第九話・魔術の教練の発展
昼食も終わり、午後の勉学の時間が始まった。
小一時間程の礼儀作法の勉強も終わって、今は魔術の勉強の時間になっていた。
「それでは、坊ちゃま。今日の魔術の勉強でございます。まずは、いつもの様に瞑想からでございます」
アレックスは、ロテリナに言われて椅子の上で姿勢を正した。
それまで床に座って坐禅をしていた弊害というべきか、初めは椅子に座って行う瞑想に違和感を持っていたものの、今ではすっかり慣れたものである。
座った姿勢のままで意識を周囲に向け、この世界を漂う魔素を知覚する。
そうして知覚した魔素を、呼吸のリズムに合わせて体内へと取り込んでいく。
取り込んで蓄えた体内の魔力を、頭の天辺から足の先まで循環させて魔力を練り込んでいく。
「その調子でございます、坊ちゃま。それでは、そのまま次の工程に進みましょう。『小灯火』の魔術を使ってみて下さいませ」
「世界に満ちる魔素の力よ、我が指先に集いて光となれ、そは道行きを照らす輝きとならん、光魔技、小灯火」
アレックスの差し出した掌に、ポッと小さく光の球が出現する。
その光は、昼間の室内であっても尚はっきりと分かる程に力強く輝いていた。
「上出来でございます、坊ちゃま。そうしたら、その灯りを維持し続けてくださいませ」
「はい、先生」
アレックスは、返事をすると己の掌に意識を戻した。
アレックスの掌の上で、光の球は時不規則に明滅する。
アレックスの顔がわずかに歪み、光の球の明滅が激しさを増していく。
やがて、一際激しく明滅を繰り返したかと思うと、唐突に光の球が崩壊して消えてしまった。
「あぁ、消えてしまいました」
「はい、坊ちゃま。左様でございますね。小灯火の魔術は、術者の意識次第で持続時間が変わる魔術でございます。魔力操作に乱れが生じると、そのように明滅して最後には消えてしまいます。ですので、魔力操作の良し悪しを見るのに適した魔術と言えるという事でございます」
「はい、先生。そうですね」
「ですから、魔術の基礎訓練にも向いた初級魔術でございます。最終的には、小灯火を維持したまま、ダンスの一つも踊れるくらいが理想でございます」
アレックスは、ため息を一つ零すと気合を入れ直して顔を上げた。
「まだまだ、これからですね。頑張らないと……」
「はい、坊ちゃま。仰る通りでございます。魔術には、木、火、風、水、土、金、光、闇の八つの基本系統と精神、精霊、特異の三つの特異系統がございます」
ロテリナが、部屋に運び込まれていた黒板に次々と書き込んでいく。
「坊ちゃまはこの内、基本系統はどの系統にも才能を示してございます。これは大変すばらしい事です。……しかし大変残念ですが、このロテリナめが特異系統を使えないため、そちらを指導することはできません事、お許しください。ですが、将来その適正を調べる時のためにも、今の段階で魔力操作の訓練を積んでおくことに無駄はございません」
「はい、先生」
ロテリナの言葉に、アレックスは頷き返していた。
ロテリナの顔にも、安堵の笑みが浮かぶ。
「それでは、引き続き魔術の訓練、魔力操作を維持しながら動く訓練をいたしましょうか。もう一度、小灯火を使いながらダンスの基本ステップを行いましょう」
アレックスが小灯火を使ってから、ロテリナと対になって手を組んでゆっくりとダンスのステップを始める。
ステップを始めて暫くすると、維持しきれなくなった小灯火の魔術が消えてしまう。
その度に魔術を再発動させて、ダンスの動きを再開する事を繰り返したのだった。
そうしてしばらくの間、動きながら魔術を使う訓練を続けて小一時間が過ぎた。
「はい、坊ちゃま。時間でございます。それでは、今日の魔術の訓練はここまでといたしましょう」
「はい、先生。分かりました。今日もありがとうございました。お疲れ様です」
「はい、坊ちゃま。お疲れ様でございました」
アレックスに対して、恭しく礼をするロテリナ。
そうして、ロテリナは今日の授業内容を振り返っていた。
(初級とは言え、あれだけ魔術を行使しておいて息切れもない。まだまだ集中力も途切れておられないようですし、どれだけの才能をお持ちなのでしょうか)
「ふぅ……。さて、ロテリナ、どうかしましたか?」
「はい、いいえ、坊ちゃま。何でもありません。少々考え事をしていただけでございます。それでは、今日はこれで失礼をいたします」
「はい。ロテリナもゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうございます、坊ちゃま。それでは、本当にこれで失礼をいたします」
ロテリナは、再び礼をすると静かに部屋を出ていった。
……
…………
………………
アレックスの居室を出たロテリナは、その足でキャサリンの居室に向かいながら考える。
(坊ちゃまの魔術の習得速度は驚異的……。いえ、異常ともいえます。その才能は万人に一人と言ってもまだ足りません。このままですと、そう遠くないうちに私では教えきれなくなるでしょうね)
やがてキャサリンの居室に到着する。
扉をノックすれば扉が小さく開かれて、部屋付きのメイドが顔を出してロテリナの姿を確認した。
「ロテリナです。入室の許可を」
「はい。奥様、ロテリナが参りました」
「はい、分かりました。入ってください」
扉が開かれて、ロテリナは入室すると一礼して奥へと進む。
「ただいま戻りました、奥様」
「今日もご苦労様、ロッティ。それで、あの子の様子はどうかしら?」
「はい、奥様。アレクサンダー様は大変優秀な方でございます。礼儀作法の勉強も、既に社交界へデビューして何の問題もないと存じます。また、魔術の訓練も順調……。正直に申し上げて、万人、いえ百万人に一人の逸材と言えましょう」
そうして、ロテリナはアレックスの勉学の成果を語っていく。
キャサリンはその話を真剣な表情で聞き入っていた。
「そうですか。首飾りがあってそこまで……。そうなってくると、魔術士の貴方ではこの先荷が重くなってしまうのかしら」
「はい、奥様。申し訳ございません。私の力が及ばないばかりに……」
項垂れるロテリナに、慌てたようにキャサリンは声を掛けた。
「あぁ、貴方を責めているわけではないのよ。顔を上げて、ロテリナ。ただ、このままでは折角のあの子の才能が勿体ないわ。あの人は渋っているけれど、やはり王都の学園に入学させるべきだと思うの」
「王立アウレアウロラ学園でございますね。僭越ながら、良いお考えだと思います」
ロテリナが深々と礼をする。
そのロテリナの姿を眺めながら、キャサリンは大きく一つ頷いていた。
「そうであれば、あの人とも相談をしないと……。貴方もついてきなさい」
キャサリンは立ち上がると、フレデリックの執務室へ向かうために部屋を出ていった。




