第三話・空の上
魔導飛行船が飛び立ってから暫くして、アレックスはキャサリンと共に展望室を訪れていた。
展望室と言っても、窓から外を見られるだけの四等船室区画のそれとは違い、一等船室区画の展望室は特等船室区画にもつながるフロアと一緒になった吹き抜けのついた二層構造のような造りになっている。
展望室上層のフロアでは、キャサリンが椅子に座って寛いでいる。
アレックスはというと、キャサリンに許可をもらって下層フロアに降りていた。
「母様、外がとってもよく見えます!ほら、雲があんなところに……」
前世でも今世でも、空の旅というものはどこか特別な印象がある。
地上からでは決して見る事の出来ない景色が見られるというのが、特別感を増しているのかもしれないとアレックスは考える。
見下ろす位置に浮かぶ雲が見えるのだ。
実際、船窓から見える空の景色というものにアレックスは得も言われぬ高揚感を感じていた。
「ハハハッ、坊ちゃんは空の景色が珍しいようですな」
アレックスにそう言って声を掛けてきたのは、まだ幼い少女を連れた恰幅の良い初老の男性だった。
男は白髪交じりの頭を撫で付けながら、アレックスに向けて歩み寄って来た。
「こうしてお目通りが叶うのは初めてでございますな。私の名はデモナン・タルックボと申します。領都スプリングフィールドにて、タルックボ商会というしがない商人をしておる者でございます。以後、お見知り置きを……」
「アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドです。よろしくお願いいたします」
「はい、アレクサンダー様。あぁ、こちらは私の孫娘でマリーと申します。当年とって8歳になりましてございます。こちらも、以後お見知り置きを」
笑顔のデモナンは、そういって一歩横にずれて孫娘――マリーの背を押した。
金髪碧眼で小柄な愛くるしい少女である。
「えぇっと、マリー・タルックボです。よろしくお願いします」
「アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドです。よろしくお願いいたしますね、マリーさん」
アレックスがにこりと微笑みかけると、マリーははにかんで頬を赤らめた。
「はい、アレクサンダー様……」
「同い年なのですから、気軽にアレックスと呼んでもらっても構いませんよ?」
こくんと小首を傾げながら、アレックスはマリーにそう提案してみた。
マリーは驚いたように祖父――デモナンを見上げる。
デモナンは、そんな孫娘の頭を優しく撫でてから大きく頷いてみせた。
「……はい、分かりました。えっと、アレックス様?」
「う~ん……。まぁ、いいです。仲良くしましょうね」
アレックスの言葉に、マリーはこくんと頷いた。
「それでは、これから一緒に遊びに行きませんか?この後、係の方がこの魔導飛行船の中を案内してくれることになっているのですけれど……」
「左様でございますか。マリー、折角のお誘いなのだから、ご一緒させていただきなさい」
口籠るマリーに代わって、デモナンはアレックスの誘いを了承した。
見上げるマリーの頭を、デモナンはポンポンと優しく撫でつける。
「では、行きましょうか、マリーさん。それでは、失礼しますね、タルックボさん」
「お爺様、行って参ります」
「あぁ、気を付けていっておいで。アレクサンダー様、マリーをよろしくお願いいたします」
アレックスが手を差し出すと、マリーはおずおずとした様子でその手を取った。
笑顔のアレックスに手を引かれ、二人はタルックボの元から立ち去っていく。
護衛の騎士が、タルックボに一礼してからそんな二人の後に続いていった。
……
…………
………………
アレックスとマリーの二人を見送ったデモナンは、上層フロアへと足を運んだ。
上層フロアでは、キャサリンが給仕からお茶を淹れてもらっている所だった。
「デモナン、上手くやったものですね、貴方は……」
「キャサリン様、お久しぶりでございます。しかし、上手くやったと言うのは、どういう事でしょうかな。私は、ただ孫娘に年の近い友達が出来ればと思いました次第でして」
デモナンは、キャサリンの座るテーブルの傍まで歩み寄っていく。
キャサリンはお茶を一口含んでから、デモナンに向き直った。
「……そういう事にしておきましょうか。そうすると、あの子は王都へ遣るという事なのね?」
「左様でございますな。あの子は聡明な子でございますから、きっとアレクサンダー様のお役に立てる事があるかと……」
「まぁ、それは頼もしい事ですのね。その時は、よろしくお願いいたします」
「畏まりましてございます。その時には、きっとご満足いただける事と存じます」
キャサリンとデモナンは、お互いに笑顔で頷き合った。
……
…………
………………
その日の夜、アレックスとキャサリンは特等船室区画に作られたレストランで夕食を取っていた。
「アレックス、お友達が出来たようですね」
「はい、母様。マリーという子なのですが、とてもいい子なんですよ」
上機嫌のアレックスは、キャサリンの問いに満面の笑顔で答えていた。
マリーと会ってからの事を話すアレックス。
魔導飛行船内の見学ツアーを一緒に見て回った事。
その後、遊戯室で一緒に遊んだ事。
将棋が打てるため、一緒に将棋を遊んだ事等……。
「そう、良いお友達になりそうね?」
「はい、母様。とっても良いお友達になりそうです」
「そうなのね。それは良かったわ」
そうして、雑談を交えながらの夕食を終えれば、後はもう休んでしまうだけである。
就寝前に、アレックスは特等船室区画に設けられた浴室にやって来ていた。
広々とした浴槽はここが船の中だとは思えないほどだ。
メイドに体を洗ってもらったアレックスは、そのまま浴槽に浸かっていた。
「ふぅ、良いお湯です」
そうして、今日一日の事を振り返っていた。
魔導飛行船に乗るのは初めてだったが、特等船室区画というだけあって室内は快適そのもの。
船内だというのに、どの部屋も広々としていた。
見学ツアーでは、普段は入れない操舵室等を見る貴重な経験が出来たのも楽しかった。
ふと、マリーの事を思い出す。
かわいらしい少女であった。
それだけでなく、聡明な人物であることも分かった。
デモナン・タルックボは何を考えて孫娘を紹介したのか?
おそらく、商人らしくコネクション作りの一環としてなのだろう。
だとすれば、自分にそれだけの値打ちを付けてきたという事だ。
「さて、どのようにしたらいいでしょうか」
アレックスは、この後王都のアウレアウロラ学園に入学する事になっている。
そうなれば、数年は領都スプリングフィールドに戻る事は無い。
マリーが領都に戻るのであれば、いくらアレックスと『お友達』になった所でこの後の交流など皆無になるだろう。
「あぁ、マリーも学園に来るのですね……」
であれば、デモナンがマリーをわざわざここで紹介してきたのも納得できる。
貴族の子弟に紹介した上に、一緒に遊ぶというおまけ付きだ。
コネクション作りの一環としては、この上ないイベントになったのだろう。
まぁ、マリーとの友達付き合いはこれからだ。
アレックスは一先ず考えるのはやめにして、今を楽しむことにした。
と言っても、今日はもう後は寝るだけである。
とりあえず気持ちを切り替えたアレックスは、そっと湯舟から出ていくのだった。
浴室の入り口に控えていたメイドが、静かに動き出すのが見えた。
アレックスはそのまま脱衣所に向かっていき、その後はメイドに身支度を整えさせられるのであった。




