第十一話・教会にて
午後になり昼食を終えたアレックスは、次に王都にある教会を訪れていた。
教会は石造りの周囲の建物より二回りほど大きい建物で、正面の大扉は人の背丈の倍はある大きな門構えをしていた。
大扉の周囲を囲む彫刻は神代の時代をモチーフとしており、神の従者である戦士達の姿が彫られている。
その教会の大扉は日中は開け放たれており、来る者を拒む事は無い。
「ここが、王都セントラルの教会なのですね。……ふむ、王都にあるにしては、思っていたよりも小さな建物なのですね」
「はい、アレクサンダー様。王都は各教団が各々の神殿を建てている事もあり、その信者は教会よりもその神殿に礼拝に訪れることが多いのです」
「なるほど……。王都は、神殿が七つ揃っているのですね。それで、礼拝に訪れる者の姿をあまり見かけないわけですか」
貴族の乗る馬車に周囲の人々の注目が集まっているが、アレックスは人の目を気にせずに教会の中へと足を踏み入れていった。
アレックスの言葉の通り、教会の中は人も疎らでひっそりとした空気が漂っている。
正面奥の壁にはステンドグラスがはめ込められており、降り注ぐ日の光を受けて煌びやかな輝きを放っている。
祭壇の奥にはステンドグラスの下、七柱の神々を模った彫像が美しくきらめいて見える。
「ですが……、この光景を見ただけでも、ここに来た甲斐があるというものですね」
アレックスは教会の中を進み、祭壇の前まで歩み寄った。
そこは、訪れた者が神々に祈りを捧げるために用意されたものだ。
アレックスは当然の様に祭壇の前に膝をつき、神々の彫像を前に祈りを捧げたのだった。
「これはこれは……、小さくて可憐で敬虔な信徒さんがおいでになりましたのね」
アレックスが振り返ると、一人の女性が歩み寄って来た。
緑色の髪にアイスブルーの瞳、細面で切れ長の目をした凛々しい雰囲気の美人である。
その胸には本とペンを模った聖印を下げており、その女性が知識と感性の女神アイリスを奉じるアイリス教団の司祭であることを示していた。
「お初にお目にかかります、司祭様。……それとも、神官様とお呼びした方が宜しいでしょうか?」
襟元の徽章を一瞥してコクリと小首を傾げつつ、アレックスは相手に問うた。
アレックスのその問いに、問われた司祭の女性は笑顔を浮かべて答えた。
「あら!良く分かるのね。とても良く勉強をしておいでだわ。私は、アイリス教団の司祭で神官戦士のマリーン・リンドバーグと言います。それで、貴方のお名前は?」
「私は、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドと申します」
「アレクサンダーちゃんね……。あら?」
アレックスの答えに、マリーンは意外そうに驚いて目を瞬かせた。
「小さいのは認めますけれども、可憐というのは勘弁して欲しいですね。これでも、私は男です」
「あらあら、ごめんなさいね。スプリングフィールドというと、選公爵家のあのスプリングフィールドよね?」
マリーンの問いに、アレックスは頷いて見せる。
「スプリングフィールド選公爵家に、こんなに可愛らしい……、いえ、立派なお子様がおられたなんて存じませんでしたわ。不勉強でごめんなさいね」
「いえ、構いません」
神妙な顔をして謝罪を口にするマリーンに、アレックスは笑顔を浮かべ謝罪の言葉を受け入れた。
二人がそんな会話をしていると、不意に教会の外が騒がしくなった。
「何かあったのかしら?」
マリーンは、アレックスに一礼すると教会の出入口へと向かっていった。
アレックスは、少し考えてからその後を追う事にした。
教会の出入口にやってくると、人だかりが出来ていた。
その中心には担架に乗せられた血塗れの男性が横たわっており、担架を前にして職人風の衣装に身を包んだ男性が司祭に縋り付いていた。
「司祭様、どうか助けてください。崩れた建材の下敷きになったんです。直ぐに治療しないと、助かるものも助からねぇ。司祭様!どうかお願いします」
男の必死な様子に、マリーンは落ち着いた様子で声を掛けた。
「とにかく落ち着いて。先ずはこの人を診療所に運んでください。処置をするのはそれからです」
後をついて来たアレックスが目にした患者の容体は、誰の目にも一刻を争うものだと一目で判じた。
潰れた手足があらぬ方向に折れ曲がり、血を吐いた男の顔は土気色をしていて最早虫の息といった有様である。
マリーンの指示で担架を運んできた男達が、再び担架を担いで場所を移そうとしている。
アレックスの目には、担架に乗せられた男の容体はこのまま診療所に運び込んでいては手遅れになると思わわれるものだった。
アレックスは、止む無しと声を上げた。
「待ちなさい!運んでいては間に合いません。このままここで施術をします」
「なんだこのガキ!邪魔だ、どけ!」
担架を担ごうとする男達から怒声が上がる。
アレックスはそんな男達の怒声を無視して、担架に歩み寄った。
アレックスは自らの首筋にそっと手を触れて、解放と小さく唱えた。
「アレクサンダーちゃん、治療の邪魔になるからどきなさい」
進み出るアレックスを制止しようと、マリーンはアレックスの肩に手を掛けた。
しかし、アレックスはそんなマリーンを無視して、祈りの言葉を唱え始めたのだった。
「慈悲深き法と秩序の神フェルネスよ、傷付き苦しむ哀れな子に大いなる癒しと恵みを与えたまえ、その御手にて救いを求めし子を苦しみの淵より救い上げたまえ、神聖術、即効再生」
アレックスの掲げた掌から、淡く揺らめく光の渦が沸き上がる。
掌から零れ落ちた光が、担架に寝かせられた男の身体に降り注いでいく。
「アレクサンダーちゃん……、貴方、神聖術士だったの?」
驚くマリーンの目の前で、アレックスの放つ光を浴びた男の身体には劇的な変化が起こっていった。
潰れて折れた手足は真直ぐに伸び、全身の傷が塞がっていく。
男の浅く早かった呼吸は、落ち着きを取り戻して深くゆっくりとしたものに変わっていった。
それを見た周囲の男達から、喜びに満ちた歓声が上がる。
「やった!傷が治ったぞ!!」
「助かったのか!」
「こいつはえらいこった!早くこいつの女房にも知らせてやらねぇと!!」
「嬉しい知らせだぁ!急げ、急げぇ!!」
担架を囲む男達の輪の中から、一人の男が慌てて駆け出していった。
「皆さん、傷が治ったからと言っても、まだ安心はできませんよ。怪我をして失った血や体力までが回復したわけではありませんからね」
歓声に沸く男達を見渡して、アレックスは気が早いと言って宥めていった。
その言葉に応じたのは、マリーンだった。
アレックスの言葉にマリーンも頷いて、男達に指示を出したのだ。
「それもそうね。念のために、二、三日は教会の診療所で療養した方が良いでしょう。さぁ、患者を運んでください。奥のベッドを用意させますからね」
それから、マリーンはアレックスの方を振り返って言葉を掛けた。
「アレクサンダー君……、君も、ちょっと一緒に奥にいらっしゃい」
マリーンのその言葉を聞いたアレックスは自らの首筋にそっと触れると、教会の奥にある診療所へと向かうマリーンの後に続いて診療所へと向かうのだった。




