第十二話・診療所にて
アレックスは、マリーンと共に教会に入って直ぐの診療所へとやって来ていた。
マリーンは、診療所へと入ると傍で診療所の掃除をしている修道士に声を掛けた。
「療養する患者を運び込むから、奥のベッドを整えておいてください」
「はい、司祭様。畏まりました」
掃除の手を止めた修道士が、診療所の奥へと向かっていく。
マリーン達の後についてきた男たちの運ぶ担架は、修道士の誘導に従って診療所の奥へと移動していった。
奥へと向かう修道士を一瞥して、マリーンはアレックスに向き直った。
「さて、アレクサンダー君。……身体の方は大丈夫?」
そう言って、マリーンは診療所の椅子に深く腰掛けた。
アレックスにも手近な椅子を勧める。
「はい、ありがとうございます、リンドバーグ司祭様。ご心配は分かりますけれど、私の身体の事なら問題はありません。大丈夫ですよ」
笑顔で答えるアレックスの言葉に、マリーンは驚きの表情を浮かべた。
「大丈夫ですって?だって、貴方……、神聖術は何の代償もなしには行使しえないわ。神聖術とは、言わば神の奇跡よ。祈りと共に神に代償を捧げて、神の御力を我が身に降ろして神の御業を再現する。けれども、大きすぎる力というものは、神ならぬ人の身には過ぎたるものなの」
マリーンは渋い表情を浮かべて、診療所にやって来てからも落ち着いた様子を見せるアレックスを見遣ってさらに言及していく。
「貴方の行使した神聖術は、幾つもある術の中でも高位の術である即効再生なのよ?私だって、十全に準備をしていても一度使えば霊力も魔力も底をつく程に消耗するわ。……ましてや、子供の貴方が何の準備もせずにあれ程の神聖術を行使しておいて、平然としていられる事の方がおかしいのよ?」
「それはそうなんですけれどもね……」
そう言って苦笑するアレックスの様子を見て、マリーンはハァと溜息を吐いたのだった。
「まぁ、もう済んでしまった事をどうこう言っていても仕方がないのだけれど、……貴方にも何か事情がありそうだし、身体に何も問題がないのなら、深く追及する事はやめておきましょう」
「ありがとうございます、リンドバーグ司祭様」
にっこりとほほ笑むアレックスに、マリーンは呆れて再び溜息を吐いた。
マリーンは、頭を振って意識を切り替えると改めてアレックスへと向き直った。
「所で、アレックス君。……改めて確認するけれども、貴方は神聖術士だったの?」
マリーの問い掛けに、アレックスは暫しの間考えてから答えを返した。
「いいえ、リンドバーグ司祭様。私は教団に認定された神聖術士ではありませんよ」
マリーンは、アレックスの言葉に若干渋い顔になりながら言葉を続けた。
「そうだったの。それなら、早く認定を受ける事をお勧めするわね。闇医者の類は、教団から嫌われますからね」
「そうですね。分かりました。私としても、教団と事を構える気はありません。できるだけ早くに、認定を受けるようにします」
「そうしなさい。貴方なら、優れた神聖術士になれるでしょうから。……いえ、貴方は既に優れた神聖術士なのよね」
マリーンの言葉に、アレックスは曖昧にほほ笑むだけだった。
「それにしても、フェルネス教団は有望な新人を迎え入れる事になるのかしら?そうだとしたら、少し羨ましいわね」
「高く評価していただけるのは嬉しいのですけれど……、今の所、私は教団に出家するつもりはありませんよ」
アレックスの言葉にマリーンは少し意外そうに目を見開いた。
「あら、そうなの?……あぁ、でもスプリングフィールド選公爵家なら、無理をして教団に出家しなくても大丈夫なのね。まぁ、在家のままでも神聖術士にはなれるから、あまり問題にはならないわね」
「そういうわけではありませんが……」
アレックスは曖昧に微笑んで見せた。
そんなアレックスに、マリーンは笑みを浮かべた。
「そういえば、まだお礼を言っていなかったわね。さっきの患者の事だけれども、貴方が神聖術を使ってくれて本当に助かったわ。ありがとう。……正直に言うと、私が対処していたのであれば、手遅れになっていた可能性がとても高いわ」
マリーンは、そう言って居住まいを正してアレックスに頭を下げた。
