第十三話・フェルネス教団の神殿にて
アレックスを乗せた馬車は、市街地の中心部にある教会から、フェルネス教団の神殿へとやってきていた。
教会のある市街地が中流階級の市民が暮らす一角であったのに比べると、ここフェルネス教団の神殿のある場所は必ずしも治安が良い場所とは言い難い立地に建っている。
そこは歓楽街にもほど近い位置でもあり、所得の低い所謂下層階級の住む地域とも境を接する様な一角である。
とは言え、下層階級の住む町と言っても貧民窟というような場所ではない。
本当に困窮している貧民の住む場所は、王都でもさらに外れの方――城壁の外にあるのだ。
だからここは、王都の中でも比較的所得の低い労働者達が住むような場所というだけであって、彼らが都市民であることに違いはない。
しかし、本来であれば貴族であるアレックスの立ち寄るような地域とは言えないのも本当だ。
だが、フェルネス教団の神殿のある立地としてはそれ程驚くような事ではないのだった。
フェルネス神は、法と秩序の神である。
その教えの性質上、都市部では治安維持機関としての機能を併せ持つ事が殆どである。
その為、フェルネス教団の神殿は治安維持の拠点として、神殿の位置は都市の中でも治安のあまり良くない場所――治安維持機関としての教団の必要性がある場所――に立てられていることが多い。
それは外国の話に限らず、ここローランディア選王国とて同じである。
アレックスの乗った馬車が神殿の前に到着すると、周囲を行き交う人々の視線が集まってくる。
周囲に少しずつ人が集まり出してきて、神殿入り口の門に控えていた守門の一人が馬車へと近付いてきた。
守門の男――フェルネス教団の聖印を下げた修道士だ――が、御者の男に向かって誰何の声を上げる。
「本日は如何様でご来訪されたのか?」
「こちらはスプリングフィールド選公爵家が第三子、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールド様がお乗りになっておられます。本日は、フェルネス教団の神殿に参拝のために訪れた次第です」
「念のため、馬車を検めさせていただきたい」
そう言って、守門の男が馬車の傍へとやってくる。
それを見て、アレックスは同乗する執事に言葉を掛けた。
「一旦、ここで降りましょう」
「畏まりました」
執事はそう言って馬車の戸を開いた。
執事が降りて足台を準備し、守門の男に向き直る。
「守門の方、お仕事ご苦労様です。こちらに御座しますのは、スプリングフィールド選公爵家が第三子、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールド様でございます」
執事の口上に合わせて、アレックスは馬車を降りた。
「これは、ようこそおいで下さいました。本日は、神殿へ参拝にお越しになったという事でございますね?」
「左様でございます」
守門の男の問い掛けに、執事が返答を返した。
アレックスが一歩前に進み出ると、それを見た執事はアレックスの後ろに下がって控えた。
「中へ入ってもよろしいですか?」
「あっ、はい、構いません。どうぞ、ご案内いたします」
アレックスは一つ頷くと、先導する守門の男の後についていった。
正面の門を潜ると目の前にはフェルネス教団の神殿が立っている。
神殿の脇には別棟の建屋があり、そちらは修道士達の居住スペースとなっていた。
アレックスは、男の案内で神殿の中へと入っていく。
すると、神殿の中に足を踏み入れたアレックスに近付いてきた男がいた。
男は、法と秩序の神フェルネスの聖印を胸に下げた司祭であった。
司祭は、厳つい顔に似合わぬ笑顔を浮かべて、アレックスに声を掛けてきた。
「神殿へようこそ。こちらは任せて、貴方は持ち場に戻りなさい」
司祭は守門の男に持ち場に戻る様に告げると、アレックスに向き直った。
「本日は参拝にご来訪されたそうで……」
「はい、そうです。それとこちらは些少ですが、お納めください」
アレックスの言葉に合わせて、執事が懐から小袋を取り出して司祭に手渡した。
受け取った小袋のしっかりした重みに、司祭は少しばかり驚いた顔を浮かべた。
「後は、こちらの書簡を教会でいただいてまいりました。然るべき方に、こちらの書簡をお渡しいただけますでしょうか」
「分かりました、お預かりいたしましょう。……これは!直ぐに然るべき方にお渡しいたしますので、礼拝をしながらでもお待ちください」
封筒を受け取った司祭は、封筒を懐にしまうと急ぎ足でその場を去っていった。
その後ろ姿を見送ったアレックスは、神殿奥にある祭壇へと歩みを進めた。
祭壇の前へとやった来たアレックスは、そこで膝を折り神へと祈りを捧げるのだった。
暫くの間、アレックスが祭壇前で祈りを捧げていると、アレックスの背後に歩み寄ってくる人達がいた。
アレックスが立ち上がり振り向くと、そこにいたのは司祭服を着た男を供回りに連れた豪奢な司祭服を身に纏った男だった。
男の身分を示すその服は大司教のものであり、好々爺然とした雰囲気でにこやかに笑みを浮かべていた。
「君がアレクサンダー・アリス・スプリングフィールド君ですね?」
「はい、大司教様。私が、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドです」
「ふむ、良く知っておいでだ。私は、フェルネス教団のローランディア選王国支部副支部長をしているトーマス・マニングス。王都セントラルの大教区の一つ、南大教区を預かる大教区長でもある」
マニングス大司教は、アレックスの名乗りに鷹揚に頷いて見せた。
「君が教会から預かってきた書簡は拝見しました。神聖術が使えるという事ですね?優れた神聖術士は、常に不足しています。在家とは言え、神聖術士が増える事は大変喜ばしい。これも神のお導きという事でしょう」
マニングス大司教はそう言って、瞑目すると胸の聖印に手を当てて短く祈りの言葉を唱えた。
「さて、今直ぐにでも君を神聖術士として認定する事はやぶさかではない。とは言え、神殿にやって来ていきなり認定するというのも、それは前例がない。すまないが、神殿の診療所で、その腕前の程を少しばかり確認させてもらおうかと思う」
「……はい、分かりました」
アレックスはマニングス大司教の言葉に身を乗り出そうとした執事を手で制し、マニングス大司教の言葉に頷いて見せた。
アレックスに制止された執事は、渋々ではあるがアレックスの指示に従って無言で引き下がった。
「何、簡単な事だ。今、神殿の診療所には何名か入院して療養中の患者がいる。神聖術士としての認定のための実績作りとして、その患者の治療をお願いしたいのだ。まぁ、教会での事が本当であれば、そう難しい事ではないだろう」
アレックスは、マニングス大司教の言葉に少しだけ考える素振りを見せてから頷いて見せた。
「今からという事ですね。……はい、分かりました。それでは患者に施術をしますので、診療所にご案内をお願いできますか?」
「良い返事だ。それではこちらに来てもらえるかな」
マニングス大司教は一つ大きく頷くと、アレックスを先導して歩きだした。
アレックスは、黙ってマニングス大司教の後についていくのだった。




