第十四話・神聖術士
マニングス大司教に連れられて、アレックスは神殿の礼拝所からその横に併設されている診療所へとやって来た。
マニングス大司教は、そのまま診療所の奥へと進んで行く。
アレックスも、マニングス大司教の後について診療所に足を踏み入れた。
診療所に入ると、一人の男が机に向かっているのが見えた。
見た目はまだ若く、背の高い精悍な顔つきをした男である。
マニングス大司教が、その男の元へと歩み寄る。
すると、マニングス大司教を認めた男が声を掛けてきた。
「これはこれは、マニングス大司教ではありませんか。こんな所に珍しい」
「カニンガム司祭、先程そちらに回した書簡には目を通しましたか?」
「えぇ、拝見しましたとも」
男の返事を聞いて、マニングス大司教は満足そうに頷いた。
「こちらは、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールド君です。この度、神聖術士に認定する事になりました。つきましては、認定のための実力の確認と実績作りのために、こちらの診療所の患者の治療をしてもらう事になりました」
「ほぅ、件の書簡が事実なら、心強い事ですね」
マニングス大司教の言葉に男――カニンガム司祭――は興味深そうにアレックスを眺めた。
「そういう事なら、診てもらいましょうか。丁度、魔力切れで難渋していた所です。彼らもこれで快復するならば喜ばしい事でしょう」
カニンガム司祭はそう言って、手にしていた魔力回復薬の瓶を棚へと戻して、アレックスの方に進み出てきた。
「この診療所の責任者をしているクラフト・カニンガムだ。よろしく頼む」
「アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドです。よろしくお願いいたします」
カニンガム司祭の差し出した手を取って、二人は握手を交わした。
「それでは、後はお願いしますね。報告は、後程お願いします。私は自分の仕事に戻りますので」
マニングス大司教は、そう一言告げるとその場を後にした。
「それじゃ、早速患者を診てもらおうか。勿論一人で見ろなんて言わない。私も一緒に行って、君の神聖術を見せてもらう。何かあればこちらからアドバイスもするので、緊張せずに気楽に構えてほしい」
それを見送ったカニンガム司祭は、そう言って診療所の奥へと進んでいった。
アレックスも、カニンガム司祭の後についていく。
診療所の奥は仕切りで幾つかの区画に分かれた部屋になっていて、そのうちの一つにカニンガム司祭は入っていった。
アレックスも続いて部屋に入ると、頭や手足に包帯を巻いた患者が六名、ベッドに寝かされているのが見えた。
「それでは、早速始めようか。あぁ、君達、心配しないでいい。治療の目途が立ったので、これから施術していく。この子は年は若いが、腕の方は大丈夫だ。それじゃ、一人づつ順番に治療していこうか」
部屋に入って来た二人の姿に訝し気にしていた患者達ではあったが、カニンガム司祭が言葉を掛けると静かに事の成り行きを見守る態勢になった。
アレックスは、ベッドの一つに近付いて患者の様子を伺った。
「この男は、先程運ばれてきた患者で、仕事中に屋根から落ちて足を骨折したそうだ」
「分かりました、カニンガム司祭様。それでは施術に入ります」
男は、足を添え木で固定して包帯を巻いてある。
カニンガム司祭を見上げて、男は苦し気に声を上げた。
「頼みますよ、先生……。大事な仕事の最中なんだよ。明日には仕事に戻らねぇと親方にどやされちまう」
アレックスは首元に手を添えて解放と唱えた。
そうして、男の足にそっと手を添えると、祈りの言葉を唱え始める。
「法と秩序の神フェルネスよ、慈悲深き御手にて癒しを与えたまえ、彼の者をその苦しみから救い出したまえ、神聖術、高速再生」
アレックスの掲げた掌から、淡く揺らめく光の渦が沸き上がる。
掌から零れ落ちた光が、ベッドに寝かせられた男の身体に降り注いでいく。
「なんだ?足がムズムズする。痛みが消えた……!」
「単純骨折なら骨がつながるのに半日は掛かりますから、今日一日は安静にしていて下さい。一晩寝れば、朝には歩けるようになっていますよ」