突然に礼をするマリーンの態度に、アレックスは驚いて声を上げた。
「あぁ、リンドバーグ司祭様、お顔を上げてください。私は、ただ自分にできる事をしただけです。そんな、頭を下げられるような特別な事ではありません。……あぁ、いえ、特別な事なのかもしれませんが、自分の出来る精一杯の事をしただけです」
慌てるアレックスの姿に、マリーンの目尻が下がる。
「そうね。そういう事にしておきましょうか。ただ、君の力で一人の命が救われたのだという事は、まぎれもない事実です。勿論、だからと言って自惚れるのはいけませんが、自信を持ちなさい。あれは、まぎれもなく貴方の功績ですよ」
マリーンは、そう言って胸元の聖印に手を添えて小さく祈りの言葉を口にした。
「ありがとうございます、リンドバーグ司祭様。……それで、今になってこれを渡すのも、話が変な方向に行ってしまいそうなので何ですが……」
そう言って、アレックスは背後に控えている執事に振り向いた。
頷いた執事は、一歩進み出ると懐から一つの小袋を取り出した。
執事の手から小袋を受け取ったマリーンは、その袋のしっかりした重みに中身を察して、訝し気にアレックスを見遣った。
「さっきの功績もあるのだし、今更無くても構わないように思うのだけれど?」
「それはそれ、これはこれです。彼の治療の事があってもなくても、お布施をお渡しする事に変わりはありません」
「そういう事なら、受け取っておきましょう。……そうすると、私の方からは、彼の治療に対するお礼が必要かしらね。少し待っていなさい」
そう言って、マリーンは机の上にあるペンを取って、紙に一筆認めていく。
少しの間、書き物をするカリカリというペンを走らせる音がして、やがてマリーンは顔を上げた。
引き出しから封筒を取り出すと、書き終わった手紙を畳んで中に入れて封蠟を垂らした。
最後に教会の印を押してから、アレックスへと振り向いて手にした封筒を差し出した。
「後で、フェルネス教団へも顔を出すのでしょう?今日ここであった事を、手紙に認めておきました。同じフェルネス教団の司祭から推薦するよりも弱いでしょうけれど、教会からの推薦だって無視できるものではないわよ」
封筒を受け取ったアレックスに、マリーンはにこりと微笑んで言葉を続けた。
「この手紙を教団に持って行って話をしなさい。その方が、色々と話がスムーズに進むはずだから。……とは言え、そのまま神聖術士に認定される事は無いでしょうけれど、これがあれば長い修行を経る事無く認定されるでしょう」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。必ず役に立てます」
アレックスは、受け取った封筒を胸に抱いて深く礼をした。
実際、普通は神聖術が使えるから神聖術士にしてくれといきなり言っても、直ぐに認定されるわけではない。
神聖術が本当に使えるか確認する事はもちろんの事、通常は神聖術士見習いとして教団でそれなりの修行期間を経てから認定されるものである。
その修業期間が無くなるかもしれないだけでも、この封筒の価値は大したものなのだった。
「アレクサンダー様、そろそろ……」
執事がそっとアレックスに囁きかけてきた。
その執事の言葉に、アレックスも頷きを返す。
「リンドバーグ司祭様。私はそろそろお暇させていただきます。今日は、ありがとうございました」
「いいのよ、アレクサンダー君。こちらこそ、今日はとても助かったわ。ありがとう」
マリーンもアレックスの言葉に頷き、本来の仕事に戻るために席を立った。
アレックスは、マリーンに一礼してから部屋を辞した。
「アレクサンダー様、この後はいかがなさいますか?」
診療所を出て馬車に向かいながら、執事がアレックスに今後の事を問うてきた。
アレックスは足を止めることなく、それに答える。
「今後の事もありますが……、一先ずは当初の予定通りに、このままフェルネス教団へと向かいます」
「畏まりました。それでは馬車の準備をいたします」
「よしなに……」
暫くして、アレックスを乗せた馬車は教会を後にするのだった。




