここぞという時には出し惜しみしてはいけないものだと、父様も仰っておりましたもの」
「なるほど……。そういう事なら良いのではないですか?それでは、あちらのお店にいたしましょう」
シェリーの金銭感覚が高級店を標準と考えるようなものであったなら、付き合い方を考える必要があるかと思っていたアレックスではあったが、シェリーのその言葉にこれなら大丈夫そうだと納得していた。
「スプリングフィールド君とランズベルクさんはあちらのお店にされるのね……。私達にはちょっと無理があるから、こちらのお店にするわ。それじゃぁ……」
アレックスとシェリーが高級店の列に並ぶのを見た他の女子生徒達は、二人とは違いそれぞれ他の飲食店の列に散らばっていった。
列に並んでしばらく待つと、アレックス達の順番が回って来た。
勝手が分からず困惑の表情を浮かべるシェリーに、カウンターの向こう側から受付の年配女性が声を掛けてきた。
「はい、いらっしゃい!ご注文はどうしますか?こちらがメニューですよ」
シェリーは戸惑いながらも受付の女性が指示したメニューを見遣った。
「えぇっと……、それでは、ビーフシチューをお願いします」
「はい、毎度。お代は38ゴルダになります。……ビーフシチューを一つ!こちらで少々お待ちくださいね」
シェリーが代金を支払うと、受付の女性は奥の調理場に注文を伝える。
シェリーは、受付の女性が言う通り受付の脇にどいてアレックスに場所を譲った。
「はい、次の方どうぞ!ご注文はどうしますか?」
アレックスは置かれてあるメニューにサッと目を通した。
そうして、そこに書かれている品名を見て声を上げた。
「あっ、カレーライスがあるのですか?」
「はい、そちらは当店のおすすめメニューの一つですよ。追加料金を払えば、トッピングにコロッケやから揚げ、ソーセージやカツレツを付ける事が出来ますがどうしますか?」
アレックスがこちらの世界に転生して来てから、食事で困った事は無かった。
この世界は科学技術でこそ日本、いや地球に劣るものの、魔法技術の発達によって文明レベルは決して低いものではない。
それは例えば料理にも表れていて、調理方法にしても焼く煮る以外に炒める蒸す揚げるといった調理方法が普及している。
実際、アレックスはこれまでにコロッケやハンバーグ、から揚げ等、日本で親しんだ様々な料理をこの世界でも食している。
とは言え、多種多様なスパイスを必要とするカレーライスはこちらの世界では食べた事は無かった。
そのため、流石にこちらの世界では食べられないものと半ばあきらめてもいたのである。
しかし、それが目の前にあって食べられるとなれば話は別である。
「なるほど……、それではそのカレーライスに、カツレツをトッピングしてお願いします!」
「はい毎度。お代は43ゴルダになります。……カレーライスにカツレツのトッピングを一つ!直ぐに出来ますから、少々お待ちくださいね」
久しぶりにカレーライスが食べられるとあって上機嫌なアレックスは、代金を支払ってシェリーと共に注文した料理が出てくるのを待った。
程無くして、二人の注文した料理がカウンターに出される。
シェリーの分のトレーには、ビーフシチューと新鮮なサラダに白パンとフルーツの盛り合わせ。
アレックスの分のトレーには、カツカレーと新鮮なサラダにスープとフルーツの盛り合わせだった。
「食べ終わったら、食器はこちらの返却口に持ってきてくださいね」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
そう言って料理を受け取った二人は、空いている席を探して周囲を見渡した。
手にしたトレーからは、料理のかぐわしい香りが二人の食欲を刺激してくる。
空いている席を見つけた二人の足取りは、食欲に駆られて自然と早足になってしまうのだった。