男はバッと顔を上げてアレックスを見た。
アレックスは男に向かって頷いて見せる。
「そいつは、ありがてぇ。これで親方にどやされずに済むってもんだ」
アレックスの施術を見て、カニンガム司祭が感心した様に声を上げた。
「大したものだ。あの書簡に書かれていた事を疑うつもりはないが、相当なものだな。子供の魔力では、高速再生は厳しいだろうに、随分と平然としているようだね。これなら他の患者も治してしまえるかな?」
カニンガム司祭の言葉に、アレックスは頷いた。
「はい、まだ余裕はありますから大丈夫です。このまま、他の患者さんも診てしまいましょうか」
そうして、アレックスは他の患者にも神聖術による治療を施していった。
……
…………
………………
アレックスが患者の治療を始めてから暫くが経った。
結局、アレックスは診療所奥の病室に寝かせられている患者の治療をするだけでなく、その後に診療所を訪れてきた患者の治療も一手に担った。
治療の途中からは診療所にある白衣を着て、神聖術士見習いの印も身に着けさせられていた。
そうして、アレックスが診療所の治療を手伝い始めてからしばしの時間が過ぎ、外はもう日が暮れ始めていた。
「患者の容体に合わせた、大治癒や小治癒、治癒促進の使い分け、病気の患者への疾病治癒まで、見事な神聖術だったよ。これなら、神聖術士として認定するのに問題はない」
「カニンガム司祭様、お褒めいただき、ありがとうございます」
カニンガム司祭は、アレックスの神聖術に満足そうに頷いた。
「正直に言えば、このままこの診療所で働いて欲しいくらいだが、そうは言っていられないな……。まぁ、今日の成果をマニングス大司教に報告すれば、直ぐにでも神聖術士に認定されるだろう」
「カニンガム司祭様。認定を受ける立場で、私がこう言うのも何ですが……、そんなに簡単に認定してしまってよろしいのですか?」
アレックスの疑問に、カニンガム司祭はニヤリと笑った。
「普通、神聖術を使い始めた頃には、力の加減が分からずに余計に代償を消耗してしまったり、逆に代償が足りずに不発に終わったりするものだ。だから、力の加減を覚えるために長い修行をしたりする。しかし、君の神聖術は非常に安定したものだった。それこそ、熟練の神聖術士の様にね」
「そんなに評価していただけるのであれば、幸いです」
カニンガム司祭の評価に、アレックスは礼を述べた。
しかし本当の所は、これくらいの事はアレックスにとっては左程難しいものではなかった。
それは、前々世のアラム・サラームの頃に、神殿で必要な修行を十二分に熟してきた経験と知識があるからだ。
「あぁ、だから、君には修行の必要性が感じられない。アレクサンダー君、君なら今すぐにでも診療所の一線で活躍する神聖術士になれる。これは、君の神聖術を目の前で見ていた私が保証しよう」
「そこまでほめていただけるのであれば、嬉しいです」
カニンガム司祭の評価は高い。
その事に、少しばかり面映ゆい心持ちのアレックスであった。
二人が話していると、助祭の服を着た女性がやって来た。
女性は部屋に入ってくると、カニンガム司祭に声を掛けてきた。
「カニンガム司祭様。夜勤との交代時間になったので参りました」
「あぁ、もうそんな時間か。さて、後の事は任せておきなさい。マニングス大司教にはしっかりと報告させてもらうから、安心しなさい」
「分かりました。それでは失礼いたします」
そう言ってアレックスは部屋から辞した。
その足で神殿の別室で待機している執事たちの元へと向かう。
別室へと足を踏み入れたアレックスを見て、執事が座っていた椅子から立ち上がった。
「アレクサンダー様。診療所の方はもう宜しいので?」
「えぇ、一通りの仕事は終わりました。今日はもう帰りましょう」
「畏まりました。それでは帰りの馬車の準備を致しましょう」
執事が指示を出して、御者の男が部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送りながら、アレックスは今日一日を振り返り、王都観光だけのつもりが思わぬ事態になったものだと感じたのだった。




